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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

.帰って 参りました

2018年03月23日 | 日記

 

petroになりかわって娘が投稿いたします。

 

いつもpetroとうさんのブログに

あたたかいコメントをほんとうにありがとうございます。

みなさんとのつながりはpetroとうさんにとって宝物です。

 

そのpetroとうさんは3月13日の夜半に脳梗塞で救急搬送され、

現在一生懸命治療とリハビリに取り組んでおります。

 

10日経った今でも、まだまだ状態は安定しませんが、

「今週の日曜日のごミサに与るのでお洋服持ってきて?」

「来週23日のレジオは出なくっちゃ」

「車に乗ってきて?一緒に家に帰るんだ」

と、お出かけする気満載です。

 

きちんと養生して、リハビリをがんばって、

またみなさんに元気にお目にかかります。

あたらしい旅の予感もありますしね。

 

とはいえ、早くも、「ブログでお見せしたいネタで一杯だ!」だそうで・・・、

子供たちが代わりに、

もしかしてpetroとうさんがリハビリを兼ねて(!)、

記事をアップするかもしれません。

時々はのぞいてくださいね!

 

なによりみなさんからいつもいただいているあたたかいコメントが

petroとうさんには何よりの励みです!

ぜひ励ましのメッセージをよろしくお願いいたします!!

 

 

 

 

 

 

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どうしようかな?

2018年03月13日 | 日記

 一気に春!って感じのお天気が続いています。
 東大寺・二月堂の修二会、お水取りのクライマックス、14日だったかな、この日は時ならぬ春の雪が舞ったリすることが多いけれど、この本行が終わると関西地方は春本番です。

 ところで、二月の連休の前の金曜でした、S神父様、ベトナム出身の若い神父様です。と担当する信徒さん宅に聖体奉持に伺う車中で、「温かくなったらベトナムに行こうよ」と誘われました。

 ほう、好いですねえ、なんて、いい加減な相槌を打っていたのですが、先週のレジオマリエ、集会後の雑談で渡された一枚の紙、5月の末に六日間の日程で、北から南と効率よく教会を訪ねる巡礼が組まれていました。

 別れ際にS神父様に「行くだろう」ってな表情でじっと見つめられ「少し、悩んでみます」と答えたのですが。

 三年前に<エルミタージュ美術館>(写真)を訪ねた折に感じたのですが、年寄りの独り旅、美術館以外は手持無沙汰で面白くありません。
 さりとて、いまだに術後後遺症を抱える身としてはパックツアーは自信がないし、ってところで、例によって<決められなくて>ウジウジしています。

 この巡礼、航空会社がスターアライアンスグループと連携しているうえに、募集人員が16名と魅力的、Cクラスが利用できるのなら行ってもいいかなと。
 迷っています、どうしたらいいでしょう? 知るか、自分で決めろ、って、ですよねえ・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1533

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ゴッホ(6)「アイリスのある静物」

2018年03月12日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ゴッホ美術館編(7)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(28)

 孤高の画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890/オランダ/後期印象派)。

 耳切り事件の後、サン・レミの診療所に入所、その一室をアトリエとして借り制作していたものの、苦悩と退屈の生活から抜け出すため、90年5月、友人であり精神科医でもあったポール・ガシュのいるオーヴェル=シュル=オワーズへと出発する。

 その数週間前に描いたとされているのが「アイリスのある静物」(1890年/92×74cm)。

 ちなみに、描かれているのはダッチ・アイリス、和名では文目(あやめ)にあたるようだ。

 本作、「花瓶に入った背景が黄色のアイリス」とも呼ばれているように、鮮やかな黄を背景に、丸みを帯びた花瓶に生けられたアイリスがくっきりとした輪郭で描かれている。

 取分け青い花弁、その間から覗くこの花特有の直線的な緑の葉が、背景の黄との色彩対比を際立たせ、全体に力強さを与えている。

 ただ、本作が描かれた頃は、精神状況が危機的状況にあったらしく、弟テオに宛てた手紙の中で、“ 僕には新鮮な空気が必要だ。サン・レミいては退屈と哀しみに押しつぶされてしまう ” と窮状を訴えている。

