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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

感謝 ‐ 4月がゆく

2011年04月29日 | 季節/暦

 わらべたち>で紹介した、お人形作者でお茶のお仲間でもあるHさん、「駅の階段で残り一段を踏み外し、靭帯を痛めてしまったの」と、電話の向こうで話される。
 彼女に限らず、転んだり滑ったりが思いのほか大事になることが多く、「お大事に」と電話を切った。

 Photo_3通のお仲間のMさん、そのことを知り、日頃キャリーバックを引っぱりバタバタと動く私を心配して、嬉しくも転ばぬ先の杖ならぬ “ 転ばないお守り ” を作って下さった。

 毛糸で編んだ赤と白の袋には、小さな花がついている。
 中には小豆が二粒入っているとのこと、「まめまめしく元気にと言うことかな?」 と、勝手に解釈している。

 そうなんだ、Mさん、こうした小さな細工物、玄人跣(はだし)と言うよりプロの域。

 2_21_5籠の丸い玉は、正月に松に餅花のように付けてドアに飾る。
 端切れなどで作られていて、小さな鈴が付いているのでチリンチリンと可愛く鳴る。

 梅も、桜も、桃も、花の頃に電車からしか眺められない私に、「ゆっくり楽しんで」と作って下さった。
 ちりめん細工の “ 自称サッチャン ” と呼ぶ椿の花、キャリーに付け、お守りと名札代わりにしている。

 1_2話は少しそれるが、朝日の連載漫画「ののちゃん」に登場するサッチャン。
 ののちゃんのおじさんのお孫さんで相当の悪ちび、ののちゃんちの犬のポチが、サッチャンの顔を見ただけで、尾っぽを巻いてすごすごと犬小屋に逃げ込むほど。
 誰かに、「あんたがモデル?と揶揄されるほど、「小さい頃の私に似ていて可笑しい。

 話は戻って、七夕の短冊、風車、提灯、輪っかつづりなども。
 花も餅花も短冊も可愛い、“ 和のオーナメント ”、丁寧なお心遣いに感謝のほかない。

 彼女の作品、「お店に並べても!と皆さん太鼓判を押されるのだが、手仕事が好きな当のご本人、ニコニコ笑いながら愛をどっさりと詰めておられる。

ブログ、皆様に支えられて25日で満2年、<酒とバラの日々>から旅を重ねて319回、思えば遠くへ・・・の心持、しないでもない。

 1_4Photo_9 西国八十八箇所のお遍路ではないが、遠藤周作の「<沈黙>」の舞台となった長崎の大村や西彼(せいひ)、足を伸ばして五島など、“ そこにあるすべての道が小さな名もなき教会へと続く佇まい ” を、巡礼できればと願っているのだが・・・。

 その巡礼、「遅れる!とあたふたとキャリーを引っ張り飛び出す彼女の姿に、 「こりゃ、無理や!と、早くも諦めムード。

 キャリーで小さく揺れる、 “ サッチャンこと椿の花 を見送りながら、「恵み、あらたかならんことをと願う日々である。

少し長くなりましたが、拙文にアクセス頂く皆様に、心から感謝申し上げます。
 自粛模様のなかでゴールデン・ウィークが始まりましたが、様々な思いを残し、卯月・4月はゆくようです。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.319

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いじわる ‐ 高知行

2011年04月27日 | 小さな旅/駅

 手の甲じゃなく、親指と人差し指で涙を拭う。
 傍らでしきりに溢れる涙を拭っていて、目を悪くするからとハンカチを差し出すと、「いらないの!と拒む。

 昨年のこと、誕生日のプレゼントに、小1には少し早いかと思いつつも英語の本を、と電話したところ、R 君、「○曜日と○曜日はスイミング、英語している時間多分ないと思うよ」と、婉曲に断る。

 その上で、ラジコン飛行機が欲Photoしいと言い、ラジコンする時間はあるの? の問いに「休みの日に」と、少し矛盾していることに気づかない。
 飛行機は危ないから車では? と言うと、「うん!」と嬉しそうな返事が返ってきた。

