ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

オンライン授業

2020年07月18日 | 社会派らぼ
法務省は、全国で「子どもの人権SOSミニレター」という事業を展開しているそうです。学校でのいじめや体罰、家庭内での虐待などに悩む子どもたちの相談場所として、設けているもので、チラシの裏面の封筒部分を切り取って成形し、中に困っている事を記入した便せん部分を入れて投函できるようになっています。親や教師にも相談できない子ども達の悩みごとのフォローをする目的で作られています。

このミニレターを利用して、7歳の児童が「密な学校がこわい」という内容を投稿したところ、人権擁護委員からは「今は、あきらめて」という返答がかえって来たと母親がツイートしました。大阪法務局に寄せられた子どもの相談には「オンライン授業を行ってほしい」といった事が書かれていたそうです。こうした答えしか返らない事に疑問をもった母親が、返事の画像と共に「なんのための相談なのか」と投稿したところ、コメントやリツイートが相次いだものです。大半は、母子の立場を支持するものだったようです。

法務局は、もっと「いじめ」や「虐待」などの人権問題のSOSを拾い上げようとしたもので、このような役所への「批判」や「注文」を前提にしたものではなかったのだろうと思います。それでも学校へ通うことを説得するようなつもりで返信をしたのだろうと想像します。が、この問題に関して返信しなくてはならないのは、法務局でなく文科省・教育委員会であったはずです。

7歳が言うまでも無く、オンライン授業は進めなければならないと私は思います。コロナ感染拡大を防ぐため、小中学校は3ヶ月もの長い間休校措置がとられ、子ども達は授業を受けることができませんでした。新学年が始まっても授業が始められない状態で、中には県や市レベルでオンライン動画が流された地域もあったようですが、きちんと体系立てたものが作られたわけではありませんでした。

こういう時こそ、NHKなどが率先して、学年ごと・教科ごとの授業動画を作るべきではないだろうかと私は思いました。が、体系立てた試みが模索されることも無く、分散登校などが始まり、以来オンライン授業の必要性を述べる意見は出ては来なくなりました。

コロナ感染者が今も増え続けている現状、経済活動優先という視点は分からなくもありませんが、例えば学校だけの休校措置であれば発令できなくもありません。withコロナといった事が言われています。教育の在り方は、根本的に変わらなければならないのではないかと私は思います。学校が正常に稼働していたとしてもオンライン授業の動画は、副教材のように役立てることもできるはずです。全国の学校による格差をなくすことにも繋がります。第一、必要になったからと言って、一朝一夕にクォリティの高い授業動画を作る事はできません。準備が必要です。学年も多いですし、科目も多いわけですから、相当な時間がかかります。

今回のケースは、子どもの声に対し、にべもなく「あきらめて」という回答をすること自体への批判が主ですが、今だからこそ、この7歳の声に応えるようにこうした取り組みが始まっても良いのではないでしょうか。

教育

2020年07月17日 | 社会派らぼ
コロナウイルスや梅雨前線がもたらす豪雨など、気の滅入るニュースばかりが続く昨今、メディアが飛びつくのも良く分かります。タイトル獲得の最年少記録を30年ぶりに更新した17歳11か月の久々の明るい話題です。棋聖戦の五番勝負に臨んでいた藤井総太七段が3勝1敗で、タイトル戦を制しました。敗れた渡辺明三冠が「すごい人が出てきたなという感じです」と感想を話されましたから、本当に「スゴイ」人なのだろうと思います。

かつて14歳2ヶ月で、史上最年少で中学生プロ棋士になった際も話題をさらいました。彼は高校進学にあまり乗り気ではなかったように見えたのですが、周囲の勧めもあって高校進学を決めたような報道がありました。興味本位の学業成績などの記事が出て来ないことを祈りますが、学校の勉強以外に、人がその能力を発揮する場があるという事を身をもって示してくれることに、多少の快哉を叫びたい思いがあります。

永世棋聖の称号を持つ米永邦雄氏は、ご本人の言かどうかは知りませんが「兄達は(4人兄弟の末っ子だそうです)頭が悪いから東大へ行った」という言葉は有名になりました。米永永世棋聖のお兄様は3人とも東京大学に進学しており、当時も今も最高学府と言われる東大は「頭が良い」者が目指すところだという認識を誰もが持っています。それを「頭が悪いから」と言ってのけたのは、ある意味痛快でした。

