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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

やっと、出会えました。

2017年12月13日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ ‐ フランクフルト/シュテーデル美術研究所編(7) 中欧美術館絵画名作選(120)

 ビジネスや研修を除けば、フランクフルトに宿泊される方は少ないと思う。
 斯くいう二人も二回だけで、シュテーデル美術研究所、行きたいと思いながらも足が届かなかった。

 その美術館の三階中央階段奥、展示室の入口で珍しく先に行ったカタリナ が手招く。
 確か円形の展示室だったと思う、その中央に、レンブラント(1606-1669)とともにオランダ絵画黄金期を築いたヨハネス・フェルメール(1632-1675)の 「地理学者」(1669年頃/53×46.6cm)が架っていた。

 本作の対画、または、連作とされる 「<天文学者>」(1668年頃/50×45cm)とはルーブル美術館で何度か対面、何時か本作にも、と思っていた。

 ふたつの作品には、彼には珍しく男性がひとりで、同じような書斎らしき場所で、同じような服を着て、つまり、同一人物であることを窺わせながら、ほぼ同じサイズの画布に描かれている。

 そして作品の中で大きな位置を占める地球儀が対のものらしいこと。
 また、書棚などの配置、机に掛かる布、壁に架る額など、構成も同じであるなど共通点が多い。

 それらのことから、この 「天文学者」と 「地理学者」は、同じ場所に並べて架ける作品として、制作当時から画家の意図があったとされている。

 本作は 「天文学者」に比べて窓から射し込む光が明るく、人物自身やコンパス、机上や床にある図面から木製の箱や椅子にまで陽が当たり、空間的な処理がより伸びやかに広がる構成になっていることが見て取れる。

 ※ カタリナの独り言
 フェルメールの 「地理学者」、やっと出合えた
 この旅では彼の 「絵画芸術」(ウィーン美術史美術館蔵)と 「真珠の首飾り」(ゲマルデ・ギャラリー蔵)を見ることができなかったものの、この作品や 「<取り持ち女>」と 「<窓辺で手紙を読む女>」(何れもドレスデン美術館蔵)、そして 「<紳士とワインを飲む女>」(ゲマルデ・ギャラリー蔵)に出会うことが叶った (

 初恋の人に出会えたような暖かな気持ちで、窓外の寒風吹きすさぶ町のことをしばし忘れた。

 大層にも “ 中欧美術館絵画名作選 ” と名付けた小編、120回という区切りの数字を迎えました。
 彼女が 「全作品を見るの」と意気込んだフェルメール、その彼の作品でひとまず終えたいと思う。
 また明日、どこかの美術館で、あなたと会えることを楽しみに、深謝。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1457

 ※小編は、2010-04 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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ミサの最中に授乳する聖母?

2017年12月11日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ ‐ フランクフルト/シュテーデル美術研究所編(6) 中欧美術館絵画名作選(119)

 初期ネーデルランド絵画期に、神の手をもつ男と称えられたほど卓越した技量を持ったヤン・ファン・エイク(1390-1441)。
 彼の作品はこれまでにも、傑作 「<アルノルフィーニ夫婦>」(1434年/ナショナル・ギャラリー蔵)や 「<教会の聖母子>」(1438-40年頃)を上げた。

 その彼の 「ルッカの聖母」(1436年/65.5×149.5cm)が今回の作品。

 本作は、19世紀始めの頃、ルッカ公のカルロ2世が所有していたため、そのように呼ばれているようだ。
 ちなみに、聖母マリアのモデルは、エイクの妻マルフリートだとされているようだが定かではない。

 余談だが、“ オペラ・蝶々夫人 ” の作曲家プッチーニが生まれた町でもあるルッカ、フィレンツェから<ピサ>へ遠足した折に、ルッカ行の電車に乗ったことがある。

 前書きが長くなったが、四体の獅子の飾りがある玉座に座った聖母マリア、その左手には聖職者が手を清めるための聖水の入ったボウルが描かれていることなどから、ミサ聖祭の場面を描いているというのだが?

 それにしては玉座に比して祭壇が狭く、ここが小さな礼拝堂であることを示唆しているとの説に同調できても、ミサの最中に乳を含ませるという構図は斬新?過ぎておいそれと理解が出来ないのだが、さて。

 そんなことで、まだまだ取り上げたい作品もあるが、次回でもってシュテーデル美術館編を終えることとする。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1455

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悪女と聖女はコインの裏表?

