ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

及第点 ‐ 6月がゆく

2014年06月30日 | 季節/暦

 朝日新聞の朝刊の連載4コマ漫画、「ののちゃん」。
 もともとは、この漫画の主人公である小学生3年生の “ のの子 ” ちゃんのお兄ちゃん、何をやっても平均点の中学生 “ のぼる君 ” が主人公の、「となりの山田くん」から連載がスタート。

 カタリナ、人様への好悪を露わにする性質(たち)じゃなかったと思うが、ののちゃんのおバカさんキャラ、余り好きになれなかったよう。

 A成績の良し悪しは別にして、努力らしきものをせず0点でもへらへらしているのが理解(わか)らず、いくら漫画だとしても容れられなかったみたい。

 尤も、ののちゃんが登場しないとき、特に、伯父さんの孫のサッチャン、この子が実に権太。が登場するときは、「あはゝ、私にそっくり」と笑っていたから、この漫画そのものは嫌いじゃなかったようだ。

 確かにのの子ちゃん、相当のおバカさんキャラだ。
 この日(6/16)も左様な有様で、コンスタントに0点、今日は頑張ったよ! と言ってもせいぜい10点や30点止まり。
 及第点を取るなんてことは皆無だから、カタリナならずとも呆れて当然かも知れない。

 ところで、その及第点だが、何でもかんでも点数で推し量ることには抵抗感はある。
 が、点数で物事が評価されるのも事実だし、好むと好まざるとにかかわらず評価する側にいることもある。

 こんなことを書いたのは他でもない。
 小稿みたく雑文とも呼べない代物でも、今日の出来栄えは?と気になる。
 投稿時には及第点と思った文(もの)も読み返すと存外に詰まらなく、余り好い出来でないと思いつつ投稿した文がそれなりに・・・、なんてこともある。

 皆さんから見れば、「そんなご大層なもの?」と、思っておいでだろうけれど、明日と言わず読んだ尻から忘れられる泡沫記事と雖もそれなりに気になるもの。
 それも、駄文と自認するがゆえのことだけどね。

 で、今日は? あっ、今日もか、ののちゃんレベル、及第にはおよびもつかぬ点数? だよなあ・・・。
 そんなこんなで、肩の痛みがぶり返したこともあって、聊かブルーに水無月・6月がゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.828

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レンブラント(7)‐ ナショナル・ギャラリー(26)

2014年06月27日 |  ∟イギリスの美術館

 17世紀のオランダ絵画黄金期をフェルメール(1632-1675)とともに主導した画家レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)。

 これまで、ナショナル・ギャラリーが所蔵する 「水浴する女」 「ベルシャザルの酒宴 ‐ 壁の言葉」 「キリストと姦淫の女」 「フローラを装うサスキア」 「34歳の自画像」、そしてそれらと関連性の高い作品を投稿してきた。

 A_2それら圧倒する収蔵品の卓尾を飾るのが 「63歳の自画像」(上)。

 最初期の作品とされる 「<自画像 ‐1628年>」(アムステルダム国立美術館蔵)から実に41年、「63歳の自画像」は、画家レンブラントが生涯にわたり描き続けてきた自画像の最晩年の作品とされている。

 愛するサスキアを失い、彼女の忘れ形見、溺愛した息子ティトウスをも失い、乳母および家政婦として雇ったヘンドリッキ・ストッフェルスと再婚したことにより、裕福だったサスキアの遺産は没収、彼自身の放蕩もあって輝かしい画業に次第に翳りが兆し、やがてそのすべてを失っていく。

 その1669年に制作されたとする本作、「ゼウクシスとしての自画像 ‐ 笑う自画像」(下/ケルン・ヴァルラフ ‐ リヒャルツ美術館蔵)と制作時期が前後し、彼の最後の自画像とも言われている。

