ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

哀切 ‐ 2月がゆく

2016年02月29日 | 季節/暦

  世間(よのなか)は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり (大伴旅人/万葉集5巻793)

 二十四節気のひとつ雪が雨に変わり氷や雪を溶かす頃とされる “ 雨水 ” (2/19)も何時の間にか過ぎて、漸く春が顔を覗かせてきたような。

 暖かかったのか寒かったのか、よく判らないままに季節が変わろうとしている。
 この時季、時には口さがなく 「芽吹き時には・・・」と揶揄されるようにもあって、気持ちが浮いたり沈んだり、なにかと考え込まされることが多い。

 話は聊か暗くなるが、“ 介護中の妻殺害容疑の83歳、二週間食事拒み死亡 ” (朝日・2/24)との記事を読み考え込んでしまった。

 そこには、“ 二、三年前から認知症になり自宅で療養中の妻(77)の介護に疲れ、無理心中を試みたものの死にきれず、自ら 『妻を殺した』と110番した ” とあった。

 ここまでは稀にしろ耳目にしないでもないが、“ 容疑者(83)が、その後、約二週間、留置場で水以外の食事を殆ど採ろうとせず衰弱、病院に搬送されたものの、ここでも食事を拒み病死した ” と記事は続いていて絶句。

 紙面には、“ 近くの女性(73)は 「買い物にも二人で連れ添って歩くような夫婦だった。自分の具合も悪いし妻の世話も大変だと漏らしていた」と話した ” ともあった。

 記事を読んでいて、許されざることと判りつつも決意するに至った、また、絶食することで罪を贖った彼の心の内を哀れまずにはいられなかった。 

 彼の身勝手な行為を擁護する訳ではない、それに、残された家族の心情を思うといたたまれなく、気が重くなる。

 が、家族を含め周りに迷惑を掛けたくないという、彼の矜持みたくなものを、理性の端っこで理解(わか)る気持ちもあって、納まりがつかず、正直、困ってしまった。

  にもぞ人は死にする水無瀬川 ゆ我れ痩(や)す月に日に異(け) (笠郎女/万葉集4巻598)

 妻を亡くした大伴旅人の男心も、伏流水のように人知れず私はやせ衰えてゆきます、月日を追うごとに・・・と、恋する人を想う笠郎女(かさのいらつめ)の女心も切ない。

 暗い話で気も滅入る、せめても 「カレンデュラ」、和名 「金盞花」を添えて明るくと思ったけれど、その花言葉は 「別れの悲しみ」 「悲嘆」とか、そんなやるせなさを知らぬげに、春の風に吹かれ如月・二月もゆく・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1100

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ガラスの天井

2016年02月26日 | 日記

 世界のカトリック教徒から パーパ 、日本では パパ様 と慕われるヴァチカンのローマ法王。

 二代前の法王で 空飛ぶ聖座 とも呼ばれた<ヨハネ・パウロ2世>を彷彿させるフランシスコ法王、平和や貧困の撲滅のため文字通り東奔西走のようだ。

 近くでは、11世紀に分裂した東方教会との和解を求め、ロシア正教会キリル総主教とキューバの首都ハバナで会談(上/HPから)。

 その足で訪問したメキシコでは米国との国境の街シウダフアレスを訪れ、中米から命がけで米国に向かおうとする移民たちを寛容に受け入れるよう呼びかけ、両国を隔てるリオグランデ川沿いで行われたミサで、国境地帯で命を落とした人々に祈りを捧げたという。

 ところで、米国の次期大統領を選ぶための予備選が佳境。
 アイオワ州とニューハンプシャー州が終わり、民主党は第三戦(2/20)のネバダ州でクリントンが、共和党はトランプが、第四戦(2/24)のネバダ州でサウスカロナイナ州に次いで3連勝した。

 今回の予備選、政治一家出身で主に大企業からの献金を頼りに選挙を戦う、既成の候補者が苦戦しているようで、当初、本命視された共和党のブッシュも、第三戦の結果を受けて撤退を余儀なくされた。

 1980年に勝利したレーガンによる富裕層優遇政策は次第に貧富の格差を増大、8年前にオバマが当選した辺りから若者を中心にした市民層の反発を招き、今回の予備選、メディアも含めた既存の体制に与しないとの傾向をさらに強めているとされる。

