ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

手 ‐ 1月がゆく

2014年01月31日 | 季節/暦

 随分と昔のこと、季節は冬、寒い頃だった。
 湯上がりに紙を小さく千切っては火鉢にかざし、炙って指に貼っていた母、聞けば膏薬だと言う。

 電化製品はと言えば、雑音交じりに聞こえるラジオぐらいのもの。
 ましてや、蛇口を捻ると湯が出る生活なんて思いも拠らない時代のこと、農作業や家事で、さぞかし手を酷使したのだろうと思う。
 毎年この季節になれば、随分と手を荒らし真っ黒な膏薬を千切っては炙り、貼っていたのを覚えている。

 そA_2んな時代背景を歌ったのが「母さんの歌」。
 都会に出た子が田舎に暮らす母を思い遣る歌だが、その三番に、♪ かあさんのあかぎれ痛い生みそをすりこむ(作詞:窪田聡)という歌詞があって、当時、田舎で暮らす人は程度の差はあれ荒れた手をしていたのだろうと思う。

 こんな話を持ち出したのは他でもない。
 ペトロ の手、油抜けのカサカサでぱっくり割れ、その頃の母までいかないにしても随分と荒れた手になった。
 食後の片付け、食洗器使うほどの嵩でもなく、洗剤と湯を使う所為に加えて栄養失調でもあるんだろうと思う。

 話B_2がそれるが、手と言えば現役時代、お付き合いで、あるいは率先して、どちらかと言えば後者の方が多い? 行ったスナックなどで、ママさんと称される職業婦人から、「あらっ、綺麗な手」なんて褒められたことを思い出す。

 それらご婦人、客に褒める所がなければ手を褒めるなんて接客マニュアルがあったらしい。
 今時そんな手練が残っているのか、その手の店に頓に無沙汰なので知らないが。

 それは兎も角、あかぎれだらけの我が手をつらつら眺め、これじゃデューラー(1471-1528/ドイツ/ルネサンス)描くところの「祈りの手」ではないか、とぼやくと、「頑張っているのは褒めてあげるけれど、それはないんじゃない」と笑い転げるカタリナ の声が聞こえた。

 少し堪えた長い睦月・一月、明ければ節分に立春。
 だが、寒さはこれからが本番、今しばらく手荒れが続くンだろうなあ。
 芸がないが、毎年この時期なると登場する「沈丁花」と雨に打たれた「葉牡丹」。
  Peter & Catherine’s Travel. Tour No.760

 PS : 「祈りの手」にまつわる逸話は、<コチラ>から当該ページにお入り下さい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

顧て ‐ ミケランジェロ展(7)

2014年01月24日 | 想い出のカタリナ

 顧みて東京行、カタリナ は満足したのだろうか、思いは果たせたのだろうか?
 そんなにも遠くない将来、彼女の傍に行くので聞いてみたいと思う。

 イエス様の御許で、「そんなこと、もう忘れちゃった」と笑って答えないかも知れない。
 賢い彼女のこと、越し方の諸事(こと)に拘りを持たないことは承知で、重ねて訊ねてみたい、「ほんとうに、あれでよかったの」と。

 イタリア盛期ルネッサンスの巨人ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)。

 B2_2B1_2彼女が、彼の作品に初めて出会ったのは、サン・ピエトロ大聖堂の 「ピエタ」だったと思う。
 大理石から紡ぎだされたとは到底信じ難い気高い愛、子を思う母の深い悲しみに声もなく魅入られていたこと、今もありありと目に残っている。

 それから幾つの彼の傑作に出会っただろう、ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ロンドンなど、幾つの美術館を訪ねただろう。
 システィーナ礼拝堂の 天井画 「天地創造画」、壁画 「最後の審判」に息を呑み、ローマのヴィンコリ教会の 「モーゼ」とフィレンツェのアカデミア美術館の 「ダヴィデ」に圧倒され、ウフィッツイ美術館では彼が描いた唯一のタブロー画 「トンド・ドーニ」に心を奪われた。

