ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

男はまめでなくっちゃ ‐ 5月がゆく

2016年05月30日 | 季節/暦

 制服姿の警官が矢鱈目立った町の様相をTVカメラは伝える。
 差し詰め西部劇、タンブルウィード・回転草が風に吹きすさびゴーストタウンと化した小さな町で無法者たちを迎え撃つ保安官、そんな場面だろうか。

 風光明媚な伊勢志摩で行われたサミット、この間、観光地として大きな打撃だろうと思っていた。

 が、朝日によれば2万3千人態勢で警備をしたらしい。
 そうか!他人の懐を計算しても仕方がないが、算盤を弾けば彼らの宿泊代だけで十数億円ほど、諸々加えれば凄いお金が地元を潤したンだ。

 そしたら、なんの其れ式、毎日のデジタル版を開けば、サミットの予算総額は600億円、そのうち警備関連は340億円なのだそう、素人計算のウン十億円なんてチャラいと嗤われそう。

 地元の三重県の負担は60億円弱、その財源は9割が県債、サミット関連の税収で賄えればいいのだろうけど、朝日は 「後世に負担が残る」との知事のコメントも伝える。

 まさか大統領や首相、関係閣僚などの、ご令室様ご同伴の年一回の慰安旅行じゃないだろが、それにしても豪気だねえ。

 豪気と言えば、都知事さんのロンドン・パリやら、ソウルやらへの金魚の糞を引き連れての大名旅行。
 彼、「ちゃちなホテルに泊まっていて要人が会ってくれますか」と態度でっかくコメントしたらしい。

 ビジネスホテルに泊まってたって会う価値があると思えば会ってくれるだろうし、「ちゃちなところに泊まっているから会わない」というのならば、そんな人と会ったって仕方がないと思うんだけど、これって、小賢しくも語るに落ちると言うのかな?

 空から1万円札が降ってくる都税という料理に、集(たか)りというスパイスをまぶした “ 使わな損定食 ” がことの外お好きと見える知事さん、それって例の号泣県議とそっくりじゃない?
 えっ、知事さん方が何枚も上手、格が違うだって、ご尤も。

 金銭疑惑で辞めた前知事が清廉に見えるほど、<まめ>に領収書を集める彼ってやっぱ凄いねえ!

 そんな知事や金魚の糞、おっと取り巻きさんだ、その彼らが大部分は 「法律的には適正!」と主張して憚らぬ都庁辺りにも、皐月・五月の爽やかな風が吹きわたったンだろなあ。
 町いたるところ「皐月」乱舞の態(たい)だけど、花屋さんの店先には真夏を彩る 「ハイビスカス」も咲き競う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1138

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続・デューラー ‐ 美術史美術館(7)

2016年05月27日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(25)

 ウィーン美術史美術館の旅、聊か落ち着きに欠ける旅人に似て行ったり来たり?
 ドイツ美術史上最大の画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528/ドイツ・ルネサンス)の再登場。

 そのデューラーの 「聖母子」、別名 「切った梨を持つ聖母子」(上)が今回の作品。

 当時、芸術家への経済的な後援者・パトロンに人気があった聖母子画は、彼が好んで描いた主題であったとされている。

 黒い背景のなかで、当時、高価とされた青い絵の具で描かれた上着を纏う聖母は、崇めるように我が子キリストに視線を注いでいる。

 また、幼子イエスに触れんばかりのヴェールは、聖母の慎み深さを表しているかのようにも見える。
 そのヴェールで付け加えるならば、幼子の腰を覆う薄物は、後世の誰かが手を加えたとの説もあり、頷けなくもない。

 特筆すべきは、下部に僅かに覗く聖母の親指と人差し指、幼子のか細さを強調したとされ、その繊細な表現力に驚かされる。

 イエスは、母が切ってくれた梨の上半分をちょうど生え始めた小さな歯でちょっと齧ってい、作品に温かい余韻を与えている。
 ところで彼の作品に共通することだが、本作も美術書などの<写真>を遥かに凌ぐ、と今更乍らに思わせる。

 折角だからもう一枚、「一万人のキリスト教徒の殉教」(中)を。

 「聖母子」の四年前に描かれたとされる本祭壇画、<ザクセン選帝侯フリードリヒ3世賢明公>の委嘱により、ヴィテンベルク城の聖堂の聖遺物室に置かれたという。

 主題は、ローマ皇帝ハドリアヌスとアントニウスの命を受けて、ペルシア王のサポラトが行った大虐殺により、アララト山上で殉死したキリスト教徒の伝説。
 まさに、拷問と虐殺の阿鼻叫喚の場面である。

