ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

プラハの旅を終えて

2015年07月08日 | チェコ/ハンガリー

 新しい年が明けて直ぐのこと、<大河ドナウを訪ねて>と題して連載を始めた。
 早いもので、それからおおよそ半年の時が流れ、15回にわたって中世の面影を今に遺す “ プラハの街 ” を歩いた。
 投稿に際し、“ ドナウの旅 ” とタイトルを付けたのは、“ プラハ編 ” に続いて “ ブタペスト編 ” を投稿する予定にしていたため。

  
  地下鉄でヴァァーツラフ広場へ、僅か10年前まで東側の国だった街、初めての街に少し緊張のよう(左)
 
ティーン聖母教会では入口を探してうろうろ(中左)、真っ黒な火薬塔の異様にびっくりしたようです(中)
  市庁舎の塔から街のシンボル旧市街広場を俯瞰、カメラ構えて「いざ撮りなん」でしょうか(中右/右)

 繰り返しになるが、PCのクラッシュに伴うリカバリーや、新機への置き換えなどが原因で、この旅のデータと保存していた筈のバックアップ(CD)を失ってしまった。
 そんなこともあってこの旅、あんなこともこんなこともあったと、想い出の欠片(かけら)を拾い集め、時を一つひとつ埋めるように進めてきた。が、それは思いのほか、時間と労力を強いられる作業でもあった。

  
  旧市街広場の一角、白亜の聖ミクラーシュ―教会、夜はコンサート会場になるようです(左)
 
のコンサートの案内の前で「行きたいなあ」とペトロを誘っています(中左)
  楽しみにしていた黄金の小道のカフカの仕事部屋、掌のような空間に何を想ったのでしょうか?(中)
 ♪ 旧王宮で「なになに?」とガイドブック(中右)を、聖ヴィート大聖堂のカタコンベで歴史のお勉強?(右)

 アクセスして頂いた皆さんに、どれほど楽しんで頂けたか自信がない。
 ただ、関空を離陸したその日(01/9/11)、米国で同時多発テロという衝撃的な出来事があったこともあって、ふたりの旅の中でも印象深いものとなったことは間違いない。

   
  聖ヴィート大聖堂、主祭壇に額ずき祈ったのは? 愛する家族の健康でしょうか(左)
  大聖堂の南塔、「登ったからね!」と可愛くも大はしゃぎ、こちらまで嬉しくなります(中左)

 
 南塔の展望ホールでは、喘ぎ乍らも登り切ったのでご満悦のようです(中)
  プラハ城の正門前、小雨のフラッチャニ門で、塔を登ってお腹が空いたのか「ランチにしようよ!」(中右)
 
お腹もくちくなりご機嫌、マラーストラナの丘の下り道、求めに応じて ハイ・ポーズ!(中左)

 例によって投稿を機に、銀塩フィルムをデジタル化させて貰ったが、拙い写真にお付き合い頂き申し訳ないとも有難いとも思っている。
 
甘え序にその写真、原版・ポジの劣化が思いのほか酷いが、15年ばかり前のちょっぴり若いあいつをアップして、この旅を括りたい。

  
 ♪ 西岸の聖ミクラーシュ教会の前の広場で、この日、結構、歩いたのでちょっと疲れたかな?(左)
  そのミクラーシュ教会、入堂してびっくり、余りの黄金色に「もうたくさん!」といったところ(中左)

  カレル橋に戻ってきました、西の橋塔の前で「ここも真っ黒!と少し呆れ顔(中)
  ゆったりと流れるヴォルタヴァ川、カレル橋の欄干にもたれてプラハのゆく秋を惜しむかのよう(中右/右)

 元気ならば何時の日か、誇り高きマジャール人の街をふたりで歩いた “ ブタペスト編 ”、投稿できるだろうことを願って。

 ところで、ペトロとカタリナ、旅を重ねて千回、一重に皆様のお支えあってのこと、感謝のほかない。( 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1000 

