ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

再開と再会 ‐ 7月がゆく

2012年07月31日 | 季節/暦

 昨秋、涼しくなって止めていた早朝散歩、天神さんの数日前からぼちぼちと再開。

 初めた昨年の7月末頃、朝の5時と言えば少し暗かったが今の5時は明るく、たった10日ばかり早いことで、随分と日の出時間が違うものだと感心する。

D1_1w_2D2_w_3 大阪では天神さんの頃が一番暑いと言われるが、二十四節気では、22日からの大暑が過ぎると立秋。
 これからまだまだ暑い日が続くのだろうけれど、お日様が出入りする時間は少しずつだが秋に向かっている。

 話はそれたが、この早朝散歩、外出に今ひとつ自信が持てな
E1_wE2_wくて、フラストレーションを貯めウジウジと過ごす日々、何時までも半径100mほどの散歩で茶を濁してはいられないと思ったのが再開した理由。

 早朝から働く人や足が急く通勤の人には申し訳ないが、ぶらぶらと歩いていると見慣れた景色が続く。

 道端や鉢植えの花に目がゆき、「あっ、この花去年も」と思い出し、「今年も咲いてくれたんだ」と嬉しくなる。
 ただ、昨年に比べて総じて花が少し疲れているように思える。夏の花から秋の花へと代わる時期なのかも知れないが?

F1_wF2_w 余談だが、この早朝散歩、何か目的を持たないと続かない。
 去年は、可愛い花や珍しい花などの写真だったが、今年はそれに加えて面白い看板があればと思ったのだが、どうも無理のようだ。

 ヨーロッパの町を歩いていると、ユニークな看板に出会い思
G1_wG2_2wわずにやり、他店と競うように軒先に並ぶ様は見て歩くだけで飽きない。
 それに比べわが町、日本橋の道具屋筋に売っている行灯型に屋号を入れたお決まりの看板ばかりで味気ない。

 そんなことを考えながら我が家まで戻ったが、道を挟んだ向かいが広告会社、屋上や壁に看板制作の大きな広告が架かっている。
 美的感覚や機知などとは無縁、いかにも直截な看板屋の看板を見上げ、改めてうべなるかなと思った。

 そんなこんなで、原発再稼動にオスプレイ、豪雨災害など人災天災織り交ぜて騒がしくも7月がゆく。
 再開した早朝散歩とそこで再会した「カンナ」「ペンタス(桃)」「野牡丹」「紅葉葵」、そして、「桔梗」「変種の立葵?」「ペンタス(赤)」「小海老草」たち。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.494

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ロンドン

2012年07月28日 | イギリス

 今、ロンドンが熱い。
 30回という節目の夏季オリンピックが、この街で今日(日本時間)から開かれる。
 既に一部の競技は始まっていて、なでしこジャパンに負けじと男子サッカーも好発進。

 05年7月のIOC総会で、パリ、ニューヨーク、モスクワ、マドリードという錚々たる顔ぶれ、なかんずく本命視されたパリを破って選ばれたときは驚いた。
 ちなみに、204の国と地域が参加しているのだそうだが、「へ~え、そんなに多くの国があったの?」と驚く。

A2_9111A1_9111_2  話は変わるが、20年ほど前、生産性本部の海外研修で降り立った地がロンドン、初めての海外旅行だった。
 旅のメモに当時のことを、“ 夕闇迫る初冬のヒースロー空港、ホテルへ向かう車窓から眺める街はやけに暗い ” と残している。

A3_9111_2  そのロンドン、民家の屋根には幾本もの煙突が並んでいた。
 石炭で暖を取っているらしく、部屋の数だけ煙突があって、その煤で街全体が薄黒く汚れていた。
 壁にこびりついた煤を洗い始めた時期でもあったらしく、所によっては街が縞馬のような模様を描いていたのを覚えている。

 研修途中にバスからちょいと降りて覗いただけだが、最も陰鬱な印象を受けたのがロンドン塔。
 午後も遅くしかも小雨混じり、その昔、監獄として使われた名残のトーチャ(拷問)展をしていて一層陰鬱感が。