 その右下、青い外套を着たターバンの男が冷徹に指揮をする姿は、本作が描かれた50年ほども前の1453年、コンスタンティノープル、現在のイスタンブールを強奪したトルコ人の侵略を、本作の前に立キリスト教徒に思い出させたともされている。

 ちなみに、縦横1m足らずのキャンバスのなかにぎっしりと人物が描かれた本作、画面中央部、画家はこの場にそぐわないふたりの男(下/部分)を描いている。

 そのひとりが、“ アルブレヒト・デューラーによって1508年に制作された ” という銘文の付いた棒を持つ画家その人である。

 とまれ、才気あふれる<生意気デューラー>が描く “ 静と動 ”、ふたつの作品だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1137

 ※ 「美術史美術館(6) ‐ クラナハ」へは、<コチラ>からも入れます。

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クラナハ ‐ 美術史美術館(6)

2016年05月25日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(24)

 ドイツ・ルネサンス期に<デューラー>(1471-1528)と並んで活躍したルーカス・クラナハ(1472-1553)。
 ブリューゲル(父)(1525-1569/初期ネーデルランド絵画)などと同様、息子も同名の画家のためクラナハ(父)とも呼ばれる。

 粘着質だったのか同じ主題で多くの作品を描いており、<アダムとエヴァ>に至ってはなんと18点も描いていて呆れる。

 そのクラナハの 「ホロフェルネスの首をもったユディト」(上段左)が今回の作品。

 主題は、旧約続編・第二正典のユディト記の美しい女、彼の場合は可愛い女?のユディト。

      

 物語の筋はこれまで何度か、最近ではクリムトの 「<ユディトⅠ>」(ウィーン/ベルヴェデーレ宮蔵)で投稿したので重複は避けるが、本作もベルリン・ゲマルデ・ギャラリー(上段/三枚組左)や<カッセル美術館>(同/中)、ブタペスト国立美術館(同/右)が収蔵するなど、これまた何作か描いている。

 彼が描くところの細くて腰がくびれたプロポーションの女性像、盛期ルネサンス・ヴェネツィア派の画家<ジョルジョーネ>(1477-1510)や弟弟子<ティツィアーノ>(1488-1576)描く豊満な女性像とはまた違った官能美を醸し出しているとされている。

 どちらを好むかは人夫々だが、少なくとも彼をお抱え画家にしたフリードリヒ3世には好評だっただろう。
 ちなみにフリードリヒ3世、福音主義を唱えるなど宗教改革の口火を切ったマルティン・ルター(1486-1546)を保護し、プロテスタントを承認したことでも知られている。

    

 その 「ザクセン選帝侯フリードリヒ3世賢明公」(下段左/ウフィツィ美術館蔵)、「マルティン・ルターの肖像」(下段中/ウフィツィ美術館蔵)を描いた宮廷画家クラナハ、友人ルターのためプロテスタントの立場に立った祭壇画を主に手がけたとされている。

 もう一枚、彼の 「ザクセン選帝侯フリードリヒ寛大公の鹿狩り」(下段右)も架る。

 ところで、「相変わらず長いなあ」とわれ乍ら思わないでもない、で、何とか短くしようと頑張ったけど、手紙もそうだが短く意を伝えるって、ほんと難しいや!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1136

 ※ 「美術史美術館(5) ‐ ヴァン・ダイク」へは、<コチラ>からも入れます。

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昨日の飯とあいつの名前

2016年05月23日 | 日記

 某日、呆けを思わせる小さな出来事があって少し項垂れた。
 ショッピングセンタ(SC)の食品売り場で用を済ませ、「洗濯屋さんへ寄らなきゃ」と思ったのが発端。

 少し前、会社の<OB会>に出席したことは書いた。
 聊かだらしない酔狂、あいつ によく叱られたものだが、ズボン、それも社会の窓近くに酒か料理か分からないがこぼしたらしく、十円玉ほどの汚れを見つけた。

 目立たないので放って置く手もあったが、一旦、見つけるとやはりそこに眼が行って塩梅が良くない。
 むさい年寄りのことなど誰も気にも止めないだろうが、汚れた場所もあって染み抜きに出したのだが、それを取りに行こうと思ったのだ。

