ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

何やかやと何も彼も ‐ 2月がゆく

2014年02月28日 | 季節/暦

 何も彼も手つかずのまま入院したカタリナ
 茶道具や衣類の整理のため外泊許可を貰って帰宅した折のこと、大切にしていた長女の誕生祝いに頂いたフランス人形、「供養してほしい」と言う。

 カトリックでは十字架やロザリオなどの信仰用具は、神父様から祝別をして貰って初めて神様から頂いたものになる。
 信仰用具に限らず、何も彼もが神様から頂いたものであるとすれば、手離すときも同じように扱って貰えると思うものの、何やかやと想い入れがある品は、無闇矢鱈、所構わず捨てる訳にもいかず、納め所としてその手の神社へとなるようだ。

 そA_7れで、一月の終わり頃、人形供養で名が知られた門戸厄神へ行った。
 住宅が建て込み路地のような細い道を、右往左往しながら辿り着くと二月一杯人形の受付は休みと言う。
 以前にも同じ目に合ったが、一月二月は厄神さん、厄除けで忙しいことを迂闊にも失念していた。

 厄除けと言えば、丹波、但馬、丹後を総称して三丹地方と呼ぶが、その三丹一と言われた柏原(かいばら)の八幡神社の厄除大祭、通称厄神さんが毎年2月17、18日にあって大勢の参詣客で賑わっていたことを思い出した。
 神社のある小高い山の裾に学校があって、下校の折に屋台を覘いたり冷かしたりしたものだ。

 そんな多感な?頃には思いもしなかった雲を掴むほどの歳になって、いまどき珍しくも何んともないが聊か面倒な病を得た。

 癌の性質(たち)から三月毎に折り目?正しく検査を受けてきたが、二年目の節目検査がイレウスでの入院騒ぎで延び延びになっていた。
 厄神さんの日にその予後の検査があって、改めて三月に節目の検査をとなった。

 話B_5は戻って、厄は男が数えの61歳、女は随分と早く37歳が最後らしい。
 それも還暦を過ぎれば61歳の華寿、70歳の古稀などと寿の祝いに変わるそうだが、その辺りまで生きれば十分とされた時代もあったのだろう。

 それにしても何やかやと続いたここ二年ばかり、カタリナに何も彼も背負わせて逝かせてしまい遣り切れぬ思いも残る。

 予後検査の帰り道、ふたりで度々覘いたお寿司屋さんに久し振りに寄ってみた。
 注文したのは彼女を偲んで芽葱、赤カブ、卵焼きなど、なるほど魚が食べられない彼女には詰まらない食事に付き合わせてしまったとほろ苦く、山葵の所為なのかツ~ンとなった。

 何やかやと益(やく)もない話になってしまったが、弥生・三月になればなにを扨(さて)置いても人形の供養をしてやりたいと思う。

 そんなこんなで如月・二月もゆき、もう直ぐ五節供のひとつ上巳(じょうし)の節供、桃の節句である。
 病院のロビーにも雛人形が飾られ、待ち侘びた春がくる。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.772

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ラファエロ ‐ ナショナル・ギャラリー(6)

2014年02月26日 |  ∟イギリスの美術館

 イタリア中部ペルージアに工房を置くペルジーノ(1450-1524/ルネッサンス)のもとで修行、その後、フィレンツエやローマで活躍した若き天才画家ラファエロ・サンティ(1483-1520/盛期ルネサンス)。

 その彼が、ベルナルディーノ・アンシデイの注文でペルージアの聖堂内アンシデイ家の礼拝堂のために描いたのが 「アンシデイの祭壇画」とも呼ばれる 「聖母子と洗礼者聖ヨハネとバーリの聖ニコラウス」(上)。

 Aこの礼拝堂は、バーリの聖ニコラウスに捧げられたもので、画中右の司教姿の聖人は、身売りされる貧しい三人の娘たちに持参金として与えた金の入った袋を、聖人の標徴・アトリビュートとして足元に描いている。

