ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

悔悛するマグダラのマリア

2010年01月29日 |  ∟イタリアの美術館

 ドーリア・パンフィーリ美術館。

 バロック期の奇才カラヴァッジョ、フィレンツェのウフィツイ美術館で修復終えた 「メドゥーサ」を前にした時、髪が蛇の人間が口と目を大きく開き画面から首を突き出す様に身がすくんだ。

 Photo_4狂気と表現すればいいのか、彼自身が処理できない激情が心を捉え、気持ちを悪くさえさせる絵に魅せられた。

 好き嫌いでだけで言えば嫌いな絵も勿論あるが、ユダヤ王ヘロデがベツレヘムに生まれた全ての幼子を殺すために放った兵士から、エジプトへと逃れる聖家族を描いた 「エジプトへの逃避途上の休息」(上)、そして、「悔悛するマグダラのマリア」(下)、どちらも好きな絵だ。

 ふたつの絵は、ほぼ同時代に描かれたとされる。

 葉陰で幼子を胸に眠る聖母、椅子に深く身を沈め涙するマグダラのマリア、異なる画題にありながらイメージが重なる。

 Photo_5Photo_6過去の豪奢な生活と決別、キリストの忠実な僕として簡素に生きることを受け容れ、ひとり静かに悔悛するマグダラのマリア。
 彼女の頬をひと筋の涙が濡らすのは、神に仕える歓びと畏れか?

 カラヴァッジョは、マグダラのマリアの髪をほどき、真珠の首飾りや留め金などを床にうち捨てさせている。

 モデルは彼の恋人とされていて、彼女への愛おしさや優しさが画面に漂い、絵を前にする者の心に平安を与えている。

 Photo_9カラヴァッジョの絵の中で、数少ないあざとさのない、切ない愛の絵と思うのだが。

 この絵は、香油壷をシンボリックに床や着衣の模様に用いていることから、“ 罪深い女が主イエスの足を涙で濡らし、自らの髪で拭い足に接吻して香油を塗った ”(ルカ7章36‐50)から画想を得たことを暗示させる。(

 ラヴァッジョとベルニーニを訪ねる旅、如何でしたか?

 旅のハイライトとして 「<福者ルドヴィカ・アルベルトーニ>」、そして 「悔悛するマグダラのマリア」を取り上げました。

 折から、没後400年を機に、映画 「カラヴァッジョ・天才画家の光と影」も公開されるようです。

 「<悪魔と天使>」から20回に亘ったこのシリーズ、再会を約して一旦、筆を置くこととします。(

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