 写真(上)は、その91年当時のロンドンの街(上‐左)、ロンドン塔(上‐右)とタワーブリッジ(下)。

B1_2a_pa250031 10年ほども後にタワーヒル駅から眺めたロンドン塔は、昼下がりという時間もあって昔日のイメージはなかったが、それとても隣接するタワーブリッジ辺り、テムズ川にかかる雲が暗く重かったような。

 84年に出版された「七色のロンドン」(浅井泰範著/朝日新聞社刊)、その前書きで、“ ロンドンにも色はあった ” と逆説的に書いているが、この
街の陰鬱感、傘が手B4_2B3_5放せない 気候とアングロ・サクソンというヒトの種によると勝手に思っている。

 写真(下)は、03年当時のロンドン塔(上)とビクトリア駅界隈(下‐左)、そして、09年当時、テムズ川のリバーボートから眺めたビッグベン(下‐右)。

 話を戻して、この歳にもなり、しかも癪に触るが病を貰ったりすると、オリンピックに限らずサッカーのW杯もそうだけれど、「ひょっとしてこの大会が見納め」なんて、詰まらないことを考えたりも。
 心配してくれる人からは、“ 病気と恋に落ちちゃうぞ ” と戒めの<コメント>も貰ったけれど。

 とまれ、“ ニッポン ガンバレ! ” とエールを送ろう。それにしても時差8時間、「眠いよな~!
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.493

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ルドン(2) ‐ オルセー美術館(14)

2012年07月25日 |  ∟フランスの美術館

 象徴派の詩人たちと交遊、神秘的な題材、花や女性などを幻想的な色彩で描いたオディロン・ルドン(1840-1916 / フランス・象徴主義)。
 版画、木炭画、油彩の他に多くのパステル画を描き、その秀作の多くをオルセー美術館が収蔵している。

 展示室が分からず、少しウロウロとさせられた。
 パステル画は、固着力が極端に悪く、触ると絵具が剥がれるなど保存が極めて難しいという。
 ルドンやドガのそれは、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの「ダ・ヴィンチ・カルトン」と同じように、太陽光を遮った薄暗い展示室で、ガラス入りの額の中に手厚く保護されていた。

 そのルドンのパステル、制作年順に二回に分けて書く。

 11880 11895 218951900 

「刺繍するルドン夫人の肖像」(1880/パステル) 彼とカミーユの結婚式が行なわれた年に描かれた
「血の花」(1895年/パステル) 腰を洗う水面と光輪を帯びた星が輝く夜の背景は「仏陀」にも見て取れる
「赤い衣の女」(1895-1900/パステル) 彼が死ぬまでアトリエの壁にかけられたままだったとされる

 コンテ・クレヨンの赤褐色・サンギーヌは、柔らかく顔と髪に影をつけ、パステルによる補彩は衣服を際立たせている「<左向きのルドン夫人の肖像>」。
 稀にみる質を備え、その慎みと優美さは対象のルドン夫人の様々な美質を反映しているとされている。

 31900 41904_2 51905

「ジャンヌダルク」(1900/パステル) 女性の横顔の主題を巡って彼が描いた様々な絵の中でも、最も美しいとされる絵のひとつ
「ステンドグラスの窓」(1904/木炭とパステル) ぼんやりとしたステンドグラスの両側に柱、右下に天使がひとり頭蓋骨のようなものをもっている
「左向きのルドン夫人の肖像」(1905/サンギーヌとパステル) まったく無駄のない一本の線が横顔と胸部の輪郭線を画している

 1878年、ルーヴル美術館のアポロンの間にドラクロワが描いた天井画の主題について彼は、“ その大いなる表現、主特徴は如何なるものであろうか・・・。それこそは夜と暗闇の悲しみに対する真昼の喜びであり、苦悶の後にやってくる心地よい感情の喜びのようなもの ” と分析している。