 ちなみにバーリは、イタリア南部のアドリア海に面した港湾都市で、東地中海の国々との広範囲な貿易によって栄えたという。
 余談だがこの聖ニコラウス、死後、嵐を沈め船乗りを救ったなどの伝説が残っていて、サンタクロースの原型となった人物でもあるらしい。

 画中左、キリストの到来を予言し洗礼を授けた洗礼者聖ヨハネは、荒野での生活を表す駱駝のチュニックと預言者を表す深紅のマントをまとい、聖母の膝の上のイエスを指さしながら、聖母の頭上にラテン語で記された “ キリストの御母に幸いあれ ” を厳かに見上げている。

 さて、中央の聖母だが、キリスト教徒が日常の祈りの際に模範とすべき文章を集めた祈祷書を熱心に読んでいる姿で描かれ、信仰の重要さを表現しているとされる。

 この祭壇画は、玉座の聖母子と付き添う聖人たちが互いに会話を交わしているように見えることから、“ 聖会話 ” と称される典型的な作例とされているらしい。

 B1もう一枚は、実在しなかったともされる聖女を描いた 「アレクサンドリアの聖カタリナ」(下/左)。
 
 ラファエロはその聖人を、師のペルジーノ以上に身体を蛇状に捻って描いているが、それはこのポーズの完成者ともされるダ・ヴィンチの影響を彼が受けたためともされている。

 その捻れた姿勢で、車裂きの刑に処するため用意された車輪にもたれかかる聖カタリナは、天から細い金色の光線として降り注ぐ聖なる光を法悦の表情で仰ぎ見ている。

 聖女が拷問にかけられた車輪は、アレクサンドリアの聖カタリナの標徴・アトリビュートとされていて、ラファエロは伝説に語られる大釘が打ち付けられた車B2輪の代わりに、飾り鋲を車輪の周囲に描く優しさを見せている。

 話は聊かそれるが、時代が下がってバロック期の奇才カラヴァッジョ(1573-1610 /イタリア)も若き頃にこのモチーフ、「アレクサンドリアの聖カタリナ」(下/右)を描いている。

 徹底した写実性と劇的な明暗対を重視したカラヴァッジョの手になれば、木製の輪っかの内側に大釘が打ち付けられ、いかにもむごたらしく表現されているのも、当然と言えば当然かも知れない。

 話がそれた序でに、殆ど意味のないことだが、どちらの絵を好むかは人それぞれだろう。
 思うに彼女ならば・・・、07年にマドリードのティッセン・ボルネミッサ美術館でカラヴァッジョのそれに出会い、しばし絵の前から動かなかったので、多分、後者を選んだだろうと思う。

 さらに序でに言えば、カタリナ の霊名は、“ 教会博士 シエナの聖カタリナ ”。
 そのことは、<想い出の古都シエナ>(13/07/03)や<聖カタリナに導かれ>(13/07/04)に投稿しているので、ご参考に。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.771

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(5)へは(コチラ)から入れます。

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ボッティチェリ ‐ ナショナル・ギャラリー(5)

2014年02月24日 |  ∟イギリスの美術館

 初期ルネサンス期で最も業績を残したサンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)。
 時の権力者メディチ家の支配下にあったフィレンツェで第一線の画家として長く活躍、「春 = ラ・プリマベーラ」や「ヴィーナスの誕生」(ウフィツィ美術館蔵)など、異教的な神話を題材にした傑作を残している。

 その彼の、「ヴィーナスとマルス」と「神秘の降誕」が架かっている。
 彼はメディチ家の手厚い庇護のもと数多くの作品を残しているが、ヴェスプッチ家の依頼により婚礼の折の室内装飾の一部、寝台の装飾画として描かれた「ヴィーナスとマルス」(上)は、彼の名声を支える少数の世俗的作品のひとつに数えられている。

 恋A_2人である軍神マルスが眠っているのを見ている愛と美の女神ヴィーナス。

 悪戯好きな、半身人間半身山羊のサテュロスの子供が耳元で法螺貝を吹こうが、スズメバチが近くで唸ろうが目覚めぬマルス。

 余談だが、イタリア語でヴェスパと呼ばれるスズメバチは、ボッティチェリの顧客の一人だったことが知られているヴェスプッチ家を指す語呂合わせともされている。

 情交によって男は消耗し女は活き活きとするという考え方もルネッサンス時代のもので、当時、結婚祝いの場での冗談の種になったらしい。
 尤も、愛はすべてを征服、殺しあうより愛し合おうよ、という真面目なメッセージが込められているともされる。

