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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

月曜の朝 ‐ 3月がゆく

2011年03月31日 | 季節/暦

 たびたびお世話になった、「積極的その日暮らし」。
 落合恵子さんが、土曜日の朝日の朝刊に連載しているエッセイで、3月26日のテーマが、“ 抱きしめる時空 ”。

 大震災に原発事故の追い討ちを受けた東北地方、彼女らの元に、“ 子どもがなかなか眠らず、しがみついて離れない、夜中に急に泣き出す ” などの相談が相次ぎ、“ 子どもに限らずお年寄りにも、いつもより長く、ゆっくりと、そして、たびたび、抱きしめてあげて ” と助言するという話。

 Photo_2ペトロ が勝手に、「土曜の朝のエッセイ」と読んでいた「積極的――」、この日を以って最終回となった。

 都会の日常風景の中に、母のこと、友のこと、仕事のこと、草花のこと、そして、嬉しかったこと、やり切れぬことなど、折々のことがさりげなく綴られていて、時に頷いたり、時にそんなことないだろう、と勝手読みを楽しんでいたこともあって、残念な気がしないでもない。
 ただ、惜しまれるうちに終えるのが花なのかも知れないとも思う。

 花と言えばカタリナ、高槻のNiさんから頂いた「乙女椿」(下)、鉢に植え、「根付かせるの」と意気込んでいる。

 P1100374ようやく春めいてきた最終週の月曜の朝のこと。
 ベランダで挿し木に、「元気に育ってね」と声をかけたり、去年、綺麗な花を咲かせてくれた<山芍薬>の新芽が増えたと喜んだりしている。

 途中、水を遣るのでバケツに汲んでと頼まれ、お安い御用と蛇口を捻ると、勢いよく水がほとばしる。
 スイッチを入れれば電気が灯りガスが点く、受話器を上げれば発信音が聞こえ、玄関には新聞が配達されている。
 窓を開ければ電車がホームに停まり、通勤客が乗り込んでいるのが見える。

 このありふれた日常のなんと有難いこと、大切にしなければと思う。

 今週の朝日歌壇 流されて放り出されしランドセル小さな背中の温もりを恋う (春日井市・伊東紀美子さん/佐佐木幸綱氏選)

 いたいけな子どもも多く犠牲になった11年の弥生・三月、忘れてはならじ。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.305

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続々・閑話休題 - エクセスバゲージ

2011年03月29日 | イタリア

 ミユンヘン空港のチェックイン・カウンターでのこと。
 新入り君への<OJT・研修>の真っ最中で長い列。搭乗客がざわめき始めた頃、別のカウウンターが開き、「こちらへこい」と係員が手招き、ようやく私たちの番がきた。

 039この係員、「ふたつとも一緒にコンベアに乗せろ」と言う。
 今と違いその頃の鞄、ふたりとも矢鱈でかいのを使っていた。で、計量カウンターには、46.8kgの表示が。
 それをみた係員、何か盛んに喋っている。どうも、「エクセスバゲージ」、超過荷物だと言っているよう。

 エクセスチャージ、超過料金を覚悟しつつも、ドイツ訛り? の英語が聞き取れなくて、「bag is just two」と厚かましくも返すと、件の係員呆れながらも搭乗券に何やら書き込み、「ok」と言ってくれた。

 これ幸いと、その場を離れたが・・・、関空では何事もなく、しかも、軽くなっている筈なのだが、同じルフトハンザでも律儀なドイツ人には見過ごすことができなかったようだ。

