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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ルソーの秘密

2012年08月17日 | アメリカ/カナダ

 れぬパソコンを操作、図書館に予約をしたのはペトロ が入院中の頃。
 朝日の書評欄に、“ アンリ・ルソーに絡む美術ミステリー ” と評価されていた「楽園のカンヴァス」(原田マハ著・新潮社刊)、大方半年も経って貸出可のメールが届いた。

 小説は、素朴派を代表するルソーのある絵を巡ってミステリアスに繰り広げられる。
 その彼の絵、幾つかの美術館で見たものの、風景画も人物画も平板で切り絵のように感じたものだ。
 密林の絵などにある単色の重なりを明暗にする描法は面白いが、総じて遠近法、明暗法のない下手な絵という印象があった。

Photo_2  私の中で評価が変わったのは、ペトロが投稿した<「蛇使いの女」>(オルセー美術館蔵)からで、そこには強烈な色のインパクトと構図があった。
 そして、一昨年、NY近代美術館、通称MoMAで出会った「眠るジプシー女」(上)。
 穏やかな色調の中に、ライオンにも眠る女にも、生を超越した落ち着きと物語を紡がせる画家の囁きが感じられた。

 彼は終生、税関吏の老いた日曜画家と嘲笑されたが、ピカソやダリなどシュールリアリズムの画家に大きな影響を与え、死後評価が一変、近代絵画の先駆者とされている。

 小説に戻って、主人公は倉敷・大原美術館の監視員の早川織絵とMoMAのチーフ・キュレーター(学芸員)のティム・ブラウン。
 話は17年前に遡り、スイス・バーゼルの謎に包まれた伝説のコレクター、コンラード・バイラーからの招請状をティムが受け取るところから始まる。

Photo_3  当時、アシスタント・キュレーターだったティムは、招請状の宛名こそ自分になっているが、文面から彼のボス、チーフ・キュレーターのトム・ブラウンへ出されたものであることを知る。
 ピカソの研究者として世界的に有名なトムは、ピカソが敬愛したルソーに関心を持ち、ティムをアシスタントにルソーの企画展を計画中だった。

 “ Tom ” と “ Tim ”、宛名の一字違いと気づくティムだったが、ルソーの研究者として幻の名作に出会える高揚感と企画展を成功させあわよくば出世もと、トムに成りすましスイスへと向かったが、そこには、バイラーから招請されたルソー研究の若き第一人者オリエ・ハヤカワがいた。
 オリエとティムを縦糸に、美術館やコレクターなどの思惑、陰謀を横糸に、MoMAに架かるルソーのもう一枚の傑作「夢」(下)の秘密が・・・。

 これ以上明かすとこれから読む方の興を削ぐのでやめるが、良質のミステリーには読者をあっと驚かせるものが不可欠、それも、些かの無理もなく。
 この小説には最後まで、「え~っ、そうだったの?」があって面白くお勧め。ただし、自己責任でね。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.501

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ナイアガラの滝 ‐ 天気に恵まれて

2011年10月26日 | アメリカ/カナダ

 坂道を登って土産物店が並ぶ展望台から滝を遠望。
 霧の乙女号が何隻か激しい波にもまれて進んでいるのが見える。

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 展望台            ♪ 虹の下、木の葉のような船?

 バスに戻り、ナイアガラ・パークウェイを行く。
 落葉樹などが紅く色づき始め、ナイアガラ川は穏やかであの激しい落下が嘘のよう。

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  秋色のパークウェイ、水が水色?               水煙に虹! 

 途中でUターンして着いたのがクィーン・ヴィクトリア・パーク。
 差し詰め、観光センタのようなもの?広い芝生の公園、レストラン、土産物屋、観光案内所などがあるらしいのだが、ここの一番の見どころは “ テーブル・ロック ”。

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 手を伸ばせば届きそうなところ、吸い込まれるように水が流れ落ちている

 世界三大瀑布と言ってもそこは滝、何時間眺めていても飽きないというものでもない。

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  カンナの花の向こうに虹、いたるところ虹!

