goo blog サービス終了のお知らせ 

ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ちいせい奴 ‐ 3月がきた

2018年03月01日 | 季節/暦

 昨夜遅く窓を打つ雨音を聞きながら眠りについた、ものの未明三時頃だったか、その窓が激しい風にきしむ音で目が覚めた。

 昨夜のTVニュース、予報士が北海道に爆弾低気圧と形容される大きな低気圧があって、当の北海道や北陸から東北にかけての日本海側は、風雪に注意をと呼び掛けていたのを思い出した。

 東の空が明るくなって少し風も弱まったが、茅屋の向かいの消防局の屋上、防災無線の鉄塔に取り付けられた風速計、先端の羽が激しく回っていた。

 弥生・三月、ひょっとして「春一番って、やつかな?」と思ったのだがどうも違うようだ。

 話は変わるが、NTT西日本の「フレッツ光ネクスト」に切り替えた。
 それまでルーターやモデムが四個も連なっていたのが、ONUとWi‐Fi機能を持つホームゲートウェイ・HGWの二個に、スマホとタブレットのWi‐Fi接続もできるようになった。

 ところが、プリンターとスキャナーのWi-Fi接続が不調で、何度試みても上手くいかない。
 で、ここ数日ああでもないこうでもないと弄っていたら、つい最前、ひょんなことで使えるように。

 指先の小さな傷が何かするたびにちくっと痛み、舌打ちすることがあるが、それが癒えたようなささやかな解放感を味わっている、「ちいせい奴」と自虐しながら。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1521

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古い人たち ‐ 2月がゆく

2018年02月28日 | 季節/暦

冬過ぎて春し来れば年月は 新たなれども人は古(ふ)りゆく (作者不詳/万葉集十巻1884)

 にげるほど早いという如月・二月、冬季五輪で日本選手の活躍をTVのダイジェストや新聞で見聞きするうちに、例年にも増して早くいってしまった。

 米国などのTV会社に主催権?を売り渡し、早朝や深夜に行われた競技もあって選手が気の毒な大会でもあった。

 かつて政治に介入されなかった五輪があった試しはないが、韓国大統領の思惑に乗っかり、北朝鮮の参加を特別に認めたIOC、今回は少し酷かったように思う。

 酷いと言えば銃規制に反対する全米ライフル協会・NRA、彼らの個人の自由を守り、米国を世界で最も偉大な国にするという使命感、というのがどうにも理解不能。

教師に銃を持たせボーナスを、と発言したトランプにも呆れるが。

 米国を笑ってばかりいられない、受動喫煙対策を骨抜きにした自民党の厚生労働部会、健康増進どころか喫煙を容認、時代錯誤を超えてもはや犯罪集団、個人の権利だけを主張するNRAとそっくり。

 冒頭の歌、歌人は年の初めに詠んだのだろうけど、“ 冬が過ぎて春がやってくると、年月は新しくなるけれども人は古くなっていくことよ ” と歌意は至って簡単。

 歳月とともに古くなっていくのは仕方がないが、特定の利益と結びついて思考までが古びてゆく人には一刻も早く隠居して欲しいと思う如月・二月、小編 “ 2月がきた ” と同じ写真を、えっ、写真よりも詰まんないことをうだうだ綴るお前も古いって? そだね~。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1520

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

才能 ‐ 2月がきた

2018年02月02日 | 季節/暦

 才能不足は如何ともし難く、月末と月初めの “ 〇月が――編 ”、自分で始めたことながら聊か憂鬱、新規投稿エディターを前に思案投げ首、実に情けない。

 で、何年か前に投稿したのを持ってくれば、と姑息なことを思い付いたりもする。
 そんなに嫌なら止めりゃいいものを、穴をあける甲斐性もなくずるずると続けている。

 そんなことで如月・二月、明けて三日は “ 節分 ”、翌四日は “ 立春 ”、暦の上では春・・・なのだが、日本列島、端から端まで寒波に見舞われ震えあがっている、と何時か見たような文章に。

 その立春も過ぎれば、韓国、平昌(ぴよんちゃん)で冬季オリンピック・五輪が始まる。
 莫大な費用が掛かるこのスポーツの祭典、ついこの間までの「おらが街で!」と血道を上げての招致合戦が嘘のように、開催を望まぬ都市が増えていると聞く。

 そりゃそうだ、五輪で国威発揚なんて、時代錯誤だって市民はとっくに気付いている。
 取り分け冬季は、参加国の少なさや自然破壊、競技施設の後利用の問題もあり、既開催国の持ち回り開催になるのも自然の成り行きかも。

