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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

フェルメール 「婦人と召使」

2017年04月10日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (10) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (23)

 オランダ絵画黄金期を築いたヨハネス・フェルメール(1632-1675)、その多くがデルフトの町で暮らす人々の室内での生活を描いた風俗画である。

 その彼の 「婦人と召使」(1667-68年頃/92×79cm)がフリック・コレクション最後の作品。

 彼はしばしば関連作品を描いているが、本作にも何点かの関連作品がある。
 そのひとつは、本作の二年前に描いた 「手紙を書く女性」(1665年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)、もう一つは、本作の二年後に描いた 「手紙を書く夫人と召使」(1670年頃/アイルランド国立美術館蔵)である。

その一回り小さな 「<手紙を書く女性>」(45×40cm)、テーブルで手紙を書いている女性が、誰かが入室してきたので筆を止めている場面を描いているが、本作、その直後の場面を描いていることが判る。

 部屋に入った召使は右手で手紙を持ってい、女主人は怪訝そうに左手を顎に当て召使の方を向いている。

 召使は着いたばかりの手紙を指し出しているのか、どこに届けるのか女主人の指示を待っているとも受け取れ、画家は本作でも見る者に謎かけている。

 謎と言えば女主人の姿だ、「<手紙を書く夫人と召使>」の姿なら頷けるが、本作では真珠の耳飾りや毛皮飾りの付いた上着など、家で手紙を書いているにしては聊か場違いな優雅な装いである。

 謎を解くヒントが、「<真珠の首飾りの女>」(1662-65年頃ゲマルデ・ギャラリー蔵)や前号の「<リュートを調弦する女>」(1662-65年頃/メトロポリタン美術館蔵)、「<恋文>」(1670年頃/アムステルダム王立美術館蔵)辺りにあるように思う。

 彼が亡くなった時、彼は自作を四点持っていたとされ、その内の一点が 「真珠の首飾りの女」、モデルは妻カタリナの若い頃との説があるのだそうだ。
 そうならば、フェルメールが、本作などを通してこの女性に寄せた思い、が見えてくるような気がしないでもない。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1291

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フェルメール 「中断されたレッスン」

2017年04月05日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (9) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (22)

 17世紀オランダ絵画黄金期を築いたヨハネス・フェルメール(1632-1675)。
 彼は、ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する 「<ヴァージナルの前に立つ女性>」(1669-1671年頃)や 「<ヴァージナルの前に座る女性>」(1675年頃)など音楽をモーフに何点か描いている。

 それらの中には弦楽器を用いた、「リュートを調弦する女」(1662-65年頃/メトロポリタン美術館蔵)、「合奏」(1665-66年頃/ボストン・ガードナー美術館蔵)などの作品も見られる。

 また、この時代に愛用された撥弦楽器シターンをモチーフにした 「<恋文>」(1670年頃/アムステルダム王立美術館蔵)も描いている。

 そのシターンを小道具に用いた 「中断されたレッスン」、別名 「稽古の中断」(1660-61年/39×44cm)が今回の作品。

 主題は、手紙か楽譜らしき一枚の紙を持った娘が、やや訝し気な表情でこちらを見つめている場面。

 画題からして稽古が中断されたのだろうが、彼女は勿論、本作を見る者もその理由が分らず、少なからず戸惑いを受けている。

 さらに、教師なのか恋人なのか傍らで紙に手を添える男は、中断されたことを気にかけている様子が聊かも窺えず、本作に曖昧な印象を与えている。

 本作を前にした者は、おそらく誰かが部屋に入ってきた気配を感じ取った男が、顔を上げてそちらを見る前に娘の視線と出会うという、フェルメールの仕掛けにまんまと嵌められていることに気付くのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1288

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フェルメール 「兵士と笑う女」

2017年03月29日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (8) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (21)

 17世紀オランダ絵画黄金期に最も傑出した画家のひとりヨハネス・フェルメール(1632-1675)。

 その彼の作品、当コレクションが三点所蔵、制作年順に 「兵士と笑う女」(1658年頃/51×46cm)から。

 ふたりの人物が描かれた本作、兵士の姿は大きく、そして影に溶け込んでいる。
 反して女は小さく、その顔は窓から差し込む光に照らされて白く耀き、その対照が際立っている。

 その光の効果に、女はまだあどけなさが残る少女のようにも見え、その不釣り合いさが影の中の兵士を不穏な者に見せてている。
 さらにそれは、本作を見る者も兵士の背後にいるかのように思わせ、聊か落ち着かない心持にさせる。

 それはこの風俗画を前にした者が、構図は全く異なるが彼の 「<娼婦 ‐ 取り持ち女>」(1656年/ドレスデン国立絵画館蔵)と印象が重なることに気付かされるからでもある。

