ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

思いを残して ‐ 9月がゆく

2015年09月30日 | 季節/暦

 政治向きのことは書きたくないが、15年9月はこの国の行く末まで記憶に残る月になりそう。
 少なくとも、来夏の参議院議員選挙までは忘れてはならない、と思う、幾ら忘れっぽい国民性と雖も。

 同盟国を含む国と民の安全を守ることは、重要なことのひとつだということは理解(わか)る。
 しかし、安倍さんを始め自民党と公明党の議員、余りにも姑息というか性根が貧しすぎる。

 集団的自衛権とやらを行使したければ、成否は別として国民に改憲を問うてこそ政治家であり、たまさか与えられた議席数を頼みに、最高裁判決を形(なり)振り構わずこじつけるとは政治屋にも値しない。

 金太郎飴の公明党議員は論外としても、自民党でだんまりを決め込むハト派議員、今もいればの話だが。のだらしなさには失望した。

 そんな思い、過日(9/24)の天声人語氏も、“ 97年の沖縄県の米軍基地用地の使用をめぐる法改正に際し、衆院特別委員会の野中委員長は「大政翼賛会」的状況に警鐘を鳴らした ” と書き、当時の自民党には、“ まだ理解者がいた ” とも書いている。

 一方、与党にこれだけ横暴なことをされても、野党第一党の民主党の支持率が伸びないのは何故か?
 かつての政権時代に、この党が国民に与えた失望感は大きく深い。

 悉皆(しっかい)、理念も信念もなき陣笠連中に議席を、政権に支持率を与えた国民の責任だけれど。

 二次大戦来、国家として戦争で一人も殺めたことのない世界で稀有なこの国の行く末も怪しくなった。
 そして、戦地で犠牲者が出たとき、安倍さんはじめ賛成票を投じた議員は、「御国のためによくぞ・・・」と言うのだろう、きっと。

 そんな遣り切れない思いを残して長月・九月はゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1038

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ヴァトー ‐ 回り道ルーヴル(1)

2015年09月28日 |  ∟フランスの美術館

 ルーヴルにはドノン翼とリシュリー翼の他に、クール・カレ(方形広場)を囲むシュリー翼がある。
 そのシュリー翼の三階にもフランス絵画が展示されてい、数は多くないが名前に馴染のある画家の面白い作品も架る。
 リシュリーに加えシュリーまで、手を広げれば限(きり)がないが、少し回ってみることにする。

 18世紀ルイ15世統治下のフランスを中心に欧州各地を席巻したとされるロココ様式。
 ロカイユ・貝殻装飾を語源とするそのスタイルは、彼から始まるともされるアントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)。

 まずは、その彼の 「ピエロ(ジル)」(左)から。

 ちなみに、イタリア喜劇では、ピエロ役を務める者を ジル・Gilles と呼ぶのだそうだが、そのモデルは、当時ピエロ役で名を馳せた喜劇役者のベローニだと考えられているらしい。

 ルーヴルのHPを借りると、“ モニュメンタルな存在感がある彼の作品の中にあって、例外的なこの物思いに耽った詩的なピエロは、ベローニが開いたカフェの看板だったともされている ” とある。

 また、“ ピエロの端正な顔立ち、長い腕と奇妙な衣装、背景の道化の象徴のロバや笑う喜劇役者などがこの絵に謎めいた性格を、重苦しいほど身じろぎ一つしないモデルとわずかに仰視のフレーミングが、ドラマティックな力強さを与えている ” とあって頷かされる。

 ところで、ここにはヴァトーの 「パリスの審判」(右)も架る。

 描かれているヴィーナスや犬が、ルーベンス(1577-1640/フランドル/バロック)の 「パリスの審判」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)に似ているため、その関係性が指摘されているらしい。

 では、パリスがジャッジメントしたものとは? その解は、<ルーベンス>の稿に詳しいのでご参考に。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1037

