日曜の夜、NHKのドラマ 「軍師官兵衛」、気が向けばチャンネルを合わせる。
そのドラマ、信長が本能寺に斃れる辺り、官兵衛などをキリスト教に回心させた “ ユスト 高山右近 ” が登場していた。
摂津の国の大名であった右近のことは、受洗する前だから相当昔になるが、加賀乙彦著 「高山右近」(講談社刊)を読んで感動したことを覚えている。
千利休の高弟の一人でもあった高山右近。
戦いに明け暮れる戦国時代にあって、秀吉のバテレン追放令に揺るぐことなく地位も領地も捨て、果ては、家康の禁教令によって国外へ追放されマニラで没した。
その右近の福者への列福を求める運動が日本カトリック中央協議会あげて行われている。
聖人に次ぐ称号の福者、列せられるには奇跡を為したか殉教者でなければならないが、協議会は彼を殉教者として申請、今、教会では毎日のミサの直前、右近の列福を求める祈りを捧げている。
そんな折、朝日(11/9 )が、“ 高山右近を来年 「福者」認定か バチカン高官ら示唆 ” と報じた。
記事を追ってみると、“ 右近が2015年にカトリックで聖人に次ぐ崇敬の対象である福者に認定される公算が大きくなっている。バチカンの高官が日本の巡礼団に前向きな見通しを語った ” とあった。
日本の聖人や福者はこれまで、1597年に長崎で処刑された “ 日本26聖人 ” など、何れも集団での認定、右近が認定されれば単独では国内初。
来たるべき15年は、その “ 右近の殉教 ” から400年。
また、幕末期に潜伏キリシタンが外国人宣教師と再会した “ 長崎信徒発見 ” から150年、伊達政宗が派遣した “ 支倉常長の慶長遣欧使節 ” がローマ法王パウロ5世に謁見してから400年でもあるとか。
先頃には、安倍さんがバチカンを訪問、“ 江戸時代に隠れキリシタンが信仰に用いた 「魔鏡」の複製を贈り、フランシスコ教皇に15年中の訪日を要請した ” と朝日紙(6/7)は報じていた。
それが実現する辺りまでは、何とか元気で暮らしたいと思っている。
写真は 「照り紅葉」と 「菊」、北の国からは冬将軍が顔を覗かせたとの便りも届き、短く秋もゆく。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.895
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