ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

赦(ゆる)し ‐ 1月がゆく

2016年01月29日 | 季節/暦

 中旬頃だったか、その日の最終のニュースで韓国の世情を報じていた。

 TV画面は、老若交えた人たちが日本大使館の前の少女像を囲み、“ 日本政府は慰安婦への謝罪と法的責任を取れ ” と気焔を上げ、その隣では、日韓合意を支持するグループの男性が、“ 一部の団体がこの問題を反日闘争に利用している。今こそ和解して前に進むべき時だ ” と語る姿を写していた。

 一方、北朝鮮、水爆なのか原爆なのか、何時も乍らの無法振り、かつて味を占めた恫喝行為がまたぞろ鎌首をもたげたよう。
 北の蛮行は別にして、南のそんな彼(あれ)も是(これ)も、恨みが恨みを呼ぶ負の連鎖が為せるのだろう。

 話は変わるが明けて元日の朝日、“ 世界はうたう ‐ オバマが歌った赦す心 ” という記事が載っていた。

 要約すると、昨年6月、かつて奴隷取引の拠点だった南部サウスカロライナ州チャールストンで、白人至上主義の男に射殺された牧師ら黒人9人の追悼式があり、大統領はスピーチの途中アカペラで讃美歌 「アメイジング・グレイス」 (邦題:すばらしき恩寵)を歌い始めたという。

 その追悼式の一週間前、容疑者が裁判に出廷、遺族は一人ひとりモニター越しに容疑者に語りかけたという。

 それは、“ あなたは私から大切な人を奪いました。もう母と話し抱きしめることもできません。でも私はあなたを赦します ” というものだった。

 また、ある遺族は、“ 私は自分がとても憤っていることを告白しますが憎むことはありません。赦さねばなりません。あなたの魂のために私は祈ります ” と語りかけたとあり、地元の教会で23年、赦すことの意味を説いてきた牧師もその言葉に圧倒されたともあった。

 折からフィリピン訪問中の天皇、皇后両陛下、ご高齢にも拘らず、先の大戦での無辜の犠牲者を慰霊される姿に頭が下がる。

 終戦後間もない反日感情が渦巻くそのフィリピンで、日本人戦犯108人に恩赦を出し、全員を帰国させたキリノ大統領のことをTV報道で初めて知った。
 驚いたのは、キリノ元大統領は戦時中、妻と三人の子供を日本軍に殺害された過去を持っていたということ。

 東京新聞電子版(1/26)に、“ それでも許した理由を、姪にあたるアレリ・キリノさんは、「大統領の弟アントニオの存在が大きかった。父は敬虔なカトリック信徒で、かつての敵に対する赦しの大切さを大統領に説いた」と振り返った ” とあった。

 キリストは、“ だれかがあなたの右の頬を打つなら左の頬をも向けなさい ” (マタイ5章39)とも、“ 敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい ” (同5章44)とも教える。

 日々 “ わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします ” (主の祈り/部分)と祈り乍らも、怒りや恨みから解き放たれない自分がもどかしくもある。

 写真は 「ゼラニューム」、その花言葉は偶然にも “ 慰安 ” だとか、毎年、やけに長く感じる睦月・一月も余すところ二日、漸く冬らしい様相(かお)を覗かせ乍らゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1087
 

 ※ 「賛美歌第2編167番 ‐ アメイジング・グレイス 」 (歌:白鳥英美子) 時間が許せば聴いて下さい。

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続々・ダ・ヴィンチ ‐ 駆け足ルーヴル(22)

2016年01月27日 |  ∟フランスの美術館

 盛期ルネッサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519/イタリア)。
 三回目の今回は、不朽の祭壇画ともされる 「岩窟の聖母」(左)、本編、再登場である。

 主題は、ヘロデ王がキリストの存在を恐れ、二歳以下の嬰児を虐殺するために放った兵士から逃れる<エジプト逃避>(マタイ2章13-16)の途上。
 本作、本来であれば依頼者であるミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂の礼拝堂を飾る筈だったとか。

 が、完成時に依頼主との間で作品の構成や報酬を巡り揉め事があり、当時ミラノを治めていたフランス王ルイ12世が仲裁したことを機に彼が献上したとされる。 

 ダ・ヴィンチは、本作から十年後に再び 「岩窟の聖母」(右/ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)を描いているが、彼のミラノ時代の弟子デ・プレディス兄弟の手になるとする説もあるようだ。