 さて、NYへの帰り道、ガイドはレインボーブリッジの渋滞を心配していたが、この日はスムーズに流れていて驚いていた。
 入国審査、カナダのように簡単にはいかない思っていたのだが、面倒くさそうに「ウエルカム!でお仕舞い。

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  日曜でガラ空きの高速道路、夕日を背にバッファロー空港へ

 入国審査は呆気なかったが、空港のセキュリティ・チェックは相変わらず厳しい。
 靴下を脱げとは流石に言われなかったが、ベルトをはずせ、靴を脱げは、この国では当たり前のようだ。

 搭乗手続きを終えてしばらく時間があったので、フードコートでスナックを口に小休憩。
 搭乗時間が近づきゲートへ、そこは思いの他多くの乗客が待っていた。

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 秋の陽は釣瓶落とし

 夜の帳に包まれたジョン・F・ケネディ空港から迎えの車でマンハッタンに向かう。
 一等最初にグランド・セントラル駅で降ろして貰い、同行者と「いい旅を」と挨拶を交わし別れた。

 それにしても、天気に恵まれた遠足だった。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.396

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ナイアガラの滝 ‐ 霧の乙女号

2011年10月24日 | アメリカ/カナダ

 さて、無事?カナダ入国を果たした一行、連れて行かれたのは、ナイアガラの滝が一望できるという大型ホテルのレストラン。                                                      

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 ♪ レストランでヴュッフェ形式の豪華?ランチ

 ナイアガラ川、滝となって流れ落ちる直前にアメリカ領ゴート島でふたつに分かれる。
 下流に向かって島の左側を落ちるのがカナダ滝、落差53m、幅670mもあるという。
 島の右側を落ちるのがアメリカ滝、こちらは少し小さく落差は最大で34m、幅は260mあるそうだ。

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 なるほど、「アメリカ滝」(向かって左)が、その向こうに「カナダ滝」が望めます

 <旅の途中に‐あっちこっちと>でも書いたが、NYへ入った日は土砂降り、その翌日も小雨交じりの冷たい風の吹く一日だったが、ナイアガラの滝への遠足の日は、これ以上は望めないという天気、きらきらと陽に輝いて水煙を上げている。

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 霧の乙女号 ・ Maid of the Mist Boat Tour ”、ちょっとミーハーな名前の遊覧船に乗船します。

 定員600名のボートが15分間隔で運行、「皆様をアメリカ滝の前を通過し、カナダ滝のしぶきを浴びる地点までお連れ致します」とある

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 スロープを下り、途中からエレベータでさらに降りると桟橋です

 観光客が溢れる小さな広場の入場ゲートを抜け桟橋へ。
 ここで、ビニールの雨合羽を受け取り、頭からすっぽりと被る。

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 真っ青な空に、白い水しぶきをあげる「アメリカ滝」です 

 霧の乙女号、凄まじい水しぶきをあげて迫り来る恐竜に健気にも挑む乙女、というシチュエーション?

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 ♪ 「カナダ滝」です、 落下する水しぶきが凄く、全容が見えません

 臨場感を表現できる筆力がないので、写真(左クリックで拡大します。)から想像して頂くしかない。
 流れ落ちる滝の音か、甲板を打つ水しぶきの音か、はたまた万国共通語の「ワーッ、キャーッ、アーッ!」の声かいっかな定かではないが、ひとしきり姦しく耳をつんざいていた。

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 それにしても、水も滴る美男美女?とはこのこと、たっぷりと水しぶきを浴びました

 誰かの、「晴れ女なんだから!を、この日もまた認めざるを得ないようだ。
 遠足や運動会などのイベント、晴れるだけで半分以上成功したようなもの。楽しい想い出を残してくれた。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.395

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ナイアガラの滝 ‐ カナダへ

2011年10月21日 | アメリカ/カナダ

 空がようやく明け始めた頃、ジョン・F・ケネディ空港に着いた。
 そこで、空港集合組み、15名ほどもいたろうか。と合流、総勢25名ほどに。

 ホテル・ハイアットで出会った大阪のご夫婦、カナダで一泊されるらしく、向かう空港も違うようでここでお別れ。

 Photo 2  Photo_9 Photo_10  

  ♪ ケネディ空港で搭乗手続きに向かう           バッファロー空港に着いてバスを待つ

 セキュリティ・チェック、靴下までも脱がされそうな厳しい検査。
 いつぞやフランクフルトのそれで、バスローブ姿のアラブ人グループを見たことがあるが、「ひょっとして、ズボンを脱げ」とまで言われるンじゃないかと小さな胸?を痛めた。

 バッファロー・ナイアガラ空港へはジェットブルー航空。
 100人乗りほどの小型機、ビジネスアワーでもありほぼ満席、1時間半ほどで着いた。
 90分も飛行機に乗りながらここがNY市と同じ州だとはとても思えない、それほど広いということ?