昨今の受験の実状にはもうあまり詳しくなくなりました。それでも塾通いをして、いわゆる「イイ」大学を目指す受験生たちは多いことと思います。別段悪いことでは無いと思いますが、大学受験等が課している「頭の良さ」には大きな疑問があります。自らの中からあふれ出るように学業に向かう事…と言うのは、無理なのでしょうか。受験地獄の中でしのぎを削ってイイ大学に入る…といった社会風潮が強いほど、子ども達のいわゆる「成績」は良くなるのかもしれませんが、そうではない「頭の良さ」を目指しても良いのではないかと思います。

学校の成績如何で、進学先が定まる…といった風潮にも疑問があります。いわゆるエリートとされる医学部や法学部など専門の資格を取得するところは「専門学校」の範疇にしても良いのではないだろうか…と本気で思っています。その昔、某有名進学校の名物教師が(言葉が悪くてゴメンなさい)「阿保は法科。できもしないに文学部など行くな」という指導をされたという武勇伝をちょっぴり思い出しました。

学歴だけが全てではない事、本当に優れた才能を育てる事。コロナ禍で教育が足踏みをしている今だからこそ、本当の意味での才を育て、その才があれば学業成績もそれなりにきちんと目指せること。新たな視点が教育にも欲しいと感じます。

変わろう

2020年07月16日 | 社会派らぼ
東京都では新たに280にん以上のコロナ感染が確認されたようです。大阪府も昨日、新たに61人のコロナ感染が確認され、緊急事態宣言解除後で最多となりました。誰が見ても、自粛解除で人々が動き始めたための、感染第2波です。ただし、今のところ、皆が動いているのだからこのくらいの感染者数は仕方がないといったニュアンスで、緊急事態の再宣言は見送られているようです。第2波までに、経済を回復させて、失業や倒産を食い止めようとする政府のシナリオは少し間に合わない感を呈してきました。感染拡大防止と経済活動の両立が、非常に難しいところです。

そんな中、東京女子医大では、コロナによって収入が大幅に減ったなどの理由で、夏のボーナスが支給されないことが分かり、退職を検討している看護師が多数いるらしい…と報道されています。全体の約2割に相当する400人程度が、退職を視野に入れていると見られています。もしかすると「ボーナスが支給されない」のが唯一の理由ではなく、コロナ禍の危険な最前線に居る事への懸念が、プロ意識を鈍らせるのかも知れません。身体を張って、危険な仕事に従事しているのだから、危険手当が支給されてもおかしくは無いのだと思いますが、残念ながら経済が落ち込み、それどころでなく日本経済が危機に面しています。感染者数が更に増えていく兆しを見せる中の、医療関係者の減少は痛手以外の何物でもありません。早急に医療体制が見直されなければなりません。

人類の歴史は感染症との闘いを繰り返してきました。ペストや結核、コレラなどがいずれも制御されて来たように、いずれコロナウイルスもワクチンや薬が開発されて終幕を迎えると信じてはいます。が、その昔に比べると人の移動が桁違いに多く、世界中に広がったコロナ禍はちょっとやそっとで終わってはくれない要ようです。延期になったオリンピックだって、準備なども含めて来年実施できる保証はありません。もしかすると戦争以外の理由での初のオリンピック中止になるやも知れません。開催国の安全が保障されるだけでは、オリンピックは開催できません。世界中からの参加国の選手たちが、安心して参加できる状況が必要ですから。

従来の発想だけでこの機を乗り切る事は、もはや難しい事のように思えて来ます。時間がかかる事かも知れませんが、全く発想自体を変えなければならないように思います。これまでお金を稼ぐ事が可能であった職種も、対面が禁じられると成り立たないものがたくさん出てきます。レストランは、客が店に来るという形態では成立しませんから、逆に店が家庭に出張する…といった形を模索せざるを得ません。出前やウーバーイーツのもっと上を行く発想が出て来ても不思議ではありません。学校も子ども達が登校して教室で学ぶ…形態でなく、自ら進んで各自が学ぶ姿勢が必要です。そういう意味では、今のカリキュラムも全て見直す必要も出て来るでしょう。

先日2020年代後半には、日本人宇宙飛行士が月面に降り立つ…といったプランが発表されました。月面を歩くにはいわゆる「宇宙服」を身に着けるわけですが、月は酸素も希薄でどんな微生物がいるかもしれない中、防護服が身を護ります。コロナ禍の中だって、宇宙服を身に着けていれば、感染の心配も起こりません。漫画の世界…ではなく、現実がどう変われるのか、この際だから自由に発想してみるのも悪くはありません。

