ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

古い人たち ‐ 2月がゆく

2018年02月28日 | 季節/暦

冬過ぎて春し来れば年月は 新たなれども人は古(ふ)りゆく (作者不詳/万葉集十巻1884)

 にげるほど早いという如月・二月、冬季五輪で日本選手の活躍をTVのダイジェストや新聞で見聞きするうちに、例年にも増して早くいってしまった。

 米国などのTV会社に主催権?を売り渡し、早朝や深夜に行われた競技もあって選手が気の毒な大会でもあった。

 かつて政治に介入されなかった五輪があった試しはないが、韓国大統領の思惑に乗っかり、北朝鮮の参加を特別に認めたIOC、今回は少し酷かったように思う。

 酷いと言えば銃規制に反対する全米ライフル協会・NRA、彼らの個人の自由を守り、米国を世界で最も偉大な国にするという使命感、というのがどうにも理解不能。

教師に銃を持たせボーナスを、と発言したトランプにも呆れるが。

 米国を笑ってばかりいられない、受動喫煙対策を骨抜きにした自民党の厚生労働部会、健康増進どころか喫煙を容認、時代錯誤を超えてもはや犯罪集団、個人の権利だけを主張するNRAとそっくり。

 冒頭の歌、歌人は年の初めに詠んだのだろうけど、“ 冬が過ぎて春がやってくると、年月は新しくなるけれども人は古くなっていくことよ ” と歌意は至って簡単。

 歳月とともに古くなっていくのは仕方がないが、特定の利益と結びついて思考までが古びてゆく人には一刻も早く隠居して欲しいと思う如月・二月、小編 “ 2月がきた ” と同じ写真を、えっ、写真よりも詰まんないことをうだうだ綴るお前も古いって? そだね~。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1520

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

勘違い

2018年02月27日 | 日記

 さしもの寒さもここに来てようやく緩みだしたよう。
 二十四節気、中国の気候が元らしく実際の季節感と合わないこともあるようだけれど、雪が雨に変わるり氷や雪を溶かして水になる頃の “ 雨水 ”(2/19)や、大地の温かさに誘われて土中で冬眠していた虫たちが這い出してくる “ 啓蟄 ”(3/6)などは時季に合う。

 三日間ぐらい寒い日が続き次の四日間ぐらいが暖かく、これが繰り返されることを差す “ 三寒四温 ”、「となりの山田君くん」(いしいひさいち全集1/徳間書店刊)には笑わされるが、今日の空の青さ風の緩さなど、春はそこまでを実感する。

 ところで、今朝(2/27)の朝日紙、哲学者の鷲田清一さんの「折々のことば」、“ 深いつもりで浅いのが知恵/浅いつもりで深いのが欲、福寿園で使われている「つもり十訓」から ”、読まれた方も多いと思う。

 鷲田さんは、“ つもりとはとんだ勘違いのこと。おのれを顧みて自重することのないこと。世の中には、謙虚という徳を横柄な口ぶりで説く人は少なくないし、懐疑の必要をつゆ疑わずに主張する人も珍しくない ” と解説。

 そして、“ 同様の言葉は全国にいろいろあるようで、「高いつもりで低いのが教養/低いつもりで高いのが気位」という言い回しを耳にしたこともある ” と続けてい、「そうなんだよなあ」と相槌を打たされた。

 勘違いは誰にでもあること、殊更咎め立てする必要もないが、同日の朝日の “ 政府の働き方改革法案、労働時間の不適切なデータ問題で、新たに233件もの異常値が判明した ” は頂けない。

 今も続く森友問題然り、“ 過ちては改むるに憚ること勿れ ” を御存じないとみえる。

 それはとも角、「長いつもりで短いのが青春/短いつもりで長いのが老後」やら「大きいつもりで小さいのが愛/小さいつもりで大きいのが嫉妬」なんて、温かさに誘われ勘違いしちゃいました。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1519

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

レンブラント(8)「夜警」

2018年02月26日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(13)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(21)

