ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

美術展・新春によせて ‐ 1月がゆく

2012年01月30日 | 季節/暦

 西宮市大谷記念美術館の展覧会、“ 新春によせて ” を観た。
 今年は、美術館所蔵の近代の日本画・油彩画約60点を展示されていたが、この企画は、新しい年の初めの展覧会として、毎年、催しているようだ。

 三部構成からなるこの美術展、美人画・人物画などの人物を主題とした「描かれた容姿」が第一部。

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 伊東深水の「吹雪」(左)、彩色が異なる異同作品を多く描いているようです
 
上村松園の「蛍」(右) は、薄暮に迷い出た蛍を追う女性が鮮やかに表現されています

 他に、小磯良平「ギターを弾く男」、林武「椅子による裸婦」 などの作品が架かっていた。
 伊東深水は「吹雪」の他「洗い髪」、「舞妓」など、艶やかな女性が描かれた作品が架かっていた。

 第二部「花鳥と静物」では、菱田春草「秋林遊鹿」、梅原龍三郎「赤地ダリヤ」など、花鳥画、静物画、動物などを主題とした作品が。

 B1 B2  

 福田平八郎「竹」(左)は、淡い色彩の中に春の息吹を感じました
 
西村五雲「冬暖」(右)、陽だまりに寄り添うサルが洒脱に描かれています

D1_9  他には、濱田観「白木蓮」、杉山寧「雉山百合図」が印象に残った。

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 濱田「白木蓮」(左)は、ゴッホの 「<アーモンドの花>」(ゴッホ美術館蔵)を思わせます
 
杉山寧の「雉山百合図」(中)、丁寧な筆致で描かれています

 「移ろう景色」をテーマにした第三部では、横山大観「若葉」、川合玉堂「奔湍」、大石輝一「金閣寺雪景」などの山水画、風景画などを主題とした作品が架かっていた。

 横山大観の「若葉」(右)、構成の巧みさには魅入らせられました

 ただ、彼の「<大和心>」 は、何時見ても心が痛む。

 東日本大震災、福島の原発事故、そして、各地での豪雨禍と大きな災害を受けた昨年。
 今年こそ明るく平和な年であって欲しいと願った睦月・1月がゆく。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.431

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古くて若い国 ‐ イスラエル(終)

2012年01月27日 | イスラエル巡礼

 イスラエルという国、“ 古くて若い国 ” であるということ、改めて知った。

 帝政ローマ期の66年、ローマ帝国と今のパレスチナとイスラエルにあたるローマのユダヤ属州に住むユダヤ人との間で行われたユダヤ戦争で、ローマ軍に滅ぼされ流浪の民になって2000年。

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  町や村のそこここに、ブーゲンビレアが咲いていました

 歴史はどうあれ、パレスチナ人が平穏に暮らす地に、数次のアリヤー、シオン=エルサレムへの帰還運動を経て、1948年に建国を果たしたユダヤの民。

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  アラブ人の店が並ぶ狭い通りは活気にあふれていました

 老いも若きも男も女も、アブラハム、イサク、ヤコブの父祖三代の地に国を再興するという使命に駆り立てられている。
 アメリカの強い後ろ盾のもと、四次にわたるアラブ諸国との過酷な戦争を通じて、国を思う意識は極めて高いようだ。

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  エリコの町のチェック・ポイントにはパレスチナの国旗がはためいていました
 
休戦中の町は静かで、観光用の駱駝も手持ち無沙汰?のよう

 そんな国イスラエルだが、祖国なき民として2000年の流浪の中で600万人の罪なき人が、ナチスの民族浄化の名のもとに虐殺(ホロコースト)され、ブルドーザで穴に捨てられたという悲劇を抱えている。

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  ヤド・ヴァシェム=記念と記憶に入館します
 
そのなかのひとつ、ホロコースト歴史博物館、館内は写真禁止になっています

 勿論、加害者のドイツも、ベルリンのブランデンブルク門近く、「ユダヤ人犠牲者記念館」を始め、ドイツ内外にナチスの時代を忘れないためのメモリアルを多く残す。
 陸続きに暮らす国々のひとつとして、隣人=隣国の信頼を回復するためには、己たちがなした行為を潔く総括しなければならないのだろう。

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  ユダヤ教のシャバット=安息日、子供たちは無心に遊んでいました
 
小さな帽子、キッパを被り、腰には紐のようなものをぶら下げています

 翻って枢軸国のひとつ日本、信頼を得るどころか近隣諸国から一番嫌いな国に挙げられるのは何ゆえか?