 萎れて垂れた一束のアイリスが、そんな不安定で漠然とした恐れを表しているとされている。

 療養所を退所したゴッホ、テオの家で数日間過ごしたもののパリの喧騒を嫌い、早々とオーヴェルへと向かったという。

 彼は、「<アイリス>」(1889年/カリフォルニア‐ポール・ゲティ美術館蔵)や「<アイリスのある花瓶>」(1890年/NY‐メトロポリタン美術館蔵)など、アイリスのまた別の表情を描いている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1532

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真理を行う者 ‐ 本日は安息日、です。

2018年03月11日 | 聖堂/教会/聖書

 今日は四旬節第4主日、福音朗読はヨハネ第3章で、“ 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために ” と記しています。

 話は変わりますが、俗に “ 隠すより現る ” と言います。
 隠そうとすると目立って、かえって外へ知れやすいという意ですが、朝日のスクープ以来、政権と財務省のドタバタぶり、それを地で行く様相になってきました。

で、国税庁の佐川長官、とうとう蜥蜴の尻尾にされてしまいました。
 身から出た錆、同情にも値しませんが、彼は誰を、何を信じて、誰のために真理を行う者、だと思っていたのでしょうかねえ?

 ところで彼、辞任に際して「確定申告中にお詫びする」と発言したそうですが、その申告、先週の雨の木曜に様式を整えました。

 実は、税務署の窓口の混雑振りに捻くれ酔狂「なんで、並んで迄出さなあかんねん」と昨年から郵送することにしました。

 週明けにも郵便局に持って行こうと、封を緘(とじる)前に念のため署からの案内書に目を通しますと、“ 時間外収受箱を設けている ” とあり、「へえ、そんなのあったんや」と初めて知りました。

 それで、風は冷たかったのですが頗る好天だった昨土曜日、自転車で出かけました。
 着いてびっくり、1メートル四方もあるステンレス製の<立派な箱>がでんと置かれていました。

 箱には “TAX EATER ” と書かれている様な気がしたのですが、そんな良心的な箱を置く訳ない?「お上を揶揄っちゃ駄目よ」、でもね、市役所近くの公園、「修善寺寒桜」が青空に映えてましたが、武士(もののふ)たるもの格ありたい、と思いません佐川さんと麻生さん、もう一人いたっけ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1531

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ゴッホ美術館、を、ちょっとそれて

2018年03月10日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ゴッホ美術館編(6)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(27)

 ロンドン大学構成カレッジのひとつコートールド美術研究所。
 小さいギャラリーながらも秀作を収蔵、炎の画家と呼ばれたフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890/オランダ/後期印象派)の「耳を切った自画像」(1889年/60×49cm)もそのひとつ。

 ゴッホは、アルルでの制作活動を複数の画家に呼びかけたものの、応じてくれたのはゴーギャン(1848-1903/フランス/後期印象派・象徴主義)ただひとり。

 アトリエ兼生活場所である<黄色い家>で始まった制作活動は、あっけなくも二月で破綻する。
 ゴッホは対象を見ながら描いたのに対し、ゴーギャンは写実的表現を否定していたためだという。

 89年の12月、降誕祭を前にした夜だったという。
 芸術論で激論を交わすものの相容れず、家を出たゴーギャンを追う彼の手には剃刀があった。

 追いつくなり激情に駆られたゴッホ、剃刀で我が耳を切り落とし、娼婦ラシェルのもとへ届けるという悲劇を起してしまう。

 本作に話を戻そう、包帯が巻かれた顔は痛々しく見えるもののその表情や視線は、ゴーギャンとのあの激しい確執から解放された所為か、冷静で落ち着きを取り戻したかのようにも見える。

 しかし、懊悩は癒されることなく、本作を描いた翌年、自ら拳銃を撃ち37年の短すぎる生涯を閉じたゴッホ、耳切り事件はその序章であった。
 ちなみに、背後の壁に浮世絵が描かれてい、彼の日本の芸術に対する深い関心が窺える。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1530

 ※ 小編は、2014-11 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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ゴッホ(5)「アルルのゴッホの寝室」

2018年03月09日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ゴッホ美術館編(5)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(26)

 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890/オランダ/後期印象派)、主要作品の多くはアルル時代(1888-89年)、サン・レミでの療養時代(1889-90年)、オーヴェル=シュル=オワーズの精神科医ポール・ガシェのもとでの療養生活時代(1890年~)に制作している。

