ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ほこり ‐ 6月がゆく

2015年06月29日 | 季節/暦

 かなり古い話で恐縮だが半世紀以上も前のこと、ロバート・ライアンが主演する、「誇り高き男」(The Proud Ones)という西部劇があった。
 作品そのものの評価は高くなかったようだが、スリーサンズというグループが演奏する同名の主題歌がヒット、アコーディオンとギターと口笛の少し哀愁を帯びたメロディーを覚えておられる方もあると思う。

 この誇り、Pride、かなり厄介なものと思うが、時に痩せ我慢とも言った方がいいようなこともある。

 映画序にもう少し書けば、高倉健さん演じる主人公みたく、寡黙なうえにも義に篤く、礼を弁え智に裏打ちされた痩せ我慢なら理解(わから)なくもない。

 尤も、それを男の美学みたく、ストイックにひけらかされると鼻白むばかりだけれど・・・と、偉そうにここまで書いて、その実力もないのにプライドだけ高いのは誰だと苦笑してしまう。

 ただ、この気質、嫉妬や見栄と紙一重というか、その側にひょいといるようなところがあって、時に事を難しくもさせる。

 俗物酔狂など、誇りでもなんでもなくただの嫉妬ばかり。
 それを矜持と勘違いするから、素直に教えても、お願いも、ごめんなさいも、ありがとうも、それこそ半世紀も縁が無いが好きですも言えなくなり、ほんまに始末が悪い。

 ところで、ガラッと話は変わって新幹線が開業して50年とか。
 過日、NHK‐BSで特集番組を放送していたが、分刻みの運行にも驚くが、折り返しの東京駅で僅か7分の間に掃除を遣り遂げる技に感心した。

 その掃除のツールのひとつにコードレスのクリーナがあった。
 そのクリーナ、お手軽の惹句に釣られて電動工具のM社製を買ったが、道具に頼らずマメが肝要と、当たり前のことを今さら乍らに教えられた。

 余分だが、ほこりはほこりでも埃の方、溜まる場所は粗方決まっているらしく、曰くそこを掃き溜めと呼び、塵芥だけじゃなく意外なものまで・・・が。 

 話は横道に逸れたが、この時季によく見かける「金鶏菊」の派生種という「細葉波斯菊」(ほそばはるしゃぎく)、洋名が「コレオプシス」とか。
 なんともギリシャ語の、“ 南京虫に似た ” が語源だって、勿論、種のことだけれど。

 そんなこんなで、鬱陶しい梅雨は続いているが明日(6/30)で水無月・6月も晦日、早や前の半分を終えた。

 晦日行事の “ 夏越の祓 (なごしのはらえ)” に行われる “ 茅の輪くぐり ” (西宮神社HPから)で、穢れやら見栄やら、南京虫はまさかにしても掃き溜めもどきに無精で溜めた埃やら、落として後ろの半分、頑張らなくっちゃあ、ねっ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.996

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6月にも祝祭日

2015年06月26日 | 聖堂/教会/聖書

 前々号で、6月は祝祭日のない唯一の月、と書いたが、その続き。

 確かに日本暦では祭日はないが、カトリックの典礼暦には復活祭、聖母被昇天、降誕祭の大祭日と並んで使徒・聖人の祝祭日があって、その重要性の高い順に、大祭(祝)日・祭日、祝日、義務の記念日、(教会が)任意(で定める)の記念日の四つに区分されている。

 その祭日だが、“ ペンテコステ・五旬祭 ”(過越祭から50日目)、“ キリストの聖体 ”(5、6月の日曜)、“ イエスのみ心 ”(キリストの聖体の一週後)、“ 洗礼者ヨハネの誕生 ”(6/24)、そして、“ 聖ペトロ 聖パウロ使徒 ”(6/29)があって、むしろ他の月に比べて多い。

 ここで、使徒の中で双璧ともされるペトロとパウロが、どうして同じ日に祝われるの? との疑問が。
 二人揃って<ローマ第一の守護聖人>とされているが、それと祭日との相関などは寡聞にして知らなかった。