 もBう一枚は、彼の晩年の傑作「神秘の降誕」(下)。
 彼の現存作品中署名のある唯一の絵で、画面上部に年記がギリシャ語で表記されている。

 彼自身、もしくは親しい者の祈祷用に描かれたとされるこの絵は非伝統的なもので、キリストの降誕、羊飼い、東方から来たマギ(博士)の礼拝といった出来事を、単に形どおりに絵画化したものではなく、むしろ、“ ヨハネの黙示録 ” にある預言から受けた印象を、想像の情景として描いたとされている。

 それは、例えば巨大ともとれる幼子、その幼子を礼拝する聖母マリアもまた巨大で、立ち上がれば馬小屋の藁屋根につかえてしまうほどに象徴的に、ものの大小を矛盾させながら表現するなどのことからも窺えるのだと。

 晩年は、腐敗やメディチ家による独裁体制を批判するサヴォナローラの宗教的影響を強く受け、硬質的で神経質な表現へと作風が一変。

 老いた彼が孤立した存在なるがゆえの激しい感情に充ちたこの絵。
 「ヴィーナスとマルス」で理想の美を表現するため自然主義に背を向け、「神秘の降誕」では精神的真実を表現するため遥か昔の手法に戻ってしまったともされる。

 最晩年は、サヴォナローラの失策もあり人気が急落、ついには画業を止めるに至り、孤独のうちに死去したとされるボッティチェリ。
 かにかくに、老いと孤独は人を変えてしまうよう、身につまされる。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.770

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(4)へは(コチラ)から入れます。

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独り旅

2014年02月21日 | 人/仲間

 以前、小ブログに登場して貰ったことがある M さん。
 その彼と過日、昨夏以来になるだろうか、杯を重ねたが、独り暮らしを気遣ってくれる気持ちを嬉しく思いながら楽しいひとときを過した。

 話のなかで、「海外旅行へは行かないの」と訊かれた。
 国内も含めて考えないでもないが、旅先の街で、美術館で、教会で、ましてやレストランで、ひとりぽっちの姿を想像すると気が萎えて、「う~ん、ひとりじゃねえ」と答えると、M さんも「そうなんだよなあ」と思案顔。

 そCのときふたりから口を合わせたように、「近ツリ系の旅行社がひとり旅を募ってる」と言葉が出た。
 あたかも数日後、朝日新聞(2/16)に何ページも使っての同ツアーの広告が掲載され、そこには、国内、海外、バスなどカテゴリー別のひとり旅のメニューが並んでいた。

 「なるほどねえ」思いつつも捻くれもんの酔狂老人、己がむさ苦しさを知らぬげに抜けぬけと、ひとりもんの高齢者ばかりが一塊になって歩いてもなあ、と興醒めの態。
 その反面、ひょっとしたら旅中恋が生れたりしてなんて、さもしくも浅ましい考えが脳裏を掠め、慌ててカタリナ の遺影に掌を合わすお粗末さ。

 冗談はさて置き、その数日前の朝日(2/14)に、中高年で結婚相手を探す人が増えているとの記事。
 62歳とあったが、その年齢で老年かどうかは別にして、“ 妻を亡くした老年の男性が、海外旅行にでもと思い旅行社を訪ねたところ若い女性店員が、「お二人ですと・・・」とプランの説明を始めたので、「一人なんだけど」と言うと、「えっ、お一人様ですかあ」と驚かれ、恥ずかしくなって引き下がった ” とあったのを思い出した。

 そB_3んなに老年の男のひとり旅が珍しいのなら、ひとり部屋追加代金なんてオプションを出さなければいいのにと、悪気はなのだろうが思い遣りのなさに腹が立たないでもない。

