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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

計る ‐ 1月がゆく

2015年01月30日 | 季節/暦

 今頃なぜ? なのだが、“ 一年の計は元旦にあり ” と言う。
 カトリック暦では、「王であるキリストの主日」(14/11/23)を最後に、新しい年になるので、さらに話は古ぼけてくる。

 改めて辞典を引っ張り出すまでもないが、“ 事を始めるに、最初に計画を立てるのが大切だということ ” とあった。

 故事事典に、“ 中国の伝統的な年中行事、儀式などを解説した 「月令広義」(げつりょうこうぎ)に四計 ” なるものがあって、そこに、“ 一日之計在晨(あした)、一年之計在春、一生之計在勤、一家之計在身 ” とあるらしいのだが、なるほどと頷かせる。
 ちなみに、「春」は 「正月」のこととか。

 偏屈酔狂、ことさら教会暦を持ち出すこともないのだが歳の暮れの某日のこと、カタリナ が元気な頃は美術館、図書館などちょくちょく一人で行っていたのにここんところ頓にご無沙汰。
 で、今年こそ、美術館や図書館に加えて映画館、ハイキングにサイクリング、大小取り混ぜての旅行、釣りもしてみたい。
 就中(なかんずく)教会へは毎週の主日にきちんと、などなど大いに外に出よう・・・と、「一年の計」を思い立った次第。

 が、豈図らんやその 「計」、「無気力」の前に敢え無く陥落、老いらくの戯言と成り果ててしまった。
 真面目にと銘じた教会、1月も終わりになって新年もないが、最終主日(日曜)(1/25)に初めてのミサに与るような始末。

 暮れの降誕祭前から、ミサは言うに及ばずレジオもフリーズ状態、余のことなど推して知るべし。
 教会のMさんやNさんから、消息を尋ねるメールやお電話を頂き恐縮している。

 この歳になって情けないが、生来のずぼら性に加えて何もかもが気塞(きぶさ)いことがその理由。
 利き手の人差し指の小さな切り傷のようなもの、何かの拍子にちくちくするものの、放っとけば自然に治る手合いのもンなんだけど。

 そんなこんなで毎年長く感じる睦月・正月もようやくお仕舞、“ 立春 ” を年の初めの例(ためし)とて、「計」を立てて・・・と、思案をしてるんやが、どうなんやろうねえ?

 降誕祭の頃から咲き始めるので 「クリスマスローズ」らしいが、復活節の頃に咲くので 「レンテンローズ」とも、冬枯れの大地で雪を持ち上げて咲かせるところから 「雪起し」とも、可愛い顔をして強いなあ。

 もう一花、チロル地方に咲く種なので 「チロリアンデージー」かな? それとも生産者が勝手につけたのかは知らない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.927

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静かな町 ‐ ドナウの旅(4)

2015年01月28日 | チェコ/ハンガリー

 プラハ・ヒルトンに旅装を解き、早速、街、本文は「街」を使う。に出た。
 フローレンス駅から地下鉄B線でムーステク駅に向かったが、嬉しいことにこの頃には雨も上がり薄日が差すまでに回復。

  カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのモ書きから〕
 プラハの町は、赤茶の屋根が古い中世の町を感じさせてくれる
 
きれいな風景、しずかな気持ちになる国 (

 これまた矢鱈長くて速いエスカレーターで地上に出ると、ヴァーツラフ広場、広場と言うより中央に幅広い緑地帯がある大通りとナ・プジィコピェ通りが交わる辺り、プラハ一番の繁華街らしい。

   

  地下鉄から地上に出ると、平日にも関わらず多くの人が溢れていてほっとする
 ♪ ヴァーツラフ広場の端、国立博物館の前にボヘミア最初の王、聖ヴァーツラフの騎馬像があります
 
このおじさん、国難が迫った折に中央ボヘミア、グラニークの洞窟に眠る兵士を鼓舞し敵を撃退したとか
  像の前
には、“ 9.11同時多発テロ ” の犠牲者を悼んで多くの花束が供えられていた

