安息の日(8/11)、夙川教会でミサに与った。
その日、例によって聖体行列の直前からだったが、お御堂に入って直ぐ聖水盤の前で代父のSさんご夫妻に出会った。
自身のお体のことは横に置き、私どもふたりのことを気遣って下さり恐縮この上ない。
さて、そのSさん、立ち話の合間に 「今日投函しようと思っていたのですが、お目にかかれたので」と言って、一枚の葉書を手渡された。
それは今日(8/15)、“ 主が復活された日 ” と “ 主が生誕された日 ” とともにカトリックが年に三回だけ特別な日として祝う “ 聖母マリア様の被昇天の祭日 ” のポストカードだった。
そのポストカード、帰宅して改めて拝見。
なんと、ペトロ とカタリナ
が大好きなある画家の絵がプリントされていて、最近頓に涙腺が緩んで聊か気恥ずかしいが、少しうるんとなってしまった。
ただ、言い訳をすれば単純にうるんとなった訳ではない。
二度目のマドリードだったが、私たちはプラド美術館のバルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682/スペイン/バロック)のある絵の前に釘付けになった。
彼は、カラヴァッジョ(1573-1610/イタリア/バロック)に代表される、明暗対比による劇的な表現手法の強い影響を感じさせるセビーリャ派特有の作風に、柔らかく繊細で輝きを放つ表現を用いたとされている。
足を止めさせたのは、その彼の傑作 「無原罪の御宿り」。
彼は生涯において十数点、同主題の作品を描いたとされているが、ここプラドは 「アランフェス」(上段/左)、「エル・エスコリアル」(上段/右)、「ベネラブレス」(中段)の三点を収蔵。
残念ながら 「ベネラブレス」は架かっていなかったが、残る二作品に感激したことを昨日のことのように覚えている。
話は戻って、Sさんからのポストカード、プリントされていたのはその彼の 「無原罪のお宿り」。
この初夏、カタリナとサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館で対面する筈だった 「ウォルポール」(下段)だったのである。
今更言っても詮無いが、少し悔しい思いとともに、重なった偶然にうるんとなったような次第。
聖母マリアが母アンナの胎内に宿った瞬間、神の恩寵により原罪から免れたとする “ 無限罪の御宿りの日 ”、そして、肉体と霊魂を伴って天に上げられた “ 被昇天の日 ”。
とまれ、聖母マリアは、“ キリストによる救いに与る人たちの象徴として、信じるすべての人たちの救いへの希望を表現するもの ” (カトリック中央協議会)として崇められていることを、一枚のポストカードが呼び覚ましてくれたのである。
ムリーリョの四枚の 「無原罪の御宿り」、是非とも紹介したく久し振りに長くなったが、聖母マリア様の祭日に免じてお赦しあらんことを。
ところで、1941年12月8日 「御宿りの日」、無謀にも戦争を仕掛け、4年後の8月15日 「被昇天の祭日」に多くの無辜の命と引き替えに降伏したこの国、それも何かの因縁だろうか。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.687