 SCの地階からエスカレータで上階に上る途中、預かり票を見れば出来上がりが5月×日16時以降とあったが、ここで飛んでしまった。

 突然、今日が何日の何曜日なのか全く分からなくなってしまったのだ。
 普段から日にちに限らず名前などが出てこないことがたまにあって、そんな時は 「ど忘れして」と気にも留めないのだが、その日は様子が違って頭の中は真っ白。

 腕時計に日と曜日を示す表示盤が付いているが、小さくて老眼鏡があってもその役目をはたしてくれない。

 狼狽えてしまって、近くのレジの店員さんに 「すみません、今日は何日でしょうか?」と息せき切って訊ねてしまった。
 突然、面相良からぬ老爺に戸惑われたのだろう暫く口籠って 「××日ですけど」と教えてくれた。
 ここで漸く、二日前が月命日だったことを思い出す始末。

 とうとう呆けがきた・・・と小さく沈んでいたら 「昨日の食事と私の名前を憶えていれば大丈夫!」と聞こえ、何を食べたかは聊か覚束ないが 「お前さんの名前を忘れる訳ないよ」と意気込む自分が可笑しくもあった
 思うに、ここのところ頻発するイレウスもどきで腸の小さな痛みに付きまとわれ、ストレスに苛まれている所為だったのかも知れない。

 梅雨入りを前に 「<紫陽花>」が咲き競う時季になったが、いっかな降らぬ雨に耐えて健気に見える。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1135

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五年目の夏

2016年05月20日 | 日記

  雨二滴日は照りかへす麥の秋 (虚子)

 今日(5/20)は、二十四節気のひとつ “ 小満 ” (しょうまん)。
 暦本には、“ 万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る ” とあったが、盈満とは “ 物事が満ちあふれること。また、そのさま ” (大辞泉)のこととか。

 例えば、秋に蒔いた麦の種が穂をつけるなど、自然界全てものが夏に向けて次第に成長して、陽気とともに満ちてくる時季ということらしい。

 その麦、新歳時記には “ 他の穀物が秋に黄熟するのに対し、麦は初夏黄色に熟するのでこの季節を麥の秋 ” と呼ぶとあり、“ 満目新緑の中に広がる黄色の麦畑には絵画的な美しさがある ” と続けていた。

 当節、麦畑を見かけることなんかまずないけれど “ 麥秋 ” とは言い得て妙だと美しい日本語に感心する。

 前書きが長くなったが、晴天続きの大型連休が明け、思い出したように朝から雨だった日(5/10)、五年目初回の検査を受けた。

 主治医のY先生が<転院>され、今回から先生が替わる。
 当日、診察券を外来受付機に挿入すると予約番号票がプリントアウト、そこに新しく担当して下さるK先生の名前があったが面識はなく、場合によってはY先生への紹介状を頼まなくてはと思っていた。

 が、穏やかな笑みを絶やさないK先生、「紹介状を」なんて気の進まないことを口にしなくても済んでやれやれ。

 肝心の結果だが、腫瘍マーカで消化器系、特に<膵臓>に関わる項目 “ CA19‐9 ” の数値が相も変わらず上限値を超えているとのこと。

 ただ、それは飛び抜けて高い数値でもなく、また、三月毎の数値の過去五回分をディスプレイで見せて貰ったが、右肩下がりに推移してい 「心配はない」とのことだった。

 術後遺症とイレウスに悩まされる日常とは縁が切れそうにないが、これは自ら節制するしかない。
 残り三回の検査を越えれば 「卒業ですよ」との言葉を頂き、傘の帰り道も苦にならなかったような。

 薔薇みたくな 「インパチェンス」、そしてハイビスカスみたくな 「マンデビラ」、ここ数日、気温も花も真夏だ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1134

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掃き溜め

2016年05月18日 | 日記

 何時のことだったか、鰥夫(やもめ)の独り暮らしを案じた姉、愚息にその暮し振りを尋ねたそう。
 答えて 「存外に綺麗に暮らしているよ」と、要らざる心配をさせてはとの思い遣りもあったのだろうけど。

