ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

時差ボケ? ‐ 10月がゆく

2010年10月31日 | 季節/暦

 ある情報サイト、時差ボケの解消に時間がかかるタイプがあるという。
 そのタイプとは、朝型で中高年、どちらかといえばナーバス、やゝ内向的な人に多いとあり、ヨーロッパなどへの西行きよりも、東行きの方がきついともいう。

 解消するには、機内から現地時間に合わせて睡眠をとるなど、体内時計を早く現地時間に合わせるのがいいとあった。

 Photoところで、過日の朝日夕刊、「体とこころの通信簿」欄に、高齢者(70歳代以降)のうつ病の記事があった。

 高齢者が何をするにも億劫がり、食事も自分では口に入れないしお風呂も面倒がるのを、家族は「歳だから仕方がない」と受け止めがちだが、「うつ病のひとつの症状とも考えられる」という研究者のコメントを紹介していた。

 記事は、治療法や病との関わり方を紹介していたが、その中に10項目からなる自己診断チェックリストも載せていた。
 リストには、高齢者によく見られる症状として、健康や体の不安を訴える、家の中を歩き回り貧乏ゆすりをする、自分は役に立つ人間だと思えない、等の項目が並んでいた。

 日常の気分の落ち込みからうつ病に進行させないための、コミュニティー作りの必要性も訴えていた。

 Photoそういえば痴呆症も、日常生活で積極的に人と交わることの少ない人ほど罹りやすいと聞く。

 時差ボケとこれらの病、同列視できる筈もないが、心と脳のメカニズムの繊細さに驚く。
 億劫がらず、社会や他人と関わっていくことが大切だと改めて思った次第。

 話は戻って、ペトロ、「時差ボケかなあ」とカタリナ に話すと、「毎日が日曜、時差ボケもないでしょう」と、軽くあしらわれてしまった。
 機内で酒かっ食らって映画三昧、時差ボケ解消なんて論外ということか?

 散歩の途中、「石榴」を見つけたが、まだ実が硬く割れてくるのはもう少し先のよう。
 筆鶏頭とも呼ばれるらしい「野鶏頭」、
園芸種なのだろうか公園のあちこちにあった。

 出雲の国に出払った八百万の神さんもそれぞれの国に帰り、神無月・10月もゆく。

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シェイクスピアとアン(続)

2010年10月29日 | イギリス

 ストラトフォードから2キロほど、ショッテリー村にある美しい茅葺きの屋根のコテッジ。
 
アン・ハサウェイが結婚するまで住んでいた家で、結婚前には、シェイクスピアが足しげく通ったという。

 静かな雑木林に囲まれた藁葺きのその家は、ひっそりと佇んでいた。
 周りは楓か楢だろうか、真っ黄色に染まって鮮やかに秋の空に映えてい(写真上)、思わず足を止め見とれてしまった。

 Photoシェイクスピアの時代、このコテッジ(写真下)は部屋数が12もあり、篤農家、裕福な小地主のハサウェイ家によって所有されていたそうだ。

 コテッジに入り、ガイドの案内に耳を傾ける。
 暖炉とパン焼きオーブンがある台所は、建築当時と同じ状態にあるという。
 とりわけ、バターを作る部屋など、当時のハサウェイ家の豊かさを偲ばせるのだそうだ。

 コテッジの周りは丁寧にガーデニングが施され、季節には美しい草花を咲かせることが窺える。

 裏手には、こんもりと盛り土された小さな果樹園があって、ふたつみっつ、この時季にしては名残り?の石榴の実が口をあけていた。

 Photo_2アンは創作のためロンドンに赴き、ほとんど家に帰ってこない夫ウィリアムを、この家で子供を育てながら、「ただひたすらに待った」と言う。

 彼女を支えたのは夫への愛情だったのか、彼との間でなした子供だったのか知る由もない。

 カタリナ  彼女の健気さに共感を覚えたようだが、誰かは、「女は弱し、されど母は強し」と屈託がない。

 アンの家を最後に、深い森に覆われた丘の羊小屋、コッツウォルズと別れ、西の空が茜色に燃えて影絵のようになった丘陵を車窓に眺めながら、ロンドン・ヴィクトリア駅に戻った。

