ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

7月がゆく

2009年07月31日 | 季節/暦

 過ぎ去れば、思いのほか重い月だった。

 政権を盥回しにしてきたものの年季明け近くになって解散、地方選の敗因を、「ぶれたり不用意な私の発言」と涙で謝罪、麻生降ろしを封じ込めしてやったりの総理。

 Photo_8僅か10分足らずの天体ショーのため南海の小島や上海まで行ったものの、肝心要のその時刻激しい雨に見舞われ、白昼の暗闇だけを体感、それでも「感激した」というリッチマン。

 寒さで体力が奪われ「引き返そう」と言うお客様をうっちゃり、一時間半も雨の中の洞ヶ峠を決め込んだ大雪山系の迷えるガイド。

 想定の範囲を超えた豪雨と土砂崩れに、「どうしていいのか分からなかった」と悲しいコメントをした市の総務課長。

 Photo_9鼻の穴を蠢かし「政権交代だ」と意気込む、非正規社員置き去りの大労組出身の野党立候補予定者。

 たまにしか通らぬ車に目を背け、「あの橋もこの道も私が造った」と恩を売り、票で返してと媚びる大物与党立候補予定者。

「字読めぬ首相と楽しんでいる、それが国の程度」と放言する与党幹事長と「国民は民度に応じた政府しかもてない」と書いた天声人語子。

 連れ去りは認めたものの殺人については、「間違いだらけです」と否認した容疑者。

 800兆円を超す借金をつくっておきながら、野党のマニフェストは「財源の裏打ちがないバラ撒き」とけなす鉄面皮の現閣僚。

 そんなこんなで7月もゆく。

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橋(2)

2009年07月28日 | ドイツ/オーストリア

 コンコースの大きなクリスマス・ツリー(写真上)が、7時間近くの列車の旅を終えたふたりを迎えてくれた。

 ウィーン南駅発のヴィンドボナ号が、ドレスデン中央駅に着いたのは17時前。
 駅周辺は、もう暗い帳のなかに沈んでいたが、今日は日曜、ヨーロッパでは当たり前の風景だ。
 特に、敬虔なキリスト教国ドイツでは、安息日に繁華な賑わいは望むべくもない。

 Cimg3705_3数年前から飲食業など特定の業種に限ってだが、扉を開ける店が増えてきた。
 それでも、ローマやパリなどの大都会ですら、日曜の夜の街は文字通り灯が消えたように寂しい。

 フランスでは、日曜営業を拡大する法案の審議が下院で始まったらしいが、労働者側が休日手当ての増額を条件としたため使用者側が反発、その行方は厳しいと聞く。

 話がそれたが、そのドレスデン旧市街を含む「エルベ渓谷の流域」(写真中)が、ユネスコの世界文化遺産からはずされたとアサヒコムが報じていた。

 市内の渋滞緩和を目的に、以前から計画されていた橋の建設が住民投票で決定したためとか。

 Photo_2橋の建設は、世界遺産委員会から景観破壊になると警告されていたが、ドレスデン市の回避案が、委員会の要求を満たすものではないとして削除されたのだ。

 三日間この街にいただけで偉そうなことを言うつもりはさらさらないが、川向こうに渡るために時には迂回しなければならないものの、街(写真下)を歩いてみても市電やタクシーで走ってみても、渋滞に出会ったことなどなく首を傾げてしまう。

 だがそれは旧市街のことで、新市街では渋滞がひどいのかも知れない。
 としても、東京や大阪と比べれば何ほどのものとは思うのだが。

  Photo_3ただ、委員会は、限定的な範囲での再登録は可能としており、市側も再登録を目指す意向らしい。
 多分、<ドレスデンの旧市街>を文化遺産の歴史風致地区に申請するとみえ、「なるほどその手があったか」と、したたかさに納得。

 この国は、文化遺産に登録されたものの、周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機にさらされた<ケルン大聖堂>も抱えている。

 日本でも、万葉集にも詠まれた鞆の浦の架橋工事で揺れている。自然景観の保護か生活利便の向上か。
 さて、貴方はどちらに与する?

