この季節になると、受験生の頃を思い出します。
私は、幼稚園から大学まですべて「受験」をしてきたのでありました…
なので、しょっちゅう受験生だったのでした。
幼稚園入試は、先生と向かい合わせで、交代で小さな木の積み木をつまんで重ねていて私の順番で倒してしまったこと。
小学校は、どっちの音が「高い」「低い」をわざと全部逆に書いたこと。
中学校は、受験の教室が木枠の窓が割れて紙を貼っていて、とっても寒かったこと。
高校は、すべり止めの私立高校のグループ面接で、インドのカースト制度について質問されて、間違えてしまったこと、第一志望の高校名を嘘を言ったこと。
大学入試は「共通一次」の会場があまりにも暑くて、トレーナーを脱ぎたくてしょうがなかったけれど、(せっかく調節できるように重ね着してきたのに)何故か広い試験場に女子は私だけ。勇気がなくて、最後まで脱げなかったこと。
…それぞれ、妙に覚えているももです。何故か、うまくいかなかったところばかり。
そして、合格発表の日のことも、それぞれ覚えているのです。
幼稚園はさすがに覚えてないけど。
幼稚園から高校まで全部「合格」してきたのに、最後の大学入試で「不合格」だったっときの合格発表。
自分の番号がない。「まさか」「何かの間違い?」
しかも、この時の受験には、「うまくいかなかった」ことが思い当たらなかったのです。
今振り返れば、私がどうして「落ちた」のかは、当たり前のようによくわかるのだけれど。(「青春の挫折」参照)
ところで、すべり止め私立高校の合格発表の日、私は学校を休みました。合否は、ひとりずつ職員室に呼ばれて先生から告げられるのです。絶対不合格に決まってる。全然勉強してないんだもん。(注:合格A 合格Bってのがあるのです。合格Bは誰でも受かる。合格Aは県下一優秀な公立高校より定員が少ない)Aに「ほらみろ、お前は落ちた」と言われて、どんな顔して教室に戻っていけばいいの?
この状況に耐えられないので、学校を休みたいというと、何故か母親はすんなり「仮病」を承知してくれて、学校に電話してくれました。(でも結果は受かってたんだけどね。そんなことなら行っときゃよかったよ。)
国立附属中学校。生徒の半数以上は、県下で一番優秀な高校を受験して、その8割以上が合格。でも私は、中学時代から音大を志していたし、県下一の進学校は志望していませんでした。たぶんそうでなかったとしても、勉強に対する意欲がなくて、成績不振でした。特に理数と家庭科には全く興味なし。テスト勉強が苦痛でした。
成績不振に劣等感を感じ続けた中学3年間でした。毎回のテストの成績によって、自分の人間性を評価されているような、「お前はダメ人間」と言われているような、成績だけがすべてのような、そんな気分で過ごした中学時代だったなあ。ただ1度だけ、意地で真面目に勉強して学年順位10位以内になったことがあったけど、「ほらみろ、私はやればできるんだ」と思って、それっきりやらなくなって、そのうち受験期に突入。みんな一斉に「やる」ので、そうなると、少しぐらいやっても順位は上がらないのです。これが少数精鋭の国立附属というところなのです。
今になって振り返れば、成長途上の子供が、そんな気持ちで思春期を過ごすなんて、痛々しくてかわいそ~な、気がします。当の私は、自分を「かわいそう」だなんて思ったことなかったけれど、必要もないのに屈折したり、鬱積したりせざるを得ないような状況だったかも。高校でも、音楽の「派閥」問題で、似たようなことが続きました。先生方は、決して「成績」だけで生徒を評価している訳ではなかったのだろうけれど、当時の私はそう感じていたのでした。母が成績だけで子供を評価する人だったからです。大人はみんなそうなのだというような思いがあったのです。
こんなことを思い出して書いているのは、自分がこれから、子供(Takだけでなく)に対して、どんな親、どんな大人になるのだろうなあー…と、新しい世界に突入するからなのです。
私も、自分で気付かないうちに、子供を成績で評価するような大人になるんだろうか。正直いって、Takにはそりゃー成績のよい子供でいてほしいよ。優秀でいてほしい。塾にいかなくても、お金かけずに自発的に勉強して、お金のかからない国立大にいってほしいんだよ(^_^;) これがホンネ。正直に書いたけど、ムシがいいとももちろんわかってます。
就学するってことは、本人たちが意識してなくても、目標のある世界、常に評価され続ける世界に入っていくんだな。そして、この時代って、ものすごく長い。周囲からの評価も踏まえながら、「自分を信じる」ことを忘れず、素直にのびのびと育ってほしいです。
Takだけでなく、最近は、卒園を間近に控えて、幼児から学童の顔に変わってきた保育園のおともだちを見るにつけ、そんなことを思う今日このごろであります。