 I2 I1

  ガリラヤ湖は朝日に輝いて明け、そして、茜色に染まり暮れていきます

 話がそれたが、無原罪の母マリアから生を受け、30年の短い生涯を駆け足のように走り抜けたイエスの足跡を、僅かではあるが辿ることができたことを喜びたい。

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  エルサレム旧市街、太陽の下で輝いた町も、落日とともに一日の喧騒を終えます

 <美しき国 ‐ 旅の後で>から11回にわたって綴った「イスラエル巡礼」と今回でひとまず別れる。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.430

 ※ イスラエル巡礼、前回の《難儀な国?》へは、<コチラ>からお入り下さい。

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難儀な国?‐ イスラエル(11)

2012年01月25日 | イスラエル巡礼

 普通の旅行者?には、余り評判のよくないイスラエルの入出国審査。
 72年、日本人によるテルアビブ空港無差別テロによって、そんな面倒くさい事態に至ったことを思えば、同邦のひとりとして文句の言えよう筈もないのだが。

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 ∮ それは、乗り継ぎ地の「イスタンブール・アタチュルク国際空港」(左)から始まります
 ∮ 乗り継ぎゲートで係官から何処に行くのか訊ねられます
  イスラエルと答えると審査を受けろと言われます

 ∮ そこで、「幾つかの質問を受け」(中)ます
  そして、審査済みの証として「パスポートにシール」(右)を貼られます

 それが終わると、搭乗ゲートの直前で手荷物検査とセキュリティ・チェック、これは何処の空港でも同じ。

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 ∮ この日は何処の組合か知らないが時限スト、「搭乗ゲート」(左)で随分と待たされました
 ∮ そこから10分ほどバス」(中)で運ばれテルアビブ行きに「搭乗」(右)です

 定刻よりかなり遅れてのイスラエル到着だった。

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 ∮ 真っ青な空、「畑が広がるイスラエル」(左)が眼下に見えます
 無事「ベン・グリオン空港」(中)に着陸、塔乗時と違って「ボーデング・ブリッジ」(右)でした

 テルアビブ・ベン・グリオン国際空港の第三ターミナル、コンパクトで勝手がよい空港だった。

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 ∮ 到着ゲートを進み「円形の吹き抜け」(左)を回り「長いスロープ」(中)を下ると入国審査場
 ∮ ちなみに「行き違うスロープ」(右)は、出国審査の後進むと「円形の吹き抜け」(左)へと出ます

 入国審査の際には、添乗員は、「ノー・スタンプと告げろ」とオームのように繰り返すが、別に、イスラエルと敵対関係にあるシリアなどに旅行するつもりなどないふたりにとって、パスポートに同国への入国スタンプがあっても一向に困らない。

 むしろ、この聊か “ 難儀な国 ” に行った証としてスタンプが欲しかったのだが、「スタンプ プリーズ」と告げなかったのがよくなかったらしく、スタンプを押した別の紙を渡され、ゲートを通過する際に係官に回収されてしまった。

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 ∮ ベン・グリオン空港第三ターミナルの「出国ロビー」(左・中)です
 セキュリティ・チェク、「大きなX線の機械」(右)の導入以来随分と簡単になったのだそうです

 出国審査、若き女性係官は入国スタンプがないのを見て取り、「そんなにイスラエルに来たことを隠したいの?」と突き返される始末。

 セキュリティ・チェク、バックパッカーなどの若者や陸路で入国する者、敵対する国のスタンプのある者などには大変厳しく、稀には苛めに近いようなのもあるようだ。

 グループツアーの老人など、何ほどのことができようかとも思うのだが、目が青かろうが、髪の毛が黒かろうが、勿論、個人旅行であろうがツアーであろうが例外がないらしく、やるべきことだけはきちんとやってくれる。
 その意味では気持ちがいいと言えばそうかも知れない。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.429

