ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

聖体泥棒 ‐ 6月がゆく

2012年06月29日 | 季節/暦

 久し振りに主日ミサ(日曜礼拝)に出た。

 この春の手術で長時間の外出に聊か塩梅がよろしくなく、一時間かかるミサに与る自信がなかった。
 で、凡そ半年振りに、お天気同様に体調がいい日に出席したと言う訳。

Photo 出席したと言っても、ミサも終わりの頃にちょこっと顔を出し、聖体行列、最後の晩餐でキリストがパンを裂き弟子に与えて “ これは私の体である。私を記念するためこのように行いなさい (ルカ 22 ‐19)と教えられたことにちなむミサの中での大切な行い。の殿に並んで、司祭の「キリストの体」という言葉とともに聖体を拝領してきた。

 話は前後するがその夜、知人から電話があり、久し振りに出席できたこともあってそのことを話すと「聖体泥棒してきたのね。でも、よかった」と喜んでくれた。
 ただ、言われてみればその通りで、司祭の話も聴かず、主の祈りも唱えず、悔い改めもせずに聖体だけ頂いてきたことが少し厚かましく思えた。

 話は戻ってその日、聖体を頂いて直ぐ御堂を出たのだが、そこでペトロ の代父Sさんに出会った。
 代父とは、洗礼や堅信に立会い、受洗者(代子)がキリストに対してする約束の保証者、教会での後見人のような存在と言えば分かりが早いか。女性の場合は代母になる。

 Photo遅れてきたうえに聖体だけを頂き、終わりを待たず帰ることの後ろめたさもあって、事情を話す仕儀になった。

 ご自身が病の大先輩でもあるSさん、「ちっとも気になさることありませんよ。それより、早く元気になって下さい」と言い、後日見舞いを届けて下さった。

 そのSさん二度の再発を経てそれ迄の闘うことから「今は主の思し召しに従おうと思っている」と静かに語られた。
 二人に一人が罹るとされるこの病、自分が罹ってみて初めて身近に実に多くの人がいることを知った。

 カタリナ は、「いいじゃない、短くても出られるようになったのだから」と言い、「まっ、そうやね」と、気持ちに折り合いをつけた水無月・6月だった。

 そのミサの日、6月の眩しい陽射しの木陰にマリア様の花「白百合」が咲いていた。
 お弟子さんが稽古にお持ち下さったという「蛍袋」、結果OKだけど面白くも水彩画のように撮れた。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.483

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小さき巡礼の後で

2012年06月26日 | フランス

 機会があればと思っていた<大天使ミカエル>が見守る聖地<モン・サン・ミッシェル>への巡礼。
 早朝に出発、夜も遅く帰る強行軍だったが、大きな感動と驚き、そして信仰のもたらす力、時代を問わず崇めるものへの畏れ、そんな何かを肌で感じた小さな旅だった。

 修道院のマリア像の台座に、「NOTRE DAME D. MONT-TOMBE」とあったが、ノルマンディとブルターニュに跨るシシイの森の中、トンブ山と呼ばれる小高い地に蜃気楼のように浮かぶその姿は、石組みの壁がそそり立つ要塞、このように表現するのが一番相応しく思えた。

Photo_8 事実、14世紀には百年戦争に巻き込まれて城塞とされ、1789年のフランス革命時には政治犯の牢獄として使用されるなど、歴史に翻弄されてきたこの聖地、今や世界有数の遺産のひとつとされ、巡礼者のみならず多くの観光客が訪ね平和と自由を享受する。

 平和と言えば、雨足が一向に衰えない聖地からの帰途、夕食のためノルマンディ地方の海辺の街カーンにある平和記念館に寄った。

 この辺りは、第二次世界大戦でナチス・ドイツに反転攻勢をかけるべく連合軍が上陸、いわゆる D ‐ day 作戦が行われた地に近く、「史上最大の作戦」や「プライベート・ライアン」などの映画で記憶に残る。

