ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

記憶 ‐ 8月がゆく

2014年08月31日 | 季節/暦

 我ながら随分と昔のことを覚えてるもんだと感心、昨夕どころか今日の昼に何を食ったかも忘れてるのに。
 その格好、順調に馬齢を重ねてきた証?そんなに悲観すること、勿論、喜ぶことでもないんだろうけど。

 大昔に観た映画で、居酒屋だったかバーだったかで働く女性に、「一番辛いのは正月とお盆、(みんな)家庭(いえ)に帰ってしまうから」と、台詞(かたらせ)たのを覚えている。

 A_2正直に言ってしまえばこのお盆、正月ほど辛くもなかった。
 寂しいけれど、時にして、忘れていることがあったり忘れることができたり、そんなこんなであしたに向かえるのかも。

 ところで、大変な夏だった。
 墓参もままならぬほど、何所にこんなにようけ水溜めてたんやと、呆れるほどに降る。

 泥水に浸かった丹波地方を報じる朝日(8/18)。
 草深い田舎に独り暮らす老姉、「もう少しで近くの川が氾濫するとこやった」と電話口で話す彼女に、「そんな時は早めに避難せなあかんで」と言いながら無事な様子に安堵も。

 古い事を鮮明に覚えてい、「こんなに降ったん覚えがないわ」と続けて届く言葉が、被災された方がTV画面などで交々語る姿に重なり、電話を切った後、苦笑いとともに少しのもの悲しさも。

 毎夏、線路を挟んで届く炭坑節も心なしか元気がなかった葉月・8月、深い悲しみを残し、行く、ここ数日、秋の気配を忍ばせながら。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.857

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ルドンとゴーギャン(2) ‐ ナショナル・ギャラリー(36)

2014年08月29日 |  ∟イギリスの美術館

 オディロン・ルドン(1840-1916/フランス/象徴主義)の文学的主題の代表的作品のひとつ、「花の中のオフィーリア」が前回(8/27)。

 彼は、年下のポール・ゴーギャン(1848-1903/フランス/後期印象派・象徴主義)の影響を受けながら次第に色彩に傾いていったとされる。

 B_4そのゴーギャン、パリで生まれたあと7歳までを南米のペルーで過ごし、17歳のときに船員になる。

 そんな経験から、都会的な文明や合理性に懐疑的になり、プリミティブ、原始的な文化、神秘へのノスタルジアを抱くようになったとされる。

 今回は、そのゴーギャンが描いた花、「花瓶の花」。
 彼がタヒチに移り住んで5年後に描かれたとされる本作、白を中心に朱赤、緑、それに青と、洗練された園芸種とは趣が幾分異なる草花をエキゾチックに描いている。

 花弁が色褪せて落ちる前の、最後の熱を帯びた火照りの中で、いまだ呼吸しているような生き物として卓上にある。

 ルドンとゴーギャン、誼(よし)みを結ぶふたりの花、やはり、どことなく雰囲気が似ているようだ。
 ルドンはゴーギャンの訃報を受け、<「ポール・ゴーギャンの肖像」>(オルセー美術館蔵/クリックで入れます)を描き、深い哀悼と画家としての神聖化を示したという。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.856

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(35)へは(コチラ)から入れます。

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ルドンとゴーギャン ‐ ナショナル・ギャラリー(35)

2014年08月27日 |  ∟イギリスの美術館

 カタリナ が愛して已まなかった、フランス象徴主義の巨匠オディロン・ルドン(1840-1916)。

 精神的な危機を経て故郷のボルドーに戻った彼は、その地の画家などからエッチングなどの個人的指導を受け乍ら、専らモノクロームで制作。

 木炭デッサンやリトグラフのシリーズを生み出して、文学の前衛たちに賞賛を持って迎えられたという。

 A_2彼は、風景画の習作や実物を前に花を描き続け、パステルの肖像画も描いたにも関わらず印象派の画家たちを、“ 対象に寄生する者 ” と酷評、複雑な内面を覗かせている。

 子供の頃に暮らしていた家が売られ、モノクロームの作品に付きまとっていた幼い頃の悲痛な思いから解放されてパリに戻った彼は、年下のゴーギャン(1848-1903/フランス/後期印象派・象徴主義)の影響を受けながら、次第に色彩に傾いていったとされる。

 その彼の代表的作品のひとつ、「花の中のオフィーリア」。

 本作は、彼の好んだ文学的主題、シェイクスピアのオフィーリア。
 ―― 素晴らしい花輪を戴き溺れ沈んでいく前に川に漂いながら、“ 自分の苦境に気付くことができず古い歌を切れ切れに ” 歌っているオフィーリア ――
 を、夢想家の花の詩人として眺めることを思いついたというのだが。(この稿、続く)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.855

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(34)へは(コチラ)から入れます。

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閑話休題(3) ‐ ナショナル・ギャラリー(34)