 ※ イスラエル巡礼、前回の《想い出の教会》へは、<コチラ>からお入り下さい。

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初釜

2012年01月23日 | 茶事/茶会

 松がとれた15日、今年のスタートは、奈良の “ 茶チーム・和の輪 ” のお仲間から。

 きっちりした正午の茶事形式でスタートすることもあるが、今年は趣向を変え、食事の後は七事式にした。

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 五人一組になり炭付き花月で炉に炭を入れ、次の一組は濃茶付き花月をした。
 花月は人数が揃っていることと、力量もある程度そろっているのが望ましい。

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 花の札を引くと点前をし、月の札を取るとお茶を頂く。
 阿吽(あうん)の呼吸で、五人の息が合うとなかなかに面白く充実感もある。

 風も穏やかな冬の一日、こうして今年も皆様と楽しいスタートをきれたことに望外の喜びを貰う私。

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 続く22日と28日の初釜の席も、「今日のような日和を下さい」と虫のよいお願いをしている。
 「晴れ女さんだから大丈夫ですよ」と言って下さるが、年とともにパワーが無くなっているので、今は神頼みの私です。 (
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.428

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大谷美術館の庭

2012年01月20日 | 

 カタリナ が、奈良の初釜の折、ミサの帰り道に<大谷記念美術館>に寄ったことは書いた。

 この美術館、正式には「西宮市大谷記念美術館」といい、西宮市が運営管理している。
 市に在住するシニアならば入館料が無料と言う大変嬉しい美術館でもある。

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  美術館への道、垣根です       正面玄関

 以前にも書いたが、昭和電極(現エスイーシー)元社長の大谷竹次郎氏が土地・建物、美術作品を寄贈されたコレクションを広く一般に公開するため、1972年・昭和47に西宮市が開設した。

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  建物に一歩入ると、まずこの景色が目に飛び込んできます

 和風邸宅の良さをそのままに、エントランス・ロビーから流れる小さな滝を楽しむことができる。                                                                                                  

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  大きなガラス窓の向こう「石と水と松」、屏風絵のようです

 私宅跡ということもあって美術館としては少し狭いけれども、水と緑の美しい庭園を持っている。

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  石を穿った枡形からあふれた水が池に向かって流れ落ちています

 今開催されているのは、「新春によせて」と称し、近代の日本画・油彩画を約60点を展示。
 出品目録によれば10点ほど寄託作品があるが、展示作品の大部は自前の所蔵作品で、地方の小さな美術館として質は高い。

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  いたるところに蝋梅が         蹲のある庭です          ♪ 水琴窟の庭です

 開催中の「新春によせて展」のことは何れ別の機会にアップするとして、今回は庭を紹介したい。

 と、言っても、造園に格別の知識もなく、むしろ、「ど」が付く素人なのだが、ここにはなんと言ってもエントランス・ロビーからか眺める「水と石」「松と梅」、そして、もうひとつが、「蝋梅と万両」が主役だと勝手に思っている。

 下手な写真だが、少しでも寄贈者大谷さんの好みを感じて頂ければ幸い。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.427

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野となれ・・・?

2012年01月18日 | 日記

 新年早々、お医者さんの世話になる破目になった。
 原因は、恥ずかしくも過食、過飲なのだが、その日(12日)のお昼前、不快感にたまらず<A診療所を予約>したところまで書いた。

 で、A先生、ペトロ に、紹介状を書くから総合病院で検査を受けなさいと言う。
 匙を投げるとか厄介払いなどなさる方ではない、多分、口やかましく不調を訴えたのだろう、幾分かは辟易とされたところはあったのかも知れない。

 Photo冗談は別にして、話は二年前の秋に遡る。
 ところはワシントンDC、長いフライトを終え空港シャトルバンという名の乗り合いタクシーで市内に向かい、ホテルにチェックインしたのがお昼前。

 尾篭な話だが、長時間辛抱していたトイレに駆け込んだまでは良かったが、激しい下血にたじろいでしまった。
 が、来て直ぐ帰る訳にも行かず、痛い、辛いがまったくないこともあってそのまま旅を続けた。