 その原因は、打ち解けた様子で兵士を見つめる女の仕草にある。
 白いヴェール、右手のワイングラス、さりげなく掌を上向けたテーブルの左手などにそれが窺える。

 それらのことから 「娼婦 ‐ 取り持ち女」ほどあからさまではないが、女が兵士にお金を求める場面と取れなくもない。

 当時のオランダでは 「売春宿の絵」と判るようなものが流行ったのだという。
 それは通常、家庭の居間などにも掛けられるよう道徳的な配慮が加えられたのだそうだが、その意味で本作もまた、半開きの窓からの光に男を影に隠すことや背景に架る地図で、その要求に応えていると言える。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1284

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フラゴナール 「連作 ‐ 恋の成り行き」 の、その後

2017年03月27日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (7) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (20)

 ふた昔もみ昔も前、少女雑誌の表紙をめくると、こんな絵が載っていたように思うのだが、勿論、確信がある訳ではない。

 その絵の作者とは、小編、初登場、検索したがヒットしないので。の、フランス・ロココ美術の巨匠ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)。

 繰り返しになるが、“ 不道徳性の中に甘美性や官能性を感じさせる独自の風俗的、寓意的主題に天武の才能が示されている ” 彼の 「連作 ‐ 恋の成り行き」(1771-72年)。

 第一と第二場面の 「逢い引き」と 「追跡」に続いて、第三の 「冠を受ける恋人」、そして、第四場面の 「付け文(恋と友情)」が今回の作品。

 ただ、第三と第四を入れ替えた方が、話の筋が通じるとする説を唱える研究者もいるらしい。

 それはとも角、後半も舞台は前半と同じく、どこかの城館の庭園を思わせる美しい樹々と花の園。
 それは、この連作を注文した最愛王ルイ15世の公妾デュ・バリー夫人が、ルイ15世におねだりして建てさせたルーヴシエンヌの館の庭園だったかのかも知れない。

 で、「冠を受ける恋人(恋人の戴冠)」(上)が、第三の場面。

 秘かに逢ったリ鬼ごっこしたり、おませなのか無邪気なのか掴みどころのない娘が、若者との恋が成就したのか、成熟を意味するらしき花輪を被せようとしているところで、スケッチをする画家自身らしき男も。

 そして場面は 「付け文(恋と友情)」(下)へと移る。

 原題は 「Love Letters」、どうしてこんな副題が付いたのか判んないけれど、確かに第三と第四を入れ替えた方がしっくりするようにも。

 ところで 「連作 ‐ 恋の成り行き」、面白いのはこの絵の成り行きだ。

 なんと我儘デュ・バリー夫人、インテリアを装飾的・官能的なロココ様式から、古典芸術を規範とした荘重な新古典様式に改装しちまった。

 でもって、「あなたの絵、理知的で格調高いルーヴシエンヌの館にちっとも似合わないわ」とか何とか言っちゃって、制作間もない1773年にまとめて画家に返しちまったんだと。

 その彼、自棄か腹いせか知らないけれど、フランス革命勃発後に 「<棄てられて(物思い)>」(1790年/フリック・コレクション蔵)という第五の場面を描いたらしいんだけれど、それって、わかんなくもないよなあ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1283

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フラゴナール 「連作 ‐ 恋の成り行き」

2017年03月24日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (6) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (19)

 18世紀ロココ美術を代表するフランスの画家ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)。

 彼の作品、美術案内には、“ 不道徳性の中に甘美性や官能性を感じさせる独自の風俗的、寓意的主題に天武の才能が示されている ” とある。

 その才を遺憾なく発揮した彼の四枚の作品、それも縦318cm、横216~244cmと矢鱈でかい。からなる 「連作 ‐ 恋の成り行き」(1771-72年)、その物語の前半 「逢い引き」と 「追跡」が今回の作品。

 このコレクション、“ 鉄鋼王フリック氏が財力に飽かせて集めたものでなく、高い鑑識眼が評価されている “ と旅の案内書 「地球の歩き方」にあるので優れた作品なのだろう、多分。

 本作、貧民階級層の出身乍らルイ15世の愛妾(公妾)となり、宮廷内で絶大な権力を得ていたデュ・バリー夫人の依頼によって、妾宅ルーヴシエンヌの館の装飾画として描かれたとか。

 これによく似た話、どこかで投稿したような、と検索したらあった。
 時も所も同じとなればお相手も同じのルイ15世、フラゴナールの師でもあるフランソワ・ブーシェ(1703-1770)描くところの 「<ポンパドゥール夫人の肖像>」(1756年/アルテ・ピナコテーク蔵)だつた。