2017年12月06日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ ‐ フランクフルト/シュテーデル美術研究所編(5) 中欧美術館絵画名作選(118)

 16世紀初頭というから盛期ルネサンス、ヴェネツィア派の画家<ジョルジョーネ>(1477-1510)の頃に活躍したらしく、その出身地からバルトロメオ・ヴェネト(生没年不明)と呼ばれたらしい。

 その馴染み薄いヴェネツィア派の画家が 「理想の女性像」とも称される 「フローラ」(1520年/43.6×34.6cm)を描いた。

 本作のテーマが、花と春と豊穣を司る女神フローラだというのは、月桂樹の草冠を被り花を手にしていることから想像できる。

 フローラといえば、同時代の巨匠ティツィアーノ(1488-1576)の 「<フローラ>」(1515年頃/ウフィツィ美術館蔵)のように官能的な容姿が思い浮かぶが、本作はどちらかと言えば、痩せぎすの中性的なイメージを与えている。

 モデルはどうも、ボルジア家出身のフェラーラ公妃ルクレツィア・ボルジア(1480-1519)らしい。
 後に、ローマ教皇アレクサンデル6世となるロドリーゴ・ボルジアが愛人に産ませた娘で、腐敗と不品行に堕ちた一族の中で、政略結婚に弄ばれ、殺めた相手は数知れず、希代の悪女ともされたとか。

 本作に戻って、そのフローラが手にしているのが、“ 真実と希望 ” を意味する 「アネモネ」、“ 貞節と誠実 ” の 「マーガレット」、そして “ 中傷・嫉妬 ” の 「金鳳花」と思惑ありげ。

 彼女がモデルだとすれば、聊かこじつけっぽいが、画家がフローラにこの花を持たせた趣向が解らなくもなく、詰まるところ、悪女と聖女はコインの裏表、男次第でどちらでも、とは、ちと穿ち過ぎ?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1450

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実(げ)に女性は、怖い!

2017年12月04日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ ‐ フランクフルト/シュテーデル美術研究所編(4) 中欧美術館絵画名作選(117)

 新緑の頃だった、ゲマルデ・ギャラリー編でレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)の 「<デリラに裏切られたサムソン>」(1629-30年/61.3×50.1cm)を上げたのは。

 その続編として描いた 「ペリシテ人に目を潰されるサムソン」(1636年/205×272cm)が今回の作品。

 ちなみに彼、“ サムソンとデリラの物語 ” (旧約聖書/土師記)を主題に 「<舅を脅すサムソン>」(1635年/ゲマルデ・ギャラリー蔵)や 「<サムソンの結婚>」(1638年/ドレスデン国立美術館蔵)などを描いている。

 物語は、ペリシテ人に奪われたイスラエルを救った無双の勇士サムソンが、ペリシテ人の娼婦デリラと恋仲となり、怪力の源が頭髪であることを教えてしまったことから始まる。

 愛しいデリラと重ねる盃が楽しからぬ筈もなく、酔いつぶれてしまったサムソン、切った髪を手に逃げるデリラ、その彼に襲い掛かるペリシテ人兵士、迫真の場面を描いている。

 レンブラントは、その残忍な場面から逃れようとしながらも、サムソンに心を残すデリラを描いたとされている。

 気になるのがその後のサムソン、両眼を抉(えぐ)られガザ、現在のパレスチナ自治区の一部でイスラエル国内にある飛び地のこと。の牢で粉をひかされる様になった彼、残酷にも見世物にされてしまう。

 しかし、サムソンは神エホバに祈って力を取り戻し、柱を倒して建物を倒壊させ、多くのペリシテ人を道連れにして死んだとある。

 実に恐ろしきは昔も今も女性、尤も、これが可愛いからなんとも始末が悪い、とも、聞いたことがある。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1448

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あなたは、右、それとも左?