勝負飯

2020年07月15日 | 社会派らぼ
17歳の藤井総太七段が挑戦している2つのタイトル戦のうちの1つ、王位戦の第2局が行われました。しかも、相当の苦戦を最後に大逆転しての2勝目だと言いますから、ファンならずともゾクゾクしてしまいます。「最年少タイトル獲得か?」と、マスコミは嫌でもヒートアップをしているようです。勿論、プロ棋士の収入は、タイトル戦を主催する企業などの出す対局料であるわけで、多くの人が関心を寄せなければ、企業もスポンサーにはならないでしょう。要は野球やサッカーなどと同様、多くのファンがいて成り立っているという事になります。

ですから、藤井七段のような新星が現れて無類の強さを誇る事が、たくさんの人の関心を引き寄せ、将棋界にとってはありがたい話です。かつての相撲界の若貴兄弟、野球で言うなら今や大リーガーとなった二刀流の大谷選手に匹敵するような存在。つまりは私のような門外漢でもその活躍ぶりを知る事になるような逸材ということです。それには、報道が不可欠というわけで、今回の王位戦もマスコミが貼りついています。

但し、王位戦といったタイトル戦の解説以外に、双方の棋士が昼に何を食べたとか、着物の色がどうだったかとかが、ニュースになることには違和感を感じます。たまに、そうした裏話的な取材が漏れ聞こえてくるのは、それはそれで面白いのかもしれませんが、毎回昼食メニューが報道される事には、その報道ホントに要るの?と思ってしまいます。他の競技に比べると、坐して向き合い、動きが非常に少ないわけで、何を食べた、何を着た…といった事でも取材しなければ、なかなか華に欠ける…のかも知れません。長考に入って、何を考えているのか、どう読んでいるのか…脳内が透けて見えれば、実況中継にも面白みが加わるのでしょうけれど、残念ながら外部から見える情報は恐ろしく少ないもので、記者たちが食事や衣服にこだわるのも苦し紛れなのだと想像もつきます。ある意味ではアイドルですから、くだらない一挙手一投足がニュースになるのも宿命でしょうか。

でも…、たまに1度や2度ならともかく、ここは彼らの領域を侵さず、遠くから見守っておきたい…というのは単なる母性本能では無いと思うのですけれど。そんな報道も超越している17歳かも知れませんが、暗いニュースが続く昨今での唯一と言っても良いくらいの「明るい」話題です。手慣れた記者の餌食になって欲しくはありません。

変わる

2020年07月14日 | 社会派らぼ
緊急事態宣言が解除されてから、徐々に感染者数が増えており、東京は連日200人越え、大阪も通天閣に黄信号が灯りました。ストップしていた経済活動が再始動して間なし。経済を止められないことが再宣言にブレーキをかけているのでしょうが、正直「終わり方」が分かりません。

世界中で、時代が大きく変わるポイントにある事は確かなようですが、何をどう選んでいけば正解なのか、世界中であみだくじでも引いているような錯覚を抱きます。但し、あみだの下端に「正解」というものが用意されていて、選択肢のどれかを正しく選びさえすれば間違いなく正解にたどり着くのか?という保証がありません。もしかすると、どれを選んでも、先は「ハズレ」くじなのかも知れず、何億年か先の人類とは異なる「何か」の考古学者が、2020年代に突然広がった感染症で人類が滅んだ…と、研究している可能性だって、否定できないかも知れません。

世の中が変わる…のでなく、当たり前だと思っていたことを見直して、変わらざるを得ないポイントに、私たちは今、立っているのでしょうか。ミーティングアプリもウーバーイーツも、実はもう少し前からサービスは始まっていました。コロナ騒動で外出がままならない状況に陥って、その利用価値が見直された、もしくは充実したといったところでしょうか。

これまでの「当たり前」だけに頼っているのでは、もしかするとこの時節を生き抜いていくことができないのかもしれません。もう少ししたら「戻る」と信じている日常は、もしかするともはや形を変えているのかも知れません。コロナで出社がままならないので、リモートワークが脚光を浴びましたが、実は「在宅」でもできる種類の仕事は確かにあって、そのために毎日出社する必要は無いのかも知れません。学校は、朝送りだしたら、下校時まで預かってくれて、しかも放っておいても何かしら勉強させてくれるところ…という認識は改めなければならないのかもしれません。