 それらに比べれば、この展覧会にそれら作品群に優るものはないことは確か。
 が、数多の芸術家の中で彼女が一番愛したミケランジェロ。
 その彼の、名は知られていないが作品に囲まれ、彼女にとって至上無二の芸術家を訪ねる旅の終止符を、最後の力を振り絞って自らが打ったことに意義があったのでは、と思っている。

 まA_2たそれは、好敵手ダ・ヴィンチでもラファエロでもなく、ましてや生意気デューラーでも、バロック期の巨人にして無頼のカラヴァッジョでも、光と影の魔術師レンブラントでもなく、紛れもなく彼女が愛して已まなかったミケランジェロであったことに意味があるのだとも。

 七回にわたっての “ 天才の軌跡 ‐ ミケランジェロ展 ”。

 このシリーズの冒頭、<計画 ‐ ミケランジェロ展(1)>(11/20)で、“ 彼女が何を以ってそこまで思い拘ったのか? そこから何を、どのように感じとって頂くかは読まれた方にお任せしたい ” と書いた。
 拙文から彼女の生き様、彼女が拘ったことについて、どのように感じ取って頂いただろうか?

 カタリナが逝く二月足らず前、彼女と家族の願い、望みを叶えるために、ガラシアのM先生や看護師さん、M神父様など、多くの方からご支援を賜った。
 故人ともども心から感謝しこの連載を終えたい。ありがとうございました。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.759

 ※ 「想い出のカタリナ - ミケランジェロ展(6)」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

観賞 ‐ ミケランジェロ展(6)

2014年01月22日 | 想い出のカタリナ

 カタリナ、多くの方の支援と励ましを受けて、今、東京にいる。
 その二日目、Tホテルの窓から見える皇居周辺は、初秋の柔らかい日差しを受けて穏やかに見えた。

 彼女が拘った “ 天才の軌跡 ‐ ミケランジェロ展 ”、そのプレミアム鑑賞会は、一般公開が終った後一旦閉館、夕方18時から入場者を300名に限定して始まる。

 会A_3場の国立西洋美術館、松方コレクションをベースに開館した愛称「西美」(せいび)は、近代建築の三大巨匠のひとりと称されるル・コルビュジエ(1887-1965/フランス)が本館を設計したと聞く。
 庭に彫刻家ロダン(1840-1917/フランス)の傑作「考える人」「カレーの市民」などが並ぶことでも知られている。

 15世紀から16世紀にかけフィレンツェを中心に花開いた盛期ルネッサンス。
 ダ・ヴィンチ(1452-1519 )と並び巨人とも巨匠とも称されるミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)。

 主催者に拠れば、“ この展覧会は 「神のごとき」と称されたその彼の創造の軌跡とその波紋を、コレクションを引き継ぐ子孫のカーサ・ブオナローティの所蔵品によって紹介 ” とある。

 が、その彼の輝かしい業績を改めて書く必要はないだろう。
 ここでは、カタリナの車椅子を押しながら観賞したなかで、印象に残った作品について紹介するに留めたい。

 まBb_2Ba_2ず、やはりこの作品を最初にあげるべきだろう。
 それは、彼が15歳前後で制作したとされる大理石浮き彫りによる傑作 「階段の聖母」(左)。
 恐るべし、彼26歳の大傑作サン・ピエトロ大聖堂の 「<ピエタ>」、それを遡ること10年とはまさに天才である。

 次いで、最晩年の木彫 「キリスト磔刑」(右)。
 これはアカデミア美術館に展示する未完の彫像 「奴隷像」 「聖マタイ」やミラノのスフォルツァ城に置かれた遺作 「<ロンダニーニのピエタ>」に繋がる作品だと思う。

 展示室に入って小一時間、もっと短い時間だったかも知れない、「連れて帰ってくれる」と小さく呟く。
 大急ぎで待たせていた介護タクシー乗せたが、口には出さないもののかなり辛かったのだろうと思う。

