ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

花 ‐ 3月がゆく

2014年03月30日 | 季節/暦

 歳時記には花は桜のこととあるが、その花便りが届くようになった。
 去る月とも渾名されるこの月、確かに早く流れたものの世相は一月、二月とちっとも変わらず姦しい。

 朝鮮半島の北では、国家が人を攫って抜けぬけと、わが孫に会うのもままならぬうえに、会議の最中にミサイルとは。
 玉葱坊主の国は、同じ東スラブ族なのにロシア人とウクライナ人は違うらしく、同胞に頼まれたと他国に侵攻する悪癖が直らないよう。

 ひA_2とつもふたつも判らないのがマレーシア航空機の行方不明。
 テロとかパイロットの道連れとか憶測が飛んでいるようだが、日本でも操縦士の勝手によるこの手の事故が過去に2件もあったらしく、おいおいと言いたくなる。

 割烹着のリケジョなんて学者というより芸能人のノリなのに、真に受けちゃってお馬鹿さんに正直が付く。
 仮にも嘘だったら、再生医療に一縷の希望を託す心に土足で踏込む虚栄心がざらつくンだけど。

 大阪であったモンゴル談合場所、シナリオどおり異邦のお相撲さんの持ち回りで千穐楽、もう違和感はないけどね。

 ちなんで三月世相場所の番付、東方張出に割烹着のリケジョさん、だったら西方は難聴の似非(えせ)作曲者かな。
 ○○の守(かみ)とか、国司の官名を芸名にしているのかと思っていたこの御仁、社会的弱者に成りすますとは、薄汚くて嫌だなあ。

 どBちらの事件も、持ち上げては掌(てのひら)返すように扱(こき)下ろすのも毎度のことだけど、騙されて悔し紛れ、その気持ち判らなくもないよね。

 そんなこんなで弥生・三月もゆくけど、やっぱり花だよなあ、この時季は。

  呑み明けて花生にせん二升樽 (芭蕉)

 俳聖、“ 美味しい酒が二升樽に入って届いた。みんなで飲み干して花入れにしよう ” と浮かれる。(この稿、続く)

 写真は、「おならは えらい」(3/24)の稿で撮ったもの、手抜きして次回もこの折の写真が続きます。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.787

 PS : ところで、三月毎検査、異常なしのお墨付き貰いに行くはずだったンだけど、またまたその前夜にイレウスもどきに。
 入院は免れたものの薬餌処置、点滴打って貰ってその日は何とか放免、温ったかくしてお花見に行こうと思っていたのに水差してしまった、阿呆やね。

コメント (5)
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不器用 ‐ 想い出のカタリナ

2014年03月28日 | 想い出のカタリナ

 自分で言うのもなんだが不器用、だと思う。
 もう少し身過ぎ世過ぎを、上手く立ち回れていたら、と思わないでもない。

 カタリナ が元気な頃、たまに台所(だいどこ)を手伝って、胡麻を擂りながら、「こんな風に上手く擂れていたらなあ」とこぼすと、「ふゝゝ」と、笑って答えてくれなかったことを思い出す。

 三月になっていたと思う、寒い日だった、膝小僧を抱えながらBSだったけれど久し振りに邦画を視た。
 改めて紹介するほどの作品ではないけれど、身につまされお仕舞いまで付き合ってしまった。

 タA_5イトルは、「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」(2011年)。

 富山平野を走るローカル電車の向こう、雪を頂いた北アルプス、立山連峰の余りの美しさに視線を奪(とら)れ、そして引き込まれた。(写真は同映画HPより)

 定年退職を1か月後に控えた電車の運転士は、妻から結婚を機に辞めていた看護師の再就職を告げられる。
 退職後は妻とふたりで老後を楽しもうと思っていた男は、理解ができず口論となり、受け容れられなかった妻は家を飛び出してしまう。