 6190607 7190910 91910_2

「仏陀」(1906-07/パステル) 彼にとって仏陀は精神性によって輝き、晴朗な自然に包み込まれ、そこでは大地もそしてまた空もこの夜のものならぬ花々となって広がってゆく
「アポロンの馬車」(1909-10/油彩とパステル) 1905年頃より好んで「アポロン」の主題を描いた
「冠」(1910/木炭とパステル) 第一次大戦前夜ベルリンでの国際展に出品、トルコ青のきらきらした背景に枝の冠の緑が際立つ

 オディロン・ルドンのパステル画、実に素晴らしいものだった。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.492

 ※ 絵と制作年次はオルセー美術館の公式HP、解説はロズリーヌ・バクー著「オディロン・ルドン」(美術出版社刊・本江邦夫訳)を参考にしました。

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ルドン(1) ‐ オルセー美術館(13)

2012年07月22日 |  ∟フランスの美術館

 待望の第40室、この部屋には、カタリナ が推す<オディロン・ルドン>(1840-1916 / フランス・象徴主義)、これまで何度か小ブログにも登場した。の、油彩が架かっている。

 まずは、ルドンの最も重要な作品のひとつ「目を閉じて‐ 瞑目」から。
 それまでの作品は、木炭画「笑う蜘蛛」 (左/オルセー美術館蔵)の様に一見不気味で奇怪な世界を木炭やリトグラフを用い、黒という単色のみで構成される色彩で描いたものが大半である。

 A2_7 A2_1890_2  

 水面らしき地平の彼方で眼を閉じた巨大な女性が描かれている「目を閉じて」(右)
 
それまでの作品と異なり、心に染み入るような温もりを感じさせる豊潤で幻想的な色彩が溢れる

 長男が生後6カ月で死去し大きな失望を味わったルドンが、その3年後に次男を授かったことで、画家自身が里子に出され孤独な幼少期を過ごしたことも含めて、これまでに得ることができなかった幸福感に満たされたことが、画家の作風に決定的な影響を与えたとされている。

 ところで、前回、ゴーギャンのことを書いた。
 ルドンとゴーギャン、表現スタイルの違いから交遊はないと勝手に考えていたが、同時代にパリで活躍したふたりが出会わない筈がなく、最後となった印象派展にルドンが参加した時に出会ったとされている。

 ゴーギャンが亡くなった年、ルドンは美術誌上で、“ ゴーギャンは自由な洗練された野人、超然として汚れなき彼の美しき作品たちを目にしようではないか ” と述べたとされているが、その「ポール・ゴーギャンの肖像」が架かっていた。

 B1 B2_190305

  訃報を受けて描いたとされる「ポール・ゴーギャンの肖像」(左/右)、
 いかにもルドンらしい佇まいのなかにゴーギャンがいる

 ところで、彼はパステル「アポロンの二輪馬車」(オルセー美術館蔵)など神話を主題にした作品の他に、「エヴァ」や「エジプトへの逃避」など宗教を主題にした油彩も描いている。

 C1_1904_2 C2_2   Navet1875 

 創世記に登場、禁断の実を食べた「エヴァ」、
 彼の抱く永遠の女性像とそこに生まれる崇高な美を体現(左)
 
ユダヤの王ヘロデからの迫害を前にエジプトへ逃避する聖家族を描いた「エジプトへの逃避」、
 神秘的で不安定な闇に包まれながら放つ光で表現
している(中)
  そして、少し珍しい題材の「蕪」(右)

 美術誌によれば、“ 無意識下の世界を描写したかのような幻想性と夢想性に溢れた独自の世界観 ” を表現したフランス象徴主義の巨匠オディロン・ルドンの油彩。観る者を神秘の世界に引きずり込んでやまない。

 注)絵はオルセー美術館の公式HP、解説はロズリーヌ・バクー著「オディロン・ルドン」(美術出版社刊・本江邦夫訳)などを参考にしました
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.491

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俎上の雑魚?

