ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

2月がゆく

2010年02月28日 | 季節/暦

 にげるほど早い、という二月がゆく。

 多の国と地域が参加したバンクーバーの五輪。
 モーグルの上村さん、「なんで一段一段、でも全力出した」と涙爽やかに。
 今大会初の「銀と銅」のスケートの長島さんと加藤さんもよかった。
 Photo男子フィギアでは初めてという高橋さん、大怪我を乗り越えての「銅」、昨年秋以降の不調で悩む彼女を収録したNHKのドキュメンタリー番組で、痛々しい感じを受けた女子フィギアの浅田さん、「銀」おめでとう。

 ポーツそのものに余り関心はないが、この五輪、総じて皆さんよく頑張ったと思う。
 メダルを取るに越したことはないけど、世界中の若きプレーヤーがこの大会のために一生懸命努力している。
 だから、そう簡単に取れるものじゃないし、厳しい練習を積み重ねる努力、それが一番尊いと思うのね。

 Photo_2んな中で都知事の石原さん、「銅とって狂気、こんな馬鹿な国ない」「国家という重いものを背負わない人間が、早く走れ、高く跳べ、いい成績を出せる訳がない」と言ったらしい。
 不遜だねえ、この人。

 パンの選手がいて話題になった。
 好きにしたらいいけど、記者会見で、「ちっ、うっせいな~」と、小さく舌打ちしたのは頂けない。

 11歳の藤沢さん、史上最年少プロ囲碁棋士になった。
 破天荒の奇才・藤沢秀行名誉棋聖のお孫さんだそうで、やはり、栴檀は双葉より芳しいんだなあ。

 Photo_3し振りに映画「ずっとあなたを愛してる」を観た。
 そのことをブログに書いたら、有り難くもコメントやメールを頂き感謝。

 のコメント、ブログで、「一旦、投稿者(筆者)がお預かりすることにした」と書いたら、その当のブログに、女性や子供に見せられないものが届いて、もう怒りを通り越して感心の境地。

 息のうえ酷い風邪を引き、多くの方にご迷惑をかけた。
 ともに学ぶお仲間の皆さんに嫌われないよう、暖かくなれば気管を鍛えるため歩くと言ったものの、どうだか?
 肺が心臓並みに強ければ、そんな苦労をしなくても、とはペトロの弁。

 そんなこんなで明日から弥生・三月、春がくる。(写真上と中、asahi.com  から)

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灘駅界隈

2010年02月26日 | 小さな旅/駅

 2月18日から、降る雪が雨になり、積もった雪も溶け始める頃とされる、二十四節気のひとつ “ 雨水 ”

 ある日の午後、カタリナ 心置きない友とランチに出かけた。
 彼女のお茶の日など、おおかたひとりで別のこともないのだが、何となく手持ち無沙汰なような気もしないでもない。

 Photoそれで、という訳でもないが、朝日が主催する「小倉遊亀没後10年」の回顧展が兵庫県立美術館(写真上)で催されていて出かけた。

 この美術館、95年の阪神・淡路大震災の文化復興のシンボルとして、02年4月、建築家・安藤忠雄氏の設計により誕生した。

 余談だが、震災10年の節目にあたる05年10月、西宮北口地区の再開発に併せ兵庫芸術文化センターも誕生。
 芸術監督の指揮者・佐渡裕氏などの努力によって、お役人の箱物行政の悪しき例から免れ頑張っていると聞く。

 Photo_4久し振りにJR灘駅(写真中)に降りた。
 美術館は駅から浜に向かって10分ばかりのところにある。

 ちなみに、山側に少し足を延ばすと王子動物園、街中の大阪天王寺動物園よりも開放感があって好きという人も結構多いようだ。

 3年前の夏の暑い日、わが友R君とその王子動物園へパンダとペンギンを見に行っての帰り、この駅を利用して以来だ。

 今、駅舎の改装が進んでいた。
 体が不自由な方などのためエレベータなどの設置は是非進めるべきだが、工事前までレトロな木質感が残る好い雰囲気だったこの駅、コンクリートとアルミパネルの無機質な、何処にでもある並みの駅に姿を変えてしまっていた。

