goo blog サービス終了のお知らせ 

ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

真理を行う者 ‐ 本日は安息日、です。

2018年03月11日 | 聖堂/教会/聖書

 今日は四旬節第4主日、福音朗読はヨハネ第3章で、“ 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために ” と記しています。

 話は変わりますが、俗に “ 隠すより現る ” と言います。
 隠そうとすると目立って、かえって外へ知れやすいという意ですが、朝日のスクープ以来、政権と財務省のドタバタぶり、それを地で行く様相になってきました。

で、国税庁の佐川長官、とうとう蜥蜴の尻尾にされてしまいました。
 身から出た錆、同情にも値しませんが、彼は誰を、何を信じて、誰のために真理を行う者、だと思っていたのでしょうかねえ?

 ところで彼、辞任に際して「確定申告中にお詫びする」と発言したそうですが、その申告、先週の雨の木曜に様式を整えました。

 実は、税務署の窓口の混雑振りに捻くれ酔狂「なんで、並んで迄出さなあかんねん」と昨年から郵送することにしました。

 週明けにも郵便局に持って行こうと、封を緘(とじる)前に念のため署からの案内書に目を通しますと、“ 時間外収受箱を設けている ” とあり、「へえ、そんなのあったんや」と初めて知りました。

 それで、風は冷たかったのですが頗る好天だった昨土曜日、自転車で出かけました。
 着いてびっくり、1メートル四方もあるステンレス製の<立派な箱>がでんと置かれていました。

 箱には “TAX EATER ” と書かれている様な気がしたのですが、そんな良心的な箱を置く訳ない?「お上を揶揄っちゃ駄目よ」、でもね、市役所近くの公園、「修善寺寒桜」が青空に映えてましたが、武士(もののふ)たるもの格ありたい、と思いません佐川さんと麻生さん、もう一人いたっけ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1531

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

押しかけ体験学習? - 本日は安息日、です。

2018年03月04日 | 聖堂/教会/聖書

 今日(3/4)は四旬節第3主日、イエスと弟子たちは、過越の祭が近づいたのでエルサレムの神殿に上られます。
 洗礼の恵みをいただいた私たちは、復活への良い準備が求められています。

 ところで、レジオマリエの仕事のひとつに「ミサ案内」があります。
 日曜に四回行われる主日ミサ、その中で出席者が多い10時のミサの案内をお御堂の入口でします。

初めて教会を訪ねられた方、他教区などから転入された方、プロテスタントの方などを対象に、火曜日のレジオマリエの会員とペアを組んで案内している、らしいのです。

 らしい?実は、活動会員になって此の方ミサ案内を受け持ったことが一度もありません。
 一度ならず命じられたのですが、「鬼瓦みたくな無骨な男が入口に座っていたら、折角お見えになった方も帰っちゃうでしょ」なんて小理屈をつけて逃げ回っていました。

 が、この仕事を担当できる方が4月から三名になります。
 となると月に二度も回ってくることになり、さしもの鈍ら会員の僕(やつがれ)も我儘を言っておれなくなりました。

 やらなきゃ?と思うものの要領がさっぱり、で、今日のミサ、天気も良く暖かそうなので、押しかけ体験学習とやらを思いつきました。
 まさか「邪魔しないで」と追っ払われることもないだろう、と勝手に思っているのですが、さて?

 まだ決めてはいませんがそろそろ除隊、知人らは猛反対。の気持ちもあって、冷やかしみたくなことになっても返って迷惑、と小さな胸?を痛めています。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1524

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当の姿 ‐ 本日は安息日、です。

2018年02月25日 | 聖堂/教会/聖書

 今日(2/25)は四旬節第2主日、主朗読はマルコ第9章です。
 イエスは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登ります。
 すると、“ イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝いた ” とマルコは記しています。

 三人が恐れおののいていると雲が現れて彼らを覆い “ これは私の愛する子。これに聞け ” との声が聞こえ、急いで辺りを見回すのですがもはや誰も見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた、とマルコは続けています。

 神は三人の弟子に “ 愛する子イエスの本当の姿 ” を一瞬に示し、これから起こるであろう “ 十字架のつまずきに耐えられるように、弟子たちの心を準備することが目的にあった ” とされています。

 それは取りも直さず、“ イエスとともに毎日の生活に戻り、人々の中で愛する子に聞き従う道を歩まなければならない ” とのメッセージでもあるそうです。

 ところで一昨日(2/23)のレジオマリエ、集会後の雑談で「三月一杯で除隊を・・・」と、恐る恐る切り出してみました。

 四年前に一緒に入会したAさん、信徒会の要職を務め今期で降りられたのですが、「少し疲れた、私もそろそろ」と同じ気持ちのようです。

 三月末にはBさんがご主人の仕事の都合で退会されることもあって、余り好い感触、雰囲気でなかったことは確か。
 まあ、「そうなの、ご苦労様」とあっさり認めて貰うのも寂しいと言えば寂しいですが、さて、どうなりますことやら?