 が、それは女性客用で、男性、しかも老年ともなれば、僻みかも知れないけれど魂胆を見透かしたような目線で見られるのは仕方がないのかも知れない。

 そんな折、阪神航空から旅の案内書が郵送されてきた。
 そのパンフのひとつ、“ 添乗員こだわりのヨーロッパ ” という惹句のツアーに K 添乗員の顔写真があってちょっと驚いた。

 大聖年だから13年前の<大聖年イタリア巡礼>のツアコンだった K さん、懐かしさとともに頑張っている彼女に負けじと、春になればその聊かさもしい旅、まずは国内あたりからでもと考えているのだが・・・。

 ところで、この号の表題、ひとり旅、それとも一人旅にするか迷ったが、ひとりはフーテンの寅さん、一人は股旅ものみたくで独り旅にしたのだが、「えっ、どっちでもいいって」、ご尤も!
 旅行社のパンフ(近ツリ系の旅行社HPから)も花屋さんの店先も、春の色一杯 ♪♪ 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.769

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ヤン・ファン・エイク ‐ ナショナル・ギャラリー(4)

2014年02月19日 |  ∟イギリスの美術館

 ナショナル・ギャラリーの旅、ダ・ヴィンチやミケランジェロから半世紀ほど遡る。

 この画家、今では否定されているが、久しく油彩画を発明したとされていたらしい。
 ただ、油彩技法の描写力の可能性を最大限に活用したことは疑いがないらしく、いかなるものの質感をも実にそれらしく写し取ることができたとされている。

 15世紀ネーデルランド絵画の創始者ともされ、神の手を持つ男と称えられたほど卓越した技量を持ったヤン・ファン・エイク(1390-1441)。

 Aその彼の傑作、「アルノルフィーニ夫妻」が次なる絵。

 イタリア出身の銀行家でフィリップ善良公に仕えたジョヴァンニ・アルノルフィーニとその婚約者ジョヴァンナ・チェナーミがモデルとか。

 この絵には、多くの寓意が込められているのだそうだ。
 例えば、一本だけ燃える蝋燭はすべてを見る神の目、つまり、契約を意味し、手前の犬は貞節を象徴していると。

 さらに、ベンチの背板の柱に施された彫刻は、産婦の守護聖人聖マルガリータを表し、木のサンダルは典型的な結婚祝い、聖なる儀式であるとの説がある。
 尤も、当世風できちゃった婚と思いきや、当時の先端ファッション?なるがゆえのことらしく、新婦は妊娠しているのではないらしい。

 窓辺の果実は、エデンの園でイブが食べたリンゴ、つまり、原罪を表わしているなど実に多くの意図が仄めかされているのである。

 枠にキリスト受難の10の場面を配した鏡によって、これら象徴性は強調されているらしいのだが、その上部には、“ ヤン・ファン・エイクここにありき1434年 ” とラテン語の署名がある。

 B_3従来、画家自身がその鏡の中に描かれていることもあって、画家が彼らの結婚に立ち会った証言と解釈されてきたようだが、単にこの絵の作者を明らかにするだけのものとも考えられている。

 ここに描かれた空間は、余りに迫真的なるがゆえに人体比例が引き伸ばされていようとも、肖像の頭部が小さすぎようとも、この情景の現実感が弱まることはないらしい。

 いずれにしてもこの絵には、にもと言うべきか、画家の揺ぎない細密描写への自信が示されているらしい。
 そして、これ以上この作品が別の何かを示唆していると教えられたとしても驚かない、そんな絵ではあった。

 また、自画像ともみなされている 「ターバンを巻いた男」も架かっていた。

 ヤン・ファン・エイクの描く人物像は、どれも感情を表に出さないことで知られているらしいが、なるほどこの絵も、表情よりも赤い被り物のほうが量感として目立つのである。

 ゴシックから初期ルネッサンスへと変わろうとする時代、盛期ルネサンスにも劣らない革新をもたらしたひとりの画家がネーデルランドにいたのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.768

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(3)へは(コチラ)から入れます。

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ミケランジェロ ‐ ナショナル・ギャラリー(3)

2014年02月17日 |  ∟イギリスの美術館

 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)と並んでイタリア・盛期ルネッサンスの巨人と称されるミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)。