 ガラシアを出てから以降、有るか無きかの笑みしか覗かせないカタリナ、その胸に去来するものは?
 私たち家族もまた、それぞれが自分の胸に何かを問いかける、問いかけなければならない東京行だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.758

 ※ 「想い出のカタリナ - ミケランジェロ展(5)」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実行 ‐ ミケランジェロ展(5)

2014年01月20日 | 想い出のカタリナ

 病院を出発する時は看護師さんたちに、にこやかに「行ってきます」と笑顔を覘かせたが、以降、眦を決すると言うのだろうか、かたく口を結び前方を見据えている。

 途中、新丹那トンネルで、M 先生の仰有っていた気圧の変化、新幹線でこれだから飛行機では押して知るべしか。のためか少し辛そうな様子を見せたが、兎にも角にも東京までは耐えてくれた。

 幾度も、最終判断はペトロ がすると念を押した。
 都度、「いいよ」と明るく答えるものの、“ 気持ちは変わらないからね ” との強い意志は受け続けていた。

 カタリナ が何ゆえそこまで拘ったのか、最後まで口にしなかった。
 今になればだが、“ その日までは生きる ” と決め、そして、それを目印とした以上、“ なんとしても実行しなければ ” と、思ったのだろう。

 何かあれば直ぐ腰砕け、他人の所為にするペトロに、“ 余命二月? 結構、それなら残された命、少なくとも九月の東京行までは生きてやる、だからあなたもしっかりと見届けて ” とのメッセージだったように思えてならない。

 かにかくに、まだまだ暑さの残る9月10日、改装なった東京駅に降り立った。
 流石に辛そうな様子、すぐさま予約していた介護タクシーに乗せTホテルへ向かった。
 チェックインの後、なにはともあれ非常時にと渡されていた薬を含ませ、ベッドに横にならせた。

 東京・上野の “ ミケランジェロ展 ” へ行ったこと。
 嗤われるまでのことはないにしても、まさか? と呆れられるだろうことを承知しながら投稿することにしたと、このシリーズの冒頭<計画>(11/20)で書いた。

 C末期と宣告されて永らえた人もいると聞く。
 奇跡は起こせると信じて頑張ろうと話し合い、告知された七夕様をなんとしても越えさせよう、八月下旬のペトロの誕生日をともに祝うことを目標に支え合ってきた。
 そのひとつの東京行、あたかもその日、5月10日の告知から丁度四月目の日だった。

 彼女の思いは知るよしもない今、“ 遺される者への因(よすが)にと、そして、生き様を忘れないで ” と、残る力を懸けて示してくれたと受け止めている。

 綺麗過ぎるんじゃない? と考える方が普通だし、大方の人はそう思われるだろうとも思う。
 が、そのように彼女の心を受け止めたいし、受け止めてやらなければならないと思っている。
 とまれ明日、東京・上野の国立西洋美術館、“ 天才の軌跡 ‐ ミケランジェロ展 ” の中にカタリナはいる。

 写真は、二日目(9/11)の昼、Tホテルのロビー、そして、夕方、入館前のカタリナ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.757

 ※ 「想い出のカタリナ - ミケランジェロ展(4)」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬土用

2014年01月17日 | 季節/暦

 今、金曜のミサ、<聖アントニオ修道院長>の記念日だそうだ。から帰って来た。
 今日は、阪神淡路大震災から19年、犠牲になられた方への追悼ミサでもあった。

 突然だが、暦の雑節に “ 土用の入り ” というのがあって、昨日(01/16)から入ったらしい。
 夏のそれはよく知られているが、冬は耳にすることが少ない?
 そもそも、“ 土用 ” とはなンぞや? から始めなければ、なかなか合点も行かぬ。

 詰Aまるところ土用とは、一年のうち不連続な四つの期間を差し、四立、つまり立夏、立秋、立冬、立春の直前の約十八日間のことらしい。
 ちなみに、その初日を “ 土用の入り ”、最後の日を “ 節分 ” と呼ぶのだそうだ。

