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その蜩の塒

徒然なるままに日暮し、されど物欲は捨てられず、そのホコタテと闘う遊行日記。ある意味めんどくさいブログ。

オランダ宿の娘

2014年04月26日 | 本・雑誌
 愚直とも言うべき、不器用で真っ直ぐな生き様を描いてきた葉室節とは些か異なる、と捉える方が多いのではないでしょうか。難しい題材を選びましたね。葉室作品の中では評価が低いです。相まっていつもは架空の藩が舞台なんですけど、史実に忠実な点も違和感がありますね。今回は、二百年続く江戸に参府するオランダ使節の定宿『長崎屋』が舞台で、そこの娘「るんと美鶴」が主人公。とはいえ、捕まることを恐れず長崎屋の娘として生き方を変えない頑固さは、葉室ワールドの底流と言えるのでは!? そこには鎖国時代において、阿蘭陀始め諸外国との交流の唯一の窓口としての自負・矜持が見え隠れしてます。史実をトレースした冬姫でも「もずと又蔵」がサブキャラで登場しましたが、ひらがな2文字と漢字2文字の組み合わせが好きなんでしょうか?「るんと美鶴」は実在ではありませんが、シーボルトの妻其扇(そのぎ)と娘イネは実在です。その後イネは日本初の女性産科医となりました。また本文で注釈を加えてるように、其扇の本名はお滝(楠本滝)でシーボルトが発音できず「オタクサ」と言っていたのが、ホンアジサイの Hydrangea otaksa(otakusaではありません)になったのも実話です。

 前半は猿を連れた間宮林蔵が不気味でした。他には遠山の金さんこと遠山金四郎景元や伊能忠敬、といったメジャーどころも登場します。海蛇(ハイシュ)の暗躍の背景には、鄭成功一族の末裔が故の清を倒し明を復興させる大義名分があったのですね。それがカルロス銀貨-テリアカ-阿片と繋がり、シーボルト事件には海蛇(ハイシュ)が絡んでたという読み解きも面白かったですね。

『はなとゆめ』

2014年04月16日 | 本・雑誌
 冲方丁(うぶかたとう)著『はなとゆめ』を読みました。清少納言が主人公の歴史小説です。28歳でも当時は中年で、遅くに内裏に出仕し女房となります。そして一条帝の中宮藤原定子様が、第3子を出産してすぐに亡くなるまで仕えました。そのお互いの信頼関係が揺るぎなく、機知にとんだ歌のやり取りも面白かったです。当時は一夫多妻でしたが、互いに「一乗の法」に則り頑なに一夫一婦制を信奉。とはいえ、恋多き女性でもあったようです。前半はややこしいところもありましたが、後半は藤原道長の凄まじいばかりの謀略があり、一気読みできました。

 清少納言の名の由来は目から鱗でした。父の姓の「清原」に夫の官職の「少納言」を重ねたものだそうです。またかなりの階級社会であったことも読み取れました。九品蓮台(くほんれんだい)といって、極楽浄土に往生する蓮の台(うでな)にも上から下まで九つの階級がありました。価値観の違いについては以下の通りです。
・自分の子に乳は吸わせない~乳母子(めのとご)に育てさせる
・女は夫や家族のみに顔を見せるべき
・男子は父親が育てるもの
・身分の低い者には姿を見せない
・清少納言も内裏に出仕当初は、日中姿が顕わになるのが嫌で夜に参上してました
・亡くなったり妊娠すると穢れを帯び、相当期間謹慎生活を送ることになる
・産後は産後で物忌み

 時代小説と違って殺伐としたものはありませんが、それでも政争のとばっちりを受け里に下ったことで枕草子を書くことになります。それは和歌でも漢詩でも日記でも物語でもない、既成のものから解き放たれた「なんとも名付けようのない言葉の群れを紡いだ」ものなんですと。

【漢字】
薨(こう)ずる
薨去(こうきょ)=薨逝(こうせい)
身分の高い人が死去すること。

狸穴あいあい坂(心がわり)

