ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

男心は? ‐ 9月がゆく

2010年09月30日 | 季節/暦

 この小さな島国、焙烙(ほうろく)で煎られた豆のように、熱気で跳ね回らされたようだった。
 それでも自然とは凄いもの、時期が来ればちゃんと季節は移ろう。

 小さな子供やお年寄りを虐め苛んだあの酷暑、秋分の日を境に掌を返したように涼しくなった。

 25日の天気図、台風12号の北に前線がある。
 Wxctob_03_s秋雨前線というのだろう、例年、9月の上旬から10月中旬にかけて、日本列島付近に出現するらしいが、朝寝坊でもしたのか、今年は随分と遅れてきた。

 この前線、北から出現し次第に南下してやがて消滅するそうだが、南岸沿いに停滞すると秋の長雨をもたらし、そこに台風が加わると大雨を降らせるという。

 秋に降る雨、きれいな名前がついている。
 幾日にもわたって降り続く長雨が秋霖で、しとしとと降るのが秋雨、その入りを秋入梅とも。
 
秋時雨は、季節の終わり頃に降る時雨のことだそうだ。

 ところで、長い間、“ 男心は春の空 ”、“ 女心は秋の空 ” と比喩する、と勝手に思い込んでいた。
 正しくは、変わり易い秋の空模様を、同じように如何にも軽い男心とかけて、“ 男心と秋の空 ” が正しいと慣用句辞典なるものにある。

 Photo_29月も終わりになって、TVドラマのような検事が現れた。
 証拠を改ざんしたことを認めたのだが、彼に調べられたらしい小沢さんの三人の秘書が、早速便乗、まるで秋の空のように、「冤罪や!と主張し始めた。

 逮捕されて以来、「やっていないものはやっていない」と、毅然と信念を貫いた女性キャリアばかりが目立ったこの月。
 この如何にも軽きやつばら、彼女の爪の垢、それこそ焙烙で煎じて飲めば?

 ところでカタリナ 秋の空の気まぐれに、「昨日と変わってくれればいいのに」と言いつつも嬉しそうに、雨もものかわ<八分の楽しみ>で書いた茶事へと出かけた。

 そんなこんなで、中国漁船の船長の釈放事件など、ことのほか重かった長月・9月がゆく。
 写真下、雨に濡れながも、ようやく咲きそろった「彼岸花」。

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寓意画の大家の真作

2010年09月28日 |  ∟スペインの美術館

 先頃朝日に、“ ピーテル・ブリューゲル(父)の大作をプラド美術館が新たに確認した ” という記事が載った。
 記事によれば、彼の真作は極めて少なく、作品の規模や重要性から、“ 美術史に残る大発見となる可能性がある ” としている。

 その、「聖マルティヌスのワイン」(写真上:朝日新聞から)と題する大型のテンペラ画は、1565~68年に制作されたとみられ、個人が所有していた絵を同館が数カ月間かけて分析、真作と断定したらしい。

 1_3記事は、“ ブリューゲルの現存作品は、晩年の10年余りのものに集中しており、世界でこれまで40点しか確認されていない” と同館のコメントも載せていた。

 ところで、ウィーン美術史美術館。
 
デューラー、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、ティツアーノなどの作品収蔵を誇っているが、何と言ってもこの美術館、ブリューゲル(父)のコレクションが自慢。

 16世紀初期、ネーデルランドの画家、素描家にして銅板下絵画家は、農民を題材にした作品を数多く描き、“ 農民ブリューゲルとも呼ばれている。 
 彼の息子も父と同名のため、彼のことを大ブリューゲルとも呼ぶのだが、その辺のことは、<マウリッツハイス>にも書いた。

 話は少しそれたが、ウィーン美術史美術館2、有名な「バベルの塔」や傑作「謝肉祭と四旬節の喧嘩」「雪中の狩人」「農民の婚宴」、寓意溢れる「農民の踊り」「子供の遊び」、そして「暗い日」「牛群の帰り」など、風刺的寓意画の大家 大ブリューゲルの作品が、ひとつの部屋に10作も並ぶ様は圧巻である。

 まさに、大ブリューゲルなら任せとけ、の面目躍如たるところがあるが、風刺的寓意画として面白いのは、ベルリンのゲマルデ・ギャラリーが所蔵する「ネーデルランドの諺」(写真下)だろう。

 さして大きくもないキャンバスに、当時の生活を舞台に、様々に繰り広げられる諺や格言の場面が80種類、100以上の説もある。も描き込まれ、傍らにはご丁寧にも全ての諺の謎解きがしてあるのだ。

 画家も勿論だが、この絵を文字通り絵解きをし、展示した美術館員の律儀さにも、呆れてしまうのである。

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えっ、120歳まで?

2010年09月26日 | 宗幸雑記

 成人病予防の検査や健康診断をきちんと受けたことがない。
 経年劣化じゃないが、この年になればどこかに不具合があるのが自然。殊更、悪いところを教えて貰うこともないじゃない、と思っていた。

 しかし、今年の夏はことの他応えた。
 それで、何時もお世話になっている先生から勧められ、節を曲げ検査を受けた。

Photo_4  後日、「レントゲンや心電図、血圧も、糖尿病や肝臓の数値も問題なし。言うことなしよ!とお墨付きを頂いたが、その際、思わず「120歳まで」と言ってしまった。

 ひと、ホモ・サピエンスは、病気は勿論、ストレスもなく息災に過ごせば、120歳まで生きる動物らしいこと、何かの本で読んだことがある。
 それで、思わず口から出てしまったのだが、先生からは、「うん、大丈夫!と、冗談にしろ太鼓判を押して貰った。

 健康なのは喜ばしい限りなのだが、少し釈然としないところもある。
 湯上りに、「臭いよ~」と鼻をつままれながら膝や腰にハップ剤を塗り、効き目が早いと聞いてはドリンク剤でビタミンなどを補給するものの、その日の疲れがその日の内にリセットできないことが多くなった。
 正直なもので、身体のパーツは年齢相応に傷み、折に触れて軋み悲鳴を上げる。

Photo_3  元気にボランティアに走り回っている友のメール、「心の学びはあるのだけれど体力が続かず、来年はどう関ろうかと考えている。まだ答えが出ない」を前に、「そうなんだよなあ」と独り言つ。

 若い頃には、肉体も精神も字にかけるようにはっきりしたものだったが今は違う。

 自分の身体と相談しながら、甘やかしもせずさりとて無理もせず、前を向いて歩んでいかないといけないのだが、困ったことになかなか気持ちが納得しないのである。

 その後に診察を受けたペトロ、この話を先生から聞いたらしく、「120歳!周りが迷惑でなければ結構なことで」と、彼にしては至極全うに答えた後、「俺の生き血を吸っているからなあ」と呟いたらしく、「奥様はドラキュラ、それともモスキート?と、診察室が大笑いになったという。

 写真の彼岸花と紫式部、ようやく開き始めたが、例年よりかなり遅いようだ。(

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秋彼岸 ‐ 散歩道

2010年09月23日 | 季節/暦

 昨夜は、旧暦8月15日 “ 中秋の名月 ”。

 カタリナ お茶のお仲間と裏千家今日庵を訪ねての帰り、中天の月を眺め、「仕合せ」とご帰還あそばした。
  月に叢雲 花に風 ” とも言うが、昨夜未明の雷鳴まじりの雨に、連日の酷暑もようやくその鳴りを静めるようだ。

 Photo_2小ブログにも度々顔を出す二十四節気、“ 十二の節気と十二の中気が交互に配されている ” と暦本にある。
 特に、重要な中気である “ 夏至・冬至 ” と “ 春分・秋分 ”、重要な節気である “ 立春・立夏・立秋・立冬 ”、この “ 二至二分四立 ” を “ 八節 ”として節目としたらしい。

 暑さ寒さも彼岸まで、と言う。
 
立春や立秋などの四立が、季節の移ろう気配を心が感じる頃であるなら、春分と秋分の二分は、厳しい季節の和らぎを体感する頃だ。

 今日は、その “ 秋分の日 ” である。
 彼岸の中日ともされるこの日、古くから彼岸会と呼ばれ、この日を中心に先祖を供養しお墓参りを行う慣習があるが、他の仏教国には無いこの国独特の行事らしい。

 時の流れは早いもので、丁度、半年前になる。
 Photo春よこい‐散歩道>で、“ 春分の日は、遊び仲間と近くの山に登り日の出を迎えた。行事というより子供の遊びといった類のもので、お日さん迎えと呼んでいた ” と書いた。

