ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

続・ドナウ川クルーズ ‐ ドナウの旅(Spin off 7)

2015年04月24日 | ドイツ/オーストリア

 ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の名曲、「美しき青きドナウ」のメロディにのって始まった、Danube River Cruises の二回目。

 結構、偉丈夫?なPRINZ・EUGEN号、満席の乗客を乗せて、滔々たるドナウの流れを下る。

 大河ドナウ、360キロにも及ぶ流れの中で最も美しいとされるヴァッハウ渓谷。

 美しき青きドナウを口ずさみ乍ら、ドナウ川クルーズ、それなりに、何となく、感じて貰えているでしょうか?

 * カタリナの独り言〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 海外で日本の方に出会っても知らん顔をされる人が意外に多い
 グループの方と出会った時、「こんにちは」と声をかけても、大方の方が返してくれないように思う
 翌日のこと、ウィーンのホテルで朝食を摂っていた時、手を振っていた女性と再会、「おはようございます」と挨拶を交わしたのは例外中の例外、ペトロは、「鬼瓦のご面相が横におるからやろ!」と屈託がない (

    
 17世紀、イギリスのリチャード王が幽閉された城(左)でしょうか?
 
デルシュタイン(中/右)、ヴァッハウ渓谷で最もロマンチックな町なのだそうです
  隣に座っていた同邦のご夫婦、ツアーのお仲間だろう20名ほどの方とここで下船
  その奥さん、岸から盛んに手を振ってくれます、応えて高く手を振りましたとも

 * 序にペトロも独り言
 イギリスのリチャード獅子心王、第3回の十字軍遠征からの帰途、オーストリアのレオポルド公の怒りに触れ城に幽閉されたのだそうだ
 尤も、それも身代金が届く一年間ほどのこと、しかも、幽閉と言ってもそこはそれ、美味い地ワイン片手にドナウ川畔のホリデイを満喫したんだと、羨ましいねえ! (

     
  終点クレムスで下船、船着き場から国鉄のクレムス駅(左)まで10分ほど歩きました
  電車の出発まで時間が少しあったので、<クレムス>の町(中)を少し楽しみました
  ウィーンのフランツ・ヨーゼフ駅(右)まで40分ほど、うつらうつら舟を漕いでいるとあっという間でした

 * カタリナの独り言
 
メルク修道院とヴァッハウ渓谷クルーズ
 秋のやさしい陽光がこぼれる一日、遠足を楽しんだふたりでした (

 7回にわたって投稿した 《 Spin off ‐ ドナウの旅 》、これでお終い、寄り道もほほどに、そろそろプラハ城に戻らなきゃ、ねっ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.963

 前号、ドナウの旅(Spin off 6)へは、<コチラ>から入れます。

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ドナウ川クルーズ ‐ ドナウの旅(Spin off 6)

2015年04月22日 | ドイツ/オーストリア

 生涯の多くをウィンナ・ワルツの作曲に捧げ、ワルツ王とも評されるヨハン・シュトラウス2世( 1825-1899)。
 その彼の名曲、「美しき青きドナウ」のメロディにのって、Danube River Cruises は始まる。 

 乗船したのはPRINZ・EUGEN号、定員600名。
 結構、偉丈夫?に見えるが川幅が広いこともあって、そんなに大きくも感じない。

 大河ドナウ、360キロにも及ぶ流れの中で最も美しいとされるヴァッハウ渓谷。

 前日までの雨が嘘のよう、小春日和というのだろうか、降り注ぐ初秋の陽光を浴びて川面が光る。

 という訳で、最上階のデッキに腰を下ろしたが、既に周りは観光客で一杯、出航時間になるとさらに増え満席状態に。

 * ペトロの独り言
 
下手な写真だが雰囲気は、それなりに、何となく、感じて貰えそうかな?
 美しき青きドナウを口ずさみ乍ら、ドナウ川クルーズをお楽しみ下されば嬉しい  (

    
  風を受けながら飲むビールは実に美味い!のだが、実のところ、どこをどう下っているのか分からない
  シュピッツ(左/中)辺りではないかと?思うのだが、それは別として、至るところに古城が望めるのだ!
  05年の秋に楽しんだ<ライン川クルーズとは聊か趣を違え、光る川面をゆったりと下ります