 嘱B_4託で働けとの温情に素直に従えない男と癌の再発に怯えながらも介護の現場で働きたいと思う妻。

 ほんとうの気持ちが上手く伝えられず、すれ違うふたりの想い・・・。

 母が家を出て心配して訪ねて来た娘に、「俺のことはどうなるんだ」と怒り、「お父さんは自分のことだけしか考えていない」と言われ憮然となる男。

 自宅で終末を迎えたいと願う末期癌の老婦人の訪問介護を伏線に話は進む。

 自分にも妻にも素直になれない男。
 主人公ほど格好良くもないが、どこやら似ている不器用な生き様に、「なんで、もっと優しくしてやれないんだ」と独り言(ご)つ。

 カタリナが逝って五月近く、如何(いっか)な器用になれなくてもどかしくもある・・・。
 映画を視ながら悔やまれることばかりが想い起こされ、どうにも哀しくなって涙をこぼしてしまった。
 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.786

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一病息災?

2014年03月25日 | 日記

 イレウス騒ぎで延び延びになっていた二年目にあたる三月毎検診、前週明け(3/17)に受けたまでが前回。

 血管造影剤を使ってのお腹周りのCTと、転移することが多いらしい肺、こちらは普通?のCTを撮って、腫瘍マーカーの採血をしてこの日は終わり。

 話Aはそれるが、血管造影剤を使っての撮影、経験された方も少なからずおられると思うけれど、二の腕というか上膊(じょうはく)に刺さった針が、チクッとしたと思いきや熱くなって、胸からお腹へと段々とその熱いものが下りていくのが判って、余り愉快でない気持ちにさせてくれる。

 話を戻して、腸管癒着や閉塞の検査、この時も呆れるほどCTとX線撮影と採血があった。を除いて通算九回目になるだろうか、その検査を終えた。

 一週間ほど後に結果が判るのだが、これまではその後カタリナ が労ってくれて、寿司屋などに同行してくれたが、それも今となっては懐かしい。

 またまた話はそれたが、検査の後、阪神西宮駅中の書店へ寄った。
 ブックシェルの前をうろうろしていると、誌名は忘れたがたまさかこの病の特集の雑誌があった。

 この手の雑誌、殆ど見ることがないのだが、検査後のこともあってぱらぱらと拾い読み、当然、身に覚えのあるページを繰る。
 うろ覚えなのだがこの部位、他のに比べて素直?な性質なのだそうだ。

 B隠れて悪さをすることが少ないと言うことなのだろうか、3月毎に5年間フォローすることが大切とあった。
 ちなみに、手術患者でステージⅠの場合、5年をクリアすると生存率は98.7%にもなるので、5年を越えるのが肝とあった。

 余人は知らぬがこの病、一旦、罹(な)ればそれなりに覚悟もできて、そんなにナーバスになるものでもない。

 ただ、一病息災という言い回しに当て嵌まる病なのかどうか知らないが、カタリナがいない今、召される日まで周りの人に迷惑をかけないようにしなくっちゃとも思い、聊か厄介な術後後遺症も抱え余りと言うか残りと言うか、三年も生きさせて貰えればもうその辺りで・・・と、思わないでもない。

 その日の帰り道、名も知らぬ花に出会ったが、一生懸命?に咲いていたので前号に続き投稿した。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.785

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おならは えらい

2014年03月24日 | 日記

 ぞうさんぞうさん おはながながいのね そうよかあさんも ながいのよ  (詞:まどみちお/曲:團伊玖磨)

 この童謡、歌ったこともないし、また、聴いたこともない、と言う人はいないのではないだろうか?
 少し古い(2/28)話題だけれど、詩人まど みちおさん(104歳)が鬼籍に入られた。

 天A声人語氏(朝日・3/1)、“ やさしさとユーモアに満ちた詩をたくさん残して亡くなった。童謡の「やぎさん ゆうびん」をはじめ、ひらがなばかりで書かれた多くの作品は、見た目を裏切る深みをたたえ、小さなものに慈しみの目を向けた。蚊や毛虫、ビーズ、あかちゃん。それが、宇宙の無限や太古の悠久につながっているところに真骨頂があった ” と紹介。