 暦本によれば、“ 万物は、木、火、土、金、水の五気からなる ” とある。
 さらに、土用とは、“ 古代中国で発祥したとされる自然哲学の五行思想に由来する暦の雑節のひとつ ” と続ける。

 五行では、春が木気、夏は火気、秋は金気、冬には水気を割り当て、残った土気は、土の気が旺、つまり盛んになる季節の変わり目に割り当てられ、これを “ 土旺用事 ”、約(つづ)めて土用と呼んだとあって腑に落ちた。

 その冬土用の入り、目聡い店が鰻の蒲焼の特売をやっていた。
 今風に言えばマルチタレントの平賀源内先生、夏場に売れゆきが落ちて困った鰻屋に頼まれ、“ 本日、丑の日 ” とキャッチコピーを書いたらしきことは夙(つと)に有名。
 件のセール、それに倣ったようだが、ちょっと悪乗りなンではと思わないでもない。

 然Bらばその悪乗りに便乗して、今年の冬土用、その丑の日とやらは何時なの?と調べれば、明18日が一の丑で、30日が二の丑、二度、特売の機会がある当たり年だそうで。

 では蒲焼とは?と疑問が尽きないが、その謂(いわ)れは小ブログ<暑いですね!>(10/07/24)を参照されたい。
 尤も、蒲焼、パックのタグから隣の紅い国が生産に関っていると判れば、それだけで食べる気も失せるが。

 そう言えばカタリナ、<約束>(13/10/16)でも書いたが、ここ最近、あるお寿司屋さんの白焼きを除いて、これを食するのを見たことがなかったような。

 話は脱線したが、土用に入れば立春も目の前。
 カトリック信徒が、また、この歳になって厄年もないだろうが、この二年、厄災が続き、さすがに堪(こた)えた。
 節分、そして、立春には少し早いが、多くは望まぬ、ただ平穏な一年であってくれればと願う。
 尤も、かの兼好さん、“ 吉凶は人によりて日によらず ” (徒然草/91段)なんて、憎きことを書いているが。

 プリザーブされた「カトレア」と「胡蝶蘭」、本文に似つかわしくないが、ともかく寒くって散歩もまゝまならず・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.756

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ターナー展 ‐ 想い出のカタリナ

2014年01月15日 | 想い出のカタリナ

 神戸市立博物館で、“ ターナー展 ‐ その風景画には物語がある ” (1/11-4/6/朝日新聞など主催)が開催されている。
 英国最大の風景画家のひとりでありロマン主義を代表する巨匠ウィリアム・ターナー(1775-1851)。

 水彩技法をも駆使した独自的な風景表現は、クロード・モネ(1840-1926/フランス)など印象派の画家やそのスタイル形成に多大な影響を与えたとされている。
 小ブログも、<マルモッタンとテートブリテン>(10/06/08)で紹介したので、ご記憶の方もあろう。

 彼A2bA1aの絵の多くは、ロンドンのテムズ川畔、テート・ブリテンやテート・モダンなど四つの館を擁するテート美術館(写真上/左)が所蔵している。
 09年10月、カタリナ と、そのテート・ブリテンにターナーを訪ねたが、彼専用のクロア・ギャラリーに並ぶ膨大な絵に圧倒され、途中で訳が判らなくなったことを覚えている。

 初めて彼の絵を観たのは、10年前の03年10月、秋色濃いロンドンのナショナル・ギャラリー(写真上/右)だった。

 その時の旅のメモ、“ 雨に煙る中を疾駆する列車を描いた「グレート・ウエスタン鉄道」、水平線近く燃えるような太陽の輝く光の美しさを表現した「解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号」、その光と色彩が溢れる幻想的かつ詩情に満ちた風景のなかに、鮮やかに切り取られたシーンに圧倒された ” と、高揚感を込めて書いている。

 話は変わるが、カタリナを看取ってから小ブログ、旅をする気になれなかった。
 しかし、何時までも嘆き悲しんでいては彼女も浮かばれないだろうし、意にも副えないと思えるようになった。