 ところで、ボヘミアとはチェコの西部に位置する地方名で、その中心はプラハだそうだ。
 ちなみに、チェコ東部をモラヴィア地方と呼び、その中心がプラハへの途中、ワルシャワとの分岐駅のあるブルノだそうだ

 一方、ナ・プジィコピェ通りの東に端に黒く煤けたような塔が見える。
 その黒い塊のような火薬塔から西に向かうと、ヴルタヴァ川右岸の一番の観光名所、旧市街広場である。

   

  黒い塊のような火薬塔、火薬門とも呼ばれ、もともとは旧市街を守る城壁にあった門のひとつだそう
  18世紀、旧ロシア軍に包囲された時の火薬庫だったとか

 * カタリナの独り言 モ書きから〕
 塔の町と言われているプラハ、本当に塔が多い (

 薄日が差すかと思えばさっと小雨がくる、落ち着かない空模様もものかは観光客などで賑わう旧市街広場。
 その一角に聖ヴィート大聖堂と並んで、この街で最も重要な教会とされているティーン聖母教会がある。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.926 

 前号、ドナウの旅(3)へは、<コチラ>から入れます。

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プラハの春 ‐ ドナウの旅(3)

2015年01月26日 | チェコ/ハンガリー

 終点、プラハ・ホレショヴィツェ駅に着いた。
 今にも泣きそうな空模様、ホームから地下通路を経て駅構内へ。

 思い過ごしだろうが、地味な色合いの厚手のオーバーコートにショールを頭から被り、待合室でじっと列車を待つ女性らを見ると、構内の暗さもあって陰鬱な気持ちになる。

  

  プラハ・ホレショヴィツェ駅、例えるなら新大阪駅でしょうか、プラハ本駅と少し離れています

 * 序にペトロも独り言
 68年頃のこの国、共産党の指導者ドプチェクのもとで、新しい自由を求めて “ プラハの春 ” と呼ばれる自主自立の運動が広がったが、ソ連の戦車に蹂躙された歴史を持っている
 極東の島国の一市民が自由に往来ができる時代が来ようとは、当時は思いも依らなかったこと
 そのソ連、共産主義が崩壊し連邦を解消、ロシアと国名を変え民主主義を装うが気質は変わらないよう、どうにも好きになれない (

   

  構内の両替所でチェコの通貨コルナ(Ke)に両替します
 ♪ 案内所で主な観光名所の入場券と公共交通の乗車券がセットになった「プラハカード」を買いました
  三日間有効のこのカード、地下鉄とトラムが乗り放題、特に、トラム・市電に随分と重宝しました

 * カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 エスカレーターの長さ、それに、速いことにびっくり、掛け足で乗っている感じと言えばいいのかしら
 訳知り顔の誰かに拠ればこの速さ、一番がプラハ、二番がブダペスト、三番がウィーンとか
 大阪人顔負けの忙しなさだけれど、慣れとは怖いもの、帰国後の地下鉄ののろいこと

   

  国鉄駅と続きの地下鉄ホレショヴィツェ駅へすすみます
  地下鉄のエスカレータの長い、深いと言うべきでしょうか、驚きます
 
フローレンス駅前ですが、トラムの停留所があって何度も利用しました

 ホレショヴィツェ駅からC線で二駅目、ヴルタヴァ川、ドイツ語でモルダウ川を潜った地下鉄はフローレンス駅に着く。
 本降りの雨、うんざりしながら徒歩5分、ヴルタヴァ川畔に聳え立つプラハ・ヒルトンに着い
た。 

 雨もあって街も人も暗い感じからホテルの明るい雰囲気にほっとした、というのが正直なところだった。
 旅装を解き、早速、街に出た。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.925

 PS: “ ドナウの旅 ”、少し長いので今回から短く、また、写真(一部)、HPから拝借しました。
 前号、ドナウの旅(2)へは、<コチラ>から入れます。

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花の界は、春?

