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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

五百回の晩飯 ‐ 2月がゆく

2015年02月27日 | 季節/暦

 独りの食事、何時まで経っても慣れない。
 それでなくとも味気ない食事、むっつり食べていると弥(いや)増して気が滅入る。

 話は遡るが、間を置かずの腸管癒着やイレウス・腸閉塞で苦しんだ前後のこと、<花 ‐ 3月がゆく>などでうだうだと繰り言を綴ったら、食べ急ぐ癖を矯めるため、“ 一人だとどうしても早く済ませがちですがゆっくり、ゆっくりね ” とか、“ 写真を前に声に出して話しかけながら食事をされては? 意外と間がとれます、試してみて ” とか、嬉しくも<コメント>を頂いたことがあった。

   

 二十四節気のひとつ雪が雨に変わる頃という “ 雨水 ” (2/19)も過ぎ、“ 上巳の節供、お雛祭り ” (3/3)を祝うと、暖かさに誘われて虫も這い出してくる “ 啓蟄 ” (3/6)、三寒四温、春の足音が近づいてくる。

 まだ油断はならないが、今冬はイレウスもどきで大騒ぎすることなく遣り過ごせそうだ。
 代わりにと言っちゃ何だが年初の検査で、腫瘍マーカに芳しくない数値が、加えて、腸カメラで部位を鮮明にするため腸壁を青く染められ、ちなみに染められたのは初体験。てしまった。
 花の頃に再検査、よく言ったもの “ <石の上にも五年?>、謙遜も感謝も畏敬も足らんのや ” と思う。

 風狂の作家?山田風太郎(1922-2001)が、94年から朝日新聞に連載したコラム、「あと千回の晩飯」。
 古希を迎え糖尿病とパーキンソン病を得た著者、伝えんとするものは題からも窺い知れる。

   

 その題を借りれば、病を得て千回、彼女が逝って五百回ほどの晩飯を重ねた。
 あと五百回ほどもあるのかないのか? しておきたいと思うことも、しておかなければいけないこともあるが、多分、明日も明後日も晩飯に有りつけるだろう・・・と、楽観なのか臆病なのか判らないが、「明日でいいや」とアシタニ虫>と折り合いを付け、先送りにしているうちに如月・二月の暦を捲るような・・・。

  霞立つ 春日の里の 梅の花 山のあらしに 散りこすなゆめ (大伴村上/万葉集巻八-1437)

 抜けるような青空が広がった日(2/21)、大谷美術館、夙川堤で大威張りに咲き競う花を撮った。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.939

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クレメンティヌム ‐ ドナウの旅(7)

2015年02月25日 | チェコ/ハンガリー

 旧市街地広場の東に旧市役所があって、そこに天文時計がある。
 時計塔の上階からは、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックなどの様式建築を数多く遺し、中世の面影を色濃く残す街プラハが望めた、というところまでが前回。

 *カタリナの独り言〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 旧市庁舎の二階に小さな礼拝堂があった
 直前のミクラーシュ教会、主祭壇がデコラティブで呆れたが、ここは素朴な雰囲気で心癒される (

   

  建物内部に入ると、時計の仕掛けを見ることができます 中央の後ろ向きが聖ペトロ(左)です
 ♪ 時計塔のなかの礼拝堂(中)です
  細く曲がりくねった古い通りの端にカレル橋(右)が架っています

 その橋の袂に大きな建物が並ぶ一角がある。
 その
クレメンティヌム、<ヤン・フス>が火刑された後に信奉者がフス派を名乗って立ち上がり、ローマと激しく対峙。
 フス派に恐れをなした時のフェルデイナント1世が、対抗勢力としてカトリックのイエズス会を招聘、16世紀半ばに創建したのが始まりとか。
 ハプスブルク家の手厚い庇護のもと、広大な敷地に三つの教会、礼拝堂、図書館、天文台などが次々と建設されたという。

   

  左端の写真、少し分かりにくいですが、橋塔の左の青いドームがクレメンティヌムです
  サルヴァートル教会(中)など三つの教会、礼拝堂、図書館、天文台など(右)があったそうです
 神学校など高等教育を担っていた修道院は18世紀に廃止され、今は国立図書館などになっています

 その建物群を右手にカレル通りを東に少し、小さな広場あって黒い塔がぬっと立っていた、カレル橋である
 
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.938

 前号、ドナウの旅(6)へは、<コチラ>から入れます。

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面倒な奴?

