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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

いつかどこかで ‐ 再びのトレド

2013年02月25日 | スペイン/ポルトガル

 照り付ける太陽、何とかならないだろうか。
 そんなことを考えながら、サンタ・クルス美術館からソコドベール広場へと続く階段を上る。

 A1 A2

  広場からバス(左)でトレド駅に向かいました(右)

 バスは坂道をどんどんと下って行く。
 この街が小高い丘になっていることが良く判る。

 B2 B3_2

  トレド駅(左)は、晩い夏の厳しい太陽の下でハレーションを起こしたかのようです
 
 日陰に置かれたベンチには隙間なく観光客が座り、マドリードに向かうAVEを待っています
 小一時間も待ったでしょうか、ようやくAVE・AVANTの改札が始まりました(右)

 マドリードへ帰る観光客が一番多い時間帯なのか、列車の編成が往路に比べ倍ほどの車両をつないでいた。

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  この街をこよなく愛し、この街でその生涯を終えたエル・グレコ(1541-1614 /マニエリスム)
 
その彼の「自画像」(左)と「トレド景観」(右/何れもNY・メトロポリタン美術館蔵)、再登場です

 ドン・キホーテの著者セルバンテスが、“ スペインの栄光。その光と影、岩のように沈みて重い ” と謳った街トレドにひとりの画家を訪ねた旅。

 第1回の「<古都トレドとグレコ>」から16回にわたって投稿しましたが、今回でひとまず終えこととします。
 何時かまた、何処かの街で、ちょっとばかり顔や首などが長いキリストや聖母マリアや諸聖人と、出会えるかも知れません。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.582

コメント (3)
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シエスタ ‐ 再びのトレド

2013年02月20日 | スペイン/ポルトガル

 エル・グレコ(1541-1614 /スペイン/マニエリスム)の傑作「<聖衣剥奪>」、その感動覚めやらぬままに大聖堂を離れた。

 A2 A3

 聖堂左手獅子の門から聖堂正面の免罪の門(左)に回りました
  そこは少し勾配のある広場、左手に市庁舎があります

 
トリニダド通り(右)と呼ぶ細い通りからサント・トメ教会に向かいました

 その、<サント・トメ教会>、余りにも有名になったようだ。

 B1 B2 B3

 この小さな教会に、グレコが、トレドでの地位を不動のものにした珠玉の一枚があります
 その傑作が、「オルガス伯の埋葬」(左/部分)
 
ベラスケス(1599-1660/スペイン/バロック)の「ラス・メニーナス」(中/部分)
 レンブラント(1606-1669/オランダ/オランダ絵画黄金期)の「夜警」(右/部分)
 それら傑作と並んで、世界三大集団肖像画ともてはやされ、その恩恵に与かったのでしょうか?
 この小さな教会、驚くほど綺麗になっていました
   

 97年、教会は素朴な佇まいにあった。
 教会自体が打ち捨てられたような印象を持ったが、この変わり様に10年の今昔を思った。
 ここに限らず何年後かに再訪すると、無料だった施設が有料になり、何時でも入場できたものが時間制限されたりと、文化財保存の意味もあるのだろうが、商業主義がもたらすものに驚いたりもする。

 C1 C2

 サント・トメ教会(左)と別れたふたり、照りつける強烈な太陽にグロッキー
  起伏ある石畳の道(右)をソコドベール広場に戻りました

 折しも街は、シエスタ、お昼寝の時間なのだろうか静まり返っていたが、この広場一帯、特に、ソコトレンという奇妙な名前の周回バスの周辺は観光客で溢れている。
 このバスは、グレコが傑作「<トレド景観>」を描いたという、旧市街を一望に見渡せるタホ川対岸に運んでくれるらしいが、「乗ってみる」と問いかけると、旅の連れは「もういい、少し休みましょう」と言う。

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 カフェテラス(左)の椅子に腰かけ、ひと息を入れます
 
冷たいビールとアイスクリーム(中/右)、今、一番好きなもの、欲しいものを頼みました

 太陽はますます元気に照り付けていて、広場の敷石に木々の濃い影を映していた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.580