 にもかかわらず 「笑う自画像」と対比してこの作品は、非常に高い創作意欲と表現力によって老いた自分を客観視した思慮深い慎みが見て取れる、そんな印象を受けた。

 B_2ちなみにゼウクシスとは、美の女神アフロディテに扮した老婆の肖像画を描いている途中、笑い死にしたと伝わるギリシャの画家のこと。

 このギリシャの画家に扮してこの世に別れを告げる、レンブラント最後の諧謔ともされている。

 余談だが、05年にケルンを訪ねた折、このヴァルラフ ‐ リヒャルツ美術館、身振り手振りで場所を聞きまくった。

 で、この絵と対面したが、老いてはますます壮(さか)んなるべし、飽くなき探求心に粛然とさせられたことを覚えている。

 カタリナ が愛して已まなかったレンブラント・ファン・レイン。

 栄光と挫折の人生を歩んだこの偉大な画家の功績を、美術館のみならず05年にはアムステルダムの彼の工房、09年には故郷ライデンを訪ねたことなども今となっては懐かしい。

 とまれ、ここナショナル・ギャラリーで、レンブラントが作品を通して放つ香気に酔い痴れたのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.827

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(25)へは(コチラ)から入れます。

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レンブラント(6)‐ ナショナル・ギャラリー(25)

2014年06月25日 |  ∟イギリスの美術館

 ライデンの粉引き職人の息子として生まれたレンブラント・ファン・レイン(1606-1669/オランダ絵画黄金期)。

 遠くローマから聞こえてくるバロック期の画家カラバッジョ(1573-1610/イタリア)やルーベンス(1577-1640/フランドル)の名声に野心を駆り立てられたのは想像に難くない。

 A彼は生涯に実に数多くの自画像を描いたとされているが、実際のところ一体どのくらい手がけたのか、正確には判らないのだそうだ。

 その多くの自画像作品の中で、ここナショナル・ギャラリーが所蔵するのは、画業の中期に置いて最も代表的な作例のひとつとされる 「34歳の自画像」(上)。

 最初期の作品とされる 「<自画像‐1628年>」(アムステルダム国立美術館蔵/下線をクリックすると入れます)から十二年後に描かれた本作、その構図など、盛期ルネッサンス期におけるふたりの偉大な画家が描いた肖像画からヒントを得たとされている。

 そのひとつがラファエロ(1483-1520)描くところの 「バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像」(下/ルーヴル美術館蔵)。

 Bそしてもうひとつが、レンブラントが生涯にわたって強い影響を受けたとされるティツィアーノ(1488-1576/ヴェネツィア派)の 「<男の肖像 ‐ アリオスト>」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)。

 黒い帽子が、モデルの顔をくっきりと浮かび上がらせている点はラファエロの作品に由来。
 ポーズ、鑑賞者に対する直接的な働きかけ、そして、袖の豪華な布地の強調は、すべてティツィアーノから借りたものとされている。

 加えて、当時の衣装ではなく、ルネサンス時代の古典的な衣装を身に纏う姿で描いている点も特徴とされ、極めて入念に描かれた本作は、盛期ルネッサンスのふたりの巨匠ラファエロとティツィアーノに、張り合おうとした、のは明らかとされている。

 また、彼にとって黄金時代(1632年 - 42年)と呼ばれる1640年、つまり結婚の翌年に描かれた 「<フローラを装うサスキア>」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)から五年、上流社会にも認められ、当時画家として最も成功していた自身をこの作品に投影、彼の揺るぎない自信が顕れた作品ともされている。 (この稿、続く)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.826

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(24)へは(コチラ)から入れます。

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日曜の朝 ‐ 想い出のカタリナ

2014年06月23日 | 想い出のカタリナ

 雨音に気づいて 遅く起きた朝は まだベッドの中で 半分眠りたい (12月の雨/詩:荒木由実)

 日曜(6/22)の朝、窓の庇を打つ雨に目が覚め、ベッドでぼんやりとこんな歌を思う。
 梅雨の中休みも取り敢えずは終わったのか、二日ばかりこの時季らしい空模様になるようだ。

 A先週の金曜日、W杯サッカーブラジル大会のギリシャ戦、PCを叩きながら世間に倣ってTV応援。

 ここのところ欠かさず出席しているこの日のミサ、時間的に行けなくはなかったが、無理しなくとも日曜ミサ、大きな声で言えないがここ暫く与っていない。に、行けばいいやと折り合いをつけた。

