ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

くさる ‐ 8月がゆく

2015年08月31日 | 季節/暦

 少し古い話になるけれど、梅雨前だっただろうか朝日に、ゼロエネルギー住宅に関する記事が載った。
 そこには、“ 吉田兼好が『徒然草』で、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と書いたように、日本では伝統的に夏の暑さをどう和らげるかに力点が置かれてきた ” とあった。

 だよなあ、冬の寒さは衣服を重ねれば何とかなる、が、夏は裸以上、それとも以下? に、形(なり)様がないので塩梅がよろしくない。

 で、老境に入って<エアコン>、特にそれの暖房を好まない酔狂、八月に入って暫く、連日の猛暑に堪えかね久し振りにそのスイッチを入れた。

 が、動かない、「えっ、なんで?」とリモコンのボタンをあちこち押したが駄目、しまったと気付いたが手遅れ、電池を腐食(くさ)らせてしまったのだ。

 ひょっとして別のエアコンもと蓋を開いたら、これまた見事に緑青を吹いていたが、コチラの方は本体にスイッチがついていて何とか使える。
 ベッドを置いている部屋のは除湿で稀に使っていたので難?を免れた。

 問題は今すぐに使いたい方、本体のどこに緊急用のスイッチがあるのか判らず、暑さも手伝って腹立たしい。

 まあ、年数もかなり経つ代物、リプレースの時期だと気持ちを宥め乍らエアコン以外のリモコンを点検、これが結構多く少し驚く。差し当たって不用のものから電池を取り外したような事。

 思わぬ出費だがこの酷暑、エアコンなしには過ごせない、工事のお兄さんに事の顛末を話すと、「シーズンに入って気付かれる方多いんですよ」と笑われる始末。

 そういえばリモコンの裏蓋に、 “ 使わない時は電池を抜きましょう ” と、天眼鏡でもなければ読めなくあって、クサらされてしまった。

 まあ、連日の酷暑に工事は間に合ったものの、今度は、度重ねる値上げと原発再開にほくそ笑む電力会社のトップの厚顔が浮かび、スイッチを入れるのを躊躇わされたような。

 そんな酷暑の葉月・八月もやれやれゆくようで、朝晩はめっきり涼しく・・・、そろそろリモコンの電池、抜いとかなくっちゃ!

 生姜科で薬用にもなる「鬱金」(うこん)の親戚らしいが、花屋さんの札には「クルクマ・シャローム」と。
 白やローズ色の花弁のようなのは苞、その隙間から小さく覗いているのが花とか、暑さに強そうなところや異国風の佇まいが、仏花の「蓮華」に似ているような?

 ちなみに、シャロームとはヘブライ語で「こんにちは」や「平和」、<イスラエル巡礼>の初日の車中で現地ガイドさんに、「笑顔でシャロームと挨拶しましょう」と教えて貰ったっけ!
  Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1023

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新学期

2015年08月28日 | 日記

 早い所では、地蔵盆(8/24)やその翌日あたりから新学期が始まっていると聞く。
 酔狂が頑是無い頃、あったんですよ<鬼瓦>にも。春と秋に三日ばかりの農繁休みがある代わりに、都会の小学校より遅く夏休みに入り早く明け、おまけに中間に登校日なるものまであって、悔しくも?羨ましくも思ったものだった。

 それはさておき、過日(8/18)の朝日のコラム、“ 盆休みが明けて、きのうから仕事に戻った方もあろう。月曜の通勤は、誰もどこか浮かないふうだ ” と始め、“ 夜明けを待たずとも、日曜の夜に「月曜の朝」が忍び寄ってくるメランコリーは勤め人の一人として分かる ” と天声人語氏は書く。

 そして、“ そんな大人の憂鬱(ゆううつ)よりずっと深刻に、夏休みが終わるのを思い悩む子らがいることを、先日の本紙記事で知った ” と続けていたが、読まれた方も多いと思う。

 その記事とは内閣府の調査のことで、過去42年間に遡って18歳以下のケースを調べた結果、長期休暇明けの前後、取り分け夏休みの最終日に自ら命を絶つ子が多いことが分かったのだそうだ。

