ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

きり絵 ‐ 2月がゆく

2013年02月28日 | 季節/暦

 二月最後の日曜の朝のこと。
 この日の朝日の広告欄に、「滝平二郎きりえ名作集」(朝日新聞出版)の案内があった。

 広告の惹句には、“ 朝日新聞日曜版から ” とあって、“ 懐かしき名作が鮮やかによみがえる!” と続いていた。
 この画家、作家と呼ぶ方が相応しいのかも知れない。

 Blog_2きり絵というジャンルに、牧歌的、叙情的な風景を取り入れ、少し趣は異なるが著名作家の小説の挿絵で名を馳せた宮田雅之氏や影絵作家の<藤城清治>氏らとともに、きり絵の市民権を確立した画家のひとりと言っていいのだろう、と素人なりに思っている。

 母がこの日曜版の滝平さん描く、いつか昔の童の風景を楽しみにしていた。
 たまの休みに帰郷すると、歳末に新聞配達店が配る滝平さんの一年版のカレンダーを壁に貼っていたことも思い出す。

 話は変わるが、ペトロ の縁戚に、このきり絵作家のH氏がいる。
 彼がデビューした頃、地元紙などがさかんに取り上げ、ひとしきり話題になった。
 また、朝日新聞の地方版の日曜紙面や心斎橋の名店街が発行するタウン誌などの表紙を飾ったりしていた。

 Blog_9デビュー当初、彼の個展に足を運んで改めて気付いたことがある。
 絵も書も写真もそうだが、実際に作品の前に立つと、その出来映えの素晴らしさ、凄さというものを実感するのは当然のことだが、きり絵は取り分けその印象を強くする。

 写真では少し平板に見えるものが、実に活き活きと景色なり人物なりが表現されていることが窺え、繊細かつ緻密な世界に舌を巻かされた。

 過日、そのH氏から、小ブログで病気を知ったとかで見舞いの手紙を貰った。
 その中に、九州の柳川の水辺の風景を切り取った小さな作品が同封されてい、今、PC脇の壁で無聊を慰めてくれている。

 写真はH氏の作品、今の季節に相応しく、「雪が降る」(50×65.2 cm)と「美山爽春」(66.6×72.7 cm)。
 日本列島、大寒波に震えていたが、ここ数日少し緩んだよう、春までもう少し。
 そんなこんなで、如月・二月はゆく。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.583

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いつかどこかで ‐ 再びのトレド

2013年02月25日 | スペイン/ポルトガル

 照り付ける太陽、何とかならないだろうか。
 そんなことを考えながら、サンタ・クルス美術館からソコドベール広場へと続く階段を上る。

 A1 A2

  広場からバス(左)でトレド駅に向かいました(右)

 バスは坂道をどんどんと下って行く。
 この街が小高い丘になっていることが良く判る。

 B2 B3_2

  トレド駅(左)は、晩い夏の厳しい太陽の下でハレーションを起こしたかのようです
 
 日陰に置かれたベンチには隙間なく観光客が座り、マドリードに向かうAVEを待っています
 小一時間も待ったでしょうか、ようやくAVE・AVANTの改札が始まりました(右)

 マドリードへ帰る観光客が一番多い時間帯なのか、列車の編成が往路に比べ倍ほどの車両をつないでいた。

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  この街をこよなく愛し、この街でその生涯を終えたエル・グレコ(1541-1614 /マニエリスム)
 
その彼の「自画像」(左)と「トレド景観」(右/何れもNY・メトロポリタン美術館蔵)、再登場です

 ドン・キホーテの著者セルバンテスが、“ スペインの栄光。その光と影、岩のように沈みて重い ” と謳った街トレドにひとりの画家を訪ねた旅。

 第1回の「<古都トレドとグレコ>」から16回にわたって投稿しましたが、今回でひとまず終えこととします。
 何時かまた、何処かの街で、ちょっとばかり顔や首などが長いキリストや聖母マリアや諸聖人と、出会えるかも知れません。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.582

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サンタ・クルス美術館 ‐ 再びのトレド

2013年02月22日 |  ∟スペインの美術館

 それにしても、この太陽、何とかならないだろうか。

 A1 A31_6 A32_3     

  敷石の広場に木々の濃い影を映すソコドベール広場(左)
 