Photo_9 最近、その「プライベート・ライアン」のスピルバーグ監督と主演のトム・ハンクスが製作、ノルマンディに降下した後ベルリン目指し転戦する、米陸軍空挺師団パラシュート歩兵連隊のある中隊を描く「バンド・オブ・ブラザーズ」という10話からなるTVドラマをDVDで観た。

 ドラマに登場するキャラクターは総て実在する人物、無名の俳優が徹底したリアリズムで熾烈な戦いの場面を演じている。

 今も生存する本人が各エピソードの冒頭に登場、戦争がもたらす悲惨、残酷さを贖いに得た平和と自由、そのことを語る言葉が重い。

 話は戻って、平和記念館のロビーには実物と思しき当時の戦闘機が天井から吊り下げられ、夕刻にも関わらず小学生のグループが無邪気にそれに見とれ騒いでいた。

 オルセーの合間、聖地巡礼の稿を終えて、ほんの70年ほど前、一人の狂気の者によって無辜の者がホロコースト・大虐殺されたこと、今もシリアで愚かな独裁者によって同じことが繰り返される悲劇を考えさせられている。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.482

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紫陽花繚乱?

2012年06月23日 | 

 紀伊半島に上陸した台風4号は、あっという間に列島を駆け抜けて東北沖へ。
 続く、台風5号、低気圧に変わったものの梅雨前線の影響で、西日本の各地に大雨の被害をもたらした。

 21日の天声人語氏、“ ハイドランジア = 水の器の属名を持つ花にも、さすがに限度があるらしい。しこたま雨に打たれた道端のアジサイが、やれやれといった顔で残りの風に揺れていた ” と書いていた。

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 そのアジサイ、学名でハイドランゲア・Hydrangea というらしい。
 ギリシア語の hydro = 水 と angeion = 容器 に由来するらしく名付けて妙とも思うが、少し風情が損なわれるような気がしないでもない。
 ちなみに、英語では Hydrangea と綴り、ハイドレインジア と発音するらしいが、はて?

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 ここはやはり、紫陽花 とするのがこの花に似つかわしいと思うのだが。
 ところで、一般に花びらに見えるものは、花の最も外側にあって蕾みのときは内部を包み保護する萼(がく)らしく、カタリナ ならずとも「そうなんだ」と驚く。

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 カタリナがお茶のお仲間の皆さんから嬉しくも、日を置かず種類や色の違う紫陽花を頂いた。
 「そんな、大袈裟な」と嗤われつつも名付けて “ 紫陽花繚乱 ” 、鬱陶しい梅雨のひと時、皆さんのお慰めになるや否や??
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.481

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出会い ‐ オルセーの合間に(5)

2012年06月20日 | フランス

 王の門近くのビストロ(上段左/右)に腰を下ろし、エスプレッソとビールで暫し休憩。
 ビストロを出ると、驚いたことにそれまでの小雨(中‐上段左)が物凄い雨に変わっていた。
 海からの強い風が横殴りに吹きつけ、傘など「何の役にもたたない」という有様。

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 近くのラヴァンセ門(中‐上段右)僅か1m程の通用口の庇?に逃げ込み、勝手にその扉を閉めて湾から吹きつける風雨を凌いだが、同じように逃げ込んで来た同行の外人さんに、「グッド・アイデア」と褒めて貰えるほど激しい雨、堤防を歩いてきたらしいヒッチハイカーもずぶ濡れで散々な様子。

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 小止みになって外人さんグループ、近くのカフェへ「一緒に」と誘いを受けたのだが丁重にお断りをしてしまった。
 海外旅行を楽しむには言葉の壁はあっても、「ご一緒しなければ」「駄目なんだなあ」と少し後悔。
 
 ところでこのグループのひとり、好々爺然としたお爺さんと、後日オルセー美術館(中段左/中/右)で偶然にも出会った。勿論、その時は知る由もなかったが。

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 さらにその翌日、暮れなずむシャンゼリゼ通り(中‐下段左/中/右)、この世界で一番美しいと言われている通りのとある交差点で信号を待っていると、隣に何処か見覚えがある女性が同じように信号を待っていて、私たちの顔を見て同じように驚きながらも白い歯を見せて会釈をする。
 なんと彼女、<英語を担当したガイドさん。>、何時、何処で誰に出会うか「判らないものね」と実感。