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そして、カレル橋へ ‐ ドナウの旅(14)

2015年07月06日 | チェコ/ハンガリー

 9世紀に編まれたストラホフ福音書など18万冊の蔵書を誇る、“ ストラホフ修道院図書館 ” から、長い坂道ネルドヴァ通りをヴォルタヴァ川に向かって下るとマラー・ストラナ広場、その一角に、“ 聖ミクラーシュ教会 ” があった。

 *カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕 
 モーツアルトが演奏したという天使が飾られたオルガンといい、説教壇といい、その黄金色に食傷を越えて辟易 () 

 *序にペトロも独り言
 右岸の旧市街広場の同名の教会と見かけはとも角 内なる様は成金趣味、金綺羅金のごてごて、信仰心が黄金で測られているようで唖然、憮然 (

     
  マラー・ストラナ広場の聖ミクラーシュ教会(左)、プラハの街は民主化10年を経て何所もかしこも工事中
  外観とは裏腹に、内陣のデコラティブな設え(中/右)に、またもやびっくり仰天したふたりでした

 モステッカー通りから “ マラー・ストラナ橋塔 ” をくぐり “ カレル橋 ” を渡り、“ 旧市街橋塔 ” を抜け地下鉄でホテルに戻った。

 *カタリナの独り言 
 プラハは赤茶の屋根が中世の町を感じさせるきれいな風景、静かな気持ちになる、そんな町だった (

     
  マラー・ストラナ橋塔(左)、煤払いをすれば綺麗になるのでしょうか、それとも地黒なの?
  午後になって雲間から薄日が、誘われたようにカレル橋(中)には多くの観光客が訪れていました
 ♪ たゆたうヴォルタヴァ川の流れを背に(右)何を想うのでしょうかね?

 1968年、共産党第一書記ドプチェクのもとに起った民主化運動 “ プラハの春 ”、僅か8月でワルシャワ条約機構軍の名を借りた旧ソ連の戦車にチェコ全土が蹂躙される悲劇が。
 91年、ソ連邦大統領ゴルバチョフの辞任によって真の独立を果たした旧東欧諸国、それから10年の時を経て活気あふれるプラハの街を訪ねる旅だった。

    
  欧州随一、中世の面影を色濃く漂わすプラハの街、旧市街広場、ティーン教会、旧市庁舎の時計塔です

 翌日の午前半日、そのプラハの春ならぬプラハの秋を楽しみ、列車でウィーンへ戻る。 ( 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.999

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マラー・ストラナ ‐ ドナウの旅(13)

2015年07月03日 | チェコ/ハンガリー

 プラハ城を出て、マラー・ストラナ地区を散策、まずは、“ ロレッタ教会 ” へ。
 ロレッタは聖母マリアが大天使ガブリエルからイエスの受胎を告げられた “ 聖なる家、サンタ・カーサ ” を模したものとか。

 その聖なる家、後に天使がナザレからイタリアのロレッタに運んだとされているが、ボヘミア地方では17世紀初めにプロテスタントが敗北、カトリックの勢力拡大のためロレッタを模して各地に造られたのだそうだ。

    
  その一つがこれ、イタリア本家のそれとそっくりなのだそうです
  回廊に囲まれた庭に建つ聖なる家(左/中)と “ 祭壇 ”(右)、結構、質素な造りになっています

 *カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 回廊の宝物殿の典礼用品、金銀宝石がざくざく? その華麗さに少し閉口した
 清楚なマリア様にそれはないでしょう・・・と、言う感じかな (

     
 ♪ ロレッタ教会(左)と別れ、直ぐ近くの “ ストラホフ修道院 ” (中)へ向かいました
  膨大な蔵書に驚くというより、その豪華な設え(右)に呆れました

 ストラホフ修道院、9世紀に編まれた “ ストラホフ福音書 ” など、18万冊の蔵書を誇る “ 図書館 ” を遠くから拝見? 修道院からの長い坂道ネルドヴァ通りをヴォルタヴァ川に向かって下った。