その一角にあるカフェテラスでビールとアイスクリーム(中・右)で一息入れたところまでが前回

 広場の東側は、道路を挟んでタホ川に滑り落ちるような急坂、階段になっている。
 その階段を降りると、左手に淡い色合いの建物があった。目指すサンタ・クルス美術館だが、嬉しいことにこの美術館、無料なのである。

 B1 B2

  プラテレスコ様式(左)と呼ぶのだそうです
 
石壁に装飾を浮き彫りした美しい様式の門(右)を持つこの美術館、その昔、同名の病院だったそうです

 聞き慣れないプラテレスコ様式とは、16世紀のスペインで流行した繊細な飾りが銀細工のように見えることから名付けられたという。

 C1 C2 C3

  階段(左)と回廊(中・右)が美しいこの建物、ラ・マンチャの行く夏を惜しむかのよう
 輝く太陽のもとでシエスタのひと時を静かにまどろんでいるようです

 所蔵を誇る数種類ものタピストリーは、アレキサンダー大王や旧約聖書のアブラハムやモーゼ、聖母、聖人等をテーマにしたものに特色があるとか。
 そして、ここの主役は、イタリア語で “ ギリシャの男 ” の意のエル・グレコ(1541-1614 /スペイン/マニエリスム)の絵が架かる「グレコの部屋」。

 ちなみに、彼の作品はバロック絵画の台頭により、没後を境に忘れられた存在になるが、20世紀の初め、印象派の画家達やピカソらによって再評価されたという。
 そのため、長期にわたり劣悪な状態に置かれていたものが多いとされている。

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 蔵品は、主に16世紀スペインの黄金時代に属する作品群です
 
「聖家族」(左/部分)「聖母被昇天」(中/部分)「ベロニカ」(右/部分)などが架かっていました

 ここ、サンタ・クルス美術館の作品は、修復を終えたばかりなのだろうか色鮮やかに蘇っていたが、大作が圧倒的な色使いの中でずらっと並ぶ様に、正直、唖然とさせられた。

 と言う訳で、スペインの強烈な陽射しに聊かうんざりしながら、中世の面影を色濃く残す古都トレドと別れ、マドリードに戻ることにした。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.581

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シエスタ ‐ 再びのトレド

2013年02月20日 | スペイン/ポルトガル

 エル・グレコ(1541-1614 /スペイン/マニエリスム)の傑作「<聖衣剥奪>」、その感動覚めやらぬままに大聖堂を離れた。

 A2 A3

 聖堂左手獅子の門から聖堂正面の免罪の門(左)に回りました
  そこは少し勾配のある広場、左手に市庁舎があります

 
トリニダド通り(右)と呼ぶ細い通りからサント・トメ教会に向かいました

 その、<サント・トメ教会>、余りにも有名になったようだ。

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 この小さな教会に、グレコが、トレドでの地位を不動のものにした珠玉の一枚があります
 その傑作が、「オルガス伯の埋葬」(左/部分)
 
ベラスケス(1599-1660/スペイン/バロック)の「ラス・メニーナス」(中/部分)
 レンブラント(1606-1669/オランダ/オランダ絵画黄金期)の「夜警」(右/部分)
 それら傑作と並んで、世界三大集団肖像画ともてはやされ、その恩恵に与かったのでしょうか?
 この小さな教会、驚くほど綺麗になっていました
   

 97年、教会は素朴な佇まいにあった。
 教会自体が打ち捨てられたような印象を持ったが、この変わり様に10年の今昔を思った。
 ここに限らず何年後かに再訪すると、無料だった施設が有料になり、何時でも入場できたものが時間制限されたりと、文化財保存の意味もあるのだろうが、商業主義がもたらすものに驚いたりもする。

 C1 C2

 サント・トメ教会(左)と別れたふたり、照りつける強烈な太陽にグロッキー
  起伏ある石畳の道(右)をソコドベール広場に戻りました

 折しも街は、シエスタ、お昼寝の時間なのだろうか静まり返っていたが、この広場一帯、特に、ソコトレンという奇妙な名前の周回バスの周辺は観光客で溢れている。
 このバスは、グレコが傑作「<トレド景観>」を描いたという、旧市街を一望に見渡せるタホ川対岸に運んでくれるらしいが、「乗ってみる」と問いかけると、旅の連れは「もういい、少し休みましょう」と言う。

