ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

朝のドラマ ‐ 8月がゆく

2010年08月31日 | 季節/暦

 毎朝8時に始まるNHKの朝の連続ドラマ、時計代わりに視聴されている方もあろう。

 この朝の連続ドラマで、ある部長のことを思い出した。
 彼、昼の休みになると、そそくさと食事を済ませ、職場のTVの前で朝の連続ドラマの再放送に目を凝らし、耳を傾けるのが日課。

 そPhotoしてドラマが終わり、午後の仕事に皆が席に着く頃、会議等の予定でもない限り何時の間にか居なくなり、終業時になっても誰もそのことに気付かないのである。
 たまに、彼の上司が仕事で呼びつけたりした時に、「あゝ、今日も居ないんだ」と気付くのである。

 ここまで読んで、「嘘だろう」と思われる向き、多いと思う。
 書いている当人が、「フィクション?と思わないこともないからそうとられても仕方がない。
 が、些か誇張するところはあっても事実なのである。

 この春先、その彼と西宮北口駅でばったり。
 リタイアして10年近くなる彼、現役時代に消耗していないだけに矍鑠と、「これから蕎麦打ち教室へ」と言う。
 去りゆく彼の背中、「仕事でストレスためてどうするの」と言っているよう、ひとつの生き方ではある。

 Photo_3話は変わってカタリナ 、この朝の連続ドラマに限らず、TVを余り視ることがない。
 ところが、どういう風の吹き回しか、「ゲゲゲの女房」は別のようだ。

 単純にストーリーを楽しんでいるのか、主人公たちと重なる時代もあり、越し方を重ね合わせているのかその理由は知らないが、この風景、我が家にとって珍なることなのである。

 そういえば今年の夏、豪雨に続き94年来の猛暑に見舞われ疲弊仕切りだ。
 この異常気象、誰かさんが朝の連続ドラマを視るからだなんて・・・、「そんなことないよね

 最近、見かけることが多い藤に似た写真の花、「デュランタ」といい、秋にはオレンジ色の実をつけるらしい。
 この花、ローマ法王の侍医で植物学者でもあったデュランテスさんに由来するともあり、面白い。

 そんなこんなで、葉月・8月はゆく。

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秋の遠足‐つぐみ横丁

2010年08月30日 | ドイツ/オーストリア

 リューデスハイムの駅から、乗船場まで線路に沿って10分ほど。
 その途中、知っている人には有名な? ドロッセルガッセ、つぐみ横丁があって、レストランや土産物屋が、河畔から山手への狭い路地に庇を並べている。

21  その 、つぐみ横丁(写真上)、電車から降りた人は僅かだったのに、観光バスが連れてきたのか、「何処から?」と思うほどの外国人で溢れている。

 路地の両脇、ピアノバー風、ウエスタンバー風、ジャズバー風、音楽喫茶風と、何でもありのレストランが並び、スピーカーから絶え間なく流れる音楽が煩い。

 カタリナ、「ワイン横丁とも呼ばれるらしいのね、この路地」、さぞかし呑兵衛さんが、「試飲と称して怪気炎!」と思いきや、意外にも静かにテーブルに腰掛けてい、それはそれで、ちょっと異様な雰囲気。

 洋の東西を問わず白昼の飲み屋街、何処か侘しいところがある。
 余談だが、イスラム教徒は当然として、カトリックやプロテスタントの連中、以外にも真面目で、昼間から飲酒する姿を余り見かけない。

 Photo端から端まで100mほどの横丁、ゆっくり歩いても30分もあれば足りる。一元さん相手のつぐみ横丁、早々に横丁を離れ船着場へ向った。

 船着場の小さな広場に、小さな売店とベンチがある。
 乗船時間に少し早く、ペトロ たちの他に客がいないベンチで、「また、ビール!と呆れられようとも、ライン川を行き交う船を眺めながらの冷えたビール、その味は格別だった。

 銀色に煌めく川面、振り返ればニーダーヴァルト記念碑へのロープウェー(写真下)が、揺れながらゆっくりと葡萄畑を越えて、青い空に溶け込んでいった。

 ビールも手伝って、「あ~あっ」と大欠伸、居眠りしてしまいそうなスローな昼下がりだった。

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秋の遠足‐ライン右岸!