    
  坂道の途中、建物の切れ間から、葡萄畑越にプラハの街(左)が望めます
  この辺り、各国の大使館が点在、閑静な家並みが続きます
  坂道(中)を下って平坦になった所に小さな広場(右)がありました

 *序にペトロも独り言
 日本や各国の大使館が点在している辺り、NYのテロ事件もあって重装備の警官の姿が目についた (

 坂道を下り切るとマラー・ストラナ広場、その一角に、“ 聖ミクラーシュ教会 ” があった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.998

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南塔 ‐ ドナウの旅(12)

2015年06月19日 | チェコ/ハンガリー

 聖ヴィート大聖堂の南塔。
 展望ホールからは、悠久にたゆたうヴォルタヴァの流れ、城の北に広がる王宮庭園とフラッチャニ、南にはマラー・ストラナの緑豊かな家並みが望める。

    
  1200年の歴史の中で繰り広げられた数々の栄光と挫折
 
この美しい街の佇まいのなかに凝縮しているかのようです

 360度のパノラマを満喫、そろそろ降りようかという頃、若い外国人のグループが到着した。
 彼らに続き、少し先に降りた筈の人達が後戻りをしてきたので、「どうしたのかな?」とカタリナと顔を見合わせていると、件の若いグループの一人らしい若い女性が遅れて到着した。
 このうら若き女性、体躯がほほ階段の幅一杯、ちなみに階段は天辺近くなるほど狭くなってくる。にあって、すれ違えずバックしてきたのだ。

 *カタリナの独り言  写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 彼女、顔を真っ赤にして喘ぎ乍らゴールイン、傍らのベンチにへたり込んでしまった
 この様子を見ていた付近にいた多くの人、勿論、私達も拍手!彼女、さらに顔を赤くしてはにかんでいたけれど、その笑顔がとても可愛かった (

 そんなこんなで南塔を降り、第二の中庭を囲む宮殿の西側のマチアス門を抜けると、暫くすると衛兵の交代式があるらしく小雨のなか多くの人が待っている。

 *序にペトロも独り言
 正門の直ぐ側、第一の中庭で、正午の衛兵交代式が行われるのを見学、建物の二階には楽器演奏の衛兵が並び華々しい (

    
  第一の中庭では、衛兵交代式が行われていました
  バッキンガムやウィンザー城など英国のそれと違って衣装は聊か滋味のようです
  正門を出るとフラチャニ広場、傘の花が開いています

 その衛兵交代の様子を少しだけ眺め、正門を出るとフラチャニ広場。
 その広場に続く坂の途中、クロスヴィーチェという店でランチ。
 これまで、食事のことは殆ど書かなかったが、旅の最後に名物だという肉の煮込み料理グラーシュを少し紹介したい。

 *カタリナの独り言
 この料理、赤パプリカを使うのか真っ赤な色をしているけれど、結構、美味しい
 ただ、クネドリーキという蒸しパンみたくなものが付け合わせになっていたが、少し癖があってひと口食べてギブアップ (

   
 ♪ 中欧から東欧にかけての定番料理、真っ赤なグラーシュです
  ウィーンでもブタペストでも、レストランは言うに及ばず惣菜屋にも並んでいました

 食事の後、ロレッタ教会へ、“ ドナウの旅 ‐ プラハ編 ” 、名残り惜しくも?終わりが近くなってきた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.992

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聖ヴィート大聖堂 ‐ ドナウの旅(11)

2015年06月17日 | チェコ/ハンガリー

 プラハ第一の聖堂、 “ 聖ヴィート大聖堂 ” 、13世紀半ば、黄金のプラハを築いたカレル1世の命で建設が始まったという。

     
 ♪ 19世紀まで正面入り口として使われていたという “ 黄金の玄関 ”(左)ファサードのモザイクが鮮やか
 ♪ ちなみに今の正面玄関(中)はそこから左手へ曲がったところにありますが、扉は閉じられていました