 シェイクスピアが足繁く通ったというスワン・ホテル、学生街オックスフォードのことなどはまたの機会に。

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シェイクスピアとアン

2010年10月27日 | イギリス

 ロンドンには、13もの終着駅・ターミナルがあるという。
 そのひとつ、ヴィクトリア駅近くにヴィクトリア・コーチ・ステーションがある。
 そこから、各地に長距離バスなどが出ているらしく、早朝にもかかわらず多くの人で混雑していた。

 余談だが、この日でサマータイムが終わることや、ツアー・タイトルをうろ覚えだったせいもあって、20番近くまで並ぶプラットホームの何番から出発するのかまごついたりもした。

  Photo_6エヴァン・エヴァンス社の赤いコーチは、半数以上が外国人というツアー客を乗せ、晴天のロンドンを離れ、田園風景が続くなだらかな丘陵を走る。

 オックスフォードの街を2時間ほど歩いた後、ストラトフォード・アポン・エイヴォンへと向かった。

 バスは、ハニーカラーの壁が美しいライム・ストーンの民家(写真上)が点在、手つかずの自然との調和が絵になるコッツウォルズの村々を走り抜け、昼もだいぶ過ぎた頃、ストラトフォードに着いた。

 車窓からみるこの町は、エイヴォン川の周りにレストランなどが並び、深まる秋の日の休日、しかも、好天も相俟って川辺で憩う人もかなり見える。

 Photo_71564年4月23日、ここで、偉大な劇作家で詩人のウィリアム・シェイクスピアまれている。

  彼は、ロンドンで成功をした後、故郷のストラトフォードに戻り、1616年の奇しくも自らの誕生日に逝去したとされている。

 彼の生家(写真下)は、エリザベス時代に多く見られた木骨造りの家で、革職人の父が商いに使っていたとか。
 生家へは、広く整備された道路に面した現代風の建物、シェイクスピア記念館?から入る。

 順路に沿って進むと、彼が幼年期に過ごした小さな狭い部屋がある。
 この後訪れる彼の妻アン・ハサウェイが少女時代を過ごした家もそうだったが、この時代の田舎屋の特徴でもあるのか押しなべて天井が低く狭い。
 ただ、どの部屋にも暖をとるための小さな炉があり、この地方の冬の厳しさを思い起こさせてくれた。(続く)

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コッツウォルズ

2010年10月25日 | イギリス

 この月の初め頃だったろうか、少し古い話になる。
 ローマ法王ベネディクト16世が、初めて英国を公式訪問したニュースが流れていた。

  ヘンリー8世が妻と別れたい一心?で、ローマ・カトリックと決別、イングランド国教会、つまり、聖公会を創ったのが500年ほど前。

 Photo_31982年に前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の非公式な訪問はあったものの、斯くも長き時を隔て公式訪問に至ったという。

 このイングランド王、かなりの艶福家で五指に足りない奥方を娶っている。
 取り分け騒がせたのが、最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚とアン・ブーリンとの再婚。

 離婚を認めない時のローマ教皇クレメンス7世、双方確執譲り難く、「ほんなら別に教団創ったる!」と言ったかどうか知らないが、決別に至った次第。
 そのあたりのエピソードが面白く、芝居やオペラなどに取上げられる所以らしいのだが、詳しくは知らない。

 ただこの御仁、数ヶ国語をあやつり、スポーツ万能でダンスは大得意、音楽の才能も溢れんばかり、「ほんと?」 「そう、書いてある」、大変インテリジェンスに富んだ人だったようだ。

 ところで、その彼の宮廷画家として活躍したドイツ・ルネサンスの画家ハンス・ホルバイン(子)。
 「大使たち」(ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)などの傑作を遺しているが、その彼が描いた肖像画 「ヘンリー8世」(写真上)を見ると、「まあ、なんて偉丈夫なの?と思うだろう。

 Photo_4その英明の君、ロンドン郊外はオックスフォード、大学の礼拝堂と司教区の聖堂を兼ねられるものとしてクライスト・チャーチ校を再建したりもしたらしい。

 で、前置きが長くなったが、ひと昔ほど前のサマータイムが終わる10月最初の日曜のこと。

 シティ辺りは早くもテムズ川の寒風が吹き荒び、晴れかと思えば俄かに掻き曇って時雨が走り、色の無い街の様相を見せはじめたロンドン。

 そのロンドンから少し足を延ばし、中世の面影を今も残し、世界一美しい村々と称されるコッツウォルズへと遠足に出掛けた。 (写真下:ショッテリー村に遺る民家)