 そして、先だっての高知行、そのラジコンカーを見せたくてたまらなかったらしく、「明日しようね」と眠りについた。

 次の日の公園、彼は得意気に車を走らせて見せる。
 途中、弟の I 君が、「僕もしたい」と催促、貸してあげてと言うと、日曜日にもその前の日にも貸したと言う。

 何度かそんなやり取りがあって、そんな意地悪をするのなら I 君に新しいラジコンカーをプレゼントすると言うと、彼は、「同じのだったらいい」と反論する。
 それでつい、「新しいのは馬力が強く、坂も楽々越えると思うよ」と言ってしまった。
 彼の車は急坂に弱く、少しもどかしく思っていたらしく、「なんで、馬力の強いのを買うなんて言うの!」と、冒頭の場面になった。

 カタリナに、「地悪な言葉は、他人のPhoto_2痛みが分からない子になるよ」と諌められ、「ご尤も・・・」と返す言葉もない。
 弟に少しの時間貸した彼、悔しさが納まらないのだろう涙が止まらない、カタリナが宥めるが、「じいじいとは一生口利かないから」とまで言う。

 後日、カタリナが R 君に手紙を出したところ電話があった。
 手紙に、“ じいじいが意地悪をしてごめんと謝っている ” と書いたらしく、それに答えて、「今までで、あんな意地悪されたのは始めて」と言い、その後、キャハハと大笑いしたそうだ。

 その電話で、カタリナ、「張ったね」と褒めている様子。
 電話を変わって訊ねると、「ボーイスカウトの募金ね、14万円も集まったんだよ」と、向こう側で声が弾んだ。
 
Peter & Catherine’s Travel Tour No.318

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また・閑話休題 ‐ ラファエロの恋

2011年04月24日 |  ∟イタリアの美術館

 パラティーナ美術館にひっそりと架かる一枚の絵。
 それは、ラファエロ・サンティ、「ヴェールを被る婦人の肖像 」。

 この絵にまつわる悲しい話は、ローマは下町の<トラステベレ>、ファルネジーナ荘から始まる。

  後60年、ラファエロの遺品から一枚の裸婦像が見つかった

 11_221_3ラファエロは、何ゆえこのような裸婦像を描いたのだろうか?

  描かれていたのはトラステベレに住むパン屋の娘、
 ラファエロの恋人でフォルナリーナと呼ばれていた
  当時彼は、ファルネジーナ宮殿で仕事をしていて、
 パン屋で働く彼女を知り激しい恋に落ちた

  彼は、愛する妻としてフォルナリーナを、当時、人
 妻であることを意味する、ターバンを巻く女性に描く

 その絵とは、ローマ国立美術館が所蔵する、「若い婦人の肖像 = ラ・フォルナリーナ」(右列)。

 ラファエロは世を去る4年前、ひとりの女性の肖像、「ヴェールを被る婦人の肖像 = ラ・ヴェラータ(左列)を発表する。

12_322_2  そのヴェラータから衣装を剥がすと、寸分違わぬ
 裸
体の、同じ髪飾りをつけたフォルナリーナになる
  彼は、美しいフォルナリーナを、
どうしても妻にした
 かった

1323  しかし、想いを込めたフォルナリーナの裸体は、秘
 密にしなければならない

  狂おしいまでの想いが、身代わりとして「ラ・ヴェ
 ラータ」を描かせたのだ

1424  自らの名前を 「ラ・フォルナリーナ」の腕輪に、
 “ この女性はウルビーノのラファエロの妻 ” と刻印、
 人の目に触れないように封印する

 ラファエロは、奇しくも37歳の誕生日に世を去ったとされ、その亡骸はローマの<パンティオン>に埋葬された。

  フォルナリーナ、本名マルゲリータ・ルーティは、その葬儀への参列さえ許されなかったという
  葬儀の翌日、ラファエロの妻を名乗る女性が修道院の門を叩いた
  修道女への道を選んだマルゲリータ・ルーティ、フォルナリーナその人だった (美の巨人たちから)

 ラファエロは 「ラ・フォルナリーナ」に非売の署名  “ E I ” を入れ(右列最上段の右下隅)、終生手放さなかったと言う。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.317

コメント (2)
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パラティーナ美術館 ‐ フィレンツェ

2011年04月22日 |  ∟イタリアの美術館

 盛期ルネッサンスの三巨人のひとりラファエロ・サンティ。
 彼の作品を11点も所蔵しているパラティーナ美術館だが、その11点もの絵、ご親切にまとまって架かっている訳ではない。