 ところで、2月9日の朝日新聞、“ 国際線に乗る際に無料で預けられる荷物の制限を、この4月から緩和すると全日空が発表した。”  という記事が載った。

 041_2記事に拠れば、欧州やアジア路線で大幅に緩和されるらしい。
 
この競争時代、「さもありなん」と思いつつも、10年ばかり前のミュンヘン空港のやり取りを思い出し、今更ながら恥ずかしくて冷や汗が出た。

 そんなこんなで、「朝から!と呆れられながらも「ドイツでは最後やさかい」と、ビールを飲み干し、100人ほども乗れるのだろうか機中の人となった。

 11時前、畑の中?で小雨に濡れるペレトラ空港に着いた。
 大聖年の巡礼以来、ほぼ1年振りのフィレンツェである。

 それにしても、雪を頂くアルプスの「息を呑むばかりの美しさ」、エクセスバゲージとともに忘れ難い思い出である。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.304

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揺れる ‐ 高知行

2011年03月27日 | 小さな旅/駅

 カタリナ が、初めての春休みを前にしたR君に、<メール>を送ったことを書いたのは9日のこと。

 その二日後、根こそぎ押し流す大津波のライブ映像に立ち竦む。
 R君の地域にも津波警報と避難情報が出て、港近くの小学校に通う彼が無事下校したのか心配で電話、「大丈夫だよ」と元気な声が返ってきて一安心。

 Photo東京のテレジアさんからも、「無事です」の連絡があり、心のざわめきもひとまず治まってカタリナともども安堵。
 高層階の茅屋(ぼうおく)、ゆらゆら揺れ、ぎしぎし鳴った、あの時間の心許ない感覚が今も残る。

 そんな中、春彼岸の休みに計画していた高知行、「こんな時に?という気もしたが、旅館の予約もしていたし、R君も I 君も待っているだろうからと、<晴れ女さん>のお陰で? 快晴の阿波路から土佐路へと車を走らせた。

 道中、折角のこととて、 “ 祖谷のかずら橋 ” に寄ってみた。

 大歩危(おおぼけ)から吉野川を渡り、“ 山淡冶(たんや)にして笑う装い ” の山道を上るとトンネル。
 ノーベル文学賞作家の小説ではないが、トンネルを抜けるとそこは雪国?山陰は白一面の山里、季節が逆戻りしたかのよう。

  祖谷のかずら橋ゃ 蜘蛛の巣の如く 風も吹かんのに ゆらゆらと 

 12と、民謡に唄われるその橋、なるほどかずらで編んであるのが手前の鉄筋の橋から望める。
 一方通行?のこの橋、袂に関所があって、架け替えのためご喜捨とある。
 まあ、「ここまできて」との思いを逆手に取られている気もしないではないが、500円也の通行手形?を買う。

 天網、斯くやあらんと思える粗い橋桁からは祖谷川の清流が。
 橋の中ほど、遠くの山嶺に被る雪を眺めていると、さっさと渡った誰かが向こう岸で笑い転げている。

 箸が転んだも可笑しいお年頃は半世紀近くも前に過ぎたお方が、何故お笑い召さるのか知る由もないが、カメラを手に、「R君へのお土産が!と喜ぶ様から、大よそのことは判ろうと言うもの。

 クリティカル・イレブン、離着陸時の11分間、座席で固まっていることに比べりゃ「ふん、何のこれしき!」と強がる言葉と裏腹に、かずらの欄干?にしがみつく誰かがいた。
 「ブログに!と宣(のたま)われるゆえ、癪なので先に書いた。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.303

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続・ライバル ‐ フィレンツェ

2011年03月25日 | イタリア

 最初にアカデミア美術館を訪れた折のこと。
 閉館時間に近く、彼の未完の傑作を見逃してしまい、「ずっと悔しい思いでいた」らしい。

PhotoPhoto_8  その作品とは、四体の「奴隷像」と「聖マタイ」(写真上左:部分)、そして、「ピエタ」。
 3年の時を経てようやく対面、向かいのベンチに腰掛けゆっくりと向き合う。

 ただ、前回OKだった写真、「あかん、ここで写真はと、多分、「言われたんやろけど?」、若い女性警備員に厳しくチェックされた。

 ミケランジェロは、生涯に四体の「ピエタ」を刻んだという。
 唯一完成したのがサン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」、僅か23歳の時の作とされる。