 さらに、“ 『人生処方詩集』で見られる自筆原稿は、なんとも天衣無縫だ。〈たのしみは?― クーテネール〉 と始まり、〈すきなさくは?― オナラハエラーイ〉 と続き、〈まだかくき?― シンダラヤメール〉 とくる。いま宇宙のどのあたりだろうか ” とその人柄を偲ぶ。

 また、“ 「おならは えらい」にもくすっとさせられる。なぜ偉いかというと 〈でてきた とき/きちんと/あいさつ する〉 からである。しかも 〈せかいじゅうの/どこの だれにでも/わかる ことばで〉 ” とも書いていた。

 こBの、おならの件(くだり)を読んでペトロ、納得感みたくなもの、多分、他の人とは一寸違うであろう感想を持った。

 なんのことはない、腸管癒着や腸閉塞・イレウスで文字通り××詰まりの散々な目にあったがゆえに、朝起きてひとつ捻(ひね)ると、「あゝ、今日も動いてくれているンだ!」と、嬉しくなるのである。
 で、偉大な詩人の訃報に低次元なレベルで失礼だけれど、「おならは えらい」に頗る共感をしたのである。

 ところで、そのイレウス騒ぎで延び延びになっていた三月検診、前週明け(3/17)に受けた。
 カタリナ が、見守っていてくれると思いながら、CTスキャナー、それが二回も。の台に神妙に乗った。

 その日、好天気に誘われ歩いて帰る道すがら、名も知らぬ春の花に出会った。 (この稿、続く)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.784

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ごめんなさい ‐ 想い出のカタリナ

2014年03月22日 | 想い出のカタリナ

 小ブログ、<春は届く>(03/16)にコメントを頂きました。

 カタリナ が大切に育てていた花、“ 椿に限らずピンチ/寒さに感(かま)けて、花からのメッセージを読み取ってやれなかったようです/いま、リカバリーをしていますが、半分ほどは何とか持ちこたえてくれるのではと思っています/後の祭りの見本みたいですが、花をつけたら投稿します ” と返信しました。

 言い訳になりますが、桔梗などの多年性草木植物とか、紫陽花などの落葉低木とかは、季節の移ろいとともに葉は一旦枯れるのでしょうけど、椿などの常緑の広葉樹への水遣りなど、特に冬場の育て方が判らず、入院騒ぎもあって花は勿論のこと、カタリナに可哀想なことをしてしまいました。

A_2B_3

 残念ながら「玉の浦」は厳しいようですが、それでも幾鉢かの椿(写真)、春蘭、洋蘭、ミニ薔薇などは厳しい冬をなんとか越してくれたようです。
 尤も、水だけで育つとは思えず、これからのことは全く自信がないのですが・・・。

 コメントに聊か烏鷺たえもしましたが、臆面もなく言えばよい機会を頂いたようです。
 再生が難しいものをまま置いておくのも不憫、気持ちに踏ん切りをつけ温かい日に整理をするつもりです。

 昨日(3/21)は春分の日でお彼岸、金曜ミサに与り、カタリナに「ごめんなさい」をしてきました。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.783

コメント (1)
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面白い ‐ 飛翔する表現展

2014年03月19日 | 美術館 (国内)

 少し風がきついもののすきっと晴れた日(3/7)だった。
 久し振りに、西宮市大谷記念美術館の新収蔵品を中心にした、“ 飛翔する表現展 ” を覗いた。

 そA1_4A2_2の前に、前号(3/18)の疑問について。
 ウキペディアに拠れば、クリスマスローズ、クリスマスの頃に開花するヘレボルス・ニゲルだけを指した呼称だが、日本の園芸市場では、レンテンローズと呼ばれるヘレボルス・オリエンタリスなどもクリスマスローズの名前で出まわっているのだそうで、なかなか面白い。

