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ノーベル賞

2016年10月14日 | 社会派らぼ
ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しました。言わずと知れたアメリカのシンガーソングライター…でしょうか。How many roads mast a man walk down / Before you call him a man? …♪ 子どもの頃、この英詩を習った覚えがあります。それくらい、有名でした。数少ない、英語の歌詞を知っている曲です(笑)。ノーベル賞の公式ツイッターアカウントでは、受賞理由を「米国の偉大な歌の伝統の中に、新たな詩的表現を創り出した」と記述しています。1960~70年代のアメリカで、反戦・反権力を訴えた歌詞が当時も、そして今も大いに評価された…という事になります。

そうした世界にとんと疎い私ですら知っているというのは、彼がどれほど有名だったか、そしてどれほど歌が愛されたかを、如実に示しています。恐らくノーベル賞にふさわしい人…なのだろうと思います。

が同時に、彼のノーベル賞受賞を歓迎する声と共に、いぶかる声も当然ながらあります。彼は既に、グラミー賞もアカデミー賞も受賞し、ピューリッツァー賞特別賞も受賞しています。偉大なシンガーソングライターである事は、もう立証済みであり、誰も異を挟む人はいません。にも関わらず、ノーベル文学賞の受賞に相応しいかどうかは、議論の分かれるところのようです。

違和感を感じている人の多くは、彼の存在を賞する分野が「文学」なのか?という点なのだろうと思います。その「詩」が美しいというのは、当初から言われていた事ではありますが、ではその詩を、誰か他のミュージシャンが歌っていたら、あれほどヒットしたかどうかは疑問です。歌というものは、歌詞の力だけでなく、作曲・編曲・歌手の声質・歌手としての技量・ファッション・そして歌手のキャラなどすべてがうまく作用しあってこそ広がる世界のハズなのに、それを「文学」という1断面だけでとらえた時、果たして図抜けているのかというと、疑問が残るのだと言う事でしょう。

私自身は、元々「ノーベル平和賞」と「ノーベル文学賞」は、かなり眉唾ものだと思っています。平和賞は、政治と切り離せない部分がどうしてもあって、マザー・テレサ氏などの受賞は至極当然と思っても、日本の佐藤栄作氏などの受賞は?を感じています。同時に文学賞も、各言語によって本当の文学の値打を翻訳する事など、不可能に近い事だと思っていますから、文学賞自体にも疑念があります。ですから、ボブディラン氏の受賞にも、もちろんしっくり来ないものがあります。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」有名な川端康成の雪国の冒頭の一文ですが、これを他言語に訳した時、果たして同じ感性が伝わるのかどうか疑問です。「国境のトンネルの向こうは雪国でした。」「トンネルを出ると、雪が降っていた。」…同じ一文をどう訳すかによって、世界観が変わる…という微妙な世界なのに、その価値を多言語で共有することが本当に可能なのでしょうか。…って、お叱りをいただく話かもしれませんね。

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