2014年03月31日 | 本・雑誌
 タイトルの心がわりとは、嫌々ながら嫁いだ小山田家でありながら、しかも妻木道三郎に想いを寄せていたのに、出産を機に小山田家が愛おしくて仕方なくなってしまったことでしょう。決して小山田万之助から道三郎へ恋替わりしたことではありません。話はどれも一捻りあって、一筋縄ではいかない展開になりますが、ちょっと諄く話のテンポが悪い箇所もあったように思います。嫁の立場ではなかなか言い出せないもどかしさがある反面、祖父方の火盗改方の血が騒ぎ、結寿のアイディアにより森川安之助が仲間とうまくやれることに。タイトルの「心がわり」の章では、藤崎浩太郎のしくじりが思わぬ方向へと話が進み、「災い転じて福となす」結果へ。祖父の溝口幸左衛門は、万右衛門の切腹を思い留まらせる策を弄しているうちに、自分も出家することになるのは面白い話でした。結局拓植平左衛門は悪党でしたが、耄碌したように見えた婆さんは実はそうではなく、しっかりと値打ちものの花器を見ていたというオチも見事でした。

自閉症の僕が飛びはねる理由

2014年03月14日 | 本・雑誌
 自閉症は、コミュニケーションや物を認知することに困難を生じる、発達障害の一種と言われています。本書は7年前、東田さんが中学生の時に書かれたものです。本を書くことができたのは、パソコンや文字盤を使った筆談という、話すこと以外のコミュニケーションを手に入れたからです。自閉症の方がどんなことを考えているのか、何に悩み苦しんでいるのかを知ることができたのは大きな成果だと思います。最近は、個性だと捉えられてますが、それはちょっと違うんじゃないでしょうか。

 全体を通して、やりたいこととやってることが違うなど、自分で自分をコントロールできず、それに対して思い悩んでいるのがよく分かりました。手足の感覚が鈍かったり、距離感や位置感覚、自分の体の位置も自覚できないのは、普段接してる人でも見逃してるんじゃないでしょうか。なので毎日同じものを触って認識しないと不安になったり、飛び跳ねて自分の体の部分を確認する行動がみられます。苦しさを体にため込むと感覚が益々鈍化していく状況も、外見上からはそれほど変化がないように見えるので理解しがたいものです。

 またオウム返しに関しては、(会話は)外国語で話すようなもので、それだけ会話は大変だということです。「目を見て話さないのは、人の声を見てる」からで、その大変さを物語ってます。

 逆に、視覚、聴覚に関しては敏感です。それは、人が気にならない音が気になるので耳を塞ぐとか、物の見え方が違うという記述に現れてます。「部分が最初にみえて徐々に全体がわかる」んだそうですが、とある本で「写真のように一枚の画像として細部まで鮮明に記憶される」と書いてあったことと一致すると思いました。記憶に関しては、時系列的に階層化されたものではなく、時間差も順番もない横並びのイメージを持っておりましたが、記憶はバラバラでジグソーパズルのようなものらしいです。その一枚の写真的な記憶が、突然鮮明にフラッシュバックされるので、居ても立っても居られず飛び出したりすることに繋がるんでしょう。

 東田さんからの提言
・幼児言葉ではなく、年相応に接してほしい。
・周囲の人は、こだわりは必ずやめられるからという、強い信念を持ってこだわりに立ち向かってください。

ジョン・マン青雲編

2014年03月11日 | 本・雑誌
 最近バンキシャへもゲスト出演している山本氏ですが、借金の方は順調に返済されてるんでしょうか? さてジョン・マン第4弾ですが、今回は期待通りの面白さはありませんでした。ちょっと引っ張りすぎじゃないでしょうか? いよいよ捕鯨船は、ニューベッドフォード港へ入港し、フェアヘブンの地で暮らすことに。日曜は教会で礼拝するんですが、マンジロウを伴ってたため船長が代々祈りを捧げてきた教会から締め出されます。結局、ビッグを渡ったワシントン通りの教会へ鞍替え。ここまでで総ページ数の1/3を割いてます。

 またマンジロウは、フェアヘブンのストーン小学校へ通いますが、敵対心むき出しのピートとかけっこ対決になります。このかけっこには100ページ以上割かれてます。たかが小学生とのかけっこにこれほどの紙面を割くこともなかろうに、とグチのひとつも言いたくなるというもの。

 2ヶ月で小学校を卒業し、今度は2等航海士を目指して高等数学、航海術、測量術を学ぶべくバートレット・アカデミーへ挑戦。ちょうどホイット・フィールド船長が、NYから新妻アルバティーナを連れて帰宅したため、アルバティーナからは理科を、船長からは数学を教えてもらいます。そのおかげもあって見事合格。第5弾は、バートレット・アカデミーでの生活ってことになりますが、日本は鎖国しているため帰国は伸び伸びになるでしょう。一体何巻目で終わることやら。