ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

鐘の音とともに ‐ ゆく年

2017年12月31日 | 季節/暦

ながめこし花より雪のひととせも けふにはつ瀬のいりあひの鐘(頓阿法師)

鎌倉後期から南北朝の僧にして歌人の頓阿(とんあ)、“ 桜から雪まで眺めたこの一年も今日で終わったなあ、はつ瀬、長谷寺の夕暮れの鐘の音よ ” と詠んでいます。 

 まさに花が終われば酷暑、大型台風に痛めつけられ暮れには豪雪、異常気象に翻弄された年でした。

昨日の朝日紙、“ 2017年 あの日 我々は ” とのタイトルで、二面を費やし出来事を列記していましたが、総じて、辛く悲しいことが続いた一年だったように思います。

 トランプ大統領と金正恩の愚かな応酬、無差別テロで多くの無辜の人々が犠牲になりました。

 国内では、安倍一強のもと森友・加計学園、都知事の新党立ち上げ、大相撲の暴力事件などに呆れ、神奈川での連続殺人事件に身の毛もよだつ思いもしました。

 省みて酔狂、早いものであいつ と別離(わかれ)、五回目の暮となりましたが、世相とは無縁の平々凡々の日々は、仕合せと言えば仕合せだったでしょうか。

 俳聖芭蕉は「おくの細道」で、“ 月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり ” と書いています。
 月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなもの、来ては去り去っては来る年もまた同じように旅人、と解釈すればいいのでしょうか?

 平穏に暮らす人々の明日への旅が、平和で愛と希望に満ちたものであるように、と願うばかりです。

 締め括りの一枚は、酉年に感謝を込めて伊藤若冲の「雪梅雄鶏図」(両足院蔵)です。

 本年も小編にアクセスを頂き有難うございました、ご家族お揃いでよい年をお迎え下さい。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1474

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街の灯りを眺めながら・・・

2017年12月29日 | 日記

 余すところ二日半、皆様、迎春準備に大童、えっ、当節はそんなことないって、そうなんですか?
 小さい頃、この日(12/29)一家総出でお餅つきをしたものです、苦を搗くとか、福を搗くとか諸説あるようですが。

 お節料理も、家族構成に合わせたセットが売られてい、それを利用する人が多くなったようですね。
 最近は若い人を中心に箸を付けない人が多いとも聞きますが、どうなんでしょう。

さて、我が家の迎春準備は?さんこ(この地方の放言で散らかったの意です)な我が家、掃除に尽きるよう。
 ゴミ屋敷まで三段跳びのHop・Stepの辺りでしょうか?

 汚れていたとて誰に迷惑を掛ける訳じゃなし、開き直ればいいのですが、そこはカトリックと雖もお正月ですからねえ。

 で、やっとこさ重い腰を上げ始めたとお思い下さい、それとてもブログの合間ですから捗りません。

 蝸牛の散歩みたくなものですが、粗方のゴミはマンションのドラム室が閉まる日までに、何とか目途を付けました。
 内緒ですが残した分、孫子が来宅する日は、こっそり物置に運ぶことに・・・、やれやれ。

 大晦日までお仕事の方もあるでしょうが、昨日は御用納め、今は仕事納めというのでしょうか、窓から駅のホームを見ると、通勤時間帯にも拘らず待つ人もまばらでした。
 あやかって小編も、一応、本日をもってブログ納めといたしたく思います。

 窓のカーテンの隙間から、あいつ が眠る甲山の麓にかけて、師走の街の灯りが昨日と同じように綺麗です。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1473

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イツモシズカニワラッテイル

2017年12月28日 | 日記

 連日、マスコミを騒がした大相撲の暴力問題も終盤を迎えたようだ。
 日馬富士の暴力に端を発したが、根っこにあるのは貴乃花親方と横綱白鵬の確執らしい。

 その白鵬、立ち合いの汚さ、土俵上での物言いなど、横綱としての振舞に欠けると評判が悪い。
 彼は口をつぐんでいるが、彼が貴乃花への意趣から貴ノ岩へ説教を始めたのが原因と思っている。 

 彼がかつて連勝を止められた時、 “ 未だ木鶏たり得ず ” と名横綱双葉山の言葉を引いているのを見て、気分がざらついたことがあった。

 彼には、優等生の顔をしながら陰で苛めを主導する高校生みたくな、陰湿な匂いがして仕方がない。
 モンゴル出身の朝青龍には、粗野ながらやんちゃな明るさがあった。

 そんな角界、貴景勝の小結昇進の記者会見を視て感心した。

 彼は、これからどんな相撲を?と訊かれ「勝って驕らず、負けて腐らず」と答え、「(勝敗に)精神を上げ(下げす)ることのないようにしたい」という主旨のことを言葉短く続けていた。

 二十一歳の青年のその言葉を聞いて、あいつ から「気持ちを囚われて、何時までも引きずらないの!」と、度々言われたことを思い出し、折からの訳の分からぬ出来事に向かっ腹を立て、詰らないことに上げ下げしている自分に苦沙弥がでた。
 花言葉が “ 未来への憧れ ” という「アルストロメリア」が若武者には相応しい、“ イツモシズカニワラッテイル ” 、そんなオトコが好きだ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1472

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王の画家にして画家の王が独りで描いた絵

2017年12月27日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(5)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(5)

 ブリュッセルから電車でオランダとの国境の街アントワープに、王立美術館と聖母マリア大聖堂を訪ねたことがあった。

 そのノートルダム大聖堂、王の画家にして画家の王と呼ばれたピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640の「聖母被昇天」(上/1626年/490×325cm)が主祭壇を飾る。

 その原画「聖母被昇天」(下/1622-25年/88×59cm)が、ここマウリッツハイス美術館に架かる。

 彼は、連作 「<マリー・ド・メディシスの生涯>」(1621-1625年/ルーブル美術館蔵)に代表される、見上げるような大作を含め実に多くの作品を描いている。
 その多くは、ルーベンス工房で弟子たちと描いたものだとされている。

 だが、大聖堂の祭壇画もこの原画も、弟子を使わずにひとりで描いたとされ、今まさに天にあげられようとする聖母マリアが、彼独特の柔らかい線使いと彩色でふくよかに描かれている。

 この原画は、注文主であるアントワープ大司教に、完成品のイメージを伝えるために描かれたもので、この祭壇画にかける彼の意気込みが伝わってくる。

 彼は、当時アントワープを統治していたハプスブルク家に宮廷画家として仕え、フランス王妃マリー・ド・メディシスなどの権力者とも交友関係を築くなど、画業以上?に外交能力に長けていたという。

 早い話が身過ぎ世過ぎが巧みで、アントワープの目抜き通りにある彼の工房兼住居は、裕福さを窺わせるに十分なものだった。

 とは言え<大聖堂>の主祭壇を飾る「聖母被昇天」は、彼の傑作「キリストの昇架」「キリストの降架」を左右の礼拝堂に従え、紛れもなくルーベンス昇華の傑作であることを示している。

 ルーベンスを「余り好きじゃない」と言って憚らないカタリナ も、一連の祭壇画を前にしてさすがに声もなかった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1471

 ※ 小編は、2010-03 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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神聖な場所へと誘う小さな絵

2017年12月26日 |  ∟ベネルクスの美術館

※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(4)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(4)

 光と影の魔術師レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、ここマウリッツハイス美術館に小体な宗教画が架る。

 その絵とは、新約聖書に画想を得た「キリストの神殿奉献」(1631年/61×48cm)。

ヨセフとマリアは “ モーセの律法に従い神殿へ奉献するためつがいの山鳩を持ちイエスを連れてエルサレムへ向かった ”(レビ記13章)。

 そこには “ 信仰が篤く聖霊が留まり、主が遣わすメシア・救世主に会うまでは決して死なないとのお告げを聖霊から受けていたシメオンという老人 ” がいた。

 シメオンは神殿で幼子イエスを抱き救い主であることを宣言、後に降りかかるイエスの受難を予言する場面を描いた本作、主題は “ 聖母七つの悲しみ ”(ルカ2章)の第一留。

 ちなみに、七つの悲しみとは、この他に、エジプト逃避、御子の見失い、十字架の道行、昇架と降架、ピエタ・悲嘆、そして埋葬。

 ところでレンブラント、本作から十三年後、関連性を疑うべくもない一枚の絵を描いている。

その絵とは、同じく新約聖書に画想を得た「キリストと姦淫の女」(1644年/84×65.5cm/ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)。