2017年11月27日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ ‐ フランクフルト/シュテーデル美術研究所編(3) 中欧美術館絵画名作選(116

 初期ルネサンスで優れた業績を残したサンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)。
 その彼の 「シモネッタ・ヴェスプッチの肖像」(上/1480-85年/82×54cm)、かつて 「<理想の女性>」のタイトルで投稿した。

 16歳でヴェスプッチ家に嫁いだシモネッタ、夫のマルコと一緒に格上のメディチ家の別荘に度々遊びに行き、次男ジュリアーノとも親交を深めた。

 1475年の春、サンタ・クローチ広場で騎馬でのジオストラ・槍競技が開かれジュリアーノも出場。
 その際に、イナモラーナ、優勝したら求婚する女性のこと。に、当時フィレンツェで絶世の美女とされたシモネッタを指名、ボッティチェリが描いた彼女の肖像の旗を掲げ登場したという。

 旗を依頼したのは他ならぬ夫のマルコ、ジュリアーノが優勝する筈がないと、軽く見たのだ。
 ところが得てして起こるのはそのまさか、ジュリアーノが優勝、フィレンツェ中に評判となり、ふたりは理想的カップルと持て囃されるのである。

 面白くないのがマルコ、妬心から妻を自宅軟禁、挙句、一年後に病気で失ってしまう破目に。
 シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチ(1453-1476)、僅か23歳だった。

 美人薄命を絵に描いたような話、ますます評判になり、多くの画家が筆を取ったが、その一人ボッティチェリが右顔を描いたのが本作。

 ちなみに本作、彼の師<フリッポ・リッピ>(1406-1469)の兄弟子ヤコポ・デル・セラーイオ(1441頃-1493)との関わりも示唆されているようだ。

 ところでボッティチェリ、フィレンツェの人々から “ La Bella= 美しき ” と呼ばれた彼女の肖像画を、知る範囲においてだが三枚遺している。

 その一枚、左顔を描いた 「若い女性の肖像画」(下/1480年/47.5×35cm/ゲマルデ・ギャラリー蔵)とはこの旅の途中、ベルリンで出会っている。

 残る一枚 「<美しきシモネッタの肖像>」(制昨年等不詳)は日本の企業が所蔵、16年春に東京都美術館で開かれた 「ボッティチェリ展」(朝日等主催)に架ったが見損ねた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1444

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ドイツで、最後に訪ねた美術館

2017年11月22日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ ‐ フランクフルト/シュテーデル美術研究所編(2) 中欧美術館絵画名作選(115)

 ドイツにはフランクフルトという名の町がふたつあるそうだ。
 今もポーランドとの間でしこりを残すオーデル・ナイセ国境線、そのオーデル川畔のフランクフルトという意のフランクフルト・アン・デア・オーデル。

 そしてもうひとつが、マイン川畔のフランクフルトという意のフランクフルト・アム・マイン、ドイツ最大の空港があり直行便も飛ぶ。

 が、大聖堂やゲーテの家の他にさして見る所もなく、観光だけなら半日もあれば足る。
 欧州線、ルフトハンザ航空を利用される方も多いと思うが、この街で飛行機を乗り継ぐことはあっても宿泊される方は少ないのでは。

 斯く言う私たちも、この街に泊まることは殆どなかった。
 それでもふた昔ほど前、‘Xmas市を楽しもうと、この街から朝早く出るバスでミュンヘンまで二日かけて移動したことがあった。

 そして今回、帰国便に搭乗する前に訪ねたい美術館があってこの街で一泊した。

 ※ カタリナの独り言
 訪ねたいと思いながら何時も素通り、悔しい思いをしてきたシュテーデル美術研究所
 ドイツもこれで最後になるかも知れないので、何年か振りに一泊することにしたのだが、これでようやく念願が叶う (

 1818年というから開館200年になる。
 金融業で財を成したヨハン・シュテーデル(1728-1816)が蒐集したコレクション、土地・家財ひっくるめ遺贈したのが始まりとされ、ルネサンスから象徴主義までの作品を幅広く収蔵する。

 この美術館もまた、1937年のナチスによる退廃芸術狩りによって、ゴッホ(1853-1890)などの多くの絵が持ち出される悲劇を体験したことをこの旅で知った。

 写真上は、ニュルンベルクのフラウエン教会の ‘Xmas市、銀塩フィルムで出来栄えは良くありませんが、アナログならではの暖かみが、と言えば言い訳がましい?
 下はムゼーウムスウーファー、美術館通りへ渡るためにマイン川に架る歩道専用のホルバイン橋です。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1440

 ※ 小編は、2010-04 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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寒風吹きすさぶフランクフルトへ