2012年07月19日 | 日記

 7月中旬、術後半年目の健診を受けた、検査項目は、腫瘍マーカとCT写真のふたつ。
 些か忍耐が伴う内視鏡検査は免れたが、何故か、CT検査は造影剤を使っての腹部撮影と日を置いて胸部撮影の2回。
 大腸腺がんはリンパ節の他に肝臓と肺に転移する確率が高いからと聞く。

 そう言えば告知を受けたおり、胸部の断層写真を見せられたが、仁丹粒ほどの点が光っては消え、消えては光るので、「随分と綺麗なもンですね」と話したら、苦笑しながら、「これが悪さするですよ」と教えられ驚いたことがあったが、大したことはなかったのだろう。

 話はそれたが、連休明けの酷く暑い日、カタリナ と一緒にその結果を聞きに出向いた。
 外科外来、相も変わらず多くの人が順番を待っていて、指定された時間から遅れること小1時間、ようやく診察室へとお呼びが掛った。

 その時の心境たるや、主の思し召しのまま、俎上(そじょう)の魚、俎板(まないた)の鯉というところ。
 主治医の先生、開口一番、「特に、問題もないようです」とのこと、ホッと胸を撫で下ろす。

 Photo_3肺に小さな影があるものの、大きくも小さくも変化していないので大丈夫という。
 多分、若かりし頃の影で、40数年経った今も写るらしく健診の度に言われる。

 3月後の血液検査を予約して終わった。
 1時間も待ったのに5分で終わり? と呆れることもない、ことさら告げられることがないのは吉兆。

 例のストーマ閉鎖後のコントロールだが、今の状態を訊ねて、「そんなもんでしょうね」と診断。
 先生にとっては予定調和、予期した通りにことが運んでいると受け止めているようだ。

 何にしても好かったと、少し早めの昼食に寿司屋さんに入ったらエアコンが壊れていて、こちらは予期せぬ節電? に付き合わされてしまったけれど。

 Na さんからの「露草」と「虎の尾」、当方の都合で少し花の時期を外してしまった。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.490

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蝉の声

2012年07月16日 | 日記

 日曜の朝、起床して窓を開けると空がどんよりと重い。
 ホーム・ページの天気予報に、未明に阪神地域に大雨、雷、洪水の注意報が出ているとあっていささかうんざり。

 ところで、夏の時期特有の朝曇りに加えて雨含みのぬるい風にのって、あのミンミンという小うるさい音が届いた。
 今年初めて耳にする蝉の声だ。

 P11204842_2関西では、京都の祇園祭の山鉾巡行が始まる頃に梅雨が明け、大阪の天神祭の船渡御の頃が一番暑いとされている。
 何時の間にか移動祭日になっていた「海の日」を明日に控え、今年もそろそろ明けるのかな? と蝉の声に耳を傾けた。

 話は変わって、主日(日曜礼拝)ミサ、またしても出(られ)なかった。
 これまでの小ブログを通じて、ことほどさように何時までもウジウジと外出を躊躇うの? と思われる方、多いかも知れない。

 繰り返しになるが今回の手術、病巣が直腸の超低位にあって、開腹次第だが場合によってはリンパ節やらその周辺、「根こそぎ剥がさなければならないかも」と告げられた。

 最悪のことも覚悟、すべてを受け容れ主治医に委ねた。
 ただ、その場合でも肛門だけは残して欲しいと、少しピント
がずれたような頼み事をした。
 不幸中の幸いか限られた切除で済み、一時的にストーマをつけて縫合部の回復を待った。

 Photo3月の末に部位を内視鏡で確認、その埋め戻し手術をして貰ったのだが、主治医からは、「元の状態に戻るのに最低半年はかかる」と言われ、今まさにその言葉を痛感している。

 少し尾篭な話でもありこれまで詳らかにしなかったが、外出を避けるペトロ を少なからず気遣って下さる方もあって、取るに足りない小さなことだけれど、弁明というか事情を明らかにと思った次第。