 ラファエロ(1483-1520)の遺作「<キリストの変容>」(1518-20年/405×278cm/バチカン絵画館蔵)、照明を落とした薄暗い展示室で対面した時、息を呑んだことを憶えています。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1517

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中掃除 ‐ 本日は安息日、です。

2018年02月18日 | 聖堂/教会/聖書

 先週の水曜から四旬節・レントに入り、そして、今日(2/18)は、四旬節第1主日です。
 第一朗読は創世記9章で、“ 私が貴方達と契約を立てたならば、二度と洪水によって滅ぼされることはない ” と、神はノアと彼の息子たちに言います。

 第二朗読はペトロの手紙(一)3章、“ 箱舟に乗り込んだ数人だけが水の中を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエスの復活によって貴方がたをも救うのです ” とあります。

 そして、主朗読はマルコ1章で、“ そのとき霊はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた “ と記しています。

 三つの朗読にある “ 契約・洗礼・霊 ”、日曜のミサに与っている者は、神からの愛情深い契約に感謝して洗礼を受け、人生を再出発させていますが、その成長のすべての過程を支えているのが聖霊の働きであることを示唆しているそうですよ。

 そんな大切な主日ミサですが、今日は気が進みません。
 で、罪滅ぼし?に中掃除、ルーチンのそれが小掃除だとすればですが。をして過ごそうと思っています。

 ところで、平昌オリンピック、北の国に韓国と同じようにTV局が振り回され、阿保らしくて視てられませんでしたが、漸く落ち着いて本来の五輪らしくなってきたみたいですね。
 競技は、NHKのダイジェスト版で視る程度ですが、日本選手も頑張っているようです。

 では、皆さんにとって、今日が好い日でありますように。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1511

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

灰の水曜日

2018年02月14日 | 聖堂/教会/聖書

 誰が定(き)めたか<セント・バレンタインデー>、3世紀のローマ、皇帝の迫害により殉教したと伝えられる聖ウァレンティヌスを祝ったのが起源とか。

 それが日本に渡り、慎み深い?女性から男性にチョコを添えて愛を告白、という摩訶不思議な日になったらしいのだが、当時ならいざ知らずこの女性強きご時世に、それ、ちょっと可笑しくない?
 と、大昔の僻み根性が今やトラウマだが、カトリックでは愛想なくも何もしないので救われる?

 で、今日(2/14)は、一年で一番大切なイースター・復活祭(4/1)への入口の灰の水曜日、この日からレント・四旬節に入る。

 時間軸は少し進み、砂漠で40日間断食をされたイエスに倣い、灰の日から40日後(日曜は数えない)は受難の主日・枝の主日(3/25)。

 この日をヨハネは、“ 大勢の群衆はイエスがエルサレムに入城すると聞き、ナツメヤシの枝を持って迎えた ” (12章)と記している。

 話を戻して灰の主日、前年の枝の主日に祝福して頂いた棕櫚の枝を燃やした灰を司祭は、復活されたイエスにあやかり、罪のゆるしを受けて新しい命を得ることができるように願って、一人ひとりの額に塗る。

 老いも若きも男も女も、額に押しなべて白い灰、不謹慎だが少し滑稽で口元が解(ほど)けそうになる。

 ところで、レジオマリエの次回集会日(2/16)から、教会では十字架の道行きの祈りが始まる。
 十字架の道行きとは、教会の壁にイエスの捕縛から受難、埋葬までの14の場面を模した聖画像が掲げてあり、それぞれの留で祈りを捧げること。
 彼女 との最後の巡礼、エルサレムで歩いた<ヴィア・ドロローサ>、今は懐かしい想い出。

 ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(1255頃-319/イタリア/ゴチック)「キリストのエルサレム入城(部分)」(1311年頃/100×57cm/シエナ大聖堂付属美術館蔵)です。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1507