 かつて両作品を<対比>しながらもう少し詳しく投稿したので繰り返しは避けるが、何よりも際立って異なるのはルーヴル版がほぼ完成していること。

 とまれ、ロンドンで対面してから三日も置かずパリで本作と対面したが、カタリナ は、ルーヴル版を 「きちんと彩色され明るくきれい」、ナショナル・ギャラリー版を 「大天使に彩色されていないが故の際立った美しさがある」と、評する。
 本作を前に 「どっちもどっち」と意味不明の感想を洩らず誰かに 「なにそれ?」と呆れていたっけ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1086

 ※ 「駆け足ルーヴル(21) ‐ 続・ダ・ヴィンチ」へは、<コチラ>からも入れます。

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朗報

2016年01月25日 | 日記

 二十四節気のひとつ “ 大寒 ” (1/21)も過ぎて、先週末辺りから暦どおりの空模様が続く。
 日曜にかけて寒波が襲来、平野部にも大雪を振らせたらしいが、窓から見える六甲の頂きは未だ緑の装いのままだ。

 酔狂、聊か捻くれているのだろう、冬ざれの街や公園の佇まいも嫌いじゃない。
 とは言え、洗濯物は乾燥機じゃなくお日様の下で干したい主夫?としては、毎日どんよりの空では困るが。

 その “ どんより ” だけれど、意味を探れば “ 澄まず重い感じがあるさま ” (朝日新聞/コトバンク)とあった。

 で、言葉弄(いじ)りをする訳じゃないが、最近の世相、バスの事故、廃棄処分される筈の食材の横流し、血生臭い事件はもとより横領に詐欺、児童虐待など、どんよりとした事件が引きも切らず。

 取り分けても、甘利経済再生担当相が大臣室で桐箱に入った羊羹と50万円を受け取ったという報道、まるで時代劇、「お主も悪よのう」と嘯(うそぶ)きながら懐に金を仕舞う場面みたく。

 TPP・環太平洋経済連携協定をまとめ有頂天に、得意な時こそ謙虚にとも思うが、そんな気質と無縁の御仁なのだろう、事実ならば女性パンツ泥大臣と同様、薄汚くて遣り切れない。

 そんな世相の中で、カトリックにとって嬉しいニュースが届いた。
 かつて小編で投稿した<ユスト 高山右近>を “ 福者に認定 ” と、朝日(1/23)がパリ発で伝えた。

 記事を追うと、“ ヴァチカンは22日、戦国キリシタン大名の高山右近を 『聖人』に次ぐ崇敬の対象である 『福者』に認定したと発表 ” とあった。

 そして、“ 福者となるには、殉教者であるか病気を治したなどの奇跡の認定が必要とされるが、右近はキリスト教への憎悪のもとで命を落とした殉教者と認定され、フランシスコ法王が承認した ” と続けていた。

 さらに日本カトリック司教協議会は、“ 右近は、戦国武将たちのパワーゲームを離れ、社会で認められる富や権力、名誉が、実は儚い一時的なものに過ぎないことを見抜いた ” とのコメントを出したともあった。
 何処かの大臣さんに、右近の爪の垢でも煎じて飲ませたいよねえ。

 1900年頃に南アフリカの金の採掘場で発見されたらしき 「ガーベラ」、錬金術に長けた某大臣に相応しいと言えば花が可哀想か。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1085

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続・ダ・ヴィンチ ‐ 駆け足ルーヴル(21)

2016年01月22日 |  ∟フランスの美術館

 盛期ルネッサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519/イタリア)の二回目。
 完成していれば、彼の最高傑作のひとつとして数えられていたであろうとされる未完の大作 「聖アンナと聖母子」、小編、再々?登場である。

 本作の主題は、“ 謙譲の聖母子 ”。

 聖アンナが夫である<聖ヨアヒム>、もしくは聖ヨアキムとも。と二十年近く連れ添ってから<無原罪の御宿り>として得た娘、そして孫。
 その聖母マリアを膝に抱くという、殆ど例を見ない構図で描かれている。

 画家の生涯で二度目となったミラノ滞在中、当時のフランス国王ルイ12世のために制作されたとされている本作、制作途中でダ・ヴィンチはこの世を去り未完のままに。
 このため、聖母や聖アンナの着衣が彩色されていない。

 また、ダ・ヴィンチは、習作になる 「聖アンナと聖母子(画稿・習作)」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)、通称 「<ダ・ヴィンチ ‐ カルトン>」を描いているが、本作はそこから筆を進めたもの。

