ぱそらぼ (ぱぁと1)

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ゲノム

2019年02月11日 | 社会派らぼ
先般、中国でゲノム(遺伝子(gene)と染色体(chromosome)から合成された言葉で、DNAのすべての遺伝情報)編集をして、ヒト受精卵を改変して双子が生まれた…というニュースで世界中から非難の声が上がり、発表した副教授は解雇されました。

男性側がHIV感染者であり、体外受精時に感染を防ぐよう遺伝子を改変したというものでした。病気の原因となる遺伝子を正常なものに変えるといった「遺伝子治療」は、患者の体細胞を使うなどして、既に検討されているようですし、受精卵についても基礎研究は始められているとの事。ただ受精卵は本格的な細胞分裂が始まる前段階なので、安全・倫理面での懸念が大きいとして、禁止もしくは厳しい制限が設けられている中でのフライング研究だったようです。日本でも、不妊治療などを目的としたゲノム編集を受精卵に対して行う基礎研究が、近く解禁されるとも言われています。但し、ゲノム編集を行った受精卵を人や動物の体内へ戻すことは認めないとしています。ただ罰則があるわけではなく、技術の悪用を防ぐために法整備を急ぐべきだとの指摘もあります。

「安全・倫理面での懸念が大きいとして」厳しい制限が設けられている…との事ですが、言い換えると「安全・倫理面での懸念が払しょくされれば」解禁されるというニュアンスを含んでいます。安全面というのは、研究が進めば、自ずと解決されるのかも知れませんが、倫理面はどう納得するかだけの話でしかありません。基礎研究は良いが、臨床に応用するのはダメ…と言うのは意味があるようには思えません。基礎研究は、いつかは分からない将来の臨床応用のためにされるものであって、金輪際応用しないものは基礎研究もすべきではありません。そこに一線を引くのは、恐らく至難の業であると思われるからです。こうした世界は、技術自体が「悪」なのであって、悪用するといった考え方は少し違っていいるのではないかと思います。

ゲノム編集は、農畜産業の現場では商品化に向けて既に急速に研究が加速していると言われています。ニワトリのヒナでは、ゲノム編集でオス化に関わるとみられる遺伝子を無効化して、雌雄の産み分けを可能にすると言います。将来は、鶏卵業者にはメス、鶏肉業者にはオスのヒナを提供できるようになる…のだそうです。稲の収穫量が上げることや、トマトを腐りにくくすることも、ゲノム編集で可能になるのだそうです。

それは「科学」の進化なのでしょうか。ニワトリさんには大変失礼な話です。そしてそれが可能になった暁には、ヒトの産み分けが可能になるのも時間の問題でしょうか。親の望む通りの子どもを作るデザイナーベビーが、現実になるのはそう遠くないような気がしてしまいます。「病気を未然に防ぐ」といった風に説明されると、なんだか人類の未来が明るくなるようなニュアンスがありますが、元々「病気は悪で、健康は善」という考え方自体が違っているような気がします。人はいずれどこかで、人生の幕を閉じます。病はその人と共にある…のでは無いでしょうか。あくまで人は人として生まれ、人としてその人生を終えていきます。決して、ヒトという動物であってはならないと思うものです。

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詐欺

2019年02月10日 | 社会派らぼ
当初「オレオレ詐欺」と呼ばれていた詐欺は、その後名称案を公募し、「母さん助けて詐欺」「ニセ電話詐欺」「親心利用詐欺」など様々な優秀作品を輩出しました。県警によって「うそ電話詐欺」「電話de詐欺」など異なる名称を採用した経緯などもありますが、今では「特殊詐欺」の中の一つとして「振り込め詐欺」、その「振り込め詐欺」の一つに「オレオレ詐欺」がある…というところでしょうか。「オレオレ詐欺」以外には「架空請求詐欺」「融資保険金詐欺」「還付金等詐欺」など、手口が名称として使われています。

要は、名前はどうでも良いんですよね。実際に詐欺のターゲットにされた時に、「もしかしたら、これって詐欺?」と気づく前知識になれば…という為の名称ですね。巧みに人の心理を突いてくる詐欺は、知能犯と呼ぶほどの値打ちも無いと思いますが、人を騙す工夫は満載ですので、気を付けて欲しいと思います。が、こういうのって、どちらかというと、高齢者がターゲットで、若い世代は自分たちがターゲットにされているかも知れないという意識は低いかも知れません。