2015年02月23日 | 日記

 独りの暮らしになってから風呂を沸かすことは殆どなかった。
 シャワーで何の不都合ありやと思っていたのだが、肩凝りが酷くなり、ふらつきやめまいまでも。

 冬場になって体を動かすことが減った所為もあるが、ラジオ体操だけでは追っつかなくて、整形外科の先生の「効果があるのはお風呂」を思い出した。

 で、後始末が面倒やなあと思い乍らも、週に三回ほどは沸かすように。
 確かに、入浴をした夜は眠りも深いし夜中のトイレも減り、肩凝りからも解放されるようで効果は高い。

 余談だが、昔、快気祝いに日本の名湯だったか、草津とか白浜とかの温泉の素みたくな入浴剤を頂いたことがあった。
 もともと彼女、この手の物を買うことはなかったが、折角だからと気が向けば使っていた。

 今回、どうせ風呂を沸かすなら、序に肩凝りなどにも効果があるらしき入浴剤とやらを・・・と、思いついた。
 が、温泉も然りだが湯船を出た後、シャワーで洗い流した方が、それともそのままの方がいいのか? 将(はた)と考え込んでしまった。

 大の気持ち悪がり屋の彼女ならずとも、有馬でも城崎でも湯浴み後にシャワーを使いすっきりと流す。
 有馬の赤い湯は色素が残っているようでなおさらだ。

 件の入浴剤の仕様書みたくなものには、効能と使い方などはあっても洗い流せとはない。
 HPを見ると、温泉など外湯では、“ 効能が薄れるので流さない派 ” と “ 衛生上から流す派 ” に半ばするようだ。

 が、入浴剤を使った場合には・・・、そんなこんなで、買ったものの面倒になり洗面所の棚に置いたままなんやけど、さて、どうしたもンやろか? 「面倒くさい奴ゃなあ、好きにしたら!」、だよねえ。

 春先に咲く、和種の「サクラソウ」と洋種の「サイネリア」の園芸種「セネッテイアイズ」。
 サクラソウ科とキク科らしいんだけど、雰囲気がちょっと似てるような気がしないでもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.937

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天文時計 ‐ ドナウの旅(6)

2015年02月20日 | チェコ/ハンガリー

 旧市街地広場の東、聖ミクラーシュ教会がある。
 その教会の南続きに旧市役所があって、そこに、観光客に人気の高い天文時計がある。

 15世紀に造られたというこの時計、旧市役所の中二階辺り、拍子抜けするほど低いところにあって、手を伸ばせば届きそう。今も毎正時になると仕掛けが動き出す。
 
尤も、案内本を走り読みする程度では、その見方が理解(わか)ろう筈もないが・・・。

   

 ♪ 時代を感じさる様式とピンク色の壁が同居するユニークな旧市役所です
 
縦にふたつ並んだ円、上がプラネタリュウム、天動説にもとづいた天体の動きと時間を表しているとか
  地球を中心に回る太陽と月と他の天体、年月日と時間を示し乍ら1年かけて一周するんだって
  下がカレンダリュウム、黄道十二宮の獣と四季の農事が描かれた暦で、1日ひとメモリ動くんだって
  左下隅(右)にプラカードが写っているが、これが何本もあって、うんざりさせられてしまった

 * カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのモ書きから〕
 骸骨が綱を引いて小さな金を鳴らし、そして左手の砂時計を逆さにすると、上部にあるふたつの窓が開いて、鍵を持った聖ペトロなど十二使徒が次々と登場、最後に、一番上の鶏が一声鳴いて仕掛けは終わる
 わずか20秒ほどのことだったけれど、結構、面白い
 それに、プラカードに短気なペトロがかんかん、そのやり取りが可笑しくって・・・ (

 * 序にペトロも独り言
 写真を撮りたいのだが、おっちゃんが大勢、派手な広告のプラカードを掲げて時計の前に立っていて目障り
 大阪弁で、
どいてんか!」って叫ぶンだけど、言葉は通じないし、彼たちは商売だから動く気なんて少しもなく、だんだん腹がたってきて・・・  (

   

  上円(左)の両脇の人形、何れも左から、“ 貪欲、虚栄心、死神、異教徒の侵略 ” の四つの恐れを示し
 ♪ 下円(中)の両脇の人形は、“ 歴史記録者、天使、天文学者、哲学者 ” なんだって
 