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「聖衣剥奪」 ‐ 再びのトレド

2013年02月12日 | スペイン/ポルトガル

 天井にルカ・ジョルダーノ(1634-1705/イタリア/バロック)によるフレスコ画が描かれている聖具室、その、次の間が絵画館になっている。

 そこに、エル・グレコ(1541-1614 /スペイン/マニエリスム)の運命を決めた傑作「聖衣剥奪」が架っている。
 ちなみに彼、画題も同じ「<聖衣剥奪>」(アルテ・ピナコテーク蔵)も描いている。

 B_expolio_3燃え上がるようなイエスの衣服は受難のシンボル、また、崇高に描かれたその姿はトレドの人々の信仰心をかきたてたとも言われている。

  ローマを去った彼は、自らの力を頼りにトレドの街にやって来たのです
  そして描いた一枚が「聖衣剥奪」でした
  新天地を目指したグレコが、全身全霊を込めて描いた絵です
  イグナティウス・デ・ロヨラが著した「心霊修養」というグレコが愛読した
  本があります
  手の指を開き、中指と薬指だけを閉じなさい
  罪が犯されるとき、困難に出会ったとき、絶望の淵に立たされたとき
  その手を、痛み続ける胸に当てなさい
  困ったときには、この手の形、誰かがあなたを救ってくれる

 絡み合う路地のように陰影に満ちた人生を送った彼、73歳でその生を終えるまで描き続けたという。

 ギリシャのクレタ島は生と絵筆を彼に授け、トレドは最上の祖国となり、死とともに永遠に生き始めるとも。
 いつしか忘れられた画家となった彼の絵が再評価されたのは、300年後の19世紀半ばのことだったと。

 C_detail1_12 スペインの日差しは強烈、日陰が恋しくなったらこちらへどうぞ
  トレドのシンボル大聖堂、この絵が、あなたを待っています
  ところで、この手の形、あなたは出来ますか・・・?
  聖衣剥奪、エル・グレコ、光と影の一枚  「美の巨人たち」から

 この絵の主題は、新約聖書(ヨハネ福音書・19-23)の “ 兵士たちは、イエスを十字架につけてからその服を取り、四つに分け各自に一枚ずつ渡るようにC_detail2_6した。(略)下着も取ってみたが、それには縫い目がなく上から下まで一枚織りであった ” 。

 そこで “ 兵士たちは「くじ引きで決 めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書(旧約聖書/詩篇・22:19)の言葉を実現するためであった ” に拠る。

 ちなみに、今まさに十字架につけられようとするイエスを見つめる三人の女性は左から、十二使徒のひとり小ヤコブの母マリア、聖母マリア、マグダラのマリアと解釈されているらしい。

 付け足せば、絵画館にはゴヤ(1746-1828/スペイン/ロマン主義)やルーベンス(1577-1640/フランドル/バロック)などに並んで、あの無頼の画家カラバッジョ(1573-1610/イタリア/バロック)の絵も架かっていた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.577

 ※ コメントを投稿して頂く際に、キャプチャー画像の読み取りをお願いしていましたが元に戻しました。
     ご協力有難うございました。

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寄り道 ‐ 再びのトレド

2013年02月08日 | スペイン/ポルトガル

 再びトレドの街、大聖堂に戻る。
 <エル・グレコ>(1541-1614 /スペイン/マニエリスム)のこの傑作に初めて出会ったのが、02年の冬、ところはミュンヘンのアルテ・ピナコテーク。

 本来ならば、97年のトレドで見る筈の絵だったのだが、残念なことに案内人はそこには目もくれず、さっさと<次の目的地>に向かったことは既に書いた。

 Selbstbildnis_von_4本題に入る前に、少し寄り道をする。
 ミュンヘン市街の広大な公園の中にデア・モデルネ、ノイエ、そしてアルテの三つのピナコテーク(絵画の収蔵所)がある。

 デア・モデルネは、ヨーロッパ最大の規模を誇る近代アート、ノイエにはゴッホ、セザンヌなど18世紀から19世紀にかけての印象派から近代・現代絵画を中心に展示されている。

 目指すアルテには、中世宗教、ゴシックからルネッサンス、マニエリスムを経てバロックまでの絵画を中心に展示されている。

 ちなみに、キリストに擬して描いたがゆえにカタリナ が、「生意気な奴」と怒る<アルブレヒト・デューラー>(1471-1528/ドイツ/ルネサンス)の「1500年の自画像」(写真上)も、ここアルテに架かる。