 両党とも、当初は泡沫ともされた候補者が、特異ともみえる政策で今や本命視されているとか。
 取分け右端に軸足を置いたトランプの躍進が目覚ましく、ムスリムの入国拒否やメキシコ国境に壁を設けるなどの過激な発言が、排外的な市民層の熱狂的な支持を獲得、加えてネバダ州ではスペイン語系のヒスパニックからも多くの支持を得たとか。

 メキシコ訪問からの帰路の機中会見で、橋ではなく壁を築くことばかり考える人はキリスト教徒ではない と述べた法王に対しトランプは、宗教指導者が他人の信仰を疑問視するとは恥ずべきことだ と猛反発したとも報じている。

 他国のトップに誰がなろうが知ったこっちゃないが、この国のする事なす事に悉く追随するしか能のない日本の政権ゆえ、米国民にはしっかり選んで欲しいとは思う。

 で、次期 White House ・ホワイトハウス(下)の主人に相応しいのは誰かって?
 フェミニスト
、和訳には女性に甘い男の意もあるらしいけれど。 として、 “ ガラスの天井 、性差や人種などを理由にキャリアアップを阻む状態を “ 見えない天井 になぞらえた比喩表現。 に、挑む女性候補に取り敢えずは期待しているんだけれど、どうなンだろうねえ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1099

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続・フェルメール ‐ アルテ・マイスター(5)

2016年02月24日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ/ドレスデン国立美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(6)

 ヨハネス・フェルメール(1632-1675/オランダ絵画黄金期)の初期の作とされる 「窓辺で手紙を読む女」、または単に 「手紙を読む女」。

 1742年にザクセン選帝侯アウグスト3世が、同時代のレンブラント(1606-1669)の作品と信じ購入したという曰くを持っている。

 ちなみに選帝侯は前年に「<娼婦 ‐ 取り持ち女>」を購入している。
 またこれら二作品は、二次大戦で連合軍の空爆から逃れるためモスクワへ運ばれたそうだが、1955年に返還されたという。

 光の画家としても知られているフェルメール。
 本作でも、大きく開け放たれた窓から注ぎ込む光が、女性の背部のカーテンや壁に映える様と窓際の暗い部分とを対比。
 さらに、東洋風の織物と傾いて果物がこぼれそうな大皿、手紙や女性の額から巻き髪を照らす光によって、写実的な効果を高めている。

 女性は開けられた窓の前に立ち、手紙に集中しているように見える。
 その様子から彼女は恋文を読んでいるに違いないと確信させ、表情からその手紙が必ずしもよい知らせではないのではと推測させる。

 そして、彼女は閉じ込められているようにも見えるのである。
 そんな効果をもたらす画面の右部分を隠すカーテン、当時のオランダで流行したトロンプ・ルイユ、騙し絵的な要素を取り入れたものとされ、レンブラントの 「<猫のいる聖家族>」(ドイツ/カッセル美術館蔵)などでも用いられている。

     

 後先(あとさき)になったが、本作に描かれるのは構図などが似た 「青衣の女」(左/アムステルダム国立美術館蔵)、「手紙を書く女」(中左/<DC/ナショナル・ギャラリー蔵>)、「婦人と召使」(中右/<NY/フリック・コレクション蔵>)、「恋文」(右/アムステルダム王立美術館蔵)など、画家が生涯に多く手がけた画題、“ 手紙と若い女性 ” の最初の作品とされている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1098

 ※ 「フェルメール ‐ アルテ・マイスター(4)」へは、<コチラ>からも入れます。

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フェルメール ‐ アルテ・マイスター(4)

2016年02月22日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ/ドレスデン国立美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(5)

 二階中央部から左翼棟の第1室、ドイツ・ルネサンスからスタートしたアルテ・マイスターの旅。
 各編 「短く!」の目論みは早くも崩れ、「長いじゃない!」の声も聞こえないじゃない。

 で、心を入れ替えた?今編、展示室が段差のある小さな廊下で結ばれた第1室。
 その上部フロアに架る、オランダ絵画黄金期の画家ヨハネス・フェルメール(1632-1675)を短く。

 作品は二点、そのひとつが 「娼婦 ‐ 取り持ち女」(上)。

 生涯に描いた作品は四十点にも満たない<寡作>のフェルメール。
 本作はその数少ない現存する作品のなかで、“ 署名 ” が残される三作品のひとつとされ、1656年と最も初期に描かれたものとされている。