2017年11月15日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ ‐ フランクフルト/シュテーデル美術研究所編(1) 中欧美術館絵画名作選(114)

 カッセル・ヴィルヘルムスヘーエ駅からアルプスの登山口となる町インタラーケンへ向かうICEに乗った。

 この四日ほど前、待降節・アドベントを前にしたばかりのベルリンに入った。
 時折、氷雨が降るドイツ北部の陰鬱な雰囲気を「寒いわねえ」と言い乍らもそれなりに楽しむ余裕があった。

 が、ベルリンからハンブルクへの車中、横殴りの雪がみるみるうちに銀世界に変えるのを眺め「なんやこれ」と呆れた。ドイツ全土が猛烈な寒波に覆われてしまったよう、ここ数日は雪と風、少々げんなりしていた。

       

   カッセル駅、そしていつもの車内風景、1時間30分のICEの旅はそれこそあっと言う間です

 雪まみれになった<カッセル>から、列車で着いたこの日のフランクフルト、身を切るように寒い。
 くたびれ果て今にも倒れそう、駅前だけが取り柄となったホテル・モノポールにチェックイン、旅装を解いた。

 ※ カタリナの独り言 
 癇癪持ちのペトロ、「一人前に料金を取りながら、この建てつけの悪さはなんだ」と機嫌が悪い
 でも、「ミニバー無料だって」と教えるとすぐに笑顔、単純なんだから
 寒波は幾分か和らいだようだけれど、それでも雪がちらほらと舞う寒い日だった
 しっかりと防寒対策をして街に出た () 

     

   ぼろホテルを出てマイン川畔の公園にそって少し歩くと専用橋、その先に目指す建物が見えます

 マイン川に架る歩道専用のホルバイン橋を渡ればムゼーウムスウーファー、美術館通りと呼ばれ16もの博物館や美術館が並ぶ。

 待望久しいシュテーデル美術館もその一部を構成している。
 案内書にシュテーデル美術研究所と表記しているものもあるが、どちらが正式な名称なのかは知らない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1438

 ※ 小編は、2010-04 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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世界で一番自分の顔を描いた男

2017年11月14日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ カッセル/ヴィルヘルムスヘーエ城・古典絵画館編(10) 中欧美術館絵画名作選(113)

 レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)ほど自画像の多い画家はいないとされている。
 一般的には、単独画としては、油彩だけで56点、サスキアと二人で描いたもの、聖書物語に自身をなぞらえたもの、さらにエッチング、素描を加えると100点近く現存するという。

 1624年、アムステルダムのピーテル・ラストマンのもとで半年間の修行を終えた彼はライデンに戻り、同郷の画家ヤン・リーフェンスと共同でアトリエを構えた。
 1627年と言えば21歳、たぎる野望を持て余すかのように、鏡を睨みながら自分の顔を描いたのだろう。

 私的(習作)に描かれたこれら作品(左三枚組)では、巻き毛にあたる光を表現するために、木製の筆の柄の先端でキャンバスをひっかくなど、独創的なテクニックを使った自由な表現がなされたという。

 また、彼自身はどの防衛軍にも所属していなかったが、甲冑を身にまとった凛とした姿(右二枚組)からは若きオランダ人としての誇りが見て取れる。

    

 § 「1627年の自画像」(左/24×17cm/カッセル国立美術館蔵)
 § 「1628年の自画像」(中/23×19cm/アムステルダム国立美術館蔵)
 § 「1629年の自画像」(右/16×13cm/ミュンヘン/アルテ・ピナコテーク蔵)

 § 「1629年の(甲冑をつけた)自画像」(左/38×31cm/カッセル国立美術館蔵)
 § 「1629年の(甲冑を着けた)自画像」(右/38×29cm/デン・ハーグ/マウリッツハイス蔵)

 と、いうことで草創期の「自画像」を取り上げた小編、“ 世界で一番自分の顔を描いた男 ” とタイトルを気取ってみた。
 なお、原題は全作品 「Self - portrait」といたって素っ気ないが、便宜上、タイトルに制作年を冠した。

 カッセル国立美樹館、投稿したい作品は残るが、オーストリア、ドイツと聊か長居をしたようだ。
 これで、ひとまずフランクフルトに戻り、ある美術研究所を足早に回り、“ 中欧美術館絵画名作選 ” を終えることとする。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1437