 そのミケランジェロの「キリストの埋葬」(上)が見当たらない。
 彼の板絵は極めて稀で、唯一、「聖家族と幼児洗礼者ヨハネ」、通称「トント・ドーニ」(ウフィッツイ美術館蔵)のみが記録に残されていることはこれまで何度か小ブログでも書いた。

 そAの希少な中でのこの作品、もともとはローマのサン・アドスティーノの祭壇画として委嘱され、画料も支払われたとの記録が残されているらしいが、何らかの事情があって未完のままとなった。

 描かれているのは降架して後、埋葬される場面。
 向かって左から、ひざまずくマグダラのマリア、赤い服のヨハネ、後ろで支えているのは遺体を引き取りたいと申し出たアリマタヤのヨセフ、その右にパリサイ派のニコデモ、右端は大ヤコブの母サロメ。

 そして、右下部の空白、この手つかずの部分に描かれる筈の人は、息子の死を嘆く聖母マリアであったのではとされている。
 その聖母の青い衣服に用いられるウルトラ・マリン・ブルーの原料ラピス・ラズリ、この貴重で高価な絵の具が届くのを待っているうちに、フィレンツェに赴くことになってしまったのではと推測されている。

 余談だが、ラピス・ラズリと言えば、フェルメール(1632-1675/オランダ絵画黄金期)の「真珠の耳飾りの少女」(ハーグ・マウリッツハイス美術館蔵)にも使われていて、小ブログでも何度か投稿した。

 話がそれたが、ミケランジェロのもう一枚の絵、1857年にマンチェスターで開催された大展覧会に出品されたことから「マンチェスターの聖母」と通称される、「聖母子と聖ヨハネと天使達」(下)は架かっていた。

 こBの作品も、向かって左、聖母が手にする本を見つめる天使たちがまだ描かれていない未完の作品。

 中央に、聖母の本を見るため乳を飲むことをやめて膝から滑り降りた幼児イエス、そして、イエスを見守る聖母が描かれ、前述の「トント・ドーニ」を窺わす力強いタッチが未完ながらも十分に表され、まさにミケランジェロを実感させられる。

 これらふたつの絵、イエスは、聖ヨハネの足の甲を、そして、マリアの裾を踏ませ、イエスを聖なる存在として描いている。
 ちなみに、黒が用いられた聖母の衣服は、青で仕上げられる予定だったらしいが、覆われずにまま終ったとされている。

 ところで、このように時代が下がってから、聖母が胸も露にした姿で描かれるのは珍しいとか。
 知られている限りでは、彼の初期の作品大理石のレリーフ「階段の聖母」(カーサ・ブオナローティ蔵)で授乳する場面のみともされる。
 裕福な女性が乳母を雇った時代において、聖母が母乳でイエスを育てたと言うことは非常に重要視され、聖母の乳はキリスト教徒の魂の糧として象徴的に理解されたという。

 その「階段の聖母」、只今来日中で、小ブログ、<ミケランジェロ展>でも投稿した。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.767

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(2)へは(コチラ)から入れます。

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遺稿 ‐ 想い出のカタリナ

2014年02月14日 | 想い出のカタリナ

 雪のバレンタインデーになりましたが、カタリナ が逝って今日(2/14)で100日、今、彼女のため依頼したミサで祈ってきました。

 ようやく遺品の整理に手をつけられるようになり、彼女のパソコンを整理していたら原稿が見つかりました。
 最後の投稿になってしまった<正座>(13/10/09)の次にと考えたものの、体調もすぐれずリライトを諦めたようです。

 題は、「稽古道具」。
 こB_2の稿までに “ 席入り ” まで書いていて、これから “ 道具 ” について書こうとしていたようです。
 下書きですから投稿するのを暫らくの間躊躇っていました。
 が、お仲間の皆さんには、彼女が何を書こうとしたのか判ってやって頂けるのではないか? と勝手に判断、句読点が重なっているところは削除しましたが、ママ投稿することにしました。
 そこまでしてアップすることないのでは、カタリナのイメージが損なわれる、という考えもあることは承知しています。