 空港からは、小型のバスで西に向かって約30分、エリー湖から流れるナイアガラ川に沿って走り、途中グランド島を抜けカナダ国境へと向かう。

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  ♪ 小型バスでカナダ国境へ                 ♪ 秋色のナイアガラ川

 世界三大瀑布のひとつナイアガラ・フォールズ。
 エリー湖からオンタリオ湖へと流れるナイアガラ川のほぼ中間にあり、その川の真ん中がアメリカとカナダの国境。観光客の多くはカナダ側に入るという。

  川Photo_21がほぼ直角に北上する辺りに架かる橋がレインボーブリッジ、その両端にそれぞれの検問所がある。
 カナダに入る場合、アメリカ側はフリーパスでゲート(写真左:扇形の建物)を潜り、対岸でカナダの入国審査を受ける。

 カナダへの入国はパスポートを見て終わり。
 うんざりするほどの観光客を毎日相手にしていれば、「Purpose of your visit? 何しに来たの?」などと、改めて聞くのも阿呆らしくなるのだろう。

 ちなみに、アメリカへはこの橋を逆行する訳だが、渋滞で難儀すると聞いた。写真でも右側車線が混んでいるのが判る。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.394

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ナイアガラの滝 ‐ かにかくに

2011年10月19日 | アメリカ/カナダ

 カナダとアメリカ国境にあるナイアガラの滝。

 アルゼンチンとブラジルにまたがるイグアスの滝、ジンバブエとザンビア国境のヴィクトリアの滝とともに、世界三大瀑布のひとつとして知られている。

  Photo初めてワシントンDCとニューヨークへ行った折に、現地ツアーをインターネットで調べていたら、「DC半日観光」や「NY自由の女神観光」などと並んで、「ナイアガラ・フォールズ一日観光」というメニューがあった。

 目聡くそれを見つけたカタリナ、「折角 NY まで行くのだから、行こうよ!と誘う。
 早朝から15時間ほどのツアー、「年寄りには少しハードでは?とも思ったが、彼女の熱意に負けて申し込んだ。

 さて当日、朝まだきパークアヴェニュー(写真上) 、店は閉まり人影もほとんどなく清掃車とタクシーがヘッドライトを点けて走る。

 ホテルから4ブロックほど北に歩けばグランド・セントラル駅、その隣のホテル・ハイアット(写真下)が集合場所。
 人影がほとんどないホテルのエントランス、エスカレータで上階ロビーに行くと一組の日本人夫婦、話しかけると同じツアーを申し込まれていた。

 Photo_3大阪弁が通じる気さくな同年輩?のこのご夫婦のこと、<旅の途中に‐無事に>で、「最後は大阪弁で言い返したるねん」と怪気炎をあげ、大いに笑ったりしたことを書いた。

 話がそれたが、暫く待っていると、10人ほどが乗れる乗用車が迎えにきた。
 途中、企業の研修グループらしき3人の中年男性、この組も交わした会話から関西人だった。その次に、中年の夫婦と拾ってゆく。

 最後に若い女性二人、この人達、20分近くも待たせながら、「ごめんなさい」の一言もない。
 礼を知らぬこの人達、空港合流組も含めてメンバーと会話する姿を見かけたことがなかった。                                                                                        どうも今時の若者、いわゆる新人類?らしい。

 かにかくに11人を乗せて、ジョン・F・ケネディ空港へと向かったのである。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.393

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旅の途中に ‐ 無事に

2010年10月23日 | アメリカ/カナダ

 大層に言うほどのことではありませんが、昨夜、無事に帰りました。

 初めてのアメリカ旅行、言葉のことは今更どうにもなりませんが、一番心細かったのは体力のこと。
 寄る年波に加えて日頃の運動不足、「重い鞄を抱えて列車や地下鉄に乗れるんかいな?ということでした。

 Photo Photo_2

 ♪ ワシントンDC、連邦議会とナショナル・ギャラリーです

 駅では必ずエスカレーターを探し、列車では網棚?に鞄を上げるのは無理と悟りました。
 さほど歳が違わぬ、いや、むしろ歳上とも思えるお爺さんが、「えいっ!とばかり、網棚へ持ち上げるのを間近に見て、その矍鑠振りにうな垂れてしまいました。

 ナイアガラへの遠足で、短い時間でしたが知り合った大阪の同年輩のご夫婦、このおふたりも個人旅行でした。と、「己の主張を押し通すこの国の人に負けてられへん」「そうや、最後は大阪弁で言い返したるねん」と気炎をあげ、大いに笑ったりもしました。

 しかし、言葉や肌の色、勿論、鼻の高さも手足の長さも違っても、みんな親切で、人は助け合って生きているということをいろんなシーンで実感しました。

 Ny Photo_3

  ニューヨーク、ロックフェラービルからのセントラル・パークとメトロポリタン美術館です

 成田近く、「右前方に富士の残影が見えます」との機内アナウンスに、思わずちんけなデジカメのシャッターを押しましたが、「上手く写る訳がないよなあ!