 Photo_6壁に無造作に架けられた沢山の絵の中から、探し出すという、「お楽しみ?まで用意してくれている。
 何室か過ぎるうちに、「あれもそうじゃない?などと、本当に楽しく?? 遊べるのだが・・・。

 画題を挙げれば、「勇気ある聖母」「インバナータの聖母」「大公の聖母」「椅子の聖母」と、聖母子とつくものだけで4点もあり、“ 聖母子の画家 ” に恥じない? ラインアップ。

 8歳にして母を亡くしたラファエロ。
 多感な年齢ゆえに母への思いも強かったらしく、30年余りの短い生涯のなかで、30点にもなろうかという聖母子像を描いたとされている。

 トスカーナ大公フェルディナント3世が、片時も手放すことがないほど愛したことから、こう呼ばれるようになった「大公の聖母」(写真上)。

 街で子を抱く母親の傍らに子供が立つ光景に出会い、それを、近くに捨ててあった古いワインの樽の蓋に描いた、という逸話が残るトンド(円)形式の「椅子の聖母」(写真下)。

 Photo_4背景が描きこまれることが多い彼の「聖母子像」、どちらの絵も、漆黒の背景に聖母マリアが際立つ美しさを湛える。

 これらの聖母子像の前に立つと、無原罪のマリアの儚い美しさと悲しさ、そして、わが子を慈しむ母の愛が、「いくら無骨なペトロと雖もやね」感じ取れるような気がするから不思議?

 勿論、ラァエロだけじゃないパラティーナ美術館。
 盛期ルネサンス ヴェネツィア派の画家ティツィアーノの「悔悛するマグダラのマリア」、バロックの鬼才カラヴァッジョ「眠るキューピッド」など、綺羅星のごとく傑作が架かる。

 ウフィツィ美術館の後編、“ ルネッサンスの巨人たち ” で、彼の「鶸(ひわ)の聖母」やミケランジェロ「聖家族」などとともに採りあげたい。

 話をラファエロに戻して、ここには彼の傑作、「ヴェールを被る婦人の肖像 = ラ・ヴェラータ」も架かる。
 この、「ラ・ヴェラータ」にまつわる 《 悲恋の物語 》、少し長くなるので次回に。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.316

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立ち上がる国

2011年04月20日 | 日記

 4月12日(火)朝日新聞のコラム「音楽展望」。
 この国の数少ない知性、吉田秀和氏が、音楽のみならず文学や美術など、幅広いジャンルにわたり連載されているコラムである。
 何しろ1913年、大正2年生まれ、白寿というご高齢のため連載は年に数回だが、毎回、楽しみに読んでおられる方も多いと思う。

 そのコラム、「立ち上がる国 ‐ 苦難のときこそ 無償の愛」。

 Photo_745年の3月、まわりの誰彼がつぎつぎ招集されているのに、なぜ来ないのか不思議に思っていた氏の元に赤紙が届く。
 東京から車を乗り継ぎ大阪城に辿り着き、何時間も待って身体検査を受けたものの、「お前は身体薄弱、即日帰郷!を言い渡される。

 名も知らぬ人から無償の援助を受けながら、ようよう東京近くまで帰ったものの、汽車は、横浜を過ぎ、鶴見川崎あたりから動いたり停まったりになり、そのうち大森の辺で長く動かなくなる。
 以下、氏のコラムをまま引用する。
窓から首を出して見れば、向こうから真っ黒に煤けた蒲団か何かを頭からかぶった人の群れが
〈 三々五々線路伝いにこちらの方に歩いてくる。
〈 その数がだんだん増えて、大きな集団になった。たまたま、三月十日の東京大空襲で被災した
〈 人々とぶつかったらしい。
〈 巨大な夜襲を受けて家を失い、家族親戚知人らとはぐれ、
〈 途方にくれたまま西に向かって歩いてくる人々。
〈 その数がみるみるPhoto_8ふくれ上がって黒い大きな影のようにな
〈 る。何とも恐ろしい光景であった。(中略)

〈 この東京大空襲のあと、半年も経たないうち、日本は降伏。
〈 やっと戦争が終わった。                                           〈 思えば私たち日本人、その後もつぎつぎ大きな災害、苦難
〈 に襲われ、その都度厳しい状況を克服、立ち上がってきた
〈 のだった。
日本はそういう国なんだ。偉いものだと思う。                                                                                 〈 しかし、よくよく考えてみると、このうちの一体何割が人災だ
〈 ったのだろう。

 今週の朝日歌壇 わが町はチェルノブイリとなり果てし帰るあてなき避難民となる (福島県・半杭蛍子さん/高野公彦氏選)
 
国は、 “ フクシマ ” を、最高の “ レベル7 ” に引き上げた。人災は塗炭の苦しみを果てもなく与える。

 紙で作ったようなポ「ピー」と、カタリナ が丹精込めて育てた「ラン」。
 「
今年も花を咲かせてくれた」と喜ぶ。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.315

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顔?