 ということで、秋風が吹く頃になれば、温泉行を兼ねて墓参、主日(日曜礼拝)ミサ、美術館巡り、できれば小さな旅行などもと、ささやかに思っているのだが・・・。

 いわゆる下ネタに類する今日の話、頂いた高槻のNaさんには申し訳ないが、口直しに爽やかな白い「桔梗」を添えた。
 蝉の声で夏を実感、少しでも涼を感じて貰えれば幸い。
 もう一枚は、「サフラン疑(もど)き」らしい? のだが定かでない。お教え頂ければ嬉しい。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.489

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続・喜寿のお祝い

2012年07月13日 | 茶事/茶会

 のお仲間のお三方が、芽出度くも七十七歳の喜寿を迎えられた。
 その<お祝いの会>を、七の数字が重なる七夕様の日に計画したことは既に書いた。

 計画の発端はと言えば、今回、喜寿を迎えられるおひとりの N さんが、ご自身の還暦のお祝いに、「朱茶桶を二、三年もかかって作ったのに、使わないままになってしまった。折々に求めた茶碗などもそう。どこかで使って貰えませんか」と、昨年の何時頃だったかお伺いしたことに遡る。

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 華甲(還暦)の祝いでお使いにならなかったのなら、会が発足して二十五年の節目の今年、しかも、お三方が喜寿、重なる慶びの場にと考え皆さんのご賛同を得た次第。
 発足時からメンバーのFさん、介護のため福岡に転居されたが、この日は遠路参加して下さり、懐かしくも共に慶びあった。

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 お三方への記念の品だが、いろいろと悩んだ末に、そのままの姿を長く楽しんで貰えるプリザーブトフラワー、月に一度花を教えているNmさんとAkさんとで拵えた。
 名付けて若々しくも、シンデレラ・シューズ、喜んで貰えただろうか?

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 さて当日、皆さん日頃の御精進よろしく、前夜来の雷や激しい雨も上がり、牽牛と織姫も天の川での逢瀬が叶うであろうというまずまずのお天気。
 和気藹々(あいあい)、薄茶席の前にまずは昼餉の席へ。

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 姫百合の床には私の一字が入った軸「祥雲繞寿山」(しょううん じゅざんを めぐる)、薄茶器は、当時庸軒流を学んでおられたNさんの十五年余の想いの詰まった朱茶桶・藤村庸軒好、唐津焼きの茶碗が渋い色合いなので茶杓は春慶塗、無銘なので勝手に宝樹と付けさせて貰った。
 柿右衛門の水指の花鳥模様の朱、建水は内朱の木地曲げにし、なかに七夕にちなんで備前焼の糸巻きの蓋置を組んだ。

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 お菓子は七夕の短冊が見える「願い」の銘、干菓子はFさんがお持ち下さった鶏卵素�跟、銘「たばね」、お茶はこの秋に二十六年目になる会に相応しく「万暦の昔」を使った。

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 ところで、Niさんお召しの洋服、二十代の頃に茶会で着ていらした着物をご自分でリメークされたとか。
 その昔日の茶会の写真を拝見しながら次は「米寿ね」、なんとも賑やかなお祝いの会を楽しんだ。

 ペトロ、「記念に小さなアルバムを」を、と言っていたが、さて、出来映えのほどは? (
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.488

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健気な花? ‐ 散歩道

2012年07月10日 | 散歩道/山歩き

 豪雨と表現しても届かないような雨が、それも降らない日はないと言ってもいいほどの暴れ梅雨。

 それが嘘のように七夕さまの日、土曜日を境に、まるで一気に梅雨が明けたかのように、眩しいばかりの天気が一昨日から今朝(火曜)と続いている。

 週明けの月曜のことPhoto、カタリナ、月末に予定している “ 夜咄の茶事 ” のレジュメ、日曜のTV囲碁の時間も犠牲に午後半日これに付き合わされた。を、抱えて「出かけなきゃ駄目よ!と言い残し稽古に出た後、「さて、どうすベい」と思案。

