久し振りに主日ミサ(日曜礼拝)に出た。
この春の手術で長時間の外出に聊か塩梅がよろしくなく、一時間かかるミサに与る自信がなかった。
で、凡そ半年振りに、お天気同様に体調がいい日に出席したと言う訳。
出席したと言っても、ミサも終わりの頃にちょこっと顔を出し、聖体行列、最後の晩餐でキリストがパンを裂き弟子に与えて “ これは私の体である。私を記念するためこのように行いなさい ”(ルカ 22 ‐19)と教えられたことにちなむミサの中での大切な行い。の殿に並んで、司祭の「キリストの体」という言葉とともに聖体を拝領してきた。
話は前後するがその夜、知人から電話があり、久し振りに出席できたこともあってそのことを話すと「聖体泥棒してきたのね。でも、よかった」と喜んでくれた。
ただ、言われてみればその通りで、司祭の話も聴かず、主の祈りも唱えず、悔い改めもせずに聖体だけ頂いてきたことが少し厚かましく思えた。
話は戻ってその日、聖体を頂いて直ぐ御堂を出たのだが、そこでペトロ の代父Sさんに出会った。
代父とは、洗礼や堅信に立会い、受洗者(代子)がキリストに対してする約束の保証者、教会での後見人のような存在と言えば分かりが早いか。女性の場合は代母になる。
遅れてきたうえに聖体だけを頂き、終わりを待たず帰ることの後ろめたさもあって、事情を話す仕儀になった。
ご自身が病の大先輩でもあるSさん、「ちっとも気になさることありませんよ。それより、早く元気になって下さい」と言い、後日見舞いを届けて下さった。
そのSさん二度の再発を経てそれ迄の闘うことから「今は主の思し召しに従おうと思っている」と静かに語られた。
二人に一人が罹るとされるこの病、自分が罹ってみて初めて身近に実に多くの人がいることを知った。
カタリナ は、「いいじゃない、短くても出られるようになったのだから」と言い、「まっ、そうやね」と、気持ちに折り合いをつけた水無月・6月だった。
そのミサの日、6月の眩しい陽射しの木陰にマリア様の花「白百合」が咲いていた。
お弟子さんが稽古にお持ち下さったという「蛍袋」、結果OKだけど面白くも水彩画のように撮れた。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.483