 前夜、就寝前にカタリナ におやすみなさいの挨拶をした折に、金曜日に行かなかったこともあって、「明日、雨だったら、久し振りに教会で日曜デートしようか」と約束。

 実のところ、日曜の10時からの主日(イエスが復活した日曜日のことで、この日は仕事を休み礼拝を行う聖なる日とされる)ミサ、出席者が多く雑多な雰囲気を避けて月に一度ほども与っていない。

 ところがまさかの雨。
 B2B1_2真面目な人から見れば、不謹慎極まりないけれど例によって半ば過ぎから、それも、月例献金もここ三月ばかり溜め込んでいたのでそれも兼ねて主日ミサに与ってきた。

 話しはそれるが二週ほども前、神父様がいつまで経っても立ち直れてないと思って下さったのだろう、レジオ・マリエ、マリア様の生き方に倣い、謙遜に人々への奉仕に生きる大切な教会活動のことだが、それに参加しなさいと言われた。

 ものの、そんな難しいこと、しかも、殆どが女性の方に混じってできないでしょう、シャイな誰かには、と勝手な理屈をつけてまだ踏み切れないでいる。

 時はいつの日にも 親切な友達 過ぎてゆく昨日を 物語にかえる

 ミサの帰り道、小雨の夙川堤に咲き競う夾竹桃を眺めながら口ずさむ悩み深き? 酔狂老人、デートのお相手に、「ご褒美に、ちょっとだけビール飲もうか」と、またまた不謹慎にも誘うのであります。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.825

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演歌

2014年06月20日 | 映画/TV/音楽

 会社勤めの頃、何を気取ってか理解(わかり)もしないのにクラッシックのCDを集め、コンポやパソコンや iPod などで聴いていた。

 音楽に興味がなかったカタリナ、嫌だと思っても口にするような人じゃなかったけれど、心うちでは、「五月蠅いなあ」と思っていたのでは、と思う。

 話しは変わって、若い頃はカラオケの全盛期。
 猫も杓子もプロ気取り、我もわれもとマイクを握った時代、時流に遅れないために歌謡番組を視たりしたものだった。

 Aその歌謡曲も、勤めに薹(とう)が立つ歳になって、段々耳障りがして疎ましくなった。

 法務担当になって、いわゆるお付き合いをする必要がなくなったことが表向きの理由だが、正直に言えば、「こいつ仕事してんのかいな?」と、鼻白まされるほど歌が上手い奴が増え、マイク握って自己陶酔してる奴の歌なんぞ、銭払ってまで聴いてられるかと思ったのが本音。

 まあ、早い話が、僻み妬みの類なんだけれど、歌謡番組も流行りの歌を覚える必要もなくなり、しかも、ちっとも面白くないので視ることもなくなった。

 とは言いつつも、カタリナが入院して此の方、病院への往復の車中にクラッシックは重く、歌謡曲に近いJ-POP、以前にも書いたがユーミンや山下達郎を聴くようになった。

 しばしば同乗した子供たちも、当方の心情を思い遣ってくれたのか何も言わず聴いていた、正しくは聴く振りをしていてくれたようだ。

 Bそして最近、独り夜の無聊に演歌を聴くようになり、それが、われながらナント!とも思う八代亜紀。
 依怙地みたくもあるが、その殆どがカバー曲だけれどCD6枚をダウンロードしてしまった。

 何もかもが湿気てしまう雨の夜など、演歌なるジャズ、いつの間にか映画いそしぎのテーマ曲、「The Shadow of Your Smile」とクロスオーバーする「五木の子守歌」、カバー曲の「再会」「For You ...」、それに、「舟歌」など、小節のきいたちょっと掠れた歌声を聴いている。

 最近、若者に人気らしいその彼女への傾倒振り、聊か自虐的だな・・・と、思わないでもない。
 そのうちに飽きるだろうけれどね。

 梅雨の中休みらしき日(6/18)、大人の掌ほどもある黒い松ぼっくりみたくな花? に出会ってびっくり。
 名前は、「アエオニューム」、和名「黒法師」と言うらしいが、お匙みたいなのは葉っぱだって、知ってました?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.824

