10月後半に、Takの学校で「秋の読書週間」みたいなのに、1週間、読書に取り組んだ記録を提出するというのがありました。
でっ、ふと思い出したのです。
「窓ぎわのトットちゃん」
この本が初版されたのは、25年前のことなのです。
私がコレを最初に読んだのが何歳のときかは「一応」ナイショですが、、、、
小森昭宏さん作曲の「音楽物語(組曲) 窓際のトットちゃん」ってのがあるのをご存知の方はあまりいらっしゃらないのでは。ピアノにアレンジされた楽譜もあったのです。
私が、ピアノ講師になって間もない頃、発表会で、この組曲を生徒みんなで弾きました。
それから、多摩地区のピアノコンクールで、当時私の生徒だった「あやのちゃん」が、この組曲のなかの「大冒険」を弾いて、最優秀に選ばれたのでした。
…という、私にとっては、とても思い出深いこの1冊。
そろそろTakに読んでやろうかな、、、
なんて思って、実家にあったハードカバーを持ってきて、
毎晩の読み聞かせが始まりました。
小学校1年生の「トットちゃん」は、1ヶ月で前の学校を退学になって、トモエ学園に転校してきたのでした。
「たいがくってなに?」
から始まって、Takは、もうすっかりハマりまくっています。
読書週間は終わったけれど、「トットちゃん」はまだ続いています。
Takは毎日、トットちゃんの奇行?に大笑いして、小林校長先生のアイディア目を輝かせています。
特に、学校の「汲み取りトイレ」ってのが新鮮なようだし、トットちゃんが、トイレに落とした財布を救出しようとした話は、お腹がよじれるほど大笑いしました。
これによって、「地獄のそうべえ」の絵本に出てくる「糞尿地獄」ってのが、「最近は汲み取りトイレがなくなってしまったので、ひからびてしまって、あまり臭くない」というところにも、理解を深めたようです(^_^;)
小林校長先生は、私の出身大学にもゆかりの深い方だし、当時の私は、教育者小林先生の視点で感動しながら読みましたが、Takの目線は、トットちゃんと、クラスの仲間そのものなのです。
トットちゃんはめちゃくちゃだ! フツーそんなことしないよ~! といいながら、Takは自分にはできないことをするトットちゃんが(しかも女)頼もしく、愉快でたまらないのです。
今ならトットちゃんは「ADHD」の子供ということで、理解を示されながらも現場において分け隔てをされつつ小学校時代を過ごすことになったかもしれない、、
私の大学時代の、親しいお友達のお父様(故人)が、停年までの長い間「徹子の部屋」のプロデューサーでいらっしゃいました。
そのお父様とは、大学の友達軍団とよく飲みにいって、歌いまくりました。
その娘である友人は、徹子さんを身近に過ごしていたからだかどうかはわからないけれど、今でも時々くれるメールが、ミョ~に「窓ぎわのトットちゃん」の文体と似てるのです。なにか、重なった、繋がった世界で生きているみたいな、不思議なものを感じます。
トットちゃんの組曲と楽譜は、検索してみましたが、オークションにしかヒットしないので、どうやら絶版になっているようです。
でも、私の中では、「トットちゃんのモティーフ」「泰明ちゃんのモティーフ」いろんなモティーフが交錯して、音楽でドラマをつくること、ものすごく具体的に、リアルに、あのときの私にとって、タイムリーな出会いだったのでした。
「かたち」は消えてしまっても、「思い」は残るし、受け継がれていくんだよ。
でっ、ふと思い出したのです。
「窓ぎわのトットちゃん」
この本が初版されたのは、25年前のことなのです。
私がコレを最初に読んだのが何歳のときかは「一応」ナイショですが、、、、
小森昭宏さん作曲の「音楽物語(組曲) 窓際のトットちゃん」ってのがあるのをご存知の方はあまりいらっしゃらないのでは。ピアノにアレンジされた楽譜もあったのです。
私が、ピアノ講師になって間もない頃、発表会で、この組曲を生徒みんなで弾きました。
それから、多摩地区のピアノコンクールで、当時私の生徒だった「あやのちゃん」が、この組曲のなかの「大冒険」を弾いて、最優秀に選ばれたのでした。
…という、私にとっては、とても思い出深いこの1冊。
そろそろTakに読んでやろうかな、、、
なんて思って、実家にあったハードカバーを持ってきて、
毎晩の読み聞かせが始まりました。
小学校1年生の「トットちゃん」は、1ヶ月で前の学校を退学になって、トモエ学園に転校してきたのでした。
「たいがくってなに?」
から始まって、Takは、もうすっかりハマりまくっています。
読書週間は終わったけれど、「トットちゃん」はまだ続いています。
Takは毎日、トットちゃんの奇行?に大笑いして、小林校長先生のアイディア目を輝かせています。
特に、学校の「汲み取りトイレ」ってのが新鮮なようだし、トットちゃんが、トイレに落とした財布を救出しようとした話は、お腹がよじれるほど大笑いしました。
これによって、「地獄のそうべえ」の絵本に出てくる「糞尿地獄」ってのが、「最近は汲み取りトイレがなくなってしまったので、ひからびてしまって、あまり臭くない」というところにも、理解を深めたようです(^_^;)
小林校長先生は、私の出身大学にもゆかりの深い方だし、当時の私は、教育者小林先生の視点で感動しながら読みましたが、Takの目線は、トットちゃんと、クラスの仲間そのものなのです。
トットちゃんはめちゃくちゃだ! フツーそんなことしないよ~! といいながら、Takは自分にはできないことをするトットちゃんが(しかも女)頼もしく、愉快でたまらないのです。
今ならトットちゃんは「ADHD」の子供ということで、理解を示されながらも現場において分け隔てをされつつ小学校時代を過ごすことになったかもしれない、、
私の大学時代の、親しいお友達のお父様(故人)が、停年までの長い間「徹子の部屋」のプロデューサーでいらっしゃいました。
そのお父様とは、大学の友達軍団とよく飲みにいって、歌いまくりました。
その娘である友人は、徹子さんを身近に過ごしていたからだかどうかはわからないけれど、今でも時々くれるメールが、ミョ~に「窓ぎわのトットちゃん」の文体と似てるのです。なにか、重なった、繋がった世界で生きているみたいな、不思議なものを感じます。
トットちゃんの組曲と楽譜は、検索してみましたが、オークションにしかヒットしないので、どうやら絶版になっているようです。
でも、私の中では、「トットちゃんのモティーフ」「泰明ちゃんのモティーフ」いろんなモティーフが交錯して、音楽でドラマをつくること、ものすごく具体的に、リアルに、あのときの私にとって、タイムリーな出会いだったのでした。
「かたち」は消えてしまっても、「思い」は残るし、受け継がれていくんだよ。