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 カフェテラス(左)の椅子に腰かけ、ひと息を入れます
 
冷たいビールとアイスクリーム(中/右)、今、一番好きなもの、欲しいものを頼みました

 太陽はますます元気に照り付けていて、広場の敷石に木々の濃い影を映していた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.580

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春はあけぼの

2013年02月18日 | 日記

 千年も前、清少納言は、“ 春はあけぼの。やうやう白くなり行く山ぎは少しあかりて ” と書いている。

 この「枕草子」、大昔の古典の時間に、大きくは類聚(るいじゅう)、日記的、随筆的の三つの章段に、さらに、類聚章段は、「山は」「木の花は」などの「は型」、「めでたきもの」「うつくしきもの」などの「もの型」に分けられると習ったような。

 Leucocoryne_1例によってご大層に古典を引っ張り出し、その「もの型」風になぞりニュース拾い読み。

 おどろくもの、“ ローマ法王ベネディクト16世(85)は、職務遂行に必要な精神的、肉体的な力がなくなったとして、退位する意向を明らかにした。任期途中での退位は約700年振り ” (2/12)のこととか。

 青天の霹靂か、“ 朝焼けの冬空に突然火の玉が現れ、強烈な光を放ちながら一直線を描いて地上に向かった。ロシア・ウラル地方に落下した隕石。現地からの映像や住民の証言などから、その凄まじい衝撃力と地元の混乱振りが伝わってきている ” (2/15)にもおどろく。

 おろかなもの、やはりこの国に尽きる。
 北朝鮮、“ 故金正日総書記の誕生日に、朝鮮労働党機関紙は社説で、事実上の長距離弾道ミサイル発射や核実験について金総書記の「不滅の業績」と称えた ” (2/17)とは呆れ果てた言い様。

 にくきもの、“ 米領グアムの繁華街タモンで、男が車を暴走させて歩行者をはね、多くの人を刺し、日本人三人が亡くなった ” (2/14)、幼子までが刺されたのがやり切れぬ。

 Leucocoryne_2清少納言さんの時代も、すさまじきもの、憎きもの、はしたなきものなどがつらつら書かれている。
 尤も、心ときめきするもの、うれしきもの、うつくしきものなどもあって、“ 三月三日はうらうらとのどかに照りたる。桃の花の今咲き始むる ” と書く。

 と、言う訳で、「春が待ち遠しいですなあ。えっ、この稿パクリが多い? さもありなん」。

 高槻のNaさんが稽古にお持ち下さった、「リューココリーネ」、コキンペンシスという種らしい。
 南米原産のユリ科で、小振りながら香りが良く透き通るような透明感が特徴とされ、早咲きの桃の花などとともに春のさきがけとして咲くそう。

 ところで、今日は二十四節気のひとつ、雪から雨に替わる頃とされる “ 雨水 ”、折りしも今朝は冷たい雨。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.579

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なんの花か薫る

2013年02月15日 | 本/図書館/言葉

 過日、“ 第148回芥川賞・直木賞の選考会が開かれ、芥川賞には史上最年長となる75歳、黒田夏子さんの「abさんご」が、直木賞に戦後最年少となる23歳、朝井リョウさんの「何者」と安部龍太郎さん57歳の「等伯」がそれぞれ選ばれた ” との記事(朝日・1/17)があった。

 今回は受賞者の年令、芥川賞が23歳で直木賞が75歳だったらちっとも面白くない。の両極端振りも話題になったようだが。

 Book文学賞と言えばこの作家、山本周五郎(1903年‐67年)を思い出す。

 彼は、「さぶ」「赤ひげ診療譚」などの長篇、「おたふく物語」「季節の無い街」などの中・短篇で、市井に生きる庶民や名も無き流れ者を描き共感を得ている。

 また、「樅の木は残った」の原田甲斐、「正雪記」の油井正雪、「栄花物語」の田沼意次など、悪人と評伝される人物にスポットを当てた歴史小説にも優れたものを遺している。

 彼は戦火激しい1943年(昭和19年)、「日本婦道記」で第17回直木賞に推されるも辞退、直木賞史上唯一の授賞決定後の辞退者となっている。
 以来、「樅の木は残った」が毎日出版文化賞(59年)、「青べか物語」が文藝春秋読者賞(61年)に選ばれるが辞退している。