 余談だが、バロック期の無頼の奇才カラヴァッジョ(1573-1610/イタリア)は、この聖アンナを 「<パラフレニエーリの聖母>」(ボルゲーゼ美術館蔵)と題し、「<聖母の死>」(ルーヴル蔵)同様、徹底した写実性にもとづき現実的に描いているが、彼我の表現の違いに唖然とさせられたこともあった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1084

 ※ 「駆け足ルーヴル(20) ‐ ダ・ヴィンチ」へは、<コチラ>からも入れます。

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どうにもならないこと・・・

2016年01月20日 | 本/図書館/言葉

 朝日のコラムに、“ 折々のことば ” がある。
 哲学者で、大阪大学元総長の鷲田清一さんが、該博な知識の泉から示唆に富んだ言葉を紡ぐ。

 成人の日の翌日(1/12)は、知的障害の子をもつお母さんの言葉で、“ どうにもならないことはたくさんあると身に染みた今でもこんな夜があります ” だったが、読まれた方も多いと思う。

 読まれていない方のために全文を紹介する。
 “ 排泄(はいせつ)トレーニングを始めて11年。今日は着替えを4組ぬらし「おむつの予備を」との手紙を持ち帰り、ぐっと凹(へこ)む。「ようやく一山越えたのかな」と喜んでいたのに。でも水好きの子はお漏らしも不快でない。だったら仕方ないか……。「困ったやつ」と思いもするが、この世で二つとないご縁。朝になればきっとまた気持ちは凸に。ブログ「とんとんのヒトリゴト」から ”。

 サンデー毎日の鰥夫(やもめ)が僻んで言う訳じゃないが、嫌いな連休が明けてやれやれの朝、小さく届く駅のアナウンスを小耳に朝寝坊を楽しみ、ベッドで新聞に目を通し乍ら言葉に共感する自分がいる。

 振り返れば、12年(H24年)の正月、七草粥の頃だった、<胃がもたれ>て堪らず、あいつ の 「診て貰いなさい」の言葉に促され、渋々診療所の門を潜ったのは。

 それから満四年、この間、入院を含め五度のイレウス騒ぎ。
 いい歳をして恥ずかしいが、先に逝かせてしまったことや術後後遺症に再発・転移など、“ どうにもならないこと ” を、うじうじと考えたことも数えきれず。
 それこそ凹んだり反転凸(でこ)になったり・・・、そんな日は、あいつに話しかけるようにぼそぼそと祈る。

 喩えは正しくないかも知れないが、“ 禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し ” という。
 とんとんさんのように “ 朝になればきっとまた気持ちは凸に ”、折角、神様から与った命、“ どうにもならないこと ” と上手く折り合い、残された時間を前向きに生きなきゃ・・・と、思う。
 とまれ、今月末、膵臓に<小さい影>を抱えて満五年に向けての検査を受ける。

 写真は 「桜草」、“ 大寒 ”(1/21)を前に冬本番だけど花の界は春、話がやや暗いので可愛い花で明るく?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1083

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ダ・ヴィンチ ‐ 駆け足ルーヴル(20)

2016年01月18日 |  ∟フランスの美術館

 グランド・ギャラリーへと戻ると、ある作品の前で多くの鑑賞者が滞っていた。
 彼らの足を止めさせたのは、盛期ルネッサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519/イタリア)。

 その彼の最晩年の作品とされる 「洗礼者聖ヨハネ」が今回の作品。

 ダ・ヴィンチが手がけた絵画作品で、現存するのは僅か十五点程度とされているが、晩年に描いた幾つかの作品だけは生涯手元に置き、手を加えたとされている。

 手元に残したのは、何れもここルーヴルが所蔵する 「モナ・リザ」と 「聖アンナと聖母子」、そして本作の三点。

 その 「モナ・リザ」を思わせる洗礼者聖ヨハネの端正な顔立ちと微笑みは、ダ・ヴィンチが同性愛者だったという推測にもとづき、寵愛していた弟子をモデルにしたという説もあるようだ。

 そのためか青年ヨハネの表情がヴィヴィッド、生々しく、カタリナ は珍しくこのダ・ヴィンチに限って「好きになれない」と言うが、直感的に同質のイメージがあって頷かされる。