2015年01月23日 | 

 週の初めの日(1/19)のお昼前、“ 寒の内 ” とは思えないほど穏やかで、日差しが心地よかった。
 で、この間に用を済まそうと阪神西宮まで出たのだが、その序に大阪食文化の華? ” 粉もん ” が食べたくなって、駅中のお好み焼き店、鶴橋風月を覗いた。
 この店、ようやくランチタイムが禁煙になり、入るのに抵抗感がなくなった。

 キムチと豚肉の炒め物「キムチポッカ」を頼み、それを肴にビールを飲み乍らお好み焼きが焼き上がるのを待ったが、席から見渡せる範囲には、流石に昼日中からコップを傾ける爺さんは見当たらないよう。
 普通こういうのって、不謹慎って言うんだろうなアと思い乍らも、なあに誰に迷惑かける訳じゃ、と開き直り。 

    

 ところで、昼間からビールを頼んでも、店員さんもそこは商売、内心は別にして「いや」は言わないよなア、なんて下らんこと考えていたら、大昔のことを思い出した。

 母親がため息交じりにしょっちゅう言ってた、曰く、「はいと言わないんだから」。
 よかれと意見してくれてるのに、いつも返事は、「いいや」と「でも」ばかり。

 そんなことをぼんやり思い出し乍らビールを飲んでいたら、何年か前に投稿した<通過儀礼>を思い出し、3歳の頃のR君と似たもの同士だよなアと、今になって申し訳なくも恥ずかしくもなった。

   

 ビールと炭水化物でお腹もくちくなって、ぶらぶらと散歩がてら帰る道すがら覗く花屋さんの店先、「早咲きの桜」や「菜の花」「チューリップ」などに模様替え? 花の界は、春爛漫かな・・・?

 写真は、プリムラのなかの一種「ポリアンサ」。
 花の本によれば、プリムラ(Primula)は、“ primo = 一番目の ” が語源だそう。
 早春、他に先駆けて咲くことかららしく、その花言葉は、愛は饒舌じゃなかった、“ 無言の愛 ” だって!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.924

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プラハへ ‐ ドナウの旅(2)

2015年01月21日 | チェコ/ハンガリー

 朝まだき5時、ホテルをチェックアウト。
 鞄はホテルに預け、小さなキャリーバックひとつでウィーン南駅に向かった。

  カタリナの独り言  〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 何早い列車の予約をと、少し腹立たしい思いもしたが、駅に着いて時刻表を見て納得
 プラハへの列車、この列車を外せば夕方に一本だけ、この時間に行き先が南駅、それで旅行者となれば、タクシーの運転手に、「プラハ?」と訊かれるのも頷けようというもの(

 駅に着いて運転手にチップを渡したら、「プラハ行きはこっちでっせ」とホームへの階段まで案内してくれた。
 いやはや親切なのかチップの霊験なのか?

 ヴェネツィアやドレスデン、プラハやワルシャワなどへの国際列車なども発着する南駅。
 到着した近郊電車からは、朝早く仕事に向かう人なのか、寒そうに腕を組み通り過ぎる。

   

  08年にウィーンからプラハを経てドレスデンに向かった折の南駅の風景です(08)
  その時はEC・ユーロシティ‐172号 Vindobona ハンブルグ・アルトナ行に乗りました(08)

 待つこと30分ほど、時刻表どおり6時25分、EC‐70号 Antonin Dvorak プラハ行、例によってアナウンスもなく静かに動き出した。
 これから4時間30分の国境を越える旅が始まる。

   

  目的の列車は一番ホームに入線しているものの、先頭には機関車が連結されていませんでした(01)
  車内で配られる運行案内(右)、早い話が時刻表ですが、終点プラハまで五つの駅に停まります(01)
  機関車も接続され、ようやく扉が開き乗車です。それにしても写真が粗いですねえ(01)

 45分ほどすると最初の停車駅、国境の駅ホーヘナウに着いた。
 オーストリアの首都ウィーン、存外にチェコとスロバキアに近いことに気付かされ、彼のヒトラー率いるナチスドイツが、四囲の国を蹂躙した時にはさぞかし難儀しただろうと思う。