 同年代の独居老人の部屋を覗いたことがないので分からないが、TVニュースなどで視る限りだが、まあまあ綺麗に・・・と、自賛。

 あいつ がいた頃、殆ど意識することなく暮らしていたが、質素な独り暮らしにどうしてこんなに出るンやと思うゴミ、殆どがDMの類だが。そして積もる埃、呆れて仕舞う。

 その埃だが、大方溜まるところが決まっているよう。
 聊か大袈裟だが、今朝方掃いた、といってもコードレス・クリーナだが。のに夕方にはそれを見つけて腹立たしくなることも。

 ところで、埃の溜まる場所、掃き溜めとは上手く言ったもの、よくもまあ同じところに・・・と、感心する。

 この掃き溜め、“ ごみを集めておく所。ごみすて場 ” (大辞林)の意だそうだが、“ 種々雑多なものが入り込んでいる所 ” という意もあるそうで、昨今のニュースを見聞きし 「なるほどねえ」と頷かされる。

 種々雑多なもののひとつが、真面目に税を納める庶民を嘲笑うようにパナマか何処か知らないが税を逃れる卑劣な輩。

 また、何度もなんども誤魔化して愧じることがない旧財閥系自動車企業の幹部、己のみならず妻子の温泉代から飯代までも太々(ふてぶて)しくも公金にたかる都知事などなど、どれもこれも浅ましく、薄汚くて遣り切れぬ。

 これら連中、よもやばれることはないと高を括ってのこの振る舞い、掃き溜めに鶴ならぬハイエナだね。

 そんな輩に比べれば、部屋に埃が少々溜まってたって 「どうってことないや」 「駄目よ、ちゃんとお掃除しなきゃ!」、へいへい、どれっ、ぼっちら遣るとしますか、お天気も好いことだし。

 夏から秋にかけて咲くという1cmほどの 「トレニア」、和名が 「夏菫」(なつすみれ)、花言葉は “ 愛嬌 ” らしいけど、いけしゃあしゃあと政治改革のためとかなんとか嘯(うそぶ)いて憚らぬ誰かと違って可愛いねえ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1133

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ヴァン・ダイク ‐ 美術史美術館(5)

2016年05月16日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(23)

 美術史美術館、各編短く廻ると言い乍ら 「少し長いよね?」と自省。 
 で、今回は、フランドルの画家ヴァン・ダイク(1599-1641/バロック)をそこそこに短く。

 アントウェルペン、英語名ではアントワープの裕福な商人の息子として生まれた彼、幼い頃から絵心に優れ、アントウェルペンの画家組合に加入した頃には、王の画家にして画家の王と呼ばれた<ルーベンス>(1577-1640/フランドル/バロック)の助手を務めたという。

 彼はイタリア滞在時代に、盛期ルネサンス・ヴェネツィア派の巨匠で鮮やかな色彩の画風から “ 色彩の錬金術 ” とまで呼ばれた<ティツィアーノ>(1488-1576)の作品から、大きな影響を受けたとされている。

 そのヴァン・ダイクの長い題の 「皇帝テオドシウスの教会進入を拒む聖アンブロシウス」(上)が今回の作品。

 主題は、初期キリスト教時代、ギリシャのテッサロニーキで享楽に明け暮れる市民の遊興のひとつ繋駕(けいが)、馬が牽く一人乗りの二輪馬車に騎手が乗って競走するもの。の人気騎手が犯罪容疑で警察に逮捕されたのを発端にキリスト教徒が暴徒化、行政長官ら大勢を殺害するまでに。

 東西に分裂していたローマ帝国を再統一した皇帝テオドシウス、皇帝自身もキリスト教徒だったとか。は、これに激怒、軍を派遣、大虐殺を命じたためにミラノの大司教聖アンブロシウスが罪を償い悔い改めるまで教会へ入ることを禁じる場面。

 本作は、師ルーベンスの構想をもとにヴァン・ダイクがその大部分を手がけ、最後にルーベンスが仕上げた共作版、第一ヴァージョンとされている。

 ちなみに、ヴァン・ダイクは、作品の全てが自身の手によるものとされる第二ヴァージョン(下)も描いてい、ロンドンのナショナル・ギャラーが所蔵している。

 ふたつを比べれば、背景の教会が構図上大きな位置を占め、教会の権威を強調させたほか、登場人物の髪や髭や服装、小道具や足元の犬など僅かな違いは素人目にも見て取れる。

 解説書には、“ 主対象となる登場人物以外をやや不鮮明に描写することによって、聖アンブロシウスと皇帝テオドシウスを画面内で鮮明に浮き立たせている ” とあったが、そう教えられれば 「そんなもンかな?」と思わないでもない。