2014年08月25日 |  ∟イギリスの美術館

 実は、サルヴィ(1609-1685/バロック)の「祈る聖母」(8/15)の後、この旅を終えるつもりだった。
 前回のゴヤ(1746-1828/スペイン/ロマン主義)とマネ(1832-1883/フランス/印象派)、他の画家たちと一緒に短くまとめ、二回に分けて投稿するのを最後に。

 話しは飛ぶけれど、絵画を展示する場合、それなりの収蔵数があれば、中世宗教絵画からバロック美術辺りまでと、それ以降、印象派から現代美術辺りまでの作品を、別々の美術館で展示するようだ。

 A_2パリのルーヴルとオルセー、ミュンヘンのアルテとノイエ・ピナコテーク、ベルリンのゲマルデと新国立、ニュヨークのメットとモマなどのように。

 そんななかで、ロンドン(写真)のナショナル・ギャラリー、ルネッサンスからバロック、印象派や象徴主義など、評価の高い作品と、ひとつの建物、しかも、アドミッション・フリーで出会えるのが嬉しい。
 付け加えれば、ワシントンDCのナショナル・ギャラリーも同じだ。

 ところで、趣味、嗜好については、絵画にしろ音楽や小説にしろ、人によって夫々好き嫌いがあって当然。

 主題が重い宗教画よりも、自宅の壁を飾りたいなと思うような風景画や静物画など、少し軽い作品がいいと思うこともある。

 知ったか振りにうだうだと書いたが、この旅の投稿作品の採り上げ方、ペトロ 自身、少し偏りがあるのでは?と、思わなくもない。
 やはり、印象派以降の優れた作品も、きちんと採り上げるべきと思う。

 で、ナショナル・ギャラリーの旅、随分と長居をしているが、字数も短くすべく大きに汗を掻くので、もう暫く、ともにロンドンの旅を楽しんで貰えたらと思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.854

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(33)へは(コチラ)から入れます。

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ゴヤとマネ ‐ ナショナル・ギャラリー(33)

2014年08月23日 |  ∟イギリスの美術館

 18世紀末から19世紀にかけヨーロッパの各地で生まれたスタイルのロマン主義、抒情性や抽象性を感じさせる描写が特徴とされている。

 その先駆的役割をなし、近代絵画の創始者のひとりとして知られているのが、スペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)。

 彼A_2は宮廷画家としての華やかさと、戦争の恐怖と不正に対する情熱的な告発者として、その両義を持ち表現した画家とされる。

 今回の絵はその彼の、「イザベル・デ・ポルセール」。

 本作のモデルは、彼の親しい友人ドン・アントニオの夫人ドーニャ・イザベル。
 フラメンコで馴染のある左手を腰に当て、肘を張り、身体と顔が逆方向を向くポーズで描かれている。
 実はこのポーズ、淑女としては余りにも卑俗で、受け容れ難いものともされる。

 しかし、着衣がマハ(小粋な女)の衣服としても知られる黒い薄絹のマンティーリャ(ショール)。
 そのマンティーリャが持つ特有の質感と透過感が絶妙に描き込まれ、マハを暗示させることによって、開放されたポーズとして受け止めることができる、とも評されている。
 ちなみに、彼については、プラド美術館の旅の<ゴヤ>のほか、スペイン編で投稿している。

 そのゴヤから少なからず影響を受けたとされるのが、印象派の先駆的画家にして写実派のエドゥアール・マネ(1832-1883/フランス)。

 そPhoto_5の彼が描いた絵とは、「テュイルリー公園の音楽祭」。

 同時代の批評家たちは、資産家で華やかな社交界の一員であった彼の超然とした態度と無関心さとを非難、ルーヴルだけで絵を描いている、と思われた時期もあったらしい。

 群集肖像画とも呼べる本作では、その当時に現代的な生活を営むことの優位性を賞賛したとされている。

 本作から5年ほど後、ゴヤの「バルコニーのマハたち」(個人蔵)との関連性が指摘される、「バルコニー」(オルセー美術館蔵)を描いている。
 本作はマネの転換期における重要な作品のひとつと位置付けられてい、そのことは、オルセーの旅の<マネ>でも投稿した。

 公園で華やかに音楽祭に興じる人の中で、こちらをみているあの淑女、ドーニャ・イザベル夫人じゃない? そんな気がしないでもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.853

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(32)へは(コチラ)から入れます。

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e ‐ mail、独語

2014年08月21日 | 日記

 無理が通れば道理が引っ込む
 当世、そんなことばかりやけど、黙って引っ込んでるのも癪
 たとえ、ごまめの歯軋りと笑われようが、ごまめなりの意地ってもんもあるよねえ

 労組役員上がりが、やっと生まれた政権交代の芽を無残に摘み取った後、三世のぼんぼんがしたい放題、多数という名の民主主義って、こういう時に手も足も出なくって悔しいよね

 A1話しはそれるけど、最近、高橋真梨子のCDを聴く機会があってね
 なかの「ラスト・メール」っていう歌、女性の心を、ってと思てたら腕に抱かれて笑って言った / 君のかおりを忘れはしない だって

 またそれるけど、そのメール、日に10も20も、阿呆なのが来てね
 朝日(8/13)に、LINEとかいうの、パスワードを盗んで悪い事する奴がいるって載ってたけど、PCでも携帯でも得体の知れないメールって困るよねえ

 開封(あけ)んと削除するけど、面倒臭うて
 アカウントを変えたらと思わないでもないけど、それも癪、なんで道理が引っ込まなあかんねんって

 それで、メールを預かってくれるサービス、勿論有料。を、利用することにしたんや
 本文や添付フォルダはプロバイザーのサーバーに隔離されてて、ウィルスなど余計なもンが付いて来やへんから安全いうたら安全やけど、これとても癪なことやわなあ

 またまたそれて、さっきの歌、 きっと送るよ返事のメール / 明日迎えに行くよと って一節があるんやけど、勝手にメール送っといて、なんで返事せえへんねんって、小癪にも怒る奴いるやろ
 えっ、お前もそんなことしてンのかって? してへんよ・・・、たぶん
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.852

 オマケ:きょう日、ちっとも稀やないけど、一応、誕生日やねん、今日
      短く、48字以内で よかったとか なんとかの メール(コメント)貰えたら嬉しいなあ

コメント (6)
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監視カメラ

2014年08月19日 | 日記

 今、街で、傍(かたわ)らに人無きが若(ごと)くの振る舞いは、と問われれば自転車と監視カメラ。

 道路交通法では軽車両であることを知ってか知らずか、我が物顔で歩道を駆(はし)る自転車、迷惑を通り越して時には凶器にも。
 が、第三者からは目に見える分だけでも、まだましかも。

 Photo_2一方の監視カメラ、何所で撮られ、どのように使われているか判らないから始末が悪い。
 最近も、京大やオムロンが追跡技術や不審者認識システム開発に無断で撮っていたと朝日(8/13)にあった。

 その監視映像、“ 万引き犯よ、返さないと顔写真公開、マンガ古書店警告 ” と朝日(8/8)が報じていた。
 もう少し続ければ、“ 警告 犯人へ。一週間以内に返しに来ない場合は顔写真を公開する――。25万円もするレトロ玩具を万引きされた都内の店が、HPなどでこう通告 ” したと。

 同記事で、ある者は「これではリンチ」と怖さを感じ、別の者は「警察に届けたって品は返って来ない」と支持。
 被害に悩む同業者は当然にして「応援したい」と語り、学者や専門家、果ては警察も入り混じり賛否姦しい。

 さて酔狂老人、熟々(つらつら)考えるに、夫々の言い分を理解した上で否定論に与(くみ)したい。

 過C_2日の小ブログでも書いたが、Tさんにそっくりな御仁を見つけて驚いたばかり。
 ほらドッペルゲンガー・自己像幻視とか言うの? 自分のそっくりさん、 世の中に3人いると言うではないか。

 それに、基本的に自力救済は法律が禁じる行為、これを許すとやくざの社会になっちゃう。
 やはり民主国家としては、ここは司法機関に頑張って貰うしかない。

 ひったくりでも万引きでも、お巡りさんが街角に立っている、それだけで抑止になる。
 近頃のお巡りさん、刑事にばかり憧れているのか、そんな基本のき、昔乍らの地道な仕事忘れちゃったかな?

 お盆の最後の日(8/16)、R君、I君たちと涼を求めて六甲山にドライブ。
 然(さ)しもの監視カメラも無用の雨と靄(もや)、オルゴールミュージアムの館外に架る寒暖計は22度、ダリアもしとど雨に打たれて項垂れてた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.851

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惜別 ロビン・ウィリアムズ

2014年08月17日 | 映画/TV/音楽

 お盆の入りの日(8/13)、悲しいニュースが届いた。
 朝日の米国発によれば、“ 俳優ロビン・ウィリアムズ(63)さんが亡くなった ” 、自死らしいという。

 彼が家政婦に扮する「ミセス・ダウト」には笑わされた。
 難病で何十年も昏睡状態だった入院患者に、パーキンソン病向けの新薬を投与、奇跡のように回復する状況を描いた、「レナードの朝」。
 患者役のロバート・デニーロと医師の役で共演、喜劇のみならず難しい役どころも演じられるところを見せた。

 A_2天才的な頭脳を持ちながらも、幼い頃に負った心の傷から逃れられずにいる青年と最愛の妻を癌で亡くし、心に傷を負う大学講師との心の交流を描いた、「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」。