 で、少し調べてみると、ある聖職者は自身のHPで、“ 言わば伝統に拘る守旧派ペトロと既成概念に捉われず普遍的な教えを宣べ伝える改革派パウロ、時には厳しく論じ合う仲でもあったようだ ” と書く。

 さらに、“ ペトロは67年に逆さに十字架につけられ、パウロはその四年前の63年に斬首によって、同じローマで奇しくも同じ日に殉教したともされている ” ことから、“ 全く異なるタイプの二人を同じ日に祝うことで、教会は神を信じる生き方の多様性を表現しているのではないか ” と続ける。

 使徒の祭日が主日(イエスが復活した日曜、ミサの起源ともなる日)に優先されるのは<聖ペトロ 聖パウロ使徒>だけ。

 03年のその日のミサで用いられた 「聖書と典礼」(上)、たまさか日曜だったが二人の祝日となっている。

 とまれ、日本では僅か50万人足らずのマイノリティーのカトリック、6月に嬉しくも五つもの大祝日・祭日をお祝いするのである。

 ところで、バロックの奇才カラヴァッジョ(1573-1610 /イタリア)もこの聖人をモチーフに傑作を残している。

 その 「<聖ペテロの磔刑>」と 「<聖パウロの回心>」を、ローマの新しい七つの丘のひとつピンチョの丘の裾、ポポロ広場に建つポポロ教会(下左、右はポポロ門)に見るため、ローマまで足を運び直したこともあったが、今となればそれも楽しい思い出である。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.995

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かんの虫?

2015年06月24日 | 日記

 以前、<怒り、アンガーマネージメント>について投稿した。
 最近は世相もあってイライラするのか、はたまた辛抱が足らなくなったのか、店先や駅中などで怒鳴り散らしている人を見かけたりもし、怒りっぽい酔狂、心せねばと思う日々。

 ところで子供が幼い頃のこと、夜泣きが続いたり、いわゆる疳(かん)の虫が起こったりしたとき、カタリナ、桶屋奇応丸(ひやきおうがん)だったろうか、指先に胡麻粒のような細かい銀、金もあるのかな?の丸薬を付け、幼子の口にそっと運んでいたことを憶えている。

 生薬なのだろう、即効性は低いがやがて効き始め、表情や所作が穏やかに、また、安らかな寝顔を見せてくれたものだ。

 なにもこの症状、子供だけでなくいい歳をした大人にもあるのだろう。
 尤も、小児の神経質な様を指す “ 疳 ” ではなく、ちょっとしたことにも感情を抑えきれず激しく怒り出す “ 癇 ” 方が相応しいのかも知れないが。

 この癇の癪、老人にも頻繁に起っているらしいが、それは最近に限ったことでなく、昔は頑固爺とも老いの一徹とも呼ばれていただけかも。

 斯く言う酔狂、この歳になって恥ずかしいが、近頃、その癇の虫じゃなかった疳の虫みたくなもん、ひょっとして今壊れかけてるンちゃう? と自覚することがしばしば。

 その、壊れかけ症候群、特別、珍しくもなく誰でも罹るものの、多忙に加え大人としての自制心でそれをコントロールされているのだろうか?

 アメリカ映画などで、感情に駆られた言動や飲酒や喫煙などの欲求を自己制御できない人が、カウンセリングやセラピーを勧められる場面を目にすることがある。
 社会的な認知を得るための条件として、それらの受診を求められる場合も多いようだ。

 まあこの病、そんな大層なもンじゃなく、原因は、“ 暇菌 ” が中枢神経に作用、“ 面倒臭いと億劫 ” が主症状だから、診断書にぐうたら病と書かれてお仕舞。

 即効でも遅効でもいいからよく効く丸薬、それも優しくそっと口元に運んでくれないだろうかねえ誰か? こりゃあかん、かなりの重症や!