2020年07月13日 | 社会派らぼ
13歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの救出にその半生を捧げた父親の横田滋氏が、老衰のため87歳で亡くなられました。北朝鮮による拉致の可能性が浮上し、拉致被害者の「家族会」を立ち上げ、その代表として東奔西走された事は、皆の良く知るところです。2002年に被害者5人が帰国されて以来事態は動かず、横田さん以外にも高齢の被害者家族が無念のうちに、生涯を閉じられました。家族会が繰り返し訴えるように、わずかな時間しか残っていないことは明らかです。

横田氏の半生は、他人にはうかがい知る余地もないほどに、過酷なものであったことと思われます。それでも、氏の映像は奥様の早紀江さん共々、いつ見ても穏やかで冷静で慈愛に満ちていたように思われます。わが身を置き換えてみた時、いかに子どもを愛していたとしても、42年間と言う年月は、嫌でも諦めてしまうに足る長さです。そして何故、このような理不尽に耐えねばならないのか「怒り心頭」、悲しみも苦しみも怒りもすべての感情がない交ぜになって、口を極めて何かを訴えねば、心のバランスが取れないようにも感じます。

…が、横田夫妻は、ニュース等で見る限り、いつも平静で穏やかで優しそうで品位に溢れていました。それが「家族会」の冷静で賢明で諦めない姿勢に繋がっているところは火を見るよりも明らかです。純然たる被害者の会が、いつの間にか利権が絡んだり、政治に翻弄されたり、衰退したり、行き詰まったりするのが常の世にあって、この「家族会」がいつまでも凛としていられるのは横田夫妻の功績のように思えます。

横田早紀江さんの品の良さは特筆に値するものと思っていましたが、滋さんも朴訥とされていましたが、品がありました。早紀江さんがクリスチャンであることは良く知られています。めぐみさんの失踪後、7年程して受洗されています。彼女を支えていたものは強い信仰だったのではないだろうか…というのは勝手な憶測ですが、滋氏は奥様の信仰に理解を示しながらもずっと「神はいない」と言われていたようです。が、2017年に受洗されたそうです。

聖職者であっても、それにふさわしい器とは思えない人間は山ほどいます。どうでも良い話ですが、私自身は無神論者です。この世に神が存在するとは信じていません。もしも神が居るとしたら、それは各自の心の内では無かろうかと思っています。…これほど過酷な状況にあって、品位を凛と保つことができるのが「信仰」の故だとしたら、そういう「神」は悪くないかも知れません。あの世を信じていない者が言っても、誰の心にも響きませんが、滋氏もいつか必ず「天国」で愛娘を抱きしめていただきたいと思います。

マルチモーダル

2020年07月12日 | 社会派らぼ
高校生棋士の藤井総太七段が、2つのタイトルに挑戦中で、無類の強さを誇っている事が話題になっています。先日の棋聖戦3戦目で初黒星を喫し、2勝1負となりましたが、まだ挑戦者がリードしています。2戦目で藤井七段が指した一手が、将棋ソフトを超える一手だったと話題を呼びました。

一時は、プロ対ソフトといった図式で囃され、AIが人を超えられるのか、あるいは既に人を超えたのだろうか…といった事が関心事でしたが、ようやく今は人とAIを競わせる事よりも、AIを使って腕を磨くといったニュアンスに近づいてきました。AIは人と対極にあるものでなく、人をサポートするものでなければなりません。そのAIに4億手先まで読ませた段階では、最善と判断できなかった藤井七段の指し手が、6億手先まで読ませると突如最善手として現れる手だったと専らの噂です。つまり、藤井七段は6億手先まで読んで、指しているのかという事になります。

将棋に限らず、人口知能(AI)の進化は、今もたゆまず続いていて、更に人に近づけるためのアプローチとして「マルチモーダルAI技術」なるものが登場しました。電卓に代表されるように、単純な計算をより速くより正確にこなすことは、今では当たり前のことですが、更に「人の顔」を識別したり、「文章の要約」を自動生成したり…と、画像や文字などの情報もこなせるように進化してきました。

が、これまでは「シングルモーダル」。つまり画像なら画像を分析して「顔」を認識したり、音なら音を分析して「文字化」したりするような技術だったのが、「マルチ」になっていくと言います。画像だけでなく、音や、テキスト、匂い、過去のデータなどを総合的に判断して答を導き出せるようになるというわけです。人が対面で話す時は、相手の言葉だけでなく、表情、語調、雰囲気、ジェスチャー、最近の出来事など全てから「相手」を感じるわけで、AIがそれに近い事をやってのけるという意味です。