 本題に戻ってこの展覧会、2012年度に新たにコレクションに加わった山下摩起、下村良之助、塚脇淳の作品を中心に展示されていた。

 重厚感のある鉄を素材にしなやかな彫刻を制作(同展の案内)する塚脇淳のオブジェはちんぷんかんぷん、端(はな)から理解の外、展示室を覘いて直ぐ回れ右、何度か紹介した山下摩起、下村良之助の展示室へ向った。

 まずは、山下摩起の「不動明王」(上右)。
 褐色の地に薄茶で描かれた明王が朱で隈(くま)取られていて、塗り重ねが困難とされる日本画に色を重ねた試みが面白い。

 下B村良之助の絵では、案内書にもある「月明を翔く 庇」が印象に残った。
 面白かったのは小品の「SIAM ANCHIRA 十二神将 安底羅」(上左)、二曲屏風の「闘鶏 “ 点 ” 」(下)。

 この画家、日本画の枠を越え自由な表現を追い求めたとあったが、なるほど、数日前に奈良の興福寺・東金堂(とうこんどう)で、本尊薬師如来を警護する十二神将のひとつ安底羅(あんてら)を拝観したばかりの目には、飛翔(とび)過ぎてるやないか!と思わせるに十分、面白さに溢れていた。

 とまれ、僅か20分ほどで観終えた同展。
 市民のシニア割り、つまり無料だったこともあって酔狂老人、にっこりしながら、「おおきに面白かった!」と可愛い受付嬢に礼を言って館を出たが、物騒なこのご時勢、ひょっとしたら気持ち悪がられたかなと、おおきに反省もした。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.782

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四旬節の花 ‐ 大谷美術館

2014年03月18日 | 美術館 (国内)

 
 今日(3/18)は、お彼岸の入り、待ち侘びた春はもう直ぐ。
 カトリック教会では、先々週の水曜日(3/5)から復活祭(4/20)前日まで、46日間から日曜を除いた40日、キリストの荒野での40日間の断食・苦難を記念するレント・四旬節に入った。

 ちなみにこの日を、灰の水曜日と呼んでいるが、この日は、前年の復活祭の1週間前に、キリストがエルサレムに入城したときの故事に倣って使われた棗椰子(なつめやし)、棕櫚(しゅろ)などの枝を燃した灰の祝別式、その灰を額に塗布する式が行われる。

 その、四旬節第二主日(3/16)のミサから帰ってこの稿を書いている。
 大層な書き出しになったが、何のことない、最近、美術展に不沙汰をしているという他愛もない話。

 A1_2 A2 A3

 13年1月の最後の日曜、カタリナ が初釜で不在の日、西宮市大谷記念美術館の新春展 「<日本画 その妙(たえ)なる世界>」を覗いて以来のこと。
 昨年の晩い夏、カタリナと行った 「ミケランジェロ展」は別にしてだが。

 時間がなかった所為にしているが、本音を言えば気持ちに余裕、気力が湧いてこなかった。
 何人かの方からは 「引きこもってちゃあかんよとの助言も頂いたし、ここにきてようやく春めいてきたこともあって、まずは手近なところで<初金のミサ>(3/7)に与っての帰り、大谷美術館の 「飛翔する表現展」を覗いた。

 その収蔵展のことは次回に譲って、今号では美術館の庭に咲く花を追ってみた。

 B1 B2 B3

 この庭の主役 「蝋梅」(以下、上段左から順に)は盛りを終え散り初めという風情だったが、「椿」 「沈丁花」 「梅」などに混じって 「ヒマラヤユキノシタ」が咲き、まだ風は冷たいもののよく晴れていて、春が近いことを思わせた。