 話がそれた、このホーヘナウ駅で、まずオーストリアの出国審査があり、国境を越えた直ぐの駅でチェコの入国審査を受けた。
 ちなみに、08年時はシェンゲン協定に加盟、入・出国審査はなくなっていた。

 どちらの国も、腰に拳銃を帯びた審査官が3人ほど乗り込んできたが、責任者と思しき審査官は自動小銃、これが可愛い女性であんぐり。を抱えている。
 この中に4度陸路で国境を超えたが、何れもその物々しさにたじろぎ乍らも差し出したパスポートをさっと見てスタンプを押し、「サンキュー」と返してくれる。

   

  国境の駅、ホーヘナウ(左)、初めての陸路での入国審査、少し緊張します(01)
 ♪ 緩やかに波打つ大地、川に寄り添い乍ら、また、重なる山の狭間を縫い列車は走ります(01)

 チェコに入って1時間ほどでプラハ方面とワルシャワ方面に分岐するブルノ駅に着く。

    

  一等車のコンパートメント(左)でくつろいでいますが、朝が早く眠そうです(01)
  彼女が横に置いた紙袋、ホテルが用意したブレイクファスト・ボックス、お弁当です
  名前は判りませんが、駅の標識(中)に次がプラハとあります(08)
  長かった列車もお仕舞、百塔の町プラハ(右)です(01)

 ブルノから凡そ2時間半、それまで列車の右側を滔々と流れていた川が左側に変わる。
 そのヴルタヴァ川、ドイツ語でモルダウ川に沿って暫く走ると、終点プラハ・ホレショヴィツ駅に着いた。

  カタリナの独り言  〔メモ書きから〕
 
色の雲が天を覆い、どんよりと暗く今にも泣きそうな空模様
 出発前に持っていたこの国のイメージもあって、ちょっと暗鬱な気分にさせられてしまった(
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.923 

 前号、〔大河ドナウを訪ねて〕 へは、<コチラ>から入れます。 

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電気ストーブ ‐ 想い出のカタリナ

2015年01月19日 | 想い出のカタリナ

 明日(1/20)は、二十四節気のひとつ “ 大寒 ”。
 暦本によれば、“ 冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也 ” とある。

 実際にも、小寒(1/6)から立春(2/4)の前日、つまり<節分>(2/3)までの約三十日間を指す “ 寒中、寒の内 ” の真ん中にあたり、一年で最も寒い時季とされるようだ。

 きりりっと身も心も引き締まるようなこの時季、嫌いじゃない。
 が、三年前のこの時季に大腸の手術を二回、入院中も含め四回もイレウス・腸閉塞や腸管癒着をしたこともあって、腸の動きを鈍くさせる冷えが大敵でもある。

 ところが酔狂、エアコン暖房が余り好きでないので聊か困る。
 彼女の一年祭に供えて頂いた<胡蝶蘭>やヒヤシンスなどを部屋で育てていることもあって、今の所エアコンを使っていない。

 余談だが、三月近く心を和ませてくれた胡蝶蘭もそろそろ終わり、次の開花を二月後にするのか、それとも来年にするのかによって花枝を剪る部位が異なるらしく、例によって<決められない>酔狂、大いに迷っている。

 話を戻してその暖房、専らホットカーペットと電気ショールを羽織り過ごしている。
 PCを使う時は、股火鉢ならぬ電気ストーブを机下に置き、電気ショールを併用している。

 ところで、見て判るようにこのストーブかなりの年代物。
 なんとカタリナ が受験勉強などに使っていたと言うから半世紀を優に超えている。

 新しい電気フアンなど高が知れている。
 買おうかと食指が動いたりもするが、主(あるじ)なきとてしっかりと働いてくれる此奴(こやつ)を見ると、熱効率や使い勝手などが少々悪かろうが、「何々これで十分や、お払い箱なんかできへんよなあ!」と思ってしまう。

 こんな考え、ECOやらマイナスイオンやらと矢鱈五月蠅い今のご時世に馴染まないのだろうが、ヨーロッパ、特に、ドイツなど、親から子そして孫へと、物を大切に受け継ぐ暮し振りなどを本やTVで知るにつけ、「そうなんだよな!」と悦にも入(い)っている。