 そBれで、久々の旅、ターナー展にちなんでロンドンへと旅立ってみたいと思う。

 03年10月、成田から旅立ったその日は、彼女の誕生日の翌日のこと。
 ナショナル・ギャラリー、パリのルーブルとオルセー美術館を訪ねるその旅は、還暦のお祝いに贈ったものだった。
 素晴しい絵に出会えたのが嬉しかったのだろう、ギャラリーのレストラン(写真下)で満ち足りた笑顔を見せてくれた。

 話はそれたが小ブログ、これまで幾つかの美術館を巡ったが、ルーブル美術館と並んでナショナル・ギャラリーは、その気はあるのだが、いっかな投稿を果たせないでいた。

 ターナー展を機に、かつての大英帝国が威信をかけて収集した名画の数々、記念の03年を中心にカタリナとふたり、例によってあっちこっちと道草をしながら歩いてみたい。
 コレクションの全容は到底無理だが、ルネッサンス以降の傑作の数々、果たして幾つ紹介できるのか聊か心許ないが。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.755

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(1)へは(コチラ)から入れます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春を待つ

2014年01月13日 | 日記

 いきなりだが、この美しい地球、氷河期に入りつつあるらしい。
 北半球を襲う大寒波、取り分け北米では<ナイヤガラの滝>が凍ったとTVが大騒ぎ、氷河期云々とは別の異常気象らしいが。

 移動祝日の成人の日が加わっての三連休、日本列島も大寒波に見舞われるらしく、地方によっては着飾った新成人さんたちも、さぞかしストレスを溜め込むのだろうなと少し気の毒にも思う。

 ちAなみに、ストレスとは、“ 生体に歪の生じた状態の意 ” らしく、“ 寒冷、外傷、精神的ショックなどによって起こる精神的緊張や生体内の非特異的な防衛反応 ” を言うらしい。(大辞泉)
 そのストレスとやらには無縁だった筈の酔狂老人、今、それらしきものに甚振(いたぶ)られている。

 かつてメタボだったペトロ、過去形で言えるようになった。自制して得た結果じゃないのが悔しくもあるが、一旦付いた憎きやつばら、内脂肪は他の部位?に先駆けて「落ちることがないのよ」と、冷ややかな言葉に項垂れていたのだが、二度の手術とその後遺症によって削ぎ落とされ-12kgもスリムになった。

 その後、伴侶が病に倒れ、酷暑の病院通いに続いての居宅介護、そして看取り。
 かなりの運動量と思っていたが意外に体重は変わらず、ミニマム近くまで絞れていたよう。
 ところがここにきて+4kgに転じ、その後も+マークが貼り付いている。
 炭水化物、農家の小倅これが大好き。の摂取過多が主原因なのだが、どうもストレスがそれをさせるらしい。

 原Photo因が判っているのならそれを溜めないようにすれば、と簡単に考えていたが、これがなかなか以って手強い。
 喪失と孤独が情緒を不安定にさせるのか、時に、食べたくて仕方がない状態に追い込ませてくれる。

 食後の膨満感が自己嫌悪をもたらし、それがまた食べさせて、結果、手術の後遺症に現れる負の連鎖にうんざり。
 ヒトの心、奥深くて容易に理解が及ばない深遠なもののゆえか、はたまた奥深く底知れない深淵なる故のことなのか、ことほど左様に翻弄されていた。
 が、ここにきて漸く自制心が働くようになってきた。

 太陽、教会、本、絵、旅、そして、交友、回避する手段は勿論知っているのだが、閉じ篭もらせる季節が追い討ちをかけ億劫にもさせる。
 なんにしても、早く春が来ないかと待ち望んでいる。

 これから本番の「水仙」と出番を終えたみたくな「柊黐」(ひいらぎもち)。
 柊だと思っていたら、「チャイニーズ・ホーリー」や「支那柊」とも言って、クリスマスの飾りに使われるのだそう。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.754