 暦本に、“ 彼岸会の彼岸は、日願(ひがん)から来ているとも言え、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのだ ” ともあり、このたわい無い遊びも、草深い田舎の太陽信仰のひとつだったと改めて知った。

 この日、春の彼岸と区別するため、“ 秋彼岸 ” とも呼ばれる。
 
彼岸の供え物、ぼたもちとおはぎ、春の牡丹と秋の萩に由来すると言う。
 甘いものは苦手だが、おはぎは優しい母の味がして好きだ。

 そういえば、散歩道に、「萩」が小さな花をつけ始めた。
 愈々秋本番、運動会の喚声が窓に届く頃でもある。

 今週の朝日俳壇  萩白し風の中より切って来し (高槻市・会田仁子さん/稲畑汀子)

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今年の9.11‐言葉

2010年09月21日 | アメリカ/カナダ

 不真面目だと叱られそうだが、久し振りにミサ・日曜礼拝(写真上)に行った。
 ミサでは 《主の祈り》 の一節、「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」(日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳)を唱える。

 また、使途パウロは、「憐れみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身につけなさい」(コロサイの信徒への手紙/新共同訳)と教えた。

 Photo_2聊か旧聞になるが11日の土曜日は、米国で同時多発テロがあった日。
 01年のこの日、ペトロ とカタリナ、ウィーンにいたこと、<9.11>で書いた。

 その跡地、グランド・ゼロ近くイスラム教のモスクの建設計画に、ニーヨーク(NY)のみならず全米中がデモや集会でかまびすしいと聞く。

 テロの犠牲者やその遺族などが、象徴とされる地の近く、モスクが建設されることに違和感を覚え、感情的になることは理解できないでもない。
 テロの記憶が生々しく、傷が癒えていないこともあって、許されざる行為と受け取られるのだろう。

 そこから端を発したのか、フロリダ州のキリスト教会のひとりの牧師が、その日に「聖典のコーランを集めて燃やそう」と呼びかけ、その波紋が世界を駆け巡る騒ぎなった。

 幸Photo_3いにしてこのコーラン焚書計画、実行には至らなかったが、イスラム教国は勿論のこと、ヨーロッパ諸国やヴァチカンや当事国のアメリカ自身も強く反対した。

 9月10日の「天声人語」。
 
NY大の教授は、「社会が自由や寛容を失ったら、それこそテロリストを勝利させることになる と案じ、憎悪が憎悪をあおる愚挙は、まさにテロリストの思うつぼ、と主張。

 また、ビアスの悪魔の辞典、宗教とは希望と恐怖を両親とする娘を引用、不寛容という乳母の手で醜く育った娘は、何であれ世界を不幸にする、と続けた。

 斯く言うペトロ、洗礼を受けて10年余、《寛容、謙遜、赦し》 いまだ行い難し。

 写真の花、強い日照りにも耐えて、次々と一日花を咲かせるという「松葉牡丹」。葉っぱが太いので、「ポーチュラカ」という外国種かも知れない?

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八分の楽しみ

2010年09月19日 | 宗幸雑記

 奈良のMさん、この九月の末にご自宅で 《茶事》 をされる。                                                                    

 以前、小プログ<皐月の茶事>でも書いたが、点前は茶道の中の一部分。
 稽古を積み重ねていくと、勉強したことのトータルとして 《茶事》 にアプローチしたくなってくる。

 Photo_5という訳で、私としてはMさんが、「お茶事をやってみたい」と思われたことがとても嬉しい。

 茶事や茶会は、「亭主、八分の楽しみ」と言われている。
 目的やお招きする客を考え、道具組み、懐石の献立など、季節を踏まえながら少しずつ固めていく。

 献立表の書き出しひとつとっても、何度も何度も訂正、案が出たり入ったりして頭が痛くなることもあるけれど、これらのひとつひとつの過程が楽しく、そして、勉強になるのだ。
 写真は、献立の一案、白花豆です。

 斯Photo_8くいう私も、献立を考えるときよく予行演習をした。
 家族から、「稽古台かいななんて言われながらも、味の反応などを確かめながら固めていったものだ。

 その 《茶事》、この年齢になってみれば、「体力と気力がなければ」出来ないこととしみじみ思う。
 だから余計に、「やってみよう!と思われる方が続いて下さるのが嬉しい。