      
  優しい風を受け、船のエンジンの揺れが小気味よく、ビールも手伝って眠りに誘われます
  ヴァイセンキルヒェン(右)に着いたようですが、この辺り、降り続いた雨で少し濁って見えます
  建物の向こう、山肌に葡萄畑が広がっています

 滔々たる大河ドナウ、その流れに身を委ねゆったりと下るクルーズ、もう少し続けます。
 
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.962 

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バルコニーから ‐ ドナウの旅(Spin off 5)

2015年04月17日 | ドイツ/オーストリア

 オーストリア・バロックの至宝と形容されるのも頷ける華やかさのメルク修道院。
 その修道院の豪華絢爛振り、就中(なかんずく)付属教会と礼拝堂を溜息雑(まじ)じりに眺め、教会のバルコニーへと出た。

  その西のバルコニーから教会を振り返ると、壁面の中段にまたもや二大使徒、「聖ペトロ」(向かって左側)と「聖パウロ」が鎮座(下/左端)教会を守護する。

    
  バルコニー(中)からは左手に支流のメルク川が流れているのが分かります
  その右手奥、濃い緑が茂る中州を挟んで大河ドナウが、満々にゆっくりと流れているのが望めます
  コレデモカ!と、デコラティブな装飾に飽食?気味、豊かな大河の緑と遥かな丘陵(右)に心が和みます

 修道院と別れ、商店が並ぶ長い坂道を下り、ドナウ・クルーズの乗船場があるメルク川へと向った。
 町のはずれ、ドナウ川に合流する直前のメルク川に沿って歩いていると、崖の上に修道院が聳えているのが嫌にも目に入り、その偉容に改めて驚かされる。

 * ペトロの独り言
 
聊かしつっこいが、「ほんまに修道院かいな」と、あんぐり口を開けて眺めていたよう
 そしたら、道端のベンチで憩う中年ご夫婦の奥さんが、「撮って上げる」と言ってくれた 

 * カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 大聖年のイタリア巡礼の<アッシジ>でも体験したが、旅先で出会う小さな親切が嬉しい
 少し心細くもある個人旅行、そんな時は気持ちが豊かにも和やかにもなって、来てよかったと思う (

     
 商店では小さなお祭りが、町の人か観光客が判らないがカフェのテラスに寛ぎ楽しんでいます
  この遠足で貴重なふたりが揃った写真(中)となりました

 * 序にもう一度独り言
 
話は少し先に進むが、乗船時にクルーズのカメラマンに写真(上/右端)を撮られた
 勿論、無料(ただ)の筈がないと思っていたが、案の定、降りる際に、「記念に如何?」と可愛い女の子に勧められ、10€だったかな、取られた 

 乗船場に着くと、折よく Blue Danube ・美しき青きドナウ、クレムスまでの River Cruises が出航する時間だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.960

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続・メルク修道院 ‐ ドナウの旅(Spin off 4)

2015年04月15日 | ドイツ/オーストリア

 教会の守護聖人である二大使徒、「聖ペトロ」と「聖パウロ」の像が迎えてくれるメルク修道院。
 膨大な数の蔵書と手書き聖書などの稀覯本を有する付属図書館に続いての付属教会、オーストリア・バロックの至宝と称されるに相応しい傾(かぶ)き振り。

 * カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 教会に足を入れて直ぐ、期せずしてペトロ と顔を見合わせ苦い笑い
 同院のパンフレットに、宣教と観光も目的のひとつとあったが、それにしても少し目に余るような気も  ()  