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大阪弁 ‐ 想い出のカタリナ

2014年06月18日 | 想い出のカタリナ

 カタリナ、稽古に出しなに、「TVのお守りしてたら駄目ですよ」と、しばしば言われた。
 が、外出や用事をと思っても、例のアシタニ虫が耳元で囁き、横着にも折り合いをつけてしまう。
 それに肩を痛めてPCを自制していることもあって、最近、TVの時間が少し増えたような気がしないでもない。

 そのTV、放送が終了したが「銀二貫」(NHK)と放送中の「極悪がんぼ」(フジ系列)、話の面白さに加えて方言に感心するやら呆気にとられるやら。

 A前者は、天満の寒天問屋の丁稚どんが、“ 返事は、はいじゃなくへいですやろ ” と仕込まれる浪速商人(あきんど)の柔らかな大阪弁。

 加えて、寒天作りの舞台が摂津の原村。
 昔、高槻に住んでいた頃、この辺りのポンポン山や神峯山寺などに家族でハイキングをしたこともあって懐かしい。

 後者は、経営コンサルタントを看板に弁護士法違反を承知のサルベージなど、事件屋の連中が使う怪しげな大阪弁。
 がんぼとは広島弁で悪ガキなどを指すらしいが、芸達者なタレントが喋くる台詞は大阪弁に聞こえる。

 現役の一時期、八尾や富田林など南河内エリアを任されていたこともあって聊かの感慨を交えながら、「なんぼ河内でもそんな汚ちゃない言葉つかわへんで」と、大笑いしながら視ている。

 余談だが、たまに視る「花子とアン」、その中で使われる甲府弁が物語にアクセントをつけているようだ。

 B余談序にモンゴメリ著の「赤毛のアン」、「阿呆くさ、いい歳こいたおっさんがなに視てんねん」と笑われそうだが、「原作にかなり忠実」らしく、結構、面白かったのを覚えている。

 最近、朝日の記者や帝塚山学院の学長を務め、著書「大阪学」シリーズで大阪の文化をユーモラスに解きほぐし人気を集めた大谷晃一氏が鬼籍に入られた。

 大阪弁から話しはそれるが、関ヶ原?以来、官の東京に対して民の大阪、その心意気やどこへいってしまったのかと思う。

 在阪の電鉄会社、株式総会で、“ 在京の某球団みたいに銭に飽かせて集めとらんと、自前の選手育てたらどないだ ” と、質問されたらしいけど、尋ねた気持ち判らんでもない。

 真夏日だった第二日曜(6/8)、カタリナに付き合わせた寿司屋さんに久し振りに寄った帰り道、刷毛のような赤い部分がボトル・ブラッシュに似た「フェイジョア」が咲いていた。
 この南米原産の常緑低木、花も実もあるらしいが、聖母マリアの花、「ユリ」とともに緑に埋もれて映える。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.823

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レンブラント(5)‐ ナショナル・ギャラリー(24)

2014年06月16日 |  ∟イギリスの美術館

 レンブラント・ファン・レイン(1606-1669/オランダ絵画黄金期)の次なる絵は、画家が愛して已まなかった妻サスキアを描いた 「フローラに扮したサスキア」(1635年/124 x 98 cm)。

 画商ヘンドリック・ファン・アイレンビュルフの家で、ヘンドリックの親戚の娘で当時20歳だったサスキアと出会ったとされるレンブラント。
 サスキアは、地方都市の市長を務めたことのある父の死を機にアムステルダムに出てきていた。

 A_2若干内気ながらも、教養高く華やかな雰囲気をもつサスキア、ふたりは瞬く間に恋に落ちたとされる。

 1634年夏、幾つかの障害を乗り越え、彼女の故郷フリースラントで結婚式を挙げた。
 この結婚は、ライデンのアウデ・ライン(古いライン川)畔に風車を所有する粉屋の息子にとって、社会的な地位を上げる役目も果たしたようだ。

 そのサスキアとの愛に包まれた日々も長く続かなかった。
 一子、二子を失い、三子ティトゥスの出産後、床についてしまったサスキアは42年の初夏、30歳の若さでこの世を去る。
 この辺りを境に、レンブラントの華々しい画業に陰りが見え始める。

 サスキアとの10年足らずだが満たされた暮らしの中で、愛する妻をモデルに数々の傑作を描いている。
 そのひとつである 「フローラに扮したサスキア」(上)は、レンブラントにとって黄金時代(1632 ‐ 42年)と呼ばれる35年、つまり、結婚の翌年に描かれたとされている。

 この絵は当初、旧約聖書の聖女ユディトが描かれ、その制作途中で花と美の女神フローラへと変更されたことが判明しているらしい。

 Photoちなみにフローラとは、ローマ神話に登場するの花と豊穣と春の女神。

 ユディトは、以前に小ブログでも取り上げた記憶があるが、ベトリアの町を包囲したアッシリアの将軍ホロフェルネスの陣をヘブライ人の美しい寡婦ユディトが訪ね誘惑する。
 ホロフェルネスが酔いつぶれたのを見計らったところで首を刎ね、ヘブライ人は敵を打ち破ったという。

 余談だが、バロックの鬼才カラヴァッジョ(1573-1610/イタリア)。
 人間が持っている暴力性と残虐性は、女性と雖も例外ではないということを、「<ホロフェルネスの首を斬るユディト>」(ローマ国立美術館蔵)で、劇的なまでリアルに表現している。

 話を戻して、なるほど本作、右手に剣らしき杖、左手に花を持ち微かに笑みを浮かべ画家を見詰めるサスキア、圧倒する存在感を漂わせている。

 彼はこの作品の前年、本作のヴァリアント・異同作品 「春の女神フローラに扮したサスキア」(下/1634年/125×101cm/エルミタージュ美術館蔵)を描いている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.822

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(23)へは(コチラ)から入れます。

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レンブラント(4) ‐ ナショナル・ギャラリー(23)

2014年06月13日 |  ∟イギリスの美術館

 オランダ絵画黄金期の巨匠レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)の宗教画のひとつで新約聖書に画想を得た 「キリストと姦淫の女」(上/1644年/84×65.5cm)。

 神殿の境内で民衆に教えていると、律法学者たちやファリサイ派の人々が姦通の現場で捕らえられた女を連れてきて、“ こういう女は石で打ち殺せとモーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか ” と、訴える口実を得るためにイエスを試す。

 Aイエスは、“ あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい ” と答える場面が主題。

 これを聞いた律法学者たちは一人、また一人と立ち去り、その場に一人残った女にイエスは、“ わたしもあなたを罪に定めない。これからはもう罪を犯してはならない ”  (ヨハネ8章)と訓える。
 ちなみに、この女性は、しばしばマグダラのマリアと混同されるようだ。

 この絵が描かれたのは、最愛の妻サスキアを30歳の若さで失い、家政婦ヘールチェ・ディルクスと愛人関係になるなど、輝かしい栄光に翳りが見え始めた頃とされている。

 本作に示される、“ 罪を犯したことがない者などいない ” という主題に直接的な関連性は認められないものの、それらのことが何らかの心理的影響を与えたかも知れないとする説もあるようだ。

 ところで、遡ること14年、本作との関連性を疑うべくもない一枚の絵を描いている。
 その絵とは、画家として栄光のキャリアが花開く頃、新約聖書に画想を得た 「キリストの神殿奉献」(下/1631年/61×48cm/マウリッツハイス美術館蔵)。

 Bヨセフとマリアは、律法に従い神殿へ奉献するため山鳩を一番(つがい)持ち、イエスを連れてエルサレムへ向かう。

 そこには、“ 信仰が篤く聖霊が留まり、主が遣わすメシア・救世主に会うまでは決して死なないとのお告げを聖霊から受けていた ” シメオンという老人がいた。

 シメオンは神殿で幼子イエスを抱き救い主であることを宣言、後に降りかかるイエスの受難を予言する。

 この予言のほか、エジプト逃避、御子の見失い、十字架の道行、昇架と降架、ピエタ・悲嘆、そして埋葬の “ 聖母七つの悲しみ ” の第一留(ルカ2章)が主題。

 レンブラント黄金の時代とされる1632年から42年、その初期と末期に描かれたふたつの絵。
 共通するのは、大きな空間構成の巧みさ、劇的にあてられた光による物語性と豊かな表情である。

 是非、絵を拡大して見て頂きたいと思う。
 長辺が1mにも満たない小さき絵が、あなたを神聖な場所へと誘ってくれることだろう。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.821