 散歩で撮った「黄百合」(下)と糸のような雄蕊に金の粒をのせた「銀梅花」(上)、色こそ違えよく似たオトギリソウ科オトギリソウ属の「金梅花」と瓜二つだが、フトモモ科、変なの?ギンバイカ属で別種らしい。

 ちなみに銀の方、洋名が「ミルテ」、泰西名画にしばしば登場、サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510/イタリア/初期ルネサンス)描く花と神々が奏でる祝婚歌「<春 = ラ・プリマベーラ>」にも描かれていることは書いた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.994

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祝祭日のない月

2015年06月22日 | 日記

 まだ暫く梅雨は続くのだろうが、今日(6/22)は二十四節気のひとつ、一年で最も昼が長く夜が短い日とされる “ 夏至 ”。

 この月末には民間伝承祭事のひとつ、半年の穢れを落とし後の半年の健康と厄除けを祈願する “ 夏越の祓(なごしのはらえ)”、<茅の輪くぐり>が各地の神社で、戎っさん、西宮神社でも行われるようだ。

 ところで水無月・6月、一度も祝日がない唯一の月だが、暦本に拠れば、天皇家由来の節目の日もなく、庶民の生活も農繁期で “ ハレ ” の行事がなかった点が影響しているらしい。

 ちなみにハレとは、“<ハレとケ>” のこと。
 民俗学者柳田國男によって見出された日本人の伝統的な世界観とされ、民俗学上ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭り行事など非日常を、ケ(褻)は普段の生活である日常を表している、ということはこれまでにも書いた。

 今にも、「8月も祝日はないよ!」の声が聞こえてきそうだが、過去には大正天皇誕生日(8/31)が、また、来年から “ 山の日 ” (8/11)なる日ができるらしい。
 海の日(7/20)、山の日とくれば、なんだか海幸彦と山幸彦の神話が思い浮かび、天皇家由来もあってそんな日が制定されたのかな、と勘繰ったりしないでもない。

 そんな6月、聊か地味というか影が薄いように思わないでもないが、そんなイメージの月にこれまたなんとお似合いの、“ 父の日 ” 、毎年第三日曜で今年は昨日(6/21)。が、あって面白い。
 由来は米国らしいので、皇室縁日とかハレの日とかとは無縁なのだろうけれど。

 その父の日、母の日に比べなんと頼り気ないことか。
 でも、忘れないで欲しい、今国会で集団自衛権を巡って姦しいが、僅か7、80年前、戦地に駆り出され、国を、愛する人を守ると一途に信じて戦塵と散った父や兄、恋人がいたことを。

 戦火と言えば、三世のボンボン総理、60年安保の祖父や沖縄返還の大叔父と同じDNA、宿痾(しゅくあ)とでもいうのだろうか、国民の多くが反対する法案、無理を承知で合憲、合憲と壊れた蓄音機みたく。
 地味じゃなかった、地道に改憲の大道を往く気概も覚悟もないよう、それもこれも、選んだ国民の責任なンだろうけれどね。

 ボンボンのこと偉そうにけなし乍ら創意も工夫もなく、お定まりの「ハイビスカス」と「向日葵」で、夏。
 お父さんみたく地味に地道にだけを取り柄に、暑さにめげずすくっと潔く、格好いいじゃない、それだけで!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.993

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南塔 ‐ ドナウの旅(12)

2015年06月19日 | チェコ/ハンガリー

 聖ヴィート大聖堂の南塔。
 展望ホールからは、悠久にたゆたうヴォルタヴァの流れ、城の北に広がる王宮庭園とフラッチャニ、南にはマラー・ストラナの緑豊かな家並みが望める。