    
  付属教会の主祭壇(左)、折から窓から差し込む陽光もあって、デコラティブな設えが際立ちます
  天井のフレスコ画(中)も半端じゃありません、主題は「聖ヴェネディクト、天への勝利の道のり」だとか
 
そして、主祭壇には、またまた「ペトロ(向かって左)とパウロ」(右)が、こちらは黄金色に輝いています

 ちなみに、オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘マリー・アントワネット。
 フランス王ルイ16世の許に、喜んでか泣く泣くかは知らないが、嫁ぐ道中、この修道院で一泊したとか。

    
 付属教会には幾つもの副祭壇がありましたが、その中のひとつコロマン祭壇(左)です
  また、バロック様式の円蓋も華やかな市民祭壇(中)も、教会の大オルガン(右)も金綺羅金
 あれもこれも、オーストリア・バロックの至宝と形容されるのも頷けます

 * 序にペトロも独り言
 
ほんまにここは修道院かいな?と違和感、というよりも聊かの反発心もないこともない
 それにしてもこの過激なまでの装い、 差し詰め利休の侘び寂びに対する太閤さんの黄金の茶室、はたまた奥州・平泉、藤原三代の栄華を今に偲ばす<金色堂>、そんな派手構えと言ったとこかな? (

 コレデモカ! と言わんばかりの修道院。
 で、修道院のパンフレットも雑(ま)じえ、その豪華絢爛振りを<Spin off 3>に続いて、これでもか!と御覧頂いたが、少しご迷惑だったかな?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.959

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メルク修道院 ‐ ドナウの旅(Spin off 3)

2015年04月08日 | ドイツ/オーストリア

 オーストリア・バロックの至宝メルク修道院。
 10世紀から13世紀中頃まで、オーストリア公国を支配したバーベンベルク家のレオポルド1世が、11世紀にヴェネディクト派の修道院を建てたという。

     
 ♪ 丘へ続く坂を登り切れば立派な門構えの建物、「えっ、これ修道院なの?」と、驚いたのが前回
  門(左)の脇に教会の守護聖人である二大使徒、「ペトロ(向かって右)とパウロ」の像が立っています
 正門を入ると200mほども続く長い廊下に囲まれた中庭(中)、その中央に噴水がありました
  東のファサード(右)、ここでも小さな台座から、「ペトロ(向かって左)とパウロ」が迎えてくれます

 * カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 ヴェネディクト派のモットーは、“ 祈れ、そして労働せよ ” じゃなかったっけ!
 寄付された貴族の婦人たちの宝石で飾られた古い「福音書」を見ると、寄進することで少しは心が癒されたのかなと、少し穿った思いに捉われた 

     
 皇帝の間へと続く皇帝の回廊(左)、皇帝とはカールⅣ世、修道院とは親密な関係にあったそうです
 
0万冊の蔵書や手書き本1900冊を収蔵する図書館(中)、天井のフレスコ画にも目を瞠らされます

 この後、教会付属教会の主祭壇や礼拝堂の副祭壇など、華やかな装飾芸術に圧倒されるふたり、そのこてこて振りは次の機会に!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.956

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メルクへ ‐ ドナウの旅(Spin off 2)

2015年03月27日 | ドイツ/オーストリア

 舌を噛みそうな長い名のニーダーエスターライヒ州、その州都でバロック建築の町とも言われるらしいザンクト・ペルテン、意外と大きな町である。

 ドナウ川流域で最も美しいとされるヴァッハウ渓谷、点在する町々ではワイン造りが盛んとか。
 かつて十字軍の遠征路だったことや、ワインの大消費地ウィーンが背後に控えていることもあって発展したと、旅の案内書にあった。

   

 話は前後するが、ドナウ川クルーズの終点の町クレムス、少し歩くと大きな教会に出会い驚かされます
  献灯をするカタリナ、何を祈るのでしょうか?