 守旧派の律法学者やファリサイ派の人々が姦通の現場で捕らえられた女を連れてきて、“ こういう女は石で打ち殺せとモーセは律法の中で命じています、あなたなら・・・ ” とイエスを試す。

 イエスは、“ あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい ” と答え、これを聞いた律法学者たちは一人、また一人と立ち去る ”(ヨハネ8章)という場面。

 彼自身の黄金の時代とされる1632年から42年、その初期と末期に描かれたふたつの絵。
 共通するのは、大きな空間構成の巧みさ、劇的にあてられた光による物語性と豊かな表情である。

 できれば拡大してご覧下さい、長辺が1mにも満たない小さな絵が、あなたを神聖な場所へと誘ってくれることでしょう。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1470

 ※ 小編は、2014-06 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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二十年前のクリスマス

2017年12月25日 | 想い出のカタリナ

 2013年の小編、“ さすがに今年は、少し辛いクリスマスイブだった ” と泣き事を書いている。

 カタリナ が逝って区切りの50日だったその日、“ 愛する人が傍にいてくれないクリスマス、何十年振りだろうか ” とも。

 そして十七年前に二人で行ったパリ、降誕祭目前の夜、“ 食後、寝るには惜しく、向かった凱旋門、続くシャンゼリゼ通りのマロニエの並木は光の洪水だった ” と続けていた。

 当時の銀塩写真を見ると、東京や大阪など大都会のイルミネーションからすれば、当時のそれは並木に電飾しただけの単調なデコレーション。
 けれど、凱旋門からコンコルド広場まで、真っ直ぐに延びる光のベーブメント、高揚感で寒さも忘れたことを憶えている。

 それから四年、二十年ほども前の二人だけのクリスマスの光景が想い出されてならない。

 昨日(12/24)の朝日紙 “ 日曜を思う ”、イギリスの歴史家E・H・カー(1892-1982)の『歴史とは現在と過去との対話である』との言葉を読んで、そんな二人の小さな昔を思った。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1469

 ※ 小編は、2013-12 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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主の降誕(夜半のミサ)‐ 本日は安息日、です。

2017年12月24日 | 聖堂/教会/聖書

 ローマ皇帝アウグストから人口調査の勅令が出たので、ヨセフも身重の許婚のマリアと登録のためナザレからベツレヘムへ行った。
〈 ベツレヘムにいる間にマリアは月が満ちて初子を産み、布にくるんで飼葉桶の中に寝かせた
 〈 客間には彼らのいる余地がなかったからである(ルカ2章)

 イエスが生まれたとき、ヘロデ王はひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわした。東からきた三人の博士がエルサレムに着いて言った。
〈 ユダユヤ人の王としてお生まれになったかたはどこにおられますか
 〈 わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました
(マタイ2章)

 三博士は夢でヘロデの許へ帰るなとお告げを受けたので、他の道を通って自分の国へ帰って行った。
〈 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った
 〈 二人を連れてエジプトに逃げなさい、ヘロデが幼な子を捜し出して殺そうとしている(同2章)

     

 ナザレの「受胎告知教会」と隣の「聖ヨセフ教会」、どちらも美しい教会でした
 ベツレヘムの「メンジャー広場と生誕教会」、聖誕教会内の「カトリック聖カタリナ教会」です

 ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘム、例年と違ったクリスマスを迎えているという。
 朝日紙(12/21)が、“ 聖誕教会前の広場には観光客の姿はほとんどなく閑散としていた ” と報じていた、が、なぜそんなことに?

 ヘロデに重なるトランプ、愚かにも火薬庫に火を点けた、“ エルサレムをイスラエルの首都として『公式に承認する時だと決断した』と述べ宣言文書に署名した ” と同紙(12/7)は報じている。

  しみの灯もまじる街クリスマス(堀口星眠)

 クリスマスイブ、過ごし方はもとより人それぞれ、ただ、誰しもが、せめてこの日だけでも、温かい光りに包まれ幸せでいて欲しい、と願う。
 この日、聖カタリナ教会で行われる「夜半のミサ」は、毎年、全世界にTV中継されるそうですよ。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.1468