 陽光煌めく南仏アルル、彼が誘った画家たちと制作活動をするために借りた黄色い家。
 応じたのはゴーギャン(1848-1903)だけだったが、とにも角にもふたりの共同生活は始まった。

 そのゴーギャン到着まで彼は「<黄色い家>」(1888年)や「夜のカフェテラス」(1888年/クレラー・ミューラー美術館蔵)など意欲的に制作を重ねたという。

 そんな彼が、過労で憔悴しながらも描いた作品のひとつが「アルルのゴッホの寝室」(1888年/72×90cm)。

 ゴッホは弟テオに “ 僕はこの作品で絶対的な創造力の休息を表現したかった ” と手紙を送ったという。
 ちなみに、画面左手のドアを開けるとゴーギャンの寝室だったとか。

 ふたりの関係も僅か2月で破綻、耳きり事件の後、精神的に不安定となった彼は、アルルの病院に入退院を繰り返していたが制作もままならず、アルルから20キロ余り北東にある<サン・レミの療養所>に入所、その一室を画室として使う許可を得て旺盛な創作活動を続けている。

 その頃、黄色い家に置いていた本作がローヌ川の洪水で損傷を受けたこともあって、「<第二バージョン>」(1889年/74×92cm/シカゴ美術館蔵)、「<第三バージョン>」(同年/59×74cm/オルセー美術館蔵)を描いている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1529

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ちょっと真面目に

2018年03月08日 | 日記

 飼ったことはないのでほんとに変わるのか知る訳ではないが、猫の目のように天気が変わる。

 昨日(3/7)とても、天気予報では雨模様らしいと勝手に決め込んで、新聞を顔の上において二度寝を決め込んでいたら、カーテンの隙間から日が指している。
 飛び起きて「なんだよ、違うじゃねえか!」とぼやきながら洗濯機を回した。

 聊か大袈裟だけど、鰥夫になるまで殆ど考えたこともなかったが、洗濯に限らず家事というのは、日々の暮らしの中で空模様と結構関わっていることを知った。

 話しがそれた、読者登録をしているブログに “ 確定申告を済ませた ” なんて記事があって、僕(やつがれ)もやらなきゃと思いつつも、まだ日がある、そのうち雨の日にでも、と先送り。

 で、今朝、雲が低く垂れ込めてかつ寒い、「今日も明日も激しい雨が・・・」なんてNHKラジオが喋ってい、「あっ、今日やれということや」と重い腰を上げることに。

 たかが鰥夫の爺さんの申告、何ほどの手間はないのだが、それでも「廃棄しました」なんて、佐川某みたく阿呆なこと言って済む訳ないから、ちょっと真面目に書類を。

 そういうことで “ ゴッホ美術館編 ”、お休みということに、えっ、食傷気味だったから丁度いい? そりゃすまんことで・・・。
 花ごと落ちるという「藪椿」、潔いよねえ。 こゝに又こゝた掃かざる落椿 (虚子)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1528

 

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ゴッホ(4)「ゴーギャンの椅子」

2018年03月07日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ゴッホ美術館編(4)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(25)

 遅れて来た画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890/オランダ/後期印象派)、じゃないが、“ ゴッホ美術館編 ”、少し急ぐ。

 1888年10月、アルルでともに暮らし始めたポール・ゴーギャン(1848-1903/フランス/後期印象派・象徴主義)と、対象の捉え方、アプローチの違いなどから激しい諍いが始まったとされる。

 その頃に描かれたのが、黄色い家でゴーギャンが使っていた「ゴーギャンの椅子」(1888年/91x73cm)。

 ゴーギャンとの関係に決定的な亀裂が入る直前に描かれた本作、赤と緑の肘掛け椅子の上には2冊の小説と蝋燭が置いてある。

 炎が灯された蝋燭は画家としての人生の光明と儚さを象徴し、壁のランプが夜の場面であることを示唆しているという。

 ところでゴッホ、時期を同じくして本作と対画をなす「ゴッホの椅子」(1888年/93x74cm/ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)も描いている。