 乗り損ね?もまた楽しからずや、次なるリージョナル電車でメルクに向かった。

 * カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 今度はしっかりと時刻とホームを確かめ待ったよ、平日なのにホームで待つ人は若い人が多いの
 検札の車掌さんに、「メルクは何番目?」と訊ねると、彼、指を折りつつ「サード」と教えてくれた (

 抜けるような青空の下、長閑に広がる田園地帯を10分も走るとメルクに着いた。
 メルクは人口5000人ほどの小さな町、駅舎の前からは小さな谷越しに建物が聳えているのが見える。

    

  降りる人とて疎らなメルク駅のホームでカタリナさん、珍しくポーズを取ってくれました
  駅前から坂道を一旦下り、登り道に差し掛かると、丘の上に鮮やかな黄色の壁の修道院が見えます
 ♪ 坂を登り切れば立派な門構えの建物が迎えてくれ、「えっ、これ修道院なの?」と、驚かされます

 * 序にペトロも独り言
 
修道院といえば、ローマ郊外の<スピーアコ>に象徴されるような鄙なイメージを勝手に持っていた
 が、この修道院、その「でかっ!」さにたじろがされる思いも (

 10世紀から13世紀中頃まで、ハプスブルク家に代わられるまでオーストリア公国を支配したバーベンベルク家。
 そのバーベンベルク家のレオポルド1世が、11世紀にヴェネディクト派の修道院をここに建てたという。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.951

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なんだ?‐ ドナウの旅(Spin off)

2015年03月18日 | ドイツ/オーストリア

 お天気からそっぽを向かれたブタペストへの旅中旅行からウィーンに戻った翌日。
 久し振りに晴れた空をホテルの窓から眺め乍ら、「メルク修道院に行こうよ」と言いだした。

 オーストリアを流れるドナウは360キロにもなるという。
 その中で最も美しいと言われているのが、メルクからクレムスに至る全長36キロにおよぶヴァッハウ渓谷。

 ウィーン西駅からザルツブルグ行インタシティ―に乗った。
 この日は二等車、おばあさん一人のコンパートメントに、「OK?」と訊き座わる。
 分岐のザンクト・ペルテン駅までは40分ほど、発車して暫く女の子が「OK?」と断りながら入って来た。

 *カタリナの独り言〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 この若い女性、二の腕にタトーが彫ってある
 国民性の違いなのだろうか、それともこのこの娘さんの個人的な事情なのか分からないが、少し驚いた
 絶えることなく携帯電話で喋っているのは何処の国も同じ、少し可笑しくなった 

 検札の車掌さん、殆ど聞き取れないが、メルクへはペルテン駅でクレムス方面行に乗り換え、時間がないので早くしろよ、と教えてくれているようだ。

 予定通り1時5分にペルテン駅着、少し蓮っ葉に見える娘もこの駅で降りた。
 クレムス行は11時11分発2番ホームa、既にホームには電車が待ってい、5分ほどあるのでカメラを呑気に構えていた。

 撮り終えて乗車したものの11分を過ぎても発車しない??
 乗客の女性に訊ねると、「イエス ジス トレイン ゴー ツー ヴィエンナ」と言う。
 このおばさん、「久し振りの英語で緊張するわ私、ホホホ・・・」なんてカタリナに言ってたらしいがウィーン?一体どういうこと!

 カタリナがホームの青年に訊ねるには、メルクへは2番ホームのa、この電車は同じホームのbで25分発のウィーン行、なんとまあこんなことのよう。

 二つの電車は背中合わせに停まってい、発車時間になれば左右に別れる仕組みらしい・・・のだが、えっ、常識なの外つ国ではこんなホーム? 旅の案内書「地球の歩き方」には書いてないもん!