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続・シルバーな一日

2015年09月26日 | 散歩道/山歩き

 向かったのが標高931mの六甲山最高峰。
 無理をせず、取り敢えずは風吹岩を目指し、JR甲南山手駅から魚屋道(ととやみち)、この道を使って新鮮な魚介を有馬温泉まで運んだためこう呼ばれるようになったとか。を辿ることに。

 この道、小さな沢に沿って整備されていたのだろうが、夏の豪雨で道なきが如く、歩き難いこと極まりない。
 途中、猪に注意の看板が幾つも立ってい、I 君 「大丈夫かなあ?」と心配顔。

     

 悪路の真ん中辺りで尾根道と蛙岩への分岐、そこから蛙岩へ更に小一時間、阪急芦屋駅からの尾根道と合流する蛙岩で小休止。
 暫くして同じ道を登ってこられたご夫婦、「久し振りに登ったら酷いことになっている」と、どおりで人に出会わない筈と納得。

     

 蛙岩からは快適な尾根道歩き、天気も良く絶好のハイキング日和。
 標高440mの風吹岩は 「どこから来たの?」と思うほどの人、岩の上からは大阪湾を挟んで遠く紀泉の山並みまで望める。

     

 お弁当を広げていたら後ろで何やら騒いでいる、看板倒れ?じゃないようで、うり坊、猪の子供が出てきた。

 山頂を目指すかここで帰るか迷ったが、翌日、R君がボーイスカウトで京の東山へ一泊のミニキャンプ、無理をせず切りのいい所で下山することに。

     

 ブナ林の続く尾根道をアップダウンしながら、最高峰迄3Km地点、ゴルフ場の手前で黒五谷方面へ。
 緑に染まりながら打越峠を越え、森林管理道分岐から小さな祠が並ぶ山の神分岐迄の長い山道を下る。

    

 山の神から通称ハブ谷・八幡谷の山の裂け目のような深い沢、奥の行場の八幡滝を横目に岡本八幡神社からJR摂津本山駅に出た。

 歩き始めて五時間余りのハイキング、紅葉には早いが萩や蓼、彼岸花などが咲き薄が風に揺れていた。
 次は最高峰から有馬温泉を目指そうと約束、敬老の日を前に、柔らかな日差しを楽しんだ一日だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1036

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シルバーな一日

2015年09月24日 | 散歩道/山歩き

 先週末からちょっぴり休みが続いた。
 その休みに入る前日のこと、雑談のなかである人が、「シルバーウィークって、敬老の日にちなんでいるんだろ!」と言い、斯く言う酔狂も、そうとばかり思っていた。

 この “ シルバー ” なる言葉、JRなどが老人や障碍者の席をシルバーシートと呼び始めた辺りから定着したのだろうか?

 老いて頭髪が白くなることから連想した和製英語だそうで、以来、老人世代を呼ぶ代名詞みたくなったとか。
 何年か経って、別に老人だけの席じゃないと気付き、優先席・プライオリティシートと替わったが。

 実際のところは、春のゴールデンウィークに対置する意味合いで1950年代に映画界が提唱、 “ 文化の日を中心とした一定期間を指す宣伝用語 ” だったらしい。

 シルバー人材センタにシルバー・ホーム、シルバー料金とかもあり、しかも、この週には敬老の日もあって、冒頭の老人週間と思い込んだような事。
 尤も、毎年こうも塩梅よく連続して祝日が当て嵌まる訳でもないのだろうけれど。

 今じゃ専らTV、それも民放が多用、朝日(9/22)もトップページに使っていた。していたようだが、ネーミングの理由はどうあれ、言葉そのものが薄っぺらく余り好きになれない。

 そんな酔狂のシルバーな?秋の一日、久し振りにハイキングに行くことになった。

 夏休み、R君とI 君に出会った時に、「秋になったら六甲山へハイキング」と約束していて、週末の土曜のお昼前、「明日、いい?」と電話で誘われた。
 元気なふたりについて行けるのか? 聊か心許ない気もしないではないが・・・。

 翌朝、前夜遅くなり眠りこけていたらしく電話のベルで起された。
 慌てて飛び起き時計を見れば八時過ぎ、電話の向う側からは 「今、大阪駅」との声が届き、大童で用意をしたのだった。 (この稿、続く)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1035