 ここでひとまず、美し国ドイツと離れ、カミノ・ディ・サンティアゴ、聖ヤコブの道リスボンの道へと旅は続く。
 ご愛読下さい。

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橋(1)

2009年07月27日 | チェコ/ハンガリー

 ドイツ東部の街、ドレスデンに向かうためオペラ座前からトラムでウィーン南駅へ。
 南駅10時04分発のEC‐172・ヴィンドボナ号ハンブルク・アルトナ行きに乗った。

 ドレスデン中央駅着は16時46分、6時間半ほどの列車の旅(写真上)である。

 A1時間ほどで国境の駅ホーヘナウに着く。
 以前はこの駅で、自動小銃を下げた係官から出国審査を受け、次の停車駅チェコのブレスラフ、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァへはこの駅で別れる。で、入国審査を受けたが、シェンゲン協定加盟の今は勿論なにもない。

 かつて、モラヴィアの首都でチェコ第二の都市ブルノから3時間余り、プラハ・ホレショビッツ駅に着く。

 百塔の街、赤い屋根が美しいボヘミアの古都プラハ(写真中)。
 市内へはこの駅から地下鉄で、チェコの作曲家スメタナが連作交響詩《わが祖国》で書いたヴァルタヴァ、ドイツ名モルダウ川を潜る。

 Photoドイツとの国境駅デツィーンを過ぎた辺りから、穏やかなエルベ川が線路に沿ってゆったりと流れる。

 川から直ぐの急峻な山や緑に覆われた堰堤は美しく、川に沿う道にたまに見かける車を列車は追い抜く。

 ところで、かなりのあいだ列車は走っているのだが、橋の姿をとんと見かけない。 
 大きな街には当然架かっているが、街から少し離れるとついぞ橋を見かけることはなかったように思う。

 古城の街ハイデルベルクからハイルブロンのネッカー川、マインツからコブレンツまでのライン川然りである。

 Photo_2独仏国境に近い、黒い森と呼ばれる地域にあるドナウエッシンゲン、その地を源とする美しき青きドナウ。
 英語でダニューブ川とも呼ばれるドナウもそうだった。

 ベネディクト派修道院のバルコニーからの眺めが素晴らしいメルクからクレムスまでや(写真下)、ドナウの曲がり角・ドナウベントの町センテンドレからドナウの真珠ブタペストまでも、ついぞ橋を見かけることはなかった。

 せっかちなペトロ に明解が浮ぶ訳がないが、「こっちの村からあっちの町に用事がある時、どないすんねんやろ」と素朴?な疑問も湧く。

 日常生活を犠牲?にしてまでも自然と共生する美しい村が川沿いに延々と続き、コンクリート剥き出しで堤防を固め、何処にでも橋をかけまくる国から来た旅人を驚かすのである。(続く) 

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むなぎ取り食せ

2009年07月21日 | 日記

 あさまだき、すだく蝉の声で目が覚める。
 この23日は、二十四節気のひとつ大暑、いよいよ夏本番で、小暑から大暑を経て立秋までの一月が暑中、見舞状を出すならこの間だ。

 大暑の数日前に、九つある雑節のひとつ土用がはじまり大暑のあいだじゅう続く。
 土用のあいだの丑の日が、今年は7月19日と31日の二回あって、後ろの日を二の丑というらしい。

 Photo土用の丑の日に鰻を食うようになったのは、平賀源内よろしきことは知るところ。

 夏場、とんと売れなくなった鰻屋の親父、「何とかなりまへんか」と多趣多芸な源内先生に相談したところ、「本日丑の日」と店先に掲げるようのたまったとか、これが見事にヒット、まあ、コピーライターの走りですかね。

 夏バテ防止のため鰻を食することは古くからあったよう。
 万葉集の編纂に係わったともされる大伴家持先生自ら、

  石麻呂に吾(あれ)もの申す夏やせに よしといふものそ鰻(むなぎ)取り食(め)せ (十六巻-3853)
 
 (や)す痩すも生けらばあらむをはたやはた 鰻(むなぎ)を漁と)ると川に流るな (同巻-3854)  

 と、戯れている。

 ところで、昔より、何かにつけ角突き合わすこと多き東と西、鰻の蒲焼の食し方にも及ぶ。

 東が、Photo_2背から開き蒸してから焼くと油が抜けて美味と威張れば、そんな阿呆な、腹開きにして蒸さずにまま焼くと油がのって美味いんやと西。
 西海辺りは日和見気質なのか、背開きで蒸さずに焼くとか。

 何れにしても箸にのっかるこの鰻、その主流は養殖だそう。
 本装と偽装の境目は微妙らしく、ヨーロッパなどの沿岸にたどり着いたシラスウナギを、中国や台湾の露天の池に掘り込み、ある程度大きくしたものを国内の生簀に移し育てれば、立派な国産品とも聞く、が、その真偽のほどは定かでない。

 ただ、鰻の養殖業者が偽装騒ぎを起こしたのはつい先のことだが、この国の住人、最近の政権党の総裁騒ぎも然り、何事に限らず騒ぎ立てるのも早いが忘れるのも早い。
 その陰でモラルなき何処かの経営者がほくそ笑む、ゆめゆめご油断召さるな。