 JintyougewJintyouger一説に拠れば、賞を主宰する文藝春秋の菊池寛との不和が挙げられているが、「日本婦道記」や「松風の門」など、戦中、軍部に迎合する作品を書いたことで賞に値しない、と考えたのも理由のひとつだったとの評論を読んだことがある。

 話は少しそれたが、今回の両賞の報道で山本周五郎なる純文学と大衆小説の狭間で、日本人の生き様を丁寧に描いた作家がいたことを改めて思い出したという次第。

 ところで、彼の「大炊介(おおいのすけ)始末」という短篇集に、『なんの花か薫る』という佳篇がある。

 酔って喧嘩をし、追われてきた若い侍が遊女の機転で助けられ、それを機に勘当の身となった侍と遊女は将来を約束する中になり、遊女はその恋の成就にすべてをかけるようになっていく。
 だが、勘当が解けた侍は、嫁を貰うことになったと告げに来る。別れの場には仄かに匂う花の薫りが・・・。
 残酷な裏切りの形となって結末を迎える中で薫る花は「卯の花」だけれど、今の時期は「沈丁花」、まだ、蕾は少し硬いようだ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.578

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「聖衣剥奪」 ‐ 再びのトレド

2013年02月12日 | スペイン/ポルトガル

 天井にルカ・ジョルダーノ(1634-1705/イタリア/バロック)によるフレスコ画が描かれている聖具室、その、次の間が絵画館になっている。

 そこに、エル・グレコ(1541-1614 /スペイン/マニエリスム)の運命を決めた傑作「聖衣剥奪」が架っている。
 ちなみに彼、画題も同じ「<聖衣剥奪>」(アルテ・ピナコテーク蔵)も描いている。

 B_expolio_3燃え上がるようなイエスの衣服は受難のシンボル、また、崇高に描かれたその姿はトレドの人々の信仰心をかきたてたとも言われている。

  ローマを去った彼は、自らの力を頼りにトレドの街にやって来たのです
  そして描いた一枚が「聖衣剥奪」でした
  新天地を目指したグレコが、全身全霊を込めて描いた絵です
  イグナティウス・デ・ロヨラが著した「心霊修養」というグレコが愛読した
  本があります
  手の指を開き、中指と薬指だけを閉じなさい
  罪が犯されるとき、困難に出会ったとき、絶望の淵に立たされたとき
  その手を、痛み続ける胸に当てなさい
  困ったときには、この手の形、誰かがあなたを救ってくれる

 絡み合う路地のように陰影に満ちた人生を送った彼、73歳でその生を終えるまで描き続けたという。

 ギリシャのクレタ島は生と絵筆を彼に授け、トレドは最上の祖国となり、死とともに永遠に生き始めるとも。
 いつしか忘れられた画家となった彼の絵が再評価されたのは、300年後の19世紀半ばのことだったと。

 C_detail1_12 スペインの日差しは強烈、日陰が恋しくなったらこちらへどうぞ
  トレドのシンボル大聖堂、この絵が、あなたを待っています
  ところで、この手の形、あなたは出来ますか・・・?
  聖衣剥奪、エル・グレコ、光と影の一枚  「美の巨人たち」から

 この絵の主題は、新約聖書(ヨハネ福音書・19-23)の “ 兵士たちは、イエスを十字架につけてからその服を取り、四つに分け各自に一枚ずつ渡るようにC_detail2_6した。(略)下着も取ってみたが、それには縫い目がなく上から下まで一枚織りであった ” 。

 そこで “ 兵士たちは「くじ引きで決 めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書(旧約聖書/詩篇・22:19)の言葉を実現するためであった ” に拠る。

 ちなみに、今まさに十字架につけられようとするイエスを見つめる三人の女性は左から、十二使徒のひとり小ヤコブの母マリア、聖母マリア、マグダラのマリアと解釈されているらしい。