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椿

2017年12月23日 | 想い出のカタリナ

 彼女 が好きだった花のひとつが「椿」、幾鉢も種類の異なるものを慈しみ育てていた、が、その殆どを逝った冬に枯らしてしまった。

 その中で残ったひとつに “ 高台寺 ” と名が付いたのがある。

 実は昨年の春、ベランダを掃除していてその鉢を置いた台に腰をぶつけて倒してしまった。
 鉢は割れなかったのだが、一尺も育っていただろうか、枝が中ほどで無残にも折れてしまい、きれいに<咲かせていた花>を駄目にしてしまった。

 あわてて、根の方を鉢に戻し、陽当たりの好い所に置き水を遣ったが、気持ちはもう殆ど諦めていた。

 それから一年半、他の鉢への水遣りのついでに細々と水を遣っていたのだが、秋の終わり頃に小さな蕾をつけているのを見つけた。

 それが、ここ数日の好天に支えられて、小さな一輪を綻ばせてくれた。

 肥料など一切与えていないので痛々しいほどか細い、が、それがわが心象に添う思いもして、愛おしくもある。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1467

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老いの証し?ならそれもいいか。

2017年12月22日 | 想い出のカタリナ

二十二年の夏のことだったから八年ほども前、彼女 の疲れが酷く、気散じに<有馬温泉>でひとっ風呂浴びて帰ったのが最初。
 以来、盆と暮れの墓参の帰り道、ささやかな慰労も込めて温泉を楽しんできた。

 向かうのは自宅と墓の途中の有馬温泉、雪の城崎温泉まで足を延ばし蟹を楽しんだ年もあった。
 余談だが、この時の蟹尽くしは失敗、生来生臭い物に弱い彼女、茹でと焼は何とか箸を付けたが生は駄目、流石に生蟹二人前はきつかった。

話がそれた、二十二年の暮の有馬温泉、泊った宿屋が “ ねぎや ”(写真)、葱屋さんが転業?と思いきや、かつて主が神職だったらしく禰宜屋、「なあんだ、そうなの」と合点したことが。

 それはとも角、大きな浴場で鉄分の赤茶けた金泉、透き通った銀泉にゆったりと浸かり、身も心も温まったという次第。

 彼女も一年の稽古を無事納め、新年の初釜に向けて元気が貰えたと喜んでいた。

 ところでその日は冬至、柚子湯を「ちょっとばかり」「期待していたの」だが見事空振り、前以て確認すればよかったが後の祭り。

  今日はしも柚湯(ゆずゆ)なりける旅の宿(虚子)

 そんな小旅行とも呼べぬささやかな温泉行も僅か三年、延六回でお仕舞になったが、海外旅行とはまた違った想い出を残してくれた。

 夕餉に何を食べたかは覚束ないが、一昔も前のことはきっぱりと鮮やか、それが老いの証し?というならそれもいいな、と思う冬至の朝である。

 今日(12/22)の午後は、今年、最後のレジオマリエの集会、明けて11日まで冬休みです。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1466

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わざとじゃないのに、酷くない!

2017年12月21日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(3) ‐ ベネルクス美術館絵画名作選(3)

 生涯で僅か三十数点しか残さなかったヨハネス・フェルメール(1632-1675)、風景画や宗教画も数点確認されているが、その大半がデルフトの町に住む中流階級の日常を描いた風俗画である。

 そんな彼の唯一の神話画、狩猟と月の女神ディアナをモチーフに描いたのが「ディアナとニンフたち」(1655-56年頃/97.8×140.6cm)。

 本作、古代ローマの詩人オウィディウスの「変身物語」にその画想を得たとか。
 ちなみに物語は、登場人物が動物や植物など、様々なものに変身する15のエピソードから構成されているのだそうだ。

 粗く筋を追うと、狩を終え休息する髪に月の飾りをつけた女神ディアナと森の妖精・ニンフたち。

 そこへ狩に出た若き王子アクタイオンが通りかかり、偶然に沐浴をしているディアナを見てしまう。
 ニンフたちがディアナの裸体を隠そうとしたのだが、間に合わなかったのである。

 図らずも覗き見をしてしまった王子、ディアナに水をかけられ牡鹿に変えられてしまい、哀れにも彼自身が連れてきた猟犬に噛みつかれ死んでしまうのである。

 その直前の光景を描いた本作、フェルメールは、ディアナの傍らに男らしさの象徴である「薊の花」を描き、アクタイオンが間もなくここに来るであろうことを示唆している。それにしても酷かない?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1465

 ※ 小編は、2010-03 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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