    
  1200年の歴史の中で繰り広げられた数々の栄光と挫折
 
この美しい街の佇まいのなかに凝縮しているかのようです

 360度のパノラマを満喫、そろそろ降りようかという頃、若い外国人のグループが到着した。
 彼らに続き、少し先に降りた筈の人達が後戻りをしてきたので、「どうしたのかな?」とカタリナと顔を見合わせていると、件の若いグループの一人らしい若い女性が遅れて到着した。
 このうら若き女性、体躯がほほ階段の幅一杯、ちなみに階段は天辺近くなるほど狭くなってくる。にあって、すれ違えずバックしてきたのだ。

 *カタリナの独り言  写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 彼女、顔を真っ赤にして喘ぎ乍らゴールイン、傍らのベンチにへたり込んでしまった
 この様子を見ていた付近にいた多くの人、勿論、私達も拍手!彼女、さらに顔を赤くしてはにかんでいたけれど、その笑顔がとても可愛かった (

 そんなこんなで南塔を降り、第二の中庭を囲む宮殿の西側のマチアス門を抜けると、暫くすると衛兵の交代式があるらしく小雨のなか多くの人が待っている。

 *序にペトロも独り言
 正門の直ぐ側、第一の中庭で、正午の衛兵交代式が行われるのを見学、建物の二階には楽器演奏の衛兵が並び華々しい (

    
  第一の中庭では、衛兵交代式が行われていました
  バッキンガムやウィンザー城など英国のそれと違って衣装は聊か滋味のようです
  正門を出るとフラチャニ広場、傘の花が開いています

 その衛兵交代の様子を少しだけ眺め、正門を出るとフラチャニ広場。
 その広場に続く坂の途中、クロスヴィーチェという店でランチ。
 これまで、食事のことは殆ど書かなかったが、旅の最後に名物だという肉の煮込み料理グラーシュを少し紹介したい。

 *カタリナの独り言
 この料理、赤パプリカを使うのか真っ赤な色をしているけれど、結構、美味しい
 ただ、クネドリーキという蒸しパンみたくなものが付け合わせになっていたが、少し癖があってひと口食べてギブアップ (

   
 ♪ 中欧から東欧にかけての定番料理、真っ赤なグラーシュです
  ウィーンでもブタペストでも、レストランは言うに及ばず惣菜屋にも並んでいました

 食事の後、ロレッタ教会へ、“ ドナウの旅 ‐ プラハ編 ” 、名残り惜しくも?終わりが近くなってきた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.992

 ※ 前号、ドナウの旅(11)へは、<コチラ>から入れます。

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聖ヴィート大聖堂 ‐ ドナウの旅(11)

2015年06月17日 | チェコ/ハンガリー

 プラハ第一の聖堂、 “ 聖ヴィート大聖堂 ” 、13世紀半ば、黄金のプラハを築いたカレル1世の命で建設が始まったという。

     
 ♪ 19世紀まで正面入り口として使われていたという “ 黄金の玄関 ”(左)ファサードのモザイクが鮮やか
 ♪ ちなみに今の正面玄関(中)はそこから左手へ曲がったところにありますが、扉は閉じられていました

  黄金の玄関の脇、嵩さ100m近くある南塔(右)です

 ボヘミア公ヴァーツラフ1世は、10世紀、キリスト教が伝道されて間もないこの地でその教えを広め、チェコ最初の聖人となり、以来、プラハの守護聖人として尊崇されたという。

    
  正面玄関を飾るバラ窓(左)です
  内陣(中)は、陳腐な表現ですが広く高く、主祭壇を照らすステンドグラス(右)が輝いていました

 カレル1世は自身の戴冠式で、「聖ヴァーツラフの王冠」を作らせ、“ 自分は守護聖人から王冠と統治権を委託されボヘミア王となる ” と宣言した人物らしく、“ 聖遺物礼拝堂 ” に宝石が散りばめられたその王冠が展示されていたが、この手の物は値打ちが全く理解(わか)らなく、玩具に見えて始末が悪い。 

    
  右側廊には、プラハの守護聖人 “ ヴァーツラフ礼拝堂 ” (左)があります
  側廊を華麗なステンドグラス(中)が飾っています 19世紀前半の作とか 流石、ボヘミアグラスの地です
 