 ただ、本作をはじめ、処女作ともされる 「<受胎告知>」(ウフィッツイ蔵)の大天使ガブリエル、「<最後の晩餐>」(ミラノ/グラツィエ教会)の聖トマス、「<岩窟の聖母>」(ルーヴル蔵)の大天使ウリエルなど、彼の作品に多く見られる “ 手の表情 ”、就中(なかんずく)人差し指の仕草は、それぞれの作品に何らかの示唆を与えている。

 ここでは “ 天からの救世主キリストの到来を予告し、道を平らかにするよう悔悛を説くため ” と解釈されているとか。
 そう教えられれば、例によって頼りなくも 「そんなもんかなあ?」と思わないでもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1082

 ※ 「駆け足ルーヴル(19) ‐ ルーヴル余話」へは、<コチラ>からも入れます。

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シャンゼリゼ通り ‐ 道草ルーヴル(5)

2016年01月15日 |  ∟フランスの美術館

 雨上がりのパリを<凱旋門>から堪能したのが前回。
 その後、暮れなずむシャンゼリゼ大通りをぶらぶら歩きと洒落込んだ、「似合わない?」 「さもありなん!」。

 世界で一番美しいといわれるシャンゼリゼ通り、全長2Km、幅約100mの並木道は、ギリシャ・ローマ神話に由来し楽園を意味する “ エリーゼの野 ” からこの名前がつけられたとある。
 毎年7月14日の革命記念日、つまり “ パリ祭 ” は、ここを中心に行われるとも。   

      

 その大通りをそぞろ歩き、洒落た店を見つけては覗き、おもちゃ屋や文房具店を探しては眺めて楽しんだ。 
 途中、「疲れてしまい」地下鉄に乗ろうとしたが、さすが芸術の街というか粋なパリの街、地下鉄の標識が小さく見つからず閉口、カタリナ も 「呆れてしまう」と憮然としている。

 ところで、とある交差点で信号を待っている間、隣に何処か見覚えがある女性が同じように信号を待っていて、私たちの顔を見て同じように驚きながらも、白い歯を見せて会釈をしてくれる。
 なんと彼女、あの<モン・サン・ミッシェル>への遠足のガイドさん。

 観光名所や美術館などならいざ知らず、大都会パリのど真ん中で、「何時、何処で誰に出会うか」 「判らないものね」とふたり。

     

 そう言えば、マドリードのホテル・ウェリントンだったか、ダイニングルームで同じマンションのご夫妻とばったり、驚いたことがあったが、「旅の恥はかき捨て」なんてできないもンで、何時でも何処でも 「お行儀よくね!」と、お説教されたことも今は遠い日の想い出・・・。

 ところでルーヴル美術館、閉館時間が迫ってきたようだ・・・、そろそろ<グランド・ギャラリー>のあの巨匠のところに戻らなきゃ! 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1081

 ※ 「道草ルーヴル(4) ‐ 雨上がりの街」へは、<コチラ>からも入れます。

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‘16 新春展

2016年01月13日 | 美術館 (国内)

 先週末から一昨日まで、今年最初の連休だった。
 先週の半ば(1/6)から二十四節気のひとつ、“ 小寒、寒の入り ” だったが、春を思わせるような暖かなお天気に恵まれた。
 この三連休、戎(えべっ)さんの祭礼と重なり、主日ミサ(1/10)からの道すがら西宮神社の界隈を通ると、吉兆の飾りを持つ人々で溢れていた。

 そんな雑踏を避け、久し振りに大谷記念美術館の新春展 「美と装い ‐ 新収蔵品とともに」を覗いてきた。
 ルーブルの小さな旅の途中で、聊か油っこい洋画でもたれ気味だが、お茶漬けの味というか邦画が癒してくれる。

 収蔵品だけの展示、幾度か見たものが多く新鮮さはないが、それでも何点か記憶に残るのもあった。

 そのひとつ、北野恒富 「春鈴」。
 桜の花びらが舞うなかで扇子を半開きに、少し所在なさげに腰かける女性、半襟の淡い朱がひときわ目を惹く。
 写真では上部が狭いが実画はほぼ半分が浅黄(うすき)の背景になってい、構成の巧みさもうかがえた。   

 もう一作は、洋画のなかの和装、石川寅治 「窓のそば」、大正初期の和洋折衷の生活スタイル、大正モダニズムの一端が垣間見えて面白い。
 写真よりも現物の方が色が澄んでいて勿論美しい、写真だとどうも微妙なところが見えにくいのは仕方がないようだ。