 そこで思いついたのが、主日(日曜礼拝)ミサに出席できず、延びのびにしていた教会への献金のこと。
 以前、「<聖体泥棒>」の稿で、代父のSさんが当方の事情をお知りになり、わざわざお見舞いをお届け下さったことは書いた。

 そのSさんへの “ 内祝い(快気)”、全快はしていないもののひと区切りをつける場合にはこのように表記するらしい。を、ささやかだけれど教会への献金とさせて頂く旨、Sさんには御礼の絵葉書の隅に書いて送ったのだが、予後に加えて生来のずぼらな性格ゆえ、肝心の献金が出来ていなかった。
 カタリナが用意をしてくれていたのに・・・。

 Photo_3で、真夏を思わせる素晴らしいお天気に誘われ、散歩も兼ねカメラ片手に教会に出向いた次第。
 JRのさくら夙川駅から夙川堤を北へ、人影も殆どない教会の司教舘(事務所)で献金を預け、阪急夙川駅から少し南、夙川河川敷緑地を抜けようとしたら、賑やかに盛りを迎えた蒲(がま)の穂と池を二分、見事な蓮の葉の群れの中にピンクの蕾が二つ三つ、厳しい日差しの中にあるのが見えた。

 「暑さのなかにあってこその蒲と蓮」などと、訳の判らないことを呟きながら駅に向かっていると、民家の軒際に今度は凌霄花(のうぜんかずら)が。
 ちなみにこの花、そら(霄)をしのぐ(凌)ほど高く登るところが名の由来とか。

 梅雨の合間、炎天の日差しに聊かもめげる風もなく、「健気なこった」と声を掛けながらカメラに収めたが、そこでふと、「去年も同じようなのを撮っていたような・・・」と苦笑。

 凡々とゆく日々、愛おしくも、また、感謝。今日(火曜)から半年目の検査が始まる。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.487

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ルソー / ゴーギャン ‐ オルセー美術館(12)

2012年07月07日 |  ∟フランスの美術館

 秋たけなわ、というよりも冬への先駆けというべきか。
 猫の目のように目まぐるしく天気が変わるノルマンディ地方、少しタイトだった<モン・サン・ミッシェル>の巡礼を終え、オルセー美術館の旅を再開する。

 第42室には印象派時代に活躍、素朴派を代表するフランスの画家アンリ・ルソー(1844-1910)の「蛇使いの女」と「戦争」が架かっている。
 彼の代表作、満月の輝く光によって神秘的に照らされる「蛇使いの女」は<オランジュリー美術館>の稿でも書いた。

 A1 A12_3 A2_2 
 「蛇使いの女」(左)は、逆光によってそのふくよかな体が影絵で描写されている
 ♪ その瞳(中:部分)だけは、作品を観る者を見据えるかのように際立って妖しく輝きを帯びている

 ♪ 「戦争」(右)
 ♪ 炎と剣を手に死体の上を駆け巡る戦争の擬人像として、黒と対照的に白い衣服に身を包む

 第44室はルソーの「戦争」に描かれた馬のような動物や、肉を啄ばむ鳥などに用いられている黒に、強い衝撃を受けたとされる後期印象派・象徴主義、フランスの画家ポール・ゴーギャン(1848-1903)。

 彼は、<ゴッホ>の誘いを受け南仏・アルルを訪れるが、二人の共同生活はゴッホの耳切り事件などもあって、わずか二カ月で破綻したことでも知られている。

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 ♪ アルル時代のゴッホ、「アリスカンの墓地への路」(左/クレラー・ミューラー美術館蔵)を描いている
 ♪
ゴーギャンもそのアルル滞在中に「アリスカンの郊外」(右)を描いている

 ゴーギャンが娘の死をきっかけに自殺未遂を図った翌年に制作された「白い馬」は、アテネ・パルテノン神殿の浮き彫りに着想を得て描かれた作品とされている。

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 ♪ 水辺で脚を休めて水を飲む白馬を穏健な構図で描いた「白い馬」(左/右)