 訪ねた当時、美術館自身が史上最大と称する改装工事の真っ只中、オランダが誇る17世紀の最高傑作マスターピースは、本館に併設されたフィリップス棟で展示されていた。
 と、いうことでライクスミュージアム編、オランダ絵画黄金期を築いたレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)とヨハネス・フェルメール(1632-1675)のみを採り上げた。

 世界三大集団肖像画のひとつともされているレンブラントの「夜警」(1642年/363×437cm)が、小編最後の作品。

 ちなみに「夜警」という題は、後に呼ばれ始めたもので、白昼の情景を構想したフランス・バニング・コック隊長率いる市警団中隊を描いた集団肖像画として、アムステルダムの市警団集会所の壁を飾ったという。

 描かれたのは、彼自身の黄金時代(1632‐42年)とされる最終年のこと。
 本作への賞賛、多くの弟子、増える一方の注文という充実した日々の中で、愛息ティトウスを出産した後、床についていたサスキアの帰天という彼にとって最大の喪失が襲い、いわば、栄光からの転落の序章となる年でもあった。

 ところで彼、登場人物を平等に描くという既成概念に捉われず、物語性の高い集団肖像画を描き、17世紀オランダでもてはやされたこの分野に、決定的なモニュメントを確立したとされている。

 とは言え依頼者の多くは、顔が腕と重なっている等の不満を漏らしたとされ、それは当然とも言えることだっただろう。
 面白いのは画家への報酬1600グルデンの支払い、16人のモデルそれぞれの目立ち具合に応じて分担したらしいが、額を決める場を想像するだに笑いがこみあげてくる。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1518

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

本当の姿 ‐ 本日は安息日、です。

2018年02月25日 | 聖堂/教会/聖書

 今日(2/25)は四旬節第2主日、主朗読はマルコ第9章です。
 イエスは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登ります。
 すると、“ イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝いた ” とマルコは記しています。

 三人が恐れおののいていると雲が現れて彼らを覆い “ これは私の愛する子。これに聞け ” との声が聞こえ、急いで辺りを見回すのですがもはや誰も見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた、とマルコは続けています。

 神は三人の弟子に “ 愛する子イエスの本当の姿 ” を一瞬に示し、これから起こるであろう “ 十字架のつまずきに耐えられるように、弟子たちの心を準備することが目的にあった ” とされています。

 それは取りも直さず、“ イエスとともに毎日の生活に戻り、人々の中で愛する子に聞き従う道を歩まなければならない ” とのメッセージでもあるそうです。

 ところで一昨日(2/23)のレジオマリエ、集会後の雑談で「三月一杯で除隊を・・・」と、恐る恐る切り出してみました。

 四年前に一緒に入会したAさん、信徒会の要職を務め今期で降りられたのですが、「少し疲れた、私もそろそろ」と同じ気持ちのようです。

 三月末にはBさんがご主人の仕事の都合で退会されることもあって、余り好い感触、雰囲気でなかったことは確か。
 まあ、「そうなの、ご苦労様」とあっさり認めて貰うのも寂しいと言えば寂しいですが、さて、どうなりますことやら?

 ラファエロ(1483-1520)の遺作「<キリストの変容>」(1518-20年/405×278cm/バチカン絵画館蔵)、照明を落とした薄暗い展示室で対面した時、息を呑んだことを憶えています。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1517

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

こんなに晴れた日には

2018年02月23日 | 日記

 すっきりと晴れた朝、なのに気分が塞がっています。

 レジオマリエでは事情があって教会へ来られない信徒さんを訪問、神父様から<ご聖体>を渡して頂く “ ご聖体奉持 ” と呼ぶ活動があります。
 私が受け持っているAさんとはレジオに入会して以来ですから、四年のお付き合いになります。

 昨クリスマス前にも訪問、年が明けたら神父様と一緒に伺う約束していたのです。
 独居の彼、足が少し不自由で杖を頼ってはいましたが、ヘルパーさんの助けを得ながらも大方のことは自分でやっていたようです。