天国への鍵を持った聖ペトロも窓(右側)から顔を覗かせ、その上には鶏がいます

 これまた拍子抜けする思いがするあっけなさ。
 しかしである、なかなか楽しいからくりが仕掛けてあって、童心に帰らせてくれる。

 この後、時計塔に登ったが、最上階から旧市街広場が俯瞰できる。

  カタリナの独り言 モ書きから〕
 ここから眺めるとやたら塔が目につき、百塔の町と呼ばれるのがよく分かる、そして、なんとこの町に似合っているのと、感心してしまう
 ティーン聖母教会が魔法使いのお城のように見えた (

    

  西を望めば、真ん前にティーン聖母教会の双塔が、赤いレンガ屋根の家並みの中に際立っています
  東を眺めれば、西岸の街の向こう、ヴルタヴァ川を挟んで小高い丘の上にプラハ城が望めます

 フラッチャニ地区の小高い丘にあるプラハ城と聖ヴィート大聖堂。
 そのフラッチャニからマラーストラナの丘の麓、ヴルタヴァ川が流れプラハ最古の石橋、カレル橋も望めた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.936 

 前号、ドナウの旅(5)へは、<コチラ>から入れます。

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続・酒呑みの自己弁護

2015年02月18日 | 日記

 先日、<酒呑みの自己弁護>をアップした。
 繰り返せば、酔狂、“ 小酒呑みのうえ実に減り張りのない意地汚い酒呑み ” なのだと。

 身体を愛おしむこともなく酒を喰らい、てき面リバウンドに苦しむことも承知のうえの過食振り。
 そんな不真面目な暮し様を投稿しても、「阿呆らしいて、読んでられるか!」と、身内を除いて匙を投げられているンやないかと思う。

 投げられ序に、と言えば「開き直りかいな?」と呆れられるだろうけど、どういう風の吹き回しか食事時の酒を遠ざけてみるかと思い立った。食事時と限ってのところが聊かいじましいが。

 何時ものこと乍ら話は脱線、“ 風の吹き回し ” ってどんな風なんや?と、相も変わらずの呆けたことを。
 辞書には、“ その時々の模様次第で一定しないこと ” とあり、それに名詞だけを修飾するという連体詞の “ どういう ” がくっ付けば、“ 普段は余り見られない事が思いがけなく起こった様 ” (大辞泉)を指すと続く。

 さらに序に、笑える国語辞典なるものに、“ 自分にとって都合のよいことが起きた時、何故そうなったのか理由はよく分からないが、『ラッキー!』みたくなノリで用いる ” のが風の吹き回しとあって笑わせる。

 話を戻して、今になって気付くとはお粗末だが、ぶつくさと独り言ち乍ら呑む酒が美味かろう筈もないこと。
 加えて近頃は、ほんの少しの量で酩(迷)酊することも、食事に酒を添えると過食になることも、それを思いつかせた理由。

 おまけに、酒のTVCM、婀娜(あだ)な和服の女が、“ 今夜、呑(どん)してくれますこと ” なんて、今迄にも残り少ない人生にもあろう筈もないものを視せられ、口元だらしなくした挙句、ふと我に返り、「絶対に買うかいな!」と八つ当たりするのも、いとも哀れっぽく・・・。

 そのうち、風は風でも “ 花信風 ” (かしんふう)と呼ぶらしいが、桜の開花を知らせる風が吹きはじめれば、<元の木阿弥>だろうけど、と早くも自己弁護。

 姿が「藤」に似ているので「小町藤」の別名がある「ハーデンベルギア」、拡大すると豌豆の花みたくな薄紫の可愛い顔を覗かせてくれます。
 もうひとつは「ハナキリン」、可愛い顔に似合わず葉の基部に鋭い刺があるという、くわばらくわばら。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.935

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ドイツの良心

2015年02月16日 | 本/図書館/言葉

 91年の初冬のことだから、24年も前になる、日本生産性本部の主催する欧州研修に参加したのは。
 ロンドンに始まりフランクフルト、ベルリン、ローマ、そして、パリと廻り、労組や自治体の幹部、バンカー、ジャーナリストなどとの対話会に参加、見るもの聞くもの初めての貴重な体験をした。