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鬼っ子? ‐ 道草ルーヴル(2)

2015年09月22日 |  ∟フランスの美術館

 サント・シャペル教会で<光のシャワー>を楽しんだあと、小さな教会を訪ねて秋のパリをぶらぶら歩き。
 サン・ジェルマン・デ・プレ教会も、その翌日に訪ねた<モンマルトルの丘>の<サン・ピエール教会>にも。
 嬉しくもこの街には、サン・ピエール、聖ペトロゆかりの教会が多い。

 教会の直ぐ傍、名前も同じサン・ジェルマン・デ・プレ駅からメトロに。
 途中乗り換えてサン・ミッシェル駅からヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ、ヴェルサイユ左岸駅行の高速郊外鉄道・RERに乗った。

 セーヌ川に沿って半地下のような線路を走りシャンド・マルス駅に、「腹が減った」とぼやき乍ら長いホームを “ TOUR ” の表示に従って歩く。

 階段を上るとさらに人が増え、土産物の屋台が両側に並ぶ狭い道をひとつ方向に向かっている。
 人混みに引きずられるようにして交差点を渡ると、首を45度ほどにも曲げなければ天辺が見えないほど近くに塔が突っ立っていた。

 1889年のパリ博覧会のために造られた巨大な鉄の塔は、<鉄製の高架橋>の専門家であったエッフェルが設計したのだそうだ。
 建設当初は景観を損なうと物議をかもしたらしいが、それが今や観光の一方の稼ぎ頭、高さ制限の厳しいパリ中心部の言わば鬼っ子?

 この塔、支える四本の足にそれぞれエレベータみたくなのがあって、それ毎に切符売り場があるよう。
 で、切符を求めて四本の列が同じようにくねくねと曲がって続いている。

 ところで、昇ったのかって?  待たされるのは生来不得手な誰かの「帰ろうか?」に、少々浮かぬ顔のカタリナ も 「そうね」、と、なるべくしてなったよう・・・な。
 そういうことで、高い所は嫌いでないお上りさんふたり、何度かこの街を訪ねたが、この鬼っ子さんには会わず仕舞なのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1034

 ※ 「道草ルーヴル(1) ‐ 光のシャワー」へは、<コチラ>からも入れます。

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ティツィアーノ ‐ 駆け足ルーヴル(12)

2015年09月20日 |  ∟フランスの美術館

 ヴェロネーゼ(1528-1588)など盛期ルネッサンス・ヴェネツィア派の画家に大きな影響を与えたとされるティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-1576)。

 色彩の錬金術師とも呼ばれるその彼の 「田園の奏楽」(上)、身なりの良い赤い衣服を纏う貴族の青年とおそらくはその従者であろう青年が、美を象徴する裸体のニンフらと音楽による会話をする様子を<官能的>に表現している。

 ちなみにニンフとは、ギリシア神話で女の姿をして、おもに川や泉の辺に出てくる精霊のこと。

 初期ルネッサンス・ヴェネツィア派の始祖であるヤコポ・ベッリーニ(1400-1471)の庶子のジョルジョーネ(1477-1510/盛期ルネッサンス・ヴェネツィア派)が制作途中で死去。
 弟弟子の若いティツィアーノが手を加え完成させたとされ、その辺から少しややこしい感じがしないでもない。

 美術書には、“ 古代ローマを代表する詩人ウェルギリウスの叙事詩 「牧歌」の寓意として描かれたとされ、その象徴である笛と注がれる水を、理想美をもって描かれたふたりの裸婦がそれぞれ手にしているのが特徴 ” とある。

 これら、“ 非現実の女性の姿は、彼女らに霊感を呼び起こされたふたりの男性の想像の中にのみ存在している ” とされてい、ややこしい。

 それは、“ 16世紀初頭のヴェネツィアで広まっていた、眼に見えるものと見えないものとを同時に表現することへの嗜好に適うもの ” でもあったらしい。

 本作は、印象派を代表する<マネ>(1832-1883 /フランス)の問題作 「草上の昼食」(オルセー美術館蔵/下)に、構図的インスピレーションを与え、良くも悪くもマネの名を一躍有名にしたことでも知られている。
 言わば本歌取り、むしろ、後者のそれがより知られる作品となったことも、また話をややこしくさせる。