 作品に戻れば、連作中で最初の場面、第一場面を表すとされるのが 「逢い引き」(上)。

 城館の庭園の若い女のもとへ梯子を上って逢いに来た青年、誰かに見つかりそうになって慌てて逃げようとしているのかも知れないが、そんな場面を描いている。

 第二の場面とされるのが 「追跡」(下)。

 英語はからきしだが、原題は 「The Pursuit」とあって、邦題 「追跡」も頷けなくもないが、「追いかけっこ」辺りがテキトーじゃないかと思う。

 これらの作品、ロココ様式独特の優美であり乍ら世俗的で軽薄な雰囲気に満ちている。

 最愛王とも呼ばれた女好きルイ15世の治世に、大きな影響を与えたポンパドゥール夫人(1721-1764)が東の筆頭なら、西のそれはデュ・バリー夫人(1743-1793)。
 その彼女のサロンを飾るに相応しい少女雑誌風、と言えば鑑識眼高きフリック氏にお叱りを受けるか?

 それはとも角として、黒雲と見紛うような大きな樹が各編に登場するのを 「はて?」と首を捻る誰かさんをほっといて、さっさと次の部屋に行っちまったカタリナ、慌てて追いかけたのは言うまでもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1282

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ベラスケス 「フラガのフェリペ4世」

2017年03月20日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (5) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (18)

 17世紀スペインバロック期に最も活躍した画家となればディエゴ・ベラスケス(1599-1660 )。
 前回の<エル・グレコ>(1541-1614/マニエリスム)、そして<ゴヤ>(1746-1828/ロマン主義)とともに<スペイン三大巨匠>と呼ばれている。
 スペイン国王フェリペ4世(1605-1665)付の画家となり、以後、生涯の大半を宮廷画家として首都マドリードで過ごしたベラスケス。

 そのベラスケスの 「フラガのフェリペ4世」(1644年)が今回の作品。

 彼、座付き?画家として<世界三大集団肖像画>のひとつ、傑作 「ラス・メニーナス ‐ 女官たち」(1656-57年/プラド美術館蔵)など、フェリペ4世とその家族の肖像画を描きまくっている。

 ちなみに 「<女官たち>」、後の鏡の中に4世夫妻を描いている。
 話しがそれた序に、その傑作の主役、4世が溺愛した娘<皇女マルガリータ>の成長を追って何作も描いている。

 話しを戻す、性格は穏やかで国民に愛されたというフェリペ4世だが、政治家としては凡庸だったようだ。

 その反面、芸術的造詣は深く、彼やルーベンス(1577-1640)など多くの画家を保護、傑作を数多く描かせ、その優れた美術蒐集は後のプラド美術館の礎となったという。

 本作は、1640年カタルーニャで起きた収穫人戦争で同地のフラガに遠征したフェリペ4世、その4世に同行した画家に描かせたとされている。

 剣を吊るし軍旗のポールらしきものを握っているが、4世の表情は柔らかく、この戦争によって敵国フランスにカタルーニャ領の一部を割譲させられたのも理解(わから)なくもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1280

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エル・グレコ 「聖ヒエロニムス」

2017年03月15日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (4) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (17

 ギリシャのクレタ島で生まれ、イタリアやスペインで活躍したマニエリスムの巨匠エル・グレコ(1541-1614 )の 「聖ヒエロニムス」が今回の作品。

 この<グレコ>も、この<聖人>も何度か投稿したので重複を避ける。
 が、付け加えれば、ローマ滞在時は、報酬などでの金銭トラブルが絶えず、生活ができないほど貧しい暮らしを強いられていた。

 しかしプライドは高く、当時神の如き存在とされていたミケランジェロ(1475-1564)の 「最後の審判」(ヴァチカン・システィーナ礼拝堂)のある部分の修正を依頼された折、“ すべて削り取り新しく描かせてくれるなら引き受ける ” と豪語、それがスペインに向かわせた原因のひとつになったともされている。

 その彼、作品の八割強が聖人画を含む宗教画とされている。

 そのひとり聖ヒエロニムス、ダ・ヴィンチ(1452-1519)の 「<聖ヒエロニムス>」(ヴァチカン絵画館蔵)やカラヴァッジョ(1573-1610)の 「執筆する聖ヒエロニムス」(ボルゲーゼ美術館蔵)など多くの画家は、聖人ともにアトリビュートの髑髏やライオンを描いている。

 ちなみにライオンとは、中世イタリアの年代記作者ウォラギネ(1230-1298)の 「<黄金伝説>」の、“ 聖ヒエロニムスが弟子の修道士に聖書を説いているとライオンが現れ、その傷ついた足を聖人が治してやった ” という逸話によるとか。

 グレコは、傑作「<聖衣剥奪>」(トレド大聖堂/アルテ・ピナコテーク蔵)などに用いた色使いの着衣の聖人のみを、さも頑固で気難しい神学者として、<マニエリスム様式>の大家らしく縦長?に描いている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1278