 地下のカタコンベ、王家の墓所(右)、10世紀に建てられた最初の教会の壁が遺っています

 ところでふたり、“ 王家の墓所 ” を回って聖堂に戻り、“ 南塔 ” に登ることにしたのだが、さて・・・

 *カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 自分でも辛抱強い方だと思うけれど、何時も途中で、もうダメ、ここで待ってると根を上げる
 手を引っ張り「頑張って!」と励まし、と言うより、「あと少し、もう少し」と騙してくれるペトロに感謝だ
 独りだったら、うん、なあに階段?ヤメ!で終わる私だから
 おかげで、色んなヨーロッパの街並みを俯瞰することができました (

    
  その南塔、高いところに展望ホール(左)が望めます
  無理矢理誘って少し可哀想なことをした・・・ような(中)、でも、若い?ので直ぐに回復
  プラハの
眺望を楽しんでいます(右)、似たもの夫婦、高い所がお好きなようで・・・ 

 *序にペトロも独り言
 何時もどおり尻込みをするカタリナ、この塔100m近くあるらしくその気持ち分らなくもない
 途中まででもと登り始めるともうあかん 一旦、始めると途中ではなかなかやめられるものじゃない
 息も上がり、もうこの辺でと思った時、漸く上から賑やかな歓声が届きやれやれ よう頑張った! (

 南塔は、素晴らしいプラハの眺望をプレゼントしてくれた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.991

 ※ 前号、ドナウの旅(10)へは、<コチラ>から入れます。

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ロシア行 余話

2015年06月15日 | 日記

 過日、朝日が、“ どうする相続増税と題し三回続きで詳解、関心を持って読まれた方もあろう。
 相続税法が改定されたが、幸か不幸か如何ほどのものも遺してやれないので、関係がないと言えばないのだが。

 ちなみに、どうでもいいことだが、一般には遺言(ゆいごん)だが、法的には遺言(いごん)と称するのだそう。
 その遺言、専門家に拠れば、喩えそれが僅かでもどう処分するかを書面で遺しておくことが大切と、何かの折に目にしたように思うが定かでない。

 ところで、独り暮らしになって一年半、カタリナ との約束、ペトロ が勝手に思っていただけだが。を、果たすためサンクトペテルブルクへと出掛けた。
 そのロシア行も聊か食傷されていると思うが、その独り旅を機に遺言を書いたというのが今日の話。

 常々書いておかなくてはと思いつつも放置していた。
 三年前の手術、これが最悪の場合は、骨盤周りをそれこそ根こそぎ取っちゃうかも、なんて術前に告知されていたので、すわ大変と「愛する家族へ」と題してこれまでの感謝の気持ちを伝えるべくワープロの手紙を用意した。

 その折は彼女が元気だったので、大甘?の言葉を連ねる程のことで済んだが、今回はそうもいかない。
 今時、海外旅行で遺言書もないが、当節は何があるか判らない時代、ましてや老爺独りの個人旅行。

 鰥夫(やもめ)暮らしになって篤と困ったのは、日々の細かいあれこれ。
 何拾年もともに暮らし、かつ、半年の猶予の時間を貰ってさえこの有様、突然の事あれば家族(遺族)は、それこそ雲を掴む話になるだろうと。

 で、いわゆる「遺言書」は、直筆、日付を記入、署名と実印、で法的には了、何ほどの書く事があろうや便箋半枚で足りた。
 面倒だったのは、その余のことを綴った「お願い」の手紙。
 延命治療不要から葬式や墓、それこそ昔風に言えば米穀手帳、古いね! のありかまで、ワープロでこと細かく綴ったらA4版で四枚にもなった。

 それも、無事帰国すれば茶番のようにも、何ほどのこともなく無駄になって喜ぶべきこととなのだろうけれど。
 ものの、帰国後も捨てず彼女の遺影の前に置いている、開封するのが少し遅れるだけのこととて。