 Expolio_1583そのアルテ・ピナコテークの正面の大きな重いドアを押して入る。
 一見して「ドイツ人だよね」と見紛うことのない受付の中年女性、1cm角の小さなアルミのバッジを「付けなさい」と言う。

 ロビーを横切り突き当りの大階段を昇ると、真っ直ぐに続く廊下の片側に展示室が並ぶ。
 フランス、イタリアからスペイン、そして、フランドルからドイツ、さらに、15世紀から17世紀絵画へと、年も押し詰まる12月の末の美術館、鑑賞する人もまばらな展示室をゆっくりと巡った。

 そして、ここでこの傑作と出会った。
 スペインの画家の作品が展示されている部屋の中央で振り向くと、途中にある幾つかの展示室の向う、正面に見える絵がひときわ目を引く。

 幾つかの展示室の中央の通路の木枠を、額縁に見立てる演出に物怖じすることもなく、“ 主役として当然だろうこの扱いは ” と主張してやまないその作品は、マニエリスムの最後を飾るグレコの傑作、「聖衣剥奪」(写真下)だった。

 キリストが十字架かけられる直前、衣服を剥がれる姿が主題。
 彼はそれまで見られなかった鮮やかな紅で聖衣を描き、この作品を一層際立たせている。

 この作品のバリアント・異同作品がトレド大聖堂の聖具室に続く絵画館にあるが、それは次回に。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.576

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トランスパレンテ ‐ 再びのトレド

2013年01月11日 | スペイン/ポルトガル

 右側の扉から入ろうとすると、ガードマンにやんわりとたしなめられてしまった、というのが前回。
 路地を下った所にあるプレハブ小屋でチケットを買って、再度「大時計門」に向かった。
 ちなみにこの門、七つある門の中で最古の門と言われている。

 A1_2 A1 A2

  左側の扉から入る人は止められることもなく?と思ったのですが聖堂に入ってその理由が判りました
 
その扉は入って直ぐ高い柵に阻まれ、主祭壇と聖歌台が僅かに見えるだけ、なるほどと納得でした

 15世紀に入ってコロンブスが新大陸を発見、交易が盛んになると交通が不便なトレドの栄光は次第に失せ一地方都市へと没落、その一方で、大西洋に近い港町セビリアには未曾有の富がもたらされたとされる。

 セビリアが台頭するまでのトレドは、スペインの政治、文化の中心だった。
 そのトレドに大聖堂が建立されたのは、589年に西ゴート王国の首都トレドで宗教会議が開かれカトリックを国教とすることが決定、以来この街にトレド大司教座が置かれることになり、それに相応しい大聖堂が必要と考えた。
 トレド大司教は今も、スペイン・カトリックの首位聖職者とされている。

 工事が始まったのが13世紀始め、その命を下したのが、当時イベリア半島の7割近くを占めていたカステーリャ王国のフェルナンド3世。
 混乱や無秩序が支配、ともすれば野蛮とまで称されるゴチック様式の外観とは対照的に、内部は豪華絢爛を極め、精緻で金色に輝く装飾で埋め尽くされたとされる。

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  象徴とされるのが金色の鉄柵で囲まれた中央祭壇の後方、黄金に輝く衝立です
 
ヨーロッパ各地の芸術家、27人の共同制作になるものだそうです

 その裏側に置かれているのが、1723年に完成した透明を意味する「トランスパレンテ」。
 97年当時、見逃し随分と悔しい思いをした曰く付きの装飾である。

 C1  C3 C2

  16世紀、中央祭壇の裏側に唐松にキリストの生涯の20場面を掘り込んだ衝立が作られました
 
ところが、それによって祭壇前に置かれた聖櫃(せいひつ)が闇の中に埋もれてしまったのです

 打開策として衝立に穴を穿ち、光を取り込むことになった。
 単に穴を穿つだけではなく、衝立の裏面に天使が飛翔する場面など、バロック調の美しい彫刻が施されたのである。

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  さらに工夫が凝らされ、外光を取り込むため外壁にも大きな穴が開けられたのです
 
穴からの一筋の光、暗闇に置かれた聖櫃を神々しいまでに浮き上がらせ劇的な効果をもたらしたのです

 折からの素晴らしい天気を受けて強い光が差し込んでいた。
 尤も、高いところまであって全体像を上手く仰ぎ見ることができないのが少し残念。写真は上手くフレームに納まってくれたか?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.564