 その平昌五輪、政治利用だとか、平壌(ぴょんやん)五輪になったとか、TVが連日姦しいが、かつて五輪が政治利用されなかったことがあっただろうか。

 ところで、北の五輪参加とともに開催が約束された文化事業の中止など、北の難癖に南が「約束を守れ」と言ったと報じられている。

 約束を守らないのは南も同じ穴の貉だが、さりとてこの隣国を嗤えるのか、戦後70年、沖縄は自国政府によって分断されたままじゃないかとも思う。

 とまれ四年に一度の大会、この日のために精進を重ねた選手諸君、鍛え上げたその才能が花開くことを祈って已まない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1498

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

呆れる ‐ 1月がゆく

2018年01月31日 | 季節/暦

 2010年のことだから一昔も前、“ 頭の音をもじって「」やになるほど長いと聞いたような一月、ようやく月捲りの暦が替わる ” と書いたことがある。

 嫌になると言えば、呆れるほどの雪が降った(ている)ようだ。
 一月最後のレジオの日(1/26)、集会が始まる頃にちらほらしていた雪が、終わる頃には本格的なそれになり、夙川公園の樹木が見るみる白くなって、雪国の方には申し訳ないが綺麗だなあと見とれた。

呆れると言えば、北でロシアの何処かで-65℃だと報じられたと思えば、南のオーストラリアでは45℃だという。

 一体、地球はどうなってしまうンだろうとぼんやり考えていたら、トランプが「俺の言うことを聞くのならパリ協定脱退を撤回してもいい」と、およそ大人の振舞とは思えないことを言っている。
 こんな人と「馬が合う」と喜んでいるどこかの国の首相もいて、呆れるというより哀れだ。

 成人式が終わった頃に、のこのこ出てきて言い訳をする晴れ着屋の社長にも呆れた。
 ご両親、就中(なかんずく)お母さんの気持ち、昔男の酔狂と雖も判るような気もするが、なんでこの日に高価な振袖を・・・、と野暮なこと、思わぬでもない。
 なにはともあれ心づくしの晴着の新成人に、こんな時代だからこそファイト!とエールを送りたい。

 そんなことで呆れるほど長く感じた睦月・一月がゆき、明ければ節分に立春、「」げるほど早いという如月・二月、春ももうそこまで。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1497

※ 松任谷由実 「春よ、来い」(詞曲:松任谷由実

   

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパームーンな三が日

2018年01月03日 | 季節/暦

海神(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に入日(いりひ)見し 
       今夜
(こよひ)の月夜(つくよ)(さやけ)
くありこそ(中大兄皇子/万葉集巻一)

 三が日、穏やかな天気で、さしたることもなく平穏に年が明けたようです。

 後の天智天皇、“ 海の神がたなびかす、ゆったりと広がる美しい旗雲に入り日を見た今夜の月は、清く照り輝いてほしいものだ ” とスケール大きく詠んでいます。

 ところで、元日の夕方のことでした。
 騒がしいだけのTVに倦み、甲山をゆったりと眺めていましたら、東の空が茜色に染まり大きな月が雲間に見え隠れ、すわ瑞兆と下手なカメラを向けました。

 皆さんのブログを拝見していると、翌二日はスーパームーンとの記事が多くあって合点しました。

 カメラと言えばR君らとTVニュースを視ていますと “ 視聴者撮影 ” というキャプション付きの火災現場の動画が流れていました。

 携帯電話のカメラ機能の向上で、今や一億総報道カメラマン時代、惜しむらくは、縦長の画面で両端が黒く切れ臨場感が半減しています。
 傍らのR君が、「横にして撮ればいいのにね」と教えてくれます。

 目から鱗の酔狂はとも角、急造記者さんはとっくにご存知のことなンでしょうが、咄嗟の事に機転が働かないってことって、ありますよねえ。
 省みりゃ僕(やつがれ)、そんなことばかりの人生だった、ような気もします。

 それはとも角、急造さんは別にしても本職さんが「暇やなあ~」と欠伸するほど、事件・事故と無縁の穏やかな年であって欲しい、と止める者なき朝酒にぼそぼそとかこつ三が日の酔狂でありました。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1476

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歩けば棒にあたる? ‐ くる年

2018年01月01日 | 季節/暦

 いかに寝て起(お)くる朝(あした)に言ふことぞ
    昨日
(きのふ)を去年(こぞ)と今日(けふ)を今年(ことし)
 (後拾遺集/小大君)

  新年、明けましておめでとうございます
  ご家族お揃いで、明るいお正月をお迎えのこととお喜び申し上げます

 またその歌?と呆れられそうですが、一夜過ぎれば酉から戌、何とも不思議なものです。

 某八卦見氏によれば、戌年生まれの人は、他人との関わり方に長けているんだとか。
 そういや、幼少より協調性がないと散々言われた酔狂は申年、なるほど犬猿の仲とはこういうことかと、えっ、話がズレてるって。