 ペトロ とカタリナ、帰りの機中、「サンクトペテルブルクの・・・」「エルミタージュ美術館」「うん、行きたいなあ」「頑張りましょうよなどと話しました。
 
絵に描いた」「餅?」「多分!と思いつつも、もう少し 《旅を重ねていければいいなとも思いました。

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旅の途中に ‐ なんで?

2010年10月20日 | アメリカ/カナダ

 昨日、雨もやいで心配したのですが、晴れ女さん のおかげ?でいい天気でした。

 NYペンシルバニア駅(写真上)から、アムトラック(写真中左)でDCユニオン駅(写真中右:改札口)へ戻りました。

                                                                      

 Photo 

 

 靴下まで脱がされるような威圧的な搭乗前検査から開放され、時間も節約できる高速列車、人気が高いのかほぼ満席でした。                                                  

 

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 ところで、DCで初めて地下鉄に乗ったときのこと、スムーズに運んだのですが、3回目の乗車以降、自動改札機が上手く動作してくれません。

 駅員にチケット見せると、「うんうん」とばかり頷き、手動の改札口から出してくれました。今から思えば、ツーリストとしてお目こぼしに預かっていたのでしょうか?

 昨日のこと、またもや同じシーンになりましたので、「改札機、壊れてんのかいな」と駅員、今度は黒人女性でした。に尋ねますと、今度は、精算機と思しき箱の前で、「チケットをここに入れろ」と言い、そのとおりにすると35セント不足と表示されました。

 

 NYは料金均一で分かりやすいのですが、DCはロンドンやパリと同じで目的地によって料金が異なります。
 「
えっ、どうして。料金表で確かめたのに?と、首を傾げつつも、精算機に不足のコインを投入しました。 

                                             

 Photo_4 

 

 吐き出された精算チケットを見ながら、「時間によって違うんかいな」と、唖然、呆然?とするふたりに、彼女の得意そうな笑顔、白い歯が印象的でした。

 

 復路は10ドルのプリペイド・カードにしたのですが、これとても20ドルを一枚のカードにチャージしてしまって、駅員さんに10ドルのカード二枚(写真下)に分割して貰う頓珍漢振り。
 そして、下車して分かったのですが、往路2.2ドルだったのが、わずか1時間ほどで2.4ドルになっていました。
 
チップにも使えないコイン、そのひとつかふたつを巡ってこの有様でした。

 

 これから、待望の「ナショナル・ギャラリー」に出かけます。地下鉄、今度は幾らなんでしょうかねえ?

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旅の途中に ‐ あっちこっちと

2010年10月19日 | アメリカ/カナダ

 カタリナ、「晴れ女なんだから!と、鼻をうごめかしています。今回ばかりは脱帽、そして、感謝です。

 

 プラハ城内の聖ビート大聖堂の鐘楼に昇らされて以来、高いところには決して昇らないカタリナですが、土曜日の午後、ノイエ・ギャラリー(上/左)で、「クリムトとエゴン・シーレに感激」した余韻?もあって、タイムズ・スクエア(上/右)に、「道頓堀のグリコ・マーク」とはしゃいだかと思えば、ロックフェラー・センターの「トップ・オブ・ザ・ロックに昇る!と突然言い出しました。

 

  P1080942

 

 もともと、「何とかと煙は高いところが好き」のペトロ、「待たなくていいのなら!」と付き合いました。 

 何時もは長蛇の列らしいエレベータ、ちなみにお一人様$19です。も、あっけにとられるほど空いていて、僅か1分で67階展望台。
 ロックフェラー・センター(下/左)のトップ・オブ・ザ・ロック(下/右)、70階は、風防ガラスもなくカメラを構えると手振れがします。

 

  

 

 その真南にひと際聳えるのが、彼のエンパイア・ステート・ビルディングです。(下/左)

 「どこかで見たことがあるような」と頓珍漢な誰か、「ホテルの部屋からすぐ近くに見えてるじゃない」と言われて、「何だ、あのビルか」と納得。(下/右)

 

 ちなみに、トップのイルミネーションは、メモリアルデー毎に変わるらしいのですが、「」のように見える今宵、このような色の組み合わせに、理由があるのかどうかは知りません。

 

 Photo_5 Photo_6 

 

 話はそれましたが、DCからNYへ入った日は土砂降り。

 翌日のNY、小雨交じりの冷たい風の吹く一日でしたが、土曜日あたりから晴れ間が続き、日曜日、ナイアガラ・フォールズ(下/左)への遠足の日は、これ以上の日は望めないという天気。