2010年08月28日 | ドイツ/オーストリア

 コブレンツを出た列車、直ぐに鉄橋を渡る。

 カタリナ、直ぐに 「右岸だわ」とつぶやく。
 旅の案内書では、左岸には比較的大きな村落があってそちらを走る列車に乗れとある。

 Photoそれで、あれこれと考えていたのだが、どうも、逆の線(写真上)に乗ったようだ。

 検札の車掌さん、パスに鋏を入れながら、「リュウゼスハイム?と聞く。
 日本人のふたり連れ、ライン川右岸のローカル急行、ここまで条件が揃えばリュウゼスハイムとなるのだろう。

 素晴らしい景色が続いた。

 列車は、山裾に沿って進む。
 線路に平行してライン川がゆったりと流れ、観光船や商業船が行き交う。

 Photo_5鉄路と川との間に整備された道路が走ってい、観光バスやマイカーが列車と速度を競うように飛ばしている。

 左岸だか、右岸だか、どちらが美しいのか分からないが、これ以上美しい路線はないのだろうと思うし、そんなことに拘るのが馬鹿らしくなるほどだ。

 右岸には小さな集落だけ。
 それでもペトロ、「車窓から見る分には、左岸を望む右岸線の方が美しいのと違うかな?」と言う。

 対岸の小さな集落の背後、山の斜面に広がる葡萄畑が綾や錦に染まり初めている。

 Photo古城が聳え、小さな集落には教会の尖塔が望め、川の中州にも小さな塔らしきものがある。

 車窓から流れゆく景色(写真中)を飽かず眺めた。                                                             

 幾つかの小さな駅を過ぎ、小1時間でリューゼスハイム・ライン駅(写真下)に着いた。

 写真を拡大して貰うと判るが、線路とおなじ高さ?にラインの流れが見えるこの駅。
 ここで降りたのは、私たちを含めて4人ほどだった。

 駅から右手、川沿いに船着場に向かって進む途中、学校帰りのおしゃまな女の子が、「ハロー」と声を掛けてくれる。
 何処の国でも、屈託のない子どもは可愛い。

 

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秋の遠足‐ライン左岸?

2010年08月26日 | ドイツ/オーストリア

 ドイツの西部を北に流れる大河ライン、スイス東部のアルプス山脈にその源を発し、フランスとドイツの国境を流れた後、オランダを経て北海に注ぐ。

 フランクフルトへの途中、デュッセルドルフで下車。
 この街をベースに、カール大帝ゆかりのアーヘン大聖堂、ケルン大聖堂やヴァルラフ・リヒャルツ美術館などを訪れたことは、前回書いた。

 Photoこの街での数日間、天気が好い日には、何をおいてもライン川を下ろうと決めていた

 デュッセルドルフからアーヘンを訪ねた翌日だった。
 ことのほか朝の冷え込み厳しく、いい天気になる予感がするその日、朝食もそぞろに、デュッセルドルフ駅(上)からICEに乗車した。

 カタリナ が駅員さんに、「ユーレイルパスは、ユーロスターとタリス以外は全て乗車がOK」と聞いてからは、専らICEを利用した。

 ケルン、ボンと過ぎ、長閑な田園地帯(下)を切り裂いてICEはひた走る。
 ペトロ 「ベートーベンの第6番・田園は、この風景を描いたのか」と、知りもしない薀蓄を並べている。

 Photo_2それを横目に、途中、コブレンツで乗り換えるローカル列車の線路が、「ライン川左岸なの?それとも右岸なの?」と考え込んでいる。
 その傍らで大雑把にも、「そんなもん、どっちを向いて左岸や右岸や言うねん」と、的外れな誰か。

 ICEは少し遅れて、ライン川中域の古都コブレンツに着いた。

 乗り換えのリージョナル・エキスプレス(RE)への時間が殆どなく、息せき切ってホームに駆け上がると、多分中国人だと思う、「間に合ってよかった」と言ってくれているようだ。

 ありがとう返しながら、「ここでモーゼル川とライン川が合流するでしょ。多分列車は、直ぐに橋を渡って右へ・・・」、空あくまで青く、大気澄みわたる日でした。

 皆様に支えられて 「ペトロとカタリナの旅」、今回で200回 を重ねました、多謝!