 その顛末、例によって気侭に綴ってみたい。
 ちなみに、コッツウォルズとは、深い森に覆われた丘の羊小屋 という意だそうだ。 

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旅の途中に ‐ 無事に

2010年10月23日 | アメリカ/カナダ

 大層に言うほどのことではありませんが、昨夜、無事に帰りました。

 初めてのアメリカ旅行、言葉のことは今更どうにもなりませんが、一番心細かったのは体力のこと。
 寄る年波に加えて日頃の運動不足、「重い鞄を抱えて列車や地下鉄に乗れるんかいな?ということでした。

 Photo Photo_2

 ♪ ワシントンDC、連邦議会とナショナル・ギャラリーです

 駅では必ずエスカレーターを探し、列車では網棚?に鞄を上げるのは無理と悟りました。
 さほど歳が違わぬ、いや、むしろ歳上とも思えるお爺さんが、「えいっ!とばかり、網棚へ持ち上げるのを間近に見て、その矍鑠振りにうな垂れてしまいました。

 ナイアガラへの遠足で、短い時間でしたが知り合った大阪の同年輩のご夫婦、このおふたりも個人旅行でした。と、「己の主張を押し通すこの国の人に負けてられへん」「そうや、最後は大阪弁で言い返したるねん」と気炎をあげ、大いに笑ったりもしました。

 しかし、言葉や肌の色、勿論、鼻の高さも手足の長さも違っても、みんな親切で、人は助け合って生きているということをいろんなシーンで実感しました。

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  ニューヨーク、ロックフェラービルからのセントラル・パークとメトロポリタン美術館です

 成田近く、「右前方に富士の残影が見えます」との機内アナウンスに、思わずちんけなデジカメのシャッターを押しましたが、「上手く写る訳がないよなあ!

 ペトロ とカタリナ、帰りの機中、「サンクトペテルブルクの・・・」「エルミタージュ美術館」「うん、行きたいなあ」「頑張りましょうよなどと話しました。
 
絵に描いた」「餅?」「多分!と思いつつも、もう少し 《旅を重ねていければいいなとも思いました。

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旅の途中に ‐ とにもかくにも

2010年10月21日 |  ∟アメリカの美術館

 ワシントンDC、緑も多く、圧するような高層ビルもないので開放的で明るい感じがします。

 待望のナショナル・ギャラリーへ行ってきました。
 
本家?ロンドン・ナショナル・ギャラリーに、比して遜色なしという印象でした。                                                                                               

                              

 

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 ここには、ヨーロッパ以外では一枚も見ることができないとされる、イタリア・ルネッサンスの巨人、レオナルド・ダ・ヴィンチの、「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」がありました。

 生涯に20作品ほどしか描かなかったダ・ヴィンチ。
 
その彼の二十歳過ぎの作品らしいのですが、若者らしい瑞々しさと限りない未来を予見させる作品でした。

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 ヨーロッパでは、「また、彼」と思わさないでもない聖母子の画家ラファエロの「アルバの聖母」がありました。
 ヨーロッパ以外で見るのは、いかにも新鮮です。

 

 まあ、このふたりの作品だけとってしても、NYのメトロポリタン美術館が、「悔しいなあ」と言ったかどうかは定かでありませんが、「それに近い感情を持っていることは確かだろう」と、ペトロ は思う訳であります。

 

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 そして、カタリナ、オランダ絵画黄金期のこのふたり、レンブラント「自画像」などと、フェルメール「赤い帽子の女」などを堪能したようです。

 

 イギリス絵画の大家ターナ(写真下)を前に、「ようけ見たな~」なんて阿呆なことを言っているうちに、「恥ずかしい!と、連れは他人のように離れてしまい、印象派前後期の作品を前に、「どこでどの絵を見たのか?混線し始めたお頭を振りつつ、美術館を後にしました。

                             

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 とにもかくにも、明日は帰国です。

 楽しく旅を続けられたことを感謝して 《旅の途中に》、これで現地からの投稿、エンドマークを打ちます。

 

 誰かさん、「直ぐに稽古なの」と実に嬉しそうです。

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旅の途中に ‐ なんで?

2010年10月20日 | アメリカ/カナダ

 昨日、雨もやいで心配したのですが、晴れ女さん のおかげ?でいい天気でした。

 NYペンシルバニア駅(写真上)から、アムトラック(写真中左)でDCユニオン駅(写真中右:改札口)へ戻りました。

                                                                      

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 靴下まで脱がされるような威圧的な搭乗前検査から開放され、時間も節約できる高速列車、人気が高いのかほぼ満席でした。                                                  

 

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 ところで、DCで初めて地下鉄に乗ったときのこと、スムーズに運んだのですが、3回目の乗車以降、自動改札機が上手く動作してくれません。

 駅員にチケット見せると、「うんうん」とばかり頷き、手動の改札口から出してくれました。今から思えば、ツーリストとしてお目こぼしに預かっていたのでしょうか?

 昨日のこと、またもや同じシーンになりましたので、「改札機、壊れてんのかいな」と駅員、今度は黒人女性でした。に尋ねますと、今度は、精算機と思しき箱の前で、「チケットをここに入れろ」と言い、そのとおりにすると35セント不足と表示されました。

 

 NYは料金均一で分かりやすいのですが、DCはロンドンやパリと同じで目的地によって料金が異なります。
 「
えっ、どうして。料金表で確かめたのに?と、首を傾げつつも、精算機に不足のコインを投入しました。 

                                             

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 吐き出された精算チケットを見ながら、「時間によって違うんかいな」と、唖然、呆然?とするふたりに、彼女の得意そうな笑顔、白い歯が印象的でした。

 

 復路は10ドルのプリペイド・カードにしたのですが、これとても20ドルを一枚のカードにチャージしてしまって、駅員さんに10ドルのカード二枚(写真下)に分割して貰う頓珍漢振り。
 そして、下車して分かったのですが、往路2.2ドルだったのが、わずか1時間ほどで2.4ドルになっていました。
 
チップにも使えないコイン、そのひとつかふたつを巡ってこの有様でした。

 

 これから、待望の「ナショナル・ギャラリー」に出かけます。地下鉄、今度は幾らなんでしょうかねえ?

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旅の途中に ‐ あっちこっちと

2010年10月19日 | アメリカ/カナダ

 カタリナ、「晴れ女なんだから!と、鼻をうごめかしています。今回ばかりは脱帽、そして、感謝です。

 

 プラハ城内の聖ビート大聖堂の鐘楼に昇らされて以来、高いところには決して昇らないカタリナですが、土曜日の午後、ノイエ・ギャラリー(上/左)で、「クリムトとエゴン・シーレに感激」した余韻?もあって、タイムズ・スクエア(上/右)に、「道頓堀のグリコ・マーク」とはしゃいだかと思えば、ロックフェラー・センターの「トップ・オブ・ザ・ロックに昇る!と突然言い出しました。

 

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 もともと、「何とかと煙は高いところが好き」のペトロ、「待たなくていいのなら!」と付き合いました。 

 何時もは長蛇の列らしいエレベータ、ちなみにお一人様$19です。も、あっけにとられるほど空いていて、僅か1分で67階展望台。
 ロックフェラー・センター(下/左)のトップ・オブ・ザ・ロック(下/右)、70階は、風防ガラスもなくカメラを構えると手振れがします。

 

  

 

 その真南にひと際聳えるのが、彼のエンパイア・ステート・ビルディングです。(下/左)

 「どこかで見たことがあるような」と頓珍漢な誰か、「ホテルの部屋からすぐ近くに見えてるじゃない」と言われて、「何だ、あのビルか」と納得。(下/右)

 

 ちなみに、トップのイルミネーションは、メモリアルデー毎に変わるらしいのですが、「」のように見える今宵、このような色の組み合わせに、理由があるのかどうかは知りません。

 

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 話はそれましたが、DCからNYへ入った日は土砂降り。

 翌日のNY、小雨交じりの冷たい風の吹く一日でしたが、土曜日あたりから晴れ間が続き、日曜日、ナイアガラ・フォールズ(下/左)への遠足の日は、これ以上の日は望めないという天気。

晴れ女なんだから!を、この日ばかりは認めざるを得ません。                                                                                                                         

 

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 そして、今日も晴れ。
 
近代美術館・モマから地下鉄でロウアー・マンハッタンへ。

 