 次の電車は30分後、負け惜しみ半分、お陰様で舌を噛みそうな長い名の州、その州都でバロック建築の町とも言われるらしいザンクト・ペルテンをちょっぴりだけど楽しめた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.947

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ドイツ人の街、ミュンヘン

2013年04月08日 | ドイツ/オーストリア

 ベルリン、ハンブルグに次いでドイツ第三の規模を誇るミュンヘン。
 この辺り一帯、もともとは修道院の土地で、そこに後から街ができたらしく、市の紋章も修道僧をモチーフに描かれていると言う。
 ちなみに、修道院では中世からビールを醸造していたらしく、ビールの街としての実績は十分とみえる。

  ドイツ北部を代表する都市が自由ハンザ同盟の中核ハンブルクならば、ミュンヘンは南ドイツを代表するバイエルン公国800年を支えたヴィッテルスバッハ家の宮廷文化の中心地。 

  A_hamburg A_mnchen

 ♪ンブルク(左)とミュンヘン(右)の市役所、どちらも由緒ある建物なのだそうです
 
待降節には、庁舎前広場のクリスマス・マーケットが賑わいます

 旅の案内書に、“ オーストリアのザルツブルクからドナウの支流イザール川を渡って、大都市アウグスブルクへ塩を運ぶ通商交通の要衝にあったことから、莫大な通関収入を得て発展、その後、次第に都市としての機能が整いバイエルン王国の首都となった ” とあるミュンヘン。

 ケルンやアウグスブルク、フランクフルトなどのように、ローマ人が町の基礎を築いたのではなく、ゲルマン人自らが造り上げた、いわば “ ドイツ人の街 ” と言われている。

  B_mnchen2 B_salzburg C_nrnberg

  ミュンヘンの旧市街への入口カールス門(左)です
 
 塩の砦の意のザルツブルク(中)のシンボル、ホーエンザルツブルク城から眺めた旧市街
 
 クリスマス・マーケットで賑わうニュルンベルク(右)です 

 そのミュンヘンが誇る美術館がアルトとノイエとデア・モデルネ。
 ピナコテークが絵画の収蔵所という意だということは以前にも書いたが、デア・モデルネは欧州最大の規模を誇る近代アート、新しいという意のノイエは印象派から近代・現代絵画を中心に展示されている。

 時間が限られた旅行、ノイエも訪ねてみたかったが、その日片道2時間ほどを費やし、彼のヒトラーが愛したニュルンベルクへのエクスカーションを予定していたこともあって、中世宗教・ゴシックからルネッサンス、マニエリスムを経てバロックまでの絵画を展示するアルテ・ピナコテークを選んだ。

  C_alte_pinakothek C_alte_pinakothek2

  待望のアルテ(左)、開館時間の10時きっかりに正面の大きな重いドアを押しました
 
ロビーに続く大階段(右)、昇ると廊下に沿って展示室が並んでいます

 降誕祭を間近にあわただしいであろう平日の朝、のんびりと名画を鑑賞する人もまばら、貸切のような展示室をゆっくりと巡った。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.596

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ドイツの町

2013年04月06日 | ドイツ/オーストリア

 街の字には、都会的な雰囲気を漂わすイメージがある一方、村よりは少し大きいイメージの町、その町の字が似合う国がある。
 中公新書に、「ドイツ 町から町へ」(池内紀著/中央公論新社刊)という本があって、著者は前書きで、そのようなことを書いている。

 少し引用すると、“ ドイツの町には驚くほど個性がある。通りや建物、広場から民家の屋根や壁の色、窓のつくり、土地ごとにはっきりとした様式がある。(中略)歴史的な背景があってのことだ。現在もそうである。法律が自治権を保障している。国家に預けず商業主義に売り渡さない ” と書く。

 引用したこの一章が、この国のかたちを上手く表している。
 そのドイツ連邦共和国なる外(と)つ国、首都ベルリンでさえ350万人、ベルリンと並ぶ特別市のハンブルクが170万人、南部バイエルンの州都ミユンヘンで130万人に過ぎない。