 Photo_6駅から、浜側へ下る緩い坂道を少し下ると阪神電車の岩屋駅
 駅前広場に小さな立て札?(写真下)があって、かつて駅の浜側辺り、芸者衆の爪弾く三味線の音が流れる花街として賑わった、などと紹介していた。

 が、駅から浜に向かって真っ直ぐに伸びる道の両側、金太郎飴のようなビルやマンションが背を揃え、昔日の面影は悲しくも窺いようもない。

 時代とともに消えいくものに思いを残せば、日々の暮らしの不便さに耐えられないことは十分に分っているのだが・・・。

 紙数が足らなくなった。
 「小倉遊亀回顧展」や「小磯良平記念室」「金山平三記念室」のことどは、またの機会に。

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ミモザ ‐ 散歩道

2010年02月24日 | 散歩道/山歩き

 今年のイースター・復活祭は4月4日の日曜日。
 フランスやイタリアの春は、2月21日の日曜日からの四旬節第一主日にあわせて気分がだんだんと盛り上がり、「ミモザ」の花が先駆けとして咲き始めるという。

 イタリアでは3月の初め頃に女性の日というのがあって、女性にミモザの花を贈るのだそうだ。

 Photo_3南仏には、ミモザ祭りもあると聞く。
 街が黄一色に染まったりするのかな、なんて想像するのだが、残念ながらこの季節にローマやパリに行ったことがないので、果たしてどうなのだろう。

 カタリナ に聞けば、「アカシア」、日本では輸入された「ニセアカシア」(写真上)と混同することが多いらしく、ヨーロッパでいうところのミモザは、日本では「オジギソウ」という「フサアカシア」(写真下)のことらしい。

 話はとんでもなく変るが、「iTunes Store」 という音楽配信ソフトがあることはご存知の方も多いと思う。

 過日、このソフトで音楽をサーチしていたら、歌謡曲のライブラリーに入り、「美空ひばりカバーソングコレクション」というジャケットに行き着いた。
 このソフト、音楽を購入、ダウンロードする前に20秒間ほど試聴できるのが味噌。

 Photo_2カバーリングされている曲を順に試聴していると、何曲目かに「アカシアの雨がやむとき」という懐かしい曲があった。 
 この歌、60年安保に疲れた若者たちが、西田佐知子の高音でありながら乾いた声質と、当時にしては少し廃頽的とも取れる詞に共鳴して広まったそうだが、別にここで、安保50年の節目の年に、普天間の基地問題に揺れる世相について論じる気は毛頭ない。

 試聴していて魔が?さしたのか、歌唱力に魅入られたのか、「昴」と「恋人よ」など数曲をウンロード。
 イヤホンを耳に挟んで廣田神社に向かう散歩の途中、花屋の店先に件のフサアカシアが花をつけていて、見とれていると嘘みたいにこの歌が流れてきて、「
あれっ?」と思った、という他愛もない話なんだけど・・・。

 えっ、詰まらないことを持ってまわって長々と! すみません。 
 花屋さんでカメラを向けたら迷惑そうな顔をされたので、写真はインターネットから拝借しました。
 でも、ひばりさんて、やっぱり上手いですよねえ、そう思いませんか?

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デルフトの小路

2010年02月22日 |  ∟ベネルクスの美術館

 改装中のアムステルダム国立美術館、レイクス・ミュージアム。
 本館に併設されたフィリップス棟の上階にマスターピースが並ぶ。

  最初の作品は、大ブリューゲルと間違えてしまった、ヘンドリック・アーヴェルカンプ「スケーターのいる冬景色」(写真上)。

 Photoレンブラントの弟子達の作品に続き、レンブラント晩年の傑作「聖パウロに扮した自画像」「ユダヤの花嫁」、ヤン・ステーン「聖ニコラウスの休日」、印象派のマネやゴッホなどに影響を与えたとされるフランス・ハルスなど、オランダ絵画黄金期を彩った作品が並ぶ。

 フェルメールの前に、同時代に風俗画家として名をなしたヤン・ステーンについて少し。

 ヤン・ステーンは、諺や金言を画題に市民生活を皮肉な視線で描き、その画風は怪奇と幻想の画家ヒエロニムス・ボスから農民画家とも評される大ブリューゲルを経て彼へと繋がる。