 出発目前に主催者から届いたのが、岩波ブックレット「荒れ野の40年」(岩波書店刊)。

 冊子は、ドイツ連邦共和国大統領だったリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーが、85年5月8日の「ドイツ敗戦40年」を記念するドイツ連邦議会で行った演説を筆耕したもの。

 その演説の一節、“ 過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる ” は、全世界に感銘と共感を与えたことで知られている。

 朝日(2/1)の記事を借りれば、その演説で彼は、“ 先人はドイツ人に容易ならざる遺産を残した。我々は若かろうが年をとっていようが、みな過去を受け入れなければならない ” と語り、“ ナチス・ドイツへの関与の有無にかかわらず、国民一人ひとりが当時の非人間的行為に目を向けなければ過ちが繰り返される ” とのメッセージだったと続ける。

 そのドイツの良心ともいえるヴァイツゼッカー元大統領が1月31日に逝去、ベルリン大聖堂(写真下)で国葬が行われたという。

 恰も今、シリアとイラクでイスラム原理主義を標榜するテロ集団が世界平和を脅かしている。
 公平に扱われていない、あるいは、明日に希望を持てない、と勝手にも思い込んでいるらしき若者が無分別に共感、武力でもってのみ変革が可能だと、市井に平穏に暮らす罪なき人々を傷つける。

 ヴァイツゼッカー氏の、“ 若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにして頂きたい。敵対するのではなく互いに手を取り合って生きていくことを学んでほしい。民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい ” の呼びかけが30年を経た今も色褪せていないことが悲しい。

 翻って、日本政府は今、戦後レジームからの脱却と声高に叫び、憲法改定と邦人救出に名を借りた自衛隊の海外派兵を目論む。

 昨今の安全保障の枠組みの中で、その考えを頭から否定するものではないが、その前提として我々が為してきたことを正しく理解し、潔く反省する謙虚さがなければならないと思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.934

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酒呑みの自己弁護

2015年02月13日 | 日記

 百薬の長とも、万病のもととも言う酒。
 呑兵衛さん、“ 酒なくてなんの己が桜かな “ と、都合のいいことを言って呑むようだ。

 斯くいう酔狂、“ 大酒呑み ” が辞書にあるのだから “ 小酒呑み ” もあって然るべきと馬鹿なことを考える。
 実を言えば酔狂、その小酒呑みで、かつまた、実に減り張りのない意地汚い酒呑みなのである。

 馬鹿序に、意地綺麗な酒呑みとは?
 つらつら思うに、まず無用には呑まず、呑む時には悠揚迫らず泰然、微笑み乍ら黙して語らず、さらに加えて注がれても注がず、のようなタイプなんだろうなア・・・と。

 それって、酔狂の逆様を並べただけだって?
 まあまあ抑えて、素面(しらふ)で阿呆なことを書いているが、ことの序に、「飲む」より「呑む」の方がしっくりくるような。

 酒となれば、度々ご登場して貰った万葉人の大伴旅人さん。
 余程お好きと見えてお酒を讃むる歌を13首も詠んでいることは以前、<万葉秀歌>で書いた。

 で、今回は、聊か身につまされるこの歌。

  黙居(もだを)りて 賢(さか)しらするは 酒飲みて
   
(ゑ)ひ泣きするに なほ及(し)かずけり(3-350)

 旅人さん、“ 黙りこくって分別臭く恰好をつけているよりも、お酒を飲んで酔い泣きをする方がずっといいじゃないか ” と言う。

 齢六十を過ぎ、太宰帥となって赴任することになった旅人さん、藤原氏が勢力を伸ばすにつれ名家である大伴家は段々と没落していく。
 そんな中、天離(あまさか)る鄙(ひな)へ赴く身を嘆く。

 不幸は重なるもので、赴って暫く、愛する妻を失って大きな悲しみを受ける。
 没落せんとする家、老いる身、愛妻を失った悲しみ・・・、鄙びた地でどうしようもない遣り切れなさが、彼をしてこんな酒の歌を詠ましめさせたのかも。

 歌に戻って、旅人さんの詠む  “ 酔(ゑ)ひ泣き ” 、泣き上戸じゃなく多感という意だと識者は読む。

 が、酔狂、聊かくさいが、酔うほどに悲しさ辛さを思い出し、しみじみ涙するのもいいじゃないかと酒呑みの自己弁護。
 誰に話すかうだうだと、今宵も僅かな酒に酔うのであります。

 ところで明日(2/14)は、セント・バレンタインデーとか。
 3世紀のローマ、皇帝の迫害により殉教したと伝えられる聖ウァレンティヌスを祝ったのが起源らしい。

 それが日本に渡って、女性から男性に愛を告白してもいいよ、という変梃りんな日になったらしいのだが、その当時ならいざ知らず、この女性強きご時世に、それ、ちょっと可笑しくない?