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖心(みこころ)‐ 本日は安息日、です。

2018年02月11日 | 聖堂/教会/聖書

 怠け者酔狂、何を思ったか、昨年9月の中頃からほぼ毎日ブログをUPしていました。

 毎日投稿をされる方のブログを拝見して「凄いなあ!」と感心する傍ら「ひょっとしたら僕(やつがれ)でも・・・」なんて、思ったのと、隔日投稿ではプラドやメトロポリタン美術館にたどり着く前にブログ閉鎖、なんて思ったのがきっかけでした。
 が、体力・気力は何とかなっても知力だけは如何ともし難く、意気込みは脆くも頓挫。

 ブログとは今風の日記のことなんでしょうけれど、むさい独居老人の毎日に、他人様に読んで頂くほどのことがあろう筈もなく、隔日辺りが身の丈にあっていると諦めの境地。

 自己弁護はそのくらいにして、今日(2/11)は年間第6主日、であると同時に “ 世界病者の日 ” です。

 主朗読は、“ 重い皮膚病を患っている人がイエスのところに来て跪いて願い、『御心ならば、私を清くすることがおできになります』と言うと、イエスが深く憐れんで手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去りその人は清くなった ”(マルコ/第1節)という件です。

 イエスの前で自分の願いを差し出しますが、“ 自分の願いを聞いて下さい ” ではなく “ 御心ならば、私を清くすることがおできになります ” と “ 神の聖心、神の御業(みわざ)に自分を委ね切る ” ことの大切さを教えているそうです。

 ところで、寒い日が続いていますが、今年も「シンビジューム」がいくつか花茎を伸ばし始めています、花の界にも春が近づいているようです。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1504

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まめで悪いか? ‐ 本日は安息日、です。

2018年02月04日 | 聖堂/教会/聖書

 昨三日は節分、鬼に豆を投げ邪気を追い払う豆まき、お子さんたちと楽しまれたことと思う。
 撒かれた豆を歳の数だけ食べると、体が丈夫になり風邪をひかないとの習わしがあるとか。

 まめと言えば、外大出でノンプロの女子バレー部の監督を長年勤めた変り種の上司がいた。
 体育会系だけに、気に入った部下はとことん可愛がるというタイプで、酔狂とは間逆にいる人だったが、不思議なことに随分と懇意にして貰った。

 彼の推薦で、出来の悪い社員ばかり、吹き溜まりのような営業所に新規任用され、思い出すのも嫌なほど人間関係で苦労したことがあった。
 そんな訳で当時、自宅に帰れない日が続き、営業所の近くに単身赴任中だった彼の部屋に何度か泊まったことがあった。

 その彼、朝食にパンを焼き目玉焼きやサラダなどを作ってくれる。
 それで「随分と実(まめ)ですね」と感謝の気持ちを伝えたら「男に実は褒め言葉じゃない、あなたは小者ですねと言っているようなものだ」と叱られたことがあった。

 そんな解釈もあるのだろうが、“ よく気がついて面倒がらずにてきぱきと動く ”(大辞林)がそもそもの意、そら豆大の膵嚢胞を抱えてまめまめしく暮らせれば他には、とは笑い話にもならないか?

 ところで正恵方、今年は戊戌(つちのえいぬ)南南東とか。を向いて黙って巻寿司を丸齧りするようになったのは何時頃からか?えっ、丸齧りしたのかって、食べてませんよ、もちろん歳の数もの豆も。

 明けて四日は年間第5主日、10日後は “ 灰の水曜日 ”、一年で一番大切なイースター・主の復活までの40日間である “ レント・四旬節 ” に入る。
 この頃に咲く「レンテンローズ」、雪を割って咲くので「雪起こし」とも呼ぶと、今日は立春。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1499

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来し方行く末 ‐ 本日は安息日、です。

2018年01月21日 | 聖堂/教会/聖書

 昨日(1/20)は一年で最も寒いとされる “ 大寒 ”、でも、春を思わせるような暖かな日でした。
 そんなお天気に誘われ、量販店にスマホとPCの通信用ケーブルを買いに自転車で出かけました。

 用を済ませ、さてこれからと思案、たまに利用する食堂の近くまで来ていたので昼食を摂ることに。
 が、昨日のレジオマリエの集会の後、事情があって教会へ来られない信徒さんを、神父様と訪問した折のことを思い出し箸が進みません。

 その信徒さん、レジオに入会して以来ですから、もう足掛け四年のお付き合いになります。
 クリスマス前にも訪問、年が明けたら神父様と一緒に伺う約束していたのです。

 独居の彼、足が少し不自由で杖を頼ってはいましたが、週に何日かヘルパーさんの助けを得ながらも大方のことは自分でこなしていました。

 十歳ほども年長の彼ですが、1月ほどでこんなにもと思うほど弱ってい、これからの自分と姿が重なって食事が味気なくなったのです。

 今日(1/21)は年間第三主日、第二朗読は、聖パウロの「コリントの信徒への手紙 第7章」です。
 そこに “ 定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように(中略)世の事に関わっている人は関わりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです ” とあります。
 パウロは、“ これまでの生き方を見直すこと ” を教えているのだそうです。

