ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ハロウィン ‐ 10月がゆく

2016年10月30日 | 季節/暦

 明日(10/31)はハロウィン、“ 古代ケルト人の祭が起源と考えられている ” (コトバンク)とか。
 巷には一月ほども前からかぼちゃのお化けなどの飾りが並び、その経済的効果は今やバレンタインデーを凌ぐという。

 この行事、アメリカで盛んらしく、当日ともなれば子どもたちが幽霊や魔女、フランケンシュタインやゾンビなどに仮装して近くの家々を訪ね、お菓子をねだるのだとか。

 25年も前、ルイジアナ州で仮装をした日本の高校留学生が、「Trick or Treat、お菓子くれなきゃ悪戯するぞ」と訪ねた家で、「フリーズ!」と警告されたが理解できず、近づいて射殺される痛ましい事件があった。

 そのハロウィン、キリスト教の行事と思っている方もあるのでは?
 斯くいうペトロ も、洗礼を受けるまではそうだとばかり思っていた。

 カトリックでは翌日(11/1)を、全ての聖人と殉教者を記念する 「諸聖人」の祭日、古くは 「万聖節」と呼ばれていたが、その前夜祭的な意味合いの日だとする説もあるようだ。

 由来も他宗派のことも知らないが、今は、カトリック典礼暦には関係のない行事である。
 それはとも角として、昨今は仮装した若者が繁華街に繰り出し大騒ぎなんだとか。

 その大騒ぎ、年に一度ならまだしも、強行採決を考えたことはないと虚言を繰り返す首相、強行採決でTPP法案を通すと妄言した農水大臣、沖縄で土人シナ人と暴言の機動隊員にご苦労さんと世迷言の大阪知事、毎度毎度の驕り切ったその格好、仮装しなくともゾンビに見えたは酔狂も老眼が進んだか?

 そんなこんなで、地震列島日本、またも山陰地方を中心に爪跡を残し神無月・十月もゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1205

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ボナール 「棕櫚の木」

2016年10月28日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ ワシントンDC/フリップスコレクション(1) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選

 この日のワシントンDCの天気、インディアン・サマーと呼ぶのだそうだ。
 小春日和にあたるこの言葉、北米東部で頻繁に使われ、秋から初冬にかけて晴天が続き、日中は高温、夜間は冷えこむ特異な期間をいうのだとか。

 そんな天気に恵まれた旅の二日目、出発前にHPで予約した 「NYからの日帰りDC一日ツアー」に唯一の半日組として合流、リンカーン記念堂でスミソニアン協会の航空宇宙博物館などへ向かうツアーを離れ、フィリップスコレクションへ向かった。

 デュポンサークルでタクシーを捨て、近くのレストラン、ティーイズムで、ちょっと変てこなランチを摂ってから、この旅で最初の美術館へ向かった。

 ジョーンズ&ラフリン製鉄会社の創設者の孫ダンカン・フリップスとその妻が蒐集した印象派などの作品をベースに公開されているフリップスコレクション、アメリカ最初の個人が所有する美術館として知られている。

 取り分け風景画や肖像画の他、裸婦などの人物画や風俗画で優れた作品を残した<ピエール・ボナール>(1867-1947/フランス/後期印象派)の蒐集に優れ、彼の所蔵数ではアメリカ随一とされている。

 初回は、その彼の代表作のひとつとされる 「棕櫚の木」。

 南仏ル・カンネ近郊の風景を背景に、棕櫚の葉の下で林檎を手にした少女が、淡い陰影に包まれて描かれている。

 黄色の花が咲く緑の生垣の奥には、青い地中海を背景に、いかにも南仏らしい赤い屋根の街並みが描かれてい、陽光を受けて明るく輝くその風景は見る者に開放感を与えている。

 この作品、じっくりと眺めてみれば、光の取り入れ方が前・後景、逆さまのように見える。
 そこに “ 画家の絵画的仕掛けが見出される ” とあったが、差し詰め、AE・自動露出で人物を撮ったものの背景が明るくて影絵になったようなものか?