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レンブラント(3) 「猫のいる聖家族」

2017年11月09日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ カッセル/ヴィルヘルムスヘーエ城・古典絵画館編(9) 中欧美術館絵画名作選(112)

 カッセル美術館の小さな展示室に、<警報>を鳴らさせた小さい作品が架っていた。

 その作品とは、オランダ絵画黄金期の巨匠レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)の 「猫のいる聖家族」(1646年/46.5×69cm)。

 1642年に 「夜警」(アムステルダム国立美術館蔵)、後に世界三大集団肖像画のひとつと呼ばれる画期的な作品を描き上げたレンブラント。

 この傑作を境に、輝かしかった画業も翳りを見せ始め、同年には最愛の妻サスキアを見送ってしまう。
 それは、家庭生活が崩壊する兆しでもあった。

 そんなかで、“ 聖家族 ” をテーマにした宗教画をいくつか遺してい、そのひとつが本作である。

 窓の外は雪かも知れない寒い冬の一日、揺りかごの隣で幼子イエスを抱いたマリアは焚火で暖を取り、猫は皿の食べ物を狙って身を屈め、大工のヨセフは手鉋で木を削っている。

 質素だが幸せ溢れる家族の日常の様子を描いた本作、だまし絵的な手前の赤いカーテンが情景を引き締めている。

 同時期に本作とよく似た 「天使のいる聖家族」(1645年/117×91cm/エルミタージュ美術館蔵)を描いている。

 そこでは、揺りかごの中で眠りにつくイエス、傍らで聖書を読みながら慈愛に満ちた眼差しで見守るマリア、そして背後におそらく牛車用の軛(くびき)を拵えるヨセフを配している。

 この他にも、幼子に乳を含ませる聖母という珍しいテーマで描いた 「<聖家族>」(1634年/183×123cm/アルテ・ピナコテーク蔵)を。

 また、夜の闇の中で飼い葉桶の中で眠る幼子、祖母アンナ、母マリア、人生における誕生、盛年、晩年のみっつの段階を演出したかのような 「<夜の聖家族>」(1642-48年/66.5×78cm/アムステルダム国立美術館蔵)も描いている。

 とまれ、忘れ形見ティトウスを残し旅立ったサスキアを慈しむように、幸せ溢れる家族の姿を、“ 聖家族 ” を借りて描きたかったのだ、と思えば納得がいく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1432

 ※ 小編は、2009-06 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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ヤン・ブリューゲル&ルーベンス 「パンとシュリンクス」

2017年11月06日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツ カッセル/ヴィルヘルムスヘーエ城・古典絵画館編 (8) 中欧美術館絵画名作選 (111)

 花のブリューゲルと呼ばれたヤン・ブリューゲル(父)(1568-1625)とバロック期を代表するフランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640 )、しばしば共同で描いたことで知られている。

 そのふたりの共同作品 「パンとシュリンクス」(1617-19年/40×61cm)が今回の作品。

 主題は、牧神、牧羊神とされ山羊の脚と小さな角をもつパンが、狩猟・貞潔の女神アルテミスの侍女でニンフのシュリンクスに恋をしたことから始まるギリシャ神話の一章。

 女性にだらしないパンは、狩りで見かけたシュリンクスを追いかける。
 必死で逃げるシュリンクス、ラドン川岸まで逃げたもののその川を渡れないと絶望、水中のニンフたちに 「葦に変身させて」と頼み、パンの手から逃れることができた。

 捕まえ損ねたパンは、風にそよいで鳴る葦の葉から思いつき、葦笛を作りシュリンクス、いわゆる簫(笙)の笛と名付けたという。

 ちなみにパンは、しばしば牧歌詩人たちに崇拝された神として扱われるが、パニック・ Panic の語源に由来するよう、時には恐神として扱われている。

 二人は共作の中で最も傑出した作品とされる 「<楽園のアダムとイブ>」(1615年頃/マウリッツハイス美術館蔵)を描いてい、そこではルーベンスが人物を、ブリューゲルが得意としていた動物を描いている。
 本作でもルーベンスの<豊潤な肉体表現>を、ヤン・ブリューゲルが葦原と花や水鳥などで補い、臨場感溢れる作品に仕上げている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1429

 

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