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲午の雑感

2014年01月10日 | 季節/暦

 何時も似た書き出しで能がないが、時の経つのは早いもので今日は十日戎。
 商売繁盛を祈願する人なのか、JR西宮駅も昨夜辺りから何時もより人の流れが多いようにも。

 戎さんともなれば正月気分も終わり、皆さん夫々の持ち場で精を出されていることと思う。
 ところで、最近は使われることも稀なようだが、元旦から向こう数日間を松の内と呼ぶ。
 さて、その松の内とは何時のことなンだ? と酔狂老人、暇に飽かせてつらつら考える。

 漠A_4と、正月の松飾りを立てておく期間らしきことは判っているのだが、具体的に何時から何時までを差すのかよくは知らない。

 で、調べたら、“ 元旦から三日まで、或いは七日、十五日前後までとする所などがあるが(中略)寺年始までには門松を取って仕舞うべきだとする所でも、屋内の神棚の松飾りや注連(しめ)飾りを外すのはそれより後だとする所が少なくなく、七日もしくはそれよりも長い期間が本来の松の内ではなかったかと思われる ” とあった。

 七草粥辺りまでのようにも思うが、仕事が始まればそれは終わりが実際、その意味では今年は暦に恵まれて五日まで、少し得した気分を味合われたのでは?

 翻ってペトロ、明けて2014年、和暦では甲午(きのえうま)の松の内、思っていた以上に堪(こた)えた。
 独り暮らしに慣れていないことに因るのだが、生来、精神が緩く甘いのだろう、堪(こら)える、耐えるという肝心要のものが欠けている所為だと自覚はしているのだが。

 益々高齢化が進み、巷には老人ばかりが溢れる社会になるらしいが、独りが寂しいなどと甘えていては、一生懸命下支えしてくれる現役諸氏に申し訳がないような気分もある。

 暗Bい話ばかりじゃない。
 今年は、何処辺りか知らぬがソチ冬季五輪、サッカーW杯ブラジル大会などもあって、結構楽しませてくれそう。

 五輪と言えば元知事さん、脇も読みも、何より自分に甘く敢(あ)え無く辞任。
 今、東京は候補者選びで姦しく、自薦他薦に洞ヶ峠、顰(ひそ)みに倣(なら)って後出しジャンケンが大流行(おゝはやり)の様子。

 それはそうと、この月末、二年目の節目検査が延三日にわたってある。
 臨む心境や、節分にちなんで俎板の鰯? カタリナ に会えるなら陽性もいいか、と阿呆なことを思わないでもない酔狂老人、

  冬ざれや石に腰かけ我孤獨  (虚子)

 道端の「枯れ菊」、健気さゆえに侘しき景色が結構・・・、なんて戯言(ざれごと)を呟きながら、慣れぬスマホに収める甲午の年の始めなのであります。
 Peter & Catherine’s Travel.TourNo.753

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変更 ‐ ミケランジェロ展(4)

2014年01月08日 | 想い出のカタリナ

 薄氷を踏む思いの “ ミケランジェロ展 ”、プレミアム観賞会まで余すところ二日。
 準備も終え、なんとか望みを叶えて遣れると眠りに着いた翌朝、看護師さんから電話、心中穏やかならぬ気持ちで病院へ駆けつけたところまでが前回。

 面A談室で主治医、担当のM看護師さんと向かい合って椅子に座った。
 M先生、「ここまでよく頑張ってこられましたね」と穏やかに話を始められ、看護師さんも隣で頷く。
 そして、「昨夜よく考えたのですがね、やはり飛行機はちょっと無理、新幹線の方がいいと思う」と、言葉を継がれたように覚えている。

 正直、今になってそんな? と言う気持ちだった。
 話の大方は、まず、“ 飛行機の気圧の変化 ” それに加えて “ 搭乗時に空港ロビーで小一時間待たなければならず,辛くなっても横になれない。その点、新幹線ならば一編成にひとつコンパートメントがあって横にもなれ、何より気圧が安定している ” と、言うものだった。