 それはさておき、暮れ(12/26)の朝日に少し面白い記事が載っていました。
 猫の飼育数がついに犬を上回ったことが、ペットフード業界の調べで分かったのだとか。

 飼育のコストが約三分の一と安上がりの上、散歩もせがまれず、吠えもせず、手軽に飼えちゃうのがその理由じゃないかと。
 犬にして見れば、猫に泥棒番が、身体の不自由な方の介助が、捜査が出来るのか、と息巻く姿が見えてきそう。

 僅かな祝い酒に肘枕で転寝(うたたね)、所は国会、トランプさんのポチさんにキャンキャンと吠えてる夢を見ていたよう、その泣き声に目が覚めた酔狂、苦沙弥が連発。

 とまれ、この一年、酔狂も歩けば棒にあたる、で、何でもやってみたら思わぬ幸運に遭うかも、「出しゃばって思わぬ災難に遭わないようにね」、う~む、それも有り・・・か。

 新春は山口華陽の「春雪」(1978年/所蔵不詳)でスタート、小編、今年も宜しくお願い致します。
Peter & Catherine’sTravel.TourNo.1475

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鐘の音とともに ‐ ゆく年

2017年12月31日 | 季節/暦

ながめこし花より雪のひととせも けふにはつ瀬のいりあひの鐘(頓阿法師)

鎌倉後期から南北朝の僧にして歌人の頓阿(とんあ)、“ 桜から雪まで眺めたこの一年も今日で終わったなあ、はつ瀬、長谷寺の夕暮れの鐘の音よ ” と詠んでいます。 

 まさに花が終われば酷暑、大型台風に痛めつけられ暮れには豪雪、異常気象に翻弄された年でした。

昨日の朝日紙、“ 2017年 あの日 我々は ” とのタイトルで、二面を費やし出来事を列記していましたが、総じて、辛く悲しいことが続いた一年だったように思います。

 トランプ大統領と金正恩の愚かな応酬、無差別テロで多くの無辜の人々が犠牲になりました。

 国内では、安倍一強のもと森友・加計学園、都知事の新党立ち上げ、大相撲の暴力事件などに呆れ、神奈川での連続殺人事件に身の毛もよだつ思いもしました。

 省みて酔狂、早いものであいつ と別離(わかれ)、五回目の暮となりましたが、世相とは無縁の平々凡々の日々は、仕合せと言えば仕合せだったでしょうか。

 俳聖芭蕉は「おくの細道」で、“ 月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり ” と書いています。
 月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなもの、来ては去り去っては来る年もまた同じように旅人、と解釈すればいいのでしょうか?

 平穏に暮らす人々の明日への旅が、平和で愛と希望に満ちたものであるように、と願うばかりです。

 締め括りの一枚は、酉年に感謝を込めて伊藤若冲の「雪梅雄鶏図」(両足院蔵)です。

 本年も小編にアクセスを頂き有難うございました、ご家族お揃いでよい年をお迎え下さい。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1474

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おべっか ‐ 12月がきた

2017年12月01日 | 季節/暦

 11月1日から12月9日までの会期で特別国会が開かれている。
 その予算委員会、「真摯に誠実に、説明責任を果たす」という首相だが、空疎な答弁に終始している。

 ところで、今年も流行語大賞が話題になる季節になったが、ノミネートされたひとつに “ 忖度 ” があるとか。
 今更、その意味もないが一応調べてみると、“ 他人の心を推し量ること。また、推し量って相手に配慮すること ” (コトバンク)とある。

 その忖度に感覚的に近い言葉に、“ 阿(おもね)る ” があり、その意味は “ 人の気に入るように振る舞う。諛(へつら)う ” (同)とある。

 この春先から森友や加計学園の設立に関し、官邸や政府の役人などが、首相や同夫人の意向を忖度したと騒がしい。
 が、首相や夫人に “ 阿た ” と表現した方が正しいんじゃないかと思う。

 昔から権力者や腕力のある者への阿諛追従(あゆついしょう)、早い話がおべっかは世のならい、ことさら驚くにあたらない。

 が、いつの時代も、それを潔しとしない人物がいたものだが、今の政官財界には不甲斐なくもそんな人物は見当たらないようだ。

 予算委員会に戻って、今日(12/1)の天声人語氏、自民党議員の質問に、“ 茶番 ” だと呆れる。

 人語氏は、“ 就任以来、首脳会談550回。ヨイショしているんじゃないですが、日本の外交はいま力強い」。なるほど力強いヨイショである ” とか、“(議員が) 推す法案を長々と説明して「総理、応援していると言って頂けますか」 「応援しております」というやり取りもあった ” と嘆く。