Photo_9Photo_10  二体はここフィレンツェにあって、ドゥオモ博物館の「フィレンツェのピエタ」(写真上右)とアカデミア美術館の「パレストリーナのピエタ」である。

 残る一体「ロンダニーニのピエタ」は、ミラノのスフォルツァ城博物館にあり、大聖年の巡礼の折にグループから離れ対面した。

 ピエタとは、磔刑に処された後に十字架から降ろされたイエスと、その亡骸を腕に抱く聖母マリアをモチーフとする宗教画や彫刻などのこと。

 その四体の「ピエタ」のなかで、三番目に彫られたとされるのが、ローマの東にあるパレストリーナという小さな町のサンタ・ロザリア聖堂に放置されたままとなっていた、「パレストリーナのピエタ」(写真中左)。

Photo_7 他のピエタと異なり、なかばレリーフ・浮き彫りのような形で表現されているのが大きな特色ともされ、四体のなかでは「ロンダニーニのピエタ」(写真中右:部分)と並んで荒削りのまま遺されている。

 いずれにしても天才が、大理石から紡ぎ出そうとしたものは何か?
 サン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」(写真下奥)以外は、未完であるが故に想像を掻き立てられる。

 ミケランジェロが、唯一この街に残したドント形式の油彩、「<聖家族>」。
 美しくも深い悲しみの「ピエタ」から真逆にある、健康的で明るい一家を描いた「聖家族」は、ウフィツイ美術館の後編で。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.302

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ライバル ‐ フィレンツェ

2011年03月23日 | イタリア

 万能の天才<レオナルド・ダ・ヴィンチ>のことを書いた。

 さすれば、ミケランジェロ・ブオナローティも、となるのが成り行きというもの。
 何しろこのふたり、盛期ルネッサンスのみならず、芸術史上最大のライバルなのだから。

 David_3ということで、ウフィツイ美術館からひとまず離れ、再びフィレンツェの街を歩く。
 <サン・マルコ修道院>からアカデミア美術館へ向かったものの、そこは長蛇の列だったということは、<ウフィツィ美術館>で書いた。                                                                                      

 その日の午後も遅く、改めてアカデミア美術館を訪ねた。
 途中の<サン・ロレンツォ教会>辺りの広場や通り、朝方は開いてなかったのだが、多くの露天が店を開き、買い物客やら観光客やらでごった返している。

 午前中、あれほど長い列だったこの美術館、待つこともなく入ることができた。
 ところでこの美術館、勝手口?みたいな所(写真下左)から入り、狭い廊下を進み展示室に入るのだが、どう考えてみても 「出口の方が立派?、首を傾げる誰かに 「館長が変わり者なんじゃない?誰かさんと同じで」と心外なことを言う。

 <ボッティチェリ>同様、豪華王ロレンツオにその天才振り?を認められ、メディチ家の屋敷を工房・アトリエにして石を刻んだミケランジェロ。
 この街に彼の彫刻が、ちりばめられた所以でもある。

 カタリナ は、「彼は素晴らしい絵も残しているが、本質は、本人も言っているように彫刻家だと、あらためて思った」と言う。
 そういうことで、この街に彼の油彩は 「聖家族」(ウフィツイ美術館蔵)の一点のみ。
 そのミケランジェロの不滅の傑作、ルネサンス芸術を象徴する 「ダビデ」(写真上)がここにある。

1_4Photo_3 旧約聖書のサムエル記にある、青年ダビデとゴリアテが対決するシーンを巨大な大理石に彫った。

 青年ダビデは、正面ホールの真ん中(写真下右)で、想像をはるかに超えるスケールで屹立。
 作家の芝木好子さんは掌編 「<ルーアンの木陰>」で、ダビデの若き顔を、“ 未来を信じている顔だ “ と作中人物に語らせている。