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 話は戻って、目まぐるしく天候が変わる聖地と別れ再びバスの人に。
 夕食のためノルマンディー地方のカーンの平和記念館に寄ったが、雨足は一向に衰えない。
 早朝からの長いバスに倦んで、うとうととまどろんでいる間にバスは夜のパリの街に。ライトアップされたエッフェル塔(下段左)が美しい。

 夜も更けた22時頃、シティ・ラマ社に着いた。
 雨上がりの夜道をオペラ座(下段中)の方に向かっていると、可愛い同行者が同じ方向とかで追いついてきた。

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 気が許せるのかカタリナ に、「何日か前に二人でパリに入ったが、友達はお買い物ツアーに、このツアーには独りで参加した」由、翌日の便で帰国すると親しげに話している。
 オペラ座の前で彼女と別れ人影もまばらな地下鉄オペラ駅のホーム(下段右)で電車待つ間、バルセロナ郊外<モンセラート>でも、国は違ったが若い女性との小さな出会いがあったことを思い出していた。
 それにしても聖地モン・サン・ミッシェルへの遠足、長い一日が終わって、「ホッ」と溜息がでた。

 5回にわたって投稿した “ オルセーの合間に 聖地巡礼 ” 今回を以ってひとまず終える。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.480

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登板間隔

2012年06月16日 | 日記

 6月に入って直ぐ朝日新聞の関西地域版に “ 「NOMO」豊岡へ ” の見出しが。

 野球にさほど興味のない方でもアメリカの大リーグ(MLB)で活躍の場を築いた、日米プロ野球界交流のパイオニアともいうべき野茂英雄投手のことはご存知だと思う。
 その野茂さん率いる社会人チームNOMOベースボールクラブが、本拠地を堺市から豊岡市に移すという。

 彼は、近鉄球団、特に、鈴木啓二監督との確執から追われるように任意引退。
 場をMLBに求め、日米通算201勝155敗、MLBでは日本でのそれを上回る123勝109敗の成績を上げた。

Photo_2 トルネードとも称された独特のフォームから奪った三振は3122、MLBでは実に1918を記録、「ドクターK」(Kはスコアブックの三振の記号)の異名を残している。

 特筆すべきは、MLB通算2回のノーヒット・ノーラン(無安打・無得点試合)。
 アメリカン、ナショナルの両リーグ通じての達成は、屈指の大投手サイ・ヤング、ノーラン・ライアンなどMLB史上4人だけの快挙。

 MLBには今17人も、しかと言うべきか。在籍、投手は11人だが、移籍時の年齢もあって成績は残念ながら余り期待できないようだ。
 だが今年は、日ハムからダルビッシュ有投手がテキサス・レンジャースに移籍、今朝(日本時間)も勝って8勝目、この分では20勝もとネット裏も姦しい。

 MLBのレギュラーシーズン、4月上旬から9月下旬にかけて1チーム162試合、引き分けなしの時間無制限で行なわれる日程は過密で連戦もざら。
 時差3時間、気候にも大きな差がある広大なアメリカ本土・カナダを縦横に移動しなければならない。

2_2 加えて、先発投手は100球前後で交代するものの中4日の間隔で登板、それらの過酷な条件をクリアしなければ一流にはなれないと聞く。

 日ハム時代中7日の間隔で登板していたダルビッシュ、職場環境?の激変に上手く対応、聊か出来すぎとも思えるスタートが切れたのは、羽曳野の悪がきと渾名されたふてぶてしいまでの神経、多彩な球種を自在に操る老獪さ。
 さらに加えて25歳という若さと故障知らずの頑丈な身体。