 ここ暫く嫌なことが続き、うっとうしい空模様と歯痛とが相俟って心身の塩梅がよろしくない、鰻でも食って元気出すか!勿論、腹開きの。

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わからんでもない

2009年07月17日 | 日記

 容疑者Aは、路上で女子高生を車ではね、道路脇の水田に転落させて足に軽症を負わせた疑いで、殺人未遂容疑で警察に逮捕された。
 Aは、この数分前に、自転車で帰宅中のこの女子高生ら4人の背後からエンジンを空ふかししてあおり、追いかけ始めたという。

 警察によれば、Aは、「以前から自転車のマナーが悪く、注意しょうと思っていた。
 言っても判らないのなら体で教えようと思った」と、殺意を否認している。

  先日の新聞でこんなニュースを目にし、以前、法務関係の仕事をしていた頃のことに思いがとんだ。(写真と記事は関係がありません。)

 当時、法務の他に、取引先や自社従業員からの企業倫理や人権に関する申告や相談をメールや電話などで受け付ける「ヘルプ・ライン」を担当、そこには実に様々な申告や相談が寄せられた。

 20090713113200002_2曰く、不当に解雇されたに始まり、セクハラ、パワハラは日常茶飯、あろうことか管理監督者から常態的に暴力を受けたというのもあった。
 また曰く、リベートを求められた、請負った仕事の対価を払ってくれない、と残念ながら金銭にまつわるものまであった。

 勿論、相手の思い違いや言いがかり的なものもあったが、遺憾なことに会社の責に帰すものが大半を占めた。

 その度に担当者や上司に口を酸っぱくして注意をし、時には厳しく叱りもしてきた。
 しかし、残念なことに当の本人らに、「自分のミスで迷惑をかけた」との認識が希薄なものだから、申告を謙虚に受けとめるどころかむしろ逆恨みし、口にこそしないものの、「何で、自分らが叱られなければならない?」とのわだかまりだけが残ったようだ。
 そのせいか、何度も何度もミスを繰り返す者もいて、随分と空しい思いをしたことも度々だった。

 話は戻って、件の容疑者A、殺人未遂容疑になるとは露とも思わなかったのだろうが、許されざる行為であることは言うまでもない。
 が、馬耳東風をきめ込みいっかな改めようとしない者に、ことの理非を教えることの虚しさ馬鹿ばかしさ。

 刑事上の自救行為、民事上の自力救済が違法と知りつつも、「体で教えなしょうない!」と息巻く容疑者Aの行為に、「わからんでもない」と剣呑なことをつい考えてしまう。
 道一杯に自転車並べて走る女子高生、自分のことしか眼中になく他人を思いやる欠片もない様が、担当者や上司の仕事振りと重なり、心がささける。

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シュヴァイネハクセ

2009年07月12日 | ドイツ/オーストリア

 6月28日のブログ、<えっ、入らないの?>の続き。

 サンスーシ宮殿、本館は開けていながら別館はシーズンオフ。
 カタリナ 憮然として、「こんなことあり?帰ろう」とバス停へと急かせる。

 Cimg3781傷心?のポツダムからそそくさとベルリンに戻ったものの、腹立たしい気持ちがなかなか治まらない。
 これはお腹が空いたせい?もあると、駅構内の居酒屋の椅子に腰を落ち着けた。

 ちなみにこの国、市内に複数の鉄道駅がある街に必ずあるのが、Hauptbahnhof・中央駅。
 ところが、ベルリンには中央駅がなかったらしく、かつての西ベルリンのツオー駅と東ベルリンのオスト駅が中心だったと聞く。

 Cimg3784_33年程前、両駅のほぼ真ん中に<中央駅>が完成した。
 新駅は、近郊線と国際線が階を違えてほぼ直角に交差する素晴らしい駅舎である。

 この駅中の居酒屋で、言葉の弾みというのは怖い、ピルスナーの大ジョッキを2杯も注文。
 飲み干すのに苦労したが、カタリナは、「嘘ばっかり」と取り合ってくれない。

 注文したのは、ハンガリー料理の定番、「グラーシュズッペ」と南部バイエルン地方の名物、「シュヴァイネハクセ」。

 Cimg3796この、「シュヴァイネハクセ」とやら、今や全国版?に昇格した豚のすね肉のローストのこと。

 運ばれてきたものを見てびっくり、そのヴォリュームの凄いこと。
 子供の頭ほどもある肉の塊のど真ん中にナイフが突き立ててある。

 美味しいのだが、そのでかさに悪戦苦闘?どうにか半分ほどはやっつけた。
 ところで、カタリナの、「見て、みて!」の声に周りを見渡せば、妙齢の美しい女性が刺さったナイフを巧みに操り、見事に平らげているではないか、いやはや外国人は凄い。