 また、バロック期の彫刻家ベルニーニも 「<ダビデ>」を刻んでいるが、同じ対象でも表現が異なり面白い。

 ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の彼の傑作 「<ピエタ>」。
 あの打ちひしがれた美しくも深い悲しみ、そして、湛えた愛からは想像もつかない、まさに圧倒する力強さで、彼方のゴリアテを睨み据えている。 (続く)
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.301

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頑張る人からのコメント

2011年03月21日 | 人/仲間

 カタリナ が、<朋ありて、また>で、かけがえのない友のことを紹介しました。
 恵まれない子供たちのために頑張る A さん、ハンドルネーム “ やんちゃ姫 さんから、日を置かずコメントが届きました。
 読んで下さった方もおられると思いますが、ここで、もう一度紹介します。

〈 なんか凄く照れるけどありがとう
〈 花ちゃんは生まれてからずーと泣くことも笑う事もなく体は
〈 ぐんにゃり、ミルクは鼻からチューブで与えていました。
〈 プラダーウイリー症候群という病名が判ったとき何故か
〈 ほっとしました

〈 最初、大学病院の先生は「ウエルドニッヒという病名と思う」
〈 と言われて、2歳くらいの命?と心配していたので、難病で
〈 あるのに覚悟が出来たのか?前向きに行くしかないので、
〈 それからは、ミルクを飲める様になったと喜び、泣いたと喜
〈 び、ゆっくりゆっくりの成長のおかげで、普通の健常児育て
〈 るより数倍楽しめています
〈 本当にお陰様で沢山の心やさしい人たちに恵まれ、毎日楽しく通学しています                                                                    

〈 日本に生まれた花ちゃんは、大好きな本がいつでも手にすることができます
〈 でも、勉強したくても本もない、学校にも行けない子供たちが沢山います
〈 カタリナの知る通りのやんちゃ姫、両親始めいろいろな方に世話かけてきたので、少しは何か役に立てたら
〈 嬉しいなと思ったのです                                                                             〈 花図書館に本を一杯にする目標が出来て、楽しみが増えました

3_2  ペトロ とカタリナの住む集合住宅、障害者の方も何人か住まわれています。
 その彼や彼女たちにエレベータやロビーで出会うと、「こんにちわ」と屈託のない笑顔で挨拶を交わしてくれます。

 そして、何よりも、彼や彼女たちを見つめるお母さんの慈しみの眼差しに、幾度も悩みを乗り越えてこられたであろう勁い心を感じるのです。

 何時も前向き歩く人たちに改めてエールを、そのように思い紹介しました。

 春に鮮やかな黄色の花を咲かせ、甘い香りを漂わせるフリージア、その花言葉は、「期待」「感受性」「純潔」「憧れ」とか。                                                                                      

 春分の日の今日、ペトロとカタリナの旅回を重ねて300回になりました。
 彼や彼女たちに倣い、前を見つめて旅を続けたい、そのように思っています。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.300

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続・閑話休題 ‐ 飛んでミラノ

2011年03月18日 | イタリア

 初めてミラノを訪れたのは、99年の晩夏。

 永い歳月をかけたサンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会の 「<最後の晩餐>」。
 その修復作業が、その年の晩春にようやく終わり再公開されていたが、迂闊にも鑑賞には予約が要ると、ミラノに着いた日に知った。

 修復が終わったこの傑作をひとめ見ようと、教会前は予約のキャンセル待ちの長い列が延びていた。

 Photo_3鑑賞は25名ずつで十五分間という限られた時間。
 予約に欠員がでた分のみ待機者から補充、今の状況では何時間かかるか判らないらしい。

 一旦は諦めたカタリナ だが、この傑作を見ずして 「帰りたくない」と言う。
 うべなるかな、「よし、並んでやろうじゃないか!と腹を括ったもののこれが全く動かない。
 そのうえ雨まで降ってきて、教会の庇に慌てて身を寄せる始末。

 2_21_2雨が止んでやれやれと思うと今度はかんかん照り。
 すっかり天にも見放されてしまったようで暗澹たる気分、途中でカタリナを教会前のベンチに休ませる。

 こんなことをしながら三時間。
 ようやく入口の前まできた時は万歳と叫びたい気持ちだったが、それはカタリナとても同じ思いだったろうと・・・。

 ところで、この壁画にはこんな逸話が残っているのだそうだ。

 修道院の食堂の壁画制作を依頼されて3年、イエスとユダのイメージが今ひとつ浮かばず、「困ったなあ、どないしよう」と悩んでいたダ・ヴィンチ。
 
ある日のこと、修道院長がミラノ公を訪ね 「まだ、スケッチもしていない」と制作の遅れをこぼした。

 Photoこのことを聞いた彼、ミラノ公に 「わては毎日、朝な夕なミラノの貧民街に通うて、ユダ(写真:手前で左を向く男)の悪辣さを持っている顔を探しているんやけど、まだ見つかりまへんのや」と言い、少し間をおいてこうつけ加えたとか。
 
修道院長をモデルにすれば済むんやけど、彼が笑いもんになるのも気の毒や思うて・・・」と。

 3年の歳月をかけ、1498年2月、壁画は完成した。

 旅先で三時間もの貴重な時間をかけて傑作と対面。
 たちまちにして十五分という時間が過ぎ、ため息とともに押し出されるように出口に向かった。
 外にはまだ、長い、長い列が続いていた。

 後日談だが、翌年の大聖年の巡礼の折に再訪。
 小雨降る夕刻のグラツィエ教会、並ぶ人の姿もなく、予約もあってバスから降りて直ぐに入れたのだが、同時に、あの日のあの三時間を、ほろ苦くも懐かしく思い出した。

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続・万能の天才 ‐ ウフィツィ美術館

2011年03月16日 |  ∟イタリアの美術館

 ダ・ヴィンチの処女作ともいえる 「受胎告知」。

 カタリナ 、「どうしても観たい」と三年越しに焦がれたこの絵のテーマ、十指に足りぬ画家が挑んでいる。
 古くはジョットから、先の<フラ・アンジェリコ >や <フィリッポ・リッピ >と< ボッティチェリ>、女性を描かせれば右に出るものなしのティツィアーノ、清らかな絵のムリ-リョや聖母子の画家ラファエロ、バロックの鬼才カラヴァッジョまでもが。

  Photo_3ヴェロッキオの 「キリストの洗礼」の共作で、鮮烈なデビューを果たした彼、「受胎告知」(写真上)を描いた時、僅か二十歳だったとか。

 縦97cm×横217cmのキャンバスに、彼独特の音の無いモノクロームのような色調で、大天使ガブリエルと聖マリアが描かれている。

 この絵の見所のひとつ、それは、“ ふたりの間と手の表情 ”(写真中)。

Photo_4Photo_5  それは 「洗礼者聖ヨハネ」のヨハネ、「岩窟の聖母」の天使、「<最後の晩餐>」の<聖トマス>などにも共通する精妙な手の表情が見る者の心を捉える。

 主題は、ダ・ヴィンチ描くところの “ 聖告 ”。
 処女聖マリアのお告げとも呼ばれ、キリストの生涯において復活や降誕と並ぶ重要な出来事のひとつとされる。

 マリアを象徴する百合の花を左手に持ったガブリエルのお告げを、無垢な心で静かに受け容れた瞬間を、決して声高ではなく、しかし力強く伝えている。

 ちなみにイタリア語で、“ 煙のような ” を意味するスフマート技法によって、煙るように描かれた背景は、彼の後の作品の多くに登場する。

 Photo_6後日譚だが、その 「受胎告知」、07年の春から秋にかけて、“ イタリアの春 07年 ” の親善大使として東京と神戸にその姿を見せている。

 その時のウフィツィ美術館、この絵があるべき場所には絵葉書大のポートレートと<貸し出し中のお知らせ>が貼ってあって、訪れた人を落胆させていたのだろうと思うと複雑な気がしないでもない。

 ところで、ヴェロッキオが描く 「キリストの洗礼」と 「受胎告知」の間に、ミラノに赴くために未完となった 「東方三博士の礼拝」(写真下)が架かる。

 あの 「モナ・リザ」でさえ未完の彼に 「完成品と呼べる絵はあるの?」と、素朴な疑問は残る。

 だが、描き手が彼であるが故に、聖母子の出現に東方三博士 = マギを始め、幼い救世主の姿にどよめく人たちの姿そのものが、未完ながらもそこに描き込まれているようにも思え、聊か 「困ってしまう」のである。

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万能の天才 ‐ ウフィツィ美術館

2011年03月14日 |  ∟イタリアの美術館

 万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。
 フィレンツェの西、トスカーナのヴィンチ村に生まれたという彼、彫刻家ヴェロッキオの工房で修行、やがて画家として独り立ちをする。

 後にミラノに招かれ、サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会の食堂の壁に、彼の傑作 「最後の晩餐」(写真上:部分)を描く。

 ここで、少し寄りPhoto_2道。
 その 「最後の晩餐」、主イエスが “ 汝らのひとり、我をうらん ” (マタイ/26-21)と告げた瞬間の十二使徒の驚く姿が描かれている。

 左からペトロと彼の前に座るユダ、その右にはヨハネ、中央にイエス、その右にトマス、大ヤコブ、ピリポと続く。

 面白いのは、ペトロの前で金袋を右手に目を見開き主を仰ぎ見るイスカリオテのユダ。
 そして、「それは一体誰やねん? お前さん主に聞いてみてくれへんかと、隣のヨハネに頼んでいるペトロ、「裏切り者はひとりですか?と、大ヤコブの後ろでイエスに向かって指を一本立てるトマスだ。

 話を戻して、晩年、フランソワ1世の庇護を受け王の居城アンポワーズ城に移り、その地で生涯を終えたというダ・ヴィンチ。
 そのフランスに彼とともに旅したのが、ルーブル美術館が所蔵する 「モナ・リザ」 「洗礼者ヨハネ」 「<聖アンナと聖母子>」の未完の三点で、愛着があったのか常に傍に置き筆を加えたという。

 僅かPhoto_3十五ほどの寡作の画家の絵、ここウフィツィ美術館が共作も含め三点所蔵するのは、生まれ故郷ゆえに多いとみるのか、はたまた少ないとみるのか?

 そのウフィツィ美術館が所蔵する絵のひとつ、ヴェロッキオの 「キリストの洗礼」(写真下)を、ダ・ヴィンチの絵と呼ぶのが相応しいか少し疑問は残る。

 が、それはひとまず置いて、この絵のテーマは、イエスがヨルダン川で聖ヨハネから洗礼に与る場面。
 ヴェロッキオが全体を制作し、キリストの傍らに佇む天使のひとり(左端)を彼が描いたという。

 小編に何度も登場するヴァザーリ、ダ・ヴィンチの余りの巧さに “ ヴェロッキオは、ニ度と絵筆を取ることはなかった ” と証言したという。

 もし、ダ・ヴィンチがこの絵の制作に加わっていなければ、この絵はここに架かっていなかったかも知れず、天才の前に為す術もなく呆然とするヴェロッキオの心情、「判るなあ」と甚く同情した。(続く)

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深い悲しみ

2011年03月12日 | 日記

 東北地方太平洋沖地震で被災に遭われた皆さまに、心からお見舞いを申し上げます。

 ニュージランド・クライストチャーチで、多くの方が犠牲になられた記憶が癒えぬまま、また、多くの犠牲者を出してしまいました。

 津波警報に限らず避難勧告などが出された場合には、たとえ避難したことが無駄になろうとも、無駄になったことこそ僥倖と思わなければならない、改めて強く思いました。

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