 とまれ、あとひと月半もすれば弥生・三月、されど、<イレウス>騒ぎは真っ平御免、注意しなきゃ・・・ね。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.922

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面倒なこと ‐ 想い出のカタリナ

2015年01月16日 | 想い出のカタリナ

 三連休が明けるのを待って市役所に出掛けたその日(1/13)、風が冷たく、時折、雪交じりの小雨が降った。
 連休明けで混むかとも思った窓口、正月気分が抜けないのか、寒い所為なのか判らないが空いてい、ほんの10分ほどで用は片付いた。

 振り返れば、夏の晩い頃だったか秋口の頃だったか?
 ホスピスに移って体調が安定した頃だったのか、それとも、もっと遅く在宅介護に踏み切った頃だったのか? カタリナ の強い勧めもあって生協の<個配制度を再開>したのは。

 もともと個配は、稽古もあって買い物もままならない彼女が加入したものだが、病を得て直ぐに中断した。

 再開してからは、彼女名義のまま利用していた。
 配達してくれる方も、玄関から車椅子や酸素ボンベが消えたり、女物の履物を見かけなくなったりした辺りから、それとなく気付いていたようだが、此の方の気持ちを慮ってか何も言わず配達を続けてくれていた。

 しかし、幾らなんでもそのままにしておけないと思い、年が変わったのを機に名義を変更することにした。

 配達員の方にその旨を告げると、簡便な名義変更手続きを思案してくれている風だったが、それを感謝しつつも、「この際、正規に相続したうえで利用するから」と告げた。

 暫くして生協事務局から何枚もの用紙が届いた。
 僅か両指に満たない程の出資金を相続するため、ふたりが夫婦であったことなどを洗い浚い証明しなければならないらしい。

 大方の所はコピーでも可の思い遣りも見せてくれるが、それとても原本があってこその写し、なければ何の足しにもならない。

 途中、手続きの煩わしさに幾度か、今のままでなどの思いも過ったが、これは金額の多寡ではない、相続という法律が定めたことそのもの。
 何れ誰かがしなければいけないこと、それならきちんとしておくべきだと思い直した。

 暮していくうえで、守って貰わなければならない権利もあれば、果たさなくてはならない義務もある。
 兎角、この世は面倒くさいことで成り立っているのだ、ということをあらためて実感した。

 ギリシャ語でスリッパの意らしい「カルセオラリア」(上)、和名を「巾着草」、そう言えばどちらにも似ている。
 もうひとつ秋桜みたくなのは「セネシオ」(下)とあったが、最近の花は名前を探すのが面倒で敵わんよなあ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.921

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大河ドナウを訪ねて

2015年01月14日 | チェコ/ハンガリー

 サイドバーを覗くと投稿件数が僅か1件というカテゴリーがある。
 如何にも淋しいそのカテゴリーは “ チェコ/ハンガリー ” だが、その1件とて08年にウィーンから<ドレスデンへ向かう車中>にチェコに少し触れただけ、むしろ、<ドイツ/オーストリア > に入れた方がいいようなもの。

 多くもない海外、旅の徒然や写真などをPCやCDに残しているのだが、“ 悠久の大河ドナウに憩う ” と御大層にも題したものだけどこに消えたのか・・・。

 そんなことで投稿が遠のいていたが、呆け防止に聊かの効果があるかもと思い、残っていた簡単なメモ書きを参考に頭を捻り乍ら思い出すことにした。

   

 町の真ん中、ウィーンのシンボル、シュテファン寺院(左)です(01) 
  プラハの心臓部、旧市街広場(中)、背後の建物は聖ミクラーシュ教会です(01)
  町の中心を流れるドナウ、ブダ側の王宮の丘(右)からは、ペスト側とを結ぶ鎖橋が望めます(01)

 出発したのが01年9月11日、なんと、NYなどが<同時多発テロ>に遭ったその日。
 そんなこと知る由もなく、オーストリア航空で関空を離れ、降り立ったのがウィーン・シュヴェヒャート空港。
 空港が騒然としているのが旅慣れぬ二人にも判ったし、都心に向かうリムジンバスで外国の若者が声高に、NY、テロと話すのを小耳に挟んで驚いたのを憶えている。