 西洋女性、加齢とともに行き着く体型に、うべなるかなと感心した景色ではありました。

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こんな日は

2009年07月05日 | 日記

 ルドン作品の収蔵を誇るのはオルセー美術館。中4階の太陽光を遮った暗い部屋に作品が架かる。

 ルドン夫人が好んで身の回りに置いていた貝殻を主題に描いたのが「貝殻」。
 主題を巨大に変身させると、それはパリのプチ・パレ美術館が収蔵する「ヴィーナスの誕生」の女神が乗る小舟になるが、ここでは実物どおりに抑制されて描かれている。

 Tmp_9101fd23dade80355b8e28e860209_4ルドンは、その夫人を対象に数点の作品を描いているが、そのひとつが「左向きのルドン夫人の肖像」で、好きな作品のひとつだ。

 この作品は、“ 全く無駄のない一本の線が、横顔と胸部の輪郭線を画し、サンギー ヌは柔らかく顔と髪に影をつけ、パステルによる補彩は衣服を際立たせ ” また、 “ 稀にみる質を備え、その慎みと優美さは対象のルドン夫人の様々な美質を反映している ”(美術出版社刊)と評されている。
 サンギーヌとは、コンテ・クレヨン4色のひとつ赤褐色のこと。

 Tmp_1ae5f77de9f17960cae495cad41ec_2同時代の印象派の画家たちが、光の変化をキャンバスに切り取ろうと屋外に画題を求めたとき、この画家は、人間の内面や神秘的な世界を黒という色彩を用い、画家自身が、“ モノクロームのパステル ” と呼んだ木炭とリトグラフによる黒の表現を追及、眼球、首、怪物など奇怪な作品を手がけ、木炭画「笑う蜘蛛」などを発表した。

 それは、生後わずか半年で長男ジャンを亡くしたことが投影されたのか?
 長男の死から三年次男アリが誕生、かつてない幸福に満たされた時を迎える。

 Redon_souriante00名作、「目を閉じて」を発表したのは翌年のこと。

 岐阜県美術館が、素描や版画を中心にルドン作品の収蔵を誇ることを知らなかった。
 同美術館の素描「蜘蛛」などを中心に、その「ルドン展」(朝日新聞社ほか主催)が、7月10日から姫路市美術館で開かれる。

 ところで今日は、わが町の知事を選ぶ投票日。
 この町では、地方分権や行政コストの節減という風が読めないのか、読もうともしないのか知らないが、物欲しげに体制におもねる大企業労組の幹部とそれを横目にほくそ笑む守旧が、官僚上がりの候補者をともに担ぐお定まりの選挙が過去から何回も続き、選良への期待とは裏腹にやるかたない思いが澱のように残る。

 そんな日は、フランス象徴主義の画家オディロン・ルドンの作品が気持ちを幾分か癒してくれる。

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7月がきた

2009年07月01日 | 季節/暦

 九州地方で、まるで台風シーズンと見紛うような大雨の被害をもたらし月が明けた。

 梅雨、「西でざあざあ、東でしとしと」と表現するらしい。

 Tenkizu1湿った空気が九州の西側から、梅雨前線を回りこんでくるのを名古屋?辺りで太平洋高気圧がブロック、このために梅雨時におきる現象らしいのだが、時折「ざあざあ」では追いつかないような降り方をするらしい。

  ささのはさらさら のきばにゆれる

 この月、文月とも呼ぶが、それには諸説があるらしい。
 が、五節句のひとつ七夕(しちせき)があるからという説が一番座りがよくてきれいに思う。

 七夕は織姫星と夏彦星の伝説。
 織姫星は機織の上手な働き者の娘、夏彦星もまた働き者の牛追い。
 P1050793_5娘の父、天の帝のとうちゃん、「ええこっちゃないか」と結婚を認めたが、このふたり?の夫婦生活、ちょっとHなことを妄想。

 楽しく、妻は働くのがもう嫌といい、夫も、何時も妻といたいと家に引きこもってしまった。
 天のとうちゃん怒り猛って、天の川を隔ててふたりを引き離したものの、まあ、少子化対策もあって年にいち度だけの逢瀬を認めたらしい。

 阿呆の戯言は打っちゃって、わが終の棲家、西洋長屋のロビーにも子供達が飾った竹笹が立ち、その中の短冊のひとつひとつが可愛い。

 なかに、「げんきなあかちゃんがうまれますように」というのがあって、弟か妹を待ち焦がれる兄と妹の優しい心がうかがえ、ともに祈りたい気持になる。

 君たちのとうちゃんとかあちゃん働き者だから、何時も一緒にいられてよかったねえ!

   ごしきのたんざく わたしがかいた

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