単調作業を人間に代わってこなす事にかけては、疲れないし、文句も言わないし、ミスもしないし…、人間よりも優秀なワーカーでしたが、今や熟練工にも成り代わる時代になろうかというものです。あらゆる条件を瞬時に総合的に判断することが可能になるわけです。

そんな中で、人がAIを超えているものは、一体何なのでしょうか。少ないデータから判断する力。法規とかルールでなく、人としての善悪の判断。美しいものを美しいと感じる力。過去にとらわれずに未来を拓く力。データ処理では解決できない…課題こそが、人が取り組むべきものなのでしょう。

レジハラ

2020年07月11日 | 社会派らぼ
7月1日から、レジ袋の有料化が始まりました。全国一律、プラスチック製買物袋を無料で提供することができなくなりました。経産省ホームページでは「ライフスタイルを見直すきっかけとする」といった事が謳われています。レジ袋を有料化することで、プラスチックごみの削減に繋がるのかと言うと、どうやらそうではなく、お金を出せば買えるわけですし、スーパーのサッカー台にはロール式で透明のビニール袋が置かれており、これらは自由に無償で使えることができます。加えて、コロナ対策もあって、プラスチックの袋個装商品が増えたり、フェイスシールドや間仕切りなどプラスチック製品は増える一方のように思われます。

「セクハラ」「モラハラ」「マタハラ」…など、何でも「ハラ」をつける風潮があります。がここにきて「レジハラ」と言う言葉まで飛び出していると言います。レジ袋を購入した客に「エコバッグを使え」といった文句を言う客がいたり、「これまでただだったものにお金を払う事」にクレームをつける客もいるという事です。

世の中の風潮が、人と人を遮断する方向に向かいつつあります。自分自身を一歩引いたところに置いて、相手に対する敬意をキチンと示すことが減りつつあります。コロナ以前から「自分ファースト」の時代に突入した感がありました。生きていくことは、何もかもが思い通りになることなど難しいことを、私たちは良く知っています。がむしゃらに「自分が」「自分が」と主張することよりも、相手を立てることで、相手からも「感謝」や「好意」が返ってくることを身をもって実現することが必要だと感じます。

スクショ

2020年07月10日 | 社会派らぼ
以前、共通知人のメールアドレスを教えるのに、メモした手帳の1ページを見せられたことがありました。私がそのメールアドレスを、書き写す…と思っていたようで、その場でスマホカメラで撮影すると、「若い人みたぁい…」と言われたことがあります。

30年さかのぼれば、情報は書き写すのが当たり前…の時代でした。バス停の時刻表もメモするのが当たり前。パソコンの教室には、ポイントを書き記した模造紙を何枚も貼っていましたが、大半の受講者は、それをせっせとノートに書き写していました。今ならさしずめ、誰もがカメラに収めておしまい…でしょう。

便利な世の中になったものです。但し、その昔の「書き写し文化」は、書きながら覚えるという副産物がありました。が、いとも簡単にカメラでカシャッと撮影してしまえば、手間はかからないかもしれませんが、頭の中に何一つ残るわけではありません。後日、撮影した写真を眺めて、復習すれば別ですが、おそらく大半は「撮影したからいつでも見られる」という安心感を得るだけで、二度と見返さないのではないでしょうか。

最近の若者世代は、何でも「スクショ」するのだそうです。「コピー&ペースト」というのを「コピペ」と縮めることがあります。なんでも「コピペ」する時代になっていたはずなのですが、いつの間にか時代は「コピペ」を通り過ごして「スクショ」になったのだとか。

「スクショ」は「スクリーンショット」。画面をそのままキャプチャーすることです。スマホの場合、ボタンを2つ同時に押すだけで、簡単にスクショが撮れて、自動的に写真のフォルダーに日にち毎に整理されて保存されます。そのため、気になった情報は全てスクショしておくのだそうです。人に情報を伝えるのに、私たち世代は情報の載っているページのURLをコピーして、それを相手に送る…といった手段を取りますが、若い世代はそういう時も「スクショ」。気になっている個所のみをスクショして送るというのが当たり前のようです。

曰く「コピペなど面倒だ」そうです。URLを教えてもらうと、更に詳しい情報をすぐに読むことができるわけですが、スクショでは映っているものしか見えません。若者曰く、リンク(URL)をタップするのも、スクロールするのも「面倒」なのだそうです。今一つの理由は、URLをコピペして送ると、サイトヘはリンクをクリックして行かなければならず、それが「ギガ」を減らす行為だから避けたいのだそうです。スマホが手放せない世代は、契約しているデータ通信量を使い果たして通信速度制限がかかる…を心配しています。URLからリンクをたどる際に、ギガが減るわけで、それならピンポイントで「スクショ」でダイレクトに内容を伝えれば良いということらしいです。

