ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

サンタ・クルス美術館 ‐ 再びのトレド

2013年02月22日 |  ∟スペインの美術館

 それにしても、この太陽、何とかならないだろうか。

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  敷石の広場に木々の濃い影を映すソコドベール広場(左)
 
その一角にあるカフェテラスでビールとアイスクリーム(中・右)で一息入れたところまでが前回

 広場の東側は、道路を挟んでタホ川に滑り落ちるような急坂、階段になっている。
 その階段を降りると、左手に淡い色合いの建物があった。目指すサンタ・クルス美術館だが、嬉しいことにこの美術館、無料なのである。

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  プラテレスコ様式(左)と呼ぶのだそうです
 
石壁に装飾を浮き彫りした美しい様式の門(右)を持つこの美術館、その昔、同名の病院だったそうです

 聞き慣れないプラテレスコ様式とは、16世紀のスペインで流行した繊細な飾りが銀細工のように見えることから名付けられたという。

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  階段(左)と回廊(中・右)が美しいこの建物、ラ・マンチャの行く夏を惜しむかのよう
 輝く太陽のもとでシエスタのひと時を静かにまどろんでいるようです

 所蔵を誇る数種類ものタピストリーは、アレキサンダー大王や旧約聖書のアブラハムやモーゼ、聖母、聖人等をテーマにしたものに特色があるとか。
 そして、ここの主役は、イタリア語で “ ギリシャの男 ” の意のエル・グレコ(1541-1614 /スペイン/マニエリスム)の絵が架かる「グレコの部屋」。

 ちなみに、彼の作品はバロック絵画の台頭により、没後を境に忘れられた存在になるが、20世紀の初め、印象派の画家達やピカソらによって再評価されたという。
 そのため、長期にわたり劣悪な状態に置かれていたものが多いとされている。

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 蔵品は、主に16世紀スペインの黄金時代に属する作品群です
 
「聖家族」(左/部分)「聖母被昇天」(中/部分)「ベロニカ」(右/部分)などが架かっていました

 ここ、サンタ・クルス美術館の作品は、修復を終えたばかりなのだろうか色鮮やかに蘇っていたが、大作が圧倒的な色使いの中でずらっと並ぶ様に、正直、唖然とさせられた。

 と言う訳で、スペインの強烈な陽射しに聊かうんざりしながら、中世の面影を色濃く残す古都トレドと別れ、マドリードに戻ることにした。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.581

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ピカソ美術館

2010年11月26日 |  ∟スペインの美術館

 サグダラ・ファミリア駅から、ジャウマ・プリメ駅で地下鉄を降りた。
 東に延びるプリンセサ通りから、モンカダの狭い路地を南に少し入ったところ、目指すピカソ美術館がある。

 美術館は、アギラール、バローデ・カステリェト、メカという、かつて中世の小さな宮殿だったと言う。
 当時の建物は、矩形のパテオの周りを外階段のついた回廊が取り囲んでいたらしく、ここもその様式に拠っている。

 Photo97年にスペインを訪ねたことは書いた。
 その折には、グループツアーで時間が自由にならず、悔しい思いをひとつならず味わった。
 それは、プラド美術館であり、トレドのサンタ・クスル美術館であり、ピカソ美術館であったりした。

 当時のことを、「遥かなる国へ」で、次のように書いている。
〈 かつて、魂の色は「青である」と語ったと言うパブロ・ピカソ
〈 親友の死に衝撃を受け、青を基調とした絵ばかりを描くようになったと言われています
〈 そんな自分を見つめて描いた、「青の時代の自画像」(パリ・ピカソ美術館所蔵)は、彼の魂の叫びとも
〈 言われています
〈 青く沈んだ眼で、遥か遠くの海を見つめていたであろう「青の時代」のピカソ
W7czll4ik2r_y0〈 その頃の彼に会ってみたいと思っていました
〈 路地のような狭い道を進みますと、オリーブ色の案内板が
〈 架かっている建物がありました
〈 美術館の門は開いていて、「もしかすれば?と淡い期待を
〈 抱かせてくれます
〈 しかし、悔しくもやはり休館でした