 とまれ本作、“ 父なる神の住まう教会の神聖な権威が、皇帝の世俗的な権威や権限に勝利したことを示している ” のだそうだ。ところで、またまた、長くなってしまったかな?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1132

 ※ 「美術史美術館(4) ‐ ホルバイン」へは、<コチラ>からも入れます。

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ホルバイン ‐ 美術史美術館(4)

2016年05月13日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(22)

 変則気味に北方の画家三作品からスタートしたウィーン美術史美術館の旅。
 少し地味だがドイツ・ルネサンスを代表する画家ハンス・ホルバイン(子)(1497-1543)からリスタート。
 ちなみに彼、父親も同姓同名の画家だったので(子)と称されている。

 1532年、ドイツのライン河畔の町バーゼルを出て英国に渡り、同地のドイツ商人の肖像を描いていたホルバイン、36年、39歳の時にイングランド王<ヘンリー8世>の宮廷画家として召し抱えられた経歴を持つ。

 彼の作品は、使節としてロンドンに駐在するフランスの貴族たちを描いた肖像画、傑作 「<大使たち>」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)を投稿したので覚えておられる方もあると思う。

 その彼の 「ジェーン・シーモアの肖像」(上)が今回の作品。

 彼の初期の作品のひとつとされる本作、感情を排した宮廷肖像画の典型とされている。
 決して美人ではないものの固く口を結び、思慮深くじっと前方を見据える色白の女性は、宮廷の女官からそのヘンリー8世の三人目の妃となったジェーン・シーモア。

 余談だが、宮廷お抱え画家ホルバイン、「ヘンリー8世の肖像」(下/マドリード・<ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵>)も何作か描いている。 

 そのヘンリー8世がローマ・カトリックと袂を別ち、聖公会、アングリカン・チャーチを創るきっかけとなったアン・ブーリンとの再婚騒動。

 すったもんだの末二人目の妃の座を得たブーリンだが、美人の通弊か贅沢を好み浪費を重ねるうえに男子の世継ぎは産めずで、王の寵愛を失うのも早かった。
 なんと二年後には、国王暗殺や不義密通の容疑で反逆罪に問われ、処刑されてしまったというからアングロ・サクソン人も怖い。

 で、三番目の妃となるのが、最初の妃キャサリン・オブ・アラゴンとブーリンの侍女で、ブーリンの又従姉妹だったシーモア。

 その彼女、翌年に次のイングランド王エドワード6世を晴れて出産したものの、その月のうちにあっけなく産褥死したとされているらしいんだけど、まさか、それって、ブーリンの祟りじゃないよねえ?

 ところで艶福家ヘンリー8世、待ち望んだ男子を産んでくれたシーモアに感謝感激雨あられ。
 6人もいた妃のなかで唯一人ウィンザー城内の王室霊廟で隣に眠ることを許し、墓碑に “ もう一つの不死鳥に命を与えるために亡くなった不死鳥 ” と讃えたんだって、それほど男の世継ぎが欲しかったんだね、彼。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1131

 ※ 「美術史美術館(3) ‐ フェルメール」へは、<コチラ>からも入れます。

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最近、読書事情

2016年05月11日 | 本/図書館/言葉

 加齢とともに読書が億劫になる、読み易い小説に限ってもだ。
 目が遠くなり根を詰めて字を追うのが捗々しくないうえに堪え性がなくなり、内容に馴染むまで読み進めない、ましてや、徹夜して迄読みたい気分になることなんてまず無理。

 買っても借りても、驚くほど<速読>のあいつ に 「先に読むねと取り上げられるほどの遅読。

 加えて<子守唄代わり>と揶揄されることもしばしば、ほんと催眠剤みたく数ページでうつらうつらの体たらく。
 再度、本を開いても細切れ、面白さを実感するまでにならない悪循環。

 その読書、若い頃は給料も少なく、専ら月刊の 「文学界」(文藝春秋社)や 「新潮」(新潮社)、「群像」(講談社)などの文芸誌を読んでいた。

 文藝春秋社60周年記念の 「芥川賞全集」で、第一回(S10年)石川達三の「蒼氓」から第八十五回(S56年)吉行理恵の「小さな貴婦人」迄を読破、なんてことを試みたのもこの頃だった。