 ワールド・トレード・センタ跡地のグランド・ゼロに 「9・11」に思いをいたし、自由の女神(上/右)の島までのフェリー乗り場の列に恐れをなし、然らばと、スタテン島への無料フェリー、これが満員。で、傍を通り、女神のご尊顔を拝してきました。 
 ただ、このフェリー無料ですから近くを通りません。ズームで拡大しましたが、女神のお化粧の具合など、よくは分かりませんでした。

 

 明日はまた、DCへ戻り、ナショナル・ギャラリーを訪ねます。
誰?こんなアイテナリー組んだの!と、パッキングをしながら誰かの呆れたような声が聞こえます。

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旅の途中に ‐ 元気に

2010年10月16日 | アメリカ/カナダ

 インデイアン・サマーというのだそうです。
 10月だというのに真夏を思わせるワシントンD.C.(写真上左:アメリカ連邦議会)から、一転、時雨交じりの冷たい風が高層ビルを吹き抜けるニューヨークに、都市間特急・アムトラックで一昨日(14日)入りました。

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 天気の変わりようの激しさに少し戸惑いながらも、初めてのアメリカ旅行、元気に楽しんでいます。

 NY時間の15日(金)朝一番に、待望のメトロポリタン美術館、愛称メット(写真上右)を訪れ、ほぼ一日を過ごしました。
 今回、DCのフィリップス・コレクション、NYのフリック・コレクションに次いで三館目です。

 フィリップス・コレクションでは、ルノワールの「舟遊びをする人々の昼食」(写真中)など、素晴らしい作品と出会いました。
 フリック・コレクションでは、フェルメールの「婦人と召使い」など、三作品と出会いましたが、写真撮影は残念ながら禁止されていました。

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 カタリナ、メットの膨大なコレクションのなかから、レンブラントとフェルメールに改めて感激。
 なかでも、レンブラントの「ミネルバ」(写真下右)など、その収蔵作品のボリュームには圧倒されたようです。

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 「お稽古のお仲間にはご迷惑をおかけしますが、もうちょっとだけ 旅の途中にいさせて下さい」と、カタリナは申しております。
 また、機会があればアップする予定です。

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新米と一緒に‐散歩道

2010年10月15日 | 

 カタリナ の実弟、この季節になると嬉しくも新米を送ってくれる。

 精米されていないので、近くのコインランドリーならぬ、コイン精米機のお世話になる。
 以前、「利用する人はあるの?と思っていたが、要らざる心配だったようだ。
 爽やかな天気の午前、散歩がてらこの精米所?に行くと、次から次と大きな米袋を積んだ自家用車が到来する。

 Photo_2 ところでこの日の散歩、精米所へ向かう途中、神祇官公園、別名、百日紅公園という猫の額ほどの公園を通った。
 驚いたことに、終わりの「百日紅」に混じって、「紅木蓮」が蕾をつけていた。(写真上)

 少し前、<身につまされて>で、どうも春に咲く「満作」だと思うが、この花、季節を間違えて咲いたのか、などと書いたが、この「木蓮」にも驚いてしまった。

 新歳時記・ホトトギスに “ 歸り花 ” という季語がある。
 「桜」「梨」「躑躅」などが、初冬の小春日和の頃に時ならぬ花を開くのをいい、単に帰り花といえば桜のことで、他の花はその名を補いなどして感じを出すとある。

 Photo また、人が忘れた頃に咲くので忘れ咲きともいい、時ならぬときに咲くので、狂ひ花とも狂ひ咲などともいうらしい。

 勿論、季節は違うが、先の満作もこの木蓮も、帰り花よりも狂い咲のほうに近い。

 精米を終えた散歩の帰り道、珍しく散歩に同行したカタリナが、「あゝ、この匂い・・・」と呟く。
 そういえば、どこからか秋の香りが漂う。
 辺りを見回すとと、塀の傍、低木に小さな橙色の小さな花弁を見つけた。
 「金木犀」(写真下)だった。

 この日(8日)から、二十四節気のひとつ、露が冷気によって凍りそうになる “ 寒露 ”。
 自然界も、今年の異常気象に面食らっているようだが、咲くべき時期になればきちんと咲く花もあり、ほっとする。

  うかうかと咲き出でしこの歸り花 (虚子)

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