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地蔵盆

2010年08月24日 | 季節/暦

  地蔵會や線香燃ゆる草の中 (虚子)

 二十四日盆(にじゅうよっかぼん)と呼んでいた。
 親戚縁者が集まって故人を偲ぶ旧盆が過ぎると、朝な夕な秋風をそぞろ感じる頃ともなり、子供心にも何となく寂しさを感じた記憶がある。

 Photo_6その二十四日盆、旧暦の盂蘭盆と呼ぶのが正しいようだ。
 
他の行事が、新暦の日付で行われることが多い中、比較的多くの地域が旧暦日で行っているのがこの盂蘭盆で、地蔵会とも呼ばれる。

 新歳時記ホトトギスによれば、“ 地蔵菩薩は子どもの守護仏として信仰された ” とある。
 また、亡くなった幼児が、賽の河原で苦しめられるのを救って下さるという俗説があって、地蔵盆といえば子どもの祭りのような感じがある ” とも。

 その日はゆく夏を惜しむかのように祭りがあって、長かった夏休みの最後の思い出づくりに楽しかった覚えがある。

 Photo_7川裾祭りと呼んだその夏祭り、丹波や但馬、丹後の旧三丹地方で多く行われているらしい。
 
川と川が合流する辺りの村々では、水の恵みをもたらす川裾大明神に感謝するのだそうだ。

 ところで、都会では新住民が増え昔からの風情が消えつつあるが、わが西洋長屋の南の隅に地蔵さんを祀る小さな祠があり、毎年、世話役さんなどがテントを張り地蔵盆独特の提灯を飾る。

 子供が生まれると、女の子は赤、男の子は白の提灯に子の名を書いて奉納する風習があると聞く。
 そして、その子が地蔵盆にお詣りしている間は、毎年その提灯を飾って加護を祈るという、親心である。

 それにつけても、昨今の吾が子への虐待報道を見るにつけ心が暗くなり、そして、悲しい。

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秋の遠足‐ICE

2010年08月23日 | ドイツ/オーストリア

 今日から、二十四節気のひとつ処暑
 連日の猛暑も、そろそろ一段落する頃らしい。

  炎暑に繰り広げられた高校野球も、例年、閉会式の頃には外野を赤とんぼが泳ぎ、センターポールの上あたりに、薄く刷いたような雲が姿を見せ始める。

 Photo_2ところで、もうひと昔以上も前のこと。
 千年紀・ミレニアムに、カトリック教会の皆さんとヴァチカンへ巡礼。
 多くの信者とともにサンピエトロ広場で、教皇ヨハネ・パウロ2世(写真上)の祝福を受けた。

 その途中、確かイタリアのベローナだったと思う。
 皆揃っての夕食の席、同じテーブルになった神戸大学の先生、ドイツ文学が専攻、「機会があれば、季節のいい頃のライン川を是非」と勧められ心に残っていた。

 話はそれるが、Wed_3_3ビールのジョッキに目盛りを入れる合理主義の国ドイツ。
 合理的な考え方に感心することのひとつに、高速列車、ICE (Inter City Express/写真中:ケルン駅)がある。