 最近は値段の割に読み返すほどの本も殆どなく、一度読めば唯のゴミ、図書館に持ち込み処分を頼んだことも度々だがそれも聊か億劫、そんなことを考えるとなかなか手が伸びない。
 その図書館で借りる手もあるが、考えることは皆さん同じ、話題書ともなれば<半年や一年待ち>もざら。

 ところが何をとち狂ったか、ここ何年か話題の本屋大賞の16年度版を読んでみよう、と思ってしまった。
 で、手始めに大賞の 「羊と鋼の森」(宮下奈都/文藝春秋)、第二位の 「君の膵臓をたべたい」(住野よる/双葉社)、第五位の 「朝が来る」(辻村深月/文藝春秋)を買った。

 買ったものの未読の第十位の 「火花」(又吉直樹/雑誌・文藝春秋)を加えると今手元に四冊が待っている。
 加えて、20頁ほども読んだものの詰まんなくて積んだままの 「田園発港行き自転車」(宮本輝/集英社)と手つかずの 「太陽の刺」(原田マハ/文藝春秋)が埃を被って待っている。

 それでなくとも自転車や散歩の折、ズボンの後ろポケットに突っこんで持ち歩いている 「司法取引」(ジョン・グリシャム/新潮文庫)、ようよう上巻を読み終え、下巻もカバーが擦り切れるほどに持て余しているのに。

 そんなことで何時か、“ 読書感想文 ” でも投稿できればいいのだけれど、はて、どうなりますことやら?

 本を買った帰り道、今時珍しい町のクリーニング屋さんの軒下に 「クレマチス」、花弁が六枚だから 「鉄線」が咲いていた。
 鉄線と言えば、あいつが茶花として大切に育てていた 「<風車>」、薄紫の花を咲かせたあの日を想う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1130

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フェルメール ‐ 美術史美術館(3)

2016年05月09日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(21)

 ウィーン美術史美術館が誇る北方の名画三作品。
 三回目はオランダ絵画黄金期を代表するヨハネス・フェルメール(1632-1675)の 「絵画芸術」。
 ただ、残念だったのは本作、アムステルダムに出張中だったこと。

 この年(08年)の夏、東京で六点を集めた 「<フェルメール展>」が開催、集められた作品の殆どを見ながらも、わざわざ東京まで出かけたカタリナ にしてみれば憤懣やるかたない気持のよう、「こんなこともあるよ」と慰めるが 「なんということ!」と落胆を隠せない。

 で、講釈師、見てきたように嘘をいい・・・じゃないが、足早に回る。

 主題は、ギリシャ神話に登場する九柱(きゅうはしら)の文芸の女神たちの一柱(人)クリオ。
 その典拠は、1644年にオランダ語に翻訳され出版されたチェーザレ・リーバ(1560-1622/イタリア)の 「イコノロギア」とか。

 そこにクリオを、“ 右手にトランペット、左手に書物を持ち月桂冠を被った娘 ” (下:部分)と記されているのだそうだ。

 ちなみに 「イコノロギア」とは、16世紀から17世紀に欧州で発達した特殊な図解入り寓意(詩)画集のことらしい。

 アトリエを描いた風俗画にも取れる本作だが、彼はそこかしこに歴史、過去を象徴する小道具、つまり寓意を散りばめている。

 その寓意とは、クリオをはじめ、シャンデリアの16世紀までオランダを支配したハプスブルグ家の紋章、壁の海洋国オランダの繁栄を示す地図、真実を見せるための開かれた幕などである。

 ところでその寓意のひとつが、ベレー帽を被り背中を見せる長髪の画家、恐らくフェルメールとされている。
 それは 「<娼婦 ‐ 取り持ち女>」(アルテ・マイスター蔵)の画面の左端で、左手にコップを持ちにやりと笑いを浮かべている男の風変わりな衣装に似ているゆえに他ならないようだ。

 そんな豆知識を仕入れ臨んだだけに、ダ・ヴィンチ(1452-1519 )の 「<受胎告知>」(ウフィツィ美術館蔵)やパウル・クレー(1879-1940)の 「<金色の魚>」(ハンブルク市立美術館蔵)など、本来架っているべき場所に小さな不在票が貼ってあったりする時は、カタリナならずともがっかりさせられてしまう。 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1129

 ※ 「美術史美術館(2) ‐ デューラー」へは、<コチラ>からも入れます。

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