 この作品で失意に喘ぐ心理学者を演じ、アカデミー助演男優賞を受賞。
 ちなみに、青年を演じたマット・デイモンも本作でアカデミー脚本賞を受賞している。

 全寮制のアカデミーの校長のもと、厳格な規則に縛られている学生たちに、“ 教科書なんか破り捨てろ ” と、詩の本当の素晴らしさ、生きることの素晴らしさについて教える教師を演じた、「いまを生きる」(写真:HPから)。

 これらの作品、辛口のカタリナ も認めるいい映画だった。
 人なつっこい笑顔、その下にどのような苦悩を隠していたのか知る由もないけれど、アルコールや薬物依存もあったようだ。

 「いまを生きる」で、自ら命を絶った教え子の責任を取らされ学校を去ることになった彼を、校長の制止も聞かず机の上に立ち見送る生徒たち。
 それは、授業中に突然机の上に立って、“ 常に物事は別の視点で見なければならない! ほら、ここからは世界がまったく違って見える ” と教えてくれた彼への敬意だった。

 そんな、ラストシーンを思い出しながら、名優の早すぎる別れを惜しんだ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.850

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祈る日 ‐ ナショナル・ギャラリー(32)

2014年08月15日 | 聖堂/教会/聖書

 残暑お見舞い申し上げます。

 ヒロシマとナガサキの平和を祈る式典、雨模様のなかでとなったようだ。
 ふたつの原爆忌に挟まれて立秋、迷惑にも、大型の台風11号を連れて今年も足早にやってきた。

 先週末からの帰省も出鼻を挫かれた感があるが、今日(8/15)は、お盆に重なる終戦記念日、毎年のことながら寂寥感が漂う祈りの日が続く。

 カトリックではこの日、聖母マリアの被昇天の大祭日である。

 A_2その聖母マリア様の日、日本と少なからず縁があるようだ。
 日本に初めてキリスト教を伝えたのはイエズス会の宣教師、聖フランシスコ・ザビエルであることは、キリスト教徒ならずとも知っている。

 カトリック中央協議会のHPには、“ 1549年、鹿児島の海岸に上陸した日がちょうどこの祭日に当たっていたこともあって、ザビエルは日本を聖母マリアに捧げた ” とある。

 今回の絵は 「祈りの聖母」(1640-50年頃/73×57.7cm)。

 出身地にちなんでサッソフェッラートとも呼ばれる、聊かなじみの薄いイタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ(1609-1685/バロック)。

 幼子イエスを伴わずたったひとりで描かれた聖母。
 それは “ われらの母、われらの癒し手、われらのとりなし役 ” として、“ 聖女に従うことによって、聖女の大いなる慈愛と謙遜のなかで、われらの心を蝕むエゴイズムから解き放たれる ” とする画家のメッセージが込められていると言う。

 漆黒のなかでウルトラマリン・ブルーの衣をまとい祈る聖マリア、この日にこそ相応しい一枚、と思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.849

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(31)へは(コチラ)から入れます。

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聖家族 ‐ ナショナル・ギャラリー(31)

2014年08月13日 |  ∟イギリスの美術館

 聖母マリアの被昇天の祭日(8/15)が近くなった。
 ナショナル・ギャラリーの旅、印象派の作品が続いたが、そこから2世紀ほど時代は遡る。

 バロック期にスペイン内外で最大の画家として名を馳せたバルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682/セビーリャ派)。
 宗教主題の作品を信心深い修道会のために数多く手掛けた彼は、殉教など生々しい場面を避け、美しい聖家族、愛らしい聖人、雅やかな聖母などを描いたことで知られてい、これまでも、<無限罪の御宿りと聖母の被昇天>(13/08/15)で取り上げた。

 Aその彼の絵は、「ふたつの三位一体 ‐ 聖家族」。

 上部に父なる神と精霊の鳩、そしてキリストが天上の三位一体を構成し、下部にマリアとヨセフ、幼きイエスがこれを反映して地上における三位一体を形づくっている。

 ただひとり花の小枝を持ち直接話しかけるヨセフは、彼がマリアの夫になることを神の意志として受け容れたことを象徴しているとされる。

 幼子キリストを構図の頂点にするため石材の上に配し、“ それゆえ、主なる神はこう言われる。わたしは、一つの石をシオンに据える。・・・堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ ” (イザヤ書:28-16)を示唆したと。

 当時、彼に勝るのは巨匠ラファエロ(1483-1520/イタリア/盛期ルネサンス)のみとまで高く評価された。

 幼いイエスの愛らしい無垢な表情、若々しい聖母マリアの柔らかく繊細で豊かな叙情的描写は、絵を前にした者を聊かの衒いもなく優しい気持ちに誘なってくれるのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.848

 ※  ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(30)へは(コチラ)から入れます。

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