 ところで拙ブログのこと、「老体に無理は禁物じゃない」と半ば揶揄する言に発奮、お気付きの向きもあろうけれどこの5月まで一日置きに登板、じゃなかった投稿。

 カタリナ が担当してくれる日もあるが、正直少ししんどい。で、もとより悪がきならぬ老いぼれ三等ブロガー、「これからは気侭に登板」とまで書いたら、「そのいい訳、なんだか回りくどくない」と声が被さってきた。

 真ん中にある待ち針のような小さな花が開く前の「蕚(がく、額とも表記)紫陽花」と色や姿などから黄色の鳥、金鶏(きんけい)をイメージし名付けられたという「金鶏菊」。
 どちらも、梅雨らしからぬ陽射しの日に、色鮮やかに咲いていた。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.479

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喜寿のお祝い

2012年06月12日 | 宗幸雑記

 和六十二年の秋、茶道の奥ゆかしさ、面白さを分かち合いながら学びましょうと、高槻でグループを結成したのが始まり。

 それぞれがお点前に挑戦、緊張感も味わいながらも和気あいあい、週一回の集いが二十五年続いている。
 茶会に参加したり野点で遊んだり、美術館で茶道の勉強を重ねたりと、沢山の想い出を皆さんと共有している。
 途中で、ご家族の介護、仕事の都合や引越しなどのため、止む無くお別れしなければならない方もあったけれど、お住まいの地で「茶を楽しんでいる」との嬉しいお便りも頂く。

Photo そして今年、嬉しくもこのお仲間からお三方が喜寿を迎えられた。
 四月に七十八歳になられたお一人は、「この歳までお点前を楽しめるとは思っていなかった。この調子では八十歳も夢ではない」とおっしゃる。

 何れの方も若輩の私を師として立て、育てて下さった人生の大先輩。
 其々の来し方は、血腫を取り除く開頭手術をされた方、癌を克服された方、愛する人とお別れをされた方と、心ならずも辛いこと悲しいことを経験しながらもそれを乗り越え、前を見て歩まれている。

 共通するのは、出来っこないというマイナス思考ではなく、与えられた五感、体力、知力を自分なりの処し方で活かし、学びに年齢はないことを実践しておられること。
 こんな風に美しく年齢を重ねられればと、背中で教えて下さっている素晴らしい女性たちである。

 結成から二十五年という節目に、お三方のこれまでのご健勝とこれからのご清栄を願ってお祝いを計画した。

 Photo_2サプライズは、七十七歳の喜寿を、七の数字が連なる七夕(しちせき)の節供、七夕(たなばた)様の日にお祝いしょうと思いついたこと。

 その日、粗餐だが昼餉をご一緒にした後、感謝の心を添えて薄茶一服差し上げたいと今から楽しみで仕方ない。

 奈良のSさん、ご自宅の「石垣に昇って採ったの」と、茎や葉裏に小さな棘(とげ)のある「薔薇苺」を稽古にお持ち下さった。
 小さな可愛い実がふたつ成っていたが、持ち帰り瓶に生ける時にひとつ落としてしまった。勿体ないので口に入れたら、甘い香りが広がった。 (

 太の頃、田植え時に近くの野山で採っておやつ代わりにしたが、アバウトに「野苺」と呼んでいた。
 金の糸のような雄蕊が梅に似た花弁に影を写している「金糸梅」、この時期、陽にも雨にも鮮やかに映える。
 六日からは、稲の籾殻にある棘のような突起をさす芒(のぎ)のある種を蒔く頃とされる “ 芒種 ”、それが過ぎれば “ 夏至 ”、いよいよ夏である。 (
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.478

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ラ・メルヴェイユ ‐ オルセーの合間に(4)

2012年06月08日 | フランス

 西のテラスから聖堂に歩を進めた。
 整然と組まれた石の壁、身廊(上段左/中)は、「この地方ノルマンディのロマネスク美術の代表的作品、その奥の内陣の天井と透かしの高窓(上段右)はゴシック様式」と話すガイド氏。