2011年04月18日 | 日記

 事件や事故が起きる度に、お詫び会見なるものが行われるようになって久しい。
 十派ひとからげにお詫びすれば、センセーショナルな扱いも避けられるかも? との思惑も透けて見える。
 その謝罪会見、カメラの前で平身低頭する人、ひと頃に比べ、万事そつなく人相も良くなったよう・・・・・。

 ペトロ も現役時代、図らずもフラッシュを浴びた経験が一度ある。

 Photo何せ、カタリナ からさえも、「<鬼瓦さん>」と褒めて? 貰うご面相ゆえ、差し詰め、農民を困らせる悪代官のように見えたのではと、今も汗顔である。

 顔と言えば、米国の大統領リンカーン、支援者が閣僚に推薦する人物の顔が嫌いだからと断わったという逸話が残る。

 明治の文豪森鴎外は、人は生まれたままの顔で死んでいくのは恥と喝破、評論家大宅壮一は、男の顔は履歴書と至言。
 また、何某か知らぬが、政治家の顔は領収書、女の顔は請求書とも揶揄。

 要するに男たる者、四十過ぎれば  “ 自分の顔に責任がある ” らしい。
 顔に限らず人様に偉そうに言える立場ではないが、政治家のご面相、与野党限らず  “ つるん ” としていて得体の知れぬ鵺(ぬえ)のよう。

 Photo_2なかんずく、地元岩手が大震災に遭いながらも、久しく鳴りを潜めていた与党・民主党の元代表、政府の対応の拙さを理由に、同じ穴の狢を集め倒閣運動を起こすと息巻いている、と14日の朝日は報じる。

 震災直後の一番辛い時に、手を差し伸べることもなく洞ヶ峠を決め込み、巨額の復興予算という金の匂いが漂い始めると、気もそぞろに体が蠢くようだ、と言えば穿ち過ぎ?

 眼がキョロキョロと定まらぬ貧相の菅さん、「一刻も早く退陣」は同感だが、油たぎったその岩手の元代表や長崎選出の参院議長がそれを言うのは厚顔というもの。

 それに比べれば、「鬼瓦? おおきに結構!と可愛く? も開き直るのである。
 清流仁淀川の石くれの隙間、“ 大根花 ” だろうか、かそけき野辺の花が愛おしい。それを小耳にした誰かさん、「顔に似合わないことを!」「ふん」。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.314

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上巳の茶事

2011年04月16日 | 茶事/茶会

 今頃、“ 上巳、雛の節句の茶事 ” のことなど、六日の菖蒲、十日の菊だと笑われそう。
 3月21日は、Mさん宅で茶事の勉強会。

 後で知ったのだが、その日、Mさんは体調を崩されていたよう。
 ご家族の方が、「大丈夫なの?と心配され、ご子息が代わって掃除をして下さったとか、有難うございました。

 Photo_29 Photo_30

 そんな中、Mさんは何時もどおりの、やさしい笑顔で迎えて下さった。
 以前、<長月の茶事>でも紹介したが、バスルームに上手に工夫された蹲(つくばい)、この日は桜が咲いていた。

 香合は卯(うさぎ)、会記と献立記は何時もお世話になるAさん。
 献立記に添えて下さった雛が可愛い。

 Photo_3 Photo_5 

 雛の祭りの定番の蛤は真薯仕立て、もともとお料理の上手なMさん、一層、腕に磨きがかかったよう、とても美味しく頂いた。

 小豆が手に入ったからと、主菓子にぜんざいを作って下さった。
 器のお椀は、Mさんのご結婚の時の引き出物、美味しくて、およばれに夢中になり写真を撮るのを忘れてしまった。
 相変わらずのピンボケ写真でごめんなさい。

 床の軸は、「蓬莱不老仙」 不老長生、平穏無事を言祝ぐ句と聞く。 

 Photo_33 Photo_38                                                                     

 向付けの器、汲出し椀も洋風、花入れはハート型のヴェネチアャン・グラス、乙女椿が清楚。

 年はいっても “ お雛祭り ” は女の子の祭り。
 雛壇の前でちょぴりお澄ましをした、遠い昔を想い出したひと時だった。       

 Photo_6

 Mさんの発案で、この勉強会の会費、東北大震災で被災された方々へ心ばかりのお見舞に。
 心静かに一服の茶を喫する喜びに感謝して。 (
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.313

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続・過越の聖なる三日 ‐ ごめんなさい

2011年04月14日 | 聖堂/教会/聖書

 聖木曜日のミサ(礼拝)の先唱(司会)奉仕と洗足式を仰せつかった。

 洗足式とは、<最後の晩餐>でイエスが12人の<弟子たちの足を洗い>、“ 主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない ” (ヨハネの福音書13章1‐17・新共同訳)と命じた聖句に倣い、12人の弟子に見立てた信者の足を、神父が洗う儀式のこと。

 Photo_4泥や土埃にまみれ最も汚れるのが足とされた昔、汚れ、即ち罪を贖うため、最後の晩餐の前に弟子の足を洗うことでイエスの使命は達成した(新訳聖書略解・新共同訳)とされている。

 何を隠そうその時、水虫に悩まされていた。
 でも、式の直前に綺麗に足を洗い、新しい靴下に履き直せばさして問題もないのではと軽率にも判断。

 さて、ミサも進み洗足式の場面、先唱のペトロ、「神父様から足を洗って頂く方は、祭壇に腰掛けお待ち下さい」とアナウンス、自身も最後尾で靴下を脱いで待った。

 ペトロの番になって神父様、足を洗い白いタオルで拭い、その後おもむろに足の甲に唇を寄せられるではないか?
 えっ、なに?と思う間もあらばこそ、神父様、「うっ!と息を詰められた。

 Photo_2何ということ、失礼になってはと直前に足を洗った折、即乾性の水虫薬を何時もより多く塗っていたのだ。
 まさか、足の甲に口づけまでイエスに倣ってされるとは!

 大聖年に巡礼を一緒させて頂き、ホテルのロビーで朝からワインをともに飲んだ僕(やつがれ)に免じて、と祈ったのはミサも暫く経ってからのこと。

 フランス語に堪能で大学の教授も兼任されていた神父様、平然とその後のミサを進められたのは言うまでもない。
 一年後に他の教会に転任されたが、今もって申し訳ない気持ちで一杯になる。
 イースター・復活祭が来る度にほろ苦く、罪深い信者をお赦しあらんことをと乞うばかり。

 アートバイブル(日本聖書協会刊)によれば、19世紀の初め、イギリスの画家でラファエル前派の絵画スタイルを受け継いだとされるフォード・マドックス・ブラウンが「ペテロの足を洗うキリスト」という作品を遺している。

 この絵、何年か前にロンドンの<テートブリテン>で、「お目にかかったような?」「何だか頼りないこと」。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.312

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過越の聖なる三日 ‐ 聖木曜日

2011年04月12日 | 聖堂/教会/聖書

 カトリックで一番大切な、レント・四旬節の季節だ。
 桜の頃になると、何年か前の四旬節にあった小さな出来事を思い出す。少し長くなるが、辛抱してお付き合い頂ければ嬉しい。

 イースター・復活祭は、イエスの復活を記念する最も重要な祭日。
 その前の準備期間を四旬節と呼び、イエスが荒れ野で40日間断食をしたことに由来する。

 Photo_5復活祭に洗礼を受ける入信志願者の直前の準備期間で、既に洗礼を受けた者も、この期間を通して節制と回心に努める大切な期間でもある。

 その四旬節、今年も3月9日の “ 灰の金曜日 ” から始まった。
 この日は、食事を僅かだけ摂ることが許される “ 大斎・小斎 ” の日でもある。

 Photo_6その四旬節を締め括る、“ 過越の聖なる三日間 ” は、受難と十字架を通して死から生命へ移られるイエスの過越の神秘を祝う三日間として、カトリックの典礼の頂点となる祝祭の行事。