 前回、各編、短くと断ったものの、コレクションの紹介もあってのっけから少し長くなった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1204

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ふたりの旅

2016年10月26日 |  ∟アメリカの美術館

 何時かは、<世界四大美術館>のひとつ、と勝手に思っているNYのメトロポリタン美術館(写真)を訪ねたいと思っていた。
 そして10年の秋、カタリナ の誕生日を挟んで、どうせならワシントンDCのナショナル・ギャラリーも、とDC&NYの旅程を組んだのが、ふたりでの旅の最後になった。

 翌11年、教会が主催する<イスラエル巡礼>に加わったが、近隣教会も交えたグループ・ツアーだった。

 翌々年13年の初夏、ふたり旅の仕上げとして、サンクトペテルブルクにエルミタージュ美術館を訪ねる旅を計画。

 ビザをはじめ航空券やホテルの手配も終え、後は飛行機に乗るばかりだったが、出発直前になって彼女が病に伏してしまった。
 その顛末は、<幻のエルミタージュ>など、幾度か投稿したので憶えていて下さる方もあると思う。

 いつもの悪い癖で前書きが長くなったが、“ 中欧美術館の旅、ドレスデン、ウィーンを終えてベルリン、ハンブルクと回る予定だった。

 しかし、気まぐれペトロ、ドイツ語圏ばかりでは退屈・・・と、ちょっと中断して寄り道を。
 で、以前、本編<旅の途中>で機会があれば投稿、と約束?していたメトロポリタン美術館を思い立った。

 歴史が浅いアメリカが、欧州勢何するものぞと財力に飽かし集めた名画の数々、題して DC&NYの美術館にみる泰西名画選 、各編<リンク>を活用し短く綴りたいと思っている。

 膨大なコレクションを誇る両美術館、どこまで拾えるか心許ないが、覗いて頂ければ嬉しく思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1203

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続・また最近、ブログ考

2016年10月24日 | 季節/暦

 小編、ペット愛好家には失礼かも。
 今もあるのか知らないが、かなり以前、ペットシンドロームなる現象がある、と雑誌とかで読んだことがある。

 主旨は、飼い主とペットの立場が逆転、いわゆる主客転倒する、というような意だったと憶えている。
 仮にそうだとしても、「第三者のあんたにとやかく言われる筋はない!」と、叱られそうだが。

 勿論、そのことを彼(あれ)是れ言う心算は毛頭ない。
 幼い頃に一度、犬を飼って以来経験がないので、真偽のほども実感も湧かないが、犬や猫の載ったブログを拝見するにつけ、ご本人にとっては目に入れても・・・ほど、可愛いのだろうなあとは思う。

 もってまわって書くほどのことじゃないが、小編、そのペットのことではなく自身のブログのこと。
 最近、ブログシンドロームとでもいうべきか、早い話が投稿することが自己目的化しちまった、ように感じるところもあって面白くなかった。

 で、ウィーン美術史美術館を終えたのを機に、暫く休もうと思った。

 しかし、休み中つらつら考えるにその症候群とやら、生きるために食ってんのか、はたまた食うために生きてんだか、のようなもの、詰めればどっちだっていいやないか・・・と。

 斯くして、休暇もささやかに四日で敢え無く終了、鞄の中を軽くしてもう少し歩いてみることにした。

 初夏の花 「ツツジ」が、商魂逞しくもこの時季の花に変えられたらしい 「アザレア」、花の界も大変だ!?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1202

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続々・レンブラント ‐ 美術史美術館(34)

2016年10月19日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(52)

 初期ネーデルランド絵画の巨匠ブリューゲル(1525-1569)とともに、美術史美術館が誇る北方の名画三作品から出発した今回の旅。

 その初回は、オランダ絵画黄金期をフェルメール(1632-1675)とともに担い、光と影の魔術師とも称されたレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)の「<自画像 ‐ 職人の装い>」だった。