 洋画と和装をもう一点、林武の 「舞妓」、背景の際立つ赤と縁取りの黒との対比が印象に残った。

 ところで、藤田嗣二の 「フジタと彼のモデル」も架ってい、小品乍ら面白かったが、ポストカードが販売されてなく紹介できないのが少し残念。

    

 ひととおり回った後、館を囲む庭園を回った。
 この庭園の特徴のひとつ 「蝋梅」、少し時季が早いもののちらほらと蕾を綻ばせ仄かな香りを漂わせていたが、「梅」はもう少し時間が要るようだ。
 園丁さんが撒く水に、折からの陽光を受けて 「椿」が瑞々しく装っていた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1080

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続々・プッサン ‐ 寄り道ルーヴル(10)

2016年01月11日 |  ∟フランスの美術館

 フランス古典主義の巨匠にして宗教画や神話画、歴史画を得意としたニコラ・プッサン(1594-1665)。

 その彼の随一の傑作 「アルカディアの羊飼いたち」、別名 「我アルカディアにもあり」。

 古代ギリシアの理想郷アルカディアを舞台に、ラテン語で “ Et in Arcadia ego = 我アルカディアにもあり ” と、死が理想郷にも存在していることを意味、右端の人物がそれを表徴。する一文が刻まれる石碑へ集まった三人の羊飼いを描いている。

 フランスのレンヌ・ル・シャトー村の近くに、描かれたこの風景が実在することや、“ Et in Arcadia ego ” を並べ替えると “ I Tego Arcanadei = 立ち去れ、私は神の秘密を隠した ” と別の意味の文章になること。

 秘密結社シオン修道会がシャトー村の近くに在ったことなどから、同修道会が守る秘密 “ イエスとマグダラのマリアの間に生まれた子孫 ” の風説が古くからあったことも示唆しているとか、聊かミステリアスでもある。

 10年も前だったか、ベストセラーになり映画化もされた、ダン・ブラウン著の 「<ダ・ヴィンチ・コード>」。
 ルーヴルの<グランド・ギャラリー>からストーリーは展開、途中に<サン・シュルピス教会>の床に描かれた日時計・ローズラインを織り交ぜ乍ら、最後に解き明かされる謎のひとつがこの秘密だったっけ?

 ミステリアス序に、シュルピス教会のローズラインは虚構だけれど、フィレンツェの<大聖堂>には、夏至の日にクーポラ・円蓋に取り付けられた銅板の穴から射し込む陽光が、床に描かれた子午線をなぞり、やがて正午に床の円形とぴたっと重なる日時計みたくなのがあった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1079

 ※ 「寄り道ルーヴル(9) ‐ プッサン」へは、<コチラ>からも入れます。

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続・プッサン ‐ 寄り道ルーブル(9)

2016年01月08日 |  ∟フランスの美術館

 フランス古典主義の巨匠にして宗教画や神話画、歴史画を得意としたニコラ・プッサン(1594-1665)。

 その彼の連作 「四季」の後編。
 主題は、旧約聖書の一場面を一日の移ろい、早朝、昼、午後、黄昏時に結び付け描いていることは前編で書いた。
 それは、春は誕生、夏は青年、秋は成熟、冬は晩年を、そして、また春、人生を擬(なぞら)えてもいる。

 「秋 ‐ カナンの葡萄、または約束の地」(左)は、葡萄を収穫する姿が、午後の終わりの陽光によって仄めかされている 。
 そして、明るい色彩を与える秋に対し暗い色調で描かれた 「冬 ‐ 大洪水」(右)では、黄昏の光の中、ノアの大洪水の光景を切り取っている。

   

 ところで、主題の<ノアの洪水>は改めて説明も要らないだろうが、“ 約束の地 ” とは、旧約聖書の出エジプト記が典拠。

 モーセは、神にヘブライ人を約束の地へ導くよう命じられ、エジプトを脱出する。
 神がイスラエルの民に与えると約束された肥沃な土地カナンを目前に、モーセは従者にカナンの様子を見に行かせる。
 その従者が持ち帰ったものが大きな蒲萄一房、その地が神が約束した “ 乳と蜜の流れる地 ” であることを証明したのである。

 話は前後するが、連作 「四季」は、彼プッサンの死の一年前に完成、遺作とされている。
 そこには詩情豊かで革新的、かつ複雑な彼の画業のあらゆる本質が込められているのだそうだ。 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1078

 ※ 「寄り道ルーヴル(8) ‐ プッサン」へは、<コチラ>からも入れます。

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