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 聖堂を離れ、隣接する修道院の最上階に足を運んだ。
こ こからがこの聖堂の真髄、《 ラ・メルヴェイユ = La Merveille 》。
 驚異と称される修道院の居住空間は、まさに、見る者を驚かさずにはおかないものだった。

 円錐形の岩山に建つため聖堂同様この修道院も三層からなっているという。
 その1階で一般巡礼者を迎え、2階では貴賓客や貴族をもてなし、3階には食堂と庭園、修道士の生活の場となっていたとか。

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 この構造は、“ 神に祈りを捧げる者は最上階に集い、戦う騎士は中層に、農民は最下層で施しを受けるという、中世聖職者の理想の世界観を具現したものであった ” と案内書は語る。

 最上階、そこは、二重の円柱列の回廊が囲む緑の庭園、空間(中‐上段)だった。
 “ 僅かにずれながら二重に配された細い円柱によって目の錯覚を起こさせ、実際よりもはるかに広く、しかも、開放感を与える空間で、また、この山でもっとも最上階に置かれたこの空間は、天に向かって意識を集中する修道士にとって至高の瞑想空間だった ” と結ぶ。

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 回廊の西側からは、遥か遠くまで西海を望むことができる。
 人間界から西方に十万億の仏土を隔てた所にあるという極楽浄土。
 その西方極楽の教えがキリスト教にもあるのかどうか不勉強にして知らないが、数多の大聖堂や教会が東西を前後に建つことを思えばあながち無縁でもないのかも。

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 上層階の修道士の食堂(中段左)から聖母の礼拝室(中段中)を通り、中層階の騎士の部屋(中段右)貴賓室と巡り、そして、荷物を運びあげる大車輪(中‐下段左)に驚き、低層階の土産物店に着いたところでガイド氏と一旦別れ、出発まで2時間ほど自由時間となった。

 H2_2 H3

 北の塔・ブクル塔(中‐下段中/右)と呼ばれる砦から城壁に沿った道(下段左)を辿り、自由塔からもとのラヴァンセ門付近(下段右)に戻った頃、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。
 「いやはや」目まぐるしく「天気が変わるのね」と呆れながら、石敷の小道を急いだ。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.477

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大天使ミカエル ‐ オルセーの合間に(3)

2012年06月04日 | フランス

 ドームにしろ鐘楼にしろ、歩いて昇らなければならない所が苦手のカタリナ、何時もの「下で待ってる」を封印、修道院まで続く階段、喘ぎながらもガイドの背を追っている。
 長時間バスに揺られて来たのは何のためということだろうけど。

 衛兵室の前、修道院への最後の大階段(上段左)、これが九十段あるのだそうだが結構きつい。を、ようよう登り切ると急に視界が開けた。西のテラス(上段中/右)である。

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 秋の柔らかな陽光を浴びてサンマロ湾の干潟がきらきらと輝き、潮風が心地よい。
 干潮なのか所どころに岩礁が覘き、果てもなく泥濘が広がっている。

 この干潟、危険な流砂床で勝手に歩くのは禁止されているが、ガイドに引率されて歩くツアーもあるらしく、沖合の干潟に芥子粒みたくなその一行らしき人影(中段右)が望めた。

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 この地を語るには、“ 8世紀のはじめ、サンマロ湾の対岸の町アヴェランシュの時の司教オベールが夢で、神の御使い大天使ミカエル、フランス語でミッシェル = 神に似たる者という意。の、お告げを聞いた ” という逸話から始まる。

 話は、“ ミカエルがオベールの夢枕に現れて三度目、彼の額に触れさらに強く命じられる。夢から目覚めた司教は、額に残る感触からやっとそのお告げを信じ、小さな聖堂を建立したのだが、それまで陸続きだった山が一夜にして海に沈み孤島になった ” と続き、“ 以来この地は聖地になった ” と締められる。