「スクリーンタイム」 長時間画面を見ている際のアプリは一体何なのか?というのを調べた報告があります。20代、30代の者はWebブラウザを見る時間が一番長いのに対して、10代は「YouTube」「LINE」「Instagram」を見る時間がブラウザより多いのだそうです。若者たちは、調べものにブラウザを使わないという結果が出ています。彼らが情報を得るのは、ブラウザではなく、YouTubeやLINE、Instagramなどであるという事です。誰かが発信するSNS情報が若者の情報源になっている…という事は、webの情報がそれだけ魅力的でないことを示しています。いつからか、ネット上は、個人が振りまく情報であふれかえり、その道の「権威」がキチンと理路整然とまとめてくれているサイトというのが無くなって来つつある、という今の現状を映す鏡なのかも知れません。が、それは同時に、皆が持っている「情報」が、どれ一つとっても個々人の感想や意見でしかないという危険性を示すものでもあります。

時代は「ニーズ」から広まっていくことを考え合わせれば、いずれ「シュクショ」文化が広まるのだと想像できます。但し、昔の「書き写し」が理解を深める第1段階に相当しており、それらを放棄した世代は自ら学ぶ機会を失ったのと同様、便利なものに走ってしまう事は、代償に何かを失う事に繋がるのではないだろうかと懸念します。

スクリーンタイム

2020年07月08日 | 社会派らぼ
iOS12の設定に新たに「スクリーンタイム」が加わっています。これは画面を見ている時間についての詳細情報を示すもので、同時にアプリの一日当たりの使用時間制限を設定したりすることができる機能のようです。空いた時間があると、さした目的も無くツイ、スマホを手にしてしまう…というのが、現代人の習慣になってしまっています。

先日文科省が、中学校へのスマホや携帯の持ち込みを条件付きで認める案をまとめたようです。これまでは原則禁止としていたものですが、登下校時の緊急連絡手段として持たせることを望む保護者が増えていると言います。こうした状況を受けて、校内での使用は禁止、閲覧対象を保護者の責任で設定することなどが条件として示されているようです。上述の「スクリーンタイム」は、こうした子どもの管理も念頭に置いているようですが、果たして効果はあるのでしょうか。

ツイ、スマホを手に取ってしまう…ので、なるだけ見ないようにしようという意志を持った人たちにとっては、効果があるのかもしれません。が、親が子どもの使い方を管理するには、子どもの知識が親を優る家庭が多いのではないだろうかと想像します。親が管理できるのは、低学年とかまでに限られるでしょうか。

実際、私もどうでもよい(笑)ゲームをすることがしばしばありますが、こうしたアプリには人の積極性をそぐ力があるように感じます。なかなか攻略できないゲームはそれなりに、「今度こそ!」「もう1回!」といった風に自然と没頭することを誘います。そして他の事象を考えることが要らない。ゲームの攻略には多少の頭を必要としますから、それらを考えている間は、他の重要な案件を忘れている事が可能です。受け身でそれなりに長時間を飽きずに没頭することのできるツールには、ツイ積極的に自分が何かをしていく意欲をそがれてしまいます。但し、他人に迷惑をかけるわけでもありませんから、ツイ手軽に時間を潰してしまう…と言ったところでしょうか。

TikTokが、香港市場からの撤退を計画していると報じられています。また、米政権はTikTokの禁止措置を検討しているようです。これらは、単に15秒程度の音楽に合わせた動画が、政治や思想に利用され、しかも人々の間に広く浸透している事を示しています。思想・信条に利用しようとしている人たちは、ツイスマホに手を伸ばす多くの人々の無意識下へするりと入りこんでしまう事ができるのです。

こうした「ツイ」スマホに手を伸ばす利用の仕方は、米政権ではありませんが、無くなっても良いのではないかと思います。情報収集などと称して、ツイ画面に目を走らせている時間を、昔の人たちは他のことに充てたのだと思うと、現代人はとてつもない損をしているのかも知れません。SNS全てを標的にするつもりはありません。要は使い方で、何が意味があって何が意味が無いのか、ただ流行りに流されずに少し立ち止まる必要があるように思います。