 家庭にある物や手持ちの物を最大限活かして、料理も手近にあるもの、無理なく手に入るもので考える。
 これが、私がお仲間の皆さんに言っていること。

 秋彼岸も過ぎた月の晦日、嬉しくも楽しい 《茶事》 がある。

 写真のお花、今月のお華の稽古に使った 《蔓梅もどきと竜胆と蘭の葉》です。(

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ある日、突然に

2010年09月17日 | 日記

 話は少し古いが、8月の終わり頃のこと。
 突然、“ エクスプローラでは接続できない ” のメッセージとともに、インターネットが使えなくなった。

 「もしかしたら電話も?と受話器を上げても無言。
 携帯電話から架けてみると、「通信機器の故障、またはネットワークの故障と思われる」と機械的なメッセージ音。

 Photo_2パソコン(PC)や電話機と接続されている、弁当箱を一回り小さくしたような三つの箱(写真上:取替後)をしげしげと眺めた。
 幾つもの黄色のLEDライトがちかちかと点滅、ペトロには「正常なのか不良なのか」判断できる範囲外の代物だ。

 PC本体は、何の異常もなく動いていて、全く手に負えない状況になった。
 NTTの故障係に電話したが、“ 営業時間は終了、メッセージを ” と冷たい機械音。

 翌朝9時、改めて故障係へ。光電話担当、「エンジニア(EG)が忙しく午後遅くでないと伺えない。」という。

 待つこと半日、思ったよりも早くEGさんが来てくれて、一目見るなり、三つの弁当箱のうちふたつを取り替え、あっさりと回復。

 Photo_4原因を尋ねると彼、こともなげに、「突然(弁当箱が)駄目になるんです。」という。
 人が作ったもの、何時か終わりはあるだろうが、それでも、「兆候らしきものがあるんでは」「いやそれが、90%は突然なんです。」という。

 「ふ~ん、そうなんだ」と納得しながらも、“ 生あるもの、形あるものに必ずやくる日 ”、その日にはちょっとばかし早いけど、「そんな風に突然に・・・」と、雑節のひとつ 《秋の彼岸入り》 の日、そうそう、この日は 《敬老の日とやらでもある。を前に、しみじみ考えた名残の夏の一日でした。

 カタリナ、朝な夕な、秋の気配をようやく感じるようになった九月九日、その日のお茶の稽古で小振りの菊(写真下)を貰ってきた。
 「今日は、重陽の節供でしょう。赤と黄と白が揃っているのよ。」と嬉しそう。

  菊咲けば菊の投句の一万句(朝日俳壇選者・長谷川櫂氏)

 なるほど、そういうものか。

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秋の遠足(終)‐コブレンツ

2010年09月15日 | ドイツ/オーストリア

 古都コブレンツに着いた。                                                                                    

Photo_2  コブレンツは、モーゼル川とライン川の合流点に位置し、河川交通の要衝とある。
 モーゼル川がライン川に注ぎ込む辺り、《ドイチェス・エック、ドイツの角》 と呼ばれている。(写真上・コブレンツ市HPから)

 デュッセルドルフへ戻るには少し時間があり、少し街を歩くことにしたのだが、この街の案内書はおろか地図もなく、カタリナがうろ覚えの、「玉葱坊主のドーム? がある教会」だけが頼り。

 そのリープ・フラウエン教会、ロマネスク様式の建物とバロック様式の屋根を持つローマ・カトリックの教会だそうで、教会の名前も含め帰国後に知る有様。

2_21_2  駅から左手、線路に沿った商店街を10分ほど歩いただろうか広場に出た。(写真中左)
 広場の北の方向にかなり繁華な通りがあり、夕暮れのひと時を多くの人が楽しんでいる。

 その繁華街のはずれに双頭の尖塔が見え、木の葉が舞い散る小さな広場の前に、その教会はあったが、残念ながら閉まっていた。(写真中右)

 教会から直ぐ、ライン川畔に出る。
 ここが 《ドイチェス・エック》、大阪・中之島の剣先公園のようだと言えば乱暴か?

 ところで、随分とお日様の下にいたせいもあって、疲れてしまった。
Photo  歩くのも億劫に、「よたよた」と駅に向っていると、繁華街の右手の大通り、バスが頻繁に往来している。「あれ、バスターミナルじゃない?」と嬉しい発見。 

 待つほどのこともなく来たバスのシートに腰を下ろしたが、往路あれほど歩いた道も「あっ」という間だった。

 中央駅の時計は18時を廻っているが、ドイツ中部の秋は随分と日が長いようだ。(写真下)

 ドルトムント行きのICEに乗車、小1時間ほどで黄昏迫る 《デュッセルドルフ駅》 に着いた。

 ペトロ とカタリナ にとって、ゆっくりと時間が流れた 《秋の一日》 だった。
 が、皆さんには随分と長い日記になってしまったかも、ご容赦を。

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秋の遠足 ‐ ライン川下り(後)

2010年09月13日 | ドイツ/オーストリア

 かなり以前のこと。
 ウィーンからドレスデンへ向う途中、車窓から見たエルベ川などのこと、<橋(1)>の稿で書いた。                                                                          

2_61_3  ここコブレンツからリューデスハイムまでの間も、見事なまでに、が一本も架かっていなかった。
 それに、コンクリートむき出しの堰堤が少なく、景色を柔らかくしているのは同じだ。

 観光船は、ローレライの難所を無事? 通過。
 デッキで秋の陽を浴び景色を楽しんでいると(写真上)、ほどなくザンクト・ゴアールに着いた。
 ゴアールでかなりの客を降ろし桟橋を離れた船は、ライン川をほぼ直角に横切り、対岸のザンクト・ゴアルスハウゼンに着いた。(写真中)

 船から降りたのは、ペトロ とカタリナ の他に10人ほどもいただろうか?
  ここは、《ローレライ》 のモニュメントがセールス・ポイントらしい、小さな、小さな町だった。

Photo_2  船着場の広場には、観光バスが待っていて、ふたり以外は全員そちらに向った。

 船着場から真っ直ぐに町の中心?に進む、と、言っても線路と山に並行して延びる道路との突き当りの辺り、自転車屋さんや食堂など数軒の店が軒を連ねているだけ。

 先ほどの観光バスが、客を乗せて出て行く。
 道を左にとって5分ほども進むと町の外れ。その右手にドイツ国鉄・DBのマークが見えた。(写真下)

 丁度、ホームにコブレンツ行きらしき列車が入っている。
 「急いで!」「待って」、息を切らしながらホームに向かって走る。こんな時、改札口がないので助かる。                                           

 車掌Photoさんに、「コブレンツ?」と聞くと、「早く!と言ったかどうかは判らないが、彼女の身振り手振りを見て飛び乗る。
 それと同時に笛がなり、そして、ドアが閉まった。実に、グッド・タイミング。

 先ほどの観光船を列車が追い越してゆく。
 観光船は、ここからさらに2時間ほどをかけてコブレンツまで下る。

 往きには、朝日に輝くライン、帰りには、夕日に煌くライン、それぞれの美しい眺めを楽しんだ。
 こうして、遥かなるライン川での穏やかな 《秋の遠足》 の一日を終えた。

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秋の遠足 ‐ ライン川下り(中)

2010年09月10日 | ドイツ/オーストリア

 小さな集落に教会が見え、背後のなだらかな山に連なる葡萄畑
 この辺り伝統的なブドウ栽培地域で、ライン川の左側をラインヘッセン、右側をラインガウと呼ぶのだそうだ。

 その奥、山の頂上や中腹に古城が望める。
 それに、広葉樹と呼ぶのか落葉樹と呼ぶのか知らないが、山肌をほんのりと染め初めている。

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 行き交う船も多く、この川が物資運搬のルートになっていることを伺わせる。
 心地よいエンジンの響きに身を委ね、穏やかな景色を眺めて2時間、突然、ジルヒャー作曲の「ローレライ」のメロディが流れだした。

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 観光客は押しなべて、右岸の切り立った崖の上の風に翻る旗を見上げている。

 正直、何の変哲もない崖、「ハイネは、天才」と呆れる一方、ライン川が右に大きく曲がるこの辺り流れが速く、季節によっては深い霧がかかり、せり出した崖が迫る海運の難所だったのだろう。
 そんなことを、思いながら崖を見上げた。

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 ザンクト・ゴアルスハウゼンの対岸がザンクト・ゴアールの町。
 左右の町を見比べ、「ここで降りたら」と「迷った」。
 ゴアールの町の方が大きく活気がありそうだし、何よりもここで船を降りる人が多いのだ。

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 列車との関係がよく飲み込めないので、「予定どおり」次のゴアルスハウゼンで下船することに。
 両方の町は、いわゆる姉妹都市らしく、渡し舟で結ばれているようだ。(続く)

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