 Book_2_2 Frankfurt_am_main Dresden

 ♪ フランクフルト・アム・マイン(中)とドレスデン(右)です
 ♪ どちらも、町の中心を流れる川があって、大阪・中ノ島公園に少し雰囲気が似ています

 ライン川畔のケルンが100万人に近いが、日系企業が多く進出するデュッセルドルフ、空の玄関フランクフルト、旧東ドイツの中核都市ドレスデンですら50万人を僅かに超す程度。

 著者は、“ リューベック、ブレーメン、フルダ・・・、何れも古い歴史をもつ町だ。わが国の尺度でいうと中都市あるいは小都市にあたる。別に好んで町の規模を競うなど愚かしい。人間的尺度に応じた大きさ、あるいは小ささがいいのである。それをこえると快適さを失うだけではなく、都市が人間を困惑させ時には威嚇してくる。そのことを人々はよく知っている ” と続けている。

 Aachen Kassel_2 Potsdam

 ♪ ゲルマン民族の最初の国の首都だったアーヘン(左)
 ♪ グリム兄弟ゆかりのカッセル(中)、そして、日本への降伏宣言を決めたポツダム
(右)
 ♪ 訪れた季節は違いますが、どの町も森に囲まれ川が流れる美しい町でした

 まわりくどくなったが、情熱の国スペインは<トレド>にエル・グレコを訪ね終えた 《ペトロとカタリナの旅》、さて、次なるはと思案、個性豊かな町とそこに暮す人々が、その地方の文化を守り育てているドイツへと思い至った次第。

 で、今回は、トレドの旅でグレコの傑作「聖衣剥奪」でちょっと顔を出したミュンヘンの<アルテ・ピナコテーク>へと出掛けることにした。例によって、待降節で賑わうニュルンベルクなど、個性ある町へ道草をしながら。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.595

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秋の遠足(終)‐コブレンツ

2010年09月15日 | ドイツ/オーストリア

 古都コブレンツに着いた。                                                                                    

Photo_2  コブレンツは、モーゼル川とライン川の合流点に位置し、河川交通の要衝とある。
 モーゼル川がライン川に注ぎ込む辺り、《ドイチェス・エック、ドイツの角》 と呼ばれている。(写真上・コブレンツ市HPから)

 デュッセルドルフへ戻るには少し時間があり、少し街を歩くことにしたのだが、この街の案内書はおろか地図もなく、カタリナがうろ覚えの、「玉葱坊主のドーム? がある教会」だけが頼り。

 そのリープ・フラウエン教会、ロマネスク様式の建物とバロック様式の屋根を持つローマ・カトリックの教会だそうで、教会の名前も含め帰国後に知る有様。

2_21_2  駅から左手、線路に沿った商店街を10分ほど歩いただろうか広場に出た。(写真中左)
 広場の北の方向にかなり繁華な通りがあり、夕暮れのひと時を多くの人が楽しんでいる。

 その繁華街のはずれに双頭の尖塔が見え、木の葉が舞い散る小さな広場の前に、その教会はあったが、残念ながら閉まっていた。(写真中右)

 教会から直ぐ、ライン川畔に出る。
 ここが 《ドイチェス・エック》、大阪・中之島の剣先公園のようだと言えば乱暴か?

 ところで、随分とお日様の下にいたせいもあって、疲れてしまった。
Photo  歩くのも億劫に、「よたよた」と駅に向っていると、繁華街の右手の大通り、バスが頻繁に往来している。「あれ、バスターミナルじゃない?」と嬉しい発見。 

 待つほどのこともなく来たバスのシートに腰を下ろしたが、往路あれほど歩いた道も「あっ」という間だった。

 中央駅の時計は18時を廻っているが、ドイツ中部の秋は随分と日が長いようだ。(写真下)

 ドルトムント行きのICEに乗車、小1時間ほどで黄昏迫る 《デュッセルドルフ駅》 に着いた。

 ペトロ とカタリナ にとって、ゆっくりと時間が流れた 《秋の一日》 だった。
 が、皆さんには随分と長い日記になってしまったかも、ご容赦を。

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