 黄色い家で使っていた藺草で編まれた木製の椅子、昼間を示す壁を背景に赤いタイルの上にあり、パイプと煙草の小袋が置かれている。

 背後には、自然の成長を示唆する発芽した球根が描かれているのが暗示的であると同時に、ふたつの作品の時間的な対比を連想させている。

 共同生活は、自ら剃刀で耳を切り落とし娼婦ラシェルのもとへ届け、翌日入院、あっけなくも二月足らずで終わる。

 そんな共同生活の中で彼が描いた「ゴッホの椅子」、そこには別の貌も隠されていると言う。

 それは、17世紀のオランダ絵画においてパイプの煙は儚さを象徴し、同時に牧師であった父に倣って聖職者を志したこともあるゴッホが、親しんでいた聖書がそれを示唆しているという。
 “ 主よ、私の祈りを聞いて下さい、私の生涯は煙となって消え去るのですから” (詩編102)と。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1527

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ゴッホ(3)「黄色い家」

2018年03月06日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ゴッホ美術館編(3)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(24)

 炎の人フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890/オランダ/後期印象派)。
 パリの生活に疲れ、ロートレック(1864-1901/フランス/世紀末芸術)の勧めもあって、1888年2月、南仏プロヴァンスのアルルへと向かう。

 オランダでの修行時代から日本の版画に魅せられたゴッホは、南仏に向かう汽車の窓から見える風景を、“ 澄んだ空気と派手な色彩効果に関する限り、この地方は僕には日本と同じくらい美しく見える ” と書き、この地に芸術家村を創ることを夢見ていたとか。

 その彼が画家仲間と共同生活をしながら、制作活動を行う目的で借りた家を描いた「黄色い家」、別名「アルルのゴッホの家 ラマルティーヌ広場」(1888年/76×94cm)が今回の作品。

 本作の二年ほど前、弟テオが暮すパリで、ロートレックをはじめゴーギャン(1848-1903)、ピサロ(1830-1903)などと親しくなり、色彩に明るさを得たとされるゴッホ。

 本作で、南仏プロヴァンスの明瞭な光に照らされるかのように、輝くような強烈な黄色と青色の絶妙な色彩的対比を生み出している。

 その黄色こそ、彼の生涯を通じて選ばれた、彼自身の個性を最も反映することのできた色彩であるとされ、その意味でモニュメンタルな作品ともいえる。

 ところで、アルルの黄色い家に来たのはゴーギャンのみ、その共同生活も僅か二月で破綻することをゴッホは知る由もなかった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1526

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ゴッホ(2)「ジャガイモを食べる人々」

2018年03月05日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ゴッホ美術館編(2)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(23)

 19世紀後半のパリ、伝統的なアカデミー様式と対立した画家らによる芸術運動である印象派、好きな画家を一人、となれば貴方は誰を上げますか?

 先駆者マネ(1832-1883)、印象派という名称の由来となったモネ(1840-1926)、同派を代表するルノワール(1841-1919)、それとも後期印象派を代表するセザンヌ(1839-1906)でしょうか?

 そんな巨匠の中で、強烈な色彩による対象描写で炎の画家とも称された異彩の画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)を上げる人も多いのでは。

 さて、その彼の初期の代表作「ジャガイモを食べる人々」(1885年/81.5×114.5cm)から小編スタート。

 1880年というから27歳の時、彼が本格的に画家を志す決意を弟テオに示して数年、32歳の頃に描いたというからかなり遅い画壇デヴューである。

 牧師の家に生まれた彼、青年期には炭鉱地帯で牧師として働いたとされてい、労働者階級の人々が、貧しくとも逞しく生きる姿に強く共鳴していたという。

 そんな彼が、家族が寄り添い小さなランプの光の下で夕餉にジャガイモを食べる情景を主題にした本作、慎ましやかな暮らしに深い共感が示されている。

 ゴッホと言えば「<ひまわり>」(1888年/92×72.5cm /ナショナル・ギャラリー等蔵)の明るいイメージがまとわりつく。

 美術館二階、大勢のギャラリーが引きも切らぬ広い展示室に、概ね制作年次順に架けられた作品、本作を始め「<一足の靴>」(1886年/37.5×45cm)など、「ほんとに上手だと思うけど」「自宅の壁に架けたいとは思わないよなあ」と、溜息と一緒にそんな言葉が出た。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1525

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