 何れにしても、本ブログ再々登場のふたつの作品、ややこしい? とする謂われを書こうとして、少し長くしてしまった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1033

 ※ 「駆け足ルーヴル(11) ‐ ヴェロネーゼ」へは、<コチラ>からも入れます。

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ヴェロネーゼ ‐ 駆け足ルーヴル(11)

2015年09月18日 |  ∟フランスの美術館

 盛期ルネッサンス・ヴェネツィア派を代表する画家パオロ・ヴェロネーゼ(1528-1588)が、ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島のベネディクト修道会の食堂を飾るために描いた 「カナの婚礼」。

 主題は、“ ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた ” (ヨハネ2章)が、そこで最初の奇跡を成し遂げる場面。

 祝宴の途中 “ ぶどう酒が足りなくなったので、(婚礼の世話役をしていた)母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスが 「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちはかめの縁まで水を満たし(中略)運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした ” (同2章)という喜びに満ちた場面を切り取っている。

 色彩の錬金術師とも称された盛期ルネッサンス・ヴェネツィア派の巨匠<ティツィアーノ>(1488-1576)の影響を受け、同派らしい軽快で鮮やかな色彩で、かつ大人数を描くことを得意としていた彼の面目躍如たる作品なのだそう。

 大画面(666×990cm)に描かれた人物、実にその数130人だそうだが、時間と根気のある方、宜しければ数えてみて。 ところで、そのイエス様は何所に? 拡大してお確かめ下さい。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1032

 ※ 「駆け足ルーヴル(10)‐ ジョット」へは、<コチラ>からも入れます。

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フェルメール ‐ 寄り道ルーヴル(1)

2015年09月16日 |  ∟フランスの美術館

 そろそろ夏休みに入ろうかという頃、<1000回記念>にルーヴル美術館はドノン翼の小さな旅に出た。
 ドノン翼にはイタリア、フランス、スペイン絵画を中心に展示、ドイツ、フランドル、オランダなどの絵画はパレ・ロワイヤル側、リシュリー翼にある。
 折角のルーヴル、これら少し北方の作品を “ 駆け足ルーヴル ” の合間を縫って短く訪ねてみたい。

 名付けて “ 寄り道ルーヴル ”、まずは、カタリナ が、同時代の巨匠レンブラント(1606-1669)とともに愛した<ヨハネス・フェルメール>(1632-1675/オランダ絵画黄金期)から。

 彼の作品は、「<デルフトの小路>」(アムステルダム国立美術館蔵)が最初、以来、NYの<メトロポリタン美術館>までしばしば投稿した。

    

 そのフェルメールの 「天文学者」(左)、小ブログ再登場である。

 異論もあるようだが翌年頃に描かれた 「地理学者」(<シュテーデル美術館蔵>)との対画、または連作であったと考えられているが、作品の対比など、その「<地理学者>」の稿にもう少し詳しいのでご参考に。

 もうひとつの作品は、彼の典型的な風俗画 「レースを編む女」(右)。

 僅か便箋ほどの小品(23.9×20.5cm)乍ら、俯く女性の左半身に射す柔らかな光、綿密に描かれた手元、糸を仕舞っているのだろうか袋から落ちる赤と白の糸、傍らの針山など、ディテールに至る繊細な表現を、拡大して悉(つぶ)さに感じ取って頂ければ、と思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1031

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独り旅考

2015年09月14日 | 小さな旅/駅

 聞き慣れない “ 線状降水帯 ” という雨雲の連なりが、台風18号から変わった低気圧とその東側を北上する17号の狭間で長時間滞留、北関東や東北などに豪雨を降らせ、甚大な被害、傷跡を残した。