 帰国して先生に相談、「難しい病気だったらこんな暢気に話していられない。痔の先生を紹介する」と言われ、痔ならば死ぬこともない、「ちょっと様子を見ます」と逃げてしまった。

 それから二年、一層下血がひどくなった。
 今回そのことも先生に話したところ、胃と腸の検査をしたうえでのことにすれば、と言うことになった。

 Photo_3その日の夕刻、診療所の看護師さんから予約が取れた旨の電話があり、翌13日、紹介状を持って県立病院の内科を訪ねた。
 待合室は満員、指定された時間を過ぎてもお呼びがかからない、40分も待っただろうかようやく名前を呼ばれた。

 まず手始めに指示されたのが胃と腸の X 線透視。
 それが終わってまたまた待つこと30分、カタリナ に「辛抱して待つのよ」と念を押されたことを思い出しながら待っていると診察室に入れとアナウンス。

 若い女性先生、問診、触診に続いて「この際、徹底的にやりますか?」と訊き、「ええ、まあ・・」と消極的同意を示したペトロに、腫瘍マーカの採血の後、その日折よく空きがあるからとCTスキャンまでを終え、週明けに、胃に続いて腸の内視鏡検査をすることになってしまった。

 だから今(15日・日曜)、ちょっとブルーな気分で沈んでいるのだが、後は野となれ・・・?と、筋違いを承知で開き直ってもいる。
 夙川公園のカルガモと大谷美術館の<錦木(ニシキギ)>、その日の気分に似て少し寒い景色?
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.426

コメント (2)
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隗より始めよ ‐ 言葉

2012年01月16日 | 本/図書館/言葉

 僅か4月での内閣改造、第二次野田内閣が発足した。
 この政権、と言うより野田総理、消費増税にことのほかご執心、と言うよりも、取り憑かれたよう。

 今の日本、早晩立ち行かなくなるのは誰の目にも明らか、稼ぎ=税を増やさない限り、二進(にっち)も三進(さっち)もならないという彼の気持ち判らなくもない。
が、“ 隗より始め”、増税の前に議員定数の削減を手始めに、徹底した行財政改革など、やるべきことは山のようにある。

 とPhotoころで、先日の朝日にこんな記事が載った。
 かつて東側の国だったハンガリー、何と昨年9月から「ポテチ税」なるものを導入した。

 この新税、肥満防止を兼ねたものらしいが菓子業界を直撃、雇用まで減量させ、3千人以上が失業の危機にさらされているのだそうだ。
 国民の健康向上と税収増を狙った奇策は、副作用も強かったようだと記事は括っていて笑わせた。

 この国、欧州最高水準の27%の付加価値税を課しているが、歳入の欠陥を補うため「ポテチ税」に加え、自賠責保険業者に掛け金収入の30%を納めさせる「事故税」や成人向け映画や雑誌などにかける「ポルノ税」など、新税を次々と導入するのだそうだ。
 ハンガリーに限らず、財政基盤が弱い中・東欧の国々は財源確保に苦労しているという。

 お3_2隣のルーマニアでは導入は見送られたが、魔女までが標的になったという。
 魔女とは、ルーマニア国内に1千人以上いるとされる呪術師や占師のことで、古くから歴史の舞台裏で活躍しているという。

 その魔女さんの稼ぎに16%の所得税などを課すべきだとの議論が浮上したらしい。
 これに対し、一部の魔女たちが呪いで報復すると騒ぎ出し、「民の血を吸うドラキュラ以下だ」と憤っているという。
 ここまでくると、流石ドラキュラの故郷?ルーマニア、と笑ってばかりおられない。

 話は戻って、昨年の暮れ、四十数年の歴史?を閉じて放送が終わった「水戸黄門」。
 そのTVドラマにたびたび登場したのが悪徳商人と結託するお代官様、財務省のお先棒を担いであこぎなことをすると手痛いしっぺ返しをくらいまっせ、野田さん!