 このウィーン美術史美術館編を締め括るのは、やはり、そのレンブラントこそ相応しいと思う。

 ところで、母というのは、何時まで経っても忘れられないもの。
 むくつけき男(お)の子にしても、母は優しく甘酸っぱく、幾つになっても甘えたいと思う存在でもある。
 それは、この巨匠にしても同じだったよう、母を度々描いている。

 老人の顔が描けてこそ一人前、との信念を持っていたともされるレンブラント、傑作「<ゼウクシスとしての自画像 - 笑う自画像>」(ケルン/ヴァルラフ=リヒャルツ美術館蔵)をはじめ自画像や宗教画に多くの老いたる容姿を描いている。

 話しはそれたが、彼は幼い頃、母の膝で母の語る聖書物語を子守唄として育ったとされ、母を描いた場合の多くに宗教的意味合を持たせたともされている。

 そんな篤信の母が彼にして描かせたのが「母の像」(上/1639年)。

 本作は、ヨセフとマリアが<キリストの神殿奉献>のためエルサレムの神殿に行ったとき、“ 近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に、幼子のことを語りきかせたアンナという年老いた女預言者 ”(ルカ2章) の姿だとされている。

 レンブラント、八年ほども前にも初期の傑作のひとつとされる「母の像」(下/1631年/アムステルダム国立美術館蔵)を描いてい、これらの作品からも母への深い情愛が見て取れるのである。

 花の終わる頃から半年、34回に綴った美術史美術館編、厭きずお付き合いを頂き感謝いたします。
 ドレスデン、ウィーンと巡った中欧美術館の旅、また何処かの美術館で会えるのを楽しみに・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1201

 ※ 「美術史美術館(33) ‐ ブリューゲル(14)」へは<コチラ>から入れます。 

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ブリューゲル(14) ‐ 美術史美術館(33)

2016年10月17日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(51)

 ブリューゲル(1525-1569)全17作品を、と聊か意地になって続けたものの3作品を余して力尽きた?
 ただ、それら3作品はブリューゲル(子)(1564-1638)の作品、公式HPも「?マークを付けて父子の連名」にしている。だと思っている。
 言い訳めくが、年齢差から共作はなく、(子)が専ら(大)の模写をしたことからもそう的外れでもないだろう。

 さて終章は、筆致は粗く色彩も単調なことから未完と思われる 「嵐の海」(1568~69年頃/70.3×97cm)。

 茶褐色の海では、水平線の彼方にのぞく晴れ間を目指して何艘もの船が嵐に弄ばれながら進んでいる。
 その様は、彼の人生そのもののだったのか、はたまた最晩年に見た時代の姿であったのか?

 前景の樽とそれに向かって大きく口を開ける鯨は、 空の樽に気を取られて船を取り逃がしたかに見える。
 それは “ 些末なことに気を取られて本質的なことを見失う ” アレゴリー・寓意だとされている。

 人は終焉を自覚したとき、何を想い、考えるのか?
 彼は、手を伸ばせば届くかもしれない水平線に微かにのぞく晴れ間、そこに教会の尖塔を描くことで、それを示唆したのかも知れない。

 ということで美術史美術館が誇るブリュ―ゲル、その全14作品を終えることができた、大口ならぬ大風呂敷は広げないに如かずの自嘲とともに。
 なお、ブリューゲル編、宮川淳氏著 「BRUEGHEL」(新潮美術文庫)を参考にさせて頂きました。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1200

 ※ 「美術史美術館(32) ‐ ブリューゲル(13)」へは、<コチラ>からも入れます。

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ブリューゲル余話(13) ‐ 美術史美術館(32)

2016年10月15日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(50)

 ブリューゲル(1525-1569)編の終章を前に、聊か唐突なタイトルになった。
 公式HPを借りて彼のコレクションは世界最大と紹介したが、「じゃ、何作持ってるの?」と訊かれれば、全作品アップと風呂敷を広げた以上、幾つだったっけ?では如何にも拙い。

 勿体振る訳ではないが、作品数の前にブリューゲル家の画家たちに触れておきたい。
 ピーテル・ブリューゲル、若い頃に幼子を亡くしたものの、晩年も40歳前後にふたりの息子を得ている。