 Photo_8話は少しそれたが、バロック美術は光と影の対比や劇的なまでの感情表現など、カラバジョに始まりレンブラントによって完成したとされる。

 そんな時代に、対象を静かに見つめ、柔らかい光と優しい色彩を用いたひとりの画家がいた。
 その名は、ヨハネス・フェルメール。

  フェルメールの「デルフトの小路」が、落ち着いた雰囲気の展示室の一角にあった(写真中)。

 開け放たれた扉の向こうで針仕事、それともレース編みにいそしむ女性。
 食卓のようなものが見えるものの、それ以上は暗くてよく見えない。

 中庭では、洗濯桶らしきものの前で屈む女性と傍らに立てかけられた帚、タイル張りの歩道で遊びに夢中の少年と少女(写真下:部分)。

 Photo_9この小さな絵には、屈み込んで表情が見えない四人の人物が粗く描かれているが、この絵の主役は、彼が生まれ育ったデルフトの、そこ此処にある普通の光景。
 それを、煉瓦と汚れた漆喰の壁で、見事にキャンパスに切り取っている。

 彼の風景画は、この絵と「デルフトの眺望」(マウリッツハイス美術館蔵)だけだが、どちらも優しい静けさ包まれていて気持ちが和む。

  の美術館、彼の「牛乳を注ぐ女」「青衣の女」「恋文」も所蔵、デン・ハーグのマウリッツハイスと合わせ七つの作品を所蔵、「デルフトの眺望」や「青いターバンの少女」などその質も高い。

 残念なことに「恋文」は、レンブラントの「青年期の自画像」とともに、当時、日本に出かけていたらしい。

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レイクス・ミュージアム

2010年02月21日 | ベネルクス

 アムステルダムは一日だけ、夕方にはデン・ハーグに向かう。
 
この日、国立博物館とゴッホ美術館、そして、レンブラントの家を訪ねる予定だ。

 アムステルダム市民が愛着を込めて Rijksmuseum Amsterdam 、レイクス・ミュージアムと呼ぶアムステルダム国立博物館にトラムで向かった。

 訪ねたPhoto05年当時、博物館自身が “ 博物館史上最大 ” と呼ぶ改装工事が行われていて13年初頃まで続くらしい。

 ただ、レンブラントの 「夜警」 「聖パウロに扮した自画像」やフェルメールの 「デルフトの小路」 「牛乳を注ぐ女」をはじめ、オランダが誇る17世紀の最高傑作マスターピースは、本館に併設されたフィリップス棟で展示されている。

 それ以外の作品は、市内の新教会やゴッホ博物館、レンブラントの家、そしてハウス・マルセイユで見ることができるとカタPhoto_2リナは言う。

 運河の街アムステルダム、セントラル駅を扇の要に道路が放射状に広がり、幾重もの運河が連なる。

 トラムは、ヘーレン、カイゼルなどの運河に架かる橋、海抜ゼロメートルを象徴するゆるやかに反る橋を渡り、清掃が行き届いているとも思えない街路を、車輪を軋ませながら時に警笛、時に鉦を鳴らし走る。

 シンゲル運河を渡って暫く、広々とした緑地帯を挟んで博物館やゴッホ美術館、近代美術館やコンサートホールのコンセルトヘボーなどが集る、ミュージアム・プレインと呼ばれる一角でトラムを捨てた。

 Photo_3一角の正面、レンブラントの傑作 「ユダヤの花嫁」の手の部分の看板が架かるネオ・ルネッサンス様式の博物館(写真上)が望める。
 アムステルダム・セントラル駅と設計者が同じとか、赤い煉瓦にグレーの屋根が似合う。

 正面から建物左手へ案内する小さな看板が鉄格子の塀にあって、その上にマスターピースの垂れ幕が風を受けてはためく。

 およそ美術館とは思えない細い通路の奥がフィリップス棟の入口(写真中)。
 狭いホールでチケットを買って、次の部屋に進むとオランダ共和国時代の部屋。

 その部屋の階段を上ると、そこにオランダ絵画黄金期の名作、マスターピースが並ぶ。
 カタリナ、他の作品に目もくれず、さっさとその二階のレンブラントの部屋(写真下)へと行ってしまった。

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スイート・ルーム?