 カタリナ、昨日(15日・日曜)は初釜、ミサの帰り香露園まで足を伸ばし大谷記念美術館の「新春によせて」展を覗いてきた。
 庭では、「蝋梅」がいい香りを漂わせていた。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.425

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一週遅れの七草粥

2012年01月13日 | 日記

 散歩がてら、「宵戎に行こうか?と誘ったのが成人の日、どうでもよいことだが何故この日を移動祝日にしたのか今もって理解できない。の朝だった。

 ところがその日、正月気分が抜けず昼飯どきから缶ビールを飲んじまって出かけるのが億劫になってしまった。

 翌Photo_710日、カタリナ が、イスラエル巡礼にご一緒した西宮市の I さんに頼んでいた袋小物、小銭入れで実に可愛く丁寧にできている。を、カタリナが受け取る予定があって、「その足で本戎に行こう」と決めた。

 さて、その10日、I さんとの待ち合わせ時間が12時前という中途半端? な時間になり、「今日は中止、残り戎に行こう」となった。

 事ここまでになれば、ふたりともそんなに戎さんに行きたい訳ではなかったのだ、と、気持ちに折り合いがつき、「そうだよなあ」と妙に納得してしまった。

 初釜の準備に余念のないカタリナは別にして、そんな風に缶ビール片手にうだうだと三連休を過ごしていた所為なのか、休み明けの11日の未明、みぞおちの辺りが痛み、むかつきというか吐き気もあって、トイレに駆け込む羽目に。

 カPhoto_5タリナは、「暮れからの過食、過飲が胃に来たのでしょう」と言う。
 自分でもそのように思うものの、決め付けられると面白くなく、何時もなら、ささやかな抵抗を試みるのだが、その日の朝はその元気すらない。

 朝食をパス、昼は温麺、夜は目玉が映るほどのお粥に梅干。
 食を抜き少し休めれば直ぐに治ると高を括っていたのだが、11日の深更から12日の未明にかけてむかつきが続き、この稿を書いている今も一向にすっきりしない。

 旧暦で松が取れる人日の節供の朝、一年の無病息災を願って七草の入った粥を食べる風習があるが、昔の人は弁えたもので、祝膳や祝酒で弱った胃を休める為でもあったのだろう。

 芽Photo_6出度い?正月も終わり、世間の皆さんが今年も頑張るぞと、一斉に働き始める時期に、いい年をしてお腹を壊すなど愚の骨頂と大いに恥じている。

 それもあるが、15日から初釜、寝込んで足を引っ張ってはと、「お酒? もってのほか、A先生に見て貰いなさい」などと威張られようとも、厳寒に咲く水仙のように健気?に黙って耐えているペトロである。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.424

 PS : その日(12日)のお昼前、不快感にたまらず A 診療所を予約した。
 風邪が流行っているらしく満員? 30分も待っただろうか、ドカーンと言う音、野次馬根性も手伝って外に出てみると駅前の交差点の真ん中で四台の車が衝突事故。
 たまさかその交差点で信号を待っていたカタリナ、一台の車が弾みで飛んできて、ガードレールで止ったらしい。
 もし、ガードレールがなかったらと思うと、怖いねえ。ドライバーの皆さん交通ルールを守りましょうね!
                                     

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同レベル?

2012年01月11日 | 日記

 R 君たちと「UNO・ウノ」というゲームを楽しんだ。
 このゲーム、見るのも初めてなら触るのも初めてなのだが、ご家族や友達などと楽しまれた方もあると思う。

 ル796pxbaraja_de_uno_2ールはいたって簡単、トランプのような専用のカードを用いるのだが、最初に配られた7枚の手札を、一番早く場に出し切ったものが勝ちとなる。
 スペイン語の数字「1」の「UNO」が名前の由来とか。(写真:ウキペディアから)

 遊び方は、手札の中から順に前のプレイヤーが場に出した札と、数字、色、記号のどれかが一致するカードを出していく。

 手札の中に場に出せる札がなくなると、アイロン?に似た形の箱のボタンを押せと言う。
 言われるままにボタンを押すと、札が勢いよく何枚か飛び出し手札が増えるのだが、運がよければ一枚も飛び出さず、次のプレイヤーに手順を回せることもある。

 A2A1練習ゲームの途中、オールマイティーや、同じ色の札ならまとめて一度に出せたり対戦相手を妨害したりするなどの役札があること、残りの手札が1枚となった時に「ウノ」と宣言しなければならないことなども教わる。