   

  08年にウィーンを再訪した時は、関空からオーストリア航空は撤退していました 
  ルフトハンザ航空でフランクフルトへ、そこでオーストリア航空(左)にトランスファー(08) 
  長いフライトもようやく終わりシュヴェヒャート空港(中)に到着、鞄を待つ彼女(右)も聊か疲れ顔(08)

 それはさておき、リンク近くのホテル・ヒルトンに投宿、旅装を解いた。
 ウィーンではリンクを回るトラムに一度は乗ってみるべし、と案内書にあってお上りさん宜しく街に出た。
 日本は残暑というよりまだ夏の盛りのこの時季、何とこの街は木枯らしが吹き、行き交う人はコートの前をしっかりと閉じている。
 街路の角々に並ぶ花屋さん、実に花屋さんが多い街だ。には、菊などの秋の花が並んでいたっけ。

   

 ♪ ウィーン・ヒルトンのホテルカード(左)、外国人の数字は世辞にも綺麗とは言えないようです(01)
 ♪
リンク、早い話が路面電車の環状線、悪戦苦闘し乍らも自販機でチケットを購入
 ♪ シュトーベン・トーア(中)から乗車、途中、ドナウ運河と並行し乍らリンクを一周、結構楽しい(01)
 ♪ 
停留所近くの屋台で、名物ヨーロッパ・ドッグ(右)を買って行儀が悪いが丸齧り
 ♪ カタリナ、「辛子もケチャップも強烈!」、一口で「ご馳走様」だって(01)

 ドイツ南部、黒い森と称される森林地帯シュヴァルツヴァルトに端を発し、欧州10の国々を潤し黒海に注ぐ大河ドナウ。
 ウィーンやその近郊のことは別の機会に投稿するとして、今回は、ウィーンを起点にプラハとブタペストへのエクスカーション、ドナウ中流域を巡る遠足、カタリナ が、写真帳の余白に書いたメモなどを交え乍ら綴ってみたい。

   

  雨期に入ったのかお天気に恵まれない旅でしたが、旅の後半は神様がプレゼントを下さいました(01)
  好く晴れたこの日、ドナウ流域で最も美しいとされるヴァッハウ渓谷へ遠足です(01)
  ローカル電車でメルクへ、ベネディクト派の修道院(左)を見学(01)
  メルクから美しいデルシュタイン(中)を経て葡萄畑広がるクレムスまでのドナウ川クルーズを満喫(01)
  女帝マリア・テレジアの離宮、<テレジアン・イエロー>が美しいシェーンブルン宮殿(右)へも(01)

 禄すっぽ言葉が判らない初老に近い中年カップル、終ぞ10年ほど前まで東側の国へ列車の旅、果たして如何なりますことやら。
 ただ、デジタル・データを失くし、〔写真帳・アルバム〕に残る僅かな陽画、それも、スキャンをしたので少し粗い。しかないのが辛いと言えば辛い・・・、で、一部08年もの?で代用するのでご容赦を。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.920

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松が明けて・・・

2015年01月12日 | 季節/暦

 今日(1/12)は、移動祭日のひとつ “ 成人の日 ” 。
 この日、かつて小正月(1/15)に元服の儀が行われていたことに由来するらしいのだが、はて・・・?
 はて?と言えば、松が明けるの “ 松 ” とは一体何時を差すのだろうか? ところによって七日やら十五日やら諸説あるようだけれど。

 それはそうと、神事なのか仏事なのか知らないが喪中に当たる昨年、賀状での新年の挨拶を欠礼した。
 年末にその旨をお知らせしたので、事情を御存じない方や商用のものが数枚届いた他は、皆無と言っていいほど届かなかったが、それも当然と言えば当然のこと。

 で、本年、それに便乗した訳ではないが大方の賀状を勝手させて貰った。
 尤も、この慣習を全否定する訳でも、斜(はす)に構えて暮らすほど拗ねている訳でもないが、儀礼との気持ちがあったことは否めない。
 退職後は、必然と言うべきか段々と疎遠にもなるという事情もあった。