2010年02月19日 | ベネルクス

 アムテルダムのホテル、バルビゾン・パレス(写真上)でのこと。

  宿泊カードを記入すると、旅券とクレジット・カードを求められた。
 JCBカードを出すとカウンター嬢、肩をすくめ「ソーリー」と言った後、「マスターかビサを」 と続ける。

 ーロッパではよくあることだが、アムステルダムのような大都会、しかも、が沢山付いたホテル、幾ら何でも通用するだろうと思ったのだが。

 Photoカードの色なんて何の関係もないようだ、カタリナ、「高い年会費を払っているのに!」と憤懣やるかたない様子。

 イレージの関係でカードはこの一枚だけ、ないものは出しようがないので、同じように肩をすくめると、デポジットとして、「50ユーロを預けて」と言う。

 関空はレートが悪く、気分的に多くを両替する気にならないのは何時もの通り。
 手持ちのユーロからタクシーに使ったので少し足りない。

 まさか、チープ・まけてが通じるとも思えず、「1万円にしてくれへんか?」と提案。
 頷いたカウンター嬢、札を灯りにかざし納得したのかようやくGood。

 1つて、がもてはやされた時代があったのか、なかったのか?
 それにしてもJCBカードめ!だ、いざ、に頼りにならずは、まるで誰か?のようではないか。

  髪のエキゾチックな雰囲気を漂わすカウンター嬢、交渉?が終ると一転、「スイートにしたわ、ゆっくりしてね」と、艶然と微笑みながらキイ・カードをカウンターに置き、ベルボーイを呼ぶ。
 ふたり、「えっ、スイート?」と口が揃う。
 朝食のダイニングルームと時間を尋ねカウンターを離れた。

 2イート・ルームが並ぶ最上階。
 この階のみエレベータにキイ・カードを差込まなければ駄目と、ベルボーイが教える。
 最上階には部屋数も多くないのだと思う、廊下は人気がなくひっそりとしていた。

  通された部屋、ヨーロピアン・タイプだから部屋そのものはさほど広くないが、寝室(写真中)の他に同じ広さの部屋があって、アメニティー・グッズなども充実しているように思える。

 ころで、ロンドン、パリ、ローマのホテル、特にロンドンとパリ、の数が多くてもお粗末なホテルが多く、大体ハズレと思っていたほうが腹も立たないことを何度も経験。
 それが逆だと、今回のセミ・スイートのように、何だか得したように思えるから不思議。

 使わない部屋(写真下)がひとつ余っている、これが何とも居心地悪い、そんな印象が残るオランダ初日のホテルだった。(写真上のみインターネットから)

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スキポール空港

2010年02月17日 | ベネルクス

 ベネルクスへは6年ほど前になる。
 Benelux とは、
BelgiqueNederlandLuxembourg の頭の文字に由来すると聞く。

 ラ・コートに負けず劣らず広いアムステルダム・スキポール空港(写真上)。
 出口の表示に従って黙々と歩いていると、「こっちでいいの?」と後ろからカタリナ。
 こいつ、疑うてるな、と思いながら、うんざりするほど歩いたが、ターンテーブルに着くと直ぐに荷物が出てきて、なるほどこれだけ歩かされると待たされることもないと、変なところで納得。 (

 Photo_2やかな店が並ぶセントラルプラザ。
 そこから直ぐホテル・シャトル・タクシーの乗り場がある。
 「警察官なんか案内員なんか判らん?」と言うペトロを制し、制服の女性にホテルの名前を告げると「ここで待て」と教えてくれ、暫くすると五六人が乗れる車がきた。
 またまた、「ホテルの無料送迎バスやろ?」と、頓珍漢なことを言うペトロを無視、運転手からチケットを買う。 (

 にふたりの客を乗せた相乗りのホテル・タクシー。
 片側5車線もある高速道路らしき道を快調に走り、やがて市街地に入る。
 アムステル川にかかるダムの意のアムステルダム。幾筋?かの運河を渡り、運河沿いの赤煉瓦の建物の谷間を走る。

 Photo_5カタリナ、車中から景色を眺め、「これで観光は終わったわ」とすまし顔。
 今回も市内観光は眼中にない様子で、彼の、“ 飾り窓 ” なるものを
一度は見てみたいペトロ、指を咥えるしかない?