 ピカソは、“ 幼い頃から絵が上手かったので、それに飽きて後年はわざと下手な絵を描くようになった ” と、冗談めかして言う人もいるそうだ。
 彼自身、「子供の頃は、まるでラファエロのように描いたものだ」と語ったとか。

 それからひと昔の時を経て、その念願が叶う。
 パテオから外階段を経て2階の展示室に向かい、「まるでラファエロのように・・・」という時代の彼に出会う。

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寓意画の大家の真作

2010年09月28日 |  ∟スペインの美術館

 先頃朝日に、“ ピーテル・ブリューゲル(父)の大作をプラド美術館が新たに確認した ” という記事が載った。
 記事によれば、彼の真作は極めて少なく、作品の規模や重要性から、“ 美術史に残る大発見となる可能性がある ” としている。

 その、「聖マルティヌスのワイン」(写真上:朝日新聞から)と題する大型のテンペラ画は、1565~68年に制作されたとみられ、個人が所有していた絵を同館が数カ月間かけて分析、真作と断定したらしい。

 1_3記事は、“ ブリューゲルの現存作品は、晩年の10年余りのものに集中しており、世界でこれまで40点しか確認されていない” と同館のコメントも載せていた。

 ところで、ウィーン美術史美術館。
 
デューラー、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、ティツアーノなどの作品収蔵を誇っているが、何と言ってもこの美術館、ブリューゲル(父)のコレクションが自慢。

 16世紀初期、ネーデルランドの画家、素描家にして銅板下絵画家は、農民を題材にした作品を数多く描き、“ 農民ブリューゲルとも呼ばれている。 
 彼の息子も父と同名のため、彼のことを大ブリューゲルとも呼ぶのだが、その辺のことは、<マウリッツハイス>にも書いた。

 話は少しそれたが、ウィーン美術史美術館2、有名な「バベルの塔」や傑作「謝肉祭と四旬節の喧嘩」「雪中の狩人」「農民の婚宴」、寓意溢れる「農民の踊り」「子供の遊び」、そして「暗い日」「牛群の帰り」など、風刺的寓意画の大家 大ブリューゲルの作品が、ひとつの部屋に10作も並ぶ様は圧巻である。

 まさに、大ブリューゲルなら任せとけ、の面目躍如たるところがあるが、風刺的寓意画として面白いのは、ベルリンのゲマルデ・ギャラリーが所蔵する「ネーデルランドの諺」(写真下)だろう。

 さして大きくもないキャンバスに、当時の生活を舞台に、様々に繰り広げられる諺や格言の場面が80種類、100以上の説もある。も描き込まれ、傍らにはご丁寧にも全ての諺の謎解きがしてあるのだ。

 画家も勿論だが、この絵を文字通り絵解きをし、展示した美術館員の律儀さにも、呆れてしまうのである。

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ゴヤ(2)

2009年09月14日 |  ∟スペインの美術館

 スペイン・ロマン主義の画家ゴヤ、彼を語るには、まずプラド美術館ともされていることは前号に書いた。

 美術館への普段の入口が 「ベラスケス門」と 「ゴヤ門」であることからも、その扱いは彼の1世紀以上も前のバロック期の巨匠ベラスケスと並び破格、それに相応しく美術館の人気も二分している。