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大聖堂へ ‐ 再びのトレド

2013年01月09日 | スペイン/ポルトガル

 AVE・Avant はすべるようにアトーチャ駅を離れた。
 市街地を過ぎると赤茶けた土地が続き、車窓を移る風景に面白みがない。

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 ∮ トレドまでは僅か30分の旅、それこそあっという間でした 

 駅前広場はハレーション、真夏を思わせる天気が広がっている。

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 イスラム教とキリスト教の建築様式が融合したムデハル様式の重厚な駅舎
 その構内はステンドガラスも美しく、古都トレドの玄関に相応しい構えです
  

 駅を出て敷石の道を右手に進むとおり良くバスが停車中、ドライバー氏に「ソコドベール?」と聞くと頷く。

 向かいの席の地元のおじさんが親切。
 ドライバー氏のやり取りを聞いていたのだろう、バスが動き出すと景色を説明してくれる。スペイン語なんて判りようもないが地名程度は聞き取れる。

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 ∮ バスはやがて川に、件のおじさん「タホ川だよ」と教えてくれます
 ∮ タホ側を横切るのは「アルカンタラ橋」ですが、バスは新アルカンタラ橋を行きます

 城壁に沿って坂道を登って行く。
 やや道路が平坦になった辺り、現存するトレド最古の門「ピサグラ門」。
 ここから、グレコ(1541-1614 /マニエリスム)がこよなく愛した旧市街になる。

 ピサグラ門から5分も急坂を登っただろうか、進行方向左手に小さくもなく広いでもない広場を少し過ぎてバスは停まる。

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 ∮ 茶色の高い壁の「アルカサル・王宮」に面したソコドベール広場、ここが終点です

 そこから大聖堂へ進む道が予測もつかない。
 人の流れに付いて石畳の道を一旦下り、途中、店先で雑談していたおじさんに訊ねたら親切に、「ふた筋上って左に折れろ」と身振り手振りで教えてくれる。

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 ∮ 教えて貰った道を辿って10分ほど、小さな路地の向こうに見覚えの時計のある門が見えます
 ∮ 隣り合うふたつの扉が開かれていて、その扉の間に柵が設けられています

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 右側の扉から入ろうとすると、ガードマンに「チケットを買ってきなさい」とやんわりとたしなめられてしまった。
 そうだった、確かこの大聖堂、有料とガイドブックにあったことを思い出した。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.563

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「ゲルニカ」 ‐ 再びのトレド

2012年12月21日 | スペイン/ポルトガル

 乗ろうとしたAVE・高速列車の切符の発売は終了。
 次の列車を待たねばならないのだが、新幹線のように頻繁に運行されている訳でもなく、昼前の便まで待たなければならない、というのが前回。

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  アルフォンソ12世通りとアトーチャ通りが交わる大きな交差点(左/07年)
 その一角にアトーチャ駅(右/07年)があります
 この駅、道路を挟んで階下で近郊線のセルカニアス駅とAVEのプエルタ駅に分かれています

  結局、次のAVEにしたのだが、トレドへの切符売り場は既に長蛇の列。
 それにしてもやっとこさという感じ、呆れるほど長い時間をかけて切符を売って?貰えた。

 で、発車までかなりの時間が余ってしまった。
 こうなれば発想の転換、帰りに寄る予定だった 「ソフィア王妃芸術センタ」に先に行くことにした。
 この辺が 「個人旅行の融通の利くところ」と威張れば、「ツアーだと、切符一枚にこんなに時間とられることはないよね」と、失礼なことを誰かが言っている。

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  駅の西側から構外(左・中/07年)に出ると右手にソフィア王妃芸術センタ(右/07年)が見えます

 スペイン内戦さなかの37年4月、フランコ将軍を支援するナチス・ドイツよって史上初めての無差別空爆を受けた北部バスク地方の小さな町ゲルニカ。

 この惨事を知ったパブロ・ピカソ(1881-1973/スペイン・キュビズム)は、同年に開催されたパリ万博のために依頼されていた作品のテーマに 「ゲルニカ」を取り上げ、僅か1ヶ月余りで描き上げた。 
 それは、戦争への激しい怒りと生命の尊さを全世界にアピールするものだった。

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  ピカソが怒りを込めて描いた 「ゲルニカ」が架かっています
 
キャンパスに工業用絵具ペンキによって描かれたモノトーンの大作(350cm×780cm)です

 全体の構成は 「キリストの磔刑」をイメージしたという解釈もあるようだが、人間の目をした牛の顔、窓から室内に首を突き出す人物など、奇妙なデテールもあり、要は、この絵を見た人それぞれが、さまざまに解釈すればよいのだろうと思った。

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  時間も押していたので、ソフィア王妃芸術センタではピカソをのみを堪能
  アトーチャ、セルカニアス駅(左・右/07年)に戻りました

 鉄道を利用する時は、フランス国鉄が運営する 「レイルヨーロッパ」という優れもののチケット販売サイト、最近日本語版もできたようだ。を、利用して事前に確保するのだが、まさかマドリードとトレド、例えれば大阪と京都という近郊路線。に、こんな手古摺るとは思いもしなかった。

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  セルカニアス駅からプエルタ駅へ移り、手荷物審査を受けて待合室で待つこと数十分
 
時間が来ると待合室のゲート(左/07年)が開き、乗客は一斉にホーム(中・右/07年)に向かいます

 古都トレドまで30分ほどの列車の旅、いろいろとあったがAVEは静かにホームを離れた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.555

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AVE・アヴェ ‐ 再びのトレド

2012年12月19日 | スペイン/ポルトガル

 トレドへはスペインの誇るAVE・アヴェに乗った。
 マドリードの中央駅、プエルタ・デ・アトーチャ駅は、近郊電車が発着するアトーチャ・セルカニアス駅に隣接している。

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  セルビア(左/97年)からマドリードへの移動は開通して5年目のAVE
 着いたアトーチャ駅のコンコースが植物園(右/97年)みたいで驚いた

 AVEの開通に伴い新たにプエルタ・デ・アトーチャ駅が作られた。
 そのアトーチャ駅へ、ホテル・ウエリントンから徒歩で向かった。

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  駅に向かってベラスケス通りを南へ
 アルカラ門(左/07年)からレティーロ公園(中/07年)、日本語の案内板(右/07年)が面白い

 この旅、リスボンからポルト、そして、マドリード、バルセロナとこの旅中、コンポステーラで明け方にお湿りがあった以外ずっと好天、一体、何時まで続くのかと思っていた。

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  リスボン郊外夏の離宮シントラ(左/07年)も坂の町ポルト(中/07年)も抜けるような青空でした
 
中世の色を濃く残す聖なる町コンポステーラ(右/07年)、雨の朝です

 そんな訳で、マドリードは、今日も素晴らしい天気。
 アルフォンソ12世通りというのだそうだが、レティーロ公園を挟んでプラド美術館の辺り一帯は豊かな緑に囲まれた文化ゾーン、国立や王立の人類学博物館や装飾美術館、王妃芸術センタや植物園、ボルネミッサ美術館などが並ぶ。
 その12世通り、王立植物園の辺りから南に坂を下った所に道路を挟んで大きな駅舎がある。

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 左手の赤い看板がセルカニアス駅、右手の白い看板がアトーチャ駅(左/07年)
 小さな植物園(右/07年)今もありました

 9時に駅に着いたが、AVEの9時20分発の切符の発売は終了していた。
 他にトレドへの移動手段も思いつかないので、次の列車を待たねばならないのだが、新幹線のように1時間に何本もある訳ではなく、昼前の便まで待たなければならない。さて、どうしたものだろう?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.554

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再びのトレド

2012年12月17日 | スペイン/ポルトガル

 エル・グレコ(1541-1614 /スペイン・マニエリスム)の傑作「オルガス伯爵の埋葬」。
 感激覚めやらぬ気持ちでサント・トメ教会と別れた後、グレコの家とサンタクルス美術館に行きたいと強く望んでいたので、案内人に尋ねたら、「このツアーに限らず、団体ではまずそこには行かない・・」と言う。

 時間が無いのだろうと諦め、城壁の内側に沿って坂を下り、タホ川に架かるサン・マルティン橋を渡り城外に出た。
 そこには、既にバスが待っていたのだが、添乗員が、「出発まで買い物のため時間を用意」と言い、土産物店に連れて行かれた。

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  サン・マルティン橋(左・右/97年)、後ろに見えるのがトレドの旧市街です

 カタリナ ならずとも憮然となる。
 初めてのふたりでの海外旅行、時間がないと言いながら土産物屋に寄る不思議さが理解できなかった。
 この旅の初日のバルセロナ、途中のセビリヤ、前日のマドリード、このトレドへの途中にも寄った。
 それ以来、言葉も禄に話せないのに個人旅行じゃなければあかんと思うようになった。

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  旅の初日、バルセロナのグエル公園(左/97年)
 セビリヤのアルカサル(中/97年)、マドリードの王宮広場(左/97年)です

 そう言えば、日本生産性本部の欧州研修でも、ロンドン、パリ、ローマ、ベルリン、何処も彼処も、企業訪問やセミナーの合間に土産物店へ寄った(らされた)。
 余談だが、当時ヨーロッパ旅行の手配はM社、今もこのエージェントが牛耳っているのかは知らない。の、意向に逆らえない国内旅行社。
 グループツアーの宿命だったのだろうが、最近では “ 土産物店に寄りませんから ” が売りのツアーの広告もままに見る。

 話は戻って10年後、07年の9月に飛ぶ。
 朝、起きると「足に豆ができちゃった」と言っている。
 前日、プラド美術館とボルネミッサ美術館巡りで、足に豆ができるほど歩いたことは<別稿>で書いた。

D1 D2 D3

  プラド美術館・ゴヤ門(左/07年)からボルネミッサ美術館(中/07年)への途中
 花一杯のプラド通り(右/07年)では、自転車競技が行なわれていました

 その疲れもなんのその、今日は、古都トレドに向かう。
 97年の初冬、12月も押し詰まった頃、JALのアイル・ツアーも終盤に入った旅の8日目、スペインを守護する大聖堂がある街で少し悔しい思いをして以来のことである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.553

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「オルガス伯爵の埋葬」

2012年12月07日 | スペイン/ポルトガル

 トレド大聖堂の正面、アユンタミエント広場から西へ石畳の路地を行く。
 小さなコンデ広場の一角に小さな教会があって、意外にも長く列が延びていた。

 入場時間が予め指定されていたらしく、案内人は、時間も気持ちも急いていたのかも知れない。
 急いで向かったその素朴な教会に、どうして多くの人が訪れるのだろうか?

 9712_9_2そのサント・トメ教会(写真上)。
 エル・グレコ(1541-1614 /スペイン・マニエリスム)が、スペインでの地位を不動のものにした珠玉の一枚、傑作 「オルガス伯爵の埋葬」がある。

 ベラスケス(1599-1660/スペイン・バロック)の 「ラスメニーナス」(プラド美術館蔵)、レンブラント(1606-1669/オランダ・オランダ絵画黄金期)の 「夜警」(アムステルダム国立美術館蔵)と並んで、世界三大集団肖像画のひとつとされている。

 この小さな教会、荒れるに任せていたのをオルガス伯爵が再建したとされている。
 小さな石段を昇り、ビロードの黒いカーテンで仕切られた部屋に入ると、右手の壁一面にその絵は架かっていた。

 トレド出身のオルガス首長ドン・ゴンサロ・ルイス、正義感に満ちた騎士オルガス伯ルイスは信心深い篤志家でもあり、グレコの教会区教会でもあったサント・トメ教会のために多額の財産を遺している。

B  二部構成になったこの絵の上部には、その有徳の士オルガス伯の魂が天に召される場面。
 下部には、トレドの守護聖人、聖エステバンと聖アグスティンが、オルガス伯爵を葬っているという奇跡を描いている。
 現実と非現実の世界が同居する劇的な描写は、彼がイタリアで修得したものといわれている。

 テンペラによって描かれているため、薄暗い礼拝堂の中にあっても、まるで、この絵自体が光を放っているかのように明るく色鮮やかに浮かび、思わず声を上げてしまった。
 ちなみに、埋葬されるオルガス伯の周囲には、グレコ自身の姿や画家の息子であるホルヘ・マヌエルの姿も描かれている。

 流浪の果てに、異邦人がたどり着いた安住の地、その光と影、“ 聖なる街。岩のように悲しみに充ちて重い、スペインの栄光 ” (セルバンテス)、エル・グレコ、心のトレドである。

 現金なもの、消化不良で胸の辺りの痞(つか)えも傑作との出合いで解消。
 感激覚めやらぬ気持ちで、97年初冬、古色蒼然たる佇まいの街、トレドと別れた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.549

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