市長が、市議会本会議中にトローチをなめたり、ガムをかんだりして、議長から注意を受けていたと言います。議場での飲食に関する定めは特にないようですが、常識の問題だと議長は指摘しています。
多分、少し以前の日本では見ることのなかった光景が、今では普通になっています。道を歩きながらモノを食べる。車中でお化粧をする。最近はそれにプラス、歩きながら携帯電話で話す。などなど。
外と内という区別がなくなっています。日本には古来から「晴」と「褻」という区別がありました。晴れが外で、褻が内です。言葉の通り「晴れがましい」ことと「そうではない日常の」ことです。1年の中では「お正月」がその晴れがましい日で、それ以外は表舞台に立たずにただ黙々と過ぎ去ります。だからと言って「晴れ」だけに唯一絶対の価値が存するわけでなく、むしろそれは短く過ぎ去ってこそ「晴れ」で、黙々と過ぎるものこそが実体であるはずなのです。
そうした区別がなくなりました。人は常に「晴れ」でいることが幸せなのだと勘違いをしたのだと思います。その境目をなくしてしまうことが、あたかも豊かさの象徴であるかのように思ったのでしょうが、それは世の中の節操をなくし、謙虚さを奪い、満たされるがゆえに不満を募らせる…という思いもしない結末に至りました。
公の場で(それが議会であろうと、教室であろうと、会社であろうと、車中であろうと)飲食をしたり、私語を話したり、人前で見せるべきでない振る舞いをすることに、もう少し敏感であっても良いと思います。が、注意すべきタイミング、注意をする言葉と、説得力のある説明…などに気を配るあまり、ツイ言葉を呑んでしまうことが多いのです。
「シートが1枚しかないっ!」
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そうした区別がなくなりました。人は常に「晴れ」でいることが幸せなのだと勘違いをしたのだと思います。その境目をなくしてしまうことが、あたかも豊かさの象徴であるかのように思ったのでしょうが、それは世の中の節操をなくし、謙虚さを奪い、満たされるがゆえに不満を募らせる…という思いもしない結末に至りました。
公の場で(それが議会であろうと、教室であろうと、会社であろうと、車中であろうと)飲食をしたり、私語を話したり、人前で見せるべきでない振る舞いをすることに、もう少し敏感であっても良いと思います。が、注意すべきタイミング、注意をする言葉と、説得力のある説明…などに気を配るあまり、ツイ言葉を呑んでしまうことが多いのです。
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「張り詰めた空気」感を演出することも、熟練を要することですね。自分ひとりの空気感なら容易ですが、多人数を含む空間の空気感を操るのは、よほどのエネルギーが要る仕事ですよね…。それができることを「指導力」と呼ぶのでしょうか。