 ところで、アジア系のタクシー・ドライバー氏。
 ペトロの「大丈夫かいな?」という表情を見て取ったのか、「ノープロブレム」を連発。
 ふたりの客を順にホテルに降ろした彼、最後に私たちを降ろし「ノープロブレムと白い歯を見せて去った。 (

 オランダダでは、三泊の予定。
 アムステルダムは、国立美術館とゴッホ美術館(写真中)とレンブラントの家以外訪ねるところもないし、ホテル代も高いので明日の夕刻にはデン・ハーグに向かう。
 ホテル・バルビゾン・パレスから運河を挟んで向こう、東京駅が倣ったという赤煉瓦のセントラル駅(写真下)があった。 (

 デン・ハーグの次の目的地ブリュッセルへは、列車を利用する手筈。
 が、
スキポール空港で、それも半日ほども過ごすことになるとは、この時は夢にも思わなかった。(続く)

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フラ・コート

2010年02月15日 | ドイツ/オーストリア

  昼夜を分かたず働くと鳴り物入りで開港。
 
それを潮に引退する筈の伊丹が居座り、挙句、今になって着陸料が高いとか遠いとか難癖をつけられ、俗にいうお茶をひく関西空港。
 
マイレージのこともあって、ヨーロッパへは成田へ廻るか海外フラッグしかない。

 Photo_3片道ならまだしも往復とも成田で長々と待たされるのは業腹だ。
 で、関空発のルフトハンザ(写真上)でフランクフルト空港乗り継ぎになるのだが、
愛称フラ・コート、利用された方も多いだろうが、呆れるほど広く疲れる。

 関空発、通常ターミナル1のBゲートに着く。
 ここにはABCのゲートがあり、乗継便がB(写真中)なら比較的楽だが、それがAともなれば、何処までと思うほど長い地下道を歩くかスカイライン(写真下)に乗らなければならない。

 それに、何処の空港も同じだが、9.11以降手荷物検査が厳しく長蛇の列、もたもたしなくとも1時間など直ぐに経つ。
 もしや?の時のため乗継便までの時間を多めに取るので、挙句ゲート付近で待たされ、「嘘をついて!」と呆れられ乍らも飲みたくもない?ビールについ手が出る。

 Photo_4余談だが、シェンゲン協定、EU域内などの入出国管理に関する協定を批准した国への入国審査、最初の寄港地だけで済む。

 ただ、イギリスは別で、疑り深い?アングロ・サクソン、入国審査を他国に任せる気は毛頭なく、自国の空港でランディング・カードを書かせた上にあれこれと訊く。
 通貨のポンド然り、とかく女王様の国は面倒で敵わない。

  そのフラ・コートでのこと。
 入国審査のカウンター、ヨーロッパ規格?外国人に比べれば超小柄な私、悔しくも顔だけしか届かない。

 Photo_5斯くいう私、喘息気味で機内では殆どマスクをかけている。
 そのうえ毛糸の帽子に色付き眼鏡の格好で旅券を差し出していた。

 係官、一瞥し「OK」とスタンプを押してくれたが、マスクのことを忘れてしまっていて、通過後ペトロに、「何、その格好?」と指差されて初めて気がつく始末。

 件の係官、問い質したいこともあっただろうなと思うのだけれど、子供サイズのおばちゃん風邪で可哀想と思ったのか、ただ面倒くさかっただけなのか知りようもないが、あっさり許可してくれた。
 今、思い出しても笑ってしまう。
 ペトロは、「日本の旅券は信用があるなあ!」などと憎たらしいことを言って笑う。

  何年か前にそんなこともあったフラ・コートから、アムステルダム・スキポール空港へと向かった。(続く)

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大谷美術館

2010年02月12日 | 美術館 (国内)

 西宮図書館の本館、夙川公園と酒蔵通りが交わるところにあることは、<痕跡本が人気・・>で書いた。
 その図書館から西へ半キロほども行ったところに大谷美術館がある。

 Photo年末にカタリナが、年初の茶会の場所を探していてこの美術館の名前が出た。
 一度訪れたことがあるが、梅原龍三郎が架かっていたような覚えもあって、なんとも頼りない。