 付け足せば、絵画館にはゴヤ(1746-1828/スペイン/ロマン主義)やルーベンス(1577-1640/フランドル/バロック)などに並んで、あの無頼の画家カラバッジョ(1573-1610/イタリア/バロック)の絵も架かっていた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.577

 ※ コメントを投稿して頂く際に、キャプチャー画像の読み取りをお願いしていましたが元に戻しました。
     ご協力有難うございました。

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寄り道 ‐ 再びのトレド

2013年02月08日 | スペイン/ポルトガル

 再びトレドの街、大聖堂に戻る。
 <エル・グレコ>(1541-1614 /スペイン/マニエリスム)のこの傑作に初めて出会ったのが、02年の冬、ところはミュンヘンのアルテ・ピナコテーク。

 本来ならば、97年のトレドで見る筈の絵だったのだが、残念なことに案内人はそこには目もくれず、さっさと<次の目的地>に向かったことは既に書いた。

 Selbstbildnis_von_4本題に入る前に、少し寄り道をする。
 ミュンヘン市街の広大な公園の中にデア・モデルネ、ノイエ、そしてアルテの三つのピナコテーク(絵画の収蔵所)がある。

 デア・モデルネは、ヨーロッパ最大の規模を誇る近代アート、ノイエにはゴッホ、セザンヌなど18世紀から19世紀にかけての印象派から近代・現代絵画を中心に展示されている。

 目指すアルテには、中世宗教、ゴシックからルネッサンス、マニエリスムを経てバロックまでの絵画を中心に展示されている。

 ちなみに、キリストに擬して描いたがゆえにカタリナ が、「生意気な奴」と怒る<アルブレヒト・デューラー>(1471-1528/ドイツ/ルネサンス)の「1500年の自画像」(写真上)も、ここアルテに架かる。

 Expolio_1583そのアルテ・ピナコテークの正面の大きな重いドアを押して入る。
 一見して「ドイツ人だよね」と見紛うことのない受付の中年女性、1cm角の小さなアルミのバッジを「付けなさい」と言う。

 ロビーを横切り突き当りの大階段を昇ると、真っ直ぐに続く廊下の片側に展示室が並ぶ。
 フランス、イタリアからスペイン、そして、フランドルからドイツ、さらに、15世紀から17世紀絵画へと、年も押し詰まる12月の末の美術館、鑑賞する人もまばらな展示室をゆっくりと巡った。

 そして、ここでこの傑作と出会った。
 スペインの画家の作品が展示されている部屋の中央で振り向くと、途中にある幾つかの展示室の向う、正面に見える絵がひときわ目を引く。

 幾つかの展示室の中央の通路の木枠を、額縁に見立てる演出に物怖じすることもなく、“ 主役として当然だろうこの扱いは ” と主張してやまないその作品は、マニエリスムの最後を飾るグレコの傑作、「聖衣剥奪」(写真下)だった。

 キリストが十字架かけられる直前、衣服を剥がれる姿が主題。
 彼はそれまで見られなかった鮮やかな紅で聖衣を描き、この作品を一層際立たせている。

 この作品のバリアント・異同作品がトレド大聖堂の聖具室に続く絵画館にあるが、それは次回に。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.576

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近況(2)

2013年02月06日 | 人/仲間

 T さんからの賀状、“ 近く一年目の検査を迎える。花の頃にまた会えれば ” の懇切な添え書きが。
 翻って小生、生来の無精から添え書きひとつしなかった無礼を侘びる意味もあって、松が明ける頃に E ‐ mail をした。

 ※ T さんへのメール (要旨)

  昨夏以来ご無沙汰ばかりしておりますが、頂戴しました賀状にて再発もなくお元気にお過ごしのことを知り
 〈 喜んでいます

Higanbana   社会貢献や自治体への協力など忙しく過ごされていることと思います
  そんなご多忙の中で、チベットか新疆ウィグル自治区か詳しくは覚えて
 〈 いませんが、行きたいと言っておられましたが、実現しましたでしょうか?