晴れ女なんだから!を、この日ばかりは認めざるを得ません。                                                                                                                         

 

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 そして、今日も晴れ。
 
近代美術館・モマから地下鉄でロウアー・マンハッタンへ。

 

 ワールド・トレード・センタ跡地のグランド・ゼロに 「9・11」に思いをいたし、自由の女神(上/右)の島までのフェリー乗り場の列に恐れをなし、然らばと、スタテン島への無料フェリー、これが満員。で、傍を通り、女神のご尊顔を拝してきました。 
 ただ、このフェリー無料ですから近くを通りません。ズームで拡大しましたが、女神のお化粧の具合など、よくは分かりませんでした。

 

 明日はまた、DCへ戻り、ナショナル・ギャラリーを訪ねます。
誰?こんなアイテナリー組んだの!と、パッキングをしながら誰かの呆れたような声が聞こえます。

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旅の途中に ‐ 元気に

2010年10月16日 | アメリカ/カナダ

 インデイアン・サマーというのだそうです。
 10月だというのに真夏を思わせるワシントンD.C.(写真上左:アメリカ連邦議会)から、一転、時雨交じりの冷たい風が高層ビルを吹き抜けるニューヨークに、都市間特急・アムトラックで一昨日(14日)入りました。

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 天気の変わりようの激しさに少し戸惑いながらも、初めてのアメリカ旅行、元気に楽しんでいます。

 NY時間の15日(金)朝一番に、待望のメトロポリタン美術館、愛称メット(写真上右)を訪れ、ほぼ一日を過ごしました。
 今回、DCのフィリップス・コレクション、NYのフリック・コレクションに次いで三館目です。

 フィリップス・コレクションでは、ルノワールの「舟遊びをする人々の昼食」(写真中)など、素晴らしい作品と出会いました。
 フリック・コレクションでは、フェルメールの「婦人と召使い」など、三作品と出会いましたが、写真撮影は残念ながら禁止されていました。

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 カタリナ、メットの膨大なコレクションのなかから、レンブラントとフェルメールに改めて感激。
 なかでも、レンブラントの「ミネルバ」(写真下右)など、その収蔵作品のボリュームには圧倒されたようです。

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 「お稽古のお仲間にはご迷惑をおかけしますが、もうちょっとだけ 旅の途中にいさせて下さい」と、カタリナは申しております。
 また、機会があればアップする予定です。

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今年の9.11‐言葉

2010年09月21日 | アメリカ/カナダ

 不真面目だと叱られそうだが、久し振りにミサ・日曜礼拝(写真上)に行った。
 ミサでは 《主の祈り》 の一節、「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」(日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳)を唱える。

 また、使途パウロは、「憐れみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身につけなさい」(コロサイの信徒への手紙/新共同訳)と教えた。

 Photo_2聊か旧聞になるが11日の土曜日は、米国で同時多発テロがあった日。
 01年のこの日、ペトロ とカタリナ、ウィーンにいたこと、<9.11>で書いた。

 その跡地、グランド・ゼロ近くイスラム教のモスクの建設計画に、ニーヨーク(NY)のみならず全米中がデモや集会でかまびすしいと聞く。

 テロの犠牲者やその遺族などが、象徴とされる地の近く、モスクが建設されることに違和感を覚え、感情的になることは理解できないでもない。
 テロの記憶が生々しく、傷が癒えていないこともあって、許されざる行為と受け取られるのだろう。

 そこから端を発したのか、フロリダ州のキリスト教会のひとりの牧師が、その日に「聖典のコーランを集めて燃やそう」と呼びかけ、その波紋が世界を駆け巡る騒ぎなった。

 幸Photo_3いにしてこのコーラン焚書計画、実行には至らなかったが、イスラム教国は勿論のこと、ヨーロッパ諸国やヴァチカンや当事国のアメリカ自身も強く反対した。

 9月10日の「天声人語」。
 
NY大の教授は、「社会が自由や寛容を失ったら、それこそテロリストを勝利させることになる と案じ、憎悪が憎悪をあおる愚挙は、まさにテロリストの思うつぼ、と主張。

 また、ビアスの悪魔の辞典、宗教とは希望と恐怖を両親とする娘を引用、不寛容という乳母の手で醜く育った娘は、何であれ世界を不幸にする、と続けた。

 斯く言うペトロ、洗礼を受けて10年余、《寛容、謙遜、赦し》 いまだ行い難し。

 写真の花、強い日照りにも耐えて、次々と一日花を咲かせるという「松葉牡丹」。葉っぱが太いので、「ポーチュラカ」という外国種かも知れない?

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