 ところで、庭園のそこかしこに薄紅紫の花が花弁を俯けて咲いていた。
 名札には 「クリスマスローズ」(下段右端)とあったが、この花、それとは別種で、レント・四旬節の頃に咲く 「レンテンローズ」じゃないかと思うのだが、どうなのだろう?(この稿、続く)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.781

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春は届く ‐ 想い出のカタリナ

2014年03月16日 | 想い出のカタリナ

 先週の初め(3/10)、晴れてはいたが身を切るような風が吹いた。
 そして翌日からは、一転、暖かくて穏やかな日が続いたが、ここにきて寒の戻りというのだろうか、雨の日もあって少し寒い日が続いた。

 ところで、“ 生きていればどんなに喜んだことだろう ” という言い回し、小説や映画などに限らず実社会でもしばしば目や耳にする。
 思い込んでいるだけかも知れないが、ここ二年ばかり少しもいいことがなくて、近くでは<冬土用>(01/17)で散々ぼやいたりもした。

 A1んな我が家にも、“ カタリナ が生きていればどんなに喜んだことだろう ” と、思う知らせが届いた。
 他人(ひと)様からみれば、「何だ、そんなことでご大層な」と、呆れられるので詳らかにはしないけれど。

 嬉しい知らせが届いた日の翌日(3/11)は、大震災と原発事故から三年の節目の日。
 愛する人を失った悲しみは、生きている限り忘れることはできないだろうが、未曾有の天災と人災も傍(はた)の者には風化しつつあるのも現実。
 過日の朝日、“ 被災地の首長たちが陳情に行った復興庁で、東京オリンピックのポスターに唖然とした ” と書く。

 毎B2B1年カタリナ任せだったH25年分の確定申告、聊か難儀しながらH24年分の更正請求と併せ翌水曜日(3/12)に提出したが、“ 復興特別所得税 ” なるものが洩れていると修正させられた。
 その復興、“ 東京オリンピックに資材も労働者も流れてままならぬ ” とも朝日は書いていた。

 アッシジの聖フランシスコは、“ 絶望のあるところに、希望を/悲しみのあるところに、喜びを/闇のあるところに、光をもたらすことができますように ” (平和を願う祈り)と祈った。

 被災された方々に、“ 生きていればどんなに喜んだことだろう ” と、ご霊前に報告できるような希望や光が届いていることを祈らずにはいられない。

 提出した日の夜、心許せる友と美味しいお酒を楽しんだ。
 気になっていた申告が片付いたことも手伝って、少し過ぎたかなと思いつつの帰りの電車、シートに背を凭(もた)せ、“ そうなんだよなあ、希望を捨てちゃいかんのだ。誠実にさえ生きていれば、いつかきっと春は届く ” などと、もごもごと呟く酔狂老人なのであります。

 お彼岸の入り(3/18)も近い穏やかな日、陽射しを浴びて咲く花に心が和む、そんな三月の第三週だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.780

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ティツィアーノ(2) ‐ ナショナル・ギャラリー(8)

2014年03月13日 |  ∟イギリスの美術館

 色彩の錬金術師と呼ばれたティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-1576/イタリア/盛期ルネサンス・ヴェネツィア派)の二回目。

 まずはラテン語で、“ 我に触れるな ” を意とする 「ノリ・メ・タンゲレ」(上)から。
 磔刑後のキリストの最初の奇跡の出現、すなわちキリストがマグラダのマリアの前に姿を現した時の言葉がこの絵の主題。

 A_5墓所が空になっているのを見たマグラダ、復活したキリストを園丁と勘違い、「遺体を何処に移したのか教えて欲しい」と嘆願する。

 キリストから名を呼ばれ漸く気付いたマグダラ、左手にアトリビュートの香油壷を押さえ乍ら右手を伸ばし 「師よ」と呼びかける。

 しかし、足の甲の釘跡も生々しいキリストは、“ 私に触れてはいけない。私はまだ父の御許へ上がっていないのだから ” (ヨハネ20章)と答える場面を鮮やかに切り取っている。