 こんな政治が四年も続くのかと思えばうんざりとなるが、一方で、にんまりとする御仁もいるのだろう。

 まあ、長い人生、阿ね、諛っているのが透けて見え、「おい、浅ましいぞ」と自嘲したこともないじゃない、が、ここまで酷くはないやね!
 そんなこんなで師走・十二月、忙しく走り回るのはサンタさんに任せて、のんびり行くとしますか。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1446

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

品格ってなに? ‐ 11月がゆく

2017年11月30日 | 季節/暦

 シリーズ “ 〇〇月がゆく”、駄文も積もって約九十篇、折々の印象を綴ってきた。
 世相から材を得ることが多いが、楽しい記事が少ない、というより殆どなかったように思う。

 そんなことで今号も芳しからぬ話で、大相撲秋場所、白鵬の40回目の優勝で千穐楽の柝が入った。
 その場所中に日馬富士の暴力行為が発覚、連日、新聞・TVを賑わせている真っ只中、白鵬の軽率な言動が波紋を広げている。

 元横綱朝青龍の民間人への暴力は論外にして、今回の横綱の地位を笠にきての暴力行為は、かつての部屋ぐるみのリンチ事件に似て、薄汚くて遣り切れない。

 今回の騒動で問われている事のひとつに “ 横綱の品格 ” がある。
 横綱たるもの “ 心・技・体 ” が三位一体となって備わっていなければ、と有識者とやらをはじめ外野席が姦しい。

 弁護する心算は毛頭ないが、十四、五歳で入門、二十歳半ばで大関、横綱と地位を昇りつめた青年に “ 技・体 ” は判るが “ 心 = 品格 ” まで求めて然る可きなのか、遊び盛りの年齢じゃないか、と思わないでもない。

 一方で、大飯原発の再開を金で売った福井県知事、神戸製鋼、日産、東芝、三菱、取り分け経団連会長の東レなどデータ偽装をする経営者、会計検査院の報告書も反故紙にするらしき森友・加計問題に対する政府、保守系議員の妄言など、いい年をした高学歴者らの品格なき行為は目を覆うばかり。

 引退は当然としても、改めて “ 品格 ” とはなんぞや? そんなことを考えさせられる霜月・十一月だった。
 そんな世相とは不似合いの 「侘助椿」が咲く時季になったが、花言葉は “ 控えめ、静かな趣き ” なんだって、お上品な昭恵夫人にはお似合いなンでしょうなあ、きっと。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1445

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気だして! ‐ 11月がきた

2017年11月01日 | 季節/暦

 関西では本格的な秋も未だ、多分。なのに、過日(10/31)のお昼のTV、「東京と大阪に木枯らし1号が吹いた」と騒がしい。

 そのなかで進行役のAさんが 「1号と言うことは、2号もあるの?」と名(迷)言を。
 そりゃそうだ、散々な目に遭わされた台風にも21号、22号とあるんだから至極まっとうな疑問だと頷いた。

 そんな暇人の酔狂に優る方がおられるようで、気象庁にそのことを問い合わせたらしきHPがあった。

 まず、“ 木枯らし1号は東京と大阪だけが発表 ” というところからしてちょっと驚かされ、その理由が “ 季節の風物詩として話題性が高いから ” と続いていて納得。

 で、“ 2号、3号も当然あるが発表しないだけ ” ということのよう、疑問は解けたものの理由は案外に素っ気ない。

 ところで騒がしいハロウィンも終わって、カトリック暦の11月1日は、すべての聖人と殉教者を記念する 「諸聖人」の祭日、古くは 「万聖節」と呼ばれていたのだとか。

 その翌日は 「死者の日」で、“ この日は復活の賛美豊かな交わりの時、墓参をしながら共に過ごした日々を思い、いつか共に生きる日々を思いながら過ごせばいい ” と訓える。
 鈍らキリスト者の酔狂、この日に限らず神父様やレジオの皆さんに随分と励まされ、心を軽くして貰った。

  なぐさめてくるゝあたゝかかりし冬  (汀子)

 あれから満四年、淋しくないと言えば嘘になるが 「元気だして!」の声に励まされて、もう少し頑張ってみるのも悪かないかな、と霜月・十一月の初めの日、立冬前の空がやけに高い朝に、そんなことを思った。
 面白くもない話に添える花を、とファイルを探したらあいつ が好きだった秋深く咲く 「茶」の花が・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1424

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする