ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

中世の街で ‐ 秋色のアルザス(9)

2012年10月08日 | フランス

 ノートル・ダム、花のマリア大聖堂(上/左・右)と別れ、隣にあるロアン邸舘に向かった。

 18世紀にストラスブール大司教ガストン・ロアンによって起工、ルイ14世の庶子とされるガストンが大司教と同時にアルザス地方の領主として絶大な権力を握っていたのだそうだ。

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 そのロアンの宮殿だったというこの邸宅(下/左・中)、内部に三つの博物舘などがあり、そのひとつが美術館(下/右)になっている。
 パリ郊外ヴェルサイユ宮殿を模したとされる邸内は、贅を極めたものだったらしく、1階の装飾博物館などにその一部を展示されているらしい。

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 そちらの分野は余り興味がないので、美術館のある2階へと上がったが、その階段(下/左)、見事な装飾が施されてい、往時の権勢の一端が窺えた。

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 さて、美術館(上/右)だが、ゴシック絵画最大の巨匠ジョット(下/左・1267-1337/イタリア)、15世紀後半ベルギーのブルージュで活躍した初期フランドル絵画のメムリンク(1430-1494)、ルネッサンス期イタリアで活躍したボッティチェリ(1445-1510)やラファエロ(1483-1520)、マニエリスムの大家グレコ(下/中・1541-1614/スペイン)、バロック期の巨匠ルーベンス(1577-1640/フランドル)とレンブラント(下/右・1606-1669/オランダ)から19世紀後半にフランスで発展した写実主義のコロー(1796-1875)やクールベ(1819-1877)まで、幅広く作品が並んでいて結構見応えがあった。

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 ところで、旧市街は、プティット・フランスで別れたイル川に囲まれた中州にある。
 その中州を回る遊覧船、ロアン邸舘の直ぐ傍に乗り場があって、川面から歴史遺産の街を眺める計画だった。

 美術舘を出たその足で乗り場に向かったが、芋の子を洗うような塩梅、30分おきに出るらしいのだが、無常にも時刻表には、夕方5時頃の便まで売り切れの看板が架かっていた。
 そんな時間まで待って乗ることもないし朝からコルマールまで遠足に行ったこともあって、旧市街の雑踏のぶらぶら歩きを楽しんでホテルに帰った。

 それにしても、素晴らしい天気のアルザス地方、「晴れ女でしょう」の「実力?を実感」した寄り道でした。

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 翌朝早く、駅前(上/左・中)からルフトハンザ航空のバス(上/右)、これが満員。に乗り、フランクフルト空港へと向かった。

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 空港でチェックイン(上/左)を済ませた後、「呆れた・・・」という非難の目も何のその、「ドイツビールの飲み納め」と、何をさておいてもジョッキを手にする誰か(上/中)であった。
 機中(上/右)の人となったその誰か、シートベルトのランプが消えるや否や「ZZZ・・・」、「分かりやすいやつ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.523

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マリア大聖堂 ‐ 秋色のアルザス(8)

2012年10月05日 | フランス

 コルマールのウンターリンデン美術館の「イーデンハイムの祭壇画」。
 描かれた背景などを知って「なるほ」と納得、午後も早くストラスブールに戻った。

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 一旦、ホテルに戻り小休憩の後、旧市街へと出かけた。
 好天に誘われて街に人が溢れ出し、イル川の本流が四つに分かれるプティット・フランス(上/左・右)の辺りは観光客が一杯、ランチを摂ろうとレストランを覗いても座る席がない。

 ぶらぶら歩きで、大聖堂やロアン邸舘のある広場に向かった。
 繰り返しになるが、この街、覇権争いに巻き込まれフランスとドイツを行ったり来たり、歴史に翻弄されつつもふたつの文化が融合、独特の文化が育ま」れた中世の美しい街(下/左・中)で世界遺産に登録されている。

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 10分ほどで、大聖堂(上/右)に着いた。
 12世紀の後半、北フランスではこれまでと異なる様式の聖堂建築が始まったとされている。
 それは、パリ郊外のサン・ドニ大聖堂の改築に始まるゴシック様式。
 高い天井と広い窓から外光を取り入れる設計思想は、“ 神は光なり ” という聖書の言葉を具現化するものだったという。

 ノートル・ダム大聖堂は、13世紀の初めストラスブール大司教に就いたベルトルトが改築を命じ、50年の歳月をかけ今のゴシック様式の身廊が完成したとされている。

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 なるほど、空を圧するかのように尖塔が聳えている(上/左)。
 西側正面中央門扉(上/中)、閉じられていた。には、「キリストの受難」や「最後の審判」などの場面がおびただしい数の彫刻で表されてい、彼の文豪ゲーテは「荘厳な神の木」と讃えたらしい。

 祭壇(上/右)に向かって足を運ぶと、16花弁のバラを模したステンドグラス(下/左)が秋の光を浴びて、パリのノートル・ダム大聖堂に優るとも劣らない輝きを見せている。

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 説教壇やパイプオルガン(上/中)は精緻な彫刻が施され、そして、万年の暦と時を刻む天文時計(上/右)など、その時代の科学、技術などの粋が集められたもので見応えがあり、ここに限らず、往時のキリスト教の権力と財力をまざまざと見せつける。

 話は前後するが、午も大分過ぎお腹がへって仕方がない。
 大聖堂の前のカフェ(下/左)で、陽気にたまらず生ビール(下/右)、コップに目盛りがあるのはドイツ風?。を、二杯も空けた。

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 酒気を帯びて聖堂に入っちゃいけないが、ノートル・ダム、花のマリア様に「ごめんなさい」と謝ってお赦しを得た。「不謹慎なやつ」「ご尤も」。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.522

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童心に帰って ‐ 秋色のアルザス(7)

2012年10月03日 | フランス

 話はかなり前後するが今年の春浅き2月、ウフィツイ美術館の旅を終え、「さて次なる旅は」と思案投げ首。
 で、陳腐だがパリと決めたもののルーヴル美術館は聊か手に余る。

 ということで、ペトロ とカタリナ、ルーヴルと並んでパリのエスプリ、オルセー美術館(下/左)を訪ねることにし、過日、その旅を終えたところである。

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 その旅の合間にモン・サン・ミッシェル(上/中)へ道草したが、次なる寄り道はアルザス地方は秋の色に装いはじめたストラスブール(上/右)。
 旅を終えて道草もないだろうから、後日談と言った方が理に叶うか?
 そのアルザスもコルマールへの遠足の途中にあって、少し生な?祭壇画を見た後、美しい中世の町をうろうろきょろきょろとしている。

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 で、ウンターリンデン美術館を出てしばらく、広場に珍しい乗り物、プチバスが停まっていた。
 この公道を堂々と走る玩具のようなバス、パリのモンマルトルの丘(上/左)に向かって、マドリード郊外トレド(上/中)の古色蒼然とした旧市街を、リスボン郊外の夏の離宮シントラ(上/右)への山道など結構見かけた。

 歩くことに少し疲れてもいたし、周回ルートに国鉄駅が入っているというので乗る(下/左)ことにした。
 乗ってみると、天井辺りにヘッドホンが架かっていて、それぞれの座席にチャンネルを合わせる小さなツマミ(下/右)が付いている。

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 フランス語は勿論、英語、スペイン語などと並んで日本語もちゃんとある。
 消毒がされているのか少々疑わしいが、耳につけると流暢、当たり前か。な、日本語がバッグランドミュージックに載って流れる。

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 4、5両も繋いでいるだろうか、狭い街路を進み、庇が接すると思えるような四つ角も慣れたもので小器用に曲がる。
 そのうち、水路に沿った中世の木組みの家のバルコニーに、ひときわ綺麗な花が並ぶ場所に出た。
 古都、コルマールのオアシス、プティット・ベニス(下/中・右)と呼ばれる、差し詰め、××の小京都と言ったところ?ネーミングなんて何処の国も同じで陳腐。

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 バスは、くねくねとあっちこっちを曲がり、「駅についたよ~」のアナウンスとともに、朝降り立ったコルマール駅の直ぐ傍に停まった。
 ホームにはストラスブール行きの電車が待っていて駆け込みセーフ。車中は往路と違って学校帰りらしき女学生が大勢、その姦しいこと。

 穏やかな秋の日のひと時、童心に帰って文字通り楽しい遠足を楽しんだ。
 写真は、そのプチバスから眺めた町の風景、ビデオから抽出したので画面は粗いが、アルザスの小さな町の雰囲気を聊かでも感じて貰えればと思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.521

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アントニウスの火 ‐ 秋色のアルザス(6)

2012年09月26日 | フランス

 “ キリストの磔刑 ” やら、奇怪談?“アントニウスの誘惑 ” やらで、かなり道草をした。
 ここらで、マティアス・グリューネヴァルト(1470-1528 /ドイツ・ルネサンス)の「イーゼンハイムの祭壇画」に戻し、まずは、多翼層からなる祭壇画の構成から話を進める。

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 第一面左翼は「聖大アントニウス」(上/左)、中央には、この祭壇画の主テーマである「キリストの磔刑」(上/中)。
 そこには、「聖母マリア、マグダラのマリア、使徒ヨハネと洗礼者ヨハネ」が、右翼には「ペスト患者の守護聖人セバスティアヌス」(上/右)、プレデッラ・祭壇画下部の層には「ピエタ」(最下段/左参照)、降架されたイエスを抱く聖母マリアの姿が描かれている。

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 また、第二面左翼は「受胎告知」(上/左)、中央には「キリスト降誕」(上/中)、右翼に「キリストの復活」(上/右)が描かれている。

 第三面左翼には、「聖アントニウスの聖パウロ訪問」(下/左)、右翼には前回書いた「聖アントニウスの誘惑」(下/右)を描く。

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 これらの絵に挟まれた中央(上/中)には、中央に「聖大アントニウス」、向かって左に「聖アウグスティヌス」、右に「聖ヒエロニムス」が、プレデッラにはキリストと十二使徒」(最下段/中参照)の彫像が配され、実に諸聖人総出?の形を成しているが、像の部分は絵の部分と切り離され展示室の奥の壁に架かる。

 第一面の中央のパネル「キリストの磔刑」に戻る。
 そこには、一切の理想化を施さず、凄惨で生々しいまでにキリスト(下/左)が描かれている。
 頭をがっくりと垂れた十字架上の肉体(下/中)は皮膚病に冒されたのかやせさらばえて醜く、指先(下/右)はもがき引き攣ったまま固まり、耐え難い苦痛を窺わせる。

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 彼は何故、このようなキリスト像を描いたのか?
 この祭壇画があった聖アントニウス会修道院付属の施療院は、イネ科植物に寄生する麦角菌によって罹る麦角中毒、中世ではライ麦パンによる感染がしばしば起こった。の、病者の救済を使命としていた。

 この病に罹ると手足が燃えるような痛みに襲われ、やがて壊死するとされていて、アントニウス自身もこの病のために足を失い、当時から “ 聖アントニウスの火 ” と呼ばれていたらしい。

 病者がこの絵を見ることによって、自らの苦痛を十字架上のキリストの苦痛と同化し救済を得るようにと、このような凄惨な磔刑像が描かれたとされている。

 また、難病の病魔に打ち勝ちたいという願いを、聖大アントニウスの逸話に重ね合わせて仮託、確かな治療法がなかった時代のこと、祈りにすがったことは容易に理解できる。

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 とまれ、祭壇画(上/左・中)を前に「う~ん!」と絶句、美術館(上/右)を後にしたが、外は絵とは裏腹の秋の爽やかな陽光が溢れ、「健康っていいなあ」と暫し感慨に耽ったのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.518

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アントニウスの誘惑 ‐ 秋色のアルザス(5)

2012年09月24日 | フランス

 ドイツ絵画史上最も重要な作品のひとつとされる「イーゼンハイムの祭壇画」。
 作者は、ドイツ・ルネッサンスの巨匠デューラー(1471-1528)と一歳違いのグリューネヴァルト(1470-1528)、系譜的にはゴシック期の末期の範疇に納まるべき画家とされているようだ。

 その彼の代表作であるこの祭壇画、今はウンターリンデン美術館(下/左・右)に収蔵されているが、元はコルマールの南20kmほど、イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院の礼拝堂にあったという。

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 3世紀にエジプトで生まれた聖大アントニウス、敬虔なキリスト教徒である両親から教えを受けたが二十歳の頃に死別、多くの遺産を貧者に与え自らは砂漠で修道の生活に身を投じたとされる。

 話はそれるが、2000年・大聖年にイタリアのパドヴァ(下/左)のサンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂(下/中・右)を巡礼をしたが、迂闊にもそのパドヴァの守護聖人アントニウスと混同していた。

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 区別するため大アントニウスと呼ばれているが、当時、世俗を離れて信仰を深める形の修道生活が始まったばかりで、最初は彼も隠遁という程度だったらしい。

 禁欲的な修道の生活で彼は悪魔の幻覚に苛まれる。
 財産・金銭欲、名誉欲、食欲、色欲といった、断ち切った現世での諸々のことに惑わされ、また、悪魔の一群による暴力、麦角菌による足の壊死のこと。などによって耐え難い苦痛も受ける。

 悪魔の執拗な誘惑に打ち勝った彼は、六十歳を超えてなお過酷な修道生活を送る。
 修道中、数々の奇跡、主に病気の治療だったという。を起こし、その修道生活から学ぼうとする若き修道士とともに初めての修道院を作る。
 このため施薬の守護聖人として崇拝され、修道院の父とも称されるようになる。

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 ところで、砂漠で修道中に受けた数々の悪魔の誘惑、奇怪で生々しい幻想に襲われる様は、“ 聖アントニウスの誘惑 ” として格好の画題とされたようで、古くは若き頃のミケランジェロ(上/左=1475-1564/イタリア・ルネサンス/テキサス・キンベル美術館蔵)、01年にブタペスト国立美術館で見たマルティン・ショーンガウアー(1450-1491)の版画(上/中)を模したものらしい。から、新しくは05年にブリュッセルの王立美術館で出会ったサルバドール・ダリ(上/右=1904-1989/スペイン・シュルレアリスム)まで、多くの画家が挑んでいる。

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 奇画の元祖と呼ぶに相応しいヒエロニムス・ボス(1450-1516/初期ネーデルランド絵画)も然り、07年にコンポステーラへの巡礼の途中、リスボン国立古美術館(上/左)で彼の「聖アントニウスの誘惑」を見たが、珍獣が空を飛び地を蠢く、何時もながらのボス・ワールド(上/右)に呆れ驚いたことを覚えている。

 ちなみにこの悪魔の誘惑の場面、「イーゼンハイム祭壇画」の右翼の内側にも描かれているが、当然と言えば当然か。話が大きく逸れた、もとに戻す。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.517

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キリスト磔刑 ‐ 秋色のアルザス(4)

2012年09月21日 | フランス

 コルマールの旧市街の芝生の広場の一角に、ウンターリンデン美術館はある。
 その一室に架かっているのが、16世紀に活動したドイツの画家マティアス・グリューネヴァルト(1470-1528 /ルネサンス)が描く、ドイツ絵画史上最も重要な作品のひとつとされる「イーゼンハイムの祭壇画」。

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 美術館が開くのを待っているのか、美術館の前に置かれたベンチに数人が腰掛けている(上/左・中)。
 小さな庭に古い井戸(上/右)があってその傍らが入口、開館を待っていた人たちと一緒にエントランス・ロビーに足を向けた。

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 ところで、この美術館、1232年に建てられたドミニコ派修道院を改修したものだそうで、館内には葡萄の圧搾機(上/左)や酒樽(上/右)が遺され、この地が古くからワインの醸造地であることを窺わせる。

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 記憶が薄れているが、ロビー(上/左)から回廊(上/中・右)に出て直ぐ、数段ばかり下がった部屋だったように思う。に、採光溢れる礼拝室があって、その中央に大きな祭壇画(下/左)が置かれている。
 そして、その奥の壁にも聖人の像が並ぶ祭壇画?(下/右)があって、「えっ、どうしてふたつ?」と素朴な疑問が浮かぶ。

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 左翼と右翼からなる三連画の祭壇画は多く見かけるが、ここの祭壇画は、幾つもの翼を持つ複雑な構成になっていているらしく、展示はそれを分解、それぞれが独立して見られるよう工夫してあるのだそうだ。
 その中央にあるのが、この祭壇画のメイン・パネル、「キリストの磔刑」。

 十字架上のキリストをテーマにした絵は、それこそ綺羅、星の如くあるが、印象に残るのはスペイン絵画史上に並び立つ三巨人、エル・グレコ(1541-1614/マニエリスム)、ベラスケス(1599-1660/バロック)、そして、ゴヤ(1746-1828/ロマン主義)描くところの「キリストの磔刑」。

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 グレコの「キリストの磔刑と2人の寄進者」(上/左・ルーブル美術館蔵)、青い色調のなかで遥か遠くを見つめる表情に苦悶も悲嘆もなくあるのは希望。

 ベラスケスの「サン・プラシドのキリスト」とも称される「キリストの磔刑」(上/中・プラド美術館蔵)は、頭に輝きを放つイエスは全てを超越した神の子であることを。

 また、ゴヤのそれ(上/右・プラド美術館蔵)は、苦悶の表情を浮かべながらも天を仰ぎ父なる神に訴える姿をそれぞれに表し、そこには理想化された美が窺える。

 三つの傑作を見てから<グリューネヴァルト>の、「キリストの磔刑」を見れば、彼が如何に生々しくこの場面を捉えたかが理解(わ)かる。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.516

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コルマール ‐ 秋色のアルザス(3)

2012年09月12日 | フランス

 ストラスブール駅(下/左)の構内にある切符の自動販売機。
 画面の「English」のボタンを押して、「ああでもない、こうでもない」と悪戦苦闘しているのを見かねたのだろう、駅員がやってきて、「ああして、こうだろう」と親切に教えてくれる。
 お互いカタコトの英語を駆使?して往復チケットをゲット、コルマール方面へのホームには電車(下/中・右)が待っていた。

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 ラッシュアワーも過ぎたのだろう、「ほんとにこの電車でいいの」と思うほど?
 周りを見渡せば、お孫さんにでも会いに行くのだろうか初老のおばさんがひとり。
 それにしても、遠足にもってこいの晴れた日、爽やかな陽射しが収穫を終えた畑に降り注いでいる。

 父なる川ラインを挟んでドイツと接するアルザス地方、豊穣の大地がもたらすものは葡萄。
 フランス有数のワインの醸造地で、葡萄街道と呼ばれる丘陵地帯には多くの醸造所が並んでいるのだそうだ。
 ちなみにアルザス・ワイン、すっきりとした辛口の白が特徴なのだそうだが、どれを飲んでも同じのワイン音痴には無縁のこと。

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 のどかな田園地帯を小1時間も走っただろうか、電車はコルマール駅(上/左・中・右)に着いた。
 何しろ当日ホテルでの朝食の席で、「コルマールへ行こうよ」と急遽決めただけにまるきし予習不足、どっちへ歩きゃいいのやらさっぱり。

 カタリナ、とある店で訊ねている、「まさかフランス語?てなことないよね」。
 身振り手振りで通じるもので、駅前通りを少し離れて大きな通りを左折、真っ直ぐに進むと旧市街に出るらしい。

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 人影も少なく静かな通りを10分ほども歩いただろうか、パンジーが植え込まれたばかりの大きな公園(上/左)、ブリュアットと呼ぶらしい。を右手に見て暫く、美術館への標識(上/中)が、その先に教会や木骨組みのドイツ風の家並み(上/右)が見えた。

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 カフェなどでは開店の準備に余念がない様子、花で飾った壁や愉快な看板(上)が目を楽しませてくれる。
 その旧市街の一角、大きな芝生の公園の傍に、「ウンターリンデン美術館」はある。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.512

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TGV ‐ 秋色のアルザス(2)

2012年09月10日 | フランス

 ロン・パリという聊か気恥ずかしい旅程の〆に、ストラスブールで三日間を過ごし、ルフトハンザ航空の空港バス(下/左)でフランクフルトに向かうことにしたのだが、そのパリからストラスブールへ向かう列車のこと。

 フランスが誇る高速鉄道TGV・テージェーヴェー(下/右)、07年6月東ヨーロッパ線が開業、パリ東駅とストラスブール中央駅が2時間余で結ばれた。

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 フランスに限らずヨーロッパの列車、ローカル線の1等車と2等車は余り違いがなく、高い運賃を払ったことを後悔することが多い。
 が、新幹線に類する高速列車は逆にその違いが際立ち、2等に乗車してから1等にしなかったのを悔やむことが間々ある。

 パリ東駅(下/左)、この駅はパリ東部にある訳じゃなくフランス東部方面への駅。を発つTGV、20両も繋いでいようかという長い編成のうえに、出発ホームが直前までアナウンスされないため、指定車両までホーム(下/右)を矢鱈歩かされる、時によっては走らされることもある。

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 しこたま汗を掻きながらようよう乗れば、1等と違って2席×2席が1列に並ぶ。
 狭い通路に大きな鞄を抱えた旅行客がわんさかいて、自分たちもその一人だが。鞄の置き場所を巡る小さなバトルにシートピッチの狭さが輪をかけ、「もう二度と2等なんぞに乗るもンか」と思ったりする。

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 話はそれるがこの苦行、足の短いカタリナ は理解の外らしく大概は 「2等で十分」と涼しいのだが、この旅でロッテルダム(上/左・中)、駅舎は大工事中でした。からパリへ移動する際にブリュッセルでパリ北駅(上/右)、この駅はパリ北部にあって東駅と並んでいる。へ向かうTGVに乗り換えた折には、乗り換え時間が殆どないうえに余りの混雑振り、予約した席に他人が既に座っていたこともあって、「何故1等にしなかったの」と勝手にも叱られたりする。

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 二度ばかり乗った英仏を結ぶユーロスター(上/左・右)も然り、僅か2時間ほどのことと一番安いクラスを手配、たまさかかも知れないが、運行本数が思いの他少ないこともあってその混雑振りに驚かされる。

 それに引き替え1等、スペインのAlvia(下/左)、イタリアのEC(下/中)、ドイツのICE(下/右)など、質実と言えば聞こえがいいがしまり屋な欧州人の見本みたく、風邪をひきそうなほどに空いていることが多い。

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 個人旅行を始めた頃は、言葉や不慣れなどもあって予め1等を予約したものだったが、慣れるに従い、がやがやとした喧騒感のなかに居てこその旅情、と粋がって2等に。
 最近は体力不足もあり、ゆったりと車中を過ごしたくて1等にすることが多いが、カタリナも異存がないよう。

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 話を戻して、そんな訳で、石組みの古い駅舎を蚕の繭のようにガラスで覆ったストラスブール中央駅(上/左・右)に着いた時には、くたびれ果てていたのであります。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.511

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秋色のアルザス

2012年09月07日 | フランス

 モン・サン・ミッシェルの巡礼で、初期ネーデルランドの画家ウェイデン(1399-1464) の「<最後の審判の祭壇画>」(フランス・ボーヌ施療院蔵)のことを書いた。

 祭壇画とは、教会堂などの壁や床や窓に描かれたモザイク画、フレスコ画、ステンドグラスなどと並んで、旧約聖書、新約聖書や聖者伝などの場面を、崇拝の対象としてあるいは宣教のために板に描かれた絵のこと。

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 中世宗教絵画の中核をなす祭壇画、日本人には馴染みが薄いが、フランダースの犬でネロ少年が、アントワープ大聖堂(上/左)の祭壇に架かるルーベンス(1577-1640/フランドル・バロック)の傑作、「キリストの昇架」(上/中)と「キリストの降架」(上/右)を見ながら雪の日に天に召される場面は知られている。

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 馴染み薄いと言えば、フランスのアルザス地方、ストラスブール(上/左)から小一時間、コルマール(上/右)という町がある。
 人口7万人足らずの小さな町だが、アルザスのベニスとも称される美しい水の町で、旧市街の一角に「ウンターリンデン美術館」がある。

 この美術館のイチ押しは、これまた馴染みのない16世紀に活動したドイツの画家マティアス・グリューネヴァルト(1470-1528 /ルネサンス)が描いたとされる、「イーゼンハイムの祭壇画」。

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 話は少しそれるが、英国最大の画家のひとりウィリアム・ターナー(1775-1851/ロマン主義)。
 クロード・モネ(1840-1926/フランス・印象派)は、普仏戦争を逃れて英国へ避難した際に、ターナーの「ノラム城、日の出」(上/左)などから大きな影響を受け、傑作「印象‐日の出」(上/右)を描いたとされることは以前に書いた。

 そのふたりの作品を観るためにロンドン・パリという、聊か気恥ずかしくなるような旅の最後、帰国便に乗るためパリから列車でフランクフルト空港(下/左)へ向かう途中、ライン川の河川港を抱える交通の要衝であるがゆえに仏領と独領を行ったり来たり、歴史に翻弄されつつも両国の文化が混在する中世の街ストラスブールに寄り道、大聖堂など美しい町並みを楽しんだ。

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 カタリナ の提案で、16世紀初頭、ルネッサンスと宗教改革の嵐吹きすさぶこの時代、この時代だからこそと言うべきか。に、偶像化を否定するかのように、ちょっとおどろおどろしくも生身のキリストを描き、奇画と呼ぶに相応しい「イーゼンハイムの祭壇画」を見るため、ストラスブール駅(上/中)からコルマール駅(上/右)方面へと向かう電車に乗った。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.510

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小さき巡礼の後で

2012年06月26日 | フランス

 機会があればと思っていた<大天使ミカエル>が見守る聖地<モン・サン・ミッシェル>への巡礼。
 早朝に出発、夜も遅く帰る強行軍だったが、大きな感動と驚き、そして信仰のもたらす力、時代を問わず崇めるものへの畏れ、そんな何かを肌で感じた小さな旅だった。

 修道院のマリア像の台座に、「NOTRE DAME D. MONT-TOMBE」とあったが、ノルマンディとブルターニュに跨るシシイの森の中、トンブ山と呼ばれる小高い地に蜃気楼のように浮かぶその姿は、石組みの壁がそそり立つ要塞、このように表現するのが一番相応しく思えた。

Photo_8 事実、14世紀には百年戦争に巻き込まれて城塞とされ、1789年のフランス革命時には政治犯の牢獄として使用されるなど、歴史に翻弄されてきたこの聖地、今や世界有数の遺産のひとつとされ、巡礼者のみならず多くの観光客が訪ね平和と自由を享受する。

 平和と言えば、雨足が一向に衰えない聖地からの帰途、夕食のためノルマンディ地方の海辺の街カーンにある平和記念館に寄った。

 この辺りは、第二次世界大戦でナチス・ドイツに反転攻勢をかけるべく連合軍が上陸、いわゆる D ‐ day 作戦が行われた地に近く、「史上最大の作戦」や「プライベート・ライアン」などの映画で記憶に残る。

Photo_9 最近、その「プライベート・ライアン」のスピルバーグ監督と主演のトム・ハンクスが製作、ノルマンディに降下した後ベルリン目指し転戦する、米陸軍空挺師団パラシュート歩兵連隊のある中隊を描く「バンド・オブ・ブラザーズ」という10話からなるTVドラマをDVDで観た。

 ドラマに登場するキャラクターは総て実在する人物、無名の俳優が徹底したリアリズムで熾烈な戦いの場面を演じている。

 今も生存する本人が各エピソードの冒頭に登場、戦争がもたらす悲惨、残酷さを贖いに得た平和と自由、そのことを語る言葉が重い。

 話は戻って、平和記念館のロビーには実物と思しき当時の戦闘機が天井から吊り下げられ、夕刻にも関わらず小学生のグループが無邪気にそれに見とれ騒いでいた。

 オルセーの合間、聖地巡礼の稿を終えて、ほんの70年ほど前、一人の狂気の者によって無辜の者がホロコースト・大虐殺されたこと、今もシリアで愚かな独裁者によって同じことが繰り返される悲劇を考えさせられている。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.482

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