 本作もまた、マグラダのマリアの風にそよぐ薄地の袖とヴェネツィア風のドレスの真紅が、色彩の錬金術師の手に拠ってひときわインパクトを与えている。

 もう一枚は 「男の肖像 ‐ アリオスト」(下)。
 感情を露骨に示すことを、“ ハートを袖に付けている ” というらしいが、彼の初期の絵とされるこの肖像画は技巧に溢れ、“ アートを袖に付けている ” と評されているとか。

 B従来、モデルは鑑賞者に観られる対象であった。
 が、本作においてモデルは、受動的な観られる側から主体として能動的に見る側の立場に移ったとされている。

 この人物、ティツィアーノ自身という説もあるそうだが、モデルの男性、何か興味深いことから視線を転じて、“ 一瞬、鑑賞者のごとき者に目を向けて下されたとも取れる ” とも評されているそうな。

 なるほど、22歳の若き画家の不遜なまでの自信がキャンバスから迸(ほとばし)っている、ものの 「鼻持ちならぬ生意気な奴!」との思いもしなくもない。

 ちなみに、この絵を見た光と影の魔術師レンブラント(1606-1669/オランダ絵画黄金期)、本作から大きな影響を受けたのだとか。

 カタリナ には 「・・・」呆れたように聞き流されたが、「やっぱりこの画家、女性を描かせたほうがいいね」と、何時もながらの頓珍漢な感想を一齣(ひとくさり)呟くペトロ なのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.779

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(7)へは(コチラ)から入れます。

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ティツィアーノ ‐ ナショナル・ギャラリー(7)

2014年03月12日 |  ∟イギリスの美術館

 画業では盛期ルネサンスの三大巨匠をも凌ぐとされ、色彩の錬金術師と呼ばれるティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-1576/ヴェネツィア派)。

 彼の絵はこれまでにも、<女性ならお任せ>(11/06/08)や<続・女性ならお任せ>(11/06/10)で、「聖愛と俗愛」(ボルゲーゼ美術館蔵)、「フローラ」「ウルビーノのヴィーナス」(ウフィツィ美術館蔵)、「悔悛するマグダラのマリア」(ピッティ美術館蔵)など、官能的なエロティシズム溢れる作品を投稿した。

 その彼の、「バッカスとアリアドネ」(部分)、フェラーラ公アルフォンソ・デステの城内を装飾するための連作のひとつとして描かれたとされる。
 主題はギリシャ神話から、テセウスとの恋に破れ悲嘆するアリアドネを慰めるバッカス。

 アA_2ッティカ地方を統合したアテナイの王テセウス、クレタ島の迷宮にひそむ怪物ミノタウロスを討つが、その手助けをしたクレタ島の王ミノスの娘アリアドネ、哀れにもナクソス島の岸辺に置き去りにされてしまう。

 ちなみに、怪物退治に迷宮へ入るテセウスに脱出用の糸をアリアドネが与えたことから、難問を解決する鍵を、“ アリアドネの糸 ” という。

 すると、熱狂的な人々の手によってシンバルと太鼓の音が一帯に響き渡り、バッカスの到来を告げ知らせる。
 バッカスはチーターの引く凱旋車に乗り、巫女マイナスや山羊足のサテュロス、別の画面では、泥酔して耳の長いロバにしがみつくシノレスを引き連れているとか。

 アリアドネのもとからすべてが彼方へと去ってしまったその時、バッカスが凱旋車から飛び降りて彼女を花嫁に迎える、まさに、その場面が描かれている。

 この物語は、古代ローマの詩人オウィディウスとカトゥルスによって語られたそうだが、それまで絵画化されることは稀だったらしい。
 色彩の錬金術師ティツィアーノは、ヴェネツィアでのみ入手可能な高価な絵具によって、この物語を成し得たとされている。(この稿、続く)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.778

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(6)へは(コチラ)から入れます。

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