 土曜の今年、女性は義理チョコから幾分解放されるようだが、付き合わされるお父さんもホッと一息だろう。
 で、今日は愛を込めて花を! 貴女にはどの「薔薇」もきっと似合う・・・、えっ、酔狂がそんなことしてもちっとも似合ないって? そうなんだよねえ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.933

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カレーライス ‐ 想い出のカタリナ

2015年02月11日 | 想い出のカタリナ

 嗜好が子供のままなのだろうか?
 カレーライスかライスカレーは別にして、それを無性に食べなくなる時がある、それも玉葱たっぷり、じゃが芋や人参がゴロゴロした素朴なのが。

 便利な時代になった。
 カレーライスに限らずおおよその物がレトルトやら冷凍やらにあって、電子レンジや湯せんをすれば、5分や10分で口にすることができる。

 さらに驚いたことに、フリーズドライなるものまであって、湯を入れてかき回すだけで豚汁や丼の具ができる。
 包丁や俎板がない家庭が増えた、と報じられ驚いたのは何時頃のことだったろうか?

 和食や洋食などを安価で販売するファストフードの店が終日営業をしている時代。
 コンビニでも、簡単で、しかも一人用の小体な商品が棚に並んでい、親元を離れた若者が自炊することなんかなくなった。

 一日の動きを補うエネルギーがさして要らない酔狂には無用のことだが、そんな食事ばかりで必要とされる栄養が賄われているのか聊か心配だが。

 人間には五つの欲、“ 色(しき)、声(しょう)、香(こう)、味、触(そく)の五境に対して起こす欲望がある ” といい、また、” 財欲、色欲、飲食(おんじき)欲、名欲、睡眠欲がある ”(大辞泉)とされる。
 馬齢を重ねた身には、その「味」であれ「飲食」であれ、欲というよりも義務に近いのかも知れない。

 カタリナ が元気な頃、毎日の食事の用意、彼女自身も困ったのだろう、「何かリクエストある?」と、度々訊かれたものだ。
 何でもいいと応えると、「それが、一番困るんだよね」と呟いていたっけ。
 晩酌の肴が欲しい酔狂を、「面倒な奴だなあ」と思っていた筈、その気持ち今になればよく理解(わか)る。

 その食生活、昔に比べれば随分と便利になったと思うけれど、せめて稽古の日の晩御飯ぐらいは包丁や鍋から解放、「大丈夫だよ、今日は僕が」と、送り出してやればよかったと思う。

 てなことで今晩は、好きな食べ物は?と尋ねられた子供の多くが答えるらしいカレー、それもジャガ芋人参ゴロゴロのやつでも拵えてみますか、サンデー毎日の僕(やつがれ)にもくれる祝日でもあることだし。
 お愛想にでも、「美味しいよ!」って、言ってくれる人がいないのは詰まんないけれど・・・。

 本日は、バタ臭くも熱帯アメリカ産のこってり系、「グズマニア」(上)と「カラテア・クロカータ」(下)をお召し上がりあれ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.932

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石の上に何年?

2015年02月09日 | 日記

 その昔、“ 矛(ほこ)盾(たて)なんとか ” と、いうお遊びTV番組があった。

 お笑いコンビが司会するこの番組、どんな物にも穴を穿てるドリル vs 何事にも耐えうる鋼鉄、どんな物でも粉砕するミキサー vs 日本一硬い鰹節など、製作者が大真面目、自信満々に対決する姿を番組は笑いのめしていた。

 話はコロッと変わって数字。
 数字はそれぞれ本来の意味を持っているが、ここでは慣用語として使われる数字のこと。
 例えば「三」、度々耳目にするのが、「三度目の正直」「佛の顔も三度まで」「三日坊主」「三日天下」など。
 並べてみると、余り好い喩えに使われてないような気がしないでもない。

 大層にこんなもんを持ち出したのは他でもない、術後、満三年を経た。
 一月下旬、半年毎になって初めての定期検査、内視鏡に始まり腫瘍マーカ、胸部CT、血管造影剤を使っての腹部CTと続いた。