 〈 小生、この月中に延べ四日に亘って一年目の節目検査を受けます
 〈 万一再発、あるいは転移していいても、それも「天の思し召し」と思ってい
 〈 ます
 〈 なに、そう淡々と受け容れられものか、との聊か心もとないところも正直
 〈 ありますが・・・

 〈 とりとめもないメールになりました
 〈 貴兄の賀状にありましたが、桜の頃に心許せる仲間が集い、楽しく一献
 〈 酌み交わすことができればいいな、そして、健康で過ごせれば、これに
 〈 優るものはないと思っています
 〈 貴兄も、どうかご息災に

 ※ T さんからのメール (要旨)

Angkor_wat  〈 お元気に新年を迎えられた由、何よりと嬉しく思います
 〈 主治医からは余り飲まない方がと言われており、晩酌は
 〈 一切していませんが、やはりこの時期、少しだけと言うの
 〈 が増え、折角助けて頂いたのに古傷(膵炎)の方が危な
 〈 くなりはしないかと自戒しながら過ごしています
 
 〈 この三月下旬の検査で一年経過です
 〈 三年経てば大丈夫と言われていますが、今の調子でい
 〈 けば一年ぐらいは直ぐに経ってしまいそうです

 〈 昨年、中国ヒマラヤ山麓標高4500mネパールの旅、結
 〈 局、尖閣がたたってツアーそのものがキャンセルとなりました
 〈 日程を繰り合わせたのに勿体ないと思い、急遽、同行仲間を変えて一度行きたかったベトナム、カンボジ
 〈 アに行ってきました

 〈 ハノイ、ハロン湾、アンコルーワット、ホーチミンと辿りましたが、親日的でとても感じが良く、楽しい一週間
 〈 の旅で、やはり世界遺産のハロン湾とアンコルーワットが印象に残りました

 メールに添えられた水彩画「彼岸花」と「アンコールワット」、喜ばしくも更に腕を上げられたようだ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.575

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東京案内

2013年02月04日 | 美術館 (国内)

 映画「東京家族」、フーテンの寅さんの山田洋次監督が、小津安二郎監督へのオマージュとして、「東京物語」をリメイクしたらしい。
 「―家族」は見ていないが、「―物語」(53年・昭和28年)は見た。
 長男夫婦が東京の下町で営む医院へ、尾道から笠智衆と東山千栄子演じる老夫婦が訪ねるところから話は始まっていたように覚えているが、この稿、その映画がテーマではない。

 Museum_2「―家族」の公式HPのプロモーションビデオに老夫婦がバスで都内観光、東京スカイツリーに驚く場面があった。

 ペトロ とカタリナ、<独立書展>の後、そこに向かったことと重なり、回りくどいが映画を持ち出したという訳。

 で、乃木坂から地下鉄でスカイツリーへと思っていたが、御上りさんふたりだけでは心許ないと思われたのか、地下鉄は混むのでタクシーを、と知人らからやんわり勧められ、<国立新美術館>(写真上)の近くの溜まりから個人タクシーに乗った。

 土曜日の昼下がりの東京、車窓からの風景がひっそりとしている。
 地方出と明かす老運転手、「この辺りオフィスばかりだからね」と、頼みもしないのに道すがら案内を始め、「あれが改装なった東京駅、これが移転した大丸」と続ける。

 Skytree 東京タワーの側を抜ける際には、「こっちの方が如何にも塔って感じでいいよねえ。スカイツリーって何だか棒が突っ立っているみたいじゃん」と、これから向かおうとする客の気持ちを忖度する気は無いらしい。

 正面にスカイツリーが望める辺りまで来て、「左手、何人か並んでるでしょ。あすこが駒方の泥鰌屋」と話す。
 当方の「泥鰌なあ」の返事に、東京人ってあんなもん食うンや?とのニュアンスを感じ取ったのか、「御上りさんばかりだけどね」と江戸っ子成り切り風が面白い。

 ところで、某ビール会社の品の無いオブジェを左手に橋を渡ると、歩行者の数がだんだんと増えてくる。

 冬にしては珍しい抜けるような空が広がり、汗ばむほど温かい日のスカイツリー(写真下)、自分らのことはさて置き、もう呆れるほどの人。
 チケット売り場で当日券となった<予約票>を見せると、2時間後に入場できる整理券を渡すと言う。

 当方せっかちの関西人、「そんな悠長に待たらへん」「来た事だけでいいじゃない」と東京駅に向かったのである。やっぱ、御上りさん?やねえ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.574
 

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