 そして本番、R 君から時計回りにペトロ、お父さん、カタリナ、I 君との5名でゲーム開始。I 君にはお母さんがアシストに付く。

 B1B2ゲームを始めてしばらく、異なことに気づいた。
 他のプレイヤーに比べてペトロの手札が一向に減らない、むしろ、増えているような気もする。
 「うん??と考えていると、どうも R 君がペトロの隣で体をぴったりとくっつけて離れない。
 そんなに傍が良いのか?とニヤついていたら狙いは別にあったみたい。

 それに気づいて「見たらあかん!と手札を隠すと、「うふふ」と笑い、「じいじぃだけには負けんぜよ」と高知弁?で宣言されてしまった。
 結果は、最後まで手札が残ったペトロがビリ、その時の彼の嬉しそうな顔。

 彼が二歳になる前の頃だったか、知能も行動も “ 同レベル ” だ思っていたような節があり、ペトロの後姿を真似しては悦に入って? いたことがあった。当時も今も、実に敵わン相手ではあるのだ。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.423

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想い出の教会 ‐ イスラエル(10)

2012年01月09日 | イスラエル巡礼

 巡礼中、ミサに与った教会のことは前に書いた。
 いずれの教会もイエスやマリアの息吹が感じられる素晴らしい教会だったが、これらの教会に優るとも劣らない教会も幾つか訪ねた。

 ガリラヤ湖畔、タブハ村の緑の林の中の小さな教会が、「聖ペテロの召命の教会」。
 別名「ペテロ首位権の教会」とも呼ばれている。

 A1 A2

 ∮ ガリラヤ湖畔を歩いていたイエスが、漁師のペテロと弟のアンデレに出合ったとされる所です
 ∮ 教会の外から内へ続く大きな岩は、復活後のイエスが弟子に食事を与えた岩だそうです

 エルサレムに入って最初に訪れた教会が、「ゲッセマネの園」に建つ「万国民の教会」。
 イエスが最後の夜、ここで苦悶しつつ祈りとともに過ごした教会、別名「苦悶の教会」とも呼ばれている。

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 ∮ ゲッセマネとはヘブライ語で油搾りの意とか
  かつてこの辺りは一面のオリーブの林だったそうです
 ∮ 園内に残る8本のオリーブの古木です
  遥か昔から受け継がれ、幹の太さたるや二抱えも三抱えもありそう

 金曜日の日没から土曜の日没まではユダヤ教のシャバット・安息日で、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」に近づけず、急遽向かったのが「マリア永眠教会」。

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 ∮ 象牙色の尖塔が美しい教会です
  地下聖堂には象牙と桜材の永眠するマリア像が横たわっていました
 ∮ モザイクが見事なこの教会、エルサレムで一番大きいのだそうです

 シオンの丘の中腹にあるのが「鶏鳴教会」。
 この教会の名前の由来は、小ブログの<ポポロ教会(2)>を参照あれ。

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 ∮ 松林に囲まれた静かな佇まいの教会です
 ここからはダビデの町やケデロンの谷などが見渡せます
 ∮ ゲッセマネで捕らえられたイエスは、この教会の地下の小さな牢獄で最後の夜を過ごします

 シオンの丘の斜面に建つ「鶏鳴教会」、その隣、丘の上に向かう石段、考古学的にも2千年前のものとされていて、イエスが歩いた石段に間違いないとされている。

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 ∮ バルコニーからヒンノムの谷(右)が望めます
  写真右端の小さく木が繁る辺り、ユダが縊死した場所だそうです
 ∮ 最後の晩餐の夜、この中に裏切り者がいるとイエスに告げられたユダ
  その罪深さに彼自身悩んだとされています
 ∮ その舞台となったのは、殺風景なこの部屋(左)だったのだそうです

 その「最後の晩餐の部屋」、ダ・ヴィンチの絵などの絵画と違い、祭壇も何もないがらんとした暗い部屋だったが、その素っ気無さが返って、当時のイエスと十二使徒の立ち位置や、やがて訪れる受難の時を暗示させているように思えた。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.422

 ※ イスラエル巡礼、前回の《祈り》へは、<コチラ>からお入り下さい。

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