今頃なぜ? なのだが、“ 一年の計は元旦にあり ” と言う。
カトリック暦では、「王であるキリストの主日」(14/11/23)を最後に、新しい年になるので、さらに話は古ぼけてくる。
改めて辞典を引っ張り出すまでもないが、“ 事を始めるに、最初に計画を立てるのが大切だということ ” とあった。
故事事典に、“ 中国の伝統的な年中行事、儀式などを解説した 「月令広義」(げつりょうこうぎ)に四計 ” なるものがあって、そこに、“ 一日之計在晨(あした)、一年之計在春、一生之計在勤、一家之計在身 ” とあるらしいのだが、なるほどと頷かせる。
ちなみに、「春」は 「正月」のこととか。
偏屈酔狂、ことさら教会暦を持ち出すこともないのだが歳の暮れの某日のこと、カタリナ が元気な頃は美術館、図書館などちょくちょく一人で行っていたのにここんところ頓にご無沙汰。
で、今年こそ、美術館や図書館に加えて映画館、ハイキングにサイクリング、大小取り混ぜての旅行、釣りもしてみたい。
就中(なかんずく)教会へは毎週の主日にきちんと、などなど大いに外に出よう・・・と、「一年の計」を思い立った次第。
が、豈図らんやその 「計」、「無気力」の前に敢え無く陥落、老いらくの戯言と成り果ててしまった。
真面目にと銘じた教会、1月も終わりになって新年もないが、最終主日(日曜)(1/25)に初めてのミサに与るような始末。
暮れの降誕祭前から、ミサは言うに及ばずレジオもフリーズ状態、余のことなど推して知るべし。
教会のMさんやNさんから、消息を尋ねるメールやお電話を頂き恐縮している。
この歳になって情けないが、生来のずぼら性に加えて何もかもが気塞(きぶさ)いことがその理由。
利き手の人差し指の小さな切り傷のようなもの、何かの拍子にちくちくするものの、放っとけば自然に治る手合いのもンなんだけど。
そんなこんなで毎年長く感じる睦月・正月もようやくお仕舞、“ 立春 ” を年の初めの例(ためし)とて、「計」を立てて・・・と、思案をしてるんやが、どうなんやろうねえ?
降誕祭の頃から咲き始めるので 「クリスマスローズ」らしいが、復活節の頃に咲くので 「レンテンローズ」とも、冬枯れの大地で雪を持ち上げて咲かせるところから 「雪起し」とも、可愛い顔をして強いなあ。
もう一花、チロル地方に咲く種なので 「チロリアンデージー」かな? それとも生産者が勝手につけたのかは知らない。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.927