 親の過重な期待と叱責、学校での苛めや馴染めぬ教師、少し年長になれば進学や就職のことなど、ひとりで小さな胸がつぶれるほどにも悩ませての末のことだろうと思うと心が痛む。
 性質は異にするけれど、新学期を前にしての寝屋川の中学生の事件は悍(おぞ)ましくも酷(むご)い。

 天声人語氏は、“ 「つらい時は泣けよ」 って/力強くいって下さい/無理やりいいとこさがして/ほめて下さい/「あした宇治金時食べよう」/とか/ちょっと先の/未来の話をして下さい ” と、小林育子さんの詩 「ピンチの時のお願い」を紹介、“ ふわりと包む言葉とまなざしが、こんな時は必要だ ” とコラムを括っていた。

 子供ならずとも孤独ほど寂しく辛いことはない、と恥ずかしくもとっくに本卦還りを済ませ乍らも思う。

 「どうしてわたしは不幸なのか」とつぶやく時も/わたしは神に信頼している
 「人を信じることができない」と嘆く時も/わたしは神に信頼している (詩編116/カトリック祈祷書 第10版)

 斯く言う酔狂の夏休みもそろそろ終わり、9月になれば教会のレジオ マリエも始まる。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1022

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ジェリコー ‐ 駆け足ルーヴル(8)

2015年08月26日 |  ∟フランスの美術館

 ご当地フランスの画家、ドラクロワ(1798-1863/ロマン主義)、ダヴィッド(1748-1825/新古典主義)に次いで三人目は、ロマン主義を代表するテオドール・ジェリコー(1791-1824)の問題作、「メデュース号の筏」。

 フランス海軍のフリゲート艦メデュース号が、植民地セネガルへ移住者らを運ぶ途中、アフリカ西海岸モロッコ沖で座礁するという実際に起った遭難事件を描いている。

 本作でジェリコーは、筏での漂流を余儀なくされた乗員が、極限へと追い詰められた様を、実物大(491 cm × 716 cm)の画面にリアルに切り取っている。

 この遭難事故では少なくとも147人が急拵えの筏で漂流しなければならなくなったとされ、その殆どんどが救出されるまでの13日間で死亡、生き残ったのはたった15人だったという。

 襲い来る乾き、飢餓が狂気を呼び、逆らう者、弱者を虐殺し喰らうという、人にして、生きるためにはどのような行為も為し得るのだ、ということを生々しく表現してい、発表当時から問題となったとされている。

 この作品も、拡大すれば画家の意図するものをより感じ取って頂けるのでは、と思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1021

 ※ 「駆け足ルーヴル(7) ‐ ダヴィッド」 へは、<コチラ>からも入れます。

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ダヴィット ‐ 駆け足ルーヴル(7)

2015年08月24日 |  ∟フランスの美術館

 ご当地フランスに敬意を表し、<ドラクロア>(1798-1863/ロマン主義)に次いでふたりの画家を。

 まずは、ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825/新古典主義)が、ルーヴルで最大級(629×926cm)の画板に描いた、「皇帝ナポレオンⅠ世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」(左)。

 本作でナポレオンは、自身にではなく妻ジョゼフィーヌに戴冠する姿、それも実際より若く描かせている。
 それに加えて、ローマ教皇が皇帝の正当性を認め祝福していることを表すために、教皇の両手を膝の上ではなく、“ 聖母マリアの受胎を祝福する天使のポーズ ” と同じように、片方の手を指差させる仕草(右:部分)に変更させている。

    

 その意図は明らかで、イタリア系小貴族の次男坊、半ば強制的に出席させたローマ教皇より権威ある者なのだと、その権勢を誇示するためとか。

 滑稽にも見えるその振る舞いも、フランス第一帝政時代にナポレオンに認められ、首席画家としてフランス画壇に大きな影響力を持つようになった御用画家ダヴィッドがいてこそのことだけれど。
 小さいので拡大して、画家と言うよりもナポレオンの意図したものを感じ取って頂ければ・・・と、思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1020 