 新幹線のコンパートメント? 「そんなもんあったの」。
 それでなくとも巡りの悪いお頭、空白とまではならないものの目まぐるしく揺れ、返事をしようにも声が上手く声が出なかったような。

 カタリナ に相談するとかなんとか答えたような気もする。
 病室に戻りそれを話すと、中止するという選択肢はないよう、「先生が仰有るのならそうしてと返事が。

 悩Bみはコンパートメント、その存在すら初めて知ったようなことで、まるで雲を掴むよう。
 詳しく調べる時間もなく、グリーン車にすれば問題ないのだろうと決めた。
 余談だが、道中で駅員さんに訊ねたら、グリーン車はコンパートメント利用の対象外とか。

 まず新幹線をネット予約、それも、洗面所に近い場所をと思うもののネットでのこと、靴の上から足を掻く様に似てもどかしい。
 次いで航空券のキャンセル、大阪と東京の介護タクシーの待合せ場所と時間、Tホテルのチェッインタイムなどの変更。

 小一時間ばかり、タブレットPCと携帯を手に無骨な指でキイー操作、そして電話。
 ペトロ の奮闘振り?を傍らで嬉しそうに見ているカタリナ、彼女が少しでも楽に行けるのなら、その一心だったような。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.752

 ※ 「想い出のカタリナ - ミケランジェロ展(3)」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

準備 ‐ ミケランジェロ展(3)

2014年01月06日 | 想い出のカタリナ

 昨年9月、東京・上野の国立西洋美術館。
 そこで開かれる “ 天才の軌跡 ‐ ミケランジェロ展 ” に行く、と決めたところまで<目印>(11/22)で書いた。

 主治医のM先生に話す前に、確か担当看護師さんに告げたと思う。
 止めた方がいいと言われると思っていたのだが、意外にも、「いい想い出になると思いますよ」との言葉が。
 その翌日だったか、今の状況が続けば、との条件付だが許可が出た。

 カAタリナ に、「ほんとうに行く」と、訊ねた。
 躊躇いもせず、「決めたことだから連れて行って」と言い、それで腹を固め準備を始めた。

 まずは航空券の手配と搭乗に際してのアシストを依頼。
 ホテルは羽田空港から、そして、上野の森への足回りを考えて、日比谷公園前のTホテルを連泊で予約。
 輸液ポンプの機内持ち込みの許可も得、ホテルのベルキャプテンを通じて現地での介護タクシーも予約した。

 手配を終えたことを伝えると、「服はあれ、帽子はこれ、鞄はMさんから頂いたのに」と頗るご機嫌。
 浮腫(むく)んだ足に合う靴を探しにふたりで千里中央まで出かけたものの見つからず、悩んでいたらM神父様が、病院近くの介護用品の店まで案内して下さった。

 東京行の前々日、病室から航空会社に最終確認。
 B専用カウンターで機内用の車椅子に乗り換え、搭乗口まで空港職員がアシスト、客室乗務員に引き継ぐとのこと、羽田空港でも同様のアシストが。

 斯して準備万端整い、出発まで二日を余すのみとなった。
 体調も好い様なので、看護師さんを通じて先生に最終確認をするとOKの返事。
 同行してくれる息子、在京の娘にGOサインを出した。

 薄氷を踏む思いで臨む東京行。
 何とか望みを叶えて遣れると眠りに着いた翌日早朝、看護師さんから、「先生がお話したいと。今日の午前中に来れますか?」との電話が。
 よもや容態が急変? 脳裏を一瞬過(よ)ぎる。
 受話口の声に切迫感がないので別用だとは思うものの心中穏やかならず、すぐさま病院へと車を走らせた。

 写真は、ワシントンDCから成田へのANA便(10年10月)、着陸を目前に、眼下に房総の海岸線が見える。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.751

  ※ 「想い出のカタリナ - ミケランジェロ展(2)」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする