ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

隠し事 ‐ 1月がゆく

2013年01月31日 | 季節/暦

 二十四節気のひとつ、一年で一番寒さの厳しい頃とされる “ 大寒 ”(だいかん)。
 今季はこの月の20日からだったらしいが、暦どおり今冬一番の寒気が月末に襲来、北国では雪下ろしなどに大変な様子。

 昨年末、“ 検査結果にもよるが、暦の隙間を狙って年明けにでもできれば ” と書いた<墓参>。
 その一年目の節目検診、癒着でひと悶着したこともあったけれど、お陰様で再発も転移もなくやれやれ。

 1_sirosuisen2_otometubaki 一方、カタリナ、前号で投稿していたが、お仲間の皆さんと、四回の初釜を終えることが出来たよう。

 ところで、<何年か前の正月>、わざわざこの月の頭文字を捩(もじ)って、“ 今年も、「」やになるほど長く?感じた一月だった ” と書いたが、今年は、検査に初釜に東京行などが重なって意外に短く感じた。
 そんな月の末の某日、雪がちらつく中、延び延びにしていた墓参、ようやく叶ったという次第。

 その道中のこと、「隠し事の無い家」と苦笑いを浮かべるので、何のこと?と考えていたら、「あゝ、ブログのこと」と思い至った。
 ブログとは Web Log の略、ある意味日記をネット上に晒しているようなものだが、この稿も、それそのものじゃないかと失笑。

 3_senryou4_wabisuke でも、旅やお茶や写真のことなど、拙い文を読んで貰える貴重な機会である。
 それに、遠く離れて暮らす家族、多分、「あからさまにして」と顰蹙しているだろうけれど、老夫婦の日日を知る方便ともしているらしく、先の癒着のひと騒動に、「大丈夫」と電話をくれたりする。

 話はそれたが、きりりと寒さに身が引き締まる大寒も、月が明ければ節分に立春と続く。
 昨年のこの時期、それでなくともうそ寒い病院のベッドで、夕食に配られた<鬼追いの豆>ならぬボーロを、ぼそぼそと齧っていたことを思えば、なんと心地のいいことか。
 カタリナも、「さあ、稽古が始まる」と実に嬉しそうだ。

 もう少し秘めやかにすれば? なんて思いながらキーボードを叩いた日の朝、窓を開けると今季初めての白い世界が朝日に輝いていた。
 そんなこんなで睦月一月がゆき、寒中に咲く花は健気?だが、春はもう目の前。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.572

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巳年の初釜

2013年01月28日 | 茶事/茶会

 今年の初釜、茶事中の茶事、炉の正午の茶事 ” を計画。
 当日は、初炭手前、濃茶点前、後炭手前、薄茶点前に、亭主、水屋方、正客、詰役などの担当をそれぞれ決めて学ぶ場とした。
 席は Mm さんが存知よりの大阪・此花にある「祥月」。

 A0_kaiki

 会記は、何時もの A さんの墨痕鮮やかな手書き
 
出席者全員に配って下さるので、道具の組み立てなどが判り茶席がより楽しく、記念にもなり感謝の他ない

 役のある方も、受け持ちの場以外では席中で客として勉強をして頂きながら進める手筈としたが、茶事の流れを壊さないで進めるにはどうすればと思案していたら、初回の席で亭主役を担当して頂く Mk さんが判り易い進行表を作って下さり、二回目以降の席にも、有り難く応用させて頂いた。

 と、言うわけで、例年は炭点前や水屋でバタバタしている私だが、終始客のひとりでもあった “ 巳年の初釜 ” 、その雰囲気を感じ取って頂ければ幸せである。

 A1 A2_4  A3_2 A4

 待合、席入り、そして、初炭手前と続く

 B1_2 B2 B3 B2_4

  懐石、中立、銅鑼を打って後座、濃茶席が始まる

 C1 C2  C3 C4

  後座、本席の花は白椿、香り、練り、美味の濃茶点前

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  後炭手前、炭の立ち具合は? 会話もはずむ薄茶点前

 E1 E2

  客を送り、正午の茶事を終える

 素晴らしい持ち味ばかりの方々、改めて「皆さんすごいな~」と嬉しくなった初釜、和気あいあいのうちに今年も終えることができた。
 茶の心を感謝し、茶道の良さ、楽しみ、広がりを惜しみなく伝えられる言葉と心をお与え下さいと祈る日々。
 笑い声の絶えないお仲間のご健康とご家族の平安をも祈りながら、また、二月から楽しいお稽古が始まる。 (
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.571

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独立書展

2013年01月25日 | 美術館 (国内)

 路傍に雪が残った東京の街。
 冬にしては素晴らしい天気に恵まれ、建物がガラス張りだからという訳でもないだろうが、きらきらと輝いている国立新美術館に着いたところまでが前回。

 正面玄関を入ったロビーで知人らが待っていてくれた。
 大きく吹き抜けたエントランス、土曜の昼下がりということもあって、一角のカフェテラスには思いの他多くの人がくつろぐ。

 Dokuritusyoten_2Dokuritusyoten知人らの案内で早速、独立書展に向かったが、ここで公式HPで齧った薀蓄をひとくさり。

 公益財団法人独立書人団が主宰するこの書道展、文化庁と毎日新聞社が後援しているという。
 文化功労者(82年受賞)で、高知県安芸市出身の手島右卿が、“ 東洋独特の伝統をふまえ、世界に通じる新しい書を創造する ” という理念のもとに52年に設立したとある。

 で、今回はその第61回目とかで、美術館の中央ブース1階から3階までに作品が架かる。
 同書人団の作品は、仮名や近代詩文、大字書などが中心らしいのだが、一見して大字書が多く、書の知識に疎いペトロ でも、判り易いと言えば判り易いのかも。

 肝心の準特選に選ばれた知人の書。
 なるほど、一般の部で2000人程が応募し4割ほどが入選、その中から独立賞、特選含めて20作品余のひとつに選ばれたらしいが、身贔屓としても力量は感じる。

 Sakuhin_2Sakuhin_1カタリナ も、準特選の銀色の札が貼ってある作品を前に、「よかった、嬉しい」と、わがこと以上に喜んでいる。

 書は、古今和歌集から読み人知らず、素性(そせい)法師の歌二首。

 梓弓おして春雨けふふりぬ あすさへふらば若菜つみてむ
 春日野の若菜つみつつよろづ世を 祝ふ心は神ぞしるらん

 初出展だったので特選は見送られたらしい、と本人は少し得意気だったが、講評会では、“ 海のように広く大らか、確かな技量と作品感がある ” とか何とか、過分に褒められたと照れていた。
 ちなみに、知人の師の松浦紅秋さん(同団参与・毎日書道展参与)の書、枯淡のなかに流麗さと力強さがあり、素人目にもその違いは判る。

 知人は、「毎日書道展を狙うンだ」と意気軒昂、その意気やよしとしてもビギナーズラックと言うこともある、書に限らず何事も奢らず精進されんことを。 (写真の人物と本文は関係ありません。)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.570

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仕切り直し

2013年01月23日 | 小さな旅/駅

 楽しみにしていた東京行、横槍が入って頓挫。
 その横槍、腸管癒着も18日になって少し沈静、カタリナ に、「独立書展へ行こうか」と話を向けると、嬉しそうに「行けそう」と訊く。
 で、改めて仕切り直しとなった次第。
 その日19日は穏やかな天気だったが、米原を過ぎた辺りから嘘のように銀世界、陽光が雪に反射してきらきら輝いていた。

 Art_center_a_3岐阜羽島を過ぎると、真っ青な空が広がっている。
 この時期特有の澄んだ大気に霊峰富士が真っ白に粧っていた。冬場は大きく望めるらしいが、この山はやはり凄い。

 病中?の身にとって2時間半の車中はやはり退屈。
 缶ビール片手に駅弁、の目論みは見事にはずれ、新大阪駅でカタリナが買ってくれていたのはホットケーキとカフェオレ。

 ぼそぼそと時間をかけて齧りながら、「こンなことなら飛行機にするやった」と、外の冬晴れの空とは裏腹に、過ぎたことをウジウジとぼやくものの、誰かさんは無視してナンクロに挑戦中。

 12時過ぎに東京・品川に着いた。
 書展が行われている国立新美術館、明治神宮の辺りにあり、相変わらず混んでいる山手線で原宿へ向かう。
 線路脇に三日ばかり前の雪が残っていて、ニュースで恥ずかしくなるほど大騒ぎをしていたのを思い出させる。

 Art_center_b2_2Art_center_b1_2JR原宿駅から東京メトロの明治神宮前駅に乗り換え、僅か10メートルほどの通路、表参道だかなんだか判らないが、好天気に誘われてかごった返していた。
 地下鉄で二駅、乃木坂駅に直結して美術館はあった。

 建築家黒川紀章氏設計の美術館としては最後のものとなった建物で、日本で5館目の国立の美術館として07年(平成19年)1月に開館したという。

 竹をイメージしたらしいエントランス以外地下に潜る大阪・中ノ島の<国立国際美術館>とは、同じ国立でも真逆にあるよう。
 二・二六事件ゆかりの第一師団跡、戦後東京大学が使っていたらしい。の、潤沢な敷地にガラス張りの曲線がなんともユニーク。

 とまれ、明治政府が藩幕時代の広大な遺産を接収して拵えた官制の街東京、その面目躍如たる建物ではありましたけれど、「この号、安旅行の案内チラシみたい」なんて言うのは誰?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.569

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厄介者

2013年01月21日 | 日記

 小ブログ、<White Christmas >の稿で、“ 腹部が膨満、鈍い痛みも伴い丸一日寝込んだ ” と書いたら、年が明けてハンドルネームsakura さんから、 “ ゆっくりよく噛んで食事を。苦しい時は受診して ” との、懇切な<コメント>を頂いた。

 その前日、一年目の内視鏡検査があって、“ 少し癒着していてカメラが入りにくかったようだ。過食の戒めをつい忘れてしまう ” と<返信>したが、お馬鹿さんなことにその轍をまた踏んでしまった。

 Otometubaki_1 厄介なことに、それは突然襲ってくる。
 16日未明、腹部が一気に膨満、それに今回は痛みが酷く、嘔吐感を堪えて夜を明けるのを海老のように丸まって待った。

 翌17日は<東京行>の予定、切符の手配も終えていたので、16日は朝昼を欠食するなど養生、夕食では薄い粥を摂るまでに回復。
 で、東京に行くつもりでいたのだが、17日早朝、痛みが振り返し嘔吐も。

 16日の段階から病院へと勧めていたカタリナ、見兼ねて17日の朝一番に消化器が専門の I 医院へ「予約をしてくる」と出て行ったが、それを止める元気も無い。

 この期に及んで止める? 実は4年程前まで高血圧症でかかりつけの医院だったのだが、個人的な理由で遠ざかった曰くつきの医院。

 しかし、背に腹は変えられない。
 Otometubaki_2 直ぐに来いということで、待合室で待っていると看護師さんから、「あら、○○さん久し振り」と声を掛けられ、「こりゃ参った、看護師さんにしてこれだから先生には何を」と畏まっていたら、その日は代診のO先生でやれやれ。

 その先生、「腸閉塞と腸管癒着の境界」と診断、X 線写真には骨盤の辺りに黒い影、ガスが溜まっているのが素人目にも歴然、点滴を受けて静かに横になっていたら少し楽になった。
 この厄介なるもの、虫垂炎であれガンであれ腸にメスが入れば、症状の差はあれ避けられず、「大食いせず、よく噛んで食事する」しか予防方法はないという。

 ということで、知人の書道展への東京行、新幹線の指定席券はキャンセル、前売り券ならぬ時間を買った御上りさんよろしきスカイツリー上昇券?は、予約時間なし、しかも30日間のみ有効。の、当日券となってしまった。

 初釜の床を飾る予定だったらしい<乙女椿>、名の通り如何にも乙女然(上)としていたが驚くほどに変身、八重の盛り(下)を迎えた。とても同じ椿とは思えない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.568

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被爆

2013年01月18日 | 日記

 今日のタイトルは少し大仰かも?
 過日(1/13)の朝日の経済欄に、“ TV事業の不振に苦しむのは日本の電機メーカーだけではない。欧州の大手フィリップスは2011年に大幅な赤字に陥ったが、その後は急速に回復している ” とあった。

 記事は、“ 価格が安い韓国メーカーに押されたTV事業に見切りをつけた同社、復活を牽引したのは全く別のものだった ” とあり、記者が工場を訪ねると、“ 大人の背よりも高いものから小振りのものまで様々な大きさのC字形の機械、「X線による血管造影診断装置」がずらりと並んでいた ” と続いていた。

 Roubaiこの機械、“ C字形のアームが自由自在に動き、ベッドの患者をあらゆる角度から撮影、映像は動画でモニター画面に映し出される ” のだそうだ。

 また、“ 一つとして同じ製品はなく、顧客が求める機能をテーラーメードで加えているそうで、医療機器部門の責任者は、「医師が浴びるX線量を約75%カットした新製品は、医師の被曝に特に敏感な日本の病院に好評で注文が多い」と話す ” とあった。

 なるほど、毎日多くの患者に接する放射線技師、光線を患者に浴びせる際に、遮断壁の向こうに足早に去るのは理解しつつも、それを目の当たりする患者の心境は複雑である。

 その辺りの感覚、以前紹介した村田喜代子さんが、自著「<光線>」(文藝春秋社刊)で、冷静に伝えている。

 Tubakiで、ペトロ の1年の節目検査、主治医も心得てかCT撮影を二日間に分ける。
 入院の前後、特に二回目の手術で腸閉塞になりかかり、毎日のようにX線撮影を受けた身としては、二度の通院が面倒で「少しナーバスなのでは」と思わないでもない。

 そんなことを考えていたら、“ フクシマの被爆地の小学校、今春入学する筈の児童が避難先から戻らない ” という記事があって、今さらながら原発事故がもたらしたものを考えてしまう。

 その一方で、自民党が政権復帰して浮かれる族議員やその周りをうごめく財界人たち、記事を目にしても痛痒を感じないのか再稼動、再運転と喧しい。

 カタリナ が楽しみにしていた初釜、前半の二席を終えたが、その本席を飾ったという「蝋梅」と「白玉椿」。
 その折のことなど、「投稿する」と言っているが何時のことやら?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.567

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便利な時代

2013年01月16日 | 小さな旅/駅

 拙宅の洗面所のスイッチ、少しお惚けさんになっている。
 切り側に押すとバネが反発して直ぐに入り側に戻り、パチパチと動作を繰り返さなければ切れない。
 逆の入りは何ともなく、まさかこのスイッチ関電の回し者では?と思ったりしてしまう。

 Ticket2_2 この程度の修理、業者に頼むのも気が引ける。
 で、自分で取り替えようと思うのだが、パーツを扱う店が如何にも少ない。

 ホームセンタに行けばあるのだろうが遠くで面倒だ。
 そこで、通販サイトのアマゾンを開いてみたら、「さあ、どれでもどうぞ」とたちまちのうちに商品が並び、数日中にも届くと言う。便利になったものである。

 話は変わって、知人の書道展入選のお祝いに東京へ行くことになった。
 飛行機か新幹線か迷ったが、関が原辺りの雪景色を眺めながらの駅弁の旅も一興と、新幹線にした。

 Huyuiki_5 ご案内だろうけれど、飛行機は搭乗便から座席までネットで予約、保安検査前にバーコードを端末機にかざすと座席券がアウトプットされて完了、チケットレスで搭乗でき、便利になった。
 JRもネットで予約、乗車前に券売機で発券するシステムがあるという。

 過日の朝日(1/12)に、“ PCや携帯電話で動画やゲームなどを利用するため幅広く普及している米オラクル社製のプログラム言語「Java・ジャバ」に情報セキュリティ上の弱点があることが判り、米国安全保障省などが使用を控えるよう警告を出した ” という記事があった。

 難しいことは判らないが、少し前にも他人がPCに入り込み、挙句、成りすまされた人が誤認逮捕される事件もあった。
 便利さの陰にはリスクもあるようで、保険が付加されたセキュリティソフトも売り出されている。

 ところで、知人との待ち合わせに時間が少し余るので、御上りさんよろしくスカイツリー(写真:公式HP)に。
 こちらも、入場時間指定の上昇?券をネットで販売している。
 ただ、前売り券なるもの当日券と比べて安いものとばかり思っていたが二割方高く、前売り券じゃなく時間、便利さを買えということらしい。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.566

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早春

2013年01月14日 | 日記

 年末から年初にかけて、季節を表す風物詩が一夜明けるとぐるっと変わっていて驚かされる。

 店内に飾られた赤や緑のクリスマスのオーナメントが、紅白の繭玉や羽子板や奴凧に変わったと思ったら、節分の鬼さんや福娘のお面が売り場を占めている。
 商いの場は、季節の移ろいが一歩先んじているようだ。

 Otometubakiこの稿を書いている日曜日は、カタリナ の初釜。
 朝の内、これからの時期特有の春霞のような薄い幕が六甲の山裾にかかる穏やかな天気だった。

 晴れ女を自認して憚らぬ彼女だが、翌日の成人の日は一転荒れ模様らしいとの予報を聞いて、「折角の晴れのお祝いの日に」と眉を曇らす。
 彼女自身も、二回目の初釜の席があって、他人事ならないのだろう。

 ところで、<過日の小ブログ>で、“ 初釜に使いたいと思っているらしい椿、まだ少し固く、間に合うか気を揉んでいるよう。名前を聞くと自分が育てながら、さあ?と心許ない返事 ” と書いた。
 翌々日だったか、「あの椿ね、乙女椿だった。高槻の Y さんから貰ったのを挿し木したのを思い出した」と言う。

 Roubai_2ペトロ の検査のあった本戎の日、少し侘びた桃色の花(写真上)を咲かせたので、「持っていけるじゃないか」と言ったら、「枝が短くて無理みたい」と、少し残念そうな口調だった。

 その翌日の午後散歩に誘われたが、少し風邪が冷たいようだったので遠慮したら、ひとりで何処かに出かけたよう、小一時間して「ただいま」と帰ってきた。

 手に少し大きめの紙に包まれたものを抱えてい、辺りにいい香りが散らばっている。
 「花を買ってきたの」と訊ねると、夙川の何時もの花屋さんに行って来たと言う。
 顔を近づけると、蝋梅、白梅、水仙、そして、白玉椿が少し硬い蕾を覗かせた。花の季節も早や春である。

 蝋梅と言えば大谷記念美術館の庭園(写真下)、今、「日本画 その妙(たえ)なる世界」展が開かれている。
 この<企画展>、毎年、新春に開かれているようだが、今年もカタリナの初釜の間に行ければと思っている。
 Peter & Catherines Travel. Tour No.565

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トランスパレンテ ‐ 再びのトレド

2013年01月11日 | スペイン/ポルトガル

 右側の扉から入ろうとすると、ガードマンにやんわりとたしなめられてしまった、というのが前回。
 路地を下った所にあるプレハブ小屋でチケットを買って、再度「大時計門」に向かった。
 ちなみにこの門、七つある門の中で最古の門と言われている。

 A1_2 A1 A2

  左側の扉から入る人は止められることもなく?と思ったのですが聖堂に入ってその理由が判りました
 
その扉は入って直ぐ高い柵に阻まれ、主祭壇と聖歌台が僅かに見えるだけ、なるほどと納得でした

 15世紀に入ってコロンブスが新大陸を発見、交易が盛んになると交通が不便なトレドの栄光は次第に失せ一地方都市へと没落、その一方で、大西洋に近い港町セビリアには未曾有の富がもたらされたとされる。

 セビリアが台頭するまでのトレドは、スペインの政治、文化の中心だった。
 そのトレドに大聖堂が建立されたのは、589年に西ゴート王国の首都トレドで宗教会議が開かれカトリックを国教とすることが決定、以来この街にトレド大司教座が置かれることになり、それに相応しい大聖堂が必要と考えた。
 トレド大司教は今も、スペイン・カトリックの首位聖職者とされている。