 賀状と言えば三年ほども前のこと、勤務時代に何かとご指導を賜った方がご内室を癌で見送られてから暫くしてのこと、“ 今後、一切(儀礼的な)お付き合いを遠慮する ” 旨の葉書を貰って驚いたことがあった。
 そこまでしなくとも自ら控えていれば、そのうち自然に忘れられることだろうに、と思ったのを憶えている。

 ところが、自分がその立場になって、彼、適切な表現が思いつかないので失礼乍ら彼とする。の、心情が聊かなりとも理解できるようにも。

 さりとて同じ立場になった今、彼と同じように振る舞うこともできず成り行きに任すことにしたのだが、減ったとはいえ何人かの方から頂き、しかも、当方を案じて下さり丁重に添え書きをして下さった方も。

 直ぐに返信をとも思ったが、松が明け、二十四節気のひとつ小寒、寒の入りを待って、お詫びを兼ねた “ 寒中見舞い ” でご勘弁願った。
 彼が、賀状も含めた一切の礼を欠くと決めたのは、愛する人に殉ずる気持ちがさせたのかもと、今になれば思う。

 その彼、年明け早々ご内室の元へ旅立たれたと洩れ聞いた。
 以前、<後か、先か?>で、“ 後に残された夫はたった2年で ” という意のことを書いた。

 逝かれるには早いけれど、天に徳を積まれていたのだろう、三年で愛する人の傍へ旅立つことを許された彼、ご遺族などからはご叱責を受けるだろうが、ある意味で果報者であり子供孝行をされた、と自分は思う。

 携帯にフリーメールで連絡を頂いたようだが、フリーメールは開けず削除する癖があり、お別れは叶わず礼を欠いてしまった。
 一昨々日(1/9)、詳細を朋から知り、酒と煙草をこよなく愛し笑顔を絶やさなかった彼を偲んで独り杯を傾けた。ご冥福を祈りたい。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.919

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ルノワール ‐ コートールド美術研究所(6)

2015年01月09日 |  ∟イギリスの美術館

 僅か十数室ほどの展示室の小さなギャラリー、コートールド美術研究所。
 マネ(1832-1883/フランス)に始まりドガ(1834-1917/フランス)まで、印象派の秀作を投稿してきたが、今回はその最終回。

 印象派で特に名が知られているのが巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919/フランス)。
 セザンヌ(1839-1906/フランス/後期印象派)やドガとは違い、労働者階級に生まれた彼は社会的な向上心が強く、パトロンや愛好家の獲得に長け、自身の様式的特色を残し乍らも巧みに彼らの好みや意向に合わせたとされている。

 女性的ともされる流動的で奔放な筆勢、明るく多彩な色使い、ふくよかで官能的な裸婦の表現、揺らめく木漏れ日による人物や風景への効果を表現したことでも知られている。

 その彼の絵は、初期の重要な代表作とされる「桟敷席」。

 本作に描かれるのは、当時の女性らが最も華やかに映える場所のひとつであった劇場の桟敷席、正面に対して一段高く設けられた左右の席での男女の姿。

 美術書には、“ 白黒を色彩の基調としながらも柔和で瑞々しい筆触は、初期の表現様式が表れている ” とある。

 また、“ 背後でオペラグラスを手にする男は、舞台そっちのけで他の桟敷席の女性を眺めてい、当時における日常を活写している ” ともされているよう。
 女性にもてる男性は根がまめとされているようだが、いやはや昔も今もちっとも変わらないようだ。

 ナショナル・ギャラリーのレストランで少し遅めのランチ。
 白ワインを聞こし召しほろ酔い機嫌で小春日和のロンドンの街を散策。
 テムズ川畔のロンドン大学、その構成カレッジのひとつコートールド美術研究所のギャラリーを訪ね、名作にあらためて酔ったという訳である。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.918

 ※ 前号、コートールド美術研究所(5)へは、<コチラ>から入れます。

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