 ※ 「駆け足ルーヴル(6) ‐ ウッチェロ」 へは、<コチラ>からも入れます。 

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ウッチェロ ‐ 駆け足ルーヴル(6)

2015年08月21日 |  ∟フランスの美術館

 ルネッサンス・フィレンツェ派の大家パオロ・ウッチェロ(1393-1475/イタリア)の「サン・ロマーノの戦い 」。

 15世紀から18世紀にかけてフィレンツェを支配したメディチ家のため、1432年のフィレンツェとライバル都市<シエナ>の戦いを三部構成で描いたという。

 戦いの始まりを描いた、「サン・ロマーノの戦い ‐ フィレンツェ軍を率いるニッコロ・ダ・トレンティーノ」(左)はロンドン・ナショナル・ギャラリーが、フィレンツェ軍の勝利までを描いた、「同 ‐ ベルナルディーノ・デッラ・チャルダの落馬」(中)はウフィツィ美術館が所蔵する。

    

 残るひとつ、「同 ‐ ミケレット・ダ・コティニョーラの逆襲」(右)を、ここルーヴル美術館が所蔵している。

  初めてのウフィツィから五年越し、ルーヴルで漸く鑑賞が完結、「やれやれ」と訳の判らない溜息をつく誰かとは別に、「嬉しい」と純粋に喜ぶ人がいて受け止め方は様々、例によって小さいので拡大してご覧下さい。

 ちなみに彼は、フィレンツェの<サンタ・マリア・ノヴェッラ教会>の修道院の回廊に、同時代の画家とともに旧約聖書の創世記、ノアの箱舟などをモチーフに壁画を描いたことでも知られている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1019

 ※ 「駆け足ルーヴル(5) ‐ フィリッポ・リッピ」 へは、<コチラ>からも入れます。

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朝飯前?

2015年08月19日 | 日記

 食事のパターンで一番あかんのは、“ 朝抜き、昼蕎麦、夜大食い ” だそうだが、まるで、誰かの食事時を覗いてきたよう、で、思わず周りを見回したほど?

 三度三度、栄養バランスのいいメニュー、適量を、能く咀嚼して食すことが肝心、なのは頭では理解(わか)っているが、中々できないでいる。

 話は変わるが、お年寄りの多くが望むところでもあろう、心臓麻痺や脳溢血でポックリと逝けたら言うことはない。
 かなり前、奈良の何処かにそんな切な願いを、大真面目に請けてくれるお寺さんがあって、賑わっていると聞いたこともある。

 老いて誰しも思うことだろうけど、病(いたたず)きの身になって長い間苦しみたくない、家族を物心ともに看病疲れにさせてはならないと。

 ところで成人病とやら、遺伝するとは聞いたことはないが、親や兄弟にその病歴があれば、罹る率が高いように漠然と感じている。
 受け継いだDNA・遺伝子や食生活が似ているからだろうと思うのだけれど、どうなんだろう。

 ハリウッドの人気女優アンジェリーナ・ジョリーさん、母親が乳癌、検査の結果そのDNAを受け継ぎ発症リスクが高いので、事前にその部位を除去したとのニュースが世間を賑わし、賛否が分かれたことがあった。

 斯く言う酔狂、脳溢血と糖尿病の家系?に生まれ育ち、気にならないと言えば嘘になる。
 で、遅蒔き乍ら生活習慣を改めなければと朝食抜きを改め、遅くとも二十三時までには就寝、今も続く朝と夕二回のラジオ体操をかかさずに、と決めた。

 が、体操は別にしてこれが思う以上に難行、「そんなの朝飯前だよ!」とは、中々いかんもンやと嘆きつつ夏休みも半分が・・・、えっ、もうお昼? 暑いし素麺にでもするか!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1018

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フィリッポ・リッピ - 駆け足ルーヴル(5)