 斯くいう酔狂、来し方を省みて忸怩たるところもありますが、行く末は健康でお洒落であらねば、と考えさせられました。
 明日から第一級の寒波がまた襲来するのだそうです、風邪など引かないように気を付けましょう。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1492

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただ、共にいて時間を過ごす ‐ 本日は安息日、です。

2018年01月14日 | 聖堂/教会/聖書

 今日(1/14)は、年間第2主日、福音朗読はヨハネ第一章「最初の弟子たち」です。
 洗礼者ヨハネは、二人の弟子シモンとアンデレの兄弟と一緒に “ 歩いておられるイエスを見て、『見よ、神の小羊だ』と言った。二人の弟子はそれを聞いてイエスに従った ” とあります。

 兄弟が、“ ラビ、先生の意。は何処に泊まっておられるのですか ” と尋ねると、イエスは “ 来なさい。そうすれば分かる ” と言われ、彼らはついて行ってそれを見ます。

 これは、“ 言葉や知識によってではなく、ただ共にいて一緒に時間を過ごしその交わりの時を体験することによって、ご自分のことを示された ” という教えだそうです。

 また、書記官ヨハネは、アンデレがシモンをイエスのところに連れて行くとイエスは彼を見つめて “ あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファと呼ぶことにする ” とも記しています。

 ちなみに、ケファは岩、<最初の弟子>ペトロを指し、そこに建てられたのがサンピエトロ寺院(写真)だということは知られています。

 ところで皆さん、新年会を予定されていることと思います。
 斯くいうペトロ、心の置けない方たちとの会がふたつあります。

 そのひとつが、一昨日のレジオマリエの新年会でした。
 主任司祭のU神父様と指導司祭のS神父様も出席され、時間の経つのも忘れるほど楽しい会でした。
 この日の主朗読のように “ 共に過ごす時を体験すること ” の大切さを改めて教えて貰いました。

 ところでもう一つは “ 大寒 ” も過ぎた頃、最後の職場で共に仕事をした仲間たちとの会です。
 さて、こちらはどんな時間を共にできるのでしょうか、今から楽しみでなりません。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1486

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星の耀き ‐ 本日は安息日、です。

2018年01月07日 | 聖堂/教会/聖書

 今年初めての三連休、皆さん如何お過ごしですか。
 明日の “ 成人の日 ” が移動祝祭日になって六年になるそうですが、故郷を離れてこの日を迎える方のために、お盆などに式を行うところも多いと聞きます。

 祝祭日と言えば、今日(1/7)は「主の公現」の祭日、福音朗読はマタイ第2章です。

 マタイは、ヘロデ王の代にベツレヘムで生まれたイエスを、「東方でその方の星を見た」と<東方の三博士>が訪ねてくる、と記しています。
 そして、ヨセフとマリアは、メシアの誕生を恐れたヘロデの迫害を逃れるため、イエスを連れ<エジプト>へと逃れるのです。

 この箇所、フランシスコ会の口語訳聖書には、“ 王は博士たちに、行ってその幼子を丹念に探しなさい ” とあるそうですが、博士たちは星に導かれ丹念に幼子を探したのでしょう。
 私たちも “ 博士たちのように、星の輝きに気づき丹念に探すことが大切 ” だと教えているそうです。

 ところで昨日の朝日、“ 私の折々のことばコンテスト2017‐その一言のチカラ ” が載っていました。
 最優秀賞は、大阪府出身で熊本県の農業高校3年の遠山桃々乃さんの “ あんたの根っこ見つけて水やり続けるねん ” でした。

 遠山さんは、“ 農業を学びたいのに親も先生も賛成してくれない。3年間、一緒に花壇の世話をした用務員さんだけが『自分の根は自分にしか分からへんねや』と応援してくれた ” と言葉の意味を説明していました。

 天声人語氏も、“ 言葉の真価は、誰が言ったかではなく、誰が聴いたかで定まる ” と書いてい、頷かされます。

 成人式を迎える君、あなたの未来は “ 輝く星 ” のように希望に満ちています、頑張って下さい。
 では、今年、最初の主日ミサ(日曜礼拝)に与るため、教会に行ってきます。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1479

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする