たびたびお世話になった、「積極的その日暮らし」。
落合恵子さんが、土曜日の朝日の朝刊に連載しているエッセイで、3月26日のテーマが、“ 抱きしめる時空 ”。
大震災に原発事故の追い討ちを受けた東北地方、彼女らの元に、“ 子どもがなかなか眠らず、しがみついて離れない、夜中に急に泣き出す ” などの相談が相次ぎ、“ 子どもに限らずお年寄りにも、いつもより長く、ゆっくりと、そして、たびたび、抱きしめてあげて ” と助言するという話。
ペトロ
が勝手に、「土曜の朝のエッセイ」と読んでいた「積極的――」、この日を以って最終回となった。
都会の日常風景の中に、母のこと、友のこと、仕事のこと、草花のこと、そして、嬉しかったこと、やり切れぬことなど、折々のことがさりげなく綴られていて、時に頷いたり、時にそんなことないだろう、と勝手読みを楽しんでいたこともあって、残念な気がしないでもない。
ただ、惜しまれるうちに終えるのが花なのかも知れないとも思う。
花と言えばカタリナ、高槻のNiさんから頂いた「乙女椿」(下)、鉢に植え、「根付かせるの」と意気込んでいる。
ようやく春めいてきた最終週の月曜の朝のこと。
ベランダで挿し木に、「元気に育ってね」と声をかけたり、去年、綺麗な花を咲かせてくれた<山芍薬>の新芽が増えたと喜んだりしている。
途中、水を遣るのでバケツに汲んでと頼まれ、お安い御用と蛇口を捻ると、勢いよく水がほとばしる。
スイッチを入れれば電気が灯りガスが点く、受話器を上げれば発信音が聞こえ、玄関には新聞が配達されている。
窓を開ければ電車がホームに停まり、通勤客が乗り込んでいるのが見える。
このありふれた日常のなんと有難いこと、大切にしなければと思う。
今週の朝日歌壇 流されて放り出されしランドセル小さな背中の温もりを恋う (春日井市・伊東紀美子さん/佐佐木幸綱氏選)
いたいけな子どもも多く犠牲になった11年の弥生・三月、忘れてはならじ。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.305