2015年08月17日 |  ∟フランスの美術館

 カルミネ派の修道士であり乍ら女性にかなりだらしなかったとされる、初期ルネッサンス・フィレンツェ派の巨匠フィリッポ・リッピ(1406-1469)。

 その辺のことは、ウフィッツイ美術館の<リッピ>編にもう少し詳しく書いたが、今回はその彼の、「バルバドーリ祭壇画」(左)。

 アウグスティヌス会サント・スピリト聖堂のバルバドーリ家礼拝堂の祭壇画として手がけられた本作は、幼子イエスと聖母マリアを中心に、複数の天使たちと聖フレディアーノ、聖アウグスティヌスを配した構図が用いられている。   

 ちなみに、聊かなじみの薄い聖フレディアーノ。
 アイルランド人修道士だった彼は、増水したセルキオ川の流れを変えてイタリア北西部の城郭都市<ルッカ>を救い、人々を改宗させたとされる。

 また、リッピは祭壇画の下部の小画・プレデッラ部分に、マリアが大天使ミカエルから死を告げ知らされる、「聖母の死のお告げ」(左)。

 聖三位一体論を執筆中の聖人が海浜を散策中、幼児が貝殻で砂浜を掘り海水を汲み上げる姿を目撃、それが無駄な努力であることを諭したところ、責務とした聖三位一体論の神秘解明が不可能であることに気付かされた幻視体験、「聖アウグスティヌスの幻視」(中)。

    

 そして、「セルキオ川の流れを変える聖フレディアーノ」(右)を、描いている。

 何れもウフィツィ美術館が所蔵するこれらの小画、礼拝堂の当主、リッピみたく聊かだらしなく、本画から切り離し売っ払ってしまったんだろうか?
 とまれ、今回もまた小さいので、拡大してご覧下さい。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1017 

 ※ 「駆け足ルーヴル(4) ‐ フラ・アンジェリコ」 へは、<コチラ>からも入れます。

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フラ・アンジェリコ ‐ 駆け足ルーヴル(4)

2015年08月14日 |  ∟フランスの美術館

 ボッティチェリの<壁画の廊下>から最初の展示室に入る。
 その部屋に、初期ルネッサンス・フィレンツェ派を代表する画家フラ・アンジェリコ(1387-1455)の、「聖母戴冠」(中)が架る。

 余談だが、フィレンツェの<サン・マルコ修道院>、アンジェリコ美術館とも呼ばれているが、その旧修道院の二階への階段を上った正面に架る「受胎告知」(右)、初めて出会った時の感動を今も鮮やかに憶えている。

 本作の主題の “ 聖母戴冠 ” とは、聖母マリアが霊魂も肉体も、ともに天に昇(あげ)られた後に、父なる神、もしくは神のひとり子イエスから戴冠を受ける場面を指している。

      

 明日(8/15)は、イエスの降誕、復活と並ぶ、 “ 聖母の被昇天 ” の大祭日。
 フラ・アンジェリコすなわち天使のような画僧、が、あたかも本名のように呼ばれた彼の優しい作風が、聖母マリアの祭日に相応しい。 

 ところで、初期ルネッサンス・フィレンツェ派の巨匠フィリッポ・リッピ(1406-1469)も、「<聖母戴冠>」(ウフィツィ美術館蔵)を描いている。

 そこでは、同じ初期ルネッサンスでも時代が僅かに過ぎるだけで、アンジェリコのゴチック美術的な表現様式からの変化が見て取れ、面白い。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1016

 ※ 「駆け足ルーヴル(3) ‐ 未完の巨匠」 へは、<コチラ>からも入れます。

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堂々巡り?

2015年08月12日 | 日記

 冗談とも本音ともつかぬが 「心から妻を愛している」と、やけにきっぱりと言う彼に聊か鼻白まされる。
 どうしてそんな会話になったのか? 多分、連れ合いを 「くれぐれも大切に」と、それも聊かお説教がましい口調で言ったからだと思う。

 翌日のこと、酷い暑さに脳水が沸騰したのか酔狂、愛してるとはなんぞや? と暇に飽かせて阿呆なことを考える。

 子育てや家事諸々の分担は言うに及ばず、春秋の温泉行に加えてたまには海外へ、誕生日や結婚記念日には花を贈りレストランで食事、勿論、他の女性には目もくれず。
 価値観を尊び行動には干渉せず、この辺りになって漸くこれを口にする資格もできる?