  黄金の玄関の脇、嵩さ100m近くある南塔(右)です

 ボヘミア公ヴァーツラフ1世は、10世紀、キリスト教が伝道されて間もないこの地でその教えを広め、チェコ最初の聖人となり、以来、プラハの守護聖人として尊崇されたという。

    
  正面玄関を飾るバラ窓(左)です
  内陣(中)は、陳腐な表現ですが広く高く、主祭壇を照らすステンドグラス(右)が輝いていました

 カレル1世は自身の戴冠式で、「聖ヴァーツラフの王冠」を作らせ、“ 自分は守護聖人から王冠と統治権を委託されボヘミア王となる ” と宣言した人物らしく、“ 聖遺物礼拝堂 ” に宝石が散りばめられたその王冠が展示されていたが、この手の物は値打ちが全く理解(わか)らなく、玩具に見えて始末が悪い。 

    
  右側廊には、プラハの守護聖人 “ ヴァーツラフ礼拝堂 ” (左)があります
  側廊を華麗なステンドグラス(中)が飾っています 19世紀前半の作とか 流石、ボヘミアグラスの地です
 
 地下のカタコンベ、王家の墓所(右)、10世紀に建てられた最初の教会の壁が遺っています

 ところでふたり、“ 王家の墓所 ” を回って聖堂に戻り、“ 南塔 ” に登ることにしたのだが、さて・・・

 *カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 自分でも辛抱強い方だと思うけれど、何時も途中で、もうダメ、ここで待ってると根を上げる
 手を引っ張り「頑張って!」と励まし、と言うより、「あと少し、もう少し」と騙してくれるペトロに感謝だ
 独りだったら、うん、なあに階段?ヤメ!で終わる私だから
 おかげで、色んなヨーロッパの街並みを俯瞰することができました (

    
  その南塔、高いところに展望ホール(左)が望めます
  無理矢理誘って少し可哀想なことをした・・・ような(中)、でも、若い?ので直ぐに回復
  プラハの
眺望を楽しんでいます(右)、似たもの夫婦、高い所がお好きなようで・・・ 

 *序にペトロも独り言
 何時もどおり尻込みをするカタリナ、この塔100m近くあるらしくその気持ち分らなくもない
 途中まででもと登り始めるともうあかん 一旦、始めると途中ではなかなかやめられるものじゃない
 息も上がり、もうこの辺でと思った時、漸く上から賑やかな歓声が届きやれやれ よう頑張った! (

 南塔は、素晴らしいプラハの眺望をプレゼントしてくれた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.991

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聖イジ―教会と旧王宮 ‐ ドナウの旅(10)

2015年06月12日 | チェコ/ハンガリー

 プラハ城内の “ 黄金の小道 ”、その一角にあるカフカの家を離れ、イジ―通りを西に歩くと “ 聖イジ―教会 ” がある。
 10世紀に完成した城内最古の教会、元は女子修道院、今は音楽ホールとしても使われるとか。
    
  ロマネスク様式の教会としてプラハ屈指の美を誇る聖イジ―教会(左)、残念乍ら一帯は工事中でした
  二階が回廊となっています 音響効果が素晴らしくコンサートも開かれると案内書にありました
  質素な造り乍ら煉瓦色のファサード(右)が建物全体を引き立たせていました

 さらに西に進むと第三の中庭と呼ばれる広場。
 ここまで来ると観光客が目立ち始めたが、この頃になって、また雨が降り出してきた。
 初秋から冬にかけて雨期に当たるのだろうか、何やら日本海側を思わせる暗鬱なお天気が続く。