 前々号で、旧約聖書の “ ノアの箱舟 ” の再来? と投稿したが、それが冗談ともならぬほどに最近の気象は凄まじい。

 被災された方には申し訳ないが、秋の長雨もここに来て一休み、ここ数日、空が高く感じられ、野や山へと初秋を楽しまれた方も多かったのでは。

 かなり前になる、<独り旅>を楽しみたいと投稿したことがあった。
 その旅、<サンクトペテルブルク>(上)と<陸奥・平泉>(下)だけ、<当尾(とうの)の里>に<吉祥天>を訪ねたものを含めても余りできていない。

 いい年こいて甘えん坊、自立心が乏しいのか、独り旅が自己目的化してしまい辛さが先立つようなところもあって・・・、究めれば旅が下手なんだろう。

 そんな折、過日(8/29)の朝日、“ 増える、海外旅行は一人で ” との見出しで、某旅行社の調査結果を載せていた。

 もう少し読めば、“ 昨年、海外旅行した人に調査票を郵送して行き先や目的などを尋ね、回答を得た2820人の旅行計4376件を分析したところ、一人旅が22・7%と最多で、夫婦のみが20・5%、友人・知人とが20・3%、家族・親族は20%だった ” とある。

 数字だけを見ればその差は僅かだが、一人旅の割合が同程度の規模で調査を始めた01年の14・4%から毎年微増傾向にあるらしく、13年に旅のスタイルとして最多となったことは注目すべきなのかも。

 調査元は、“ 目的を特化した旅が増えたことに加え、一人旅用の安価なツアー商品が充実した ” のが原因のひとつとも。

 パックツアーを対象にした調査だと思うものの、記事では回答者の性別や年齢が詳らかでないので断定はできないが、酔狂が独断で推し量るに、理由は別にして長年連れ添った亭主から漸く解放された元気な女性が、海外を楽しまれる機会が増えたのだろう・・・と。

 では、逆の立場の男性は家に閉じ籠ってうじうじしているの?と勝手に推測、己が姿に重なり聊か侘しい。
 で、鰥夫(やもめ)諸君、リュック背負って旅に出よう! 自戒を込めてそんなことを思う秋の夕暮でした。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1030

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ジョット ‐ 駆け足ルーヴル(10)

2015年09月12日 |  ∟フランスの美術館

 絵画の祖とも呼ばれるゴシック絵画最大の巨匠ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337)の 「アッシジの聖フランチェスコの聖痕拝受」(上段)、イタリア絵画の展示室に架る。

 本作の主題は、聖フランチェスコが晩年、50日間の断食後に体験した脱魂時にセラフィムを通じて、主イエスと同じ聖痕を受けたとされる逸話(部分:下段/左、中)。

 ところでセラフィムとは、九つある天使の位階のなかの最上位の天使のことで、ヤハウェ神への愛と情熱で体が燃えているため、熾天使(してんし)と訳されているとか。
 三対六枚の翼を持ち、二枚で頭を、二枚で体を隠し、残り二枚の翼で羽ばたくというから、凄い!

 ちなみに聖痕とは、“ 十字架上のキリストが受けたのと同一の傷が信仰者の体(両手・両足・脇腹・額)にあらわれたもの。アッシジのフランチェスコの例が著名 ” と辞書にある。

 本祭壇画の下部、プレデッラ部分(下段/右)には、聖フランシスコ会を創始した聖フランチェスコの伝説を主題とした、アッシジ聖堂の身廊の28面フレスコ画から引用された場面が描かれている。

       

 彼はまた、工房の弟子たちを引き連れ、イタリア北東部の町パドヴァの<スクロベニー礼拝堂>の壁面に、「ヨアキム伝」「聖母マリア伝」「キリストの生涯」などの連作を描いている。

 そのスクロベニー礼拝堂、<大聖年イタリア巡礼>で訪れたが、修復を終えたばかりで未だ足場が残されたままだったが、鮮やかに蘇った壁画に小さく歓声を上げたことを憶えている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1029

  「駆け足ルーヴル(9) ‐ チマプーエ」へは<コチラ>からも入れます。

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