 ※  ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(22)へは(コチラ)から入れます。

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同行二人 ‐ 想い出のカタリナ

2014年06月11日 | 想い出のカタリナ

 風が吹くまま気の向くまま・・・、フーテンの寅さんなんておよそできぬこと。
 だが、ちょっぴりの憧れもあって、着いてからのことはまだ決めていない。

 言ってしまえばただずぼらなだけだが、そこから北に行こうか、それとも西へ? およその目論見はあるが、着いた先の空模様に任そうと思っている。

 A_2寒い頃だった、“ 春になればその聊かさもしい旅、まずは国内あたりからでもと考えているのだが・・・” と、<独り旅>(02/21)で書いてから三月。
 ようやく行こうかな? と思えるようになった。

 鄙びた温泉宿も考えた。
 が、日に焼けた畳の部屋でぽつねんと酒を酌む図、どうにも見られた景色でなさそう、その日のうちに退散することにした。
 えゝかっこしいが、何を思ってかほんと?の独り旅、これで懲りっちまうのか、結構、楽しいじゃない・・・と、なるのかは判らない。

 写真の旅行本、カタリナ と<裏磐梯>(12/11/2)へ紅葉を訪ねた時のもの。
 そのあと蟹が食べたくて墓参を兼ねて城崎へ行ったりしたが、ふたりの旅はその磐梯山が最後。

 てなことで、カタリナのロザリオをポケットに、お遍路さんもどきに同行二人(どうぎょうににん)の小さな旅。
 それで何所に行くのかって? あと三時間もすれば仙台空港にいる、はずなんだけど。

 それにしても、なにを好き好んでこの時期・・・にって? 晴れ女さんと一緒だから晴れないまでも降らないさ! で、今日のブログはこれでお仕舞、行ってきます。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.820

 ※ 「続・同行二人 ‐ 各駅停車」へは、<コチラ>からも入れます。

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続・携帯電話 ‐ 想い出のカタリナ

2014年06月09日 | 想い出のカタリナ

 スマホの画面からSPメールのアイコンが消えちまった、までが前回。

 アイホンでもいいよと言ったのだが、居慎重士の割におっちょこなカタリナ が選んだのがドコモのエルーガ。
 購入後、ドコモの販売戦略、これが行き当たりばったり。によってメーカのパナソニックが怒り心頭、携帯市場から撤退しちまった曰くつきの機種。

 A_2それは兎も角、ペトロ はタブレットを持っていてスマホなるものは要らなかったのだが、ただの箱のまま抽斗の肥やしにしておくのも勿体ないような。
 で、契約を解除する際、ペトロのガラケーとデータを入れ替えて貰い、専ら電話とメールに使っていた。

 話しがそれたが、件のSPメールの復元、梃に負えないので激励会に出席した若手、と言ってもペトロに比べればの話で、結構な歳のおっちゃんに頼んだのだが、首を傾げるばかり。

 とどのつまり、ショップの方が早いということになって、長時間待たされる時間帯を避けて、開店と同時にドコモ嬢の前に座った。
 ところが彼女、あっさりと、「SPメールはドコモメールに置き換わり復元できません」と言う。

 Bえっ、なんで? としばし絶句の後、さらば初期化をと頼むと、住所録などのデータがすべて消えるとの冷たい返事。

 その後、ドコモ嬢にっこり笑って、尤も、マスクで口元は見えなかったが、アドレスもそのままだしドコモメールの方がずっと便利だと言う。

 そして、端末機が万が一壊れてもSPメールと違ってドコモメールは、データがドコモのサーバーに「残ってますのよ」と付け加える。
 それってクラウドなの?と尋ねると、「お客様、よくご存じで」と、またにっこり?

 なるほど使ってみて得心、こちらの方がはるかに使い勝手が好いようだ。
 ドコモのスマホの皆さん、SPメールをお使いならばドコモメールに切り替えを、えっ、とっくに? そうなンや。

 皐月の隣に紫陽花、この花いかにも雨が似合うけれど、北海道を除いて日本列島すっぽりと入梅とか。
 ただ、昨今の異常気象、そのうち北の大地にもね。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.819

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