 そんなあれやら、結婚前には使った覚えもないではないが、今更、そこまでまめにねえと歯切れが悪い。
 強いて解を探せば、“ 人にして貰いたいと思うことを、人にもしなさい ” (ルカ/6:31-36)になるのだろうけど。

 定年離婚や同じ墓に入りたくないなど、お父さん受難の時代と言われて久しく、“ 愛している ” がなんとも心細げにも、頼りなげにも聞こえる。

 ところで、“ カタリナデー ” と勝手に呼ぶ月命日、久し振りに朝七時からのミサに与った。

 受難と言えば、この日(8/6)は、イエスが高い山にペトロとヤコブとヨハネを連れて登り、眠りこくる彼らの前で眩いばかりの姿に変容、弟子にイエスの受難を暗示させたとされる “ 主の変容 ” の祝日だった。

 ミサに与り乍ら、バロックの奇才カラヴァッジョ(1573-1610)の傑作 「キリストの埋葬」(上/ヴァチカン博物館絵画館蔵)、盛期ルネサンスの巨人ラファエロ(1483-1520)の遺作となった 「キリストの変容」(下/同蔵)を思い出していた。

 ミサの後、<聖カタリナの表徴>ともされる薔薇を持って墓参、掌を合わせ乍ら、「そんな、家事諸々のことなども、今になれば簡単なことなのにね」と話しかけたら 「ふゝゝ」と、小さく笑われたような。

 今時、亭主関白もない、お父さんも変わらねば、だが過ぎた時間は戻らない、で、できる間に大切に・・・。
 こういうの堂々巡りって言うんだっけ、自省しきりに、お盆の前の早朝のこととて人影見えぬ墓園と別れた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1015

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未完の巨匠 ‐ 駆け足ルーヴル(3)

2015年08月10日 |  ∟フランスの美術館

 繰り返しになるが、本シリーズ、作品の説明に字数をかけず、各編、短く廻りたい。

 で、三回目にして、もう道草?ドノン翼(上/左)には優れた彫刻も何点か展示されている。

 半地階にはグレゴール・エアハルト(年代等不詳)の「聖マグダラのマリア像」(上/中)、二階への踊り場、「サモトラケのニケ」(上/右)の前は何時も乍らの混雑振り。

    

 一階へ戻ると、盛期ルネサンスの三大巨匠のひとりミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564/イタリア)。
 フィレンツェの<アカディミア美術館>の奴隷像とは異なり、ここには完成作「瀕死の奴隷」(下)二体が展示されている。

 ちなみに巨匠、複数ある<ピエタ像>を始めとして未完作品が多く、タブロー画に至っては「<聖家族と幼児洗礼者聖ヨハネ>」(ウフィッツイ美術館蔵)のみ完成昨品というから驚く。
 ロンドン・ナショナル・ギャラリーの「<聖母子と聖ヨハネと天使達>」なども未完だったことを思い出した。

     

 その彼の永遠のライバル、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519/イタリア/盛期ルネサンス)も、「<東方三博士の礼拝>」や「聖ヒエロニムス」(上/右:ヴァチカン博物館・絵画館蔵)など未完作品が多い。

 かの「モナ・リザ(ジョコンダ)」も、終生手許に置いて筆を入れたとされ、いわば未完。
 モナ・リザと言えば三年ほども前だったか、若きモナ・リザ、通称「<アイルワースのモナリザ>」が、一頻(ひとしき)り話題になったことがあった。

 ところで各編、短かくする代わりと言っちゃ何だが、憶えている限り過去の関連記事に<リンク>を張るので、足らざるところを幾分かでも補って頂ければと思う。   
 peter & Catherine’s Travel. Tour No.1014 

 ※ 「駆け足ルーヴル(2) ‐ ボッティチェリ」 へは、コチラ>からも入れます。 

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