 このICE、予約なしに乗れるのが嬉しい。
 ジャーマンレイルパスやユーレイルパスなどがあれば追加料金は不要。
 全席自由席で、空いている席に座ればいい。

 Wed_22ただ、確実に座りたい場合には座席指定をした方がいいのは言うまでもない。
 指定した区間、予約があることを座席に表示してくれる。

 ICEは、ブリュセル、ウィーン、ミラノなどへも足を延ばす国際列車でもあり、旅行者にとって便利このうえない。 

  話は戻って、巡礼から何年か後、オランダにレンブラントを訪ねた。
 帰国便がフランクフルトだったので、ブリュセルからICEでドイツに向う途中、デュッセルドルフで下車。

 この街をベースに、中世西ヨーロッパの歴史上最も重要な位置を占めるカール大帝の街アーヘン、ケルンに大聖堂(写真下)やヴァルラフ・リヒャルツ美術館などを訪れた。

 そして、何時か機会があればと思っていた “ ライン川に遊んだ秋の一日 ” を何回にわたって綴る。

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ボストン美術館展(後)

2010年08月20日 | 美術館 (国内)

 ボストン美術館展の続き。

 象派の中でもモネは特別扱い、彼の11点だけがひとつの部屋を囲んでいたが、面白かったのは、「小クルーズ川の峡谷」。
 従来の写実的な表現から、斬新な色彩の組み合わせ、抽象的な形へと関心を移し始めた頃の作品らしいけど、珍しいタッチの絵だったなあ。

 Photo_7は、「睡蓮の池」など、同じ主題で多くの絵を描いたでしょう。
 「積みわら(日没)」も、その連作のひとつだけれど、一連の「積みわら」、今までどちらかと言えば、まあまあ、という印象だったのね。
 だけど、今回の「――(日没)」(写真上)は、好感が持てたわ。
 
積みわらの向こうに大きな太陽が沈んでいく様が感じ取れ、明日への希望のようにも見えるの。
 「ジベルニー近郊のセーヌ川の朝
」は、山魁夷の絵のようだったわ。勿論、先に描いたのはモネでしょうけど。

 Photo_4チオシは、シスレーの「サン=マメス、朝」(写真中)かな。
 水辺の風景を得意とする彼、ローヌ川がロワン川と合流する辺りの風景らしいんだけど、彼が愛し、終生暮らしたとされるパリ近郊のモレ=シュル=ロワンの、穏やかな風景が切り取られていたよね。
 上部を大きく開放、彼には珍しい構図で面白いと思ったね。

 ンフレットの表紙にも使われたモネの「アルジャントゥイユの自宅の庭のカミーユ・モネと子ども」、この随分と長い題の絵、モネの部屋とは別に展示されていたけど、背景の花の描き方が、彼独自の表現で上手いと思ったし、その近く、ドガの「美術館にて」の色使いにも感心したわ。

 Photoッホの「オーヴェールの家々」(写真下)。
 1889年に精神を病んで入院して後、90年にパリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移住するんだけど、その年の夏に拳銃で自殺するんだよね。

 の作品、展示リストに90年の制作とあったけど、精神が比較的落ち着いていたのか、平穏な村の情景が明るく描かれていて、この後のゴッホの作品の多くに見られる、病的な苦悩感はないように思った。

 れはそうと、この展覧会に限らず、写実主義以前の西洋絵画を見る度に、旧約聖書や新約聖書を読んでいないと、絵の意味が理解できないことが多いと思うんだけど。

 実主義の画家ミレーの「馬鈴薯植え」と「刈り入れ人たちの休息」もそうね。
 特に、「刈り入れ人――
」は、聖書を読んでいないと、単なる日常の農村風景に見えてしまうかも知れないわね。

 ストンまで行かなくても、モネの「ルーアン大聖堂(夜明け)」やドガの「田舎の草競馬にて」が見られるんだから素晴らしいよね。

 日盛りの道を、白川沿いに地下鉄の駅へと向った。

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ボストン美術館展(前)

2010年08月18日 | 美術館 (国内)

 この展覧会、ボストン美術館が改装のために実現したらしい。
 旧盆の前、しかも、開館と同時ならばと、この日この時間にしたが、既に50人ほどが待っていた。(写真上)

