月の初めにキャンプインしたプロ野球、早いものでオープン戦もたけなわ。
ペトロ、在阪の某チームをそこそこ贔屓に、専らTVで楽しんでいるが、そのTV中継で耐えられないのが、鳴り物の応援スタイル。
球場で耳にする分にはさほどでもないのだろうが、TV局が集音マイクを駆使? しているのか、のべつ幕なしに鳴り響く不協和な金属音、随分と辛い。
カタリナ に 「そこまでしなくても?」と呆れられながら、音を消してみたりするのだが、それはそれで臨場感に乏しく、「阿呆らしい」なって、結局、観るのを止めてしまう。
ところで、開幕を前に名古屋高裁が、“ 鳴り物を使った組織的応援について、機構側が相応しくないと判断すれば入場を不許可とすることは当然に許される ” との判断を示した。
そんな折、今度は仙台地裁が、ファウルボールで怪我、球団に損害賠償を求めた中年男性に、“ 臨場感も観戦には無視できない本質的な要素 ” と請求を棄却、我が意を得たりの思い。
野球には動作の一つひとつに微妙な間があり、そこに知的な駆け引きが生まれ、観る者もそれに同化できるからこそ面白いと聞いたことがある。
唸りを上げるボール、空気を裂く打球、砂を蹴るスパイク、そして、瞬間のプレーに生じる僅かな間、固唾を呑む観衆とやがて上がる歓声、などなどこそがプロ野球観戦の醍醐味。
ディジタル放送とやらで買い替えさせられたTV受像機、折角の高規格映像で感じたいものは、その臨場感であって、太鼓やトランペットばかりが鳴り響くのは興醒めだ。
「アネモネ」(上)と 「パンジー」(下)、薄紫の花二題。
愛と美と性の女神アフロディーテ、悪戯っ子キューピッドの射た愛の矢が誤って当たり、美少年アドニスと恋に落ちる。
ところが、哀れにもそのアドニス、猟に出て猪の牙に突かれ死んでしまう。
悲しみのあまりにアフロディーテが涙、血という話もある。を、注いだとこから芽吹いた花がアネモネだったんだって。
似たような 「変身物語」、つい先月、<晦日正月 ‐ 1月がゆく>でも書いたっけ?