 正しくは、西宮市大谷記念美術館(写真上)と呼ぶ。

 松竹を創業した大谷竹次郎に係わる美術館とばかり思っていたのだが、かつて鉄鋼王と称された大谷米太郎の弟で、昭和電極社長だった大谷竹次郎が、長年にわたって収集した絵画などを、宅地とともに市に寄贈したということを、恥ずかしいことに初めて知った。

 ちなみに、兄米太郎ゆかりの鎌倉大谷記念美術館、名前のとおり鎌倉市に在るということも今回知った。

 Photo_2今、特別展「<新春日本画の美>」(2月14日まで)を催していて、今季初めて、六甲の頂きが雪で粧った日、図書館から足を延ばした。

 広くはないが清流が落ちる日本庭園が、ロビー南面一杯の窓から望める。
 案内によれば、この美術館が所蔵する68点を三部構成で展示とあり、他の美術館を頼らず、これだけの特別展を開催する力量は評価できる。

 日本画と洋画の部では、案内の表紙を飾る前田青邨「薔薇」(写真中)と杉山寧「鴨」が。
 山水画を中心にの部では、山下摩起の「鐘馗」、日本の四季の部では、濱田観「白木蓮」と榊原紫峰「桃小禽」に印象が残った。

 日本の四季の部に、横山大観「若葉」があり、その前で暫し足を止め見入った。

 2_2Photo_4その「若葉」から27年後の昭和16年頃、戦時色いよいよ濃くなる時代に描かれた、国学者本居宣長の、“ しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花 ” のオマージュ、金地に燃える朝日と山桜が描かれた、「大和心」が最初の展示室に。

 花鳥風月などを高雅に描く日本画の大家の、国粋主義者として国威を発揚するというもうひとつの顔をこの作品に見、居たたまれぬ思いでこの絵から離れた。

 日本庭園では、盛りの蝋梅の傍らで梅がそろそろという風だった。
 ところで小ブログ、拙文を重ねて100号、ご愛読感謝。 ( )                                        

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フェルメール

2010年02月10日 | ベネルクス

 風俗画で名を成したフェルメール
 フェルメールの前に、ともにオランダ絵画黄金期を築き、画業や生活などで真逆にあったレンブラントに少し触れておきたい。

 Photoレンブラントは、1606年ライデンに生まれた。
 アムステルダムに出て工房を構え多くの弟子を使い、聖書や神話の世界や愛する妻サスキア(写真上)とその忘れ形見ティトスを、そして、自像画などに多くの傑作を残した。

 なかでも、グレコの「オルガス伯爵の埋葬」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」とともに三大集団肖像画と評される「夜警」などで新ジャンルを確立、栄光と挫折の華々しくも賑やかな63年の人生を送った

 そのレンブラントから26年遅く、デルフトで宿屋を生業とする家に生まれたフェルメール。
 父の勧めもあり画家の道に進んだ。

 Photo_2画業者のギルドである聖ルカ組合の理事に就いたりするものの、レンブラントとは対象的に43年の短い人生にさしたるエピソードもなく、終生デルフトを離れることもなかったとされる。

 宗教画から風俗画へと画風を変えた彼が、生涯に手がけた作品は僅か三十数点とされ、寡作のうえ子どもを多くなしたこともあって、金銭的には不遇をかこったようだ。

 69年頃になって、レンブラントも知己の知識人で、政治家でもあった総督書記官ホイヘンスにより徐々に作品の評価が高まった。
 ものの、画家の没後は、急速に忘れられた存在になってしまったとされる。

 19世になって印象派の台頭によってこのPhoto_3野への評価が回帰。
 フランス人のトレ・ビュルガーが、彼に関する初の本格的なモノグラフ・論文を発表、自らをフェルメールの発見者として位置付けた。

 そして今、寓意性に富んだ作品は多くの人を集め、所蔵する美術館のステータスを高めてもいる。

 前書きが長くなったが、まずは、アムステルダム国立博物館(写真中)からその旅を始めよう。

 ここには、4.4×3.6mの大作、「夜警」の近く、フェルメールが生涯を過ごした町を描いた0.4×0.5mの小品、「デルフトの小路」(写真下)がある。

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