 余談だが、一番嫌いなのが内視鏡検査、いわゆる腸カメラってやつ。
 カメラ自体には抵抗感はないのだが、2時間ほどで飲まなければならない2リットルの下剤が頭痛の種、ほとほと嫌になる。
 中には、苦にならない人もいるようだけれど、相当に胃がでかいのだろう、なと思う。

 話は頭に戻って、検査が近くなるにつれ、その、矛 vs 盾みたくな心理状態になる。
 以前にも書いたが酔狂、そんなに永らえさせて貰わなくともと思っている、不遜な奴だとお叱りを受けるだろうけれど。
 にも拘らず、再発も転移もしませんようにと祈り乍らに検査を受ける滑稽さ、大袈裟やがその考え矛盾してるやろ・・・と、聊か情けなくもある

 えっ、お前さんの気持ちは判ったが、結果はどうだったって?
 この病、石の上にも三年ならぬ五年らしいが、謙遜も感謝も畏敬も足らんのやろなあ、イエローカードを貰った。
 で、一月ほど待って再検査だって。

 撮った日が違う「金盞花」(きんせんか)、少しづつ開いてきたがもうちょっと時間が要るよう。
 花の本の丸齧りだけれど、洋名「カレンデュラ」とも呼ぶらしいこの花、「カレンダー」もそうらしいけどラテン語の「calendae」が語源で、意は “ 毎月の第一日 ”、つまり、どの月の初めにも同じように咲いている、ほどに花期が長いんだって。
 えっ、なんぼ長いたって、この記事ほど長くねえや!だって? ですよねえ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.931

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旧市街広場 ‐ ドナウの旅(5)

2015年02月06日 | チェコ/ハンガリー

 百塔の街プラハを東西に分け、南から北に流れるヴルタヴァ川。
 
そのヴルタヴァ川が東にほぼ直角に曲がる辺りの右岸に、この街一番の観光名所、旧市街広場がある。

 多くの観光客が憩う広場の一角に、聖ヴィート大聖堂と並んでこの街で最も需要な教会とされるティーン聖母教会がある。

   

  旧市街広場、中央に花壇に囲まれたモニュメントがあって、その真ん中に像があります
  それはローマの腐敗を徹底批判、法王から破門され、後に火刑になったチェコ人の誇りヤン・フス
  フスの像の近く、ふたつの塔が目を惹くゴシック様式の教会、ティーン聖母教会です
 
入り口が路地の奥にあって、少し探しました

  カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのモ書きから〕
 教会そのものが他の建物に挟まれ広場からは隠れている
 少し離れてみると特徴のある双塔が見えるが、近づくと判らなくなる
 入口が土産物屋などに挟まれ暗く細い路地の奥、どうなっているの?と首を傾げてしまう (

 ティーン聖母教会との対角に姿容ちがよく似た教会がある。
 ボヘミア・バロックを代表する白壁の教会、ミクラーシュ教会である。

    

  ミクラーシュ教会(左)、写真の右端にヤン・フスさんがちょっぴり写っています
  
夜になるとこの教会でコンサートが行われるのだそうですが、主祭壇の前に椅子が並べられています
  ミクラーシュとはロシア語読みでニコライのことだそう
  日本では住吉さんか金毘羅さん?
 海運の守護聖人で、サンタクロースの起源ともされるようです
  上段中央のティーン教会と比べてみてみて下さい、その姿、似てると思いませんか?

  カタリナの独り言 モ書きから〕
 夜6時からオルガン・コンサートがあるのでペトロ を誘ったが、「ウィーンを出たのが早かったので眠い、ビール飲んで寝る」とつれない返事
 
雨が降っているし、夜間のタクシーは危ないと聞いているので地下鉄しかない
 
行きはよいとしても一人で帰るのには遅すぎるか う~ん、少し悔しい 

 ところで、このミクラーシュ教会も双つの塔を持っていて、近くのティーン教会と紛らわしいうえに、このミクラーシュ教会そのものがふたつあって旅行者を余計ややこしくさせる。
 ちなみにもうひとつはヴルタヴァ川左岸、フラッチャニ地区のプラハ城の南、城壁が遺るマラー・ストラナ小地区にあるのだが、その教会のことは後日。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.930  

 前号、ドナウの旅(4)へは、<コチラ>から入れます。

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