 Photo_2場へ入ってすぐに、グレコの「祈る聖ドミニクス」。
 人物が引き伸ばされて表現されるマニエリスムの大家グレコらしく、神に祈るドミニクスが二等辺三角形の構図で、しかも、モノトーンのように描かれていたわね。

 ンブラントは、28歳の作品だろう?
 早い話が、写真屋さんが店先に飾る見合い写真のようで面白みがない。
 ただ、明暗際立たせる描き方は、流石、光と影の魔術師、確かなものがあるよね。

 ァン・ダイク、ンブランド、ベラスケスの肖像画は、対象をきちんと消化して描いていて、相変わらず上手いな~と。

 21 うだね、ベラスケス「ルイス・デ・ゴンゴラ・イ・アルゴデ」(写真中左)やルネッサンス以降の作品から多くの画想を得たマネの「ヴィクトリーヌ・ムーラン」(写真中右)などの肖像画が架かっていたけど、流石に達者なもんだと感心した。

 ペインの画家ムリーリョの「笞打ち後のキリスト」(写真下)だけど、これは、ちょっと感動物の絵だったわ。

 直前の「キリストの笞(鞭)打ち」の場面は、カラヴァッジョ作品をナポリとルーアンに追ったことなど、<カポデモンティ美術館(2)>などに書いたけど、その後を主題にした作品は珍しいよね。

 Photo_6なる人の象徴である頭上の光輪はにぶく滲み、打ち砕かれた尊厳と彼の悲しさが、四つん這いなったキリストの全身に満ちていた。
 そこにあるのは、この世の苦しみや悲しみのすべてを抱え込む、生身のキリストなのね。
 画面右手に立ち竦む天使の姿が、ことの過酷さを表わしているの。

 催者も、“ 二人の天使が傷ついたキリストの高貴な姿を見つめる構図は稀 ” と解説、“ 情感においてスペイン的であり、暗色が背景の中でキリストの肉体が放つ光の輝きは、この人物像に宗教的な霊妙をもたらしている ” と続けていたが納得。
 振り返らされたよね。

 ンドン・ナショナル・ギャラリーの「聖三位一体・聖家族」などに見られる、ムリーリョらしい愛らしく美しいペインティングは、二人の天使の膝小僧にだけにしか見て取れなかったのだけど、彼の表現の深さに脱帽、この一枚の絵だけでここに来た甲斐があったわ。(続く)

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何処へ?

2010年08月16日 | ドイツ/オーストリア

 先の土曜日、8月7日は、“ 立秋 ” だった

 ペトロ とカタリナ、その日、有馬温泉行で暑気払い。
 その日のことなど、<♪ いい湯だな、で終わるはずが>に書いたところ、 コメントやメールでお心遣いを頂いた。
 心配をかけたカタリナも今は常に戻り、頗る元気にしているのでご報告まで。

 Photoさて、藤原敏行の、“ 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる ” (古今和歌集)じゃないが、何処かで上がる花火の遅れて届く音とともに、ふと涼しい風を感じるときがある。

 多感な頃、堀辰雄の「風たちぬ」の、“ 風立ちぬ、いざ生きめやも。ふと口を衝いて―― ” を、読んだ様な気もするのだが・・・、「へえ~っ、多感な頃」、あったんだよなあ、紅顔の○少年の頃が、「厚顔?違うって!。

 あと一週間もすれば、さしもの暑さも止むという、“ 処暑 ”。                                                                                            

 松田聖子さんの 、 風立ちぬ 今は秋 今日から私は 心の旅人 (詞:松本隆)を真似て、さあ、鞄抱えて旅に出ようと、思ったものの、さて何処へ?