 年が明けて伺った折、1月足らずでこんなにもと思うほど弱っていて驚いたことがありました。

 その彼が一昨日、天に召されたというメールが届きました。
 何時かこの日が来るとは思っていましたが、幾つになっても気持ちの整理が下手で、引きずって遣り切れません。

 仲間が受け持っていたBさん、たまに一緒に伺っていたのですが、暮に帰天されました。
 このようなことに常に向き合っているのが、レジオの活動の一部だということを改めて思い知らされましたが、あいつ を見送って以来、冷静に整理できない僕(やつがれ)、そろそろ<除隊>・・・を、と考えています。

 とまれ、こんな日は体を動かすに限るようです、少し寒いですが呆れるほど空は晴れています。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1516

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

レンブラント(7)「織物商組合の見本調査官たち」

2018年02月22日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(12)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(20)

 泰西名画に<世界三大集団肖像画>というカテゴリーがある、らしい。
 エル・グレコ(1541-1614)の「オルガス伯の埋葬」(1586-88年)、ベラスケス(1599-1660)の「ラス・メニーナス」(1656-57年)、そしてレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)の「夜警」(1642年)の三点とされている。

 肖像画を集団で描くスタイルで、当時のオランダ画壇に一躍名を轟かせたのがレンブラントの「<テュルプ博士の解剖学講義>」(1632年)、彼がこの分野の草分け的存在の一人であることが判る。

 そして、最後の注文による集団肖像画が「織物商組合の見本調査官たち」(1661年/191×279cm)である。

 本作は、「テュルプ博士の解剖学講義」が外科会館に架けられたのと同じように、完成後はスタール通りの織物商組合のホールに架けられることが決まっていたので、見上げる視点で遠近法を用いて描かれている。

 ただ本作は、「テュルプ博士の解剖学講義」に登場する博士と七名の弟子たちが、解剖講義という一つの意志に統一されているのに対し、五人の見本調査官たちと無帽の秘書が会議中に、作品を観る者と瞬間的に視線を交わし合わせているかのように描かれている。

 会議という単調な主題から、今にも動き出しそうな立ち姿の調査官やテーブルクロスの深い赤を描くことによって、場面に躍動感を与えている。
 それらが、晩年期においても集団肖像画家としての名声を聊かも失っていなかったことを示すものとして、高く評価されている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1515

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

レンブラント(6)「母の像」

2018年02月21日 |  ∟ベネルクスの美術館

※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(11)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(19)

 老人の顔が描けてこそ一人前の画家、との信念を持っていたとされるレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)にとって、母は格好のモデルだったとされている。

 彼は幼い頃、母の膝で母の語る聖書物語を子守唄として育ったとされ、母を描いた場合の多くに宗教的意味合を持たせた、ともされている。

 そんな篤信の母が、息子レンブラントにして描かせたのが「母の像」(1631年/60×48cm)。

エルサレムの神殿に、“ アシェル族のファヌエルの娘でアンナという女預言者がいた ” とルカの福音書(第2章)にある。

 ルカ書は、“ 彼女は非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが死に別れ、八十四歳になっていた。アンナは神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた ” と続けている。

 また、ヨセフとマリアが<キリストの神殿奉献>のため神殿に行ったとき、“(アンナが)近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した ” とも記している。

 初期作品の傑作のひとつとされる本作は、その年老いたアンナを模した母の姿だとされている。

 背後から聖書にあたる柔らかい光り、レンブラントの光と影に対する深い関心と試みは、成熟しかけたこのライデン時代最終期の作品に漸く実を結び始めたのである。
 それは、ライデン最初期の作品「<トビトとアンナ>」(1626年)とを対比すれば理解できる。

 ちなみに彼、後年、母の最期の絵姿ともされる「<母の像>」(1639年/ウィーン美術史美術館蔵)を描いているが、彼女はこの作品が描かれた翌年に没している。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1514