 工事が始まったのが13世紀始め、その命を下したのが、当時イベリア半島の7割近くを占めていたカステーリャ王国のフェルナンド3世。
 混乱や無秩序が支配、ともすれば野蛮とまで称されるゴチック様式の外観とは対照的に、内部は豪華絢爛を極め、精緻で金色に輝く装飾で埋め尽くされたとされる。

 B1 B2

  象徴とされるのが金色の鉄柵で囲まれた中央祭壇の後方、黄金に輝く衝立です
 
ヨーロッパ各地の芸術家、27人の共同制作になるものだそうです

 その裏側に置かれているのが、1723年に完成した透明を意味する「トランスパレンテ」。
 97年当時、見逃し随分と悔しい思いをした曰く付きの装飾である。

 C1  C3 C2

  16世紀、中央祭壇の裏側に唐松にキリストの生涯の20場面を掘り込んだ衝立が作られました
 
ところが、それによって祭壇前に置かれた聖櫃(せいひつ)が闇の中に埋もれてしまったのです

 打開策として衝立に穴を穿ち、光を取り込むことになった。
 単に穴を穿つだけではなく、衝立の裏面に天使が飛翔する場面など、バロック調の美しい彫刻が施されたのである。

 D1_2 D2 D3 

  さらに工夫が凝らされ、外光を取り込むため外壁にも大きな穴が開けられたのです
 
穴からの一筋の光、暗闇に置かれた聖櫃を神々しいまでに浮き上がらせ劇的な効果をもたらしたのです

 折からの素晴らしい天気を受けて強い光が差し込んでいた。
 尤も、高いところまであって全体像を上手く仰ぎ見ることができないのが少し残念。写真は上手くフレームに納まってくれたか?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.564

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大聖堂へ ‐ 再びのトレド

2013年01月09日 | スペイン/ポルトガル

 AVE・Avant はすべるようにアトーチャ駅を離れた。
 市街地を過ぎると赤茶けた土地が続き、車窓を移る風景に面白みがない。

 A1_2 A2 A3

 ∮ トレドまでは僅か30分の旅、それこそあっという間でした 

 駅前広場はハレーション、真夏を思わせる天気が広がっている。

 B1 B2

 イスラム教とキリスト教の建築様式が融合したムデハル様式の重厚な駅舎
 その構内はステンドガラスも美しく、古都トレドの玄関に相応しい構えです
  

 駅を出て敷石の道を右手に進むとおり良くバスが停車中、ドライバー氏に「ソコドベール?」と聞くと頷く。

 向かいの席の地元のおじさんが親切。
 ドライバー氏のやり取りを聞いていたのだろう、バスが動き出すと景色を説明してくれる。スペイン語なんて判りようもないが地名程度は聞き取れる。

 C1 C2 C3

 ∮ バスはやがて川に、件のおじさん「タホ川だよ」と教えてくれます
 ∮ タホ側を横切るのは「アルカンタラ橋」ですが、バスは新アルカンタラ橋を行きます

 城壁に沿って坂道を登って行く。
 やや道路が平坦になった辺り、現存するトレド最古の門「ピサグラ門」。
 ここから、グレコ(1541-1614 /マニエリスム)がこよなく愛した旧市街になる。

 ピサグラ門から5分も急坂を登っただろうか、進行方向左手に小さくもなく広いでもない広場を少し過ぎてバスは停まる。

 D1 D2 D3

 ∮ 茶色の高い壁の「アルカサル・王宮」に面したソコドベール広場、ここが終点です

 そこから大聖堂へ進む道が予測もつかない。
 人の流れに付いて石畳の道を一旦下り、途中、店先で雑談していたおじさんに訊ねたら親切に、「ふた筋上って左に折れろ」と身振り手振りで教えてくれる。

 E1 E2 E3

 ∮ 教えて貰った道を辿って10分ほど、小さな路地の向こうに見覚えの時計のある門が見えます
 ∮ 隣り合うふたつの扉が開かれていて、その扉の間に柵が設けられています

 F1_2 F2

 右側の扉から入ろうとすると、ガードマンに「チケットを買ってきなさい」とやんわりとたしなめられてしまった。
 そうだった、確かこの大聖堂、有料とガイドブックにあったことを思い出した。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.563

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