最近「googleマップ詐欺」(名前は今、勝手につけました 笑)というのが、登場しています。これは、少なくともGoogleマップを利用する人をターゲットにしていますので、高齢者というよりもう少しITなどに詳しい世代に被害が広がりそうです。アジア各地に被害が広がっていて「リバースビッシング」と呼ばれているそうです。「Googleマップ詐欺」では無いんですね。「ビッシング」というのは「ボイス(声)フィッシング」の略称で、「リバース」逆のという語がついています。

何が「逆」かというと、通常の詐欺は犯人側から電話がかかって来たり、ハガキが送られて来たりと、犯人側から接触して来るものですが、これは被害者側から犯人に電話をかけて接触してしまうというもののようです。Googleマップを利用する人は多いと思われますが、Googleマップに記載されている銀行や金融機関の電話番号に電話をかけると、犯人のところに繋がってしまうのだそうです。マップの情報は、第三者が修正を提案する機能がついていて、提案数が多かったり、信頼できるユーザーからの提案だったりすると、簡単に情報が書き換えられてしまいます。つまり、あらかじめ犯人側が自分の番号に修正させておいた電話に、まんまと電話をしてしまう…という仕組みです。

「IT」は恐ろしいスピードで進化を続けています。本来、もっと丁寧に作られなければならないデータが、「もっと簡単に」「もっと便利に」と、人手をかけずにクラウド(群衆)の力で構築しようという方向に進んでいます。Wikipediaも、「正しいとは限らない」…と言われながらも、結構利用することも多いものです。群衆の力…と言うのは、平均化され、淘汰され、ある程度洗練浄化されるのかも知れませんが、一方で故意の悪意には弱いかもしれません。

ネット社会の中での「自分の立ち位置」をシッカリ自覚すると共に、信頼のおけるコントロールされた「上位ネット」のようなものを構築することはできないでしょうか。

いじめ

2019年02月09日 | 社会派らぼ
大津市では全国に先駆けて、AIを活用して、いじめ深化を予測する取り組みを始めると発表しています。過去のデータを理論的に分析することで、先生の経験値に頼らずに、それぞれの事案に対応できるとしているようです。教師という職業は、ベテランとか新米とかにかかわらず、学級担任を持てば、全く同一に扱われます。若い先生が経験不足で…、重篤ないじめを見逃すことが無いように…といった趣旨なのだと思われます。これまで報告があった事案について、発生時期や場所、加害者の人数などを解析するのだそうです。

大津では2011年に、当時中学2年生の男子生徒が、いじめを苦に自殺するという、いわゆる「大津いじめ自殺事件」が起きています。事件前後の学校や教育委員会の隠ぺい体質が大きく問題にされました。全国の現場で似たようなケースが起きているにも関わらず、何かにつけ「大津いじめ自殺事件」が引き合いに出されることも多かったかと思います。

…だから、今度は大津が率先して…という気概は分かります。が、いじめの深刻化をAIに分析させる…というのは、少し違っていませんでしょうか。遡るのなら年金問題、近くは厚労省の統計不正を見ても分かるように、コンピューターは大量のデータを管理分析するのには威力を発揮しますが、その元々のデータに間違いがあると、金輪際正しい結果は分析できません。

いじめなどの事例に対して、教師の経験年数がどのくらい影響があるのかは分かりません。ですが、少なくとも数字を見ていても「いじめ」は見えては来ません。ベテランであろうが、新米であろうが、受け持ったクラスの30人か40人かの目の前の顔を見ることでしか、見えてこないのではないだろうかと思うし、教師としての経験や人間としての経験は確かに大きいとは思いますが、愛情をもって40人それぞれを見る事によってしか予見することはできないのではないでしょうか。

教育委員会や文科省ができる事があるのだとしたら、現場の先生の雑務をすっぱり無くすことでしょうか。先生は、教室内で授業をすることだけに専念していただける環境を作る方が先決ではありませんか。将来コンピューターにとって代わられることによって、無くなる職業というのが、話題になりました。一人一人の表情や態度から、子どもの勉強の理解度や悩みをくみ取ることは、コンピューターには決してできない事です。理解度というのは、試験で何点だから、理解できている、何点だから理解できていない…というものではありません。何に躓いているかを見極められること、教えたとおりに取り組んでいるのか否か、モチベーションがどの程度保たれているのか…、コンピューターに判別することはできないのです。彼が(彼女が)いつ、諦めたのか、どうしたら気持ちを燃やすことができるのか。そういうものが見えていることが大切です。教師の力量というのはそういうものではありませんか。