 この第三の中庭の南に、“ 旧王室 ” がある。
 オーストリアの女帝マリア・テレジアの時代、三つの建物を繋げてロココ風に改造した宮殿だそうである。
 ちなみに、バロック芸術に次ぐ表現スタイルのロココ美術、聊か馴染が薄いが、ロカイユ・貝殻装飾が語源で、曲線を多用した装飾性の高い形体を指すのだそうだ。

    
  旧王室で注目すべきはヴラジスラフ・ホールと呼ばれる三階の大広間です
  幅16m、奥行2m、天井高13m、中世では教会を除いて最も広い柱のない空間だったそうです
  諸聖人共同礼拝所(中)と新国事録の間(右)です

 *カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 ヴラジスラフ・ホールのバルコニーで、一人旅をしているという日本人の青年から、「シャッターを押して下さいませんか」と頼まれた
 この旅では、男女を問わず一人旅の若者を多く見かけた (

    
  当時の騎士が乗馬したままヴラジスラフ・ホール(左)に入り技を競ったと言われています
  バルコニー(中)からマラー・ストラナ地区の素晴らしい眺めを楽しみました
  プラハのシンボル、聖ヴィート大聖堂(右)です、ここも工事の真っ最中でした

 * 序にペトロも独り言
 一時期、海外に出掛ける若い人が減ったと心配されるむきもあったようだが、最近はまた増えてきているようだ、好いことだと思う
 ところで、その彼だが、後日ブタペストの街で見かけた、とカタリナが言っていた (

 旧王宮から “ 聖ヴィート大聖堂 ” に向かった。
 聖堂の正面に近づくとさらに観光客が多くなり、中世ヨーロッパの面影を色濃く残すこの街の人気の高さを改めて知らされた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.989

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黄金の小道 ‐ ドナウの旅(9)

2015年05月08日 | チェコ/ハンガリー

 プラハ、この日も朝から雨、それも少し雨足が強いようでうんざり。
 空を恨めしがっても詮方ない、翌日の昼過ぎにはウィーンへの列車に乗らなければならないのだ。

 プラハ城の最寄りのマロストランスカー駅に着いて地上に出ると、嬉しいことに雨も上がってい、駅からの坂道を少し登るとプラハ城へと続く、長いが緩やかな階段状の石敷きの道があった

    
  1200年の歴史を凝縮したプラハ城へのアプローチのひとつ “ 旧登城道 ”(左)と東の門(中)です
  赤い土を焼いた瓦、緑青を吹いた教会の塔、雨に洗われた木々の緑、旧市街が一望(右)できます

 東の門を入ってイジ―通りから右手の階段を上がるとそこは “ 黄金の小道 ”、片側には軒の低い家が鮮やかな色に塗られて並んでいた。
 この小路に、この街で生まれた20世紀を代表する作家、「変身」や「審判」を書いたフランツ・カフカ(1883-1924)が、仕事場として使っていた家がある。

 * カタリナの独り言  〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 楽しみにしていた、22番のカフカの仕事部屋
 1917年に仕事部屋としていた、と案内書にあったが、水色の壁の内側は薄暗く陰鬱
 日差しが差し込む明るい部屋だとは思いもしなかったが、ここは寂しくなってくる部屋だ  (

    
  どの家も二坪もあるかないか、天井高も2mほどの小さな家(左)が並んでいます
  建物には番号がふってあり、注目はその22番の水色の家(中)、仕事場として使っていたそうです
  カフカの家を離れ、元のイジ―通りに戻って聖イジ―教会(右)に向かいました

 * 序にペトロも独り言
 今は土産物屋になってい、土産物に並んで彼ゆかりの原稿や家具が陳列してあった
 正直に言えば、高知のはりまや橋みたく、少しがっかりもした  

 ちなみに、ボヘミア王ルドルフ2世の時代、王お抱えの錬金術師達がここで不老不死の薬を作っていたという伝説によって、黄金の小道と呼ばれるようになったらしい。
 実際のところは、教養に富み文化人として優れた資質を有した彼が芸術や学問を保護、特に、錬金術に大きな興味を示し、多くの錬金術師をここに住まわせていたからだそう。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.969

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カレル橋 ‐ ドナウの旅(8)

2015年03月04日 | チェコ/ハンガリー

 クレメンティヌムを右手にカレル通りを東へほんの少し、そこに小さな広場ある。
 そこに
黒い塔がぬっと立っていて驚かされるが、その塔、カレル橋の両端に建つ一方の旧市民広場橋塔。

 カレル橋の前に少し寄り道
 チェコが生んだ作曲家といえば、交響曲「新世界」を作曲したドヴォルザーク(1841-1904)。
 彼の20年ほど前、国家独立の願望、民族主義と密接に関わる国民楽派を発展させた先駆者とされているベドルジハ・スメタナ、ドイツ語でフリードリヒ・スメタナ(1824-1884)という偉大な作曲家がいた。

    

  左端の写真、カレル橋の少し上流、洗堰の傍の建物がスメタナ博物館(左/中)です
 ♪ 祖国チェコの歴史、伝説、風景を六つの連作交響詩として紡いだ「我が祖国」(CDジャケット/右)

 * 序にペトロも独り言
 「我が祖国」の第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」が著名、聴かれる方も多いと思う
 第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」とともに収録された「My Country」(チェコ・フィル/カレル・アンチェル指揮)をたまに聴く (

 ヴルタヴァ川、ドイツ名モルダウ川に架るカレル橋に話を戻す。
 10世紀には既に木の橋が架かっていたとされているが、現存する橋は14世紀になってカレル4世の命によって着工、60年の歳月をかけて完成されたゴシック様式の美しい石橋で、ヨーロッパ中世建築の頂点に立つ傑作だという。
 17世紀後半から19世紀にかけて、ローマのサンタンジェロ橋を模して欄干に30体の聖人像が造られたという。

   

 この橋の両端、外敵から防ぐための橋塔が聳えています
  この塔、<火薬塔>と同様にくすんだ黒というより見た目は真っ黒に近く聊か異様に映ります

 *カタリナの独り言〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 
橋のほぼ真ん中の主キリストは別にして、ふたりに馴染の聖人は聖フランシスコ・ザヴィエルだけ
 残念ながら聖カタリナも聖ペトロもいなかった (

 そろそろと夕闇迫るプラハ城を望み、ヴルタヴァ川の流れに耳を傾け、橋半ばで折り返し地下鉄の駅へと向かった。
 こうして、プラハの旅の初日を終えた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.941 

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クレメンティヌム ‐ ドナウの旅(7)

2015年02月25日 | チェコ/ハンガリー

 旧市街地広場の東に旧市役所があって、そこに天文時計がある。
 時計塔の上階からは、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックなどの様式建築を数多く遺し、中世の面影を色濃く残す街プラハが望めた、というところまでが前回。

 *カタリナの独り言〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 旧市庁舎の二階に小さな礼拝堂があった
 直前のミクラーシュ教会、主祭壇がデコラティブで呆れたが、ここは素朴な雰囲気で心癒される (

   

  建物内部に入ると、時計の仕掛けを見ることができます 中央の後ろ向きが聖ペトロ(左)です
 ♪ 時計塔のなかの礼拝堂(中)です
  細く曲がりくねった古い通りの端にカレル橋(右)が架っています

 その橋の袂に大きな建物が並ぶ一角がある。
 その
クレメンティヌム、<ヤン・フス>が火刑された後に信奉者がフス派を名乗って立ち上がり、ローマと激しく対峙。
 フス派に恐れをなした時のフェルデイナント1世が、対抗勢力としてカトリックのイエズス会を招聘、16世紀半ばに創建したのが始まりとか。
 ハプスブルク家の手厚い庇護のもと、広大な敷地に三つの教会、礼拝堂、図書館、天文台などが次々と建設されたという。

   

  左端の写真、少し分かりにくいですが、橋塔の左の青いドームがクレメンティヌムです
  サルヴァートル教会(中)など三つの教会、礼拝堂、図書館、天文台など(右)があったそうです
 神学校など高等教育を担っていた修道院は18世紀に廃止され、今は国立図書館などになっています

 その建物群を右手にカレル通りを東に少し、小さな広場あって黒い塔がぬっと立っていた、カレル橋である
 
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.938

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天文時計 ‐ ドナウの旅(6)

2015年02月20日 | チェコ/ハンガリー

 旧市街地広場の東、聖ミクラーシュ教会がある。
 その教会の南続きに旧市役所があって、そこに、観光客に人気の高い天文時計がある。

 15世紀に造られたというこの時計、旧市役所の中二階辺り、拍子抜けするほど低いところにあって、手を伸ばせば届きそう。今も毎正時になると仕掛けが動き出す。
 
尤も、案内本を走り読みする程度では、その見方が理解(わか)ろう筈もないが・・・。

   

 ♪ 時代を感じさる様式とピンク色の壁が同居するユニークな旧市役所です
 
縦にふたつ並んだ円、上がプラネタリュウム、天動説にもとづいた天体の動きと時間を表しているとか
  地球を中心に回る太陽と月と他の天体、年月日と時間を示し乍ら1年かけて一周するんだって
  下がカレンダリュウム、黄道十二宮の獣と四季の農事が描かれた暦で、1日ひとメモリ動くんだって
  左下隅(右)にプラカードが写っているが、これが何本もあって、うんざりさせられてしまった

 * カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのモ書きから〕
 骸骨が綱を引いて小さな金を鳴らし、そして左手の砂時計を逆さにすると、上部にあるふたつの窓が開いて、鍵を持った聖ペトロなど十二使徒が次々と登場、最後に、一番上の鶏が一声鳴いて仕掛けは終わる
 わずか20秒ほどのことだったけれど、結構、面白い
 それに、プラカードに短気なペトロがかんかん、そのやり取りが可笑しくって・・・ (

 * 序にペトロも独り言
 写真を撮りたいのだが、おっちゃんが大勢、派手な広告のプラカードを掲げて時計の前に立っていて目障り
 大阪弁で、
どいてんか!」って叫ぶンだけど、言葉は通じないし、彼たちは商売だから動く気なんて少しもなく、だんだん腹がたってきて・・・  (

   

  上円(左)の両脇の人形、何れも左から、“ 貪欲、虚栄心、死神、異教徒の侵略 ” の四つの恐れを示し
 ♪ 下円(中)の両脇の人形は、“ 歴史記録者、天使、天文学者、哲学者 ” なんだって
 
天国への鍵を持った聖ペトロも窓(右側)から顔を覗かせ、その上には鶏がいます

 これまた拍子抜けする思いがするあっけなさ。
 しかしである、なかなか楽しいからくりが仕掛けてあって、童心に帰らせてくれる。

 この後、時計塔に登ったが、最上階から旧市街広場が俯瞰できる。

  カタリナの独り言 モ書きから〕
 ここから眺めるとやたら塔が目につき、百塔の町と呼ばれるのがよく分かる、そして、なんとこの町に似合っているのと、感心してしまう
 ティーン聖母教会が魔法使いのお城のように見えた (

    

  西を望めば、真ん前にティーン聖母教会の双塔が、赤いレンガ屋根の家並みの中に際立っています
  東を眺めれば、西岸の街の向こう、ヴルタヴァ川を挟んで小高い丘の上にプラハ城が望めます

 フラッチャニ地区の小高い丘にあるプラハ城と聖ヴィート大聖堂。
 そのフラッチャニからマラーストラナの丘の麓、ヴルタヴァ川が流れプラハ最古の石橋、カレル橋も望めた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.936 

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