 今年は4月21日がその初日の聖木曜日で、キリストが、聖体やミサ聖祭などの秘跡を制定した “<最後の晩餐>” の記念を行い、“ 洗足式 ” と “ 聖体安置式 ” が行われる。

 二日目の聖金曜日は、イエスの死を黙想、十字架の勝利を賛美するために十字架の顕示の後に “ 十字架の礼拝式 ” が行われる。

 三日目の聖土曜日は “ 復活の聖なる徹夜祭 ” 、参列者は灯りをともして主の帰り “ 復活 ” を夜を徹して待つ大切な日だ。

 ところで、七年近くも前、主日ミサ(日曜礼拝)の先唱(司会)奉仕していた頃のこと。
 洗礼に際して代父、信仰保証人のような人をして頂いたSさんから、「聖木曜日の先唱を」と仰せつかった。

 Photo_4奉仕は主の声、嬉しくお引き受けしたのだが、その際、「典礼の中で主任神父様が、12人の方の足を洗って下さいますので、その中の一人も」と依頼された。
 迂闊にも余り深く考えず頷いたのが、今なおほろ苦く感じる出来事の始まりだった。

 盛期ルネサンス、ヴェネツィアで活躍したティントレット、大きな絵を描くのが得意? な彼、「弟子の足を洗うイエス」(写真上/中:部分)など、多くの聖書場面を描いている。

 この、「弟子の足を洗うイエス」も、210 x 533 cm というでかさ! プラド美術館のイタリア絵画の部屋にある。

 東北大震災からこの10日の日曜で1月経ったが、その爪あとは深い。
 10時のミサへの途中、夙川公園の桜の下は多くの人が早々と場所を確保、「
平穏な日常っていいね!
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.311

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Before after

2011年04月10日 | 日記

 カタリナ ともども、薬を処方して貰うのが近くの<診療所 >のA先生。
 ある日の先生、首を傾げて思案顔、やがておもむろに、「日頃どんな物を食べてるの?」と訊く。

 呆れるほど長く待たされたこともあり、「カタリナに聞いて貰わないとと大人気ない返事をしてしまった。
 温厚な女医先生、「そうね、奥様に訊ねるわね」とその場を引き取られた。

 自称、 “ 自己管理不全症候群 ” のペトロ、高血圧と高脂血の薬を常飲している。
 副作用や依存症になるのを嫌っていたが、この歳になって副作用もないだろうし、何より若い頃からの高血圧で、自覚症状が全くないのが怖くなった。

 Photo突然死ならば万々歳だが、我侭者のペトロ、病き(いたつき)の身になって身内を困らせてはと、思ったのが服用を決めた理由。

 お陰様で? 血圧は、140 - 80と中どころ? で安定しているのだが、問題は高脂血。
 今は、脂質異常症と呼ぶらしいこの症状、早い話が高コレステロール症のことらしく、脳卒中とか糖尿病などの素? らしい。

 薬の服用に併せ、食生活の改善や運動の習慣化などにより改善されるらしいのだが、採血の結果が捗々しくないことから冒頭の質問になった。

 翌月のこと、満を持したように、「聞いたわよ、スナック菓子を食べてるんだって!とお冠りの体、「えっ、そんなことまで喋った?と非難めく顔を見つめ、「奥様にしてみりゃ、食事の所為にされちゃね」と追い討ち。

 それ以来、普段から丁寧に話される先生、月に一度のPhoto_2診察の度に、心なしか一層丁寧に、「まだ、食べていらっしゃるの?と訊かれるのが挨拶代わりになってしまった。

 いまいましくもあり改善してやると思う一方、やれ運動だ、やれ節食だなんて、この歳になってまでやることかい? というへそ曲り、「さて、どうすべえ?と、思案投げ首に傍らのかりんとうの缶につい手が伸びる?

 あたかも季節は、二十四節気のひとつ “ 清明 ”(せいめい)。
 暦便覧に、万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也、とあるらしい。

 TV番組 Before after ではないが、わが血、劇的にして清浄明潔に改造されるは何時のことならんや。

 「花蘇芳」(写真上)、赤紫の小豆のような蕾が沢山固まり、中には今にも弾けそうなのも。
 「ムスカリ」(写真下)、葡萄似ゆえ「グレープヒヤシンス」とも呼ぶらしい、納得!
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.310

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