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「互換性」の文字を消したい

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2019年02月08日 | 命の生き方
熱しやすく冷めやすい…のが、マスコミかも知れませんが、千葉県の小4女児の死亡から、児童虐待について警鐘を鳴らす人が急増しています。国連の「子どもの権利委員会」も、虐待などの調査と加害者の取り締まり強化を日本政府に要請しました。確かに、児相での虐待相談対応数を示すグラフは、右肩上がりのカーブを描き、ここ数年はその勾配が更に急になっている感があります。

数字…というのは、正確な情報のようでいて、実は変幻自在な面を持ちます。日本の統計では、DVが認知された時点で、未成年の子どもは児相に通告されるような数え方をしています。子どもがDVを目撃することが心理的虐待に当たるとされているためです。例えばアメリカでは「Children With a Domestic Vilolence Caregiver Risk Factor」として別データになっていると言いますから、数字にはマジックがあると思っておくことも必要かもしれません。

それでも多分、確実に虐待は増えているのだと思います。今でも殆どの家庭は、試行錯誤をしながらも大切に子どもを育んでいるのだと思いますが、崩壊している家族もまた半端なく増えているというのが現実のようです。因果関係を探し出すのは、専門家に任せざるを得ませんが、一昔も二昔も前の「家」中心の社会が、「個人」中心の社会となって、妊娠先行結婚の増加や離婚率の増加などと深く絡んでいるかも知れません。加えて、社会が豊かになった分、我慢する機会が減ったことも、切れやすい大人を増産している事になっているのかも知れません。

ですが、だからと言って、全てを昔に戻すことができるわけでもありませんし、昔に戻すことが良いのだとも思えません。生活の中に不自由さがあって、諦めざるを得ない現実がある中で、生きる意義や目的に苦悩した人達が自らたどり着いた「答」を、豊かな現代にあって「求める」ことが大切なのかも知れません。

倫理観

2019年02月06日 | 社会派らぼ
小学校4年生の女児が、両親からの暴行で亡くなる…という痛ましい事件が起こりました。しかも報道されているように、問題は第三者が把握しており、児相が一旦は保護したにも関わらず、父親からの威圧的な要求に屈し、その後の見守りができていなかったなど、「救えたはずの命」だったことが次々と明るみに出て来ています。10年の命を生きた心愛さんは、「この世」とか「生きる」という事を、どんな絶望の中で捉えていたのだろうか…と胸が痛みます。

こうした報道は、テレビでも新聞でも報じられますから、大人ばかりでなく子ども達も見聞きしています。加古川市では、小学生からの訴えで親が逮捕されるという事件が2件も起こりました。小4の男児は担任を通じて、一方小3の女児は110番通報をしたと言われています。身を護る術の無かった子ども達が、自分から声を上げることを学び始めた…という意味では良い事なのでしょう。心愛さんの事件があったせいで、周りの大人もすぐに動いたであろうことが想像されます。それぞれのケースで、どの程度の事件性があるのか…、これから捜査が始まるのだと思われます。

いじめはいけない、虐待をしてはいけない…。子どもであれ大人であれ、そんな事を知らないという人はいません。にも関わらず、事件は根絶されません。やっている本人には「虐待」や「いじめ」という自覚がなく、「躾」だとか「正義」だといった風に思っているか、もしくは心の中では「止めたい」「止めなければならない」と思っているのに自制できない状態なのかと想像します。広い意味での「救い」が、やっている本人に必要な状態でしょうか。そういう意味で、最初から思い切り警察が絡むことも意味があるのかもしれません。説得や見守りを繰り返して、結局は最悪の事態に至るといった悲劇を何度も繰り返してしまっているのですから。

ですが、一方で「家庭」という単位の中で、「110番通報」する事が(いつしか)当たり前になる世界が怖い…という気もします。第一、全国でそのような通報が相次げば、110番はすぐにパンクする事が目に見えています。昔は良かったなどいう気はありません。ですが昔の「家庭」は、今のように閉鎖的に閉じていなかったのだと思います。プライバシーが殊の外声高に叫ばれる時代になりました。プライバシーなどあったものではなかった時代や国から考えると、個々人のプライバシーがシッカリ守られる社会は、安心・安全な町と言えるかと思います。が、意味もなくプライバシーを叫ぶその裏には、自分の家庭だけ、ひいては自分だけ…といった個人主義が徐々にその根を広げているような気がします。

結局「いじめ」や「虐待」は極端な個人主義の成れの果てなのかも知れません。家庭独自の価値観で子育てするのは当たり前なのですが、それ以前にゆるぎない大きな倫理観に根ざしているべきなのだろうと想像します。

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規定のプリンタが変わってしまう

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薬価

2019年02月04日 | 社会派らぼ
人類は、長い歴史の時間をかけて、一つ一つ病を克服して来ました。旧くは、呪術との境が分からなかった時代もありましたが、近代医学は、地道に真摯に、人間の寿命を延ばすことに貢献してきました。…が、この時代にあって尚、人間が克服できない病は確実に存在しており、日々最先端の医学が挑戦を続けています。(個人的には、人間が不死では無い以上、何らかの病が人の命を終わらせることは、仕方が無いのではないだろうかとも思ってはいます。)

日本という国は、薬の値段が高い国の一つのようです。薬効が同じかと言えば、国によっては認可されている有効成分の量なども異なるようで、一概に比べることも難しそうです。まして、効果にも差がありますから、値段だけを比較するのも意味が無いかも知れません。ただ通常の商品は生産者が値段を定めているのに対し、薬の値段は中央社会保険医療協議会(中医協)という厚生労働相の諮問機関が定めています。市場のルールが支配するのでなく、厚生労働大臣に価格決定権があり、大臣が中医協に諮問する…という流れになっています。

勿論、適当に決めているわけではなく、原料代や製造にかかる人件費などに加え、研究開発費用、また臨床試験など膨大な期間と費用が価格に反映して来ることになります。ですから、薬の値段が高くなる事はある意味で仕方がない事だと理解はしています。ですが、1錠8万円とか、1瓶900万円などという金額を聞くと、果たして本気で言っているのだろうか?と、笑ってしまいます。1年間の治療費が3,000万円とか5,000万円とか、勿論日本には医療保険制度というのがありますし、高額療養費は払い戻してもらえます。…が、補完する医療費が膨れ上がり過ぎて、このままでは破綻する…と、医療費を下げる事に国は躍起になっています。

…という仕組みは理解できるのですが、普通に考えておかしいのではないかという思いが拭い去れません。何千万円という値段設定があって、自己負担額との差額を医療保険が負担する。それなら保険は破綻して当たり前で、破綻しないような制度を作らなくてはならないのではないでしょうか。日本の保険制度はトテモ有難いと思っていますが、日本の保険制度は「破綻する」のではなく、もう「破綻して」います。高齢者介護が更に増えていく現実を考え合わせると、現行の仕組みは変更されなければならない。そう思うのですが、違っているのでしょうか。

統計

2019年02月03日 | 社会派らぼ
厚労省の統計不正が問題になっています。厚労省に続き、総務省でも不適切調査が行われていたとの発表がありましたが、膨大な仕組みの中の不正(手抜き?)を数え上げれば、おそらくキリがなく出て来るのではないかとの懸念が拭いきれません。マスコミも私たちも飽きっぽくて、次の不祥事が出てくると、前の不祥事はどこかに忘れてしまいます。ツイこの間までは、中央省庁の障害者雇用の水増しが問題になっていましたが、今は統計不正一色。いつかこの統計不正も、次の問題が勃発して色あせるのではないでしょうか。

昨今は、コンピュータ処理が進化しており、データベース操作が容易になって来ました。パソコンでデータベース機能の紹介をする機会があると必ず、データベース処理を学ぶこと以前に、信頼のおけるデータ収集が如何に大切かを話させていただいています。データそのものに誤りがあると、それを後から検証修正することがどんなに大変か、私たちは「年金騒動」の時に、学んだのでは無かったのでしょうか。

諸外国に比べ、統計職員数が少ないことが指摘されています。データをいくら分析することができても、集めたデータの信頼度が低いと、データの値打ちがありません。おりしも、無作為に3,000人を選んだとして、意識調査のアンケートが送られて来ました。答えるのに時間を要するようなアンケートは敬遠されますから、アンケートは大変答えやすく作られています。それぞれ施策について「満足度」「重要度」について6段階の評価「満足」「やや満足」「普通」「やや不満」「不満」「わからない」、「思う」「やや思う」「普通」「あまり思わない」「思わない」「わからない」から選択すれば良いだけなのですが、何か答える気をそがれてしまいます。いや、そこじゃないでしょう、もっとこっちが問題なのでは?…と、突っ込みどころ満載(笑)。が、キット書き入れたところで、それを最終的に統計結果にまとめる事を考えると、なかなか3,000人もの意見を集約する事の難しさを思い知らされます。

様々な仕組みが複雑すぎるような気がしてなりません。日本は法治国家であると自負していますが、憲法以外の法律、政令、規則等夥しい数に上ると思われます。国会の議決によって、法律はどんどん成立していくわけなのですが、日本の根幹を動かすルールをもっとシンプルにすることはできないのでしょうか。あまりに多くのルールを作り、あまりに多くの統計を集め、あまりに多くの仕組みに世の中が潰されそうな気がしてきます。