※ 小編は、2016-10 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

電話回線の切り替えにつき休載します。

2018年02月20日 | 日記

 NTT西日本の「フレッツ光プレミアム」が、サービスの提供を終了するという。
 面白いこと、別に面白くもないか。に、最初の通知はなぜかNTTドコモのDMだった。
 それはとも角、来年1月31日で終了、新たに「フレッツ光ネクスト」を始める(た)という。

 電話は無くても一向に差支えないんだけれど、インターネットにアクセスするため契約を止める訳にもいかない。

 現在、回線終端・ONUとか加入者網終端・CTU、光電話のVoIP、加えて、Wi-Fiルーターと、四個も弁当箱を連ね、PCラックの裏側は電源アダプターと配線だらけ。

 それが、ONUとWi‐Fi機能を持つホームゲートウェイ・HGWの二個で済むという。

 それに、スマホとタブレットのWi‐Fi接続が上手くいかず、ルーターを交換しなければ、という事情もあった。
 その切り替え工事が今日(2/20)、もう少しすれば始まるので今日のブログはお休みします。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1513

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2018年02月19日 | 日記

 今日(2/19)は二十四節気のひとつ “ 雨水 ”、暦便覧には “ 陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり ” とあり、春一番が吹く頃ともされているとか。

 東大寺<修二会・お水取り>も、明日からは別火(べっか)と呼ばれる前行が始まると聞く。
 そして、月明けて朔日から十四日まで、二七日カ夜(二週間)の間、二月堂で本行が勤められるといい、それが終わる頃には関西にもようやく春が来る。

 話は変わるけれど、冬季オリンピック、昨夜はTVの実況画面に釘付けになった。

 小平奈緒さん、スピードスケートの500m、三大会目の大舞台で、それも五輪新記録で女性初の金メダルの栄冠を勝ち取った。

 彼女の努力と精進は言うに及ばずだが、大学卒業に際して就職が決まらず、競技以前の悩みなどがあったことを新聞などで知った。

 同じスケートでも華やかなフィギアと違って、スポンサーになってくれる企業も難しいのだろうと思う。

 インタビューに答えて、「多くの人に支えられて感謝している」との言葉に実感がこもっていたが、彼女に一足早く春が届いたことを心から喜びたい。

 メダルや入賞に届かなかったアスリートも胸を張って大いに自慢すればいい、オリンピック、出場するだけでそれは凄いことなんだから。(Photo:asahi.comから拝借しました)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1512

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

中掃除 ‐ 本日は安息日、です。

2018年02月18日 | 聖堂/教会/聖書

 先週の水曜から四旬節・レントに入り、そして、今日(2/18)は、四旬節第1主日です。
 第一朗読は創世記9章で、“ 私が貴方達と契約を立てたならば、二度と洪水によって滅ぼされることはない ” と、神はノアと彼の息子たちに言います。

 第二朗読はペトロの手紙(一)3章、“ 箱舟に乗り込んだ数人だけが水の中を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエスの復活によって貴方がたをも救うのです ” とあります。

 そして、主朗読はマルコ1章で、“ そのとき霊はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた “ と記しています。

 三つの朗読にある “ 契約・洗礼・霊 ”、日曜のミサに与っている者は、神からの愛情深い契約に感謝して洗礼を受け、人生を再出発させていますが、その成長のすべての過程を支えているのが聖霊の働きであることを示唆しているそうですよ。

 そんな大切な主日ミサですが、今日は気が進みません。
 で、罪滅ぼし?に中掃除、ルーチンのそれが小掃除だとすればですが。をして過ごそうと思っています。

 ところで、平昌オリンピック、北の国に韓国と同じようにTV局が振り回され、阿保らしくて視てられませんでしたが、漸く落ち着いて本来の五輪らしくなってきたみたいですね。
 競技は、NHKのダイジェスト版で視る程度ですが、日本選手も頑張っているようです。

 では、皆さんにとって、今日が好い日でありますように。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1511

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加