 大きなグラスを手にした女性が、女性の胸に手を置いた兵士から今まさに金貨を受け取ろうとしている。

 その兵士の隣、暗い服の人物は女衒(ぜげん)で、その容貌は男性とも女性とも見極めがつかないが、恐らく女性とされ、副題の 「取り持ち女」の由来ともなっている。

 左端で、にやけた顔でグラスを持つ若い男、彼の 「絵画芸術」(下/ウィーン美術史美術館収蔵)に登場する人物と同じモチーフ、表現で描かれてい、当時23歳だった画家の自画像とされているようだ。

 また、本作から20年ほど前にレンブラント(1606-1669)が自画像として描いた 「放蕩息子の酒宴」(ドレスデン国立美術館蔵)との表情の類似性から、新約聖書の<放蕩息子>を連想させるとの説もあるようだ。
 ちなみに、その 「放蕩息子の酒宴」、後日、小編に投稿する予定。

 しかし、極めて世俗的なテーマ、構成で描かれていることから、フェルメールが宗教画から風俗画へと作風を転換させた時期の基準的な作品と見做すのが妥当なようだ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1097

 ※ 「デューラー‐アルテ・マイスター(4)」へは、<コチラ>からも入れます。

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デューラー ‐ アルテ・マイスター(3)

2016年02月19日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ/ドレスデン国立美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(4)

 ドイツ・ルネッサンスからスタートした名作選の旅。
 「また彼なの!」という声が聞こえてきそうだが仕方がない、ドイツ美術史上最大の画家を避けては通れない、しばしお付き合いを。

 と、ここまで書けばもうお分かり頂けたと思う。
 アルブレヒト・デューラー(1471-1528 )、その彼の 「聖母の七つの悲しみ」(上段/左)が今回の作品。

     

 エルベ川沿いの町ヴィッテンベルクの城内聖堂のためにフリードリヒ賢明公の委嘱によって描かれたとされる本作、「聖母の七つの喜び」が描かれた右半分は失われたという。

 ところで本作、中央部の 「聖母」(上段/中)、切り離されたときに18センチ短くされたらしい。は、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークが収蔵している。

 その中央部の聖母は、彼の直筆とされているが、他の七つの場面は、構図、色彩、タッチなどの違いから、彼の工房で描かれたという説もあるようだ。

     

 ちなみに、聖母七つの悲しみとは、レンブラント(1606-1669/オランダ絵画黄金期)の 「<キリストの神殿奉献>」(デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館蔵)でも書いたが、本作に沿って再度書けば、向かって左側上部から反時計回りに 「受難の予言」(中段/左)、「エジプト逃避」(中段/中左)、「神殿での見失い」(中段/中右)と続き、下部に 「十字架の道行」(中段/右)が。

 さらに、右側の下部から 「十字架へのはりつけ(下段/左)」、「磔刑(たっけい)」(下段/中左)、そして 「哀悼」(下段/中右)へと続く。

 聖母の磔刑後の悲しみを、胸を貫こうとする金の剣で表した中央部がぽっかりと欠けた本作、しかも、助手たちの手になるかも知れないのに、悪びれることもなく展示するのが聊か可笑しい。

       

 もとの作品(上段/右)をどうしても見たいとなれば、面倒でも二つの美術館を訪ねなくてはならない。
 16世紀半ばにヴィッテンベルクで宮廷画家を勤めていたクラナハ(父)の手に渡ったとされる本作、そんな面倒なことをしでかしたのは、多分、息子のクラナハ(子)というから迷惑この上ない。

 元の姿に戻せばいいのだろうが、苦労して手に入れた傑作、「こちらが譲るって? とんでもない!」ということなのだろう、同じ国の国立美術館にしてこれ、困ったものである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1096

 ※ 「クラナハ(父) ‐ アルテ・マイスター(2)」へは、<コチラ>からも入れます。

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クラナハ(父) ‐ アルテ・マイスター(2)

2016年02月17日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ/ドレスデン国立美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(3)