 日々新しい花に咲き代わることから「日日草」、このふたつの花、とても同じ名前と思えないんだけれど、その花言葉は “ 優しい追憶 ” 、まるで誰かの遺言みたく、遺してやれるのは優しい想い出だけか。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.990

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聖イジ―教会と旧王宮 ‐ ドナウの旅(10)

2015年06月12日 | チェコ/ハンガリー

 プラハ城内の “ 黄金の小道 ”、その一角にあるカフカの家を離れ、イジ―通りを西に歩くと “ 聖イジ―教会 ” がある。
 10世紀に完成した城内最古の教会、元は女子修道院、今は音楽ホールとしても使われるとか。
    
  ロマネスク様式の教会としてプラハ屈指の美を誇る聖イジ―教会(左)、残念乍ら一帯は工事中でした
  二階が回廊となっています 音響効果が素晴らしくコンサートも開かれると案内書にありました
  質素な造り乍ら煉瓦色のファサード(右)が建物全体を引き立たせていました

 さらに西に進むと第三の中庭と呼ばれる広場。
 ここまで来ると観光客が目立ち始めたが、この頃になって、また雨が降り出してきた。
 初秋から冬にかけて雨期に当たるのだろうか、何やら日本海側を思わせる暗鬱なお天気が続く。

 この第三の中庭の南に、“ 旧王室 ” がある。
 オーストリアの女帝マリア・テレジアの時代、三つの建物を繋げてロココ風に改造した宮殿だそうである。
 ちなみに、バロック芸術に次ぐ表現スタイルのロココ美術、聊か馴染が薄いが、ロカイユ・貝殻装飾が語源で、曲線を多用した装飾性の高い形体を指すのだそうだ。

    
  旧王室で注目すべきはヴラジスラフ・ホールと呼ばれる三階の大広間です
  幅16m、奥行2m、天井高13m、中世では教会を除いて最も広い柱のない空間だったそうです
  諸聖人共同礼拝所(中)と新国事録の間(右)です

 *カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 ヴラジスラフ・ホールのバルコニーで、一人旅をしているという日本人の青年から、「シャッターを押して下さいませんか」と頼まれた
 この旅では、男女を問わず一人旅の若者を多く見かけた (

    
  当時の騎士が乗馬したままヴラジスラフ・ホール(左)に入り技を競ったと言われています
  バルコニー(中)からマラー・ストラナ地区の素晴らしい眺めを楽しみました
  プラハのシンボル、聖ヴィート大聖堂(右)です、ここも工事の真っ最中でした

 * 序にペトロも独り言
 一時期、海外に出掛ける若い人が減ったと心配されるむきもあったようだが、最近はまた増えてきているようだ、好いことだと思う
 ところで、その彼だが、後日ブタペストの街で見かけた、とカタリナが言っていた (

 旧王宮から “ 聖ヴィート大聖堂 ” に向かった。
 聖堂の正面に近づくとさらに観光客が多くなり、中世ヨーロッパの面影を色濃く残すこの街の人気の高さを改めて知らされた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.989

 ※ 前号、ドナウの旅(9)へは、<コチラ>から入れます。

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一人旅、したいですか?

2015年06月10日 | 日記

 朝日の土曜日の朝刊、付録?に “ be版 ” がついている。
 そのbe版、面白いのが “ 悩みのるつぼ ”、真剣なのかお遊びなのか、えっ、なんなのそれ?という読者からの相談に、斯界で名を成す方々が迷?回答、特に、上野千鶴子さんと美輪明宏さんの女性陣?の回答が痛快でニヤリとすることもしばしば。

 そんなbe版、5月最後の土曜日、“ be between 読者とつくる ” というシリーズ企画の中で、“ 一人旅したいですか?” という記事が目にとまった。

 束縛を好まず、カタリナ がいなくなってからも、<奥州平泉>(上)そして先のサンクトペテルブルク(下)と独り旅をしてきた。

 が、正直に心情を吐けば、老爺に甘えん坊もないが、やはり旅は道づれ、わいわいがやがやと遣るのが楽しいようにも。

 ところが、豈図らんや記事は、“ 大広間での食事などさぞ居心地が悪いだろうなと思いきや、最近は自分だけがお一人様じゃなくてほっとすることが珍しくありません。一人旅=訳あり のイメージは完全に過去のもののようです ” と始まる。

 このシリーズ、between=(ふたつの場所・もの)…の間、とあるようにアンケートの結果を素にしている。
 で、“ 一人旅したいですか?” の質問に、なんと、70%の人が “ はい ” と答えていて驚いた。

 その一番の理由は、自分のペースで行動できるからだそう。
 意外にも少数派、“ いいえ ” と答えた理由の一番は、話し相手がいないと詰まらないで、謂わば相反する理由が夫々のトップにあって、面白い。

 もう少し詳しく紹介すれば、肯定派は、“ 疲れたら休み、興味がある所ではじっくり時間をかけ、同行者に気を使うこともないのがいい(64歳/男性) ” と言う。

 一方、否定派は、“ 知らない人に話しかけるのが苦手、同じ景色を見たり同じ物を食べたりして、一緒に喜ぶ人がいてこそ楽しめる(53歳/女性) ” と。

 国内と海外、性別や年代、それに温泉に山海の珍味、史跡巡りや美術館など目的によっても異なるのだろうけれど、どちらの言い分も理解(わか)らないでもない。
 が、愛する人と二人旅、これに勝るものなし、で、決まり! えっ、いない者はどうすれば? う~ん、そこが問題なんだよなあ・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.988

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家庭の味

2015年06月08日 | 日記

 昭和の初期から四十年頃にかけて小津安二郎という映画監督がいて、「東京物語」「晩春」「麦秋」などの名作が公開されたが、観られた方も多いと思う。
 作品の評価など素人には判らないが、晩年の作「彼岸花」や「秋刀魚の味」では、市井の人のささやかな日常を淡々とスクリーンに紡いていた。

 名匠の温かい目線の先にあったのは、平穏な家庭の日常のあれこれ。
 他人からみれば取るに足らない幸せや喜び、時には小さな諍(いさか)いや悲しみが、観る人の共感を呼んだのだと思う。

 小津作品に限らず、どこの家庭でもそうなのだろうと思う。
 喜びや仕合せばかりじゃない、それこそ他人には言えぬ悩みや悲しみがあって、それを支え合って乗り越えていくのだろう。

 そんな家庭の味、温もりを久し振りに味あわさせて頂いた。
 閉籠りがちなペトロ を見兼ねてか、カタリナ 共々誼を頂いていた釣り人さんご夫妻から、釣りを兼ねてのお誘いを受けていた。
 ものの検査結果が思わしくなく、旅行もあって延ばしのばしにさせて貰っていたが、先日、京都勤務時代以来の共通の友人K君と共にお伺いをした。

 生憎、時季もあって釣りは秋にとなったが、奥様のやんちゃ姫さんの心のこもった料理に舌鼓を打ち、釣り人さんご推奨のワインやらK君の故郷の地酒やら、時を忘れて楽しくお酒を酌み交わした。

 日頃喋ることが殆どなく、その反動ゆえの止めどない愚痴話に耳を傾けて下さる思い遣りも嬉しく、五時間ほどがあっという間に過ぎていった。
 心地よい酔いで玄関を辞すると恰も望月、満々と中天にあって、それを眺め乍ら改めてご厚情に感謝した。

 ところで、歓談中にやんちゃ姫さんから一枚の写真を見せて貰った。
 そこには、やんちゃ姫さんがボランティアで支援されているバングラディシュの民族衣装を纏った見知らぬ格好の彼女がいて、こんな一面も?と驚いていると、わざわざ額に収めて渡して下さった。
 辛い頃だったんじゃないかと思うのだが、それを隠して無邪気に遊ぶ姿が愛おしくもあり、悔しくもあった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.987

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