 書き始めたのは、ペトロの誕生日に箕面山荘・風の杜で食事をした頃でしょうか、プロパティを開きコンテンツの作成時期を見ますと地蔵盆の辺りでした。
 残された命、懸命に生きた彼女の生き様を、情けなくも一人で胸に仕舞いきれず投稿しました。
 拙ない文ですが目を通し、在りし日を偲んでやって下されば嬉しく存じます。

 ところで、嬉しくも今なお、“ カタリナ 茶の手帳 ” にアクセスして下さる方があります。
 カタリナも草葉の陰で、さぞかし喜んでいることと思います。

 遺稿は、その、“ カタリナ 茶の手帳 ” に投稿しました。<コチラ >からお入り下さい。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.766

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稽古道具

2014年02月14日 | カタリナ ‐ 茶の手帳

 稽古に必ず持っていく物、服紗、古服紗、懐紙、菓子きり、これをわすれては、稽古が出来ない。
 昔は着物のはぎれが、どちらのお宅にもあったからか、(運針が出来れば作れます)と先生が作り方を教えてくださった。

 母から端切れを貰い、じを福はうえが白でし下に巾の字です。服紗は塩瀬の生地で、古服紗は柔らかめの帯の切地で作った思い出がある。

 A_4り感と主流です。
 ら紫色に変えると聞きましたが、今はそんなことはしないようです。
 今は、模様がついているもありますが、流派で違うかも知れませんが私はと稽古用として考えています。
 寸法は横に1センチほど長い。正方形のように見えるが長方形である。

 もう1種類小型の古服紗も使います。
 これは水屋からお茶椀を載せて運んだり、いわゆるお盆のかわりの役目をします、服紗よりひと回り小さいので、小袱紗が正しいとおもわれますが。古い福沙が正しい名称です。

 お茶の始まりでは、別室つ囲い(風炉先屏風)の中で点てて運びださていました
 当時は古服紗が使われていたわけですが、利休の奥さん宗恩が今は使われていつ服差を考えだされたそうです。

 服紗のたたみ方には約束があります。
 出来上がった服紗はいつも右和さでもち向こう向こうに8折します。
 よいことは和さしたで
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.766 ‐ 番外 2

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怒らないの! ‐ 想い出のカタリナ

2014年02月12日 | 想い出のカタリナ

 最近、俗に切れる!とか言うようだが、暴力的なことが頻繁に起こる。
 誰でもいいから殺したかったなどと理解不能の理由で、酷いことを平然とする者も珍しくない。

 そこまで極端でなくとも、社会全体が怒りっぽくなっているらしい。
 老人と雖もその例外ではないらしく、店先などで大声で罵っている場面に出くわすことも度々、眺めているとその姿、無残でもある。
 斯く言うペトロ、恥ずかしくもカタリナ から 「そんなことで怒らないの」とよく叱られた。

 A_2堪え性のないペトロならずとも、一歩家を出ればムカッとすることに出くわし、何気ない一言についカッとなることもあるのでは?
 しかし、その苛々を思いのまま発散してしまえば、人の心を傷つけたり信頼を失ったりもし、本人にしても後味が悪い。

 入院中のこと、この怒りをコントロールする能力を高めるアンガーマネジメントなるものを朝のNHKニュースでやっていた。

 老いてなお怒りに振り回されるのは恥ずかしさを通り越し惨め、矯められるものならと思い、番組は終わりかけていたが少し真面目に画面を視た。

 それなどに拠れば、アンガー(Anger = 苛々や怒りの感情)と上手に付き合うための心理技術で、絶対に怒ってはならないと言うことではなく、怒りに降り回されて損をすることがないようコントロールすることらしい。

 そもそも怒りは、誰しもが持っているコアビリーフ(Core Belief = 自分が正しいと思っている信念・価値観)と言うものに原因があって、出来事そのものに責任はなく、あくまで自分自身の意味付けに原因があると言う。