 案内書によればこのアルテ・マイスター絵画館、“ 14世紀から18世紀末までのヨーロッパ絵画コレクションを展示 ” とある。

 その収蔵品の特徴は、“ 最も重要なコレクターであったアウグスト強王とアウグスト2世の18世紀前半の趣味がユニークに反映 ” 。

 それは、“ ルネッサンスとバロックが完全に成熟した時代の絵画に人気があった時代で、ルネサンス、バロックの美術作品群 ” に優れているともある。

 長々と前書きする悪癖が頭をもたげたよう、地階のチケット売り場へと歩を早め、館内を廻ることにしよう。

 ところで、ガラスケースに収め乍らも頑なに拒む国内の美術館と異なり、外国はノーフラッシュならカメラが使える美術館が殆ど。
 ここもOK、ただし、Camera fee として5ユーロ、胸にアルミのピンバッジを付けてくれる。
 ちゃっかりしているが、「余計な気遣いが要らなくって、いいや」とも思う。

 またまた横道にそれたよう、メイン展示フロアの二階へ上がり中央部から左翼棟の第1室、まずは地元に敬意を表しドイツ・ルネサンスからスタート。

 そこには、ルーカス・クラナハ(1472-1553 )の代表的な作品のひとつ 「アダムとエヴァ」が架る。
 彼、息子も同名の画家なのでクラナハ(父)と表記。は、このモチーフで実に18点も描いたとか。

 これまでにもイタリア・ルネサンスの影響を受けたとする 「<アダムとエヴァ>」(ウフィツィ美術館蔵)を投稿したので、ここでの説明は省くが、余程、気に入ったのだろう、蛇、つまり悪魔に唆され楽園を追放された男と女の創世の物語が。

 もう一点 「ザクセンのハインリヒ敬虔公と公妃カタリナ・フォン・メクレンブルク」 という長い題の作品も架る。

 全身を等身大で描いた本作、ドイツでは最初の肖像画とされる。
 もともと一枚の菩提樹の板に描かれていたらしいが、カンヴァスに移すときに二枚に分けられたとか。

 ちなみに、公妃の右手の小さな布切れみたくに(制作の)1514とともに描かれた蝙蝠(こうもり)の翼をつけた蛇は、1508年に使用が許可されたクラナハの紋章だとか。

 彼が 「アダムとエヴァ」を多作したのも、偏(ひとえ)にこの物語の重要な共演者である蛇を描きたかっただけのこと? なんて珍説は相手にしないで、その紋章、拡大してお確かめあれ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1095

 ※ 「エルベ川のフィレンツェ  ‐ アルテ・マイスター(1)」へは、<コチラ>からも入れます。 

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エルベ川のフィレンツェ ‐ アルテ・マイスター(1)

2016年02月15日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ/ドレスデン国立美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(2)

 中欧絵画名作選とはまた大仰な題を付けたものだ、と我乍ら思わないでもない
 ドイツに加えてウィーンの好きな美術館の、それも好きな絵だけを採り上げるための言い訳に、と思っただけのこと、さして意味がある理由(わけ)ではない。

 ドレスデン国立美術館のアルテ・マイスター絵画館に入る前に、少しこの街のことを知っておきたい。
 ところで、国立美術館のアルテ・マイスターと投稿したのは他でもない、同美術館には旧バイエルン公国の首府<ミュンヘンの美術館>と同じようにノイエ・マイスター絵画館がある。

   

 前書きが長くなったが、ドレスデン、ドイツ連邦共和国の東南部、ザクセン州の州都でありエルベ川の谷間に位置、人口は約50万、ドイツ有数の大都市である。

 旅の案内誌 「地球の歩き方」に、“ かつて 『百塔の都』 とうたわれ、16世紀にザクセン公国の首府として繁栄した ” とある。
 だが、“ バロック様式の壮麗な宮殿や教会、貴族の館が建ち並び、『エルベ川のフィレンツェ』 とも称えられた美しい街は、第二次大戦の空襲で一夜にして破壊された ” とも。

 しかし、“ 瓦礫の山だったオペラハウスや教会は、東西統一後、見事に蘇った ” という。
 それらのことは、名作巡りの箸休めに追いおいご紹介したい。

    

 エルベ川畔に建つホテル、ウェスティン・ベルビュー(上段/左)から川畔の公園(上段/中)を抜けるとアウグストゥス橋(中段/左)、その橋には新旧の市街を結ぶトラム・路面電車(中段/中)が走る。

 ちなみにイタリアの景観画家ベルナルド・ベロット(1721-1780)は、公園からの眺めを 「アウグスト橋下流のエルベ川右岸から見たドレスデン」(上段/右)としてキャンバスに切り取っている。

 その橋を渡るとそこは敷石の旧市街地区(中段/右)、中世に一気にタイムスリップしたかのよう。
 旧市街地区の一角に、ザクセン公国の栄華を今に残すツヴィンガー宮殿(下段/左)があって、なかのひとつがアルテ・マイスター絵画館(下段/中)。
 これから、カタリナ が “ 旅のメモ帳に残した独り言 ” を交え乍ら、そこに架る名作を訪ねる旅を始める。

    

 明治の文豪森鴎外はこの街を、“ 王都の中央にてエルベ河を横切る鉄橋の上より望めば、シュロス(城)、ガッセ(通り)に跨りたる王宮の窓、こよひは殊更にひかりかがやきたり ” と、「舞姫」「うたかたの記」とともにドイツ留学中の三部作とされる 「文づかひ」のなかに書いたとか。(池内紀著:ドイツ町から町へ/中公新書)

 実際、薄暮から夜にかけて、ホテルの部屋からエルベ川越しに望む旧市街(下段/右)は、絵に描いたように美しく煌めいて見えた。
 例によって拙い写真ばかりだが、連載を通じてこの街の雰囲気を聊かなりとも感じて頂けたら幸い。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1094

  「中欧の美術館を訪ねて」へは、<コチラ>からも入れます。

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古色蒼然

2016年02月12日 | 日記

 二月に入ってある雨の日のこと、珍しく片付けていたら写真が入った紙袋が出てきた。
 そこには、ひと昔もふた昔も前の家族や朋らの姿が写ってい、整理の途中も忘れ見入ったことがあった。

 話は変わって昨日(2/11)のこと、ぐうたらとベッドで新聞を楽しんでいると、遊びに興じる子供の声がする。
 ぼんやり 「うん?今日は日曜日じゃないよなあ」と考えていたら、サンデー毎日の酔狂 「そうか、祝日か」とよう漸う思いつく呆けよう。

 ところでこの “ 建国記念の日 ”、若い人など 「一体何を祝う日?」と思われているのではないだろうか。

  

 朝日などが運営しているらしきコトバンクで調べてみれば、“ 1957年、かつての紀元節を祝日に追加する法案が国会に上程され66年6月に可決、12月に公布された ” とある。

 国民の祝日、現在年間十五日あるそうだが、海の日(7/20)や敬老の日(9/15)など、何故この日なの? と思う日もないでもない。
 が、設定そのものの意味が理解(わか)らない日のひとつがこの建国の日ではと思う。

 駄洒落じゃないが 「起源の紀元節ってなに?と調べれば、“ 1873年に神武天皇の即位の日をもってこの日(2/11)を祝日としたもの “ なんだって。

  

 じゃあ、神武天皇って?と疑問は重なるばかり。
 で、コトバンクをネットサーフィンすれば、“ 第一代に数えられる天皇で名はカンヤマトイワレヒコノミコト、神武は諡号(しごう) ” とある。

 その神武天皇、“ 日向を発ち瀬戸内海を東進、難波に上陸、吉野を経て大和に攻め入り一帯を平定、前660年橿原宮に都し元旦に即位、127歳で没したと伝えられている ” のだそう。

 こんなこと、戦中派ならずともそれに近い酔狂にしてこれ、ましてや若い世代にとってはまったき古色蒼然、理解不能なのでは?

   

 ある年の夏、大台ケ原に涼を楽しんだことがあったが、笹原に突然、熊野国から大和国へ道案内をしたという八咫烏(やたがらす)を弓に載せた神武天皇像が現れ 「へ~え!」と思ったことがあった。
 そういえば、サッカーの日本代表チームのユニホームにこの烏のエンブレムが、若い人は存外、その謂れを知っているのかもと思ったりもする。

 こじつけの感もしないでもないが古色蒼然とした写真と祝日、それは別にしてあいつ にもやつがれ にも、こんな若い日もあったンだと想い出させてくれた、穏やかに晴れた冬の一日だった。 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1093

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中欧の美術館を訪ねて

2016年02月10日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ/ドレスデン国立美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選

 兎にも角にもルーヴルの小さな旅を終えた。
 ものの、さて次なる旅は?と考えると、さして多くもない美術館巡り、キーボードを叩く手も進まない。

 そんなことを思い乍らディスプレーの壁紙、早い話がカタリナ の写真。を、ぼんやりと眺めていたら、彼女との旅のあれこれが思い出されて無性に旅に出たくなる。

     

 尤もその旅、独りになってからこっち、陸奥・平泉(左/中左)とサンクトペテルブルク(中右/右)だけ。
 自己弁護すれば、見かけによらぬ寂しがりやのペトロ、この齢になっての個人旅行となると、正直、行き先で気持ちが弾まない。

 ここまで叩いたら、「ブログの旅でしょ? うだうだ言っていないでさっさと決めれば」と聞こえてき、「それもそうだよなあ」と。
 そんなこんなで、春風に吹かれてぶらぶらと、ベルリンやウィーンなどの美術館を訪ねることにした。
 西中欧の美術館や街での小さな出来事など、時計の針を進めたり戻したりし乍ら、ルーヴル同様に各編短く廻ってみたい。

     

 で、旅の始まりはウィーン(左)。
 これまで、ウィーンの<アルベルティーナ美術館>(中左)や修道院のある<メルク>(中右)、ヴァッハウ渓谷の<ドナウ川クルーズ>(右)などを投稿した。

 そのウィーンから向かった先は、ドイツ東部にあって第二次大戦で連合国側の空爆により壊滅的な被害を受けたドレスデン。
 まずは、そのドレスデン国立美術館はアルテ・マイスター絵画館からスタート。
 題して “ 中欧美術館名作選 ”、漢字だけのこのタイトル、中国人のブログみたくで我乍ら感心しないけど。

    

 ウィーン南駅を昼前に発った特急列車(左/中)、ドレスデン中央駅(右)に着く頃には夕闇が迫っていた。

 その日は日曜、ホテルに向かうタクシーの窓から眺める街は、律儀な気質のドイツ人、安息日もあってあらかたが家庭で団欒しているのか、ひっそりと深い帳(とばり)に包まれていた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1092

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微笑みとともに ‐ ルーヴル美術館(45/終)

2016年02月08日 |  ∟フランスの美術館

 昨年の梅雨明けも間近の頃、兎にも角にも小編1000回を超えた。
 で、それを記念してと言えば聊か大袈裟だけれど、これまで何度もトライしては挫折したルーヴル美術館への<小さな旅>を思いついた、ものの、決められない悪癖で愚図ぐずと。

 漸(ようよ)う<出発>したのは “ 大暑 ” (7/21)過ぎ、しかも、いざ駆け足を始めたものの酷暑もあってふらふらと、道草に加えて寄り道に回り道、一年で一番寒い頃とされる “ 大寒 ” (1/21)近くになって漸くゴールも視野に。
 約半年間、何やかやの45回の旅も、過ぎてみればあっけなかったような気もしないでもない。

 さて、そのルーヴル美術館の小さな旅の掉尾は?

 幾ら絵に興味のない方でも芸術の都パリを訪ねられた折には、盛期ルネッサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の傑作を、多くのギャラリーの頭越しにしても覗かれたことがあるのでは、と旅の初めに書いた。

 その絵画史上最も名の知られた肖像画、ここルーヴルでの正式名称は聊か長く「フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像」、通称「ラ・ジョコンド」。

 ドノン翼は “ 展示室6 ‐ 国家の間 ”、ガラス箱の中から<ミステリアス>な微笑みを投げかけているが、その前は彼女に魅入られた人で引きも切らず・・・。

 ルネッサンス・文芸復興の花開くフィレンツェの<サンタ・マリア・ノヴェッラ教会>で産声を上げ、終生、父なる画家と離れることなく、ともにフランスに渡ったとされるこの女性、改めて紹介することもないと思う。

 と、いうことで今号で芸術の都パリ、その美術の殿堂ルーヴルとひとまずお別れ。

 これまでのアクセスに感謝し、はて、ペトロ とカタリナ の小さな旅は何処へ・・・?乞うご期待!」 と、聊か陳腐な台詞で旅のメモ帳を旅行鞄に仕舞うとしますか。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1091

 ※ 「駆け足ルーヴル(23) ‐ 続・ドラクロワ」へは、<コチラ>からも入れます。

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