 上の息子がピーテル・ブリューゲル(1564-1638)、幼い頃に死別したため父親から手ほどきを受けることもなく、画業の多くを父の絵の模写に費やしたらしく、オリジナル作品の評価は高くないようだ。

 下の息子はヤン・ブリューゲル(1568- 1625)で、静物画を得意としたことから “ 花のブリューゲル ” とも呼ばれ、小編<マウリッツハウス>でも投稿したが、同時代のルーベンス(1577-1640)などとの共作も多い。

 そのヤンの息子のひとりがヤン・ブリューゲル(1601- 1678)、父親と同じようなスタイルの絵を描いたらしい。

 序に、ヤンの娘のアンナの夫、早い話が女婿がオーストリア大公のお抱え画家<テニールス>(1610-1690)である。

 てなことで、ピーテル親子を(大もしくは父)と(子)、ヤン親子も(父)と(子)、とそれぞれ異称されている。

 で、肝心の収蔵作品数だが、公式HPは17作品。
 ウィキペディアの 「ピーテル・ブリューゲル作品一覧」では13作品、ただし、全く同じ図柄の 「<幼児虐殺>」(ロンドン/セント・ジェームス宮蔵)を加えると14作品になる。

 17、それとも14、どっちにするのかって?
 う~ん、それは次回に・・・と、いうことにして、今号は息子の作品で括ってお仕舞。

 まず、美術史美術館が収蔵するヤン(父)の傑作 「青い花瓶の中の花束」(上/1606年頃/66×50.5cm )。

 そして、ピーテル(子)が(大)の 「洗礼者ヨハネの説教」(1566年/95×160.5㎝/ブダペスト国立西洋美術館蔵)を模写した 「洗礼者ヨハネの説教」(下/1601-04年/101×167.5 cm/クラクフ国立美術館蔵)。

 農民の画家とも異称される(大)だが、画家自身、人文主義者とも交流のある教養人だったという。
 ところで、<さかさまの世界>を好んで描いた彼、股間から景色を覗いて農村風景のスケッチをとる奇癖があったそう。
 それって、今年 “ 股のぞき効果 ” でイグ・ノーベル賞を受賞した先生じゃない・・・と、可笑しくなった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1199

 ※ 「美術史美術館(31) ‐ ブリューゲル(12)」へは、<コチラ>からも入れます。

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鰯雲

2016年10月13日 | 日記

 寄れば 「酷い暑さですねえ!」と、口を合わせたあの夏も忘れてしまったよう。
 朝晩に外に出れば、思わずジャケットの前を合わせる季節に何時の間にかなった。

 移動祝日なって以来、もともとの日(10/10)に納まった 「体育の日」は何年振りのこと?
 居座った秋雨前線も何処へやら、その日は空が高く六甲の上の辺、鰯雲が綺麗な模様を描いていた。

 その雲を眺めていたら、山村暮鳥の詩を思い出した。
 小学生の頃、国語の時間で 「雲」、正しくは 「おなじく」を声を出して読んだ覚えがあるが、詩人が言葉を紡いだ雲は、季節感から言えば初夏の雲だろうか。

   「雲」 
  丘の上で としよりと こどもと うつとりと雲を ながめてゐる

   「おなじく」
  おうい雲よ いういうと 馬鹿にのんきさうぢやないか
  どこまでゆくんだ ずつと磐城平(いはきたひら)の方までゆくんか

   「ある時」
  雲もまた自分のやうだ 自分のやうに すつかり途方にくれてゐるのだ
  あまりにあまりにひろすぎる 涯(はて)のない蒼空なので
  おう老子よ こんなときだ にこにことして ひよつこりとでてきませんか

 秋は、無骨な者までを、しばしもの想いに浸らせる。
 が、前々夜、久しい仲間と食欲の秋・・・を満喫、話が弾んでだいぶに聞こし召した、で、今稿はここ迄 💦
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1198

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ブリューゲル(12) ‐ 美術史美術館(31)

2016年10月11日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(49)