 理B論理屈はそうでも、やっぱり苛々ムカッは我慢できない。

 で、幾つか対処方法があるらしく、朝日を浴びるのがいいのだそうだが、予め耳朶を触るなどの動作や薔薇などの言葉を決めておき、かっとなりそうな時にその動作を行う、あるいは言葉を唱えるコーピングマントラ(Coping Mantra = 切り抜ける、行い、言葉、呪文)ってのもあるそう。

 怒り以外のことに意識を向けることで2秒ほど反応を遅らせ、気持ちを落ち着かせるのだそうだが、似た方法として6秒ルールなるものも。
 怒りの感情は6秒すれば解消されるのだそうで、頭の中で数字や名前を唱え時間を稼げばいいらしい。

 早速、数日前からその6秒ルールを実践、しばしば窘めてくれた 「カタリナ」の名を三回繰り返し呟く。
 某日だけでうんざりするほどマントラ、お呪(まじな)いを唱えたが、なるほど怒りは制御できるように思う。
 尤も、酔狂、うんざりすほどしょっちゅう、それも詰まらぬことで怒ってたン?と、一頻(ひとしきり)反省も。

 この冬初めて雪が積もった土曜(2/8)の朝、寒さに強いはずの 「水仙」も深く項垂れていた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.765

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ダ・ヴィンチ ‐ ナショナル・ギャラリー(2)

2014年02月10日 |  ∟イギリスの美術館

 ロンドンのナショナル・ギャラリー、記念すべき最初の絵は?
 イタリア・盛期ルネッサンスの三大巨人のひとりレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519 )の「岩窟の聖母」が架かる壁の後ろ、そこに小さな部屋があって、壁に “ Carton da Vinci ” と表示されている。

 カタリナ、同じ展示室に架かるダ・ヴィンチの生涯のライバル、ミケランジェロ(1475-1564/イタリア/盛期ルネサンス )の未完作品、「キリストの埋葬」を探していたので、一足先にこの部屋に入った。

 こA_3の傑作を保護するため、太陽光を完全に遮り、かつまた、照明が殆ど施されていない空間。
 その部屋の中央に、「ダ・ヴィンチのカルトン」(上)は架かっていた。

 ちなみに、カルトンとは、“ イタリア語のカルトーネを語源 ” とし、幾つかの意味があるらしいが、美術用語としては、“ 絵画の仕上げの画面と同寸に描かれた素描、下図 ” とある。

 薄暗い暗い空間に浮かぶイエスと聖母マリア、そして、聖母子を見守る聖アンアと寄り添う幼い洗者聖ヨハネ。
 天才が描こうとしたものは、ルーブル美術館が所蔵する傑作、「聖アンアと聖母子と幼児聖ヨハネ」の下図。
 この習作、継ぎ合わされた8枚の紙に描かれている。

 ルーブル美術館、グランド・ギャラリーに架かる本絵(下/右端の絵:09年)にも優るとも劣らない、「ダ・ヴィンチのカルトン」。

 部屋に入った者は等しく、声は勿論のこと、咳(しわぶ)きひとつなく見入り、そして、ひとくさり何かを語ろうと思うのだろうが、結局は無言で、挙句、肩をすくめながら半ば呆れ顔で引き下がる。

 白B_3チョークと木炭を褪色から守るために薄暗く絞られた照明、それが作り出す敬虔な雰囲気はこの作品にこそ相応しく、一層厳かにさせる。

 余談だが、この目を凝らせなければよく見えない薄暗い部屋、オルセー美術館のルドン(1840-1916/フランス/象徴主義)やドガ(1834-1917/フランス/印象派)のパステル画の架かる部屋でも体験した。

 ひとしきり唸った後、展示室で他の絵を見ているカタリナに、この絵があることを告げた。
 カタリナ、部屋に入ったきりなかなか出てこない。 
 暫くして、「・・・・・」、深い感銘を受けたのだろう、そのことがありありと見て取れる表情で、その小さな部屋から出てきた。

 美術館の案内書にも、“ この作品を見るためこの美術館を訪れる人も少なくない ” とある。
 「岩窟の聖母」と並んで、まさに、高がカルトン、然(さ)れどダ・ヴィンチのカルトンであった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.764

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(1)へは(コチラ)から入れます。

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