 Photo_2話は変わって、宮部みゆきさんと宮本輝さんの新刊が出た。
 わが町の図書館、「まだ、購入していない」とのことだったが、人気作家らしく予約は既にどちらも20番台だった。

 そういえば、宮本さんの20年ほども前の作品に、「ドナウの旅人」というのがあったことを思い出した。                                                                                            

 平穏に見える家庭を捨てた母をドイツに追った娘、それぞれの恋人を交え、レーゲンスブルクからルーマニアまで、全長3千キロのドナウを旅する話だったと覚えている。

 そのドイツの母なる川と呼ばれるドナウ、然らば父なる川は?                                                                           

 Photo_3ライン川にマイン川が合流して暫く、ザンクト・ゴアルスハウゼンという小さな町の近く、川は大きく右に曲がる。

 川を下る船がこの辺りに近づくと、突如メロディが流れ出し、それまでのんびりと景色を楽しんでいた人たちが一斉に右舷の急峻(写真上)を見やる。

  なじかは知らねど心わびて 昔の伝説はそぞろ身にしむ 
   寥しく暮れゆくラインの流れ 入日に山々あかく映ゆる 
  
 ローレライ:ハイネ詞/近藤朔風訳)

 そのライン川、フランスを源とするモーゼル川が古都コブレンツで合流、ケルン、デュッセルドルフと滔々とゆく。
 
秋風に誘われ、ゆったりと父なる川ライン(写真中)を下ってみますか?

 白銀色の花穂、芒だとばかり思っていたら、「パンパスグラス(写真下)よ。生け花に使うことも」と言う。
 そういえばタンゴに、「アディオス・パンパ・ミーア、さらば草原よ」という名曲があったことを思い出した。                                                                                             

 

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♪ いい湯だな、で終わるはずが

2010年08月13日 | 宗幸雑記

 前の週はとんだ厄日続きだった。
 事の起こりは日曜の朝、洗面の時、頬の下に赤いかぶれが、金曜にベランダで水遣りした時に虫がついたようで、手で払った記憶はある。

 月曜の朝、ペトロ が1円玉ほども赤くなった頬を目ざとく見つけ、「へえ~っ、珍しく虫に好かれて」とからかう。
 汗っかきの彼、同じ場所に居ても自分だけが蚊に刺される、その意趣返しみたいに言う。

 悪いことは重なるもので火曜日、今度は朝からお腹が痛い。
 Cimg4734_2胃や腸が弱く、少し食べ過ぎただけでも、疲れが溜まってもてき面だ。
 何時ものことと高を括っていたら思いの外で、昼過ぎから酷くなる一方、明日、明後日とお稽古もあり絶食した。

 水曜のお仲間が「毛虫には〇〇薬が効くわよ」と教えて下さる。
 その夜、熱があるとは思えないが寒気がして頭痛、動くとガンガン響く。
 木曜の午前中、かかりつけのお医者さんへ、頭に響かないようすり足でそろそろと。

 翌金曜日、お粥と梅干で少し力がつくようになった。
 自分は食べなくても仕度が要る、「食事はいいよ」と気を使ってくれるが任せたら外食するだろうし、明日のことを考えると気が重い。

 Cimg4753_2そこで前から行こうと話していた “ 有馬温泉行 ” を提案、昨年だったか、西宮市街から有馬温泉へ “ さくらやまなみバスが運行、小1時間で着くらしい。

 それで立秋だった土曜、有馬の湯へ暑気払いとなった。

 温泉は鉄分を含んだ茶色い「金の湯」、気持ち悪がり?の私、そろそろと足を入れたが思った以上にさらさら。
 
白い「銀の湯」の大きな浴場から青い空と山を眺め「の~んびり」、心も身体もすっきりとリセット。

 これで、「気分良く終わる週末」の、はずだった・・・が、夕食の支度で揚げ物の油が大きく撥ね顔面に。
 取りあえずヒリヒリする箇所を、氷を入れたハンカチで押さえながら夕食を終えたが、後で鏡を見ると冷やしていなかった火傷が二箇所もある。

 ペトロは「これで打ち止め!と慰めてくれたが、床だけじゃない、つい先日、換気扇のフードやレンジ周りのタイル、綺麗に磨いたばかりなのに油まみれ、「あ~あっ」(

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