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レンブラント 「自画像」

2017年03月13日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (3) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (16)

 マンハッタンのアッパー・イースト・サイド、セントラル・パークの向かいにフリック・コレクションがある。

 ここに<自画像の画家>ともされるレンブラント・ファン・レイン(1606-1669/オランダ絵画黄金期)の1650年代における傑作のひとつ 「自画像」(1658年)が架る。

 本作が描かれたのは、彼が破産の申請をし、財産のすべてを競売によって処分した頃と重なる。

 それゆえか、借財の労苦、金銭の束縛から解き放たれ、精神的な自由を得たある種の余裕が感じられる。

 レンブラントは自身の自画像において、傑作 「<聖パウロに扮した自画像>」(1661年/アムステルダム国立美術館蔵)や 「<ゼウクシスとしての自画像>」(1665-69年頃/ヴァルラフ=リヒャルツ美術館蔵)など、歴史上の人物や聖人、哲学者などに扮している。

 本作においても、そのことが研究者によって考察されているとか。
 が、そのことは別にして、彼が身にまとう豪華な衣装は、今まさに彼の手許から離れていこうとしている物で、それは、過去との決別の意思の表れであった、ともされている。

 レンブラントの表情に感傷は見られない。
 真一文字に結んだ唇、力強く見つめる視線、波乱の生涯に聊かの悔いもないと決めた男の矜持、潔くも格たる自己凝視だけがそこにある。

 午後の静かな館内でこの絵に見入るカタリナ を想い浮かべ、<最愛の妻サスキア>を失った彼には、もう何も失うものがなかったのか ・・・、あらためてそんなことを思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1277

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フリック・コレクション

2017年03月10日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (2) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (15)

 マンハッタンのアッパー・イースト・サイド。
 ブランド・ショップが建ち並ぶ Madison Ave.と 72nd St.の交わる辺り、セントラル・パークの向かい、5th Ave.に面してフリック・コレクションがある。

 ピッツパーグの鉄鋼王だったヘンリー・クレイ・フリックが、40年間にわたって収集したコレクション、絵画、彫刻、装飾美術、家具調度が展示されている。

    

  NYに着いた日、ホテル・キタノNYに着くと、まだ部屋の準備が出来ていませんでした
  荷物を預けて、ホテルの近くグランド・セントラル駅から地下鉄で68St.駅で下車
  西へ3ブロック歩くとセントラルパーク、リスでしょうか、驚きました
  そこから北へ、5th Ave.を2ブロック上がると、大理石の堂々たる建物がありました

 小体な美術館だが絵画のコレクションも優れ、特に、フェルメール(1632-1675/オランダ絵画黄金期)の三作品を収蔵していることもあって、NYでの目的のひとつにしていた。

 そのフェルメールに加えて二、三の作品を投稿、勝手に<世界四大美術館>のひとつと呼んでいるメトロポリタン美術館へと向かいたい。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1275

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アムトラックでNYへ

2017年03月08日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (1) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (14)

 ワシントンDCで<フィリップス・コレクション>を楽しんだ翌日、アムトラックでNYへ向かった。

 日中は汗ばむほどのワシントンDC、<インディアンサマー>と呼ぶらしい。に、着いたその日の午後も遅く、HPで予約していたアムトラックのバウチャーを持って地下鉄でユニオン駅へ向かった。

  

 快晴のユニオン駅(左)、アムトラック・オフイスのカウンター嬢が頗る明るく親切でした
 バウチャー(右)から、アセラ・エクスプレスのチケットにチェンジしました

 その二日後、お天気専門TVが一転して雨のマークをつけてい、気温も20度を切るようなことを言っている。
 快晴から一転して激しい雨、情け容赦がない感じが半端なく、チェック・アウトする頃には土砂降りに、流石に鞄を抱えて地下鉄は無理、タクシーでユニオン駅へ、まったく情緒の欠片もない。

    

 Fゲート(左)の扉が開くのをひたすら待ちます、激しかった雨も上がりました
 ♪ 漸く開いたゲート、ファースト、ビジネス、そしてコーチの3クラス(右三枚)があります

 定刻に出発したアセラ・エクスプレス、さほどスピードを出しているように思えない。
 途中、ボルチモアやフィラデルフィアなどに停車、定刻から10分ほど遅れてNYのペン駅に着いた。

    

 ペン駅(左)、マジソンスクエア・ガーデン(中左)は人で溢れていました
 
初めてのNYですから、ホテルは日系のキタノ・ニューヨーク(中右)にしました

 イエロー・キャブを何とか捕まえ走ること10分ほど、やっとこさホテルに着いた。
 ものの、部屋が用意できていないと言う、鞄を預け、地下鉄でフリック・コレクションへと向かった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1274

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