 ゴヤの時代のスペインは、フランス軍の侵入もあって自由革命や独立闘争などが絶えなかったという。

 B_2そんな時代背景と彼自身が聴覚を失っていたこともあって、連作 「黒い絵」など目を覆いたくなるような暗く重いテーマの作品を多く発表したことも前号で書いた。

 しかし、一方で彼は、後に異端審問にかけられる 「裸のマハ」(上)などの作品も描いていて、「着衣のマハ」とともに相変わらず多くのギャラリーを引き寄せている。

 ところで人気のこの裸婦像、戒律厳しいカトリックのスペイン、胸を見せる裸婦とはもっての外と異端審問にかけられ、在ることさえ許さぬと封印されてしまった。

 封印が解かれたのはゴヤの死後73年、1901年のことだったとされる。
 スペインで初めてと言っていい生身の女性の裸体画、それは、“ この国にあってはならない ” (美の巨人たち)一枚だったのだ。

 かC_3つて、淫らとされ封印された 「マハ」を見るために多くの人がここを訪れる。
 この絵が、“ この国になくてはならない ” 一枚の絵のひとつとなったのは皮肉なこと。

 裸婦といえばもう一方のベラスケスも 「鏡を見るヴィーナス」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)(下)を描いている。

 彼は、後向きの裸婦が天使の持つ鏡を通して顔を覗かせる構図で表現。
 ゴヤの前向きで見る者に視線を投げる構図の大胆さに比べ、その幾分かの慎ましやかさに、150年の時の隔たりを感じさせて面白い。

 この他ふたりには、同じ主題と構図の 「キリストの磔刑」があって、この両巨頭、時空を越えて何かと比べられるのである。
 その存在を強く意識していたのは、勿論、ゴヤである。 (脚注のない作品はプラド美術館蔵)

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ゴヤ(1)

2009年09月10日 |  ∟スペインの美術館

 自然に景観、宗教に文明・芸術、料理から美人、はては恐妻家に至るまで 「世界三大○○」という言い回しがある。

 勿論、遊びの範疇のこと、ムキなるほどのものでもない。
 では、世界三大美術館となれば何処だろうか? パリのルーブル美術館に異を唱える人は少ないだろう。

 Photo残るふたつがなかなかもって難しい。
 世評高いのはサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館とマドリードのプラド美術館あたりか? ニューヨークのメトロポリタン美術館を推す方も多いのはとも思う。

 そのプラド美術館(写真上:ゴヤ門)、97年と10年後の07年に訪ねたが、膨大な収蔵作品に感嘆したのを覚えている。

 取り分け、収蔵作品の中で、これまたスペイン三大画家とされるグレコ、ベラスケス、ゴヤの作品を誇る。

 Goya就中(なかんずく)18世紀末から19世紀にかけヨーロッパで生まれたロマン主義の画家ゴヤの作品は、質量ともに群を抜き、彼を語るにはまずプラドともされている。

 ゴヤは、カルロス4世治下宮廷画家に選ばれ、「カルロス4世一家の肖像」(写真中)を描いている。

 が、絵の中心に女王を描いたことで不評を買い、それ以降王室からの注文が減ったことは知られている。

 また彼はその時期、「1808年5月3日プリンシペ・ピオの丘での銃殺」 「巨人」や、当時住んでいたマンサラネス河畔の家の壁に 「連作・黒い絵」などを描いている。

 Photo_3連作・黒い絵とは、用いた色彩ではなく主題から呼ばれたものだが、「わが子を喰らうサトゥルヌス」や 「砂に埋まる犬」など、暗く重いテーマが観る者を押しなべて沈思させるようだ。

 これらの絵が、彼を、“ 社会的な事件や死や病がおりなす恐怖や絶望など、心理的異常性を表現するロマン主義の先駆者 ” としての面目を躍如たるものにしているとされているようだ。

 ところで、少し前この 「巨人」(写真下)が、彼の弟子のアセンシオ・フリアの作品だったとする調査結果を、同美術館が公表するとの報道があった。

 予ねてから、この作品の動物の描き方に粗さが目立つなど、ゴヤ本来の作品との違いが指摘されていたのだそうだ。

 件の作品を目の当りにした時、そんなこととは露も知らず、作品のスケールの大きさに、したり顔で頷いたりもしたのである。(続く)

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