私は、幼稚園から大学まですべて「受験」をしてきたのでありました…
なので、しょっちゅう受験生だったのでした。
幼稚園入試は、先生と向かい合わせで、交代で小さな木の積み木をつまんで重ねていて私の順番で倒してしまったこと。
小学校は、どっちの音が「高い」「低い」をわざと全部逆に書いたこと。
中学校は、受験の教室が木枠の窓が割れて紙を貼っていて、とっても寒かったこと。
高校は、すべり止めの私立高校のグループ面接で、インドのカースト制度について質問されて、間違えてしまったこと、第一志望の高校名を嘘を言ったこと。
大学入試は「共通一次」の会場があまりにも暑くて、トレーナーを脱ぎたくてしょうがなかったけれど、(せっかく調節できるように重ね着してきたのに)何故か広い試験場に女子は私だけ。勇気がなくて、最後まで脱げなかったこと。
…それぞれ、妙に覚えているももです。何故か、うまくいかなかったところばかり。
そして、合格発表の日のことも、それぞれ覚えているのです。
幼稚園はさすがに覚えてないけど。
幼稚園から高校まで全部「合格」してきたのに、最後の大学入試で「不合格」だったっときの合格発表。
自分の番号がない。「まさか」「何かの間違い?」
しかも、この時の受験には、「うまくいかなかった」ことが思い当たらなかったのです。
今振り返れば、私がどうして「落ちた」のかは、当たり前のようによくわかるのだけれど。(「青春の挫折」参照)
ところで、すべり止め私立高校の合格発表の日、私は学校を休みました。合否は、ひとりずつ職員室に呼ばれて先生から告げられるのです。絶対不合格に決まってる。全然勉強してないんだもん。(注:合格A 合格Bってのがあるのです。合格Bは誰でも受かる。合格Aは県下一優秀な公立高校より定員が少ない)Aに「ほらみろ、お前は落ちた」と言われて、どんな顔して教室に戻っていけばいいの?
この状況に耐えられないので、学校を休みたいというと、何故か母親はすんなり「仮病」を承知してくれて、学校に電話してくれました。(でも結果は受かってたんだけどね。そんなことなら行っときゃよかったよ。)
国立附属中学校。生徒の半数以上は、県下で一番優秀な高校を受験して、その8割以上が合格。でも私は、中学時代から音大を志していたし、県下一の進学校は志望していませんでした。たぶんそうでなかったとしても、勉強に対する意欲がなくて、成績不振でした。特に理数と家庭科には全く興味なし。テスト勉強が苦痛でした。
成績不振に劣等感を感じ続けた中学3年間でした。毎回のテストの成績によって、自分の人間性を評価されているような、「お前はダメ人間」と言われているような、成績だけがすべてのような、そんな気分で過ごした中学時代だったなあ。ただ1度だけ、意地で真面目に勉強して学年順位10位以内になったことがあったけど、「ほらみろ、私はやればできるんだ」と思って、それっきりやらなくなって、そのうち受験期に突入。みんな一斉に「やる」ので、そうなると、少しぐらいやっても順位は上がらないのです。これが少数精鋭の国立附属というところなのです。
今になって振り返れば、成長途上の子供が、そんな気持ちで思春期を過ごすなんて、痛々しくてかわいそ~な、気がします。当の私は、自分を「かわいそう」だなんて思ったことなかったけれど、必要もないのに屈折したり、鬱積したりせざるを得ないような状況だったかも。高校でも、音楽の「派閥」問題で、似たようなことが続きました。先生方は、決して「成績」だけで生徒を評価している訳ではなかったのだろうけれど、当時の私はそう感じていたのでした。母が成績だけで子供を評価する人だったからです。大人はみんなそうなのだというような思いがあったのです。
こんなことを思い出して書いているのは、自分がこれから、子供(Takだけでなく)に対して、どんな親、どんな大人になるのだろうなあー…と、新しい世界に突入するからなのです。
私も、自分で気付かないうちに、子供を成績で評価するような大人になるんだろうか。正直いって、Takにはそりゃー成績のよい子供でいてほしいよ。優秀でいてほしい。塾にいかなくても、お金かけずに自発的に勉強して、お金のかからない国立大にいってほしいんだよ(^_^;) これがホンネ。正直に書いたけど、ムシがいいとももちろんわかってます。
就学するってことは、本人たちが意識してなくても、目標のある世界、常に評価され続ける世界に入っていくんだな。そして、この時代って、ものすごく長い。周囲からの評価も踏まえながら、「自分を信じる」ことを忘れず、素直にのびのびと育ってほしいです。
Takだけでなく、最近は、卒園を間近に控えて、幼児から学童の顔に変わってきた保育園のおともだちを見るにつけ、そんなことを思う今日このごろであります。