 ブリューゲル(1525-1569)の連作月暦図、夏季図(6/7月)に続く四点目は、NYのメトロポリタン美術館が収蔵している。

 その作品とは、初秋季(8/9月)を描いた 「穀物の収穫」(1565年/118×160.7㎝)、別名 「刈り入れ」。

 画面の半分を占める穀物、おそらく麦がこの季節を象徴している本作、月暦図中、“ 空間構成が最も緊密性を示している ” とされている。

 その空間構成、前景の大きな木を中心に、真っ直ぐに奥に向かう先に教会らしき屋根の一部が見え、“ 自然界と人間との深い繋がりを示すことに成功している ” ともされている。

 ところで、その木の根元で一人だらしなく寝そべる男に既視感があって小編を繰った。
 その作品とは、本作の二年後に描かれた 「<怠け者の天国>」(1567年/52×78㎝/アルテ・ピナコテーク蔵)、この時、既にこのモテーフを温めていたようで、“ 本作でそれを予告した ” のだとか。

 月暦図に戻って、五点目は美術史美術館が収蔵する 「牛の群れの帰還」(1565年/117×159㎝)、別名 「牛群の帰り」、晩秋季(10/11月)を描いている。

 陰鬱な雲、葉の落ちた木立、家路を急ぐ牛の後ろ姿が、やがてやってくる冬を思わせ、冬季図(12/1月)の 「<雪中の狩人>」へ続くことを窺わせている。

 ちなみに、その後ろ姿、「雪中の狩人」 「<農民の踊り>」 「<聖パウロの改宗>」、後出の 「洗礼者ヨハネの説教」など、多くの作品に用いている。

 また彼は、遠近手法を多くの群集構図に用いているが、本作においても、前景を大きく横切って坂道を進む牛の群れは後景に移るにつれ小さくなり、深い奥行を作り出している。

 これで、四季の移ろい中で自然の雄大な生命力とそこに暮らす人々の様子を描いた月暦図五点が揃った。

 美術史美術館の先棒担ぎみたく、阿呆にもブリューゲル全収蔵作品をと始めたものの、途中でええ加減にしたらと思わないでもなかった、が、それも次回でお仕舞、となると少し寂し気がしないでもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1197

 ※ 「美術史美術館(30) ‐ ブリューゲル(11)」へは、<コチラ>からも入れます。

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ブリューゲル(11) ‐ 美術史美術館(30)

2016年10月09日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(48)

 ブリューゲル(1525-1569)に、一年の各月を象徴する労働で表現した月暦図があって、そのうちの五点が現存、三点を美術史美術館が収蔵している。

 その二点目は、冬季(12/1月)を描いた 「<雪景色の狩人たち>」に続く 「暗い日」(上/1565年/118×163㎝)。

 本作、傑作 「<謝肉祭と四旬節の喧嘩>」の謝肉祭(二月)に登場する人物に “ 似た者(前景右端の三人)が描かれている点など ” から、晩冬季(2/3月)を描いたとものだと考えられている。

 ところで本作、前景の薪を採る人とは別に、左隅では冬ざれの鈍い光のなかで何やら運ぶ人、河口では荒波に揉まれる舟などの表現に、“ 初期作品に見られる様々な主題の列挙の名残が見られることから、おそらく、連作中で最も早い時期に描かれたのではないか ” ともされているようだ。

 三点目は、チェコのプラハ城内、プラハ国立美術館に架る、夏季(6/7月)を描いた 「乾草づくり」(下/1565年/118×163㎝)、別名 「干し草の収穫」。

 ちなみに連作が六点からなっていたとすれば、失われたのは 「暗い日」と本作との間、春季(4/5月)を描いた作品と考えられている。

 前々?季図の 「暗い日」と打って変わって、初夏の明るさと活気に満ち、花の咲く道を歩く娘たちや稔りを運ぶ人など、画面からは働く喜びが伝わってくる。

 それは、初期作品に見られる主題の列挙ではなく、純粋な点景となっていることからも、画風の変化が見て取れるようだ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1196

 ※ 「美術史美術館(29) ‐ ブリューゲル(10)」へは、<コチラ>からも入れます。

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