 大天使ミカエルが司教オベールの額に触れ聖堂建立を命じるシーン、そのレリーフ(下段左)が今も聖堂に残る。

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 ちなみに、ミカエルのアトリビュート(属性)は、公正を表す剣と秤、ここ、モン・サン・ミッシェルの聖堂の頂にもその像(下段中/右)が輝く。

 余談だが、初期ネーデルランド期(ルネッサンスと同じ時期)、ネーデルランドの画家ウェイデンは、「最後の審判の祭壇画」(フランス・ボーヌ施療院蔵)で、天国に召される者(向かって左)と地獄へ落ちる者(同右)を裁くため、キリストの足下で秤を手にするミカエル(中央)を描いている。

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 話は戻って、最初にノルマンディとブルターニュに跨るシシイの森の中、標高80mのトンブ山と呼ばれる小高い地に礼拝堂が建てられ、やがて966年に、ノルマンディ公リシャール1世によってベネディクト派の修道院が建てられたのだそうだ。

 オルレアンの乙女、<ジャンヌ・ダルク>が活躍した百年戦争、彼女も大天使ミカエルに「フランスの敵と闘え」と告げられる。に、巻き込まれて一時は城塞に。
 また、フランス革命時には政治犯の牢獄として使用されるなど数奇の運命をくぐってきたこの聖地、1874年、フランスの歴史的記念建造物に指定されたという。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.476

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やんちゃ? ‐ 6月がきた

2012年06月01日 | 季節/暦

 母親が、生活保護費を受給しているのを知らん振りをしていたお笑い芸人がいた。
 世間を舐めて掛かる感もあるこの手の芸人、悔しくも大阪、大阪人じゃない。に、多いような。

 釈明の記者会見で、「息子は何も悪いことしてない」と半ば開き直る母親の姿、顔は隠していたが。を、TVは写していた。
 わが子を庇う母親の心判らなくもないが、ここは潔く「ごめんなさい」と謝る場面だったろう。

Photo  その母親をネタに漫才をやり本も出版、家一軒買えるほどの年間所得を得ていた息子、やんちゃも度が過ぎたよう。

 民法が定める扶養の義務に反する行為などと大儀なこと持ち出さなくとも、普通の孝心があれば暮らしに困る老親への仕送りなど他人様に言われずとも、と、マスコミのみならず国会で追及する女性議員の先生も熱いし、専業主婦に厳しいとされる女性厚労大臣も我が意を得たのか熱い。

 最近、この生活保護費を不正に受給する犯罪者、これも大阪が抜けて多いらしい。が引きも切らず、真面目な?受給者が迷惑を蒙っていると評論家諸氏も熱い。
 受けるべき権利?がありながら、世間に恥じてか申請しない人が多いとも聞く。

 時期を同じくして、“ 佐渡の鴇(とき)の雛1羽が、自然界で38年振りに巣立ちした ” というニュースが流れた。
 
Photo_2  記事に拠れば、“ 環境省は、佐渡で放鳥した国の特別天然記念物の鴇の雛が巣立ったと発表。幼鳥が生き延び自ら繁殖するようになれば野生復帰への道筋がつく ” とあった。(photo : asahi.com

 やんちゃな雛が、巣の隣、僅か30cmばかりの枝に飛び移ったことを以って巣立と言うらしく、一寸呆気に取られるところもある。

 この巣立ちの場面、省の職員がライブ映像で確認したのだそうだが、TVはそのライブ映像を借りて、カラスが不埒にも雛を襲おうとするのを文字通り身体?を張って守る親鳥の様子も写していて、思わずカラスに向かって「何をすんねや」と叫んでしまった。

 親と子にまつわるニュースふたつ、気持ちを寒くも暖かくもし水無月・6月を迎える。

 カタリナ、高槻 Na さんから、蘭の一種で東南アジアなどに多種分布するという「レナンセラ」を頂いた。
 小さな花をわんさとつけ、シックな色に似合わず勝手放題? に花弁を広げる姿が面白いこの蘭、略号は「Ren.」とか。暫く会わぬやんちゃ盛りのR君を思い出させた。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.475

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