 彼がこの作品に用いた緑と浅葱と薄黄色は、非常に幻想性に溢れるもので、この為に依頼主から受け取りを拒否されるという曰くつきの作品とされている。
 黄色といえば、「黄色いキリストのある自画像」も架かる。

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 ♪ 「黄色いキリストのある自画像」(左)
 ♪ 背景に自身の作「黄色いキリスト」(右/オルブライト=ノックス・アート・ギャラリー蔵)を描いている

 また、後年、タヒチ滞在期に描いた「アレアレア」と「タヒチの女たち」も架かっていた。

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 ♪ タヒチの女性を南国ポリネシアの情景と描いた「アレアレア」(左)「タヒチの女たち」(右

 観る者の目を強く惹きつける、原色とも思える鮮やかな色彩の表現には、画家の優れた色彩的個性が顕著に表れているとされている。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.486

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イタリア料理を習う

2012年07月04日 | 宗幸雑記

 茶のお仲間の T さん、ご自宅で料理教室を開いておられる。
 お仲間のひとり Tm さん、予ねて、「冷製パスタを美味しく作りた」と思われていたらしく、彼女の呼びかけで、いつも一緒に学ぶ5人が教えて頂くことになった。

 お仲間ひとりの N さんは、懐石料理を長い間勉強されたこともあって玄人裸足。
 M さんは手早く美味しく作るのを得意とされているが、この機会に忙しいときに助かる料理を教えて貰うとか。
 私はと言えば、有るもので済ますいい加減なタイプ、ましてや、きちんとしたイタリア料理なんて門外漢、この機会を楽しみにしていた。

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 まずは、この日習う料理のレクチャーを受けて、さあ、「簡単トマトソース」からチャレンジ!

 この日のお勉強、まずは、「簡単トマトソース」から。
 ピザ、パスタなど、何にでも合うソースで、冷蔵庫で2週間ほど日持ちするので作り置きに重宝で、にんにくをエキストラバージンオイルで、弱火でじっくり焦がさないように炒めるのがコツとか。 
 にんにくのエキスの溶けたオリーブオイルはパンにつけても最高。高脂肪なバターと違って低カロリーなのでダイエットにもいいのだそうだ。

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 「冷たいトマトのカッペリーニ」と「アスパラガスのカルボナーラ風」です

 続いて「冷たいトマトのカッペリーニ」と「アスパラガスのカルボナーラ風」。
 カッペリーニとは極細パスタのこと。パスタの茹で湯に入れる塩は1リットルに10g、減塩したいときは8gでいいそうで参考になる。

 冷製の場合、パスタの分量は通常の半分以下にするのが美味しく頂くコツとか。
 「素麺でも食べ過ぎると胸が悪くなるでしょ」と言われたが、そうなんですよね、素麺を頂いていると最後の方では胸が悪くなることもあって納得。

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  「カルトッチョ・魚の紙包み焼き」、左から、紙に包む前、そのアップ、そして、焼き上がりです

 次ぎに習ったのが、メインディッシュ「カルトッチョ・魚の紙包み焼き」です。
 どの料理も、お味は勿論のこと盛り付けも美しく、大満足でした。

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   出来上がった三品、エキストラバージンオイルをつけたパンと一緒にいただきま~す 

 最後は 先生手作りのデザート、「パンナコッタ」を頂いて終了。姦しくも楽しく、時間の経つのも忘れてしまいました。
 T 先生のお料理教室、調味料や香辛料など普段家庭で使うものばかりなのが嬉しい。
 コースも、オーソドックスな和・洋・中クラスに加え、伊・仏からタイ・韓など実に多彩、3名揃えば(5名以内)グループで参加できるそうですよ、是非どうぞ!

 ところで、「教わったとおりに作れるの」と誰か、そうなんですよねえ、「そこが問題なんだよなあ」。
 それにしても、何時にも増しての下手な写真でごめんなさい。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.485

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